コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ

Re: 小説カイコ ( No.291 )
日時: 2012/08/25 08:52
名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: .1vW5oTT)
参照: 物騒な展開が始まります。つか中国字変換しても出ないw

                           ◇



成田空港。既に夜の帳が落ち始めた暗い空に、ベルリンからの飛行機が一機ふわりと降り立った。
ふぅ、やっと着いた。飛行機の窓に体を預けた格好で、土我は疲れたようにため息をついた。


“苓見土我”

完璧に作り物のパスポートを見て、思わず一人で笑いそうになる。しかも普通に検問に引っ掛からなかった。我ながらけっこういい出来だと思う。
パスポートの黒い表紙には、日本天皇家を象徴する十六枚の花弁の金色の菊が本物そっくりに印刷されている。本物そっくりのニセモノ、まるでアイツみたいだ。

成田空港に降り立って、ターミナルを出て、天井の低いロビーを通り抜けながら、次にすることを考えていた。
カイコにはあと二時間で我島岡に着く、と言っておいた。でも正直言ってあれは嘘。カイコたちは知らないだろうが、ここから我島岡までせいぜいかかっても三十分で、しかも僕は電車は使わずに壁部屋で移動するつもりだ。……なぜそんなことをするのかと言うと、二時間の猶予の間に、さっさと食事を済ませてしまいたいから。カイコたちに見られないうちに。

しかし人目の多いところからの壁部屋はなかなか難しい。こんな空港のど真ん中で地面に壁部屋を描いたら、不審人物扱いされてすぐに空港職員に捕まってしまうだろう。
色々考えた末に、やはり電車で一駅移動してからにしようと思った。ここから一駅先の、成田駅ぐらいだったら、ちょっと探せば人目から隠れられる場所が見つかるはずだ。

「あーあ、随分と不便な世の中になったもんだな。」

一人、誰に対してでも無く愚痴をこぼす。それから中央ビルから伸びるエスカレーターを下って、セキュリティチェック付きの改札へと向かった。なんとなく、改札の、ピカピカに磨かれたガラス製の敷居に映る自分の姿が、ひどくやつれて見えた。

改札を通り抜けて、もう一度エスカレーターを下って、駅のホームに降りると予想外に閑散としていた。時計を見るともう夕方の六時近く。もうすぐ、夜になってしまう。

一人、特にすることも無く、ただただぼーっと電車を待った。
することが無くなると、どうしてかギーゼラのことをしきりに考えてしまった。最後に聞いた、ギーゼラの悪戯っぽい声が何度も思い出される。

“ま、頑張りなさいよ。私はお空からフランクと張と見物してるから”


いいな、ギーゼラ。君はいつだって幸せそうだった。いつだって、世界を愛していた。
きっと、世界がギーゼラを愛しているから、ギーゼラも世界を愛せたのだ。だから、あんなに幸せな死を迎えられたのだ。

それに比べて僕は、どうだろう。


するとふいに、背後から妙な妖気を感じた。
背筋を這われるような、見えない冷たい感触。人のモノではない、異質な妖気。


「……?」
気になって後ろを振り返ると、セーラー服姿の、髪の長い高校生の女の子が一人、本を読みながら自分と同じように電車を待っていた。その子以外は、誰も居ない。
やけに綺麗な女の子だった。黒くて長い髪は後ろできちんと束ねてあって、たびたび、文面を読む、下を俯いた長いまつげが、まるで蝶のようにまたたく。

遠慮なくじろじろ見ていたせいか、その子はこちらに気が付いたようで、ふと本から顔を上げた。目が合うと、今度はこちらが驚いた。

その子の目は、日本人らしくない深い藍色だった。

さらに驚いたことに、白い額の真ん中には、どうして今まで気が付かなかったのか—————— 赤い入れ墨が入れてあった。

その子の不思議な瞳に捉えられて、一瞬頭の中が真っ白になる。
それから、遠くから、電車のやって来る音が聞こえた。耳をつんざくような騒音は、だんだんこちらへ向かって大きくなっている。


今、わかったことはただ一つ。
   ……この子は、人間じゃない。


「まぁ、随分と察しの良いことで。」

何も言っていないのに、まるでその子には僕の心が読めているようだった。
そしてにっこりと優しく微笑むと、瞬間的な速さで、白く細い腕で僕を後ろへと突き飛ばした。綺麗な見た目からは想像できないくらいに、強い力で。もうすぐ電車がやって来る、冷たい線路の上へと。

構える暇なく、自分の身体が、堅い線路の上に打ち付けられる。バギ、と体の内から何かが折れる鈍い音がして、激痛より速く、赤い鉄の味が口内にじわりと広がった。



パァァァーーーーーーーーーー


電車の、鼓膜を引き裂くようなクラクションの音が駅いっぱいに飽和する。
音のした方を見ると、凄まじい速さでこちらへ迫ってくる電車の眩しいライトに目が眩んだ。その光に、たちまち全身が包まれる。




******************************************




「一年生はみんな疲れてるでしょ、今日はさっさと帰って早く寝なさいねー。」


部室のドアの向こうで、佐藤の声がそう言った。それからすぐに一年生の揃って返事する声が聞こえて、ぞろぞろと過ぎ去って行くいくつもの足音が壁越しに遠ざかって行った。

ガチャリ、とドアの開く音がして、読んでいた文庫本から目を離すと、佐藤がよっこらしょ、とか言いながら戻ってきた。いつも通りに胡散臭い笑顔でニコニコしている。

「一年生、みんな疲れてたっぽいから帰しちゃった。別にいいよね、立人?」
「いいんじゃね。」  リーレン?と聞いてきた佐藤の声が若干オカマっぽくて、何だか笑えた。それから本に栞を挟んで、閉じる。「しっかし一年が居ないとずいぶんと広くなるもんだな、この部室。」
「もー、言い方ってもんがあるでしょ。そういうの“寂しくなったな”って言うんだよ。」

コンコン、もう一度ドアをノックする音が聞こえた。

「ん?誰だろ。開けていーよー。」佐藤がドアに向かって叫んだ。
「あ、あの……」そこに立っていたのは一年女子の乙海さんだった。「みんなどこ探しても居ないんですけど、今日の部活って一体どこで……?」
「一年生は今日は休み!おつうみさんも疲れてるっしょ。早く帰ってちゃんと睡眠取りなさいね。」
「はい、了解しました!」シュビシッ、と勢いよく敬礼の形に右手を額に当てる。「あと、すみません、私の名前、おつうみ じゃないんです。おつみ なんです。ごめんなさい紛らわしい名字で……。」
「ええっ、そうだったの。」佐藤が驚いたように言った。「ごめんね、じゃあ俺ずっと間違えて覚えてたわ。ほんとごめんごめん。」
「やや、謝んないでください。マジ私の名前が悪いんで。んでは、私これでおいとまします!」
そう言って、乙海さんは一礼してエナメルを背負い直すと、ドアを丁寧に閉めてスタスタと帰って行った。

「わーダッセ。佐藤、間違えて覚えてたんか。」
「むー。だって分かんなかったんだもん!でも羨ましいなぁ、珍しい名字。俺なんか佐藤だよ、佐藤。日本で一番多い名字だよ。リアル鬼ごっこだと抹殺されちゃう名字だよ。」
「なめんなよ、俺なんか世界ランキングに入るぐらいだぜ。張って名字の人、世界で九千万人いるんだってさ。」
「へぇ、九千万!」佐藤が口を丸くした。「やっぱ大陸はスケールが違うねぇ……。それじゃあ鬼ごっこなんかやってらんないねー。」




それから、部活を佐藤と終始二人っきりで終わらせて、いつもより早く家に帰った。気が付けば、頼りない雪が夜空に、弱々しくちらほらと降っていた。
駅のホームから、改札を通って、マンションへと続く道を歩いていると、見たことの無い男に突然呼び止められた。

「ねぇ張、君、張じゃあない?ああやっぱり張じゃないか。」

その男は、上も下も真っ黒な服を着ていた。暗くてよく分からなかったが、どうやら和服みたいだった。俺に手を振りながら笑った顔は、あの佐藤の笑顔より数十倍も胡散臭くて、思わず不気味な道化師を連想させた。
カラスの羽のような真っ黒な髪をしたその男は、不審な顔をする俺をニコニコと見て、朗らかに笑った。

「先生、晩上好! 好久不見。」

久々に耳にした中国語。ますますこの男が誰だか分からない。
けれど、こんな挨拶を向けてくるくらいなのだから、遠縁の誰かだろうと思った。

「對不起、我只会悦一点点中国活。」
そう答えると、その男は急にまた日本語に戻った。
「あはは、冗談冗談。しっかし相変わらずつれないなぁ。遺伝だね、遺伝。」
「一体どなたですか?いい加減にしてください。」
イライラしながらも、とりあえず抑えて丁寧に聞いた。

「いや、からかってごめんね。実は僕も君のことは知らない。ただ、君の曽祖父と友人でね。僕、名前は土我ってんだけど。……まぁ、知るわけないか。でもほんと君、見た感じが彼にそっくりだよ。先祖返りってヤツかなぁ。 ……ねぇ、愛新覚羅さん?」
張り付いたような笑顔で、その男はくすくすと喋った。凍らすような冬風が、男の黒髪を微かに揺らす。

「あんた一体……」思わず冷や汗が背筋を伝う。「もしかして旧党員の方ですか。僕は今、本籍は日本ですし、父も何も、」
「ふふ、冗談だってば。ちょっと見かけたから話しかけてみただけ。じゃあね。」

そう、ふざけたように言い放つと、その男はヒラヒラと大きい手を振って、夜の闇の中に溶けるように消えて行った。