コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- Re: 小説カイコ 【参照8000突破】 ( No.369 )
- 日時: 2013/04/08 23:13
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: ECnKrVhy)
- 参照: 字数無くてスンマセン。ふわぁ新学期おそろし(笑)
すると山人は、笑顔で首を横に振った。色白な頬に、ほのかに赤みが差した気がする。そして無言で人差し指をぴんと立てて口に当てると、やはり悪戯っぽく笑った。その様子を見て長男は、ニヤリと不敵そうに笑う。
「……ああ、そうか、鹿は怪しまれないための口実だな?」
山人はコクリと無言で頷いた。そして、小さく手招きをすると、森の中へと颯爽と歩き出した。
「わかった!夕方頃にはそちらへ行く!ちょっと今は、両親の目があるのでな」
長男が、囁くような小さな声で、歩き出した山人の背中へと話しかけた。細身の後姿が、いつもより若干楽しそうに歩みを進めているようだ。すると山人は、答える代わりに振り向きもせず、右手をひらひらと振り、そして、風が揺らす木々の音と共に、森の緑の中へと消えて行った。
- Re: 小説カイコ 【参照8000突破】 ( No.370 )
- 日時: 2013/04/15 23:33
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: ECnKrVhy)
- 参照: おいおい春になったら寒いって何事だよ(涙目)
「兄様!」
長男の背後、囁くような声がふいに耳元に感じられた。思わず飛び退いて振り返れば、そこにはクスクスと可笑しそうに笑って彼の妹が立っていた。
「なんだサユキ、脅かしてくれるなよ……」
「ふふふ、」サユキ、と呼ばれた濃い茶色の髪をした娘が可憐に笑う。「どなたです?また山人の殿方ですか、母様に叱られますよ」
「ふん、知ったことか。親父もお袋も何もわかっちゃあいない。どうして山に住んでいるだけでみんなああも蔑むのかな」
サユキは、ちょこんと爪先で背伸びをして、先程の山人の消えた茂みの方を見る。「さっきの人……少し変わっていましたね。ほら、若いのにあんなに髪が灰色だ」
「目の色もだよ」長男が腕を組んで言った。「知らないか?ああいうのを鬼子と言う。まぁもう俺と同じくらいの年だからな、子どもではないな、鬼人だな」
「鬼人?」サユキが、食い入るように聞き返す。
「……親父やお袋には絶対に言うなよ」長男が声を低く落とした。サユキは、なにやらワクワクする気持ちを抑えて、できるだけ真剣そうに頷いた。「たまに、生まれるんだ、鬼子っていうのが。鬼子は総じてああいう風な感じでな、赤子の時から灰色の髪と、猫みたいに薄い色の目をして生まれてくるそうだ。しかもやけに色が白い。……そして、決まって遊女の腹から生まれてくる。話によれば、それまで遊女の腹に宿り、やがては流されてしまった赤子たちの霊が寄り固まって、一つの悪鬼を作ってしまうそうな。その悪鬼の赤子は、母親を殺して生まれてくる。きっと今までの果たせなかった生への怨みだろう。だから、人は彼らを鬼子と呼ぶ」
「……何やら空恐ろしい話ですね」サユキは、少し怖くなって兄を見上げた。「そんな者だと知っていて、兄様は怖くは無いのですか。さっきも仲良さげに何やら話していましたが」
「なぁに、」長男は朗らかに笑った。「今の話は世間で言われている迷信に過ぎんよ、話して見れば分かる。髪の色が違くったって、獣の色の目をしていたって、俺らと何ら変わらない一人の人間さ。そうだお前、いいことを教えてやろうか」
「なんですか??」
サユキは、兄の声が微かに興奮した熱をもっているのに気が付いた。なにか、そんな愉快なことでもこれから起こるのか。
「今晩、祭りがある。山人たちの祭りだ。俺はこれで行くのは二度目だが……ああ、お前も行くといい!!いかに俺たちの見ている世界が小さく、つまらんものだということに、お前も気が付くはずさ!!」
普段は見せない、兄の無邪気な笑顔に乗せられて、彼女はすぐに自分も連れて行ってくれと返事をした。
どうしてだろう、何か強い心の力に、背中をぐいぐいと強く、猛々しく押されているかのような気分だった。
- Re: 小説カイコ 【参照8000突破】 ( No.371 )
- 日時: 2013/04/18 00:45
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: hgmprYrM)
- 参照: 実力テストおわたー勉強せな
夕暮れ。
燃えるような紅蓮の太陽は遥か山の彼方へと沈み、見張るような朱色の夕焼け空が広がった。
そして少しも待たずに刻々と深まっていく夕闇に急いで、鴉の群れが巣に帰れば、あたりは急速に夜の闇を増し始める。
その闇に紛れて、長男とサユキはこっそりと村はずれの森までやって来た。確かに移り変わっていく空の色に、それにいつもと違う森の雰囲気に、禁断の森の誘いに、好奇心は増すばかり。
がさり、
ふいに、目の前の茂みが揺れた。あ、と長男が声を漏らすその前に、濃い緑色の葉の中から、あの灰髪の山人がゆるりと現れた。
「やぁ、来たぞ。こいつは妹のサユキだ、一緒に連れて行ってやってもいいか?」
トントン、と兄に肩を叩かれて、はっと気づいてサユキはお辞儀をした。顔をあげると、物珍しそうにこちらを見る山人と思い切り目が合ってしまった。薄い色をした目に慣れなくて、妙にドギマギする。
そんなサユキの様子を見て、山人は無言で柔らかに笑う。そして一言も発せずに彼女の目の前までゆっくりと歩みを進めると、右手をそっとサユキに向かって前へ出した。
どうしていいか分からずに、サユキは兄を見上げたが、長男はただ面白そうにニヤニヤするだけだ。仕方なしに、山人の方へと振り返る。出された右手が、細く筋張っていて、長く形の良い指が綺麗だった。
「えっと……」
戸惑っていても仕方がない、ずっとこちらへ差し出しているのだ、きっと握れという意味だろう。
どうしてか最高に恥ずかしく感じながらも、その白い手を握ると、ほっそりとした見た目とは裏腹に、案外に頑丈な手で、しかもすごく温かかった。勝手に、頬が火照ってしまうのが自分でも分かって恥ずかしい。ついでに耳もかーっと熱くなってしまって、赤くなっているんだろうなぁと思った。
“そんなに怖がらないでくださいね、人見知りなんですね、サユキは”
「……え?」
そっと囁いたような声。けれど、目の前の山人は相変わらず口も開かず無言のままだし、かと言ってあたりには私たち以外、誰もいない。なのに。
驚いて山人を見ると、彼は面白そうに無言で笑った。
“驚かせてしまってすいません、僕は、喋れないので。こうするしかないので。……だから、手を握ってくれてありがとう”
「今のは……あなたが喋っているの?」
山人が嬉しそうに頷く。そして長男にも得意げに笑いかけた。もちろん、一言も声を発せずに。
“ではそろそろ行きましょう。今夜はサユキ、あなたも招待してあげましょう。きっとみんな喜びます”
そう、相変わらず音の無い、まるで心に直接響く不思議な声とも言えない声で山人は喋る。そして悪戯っぽく笑うと、山人はゆっくりサユキの手を離してすっと森の道へと歩き出した。
- Re: 小説カイコ 【参照8000突破】 ( No.372 )
- 日時: 2013/04/27 22:19
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: bFAhhtl4)
- 参照: 大会疲れたもう寝よー。
◇
“ではそろそろ行きましょう。今夜はサユキ、あなたも招待してあげましょう。きっとみんな喜びます”
◇
ふっと、夢の途中で目が覚める。
億劫にまぶたを開ければ、視界いっぱいに広がる鈍雲の鉛色。泣き出しそうな空の色に、冷たい風が吹き抜けてゆく。
ぽつり、ぽつり。
頬に、雨粒が落ちる。二滴、三滴と肌を濡らせば、だんだんと雨は激しくなっていく。
ぽつり、ぽつり。
そう、彼との思い出も、少しずつ私の中から薄れていく。それできっといつか、全部忘れちゃうんだ。
豪雨の様に叩きつけた哀しみさえも、時間がこうして溶かしていってしまったのだから。
「……ん」
ざあざあと、気が付けば土砂降りの雨。河原には霞むほどのあめ、あめ、あめ。
河原にたわわと積み重なった、人間の屍が、その腐臭を村雨に臭わせていた。そんな不快さにも、もう慣れっこだ。
「ひどい雨……はやく帰ろう」
一人でそう呟いて、それから一人で笑ってしまった。なんて莫迦な独り言。帰る?どこへ。私は、どこへ帰ればいいんだろう。自分から、故郷を捨てたというのに。
ああ、私はもうあの頃の、村娘のサユキではないのだから。こんな腐った河原で、死体剥ぎしかできないのだから。
ふらりと、立ち上がる。そうだ、さっきここで意識を失ったのだっけ。確か、見も知らない河原者と喧嘩になって。殴られて。なんて、惨め。
一歩、また一歩と宛てもなく歩き始めれば、裸足に人骨が突き刺さった。痩せこけた自分の足が、黒ずんでいて、嫌になるくらい汚かった。
もう疲れた。
ぐしゃりと、膝を付く。それからそのまま、体を全て地面に預けた。いっそもうここで眠ってしまおう。
だって起きていたって惨めなだけだから。夢の中でなら、彼とまた会えるから。
さぁ、こんなセカイに目を閉じて。
たからもののような、想い出に、また彼に、逢いにゆこう。
- Re: 小説カイコ 【参照8000突破】 ( No.373 )
- 日時: 2013/05/05 22:43
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: .wPT1L2r)
- 参照: あー、逃げ出したい。いろいろと(笑)
そして河原の小砂利の上に横たわって。灰色の雨の降る空を仰いで、サユキはゆっくりとまぶたを閉じる。しんしんと、雨の濡らす音が心地好かった。
……さぁ、夢の続きをはじめよう。
◇
“ではそろそろ行きましょう。今夜はサユキ、あなたも招待してあげましょう。きっとみんな喜びます”
「えっ……」
サユキは驚いて目を見開く。それから兄の方を見ると、良かったな、と小声で言われた。
「ほら、アイツの後ろを付いて行こう。祭りに遅れるぞ」
そう言って、長男は無邪気にサユキの背中をトン、と小突いた。
「うん」
ガサガサと葛の葉を掻き分けて、どんどん森の奥へと進んでゆく山人の背中を頑張って追いかける。日が沈んでゆく森の中は、木々が鬱蒼と生い茂り、暗くてよく周りが分からなかった。それでも、不思議なことに山人にははっきりと周りが見えているのか、全く迷う様子もなく進み続ける。
ドンドンドン、
ドドン、ドドン
そうしてしばらく経った頃だろうか。森の奥から、太鼓の鳴る音が聞こえてきた。
「太鼓のおと……?」
サユキが思わず口に出すと、前を進んでいた山人がくるりと振り返った。
“ ええ。聞こえますか? もうちょっとだから ”
山人が、斜面になっている、ゴツゴツした岩場の上に飛び乗った。岩の割れ目から立派な楠の木が生えており、その壮大な根がまるで岩に絡まるように四方八方へと伸びている。
山人に続いて岩に飛び乗ろうとしたが、身長が足りなくて無理だった。頑張って腕だけ岩の上に乗っけてみたが、それからがどうにも体が進まない。ちなみに、兄様も横でうーん、と困ったように唸っていた。
その時。
スッと目の前に、白い手が差し出された。見上げれば、山人の細い影がこちらを振り向いて、手を差し出した格好でしゃがんでいる。
“ どうぞ、つかまって ”
「ごめんなさい、私、あんまりこういうの慣れてなくて」
謝りながら、山人の手にすがると、予想以上に強い力で引っ張り上げられた。びっくりして思わず間抜けな声が出てしまう。ちょっと、というかけっこう腕が痛かった。
「あ、ありがとう、ございます……」
ありがたかったけど、いきなり引っ張られたおかげで腕と肩が痛い。
“ こちらこそごめんなさい、僕もあまりこういうのに慣れてなくて。肩、大丈夫ですか ”
山人が、申し訳なさそうにサユキの右肩を撫でる。不思議と、撫でられると痛みが嘘みたいに引いていった。痛みが引くと、今度は替わりに恥ずかしさがドッと押し寄せてきて、もうどうしていいか分からなかった。また耳がカーッと熱かった。
「あ、もう大丈夫ですから……すごい、本当にもう痛くない」
これは本当だ。山人が撫でると、本当に痛かったところが治ってゆく。これも彼らの不思議な力の一つなのだろうか。
“ 本当ですか? 良かった。……もう、本当僕はだめですね。普通の女の子の扱い方もわからない ”
すると足元で、すっかり忘れていた、兄様がむすっとした声を荒げた。
「おい! なぁに優雅にいちゃついてんだそこの二人!! さっさと俺も助けろ!」
“ ああ……あなたも登れていないんですか、まったく情けないなぁ ”
そう言って山人は、面倒くさそうに肩をすくめると、さっきサユキにしたよりも乱暴に兄の腕を引き上げた。兄が思わず悲鳴を上げたが、その悲鳴があんまりにも情けなくって、サユキはこっそりと笑ってしまった。
「笑うな!!」
聞こえてたみたい、兄が怒っている。
それがおかしくって、さらに笑ってしまって。気が付けば、山人もおなかを抱えて無言で大笑いしていた。
- Re: 小説カイコ 【参照8000突破】 ( No.374 )
- 日時: 2013/05/13 22:18
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: .wPT1L2r)
- 参照: 大会近いのに変な喉風邪ひいたー。気合いで寝て直す!おやすみなさい!!
それから、急な岩場が続き、私と兄は山人の手に助けられながらどうにかその “場所” へ辿り着いた。
山の頂上は、驚いたことに平らになっていた。そしてその台地のような広場には、昼間かと思えるくらいにたくさんの赤い火が灯っていて、明るい。
明るい炎に照らされた、山人たち—— 小さな子どもたちやそのお母さんに、若い男女、初老の酔いしれたおじさん、ゆっくりと笑うおばあさん —— ほんとうに老若男女、みんながみんな少し興奮した様子で、和気あいあいとしている。
お腹の底まで鳴り響くような太鼓の音が新鮮で、それに合わせて小さな鈴を鳴らしながら踊り、歌う人々。思わずお腹が減ってしまう、おいしそうな食べ物のにおい。つんと鼻をつく、お酒のかおり。
それに、木々の切れ間から見える、夜空に輝く満天の星空。ひっそりと白い顔をしたお月さま。
「すごい……」
そこには、私の知らない世界が広がっていた。
すべてがすべて、見たことも無くって、私には初めてで。けれど、どこかとても懐かしくって。
「すごい、ほんとうにすごいね!」
私はなんだかとても興奮してしまって、知らずと上ずった声が出てしまった。でも、誰だってびっくりするだろう。私たちは誰も知らない山の上に、こんな秘境じみた楽しい場所があるなんて。さっきまで鬱蒼と木々が生い茂った、険しい岩だらけの傾斜ばかりだったのがウソみたいだ。
それはまるで、いつか昔、おばあちゃんから聞いた、海の底にあるという竜宮城のおとぎ話に似ていて。
“ よかった、そう言ってもらえて ”
山人が、隣でそっと笑った。ふと、山人を見上げると、彼も同じように私の方を見た。
“ こんなに苦労させて、これで喜んでもらえなかったらどうしようかと思ったんですよ。ちょっと安心しました ”
「そんな! 私、とても嬉しいです。村からここまでほんの近くなのに、私ったら生まれてから今まで、山人たちがこんなに居て、こんなにみんな楽しそうにしているだなんて知らなかった。ほんとう、何てあなたにお礼を言ったらいいか—— 」
その時、少し思った。さっき出会ってから彼のことを山人と心の中で呼んでいたが、本当の名前は何というのだろう。まさか、山人じゃあるまいし。
「そうだ、お名前、教えてくださいな。何と呼ばれておるのですか?」
すると山人は不思議そうに首を傾けた。
“ あなたも、あなたのお兄さんも、とても妙なことを言う—— 名とは、呼んでもらうものでしょう。自分から教えるものではないでしょう ”
「??」
なんだか意味が分かったような、分からないような。無言で考え込む私を見て、山人は言葉を続けた。
“ まぁ、考え方の違いでしょう。あなた方、村人は、一人ひとりが違った『名前』を持っているそうですね。それで、みんながみんな、その人のことをその人の持つ『名前』とやらで呼ぶとか。僕たちからしたら、それがとても不思議なことに思えてならないのですよ ”
「うーん、」何だかやっぱりイマイチ分からない。「でも、あなたは私のことをサユキ、って呼ぶでしょう。私だってそんな感じであなたのことをきちんと呼びたい」
“ 僕だって呼ばれてみたいですよ ”
山人が朗らかに言った。
「でも、教えてくれないんでしょう?」
半ば呆れて、私は笑ってしまった。もう、ほんとうに山人のままでいいかな。
“ 感じたままに呼んでくださいな。僕らの言う『名』とはそういうものです ”
「かんじたまま??」
感じたまま、って。余計に難しくなってしまった。
再び考え込んでしまう私を横目に山人は、まぁ無理なさらずに、と笑って、私と兄を仲間のもとへと手招きした。
- Re: 小説カイコ 【参照8000突破】 ( No.375 )
- 日時: 2013/05/17 15:51
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: .wPT1L2r)
- 参照: 気合いで風邪に負けず大会出場わず(笑)
山人たちにとっては珍しい、サユキと兄の二人は、人里からの客人として祭りの輪の真ん中に加えてもらえた。
はじめて見る人々、はじめて嗅ぐ匂い、はじめて口にする食べ物や、飲み物。サユキは特に、同い年くらいの女の子から勧められて飲んだ、とても甘い味のする酒が気に入った。
村では、山人は下賤で、貧相な人々であると大人たちから教わった。だから、近づいてはいけない、関わってはいけない、災厄の元となるから、と言われてきた。けれど、それがどうだろう。山人たちはみんながみんな、とても親しげで優しげに見えたし、持っている物や出される食べ物は、確かに一度も見たことが無いような不思議なものだらけだったけれど、自分の村よりもずっとずっと豊かに見えた。
「サユキぃ、あなたの “ムラ” のことも聞かせてよ」
甘酒をくれた、例の女の子が少し訛りのある言葉でサユキに話しかける。
「うん、何が聞きたい?」
心の内では、自分の村について引け目しか感じられなかった。冷たく、閉ざされた村の雰囲気。暗黙の内の上下関係や、ぎすぎすしたいがみ合いや憎み合い、いじめや派閥争い。それに、季節ごとにやってくる税の徴収に容赦ない官吏たち。山人たちの暮らしに比べたら、なんて惨めで、束縛された生活だろう。
「そうだなぁ、」酒が回ってきたのか、陽気にその子は華奢で形の良い顎に、スイッと人差し指を添える。「じゃあ、サユキの好きな人のはなし!!」
「ええっ!?」
サユキが戸惑って声を上げるのと同時に、周りの聴衆がドッと笑いで沸く。酒の勢いも手伝って、ヒューヒューと面白おかしく口笛も鳴った。
「そ、そんな、考えたこともないよぉ……」
すっかり弱ってしまい、そんな返答しかできない。だって、本当に好きな人なんてできたことないし。
「ええっ、それ本当ぅ〜?? あたしなんかいつも三、四人はいるよぉ」
その言葉に反応して、他の女の子がガハハ、と笑い出した。
「おい、それ本当かよ!」
「なぁにさ、多くて悪いかね!」
「いんや、少ないがよ、わたしゃあ、十人はいるさね!!」
ふたたび、聴衆がドッと笑う。サユキもつられてお腹を抱えて大笑いした。ほんとうに、面白くて、楽しい人たちだ。
「そっかぁ、みんな好きな人とかいるんだね。楽しそうでいいなぁ」
村には、近い年頃の男の子も、女の子さえもいない。だから、こんなに楽しく、同い年のお友達とお喋りするのなんてはじめて。
「だってサユキも、そろそろけっこーん! とかあるでしょう?? どうすんのよー」
結婚、という言葉にみんながキャーキャーと沸いた。
「どうするもなにも、それは親と、村の大人たちが決めることだし。大丈夫だよ」
「え、」目の大きい、活発そうな子がびっくりして声を上げた。「親と大人たちが、決めんの? そんなに大事なことを?」
「大事なことだから、でしょう?」
へぇー、とみんなが声をそろえて驚いた。そんなに驚くようなことだっただろうか。
「へぇ、やっぱり考え方が違うのかなぁ。私らとは。……でもさ、サユキの話を聞いてる限り、“ムラ” ってあんまり良さそうなところじゃないね」
「こら、サユキにそんなこと言うんじゃないよ!」
「ううん、」両手を振って大丈夫、と言う。「私もさっきから思ってた。私の育ったところ ——村はさ、けっこう息苦しい場所なのかもしれないなぁって。それに、こうやって同い年くらいのお友達とこんなに楽しくお喋りするのもはじめてなんだ。……だから、私、ここが好きよ。きっと私の兄もね、ここのこういう雰囲気が好きで、村の大人たちに秘密で今までこうやってここに通っていたんだと思う」
「そっかぁ、そう言われるとなんだかあたしら嬉しいさね! ……なぁサユキ、いつでも息苦しくなったらさ、遠慮なく山においで。あたしらいつだって待ってるからさぁ」
「ほんとう!? みんながいいのなら、私きっと毎日だってここに通ってしまう」
「うん、“ムラ” の大人たちには見つからないようにくれぐれもね」
- Re: 小説カイコ 【参照8000突破】 ( No.376 )
- 日時: 2013/05/17 15:58
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: .wPT1L2r)
- 参照: 気合いで風邪に負けず大会出場わず(笑)
それから何度か季節が巡り、サユキはすっかり山のとりこになっていた。
さすがに毎日通うことは、大人たちに勘付かれてしまうのでできなかった。月に一度か二度、彼らの目をくぐり抜けてそっと山へと出かける。
あの日、はじめて山人たちと飲食を共にしたあのお祭りの日以来、一緒にお喋りした女の子たちとはとても仲良くなった。彼女たちの大半は、もうすでに子どもをもうけて、立派な母親になっている。
当の私自身は、村で結婚の話は何度か持ち上がったが、その度にまだ早い、まだ早い、と言い訳をして逃げていた。
だって、好きなひとは、ほかにいたから。
◇
あのお祭りがあってから何週間か経ったあと、またあの兄と仲の良い山人がひょっこり現れた。前見た時と変わらず、色白な肌に、薄い灰色の髪に、淡い琥珀色の瞳。山の木々に紛れたような、茶渋色の着物を着ていた。
「あ、山人さん!」
小声で言ってしまってから、周囲を確認する。洗濯をしに川へいく途中だったけれど、周りには誰も居ないようだった。それから早足で山人のもとへと向かう。
“ お久しぶりです。あれ以来暮らしに何かに変化はありませんでしたか?”
変化、きっと山人たちと接触したことがばれて、村でひどい目に遭いはしなかったか、ということだろう。
「大丈夫です。兄はそこらへんの誤魔化し方については誰にも負けませんから」
笑いながらそう言う。今まで少し気の抜けた兄だ、と思っていたが、あの日以来、実は頭の冴える人物だったらしいことに気が付いた。主に、大人たちを上手く騙す点において。一見抜けているように見える性格は、閉鎖的な村に特有の、変な嫌疑を逃れるためだったのだ。
“ そうですか、それは良かった ” 山人が柔らかに笑う。年齢は、兄と変わらないはずなのに、妙に落ち着いた感じのする笑い方。ちょっと言い方を変えれば、年の割におじいさんっぽい。
「そうだ、兄に何か用があるんですよね、すぐ呼んで来ますよ」
すぐに兄を呼ぼうと、踵を返したが、山人がちょっと待って、と手首を掴んだ。
“ 今日はその、あなたに用が ”
「私に?」
驚いて目が勝手に大きく開いてしまう。そして山人は小さく頷いた。
“ ええ、良かったら今夜、ホタルを見に行きませんか。きっと村では見たことは無いでしょう ”
「ホタル……?」 ホタルって、なんだろう。見たことも、聞いたことさえも無い。
“ 虫です。夜に光る。黄色とか、淡い緑色に光ります ”
「夜に、光る?」ちょっと想像ができなかった。「光るって、こう、星みたいにってことですか」
“ それともちょっと違いますね、まぁ見れば分かります。あなたのお兄さんも、見るまでは想像もつかなかったみたいですから ”
「む、その言い方からすると、兄は見たことがあるのですね」
とっさにズルい、と兄を恨んだ。
“ ええ、僕が一昨年、彼をこの季節に山へ連れて行きましたから ”
そう言って、悔しがる私の様子が可笑しいのか、山人はくすくすと笑った。
「もー、兄様ばかりいつもずるい。お願いします、私も連れて行ってくださいませ、その、ホタルとやらを見に!」
- Re: 小説カイコ 【参照8000突破】 ( No.377 )
- 日時: 2013/05/17 15:54
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: .wPT1L2r)
- 参照: 気合いで風邪に負けず大会出場わず(笑)
日は沈んで。
きっとこんなに心の浮かれる夕暮れ時ははじめて。
約束した、村はずれの、川の上流。森がはじまるところに山人は待っていた。
太陽が少しだけ頭を残して、地平線の向こうに沈んでしまった今は、ぼんやりと暗くて、周りがよく見えない。
「ごめんなさい、なかなか時間がかかってしまって……待ちました?」
“ だいじょうぶ、お気になさらず。じゃあ、さっそく行きますか ”
あの日と同じだ、山人が笑って細い腕を差し出す。
ああ、やっぱり恥ずかしい。それに、今日は兄も居ない。なぜか、最高に緊張しながら、その手に掴まる。前と同じだ、温かい。
“ 今日行く道は—— ” 山人がそっと額にかかる髪を払った。“ この前よりも幾分か歩きにくいです。足元に気を付けて ”
「は、はい」
暗くて良かった。じゃなかったらきっと、顔が真っ赤に火照っているのがばれてしまうだろうから。
山人と二人っきりの道は、とても静かだった。
聞こえるのは、微かな川のせせらぎと、まだ鳴きはじめたばかりの、虫の音だけ。それと、山人が草木を掻き分ける音と、その後ろを付いて歩く私の足音。
周囲はほんとうに暗くて、その分、繋いだ手の温もりだけが、確かで、心強くって、あたたかくって。
ココロのどこかが、とてもくすぐったくって。もう、どうしていいか分かんなくなっちゃって。頭の中がいっぱいで。
ああ、きっとこれが。
あのお祭りの日、みんなが言っていた、人を好きになるってことなんだろうなって。
“ ほら、もう着きましたよ ”
そんなことで頭がいっぱいだったからか、いつの間にか私たち二人は、目的地へと着いていた。
“ この藪の向こうにね、”
山人が、空いている方の手で目の前の蔓の藪を指差した。
“ 小さな泉があります。そのまわりでね、ホタルたちは光るんですよ。もう、光り出したかな。だいぶ暗くなったし ”
がさり、と山人が藪を掻き分けて、小さく抜け道を作ってくれた。その小さな道を、身を屈めながら通る。
藪を潜りぬけ終わって、屈めていた姿勢を戻すと同時に、視界が一気に開けた。
どうやらここは、まわりをぐるりと藪に囲まれた、まるで秘密の部屋のみたいな場所のようで。
足を着けて立ち上った地面は、少し湿っていて、不思議に光る苔が生えていて。
小さな苔たちの淡い光につつまれて、中央には静かな水音を響かせる、小さな泉が沸いていて。
その周りには、山人の言った通り、不思議な光の玉がふわりふわりといくつも飛び交っていて。
「 —— わぁ、 すごい……」
真っ暗な夜。その山の奥深く。
まさか、こんな光に溢れた場所があるなんて。
「あの、光の玉が、ほんとうに虫なんですか??」
“ そうですよ、あの一つ一つが一匹一匹の虫です。彼らの命はとても短い。だから、ああやって綺麗に光って消えていく ”
「へぇ……」
あまりの綺麗さに、頭の中が真っ白だ。なにも考えられない。
足元に広がる柔らかな苔の絨毯は、淡い緑色にひっそりと光っている。その上を、ホタルが、一つの光の玉となってふわふわと飛んでいる。
そのうちの一つが、私の右肩にとまる。とまってからも、同じように、まるで息しているみたいにゆっくりとした間隔で、光っては消え、また光っては消える。
“ 綺麗だ ”
山人が、私の右肩を見ながらそう笑った。思わず笑い返すと、ホタルは揺れてびっくりしたのか、飛んで行ってしまった。
「本当に、ありがとうございました。ここに連れてきてくれて。こんな素敵な場所に連れてきてくれて。」
すると山人が、嬉しそうにくすくす笑った。
“ この場所はね、山人のなかでも知っているのは僕だけなんですよ ”
だからみんなには秘密ですよ、と山人は悪戯っぽく付け加えた。
その前を、一匹のホタルが、すーっと光りながら飛んで行った。山人の、いつもよりずっと子供っぽく笑った顔がふと見えた。
「ほんとうに、不思議な気分だ」
そのホタルを見送りながら、山人に話しているのか、自分自身に話しかけているのか、いまいちはっきりしないまま呟いた。
「あなたとここに来て、こんな不思議な風景を見て、ホタルを見ることは初めてなのに—— 」
“ はじめてなのに? ”
ホタルは、光るのを止めて、もっと遠くへ飛んで行ってしまった。それで、私は山人の方へと振り返った。
「あなたとはじめて会った時から思っていたんです。すっごく昔、思い出せないくらい昔に、どこかで会ったことがある気がするなぁって」
山人は無言だ。それでも、私は言葉を続ける。
「変な話ですよね。どう考えても私はあなた方とは接点なんて無かったはずなのに。でも、ほんとうに不思議なんです。あなたと二人で、こんなふうにホタルを見に来ることを、私、ずっとずーっと前から願っていたような気がする。だからね、今、やっと長年の夢が叶ったなぁって、そんな気すらするんですよ。……可笑しいでしょう?」
すると山人がゆるやかに首を振った。
“ あなたが可笑しいのなら、僕もきっと可笑しいな。本当に不思議な話です。僕もあなたと同じことを思っていたし、今だってそう思う。サユキとこうやってホタルを見ることができる夜をね、サユキに出会う前から、あなたを知る前から、ずっとずっと待っていたんですから ”
「私を知る前から、ですか?」
“ ええ、いつからかな、だいぶ幼い頃からです。きっと前世でなにかあったのかな ”
そう冗談を言って、山人はおかしそうに笑う。私も、笑う。
それからしばらく二人とも無言で、不思議な光景を眺めた。
どれくらい時が経ったころだろう。ふいに、山人が立ち上がった。
“ そろそろお互い帰るべき時間かな。大丈夫、山の外れまでは送っていきます ”
「うん……」
正直、村になんか帰りたくなかった。こうして、このままいつまでも山人と一緒にいたい。
「あ、そうだ!」
そうだ、急に思い出した。山人の名前をまだ決めていない。
「名前、名前です。私ったら、まだあなたのこと何て呼ぼうか決めてなかった」
“ お、ついに決まったのですか。それは嬉しいな ”
山人が嬉しそうに目を細めた。でも、まずい、そうは言ったものの、実は全然決まってない。どうしよう……
「えーっと、じゃあ……」
山人、やまびと、ヤマビト、ヤマヒト、ヤマト、ヤマ……
- Re: 小説カイコ 【参照8000突破】 ( No.378 )
- 日時: 2013/05/17 15:55
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: .wPT1L2r)
- 参照: 気合いで風邪に負けず大会出場わず(笑)
「ヤ、ヤマタ!!」
思いつきで、そう叫んでから後悔した。山人がびっくりした顔のまま固まっている。
“ ヤマタ、ですか ”
「え、嫌でしたか。」
“ いや、どうしてヤマタになったのかなぁって ”
「だから……えーっと、山に住んでる男の人だから……山の太郎? って感じで山太郎、やまたろう、やまた、ヤマタ! みたいな感じで……」
後から考えた説明しながら、すごく恥ずかしい。どうして私はこんなアホみたいな発想しかできないのだろう。
すると山人はぶっ、と大笑いした。今まで笑うのを堪えていたのか、随分な大爆笑だ。
“ ちょっと、それって、あまりにもほら……安直じゃあありません? ”
「む、」確かに自分でも安直だなって思ったけれど!
「だって!そんな思いつきませんもの! それに感じたままに呼べと仰ったのはあなたですよ!! 」
“ あはは、ごめんなさいごめんなさいね…… だけどあまりにも、面白かったのでつい ”
「もう、怒りました! 私カンカンですから!」
“ まぁまぁ、謝っているじゃないですか……あははは ”
「ほらまた笑ってる!! 」
怒る私をなだめながら、それでもそんなに可笑しかったのか、ヤマタはずっと笑っていた。
◇
そんな日々は、夢のようにあっと言う間に過ぎていって。
そう、夢のような日々は、ほんとうに夢だったのかもしれない。
しょせんは、時代の渦に壊されてしまった、儚いゆめだったのだから。
◇
ふと、サユキは目を覚ます。ああ、ここは、さっきと変わらない荒れた河原。
飢えた死体が累々と積み重なる、呪われた死の河原。
さっきまで降っていた、雨は上がっていた。
雨上がりの、ぱっとしない湿ったお天道様が、私を見て嘲り笑っている。
そりゃあそうだろう、私の回りには腐臭と死体ばかり。私の着ているものも、持っているものも、全部ぜんぶここの死体たちから剥ぎ取ったものなんだから。
若い女の人の死体から、髪の毛までも引っこ抜いて、かつらにして売っているくらい、私は惨めで飢えているんだから。
「はぁ……」
今まで夢で見ていた、幸せだった過去とは大違いだ。
もう、あれからどれくらい経ったのだろう。随分な年月が経った気がする。最近じゃあ、あれが本当に私が体験したことなのか、それすらも疑わしくなってきたくらいだ。
ここ数年、ずっと続いた日照りや地震、洪水、その他もろもろの天災に、加えて人災。
飢饉はあっという間にそこかしこに広がって、同時に疫病もはやりだして。
私のいた村はすぐに貧困村へと変貌してしまった。それでも、官吏たちは税を出せ、米を出せ、と私たちから容赦なく搾取して。
山人たちの暮らしも苦しかった。なのに、村の大人たちは自分のことが一番大事なのだろう、彼らの子供を無理にさらっては、返してやる代わりに食糧を出せ、と脅しだした。
そんな蛮行に反対して、山人たちの味方をした兄は、狂った村の大人たちに殺されてしまった。私もその妹として、酷い目にあわされた。今でも、その時の事を思い出すと吐き気がする。思い出したくない。
両親たちは、どうなったのか、分からない。けれどまぁ、生きてはいないだろう。
そして、私と兄を、助けに来たヤマタやその仲間たちも、やっぱり殺されてしまった。ヤマタを見た大人たちは、彼の見た目のせいだろう、灰髪や猫みたいな薄色の瞳を指して、鬼人が村に災厄をもたらしに来た、と大騒ぎした。
そう、山人たちは、あまりにも平和的だったのだ。まるで身を守ることなど知らなかったのだから。
そして。
村娘だったサユキは、今はもう、死体剥ぎの汚いサユキだ。
私が恋した山人のヤマタも、とっくの昔にもう、跡形も無くこの世から消え去ってしまった。
「ああ、きっと死んだ方がマシだな」
そう天に向かって呟いてみる。当然、答えは無い。
どうして私はこうまでして惨めな命を繋いでいるのか。答えは簡単。ヤマタがそう約束させたから。たとえ何があっても、私が生きてさえいれば、ヤマタは私を迎えにくると言った。
だから、私待っていたんだよ。
こんなセカイから、救ってくれるって信じて。またあなたと笑えると信じて。
「さみしいよ……」
いつまで待っていればいいの? あなたはとっくに殺されてしまったというのに。
待っていれば、ほんとうに迎えに来てくれるの? たとえあなたが死んでしまっていても。
ああ、さみしいよ。
さみしい、さみしいよ。
枯れ果てたと思っていた涙が、ふいに零れ落ちた。
潤んだ視界が、ぼんやりと河原の光景を隠した。乾いた頬に、涙の感覚がつたった。
あなたがいなくて、こんなにも、わたしは、さみしいのに。
どうして、生きているんだろう。
- Re: 小説カイコ 【参照8000突破】 ( No.379 )
- 日時: 2013/05/17 15:56
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: .wPT1L2r)
- 参照: 気合いで風邪に負けず大会出場わず(笑)
そうして、一人の死体剥ぎの女が、腐った河原で、ああ死んでしまいたいと、生への疑問を投げかけているのと同じころ。
街では、一人の傀儡の売春婦が、艶やかな着物を身にまといながら、ああ死にたくないと、生への未練を泣きながら叫んでいた。
「あたい、死にたかないよぉ……」
女の名は、ハジキ。傀儡女で、日頃から色を売って生計を立てていた。
「鬼の親なんかに、なりたかないよぉ……」
急に明確になりだした、死への恐怖に、往来も気にせずハジキは泣き出した。誰だってそうだろう。ハジキはまだ若い。死ぬには若すぎる。
それが、なんと運の悪いことか。鬼子を身籠ってしまうなんて。
「誰か、だれかぁ……あたいを助けておくれよぉ……」
遊女や傀儡女には、ひそかに恐れられている噂があった。鬼子の噂だ。
彼女ら、嫌でも生活のために体を売っている。そのため、子ができてしまえば、おろすしかない。
そしてそれを繰り返していくうちに、故意におろされた赤子たちの霊が、悪鬼となって、彼女たちの腹に宿ってしまうという。それを、人は鬼子と呼ぶ。
鬼子には、どんな子流しの毒も効かない。そして、鬼子は生まれると同時に、その母親の命をも喰ってしまう。すなわち、それは彼女たちの死を意味する。
そしてハジキは、その鬼子を身籠ってしまったらしいのだ。
聞いたところ、鬼子はやはり、普通の子とは全く違うらしい。
はじめに、産声を上げない。しかし、生きている。
そして、肌が赤子らしくない、白色をしているらしい。驚くぐらいに色白なのだ。
そして、髪は生まれた時からもうだいぶ生えていて、老人のような灰色の髪らしい。瞳は、大きくて、黄色から琥珀色まで様々だが、総じて、とても薄い色をしていて、猫の目のようだという。
「いやだぁ……」
往来の人々は、ハジキの泣き声を気にも留めない。
頭の可笑しい傀儡が、また一人、不気味に一人芝居をしているだけだと通り過ぎる。
可哀想に、拭ってやるもおろか、その涙に、気付く者さえいない。
- Re: 小説カイコ 【参照8000突破】 ( No.380 )
- 日時: 2013/05/17 15:56
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: .wPT1L2r)
- 参照: 気合いで風邪に負けず大会出場わず(笑)
やがて生まれたハジキの子はやはり、鬼子であった。
ハジキは、出産と同時に、やはり呆気なく死んでしまった。
取り残された鬼子の処分を巡って、傀儡たちは相談して、そして結局、籠に入れて、川に流すことで合点した。
そして灰髪猫目の鬼子は、無残にも、生まれたばかりだと言うのに、粗末な小さな籠に入れられて、川に流された。
籠の中の鬼子は、川の作りだす緩やかな揺らぎを、まるで母に抱かれているかのように喜んだ。
いつ何時、次の瞬間にも、川の流れが急になって、籠が転覆すれば、自身の命は無い事など、鬼子は知らない。ただただ、赤子らしい純粋さで、この初めて見る世界を、楽しんでいた。
しばらくして、鬼子は腹が減った。
腹が減った、と赤子らしくぎゃあぎゃあ泣いた。当然、それに応える声などあるはずが無かったのだが。
そして籠は、より下流に、下流に、下って行く。
ついに、水かさの浅い、大きな洲が川の中央にできているところまで差し掛かった。
そこでは、一人の女が川に魚罠を仕掛けているところだった。
「おや、赤子の声がする」
彼女は焦げ茶色の髪を無造作に掻きあげると、遠くから流れてくる一つの籠を見つけた。「なんや捨て子かいな。」
そのまま、ジャブリジャブリと水を掻き分けて籠を手元に引き寄せる。籠には、やはり予想していた通り、小さな赤子が収まっていた。
「やぁやぁ、泣くんじゃないよ」
彼女は、ただ単に嬉しかった。夢にまで見たのだ、嬉しく無い訳が無い。
「ヤマタが生まれ変わったに違いない、同じ灰色の髪だ。なぁに、お目目まで同じ猫目色さね」
赤子は嬉しそうに眼を細めた。そしてニッコリと笑う。つられて、彼女も嬉しくなって笑った。
「ほれ見た、鬼子でもちゃんと笑えるんだ。それにそこいらのクソガキより数倍可愛い。ああ、こんなお川の上じゃ寒いねぇ、お家に帰ろう。いっしょに帰ろう。」
女は、籠から赤子を取り上げると、大事に大事に胸に抱いて川から上がった。かつて鬼と言われて殺された、優しい恋人とそっくりな赤子を抱いて。いつかまた会えると言った、彼との約束は真となったのだ。
それから数年の間、鬼子はとっぷりと愛されて育った。
貧しくはあったが、きっと普通の子でもこんなに愛されて育った子は二人としていないだろう。
鬼子にとって、そのたった数年間はもしかしたら、鬼子が歩む千年以上の長い人生の中で、一番幸せな時間だったのかもしれない。
鬼子を拾った女は、まるで自分が生んだ子どものように無心に赤子を愛した。
今はこの世の人ではないが、かつて彼女が恋した男も、この赤子とまったく同じ灰髪猫目の鬼人だったのだ。
きっと彼が、また生まれ変わって、私のところに帰って来たに違いない。
……その女の名は、サユキという。
(間章 梁塵編 おわり)