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コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- Re: 小説カイコ 【一気にかなり更新】 ( No.381 )
- 日時: 2013/05/17 19:09
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: .wPT1L2r)
- 参照: この勢いだと今日中に完結まで持ってけるかもなー ←若干寂しいw
■間章 其の三 由雅編■
そこまで回想し終わって、ちょっと息をついた。
今まで、なんだかよく分からない流れで、俺の部屋から、変な宇宙空間みたいなところに飛ばされて、それから気が付いたら暗い洞窟をずっと歩いて来て、今はここ、四丁目のマンホールの中に立っている。
洞窟には、前述したとおり、いくつもの光る花が咲いていて、それを見るたびに、土我さんや、土我さんに近いしい人—— 俺こと高橋任史も含めた—— の様々な過去が、不思議な形で映し出されてきた。
そして今。
目の前で、首を項垂れて、死んだように座っている土我さん。ほんとうに、少しも動かない。
「土我さん、そろそろ目を覚ましてくださいよ……」
月明かりに照らされた、灰色の髪。土我さんは答えない。ただ、その隣に咲いている、真っ黒な色をした大きな花が代わりに俺の方を見ているみたいだった。
ふと、上を見上げると、マンホールのぽっかりと空いた地上への穴から、白いお月様が見えた。
やっぱりここは、四丁目のゴミ捨て場の近くにあるマンホールの中に違いない。
半年前に、時木—— 鈴木の姉で、会った時は幽霊で、今は亡き人—— に、ふざけて落っことされたことがあるからわかる。でもまぁ、たぶん普通のマンホールではないのだろう。きっとここは俺の知っている世界とは違う世界。あのマンホールの蓋は、なんだか大袈裟だけれど、こっちとあっちを分ける境界線なんだと思う。
「土我さん、」
返事は無いとわかりつつも、話しかける。もしかしたら、聞こえているかもしれないから。
「土我さんの過去を、ちょっとずつですけど、俺ぜんぶ見てきました。土我さんがあんな大変な人生を送って来たなんて、俺、これっぽちも知らなかった。でも、ちょっと羨ましいですよ、あんなに誰かの事、好きになれた土我さんが」
自分にしたら臭いセリフを、ちょっと恥ずかしさを感じながらも呟いた。
ふと手元に視線を落として、腕時計を見る。驚いたことに、部屋からあんな異空間にぶっ飛ばされてから五分も経っていなかった。
「ははは、この分じゃあ、夕飯もまだできあがってないだろうな……」
その時、ほろりと、まるで風が吹いたかのように、黒い花が散った。
- Re: 小説カイコ 【一気にかなり更新】 ( No.382 )
- 日時: 2013/05/17 19:10
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: .wPT1L2r)
- 参照: この勢いだと今日中に完結まで持ってけるかもなー ←若干寂しいw
◇
「サユキ、俺遊びに行ってくる!」
「ああ、いってらっしゃい。」
サユキは、元気に駆け出していくその後ろ姿を見送った。
鬼子を川で拾ってからはや数年。もう、あんなに大きくなった。
この貧困のご時世、頼る人も無く、ここまで育て上げるのはとても大変だったけれど、それでも頑張った。だってそれが、唯一の生きがいだったから。私の生きている意味だったから。
あの子の名前をなんて付けようかと迷ったけれど、気が付いたらヤマタと呼んでしまっていた。
さすがに良くないかな、と思ったことも何度かあったけれど、当の本人が気が付いたころには自分の名前をヤマタとして認識してしまっていたので、まぁいいか、ということにした。
うーん、と伸びをして、今日もきらきらとしたおひさまの光を浴びる。
けっして暮らしは豊かではない。けれど、とても毎日が充実している。
「今日は、昨日仕掛けたあそこの魚罠を見て、それから茱萸の実を取りに行って、昨日仕留めたイタチの皮を鞣して……」
今日の計画を、知らずと自分に言い聞かせる形で呟く。
「……それから、街で取引してこよう。そうだ、ヤマタのために、新しい布も欲しいな」
たぶん午前中いっぱいで、今日の仕事の大半は終わるだろう。街から帰ってもきっと夕暮れまでには暇な時間が余るはず。その時間で、街で手に入れた新しい布でヤマタの着物を作ってあげよう。
「うん、今日もバッチリだ」
そしてサユキも、意気揚々と、成すべき仕事に向かって、出かけて行った。
- Re: 小説カイコ 【一気にかなり更新】 ( No.383 )
- 日時: 2013/05/17 19:10
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: .wPT1L2r)
- 参照: この勢いだと今日中に完結まで持ってけるかもなー ←若干寂しいw
——そして彼の悪夢は始まる。
その日、いつも通りの春の暮れ。
ヤマタがいつも通り遊びから帰ってくると、家にはサユキの姿はおろか、なんと家ごと無くなっていた。黒々とした焼け跡が、無残に広がっているだけだった。
「え……?」
あまりのことに言葉も出ない。感じるのは、ただ冷たくなっていく喉の奥だけ。沈み始めた陽の光は、あっという間に地平線に沈んで行き、すぐに真っ暗な夜になった。まるで、これから先の彼の運命を暗示するように。
しばらく途方に暮れていると、どこからか見慣れない男たちがやって来た。そして放心しているヤマタの幼い腕をつかむと、さっとどこかへ連れ去ってしまった。
それから。
鬼子として、人々に蔑まれ、人商人から疎まれ、おなじ売り物の子供たちからは酷いいじめ受け……そんな地獄のような毎日が彼を待っていた。
いつの間にか、心は無くなって。笑うことはおろか、泣くことすら無くなって。
自分が誰なのか、なんという名前なのか、誰に愛されて育てられたのか、そんなことすら忘れてしまった。
無感動な毎日。ただ、息をして陽が昇るのと沈むのを他人事のように見送る毎日。
繰り返される無機質な灰色の世界に、いい加減、飽きてきたころだった。
「のぅ、あの鬼子を私に売っておくれ」
耳を疑うような言葉。檻の向こう側に立つ、オンミョウジと呼ばれた男が、そう言った。
それは、俺を買うということか。つまり、この檻から出られるということか。
「しかし旦那、良いのですか、あれは見ての通り見た目が……」
「構わぬ。それゆえ気に入った」
「はぁ……」
呆れたような商人の声。それに、羨ましがって泣き叫ぶ、檻の中の子供たち。こちらを見ては、指差しながら汚い言葉で罵ってくる。
「おれが、売れた……?」
自分で言って、信じられなかった。異形で、鬼子の自分を買う人がいるだなんて。まさかこの檻から出られる日が来るなんて。
あまりの喜びと驚きに、自分を買った男を見上げる。男の顔は、のっぺりとしていて、売り物のお面の様で、人間味がひどく欠けているような気がする。けれども、こんな地獄から救ってくれた彼の姿は、まるで菩薩か何か、そんな神々しいものに見えた。
そして、彼のためなら何だって尽くそうと思った。
- Re: 小説カイコ 【一気にかなり更新】 ( No.384 )
- 日時: 2013/05/17 19:11
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: .wPT1L2r)
- 参照: この勢いだと今日中に完結まで持ってけるかもなー ←若干寂しいw
それから十数年が過ぎた。
あの地獄から俺を救ってくれた主様に誓った忠義は深い。主様の方も、それは分かっておられるようで、今では俺はこの館で第一位の家人となっていた。
主様には、妻子はいなかった。
女にも子どもにも興味は無いのだと、昔、淡々と言い放たれた。主様には、学問しか頭に無かった。
その学問とやらの中身を俺が知ったのは、もうかなり昔だ。たしか、ここの家人となってから半年くらい後のことだった気がする。
◇
その日は、確か秋の冷たい風が吹いていた。折角、朝一番に払った庭の枯葉が、昼過ぎにはすでに新しい枯葉で覆われていた。
主様は、そんな木枯しを眺めながら、考え深げに目を細めた。
「なぁ、土我や」
半年前、新たに与えられた、自分の名前を呼ばれて、すぐに駆けて寄った。
「お呼びでしょうか」
「おお、良い子じゃ。お前はいつでもすぐに来るのう」
「お褒めのお言葉ありがたき喜びにございます、しかし手前は、そこにおりましたから」
言いながら、庭の、橘の木のあたりを指差した。
「なに、そこにおったのか、気付かなかった。随分と考え込んでしまったようだな、わたしは」
「はぁ」
主様はそっと手を伸ばして、俺の頭を撫でた。大きくて、温かい手だ。
「なぁ、土我や—— 、お前、学問をする気は無いかね」
「ガクモン、とはいかなるものでしょうか?」
「そうだ、学問だ。……私はお前が愛しい。他人など愛したことがなかった私だが、お前だけは本当に愛しい。なぜだろうね、きっとお前が弟に似ているからかな」
そう言いながらも、主様のいつも通り表情のないお面のような顔には何の変化もない。全く愛しくなさそうに、いや、なんの感情も伝わらない顔で、愛しい愛しい、と繰り返し仰られる。
「主様の弟殿ですか?」
「ああ、でも今はいない。ある物の怪に、私の心と一緒に喰われてしまった。わたしが守ってやれなかった」
ああ、だから—— 主様には感情が無いんだ。
俺は一人で納得した。今までの半年間、そばで離れず仕えてきたが、主様にはおよそ人間味というものがほとんど無かった。笑った顔も見たことが無い。
「だから、お前には物の怪に負けないくらい強い者に育ってほしい。不思議だなぁ、そうすることが、私の罪滅ぼしのように思えて仕方がないのだよ」
「……それが、ガクモンをする、ということなのですか?」
「そう、そうだ。やはり賢い子だよ、お前は。私の目は確かだったのだね」
「そんな、自分には勿体無いお言葉です。そのガクモンとやら、是非とも私めにお教え頂きたく存じます」
すると主様は満足そうに頷いた。
「良いだろう。……ようこそ、我ら陰陽師の世界へ」
- Re: 小説カイコ 【一気にかなり更新】 ( No.385 )
- 日時: 2013/05/17 19:12
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: .wPT1L2r)
- 参照: この勢いだと今日中に完結まで持ってけるかもなー ←若干寂しいw
その主様が、この頃体調を崩されている。
そしてこの頃では、続く日照りが手伝って、不作や疫病が恒例になり、餓死者の死体が、街のあちこちに無惨にも腐るに任されていた。皆がみな、弔う余裕さえ居ないのだ。
日々篤くなっていく主様の病状、それでも、主様は学問を止めなかった。
「なぁ、土我や」
しわがれた、痰の絡んだ声で主様が呟く。
「ここに」
できるだけ、主様が大きな声を出さずに済むように、近くへ寄った。
「この続く、天災に飢饉、お前はどう見る?」
「主様、それよりも今はご自身のお体を大事になさいませ……」
「なぁに、」主様は平気そうにそっぽを向いた。「わたしなど死んだところで誰も悲しまないさ。むしろ喜ぶ奴の方が多いだろう」
「わたくしが悲しみます」
「ああ言えばこう言う奴だ」 ふん、と呆れたように鼻を鳴らす。「それにこれは陰陽師としての、私の仕事だからな。この禍を収めよ、との官命だ。でだ、さきの続きだ。私はこの天災、蛇神の仕業ではないかと見ていてね」
「蛇神、ですか」
「そうだ、しかもかつて滅ぼされたヤツだ。ヤマタノオロチの神話は覚えているな?」
主様の目付きが急に鋭くなった。
「ええ、覚えております」
「ヤマタノオロチ神自身、またはそれに関係のある者の仕業ではないかと私は睨んでいる。……仮説に過ぎぬが。そしてお前に、それを確かめてもらいたい」
「それで主様の病が治るのでしたら、喜んで」
主様は、心なしか笑った気がした。主様のそんな表情を、今の今まで見たことの無かった俺は、その表情に一種の弱さを見た気がした。
「減らず口だな。では、今夜、羅城門と東寺の間だ。小路という小路も見逃すな—— 予定では、五人が何者かによって殺されるはずだ」
- Re: 小説カイコ 【一気にかなり更新】 ( No.386 )
- 日時: 2013/05/17 19:38
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: .wPT1L2r)
- 参照: この勢いだと今日中に完結まで持ってけるかもなー ←若干寂しいw
深夜。
吐く息は白い。死んだような三日月の浮く空は寒い。
そろそろ時間だ。土我は動きやすい、裾の短い直垂と括り袴に着替えた。
腰には、その身なりに似つかわしくない大きな太刀。怪しげな呪文が彫り刻まれており、柄から下がる青色の勾玉もどこか魔術的なものを感じさせる。
そっと、渡された黒布の覆面で顔を覆う。目はちゃんと見えるように、うまく目の部分だけ出るように、覆面を結ぶ。
「よし、行くか」
そっと、館の裏口から、音も立てずに外へ出る。
寒、と冷えた夜の空気が、なぜかいつもより殺気立っているように思えた。
夜陰に紛れて、小走りに目的地へと向かう。
羅城門と東寺の間。間、と言ってもかなりの範囲だ。どこをどう探せば一番効率が良いのだろう。
しかし、ソレはすぐに分かった。臭いだ。
ひどい血の臭いがする。生臭い、温かな臭いだ。
しかも、気が付けば足元には驚くくらい鮮明に、ぽつり、ぽつりと血の滴の跡があった。
血の跡は、東寺の方向から伸びて、大通りに出たところでふいに途切れていた。それはまるで、ワザと、ここに来るであろう誰かを誘うためであるようにも見えた。
取りあえず、血の跡のわざとらしさは気になったが、その跡を辿って行けば、すぐだった。
袋小路になったその場所で。人の死体がひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ。
主様の言った通り、ぴったり五人分が、朱く月明かりに照らされていた。
その時、背後に、“何か” が忍び寄る気配がした。
たぶん、距離にして六間ほど。まだだ、まだ、遠すぎる。
土我は、その気配に気が付かない振りをして、“何か” がこちらへもっと近寄って来るのを待った。
ひたり、ひたり
ひた、ひた、ひた
不気味な、地面を濡らすような音。人の足音では無い。では、相手は妖怪か、鬼神か。
ひたり、ひたり、
カラン、コロン
カラン、コロン、カラン、コロン
音は、途中からカランコロン、と乾いた、愉しげな音へと変わった。それは、高下駄の音にも聞こえる。
(どうなっているんだ……)
未知の相手への恐怖と同時に、自分の中でずっと眠っていたらしい、凶暴な高揚が、体のそこかしこで脈打つ。これから太刀を振るって、殺し合いが始まるかもしれないのに、その状況を興奮しながら、待ち望んでいる自分がいる。
カラン、コロン
コロン、カラン、コロン、カラン
カラン、カラン、コロン、
カラン、コロン、カラ……
ふいに、高下駄の音が止む。たぶん、距離は三尺もないだろう。
今だ、
心の声が、そう言った。
太刀の鞘から刀身を引き抜くと同時に、体をぐるりと翻して敵を見据える。
月明かりに銀色の弧を引いた太刀の煌めきは、そのまま “何か” へと向かって猛進する。
ずぶり、と一瞬のうちに白く輝いた太刀が、“何か” の腹を貫いた。
素早く逆手に取って引き抜くと、驚くことに真っ黒な血液が、そこからドッと溢れ出し、白い刀身を汚した。
ぱっと後ろへ飛び退いて、いま、突き刺した敵を見据える。
ソイツは、何事も無かったかのように、黒い血液をほとほとと流しながら、そこに立っていた。
顔は、深紅の面をしていて、見えない。
深紅の面には、おどろおどろしく八匹の蛇が描かれていた。その八匹の蛇たちが、うまい具合に絡み合って、目や鼻や、口を形作っていた。
髪は、巻き毛で、灰色がかった銀色をしていて、とても長い。腰のあたりまでだらりと垂れている。
着ている着物は黒い。裾からは、下に着重ねているらしい赤い衵の色が見えた。
肌は浅黒く、指先から伸びた爪は真っ黒で、鋭く長い。
ガラガラと、喉を振るわせてソレが笑った。
「なんだ、小僧、それだけか。見損なったぞ、」
コレハ何ダ。
あんなに深手を負わせたのに。
「一体あんた、何なんだ……」
あまりのことに驚いていると、虚を突いて、視界の中央に居たソレが、体を縮込ませたかと一瞬思ったら、地を蹴って弾き飛んだ。
そして瞬間の内に、眼前、すぐそこまで跳んできていた。こちらが身構えるよりもずっと早い、一瞬で、ソレは俺が握っていた太刀を、着物の裾で弾き飛ばした。
ひゅん、と刀の後ろに飛ぶ音がして。すぐに、ぐさりと、地面に突き立った音がした。刀が震える、ビーンという残響が、敗北じみている。
「どれ、今日はここまでだ。また遭うかな、小僧」
そう、最後に捨てるように吐いて、ソレは俺の頭を力いっぱい殴り飛ばした。
真っ暗に意識が沈んでゆくのと同時に、ソレの高笑いと、カランコロンと不快な高下駄の音が響いていた。
- Re: 小説カイコ 【一気にかなり更新】 ( No.387 )
- 日時: 2013/05/17 19:13
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: .wPT1L2r)
- 参照: この勢いだと今日中に完結まで持ってけるかもなー ←若干寂しいw
目が覚めると、まぶしかった。
柔らかな光の中、小鳥の鳴く平和な音以外、何も聞こえない。
—— きっと、今は昼頃だろうな。
ぼんやりとした意識の中で、それだけ思った。
ここは、どこだろう?
ここはどこかの部屋のようで、畳の美草の上品な香りがやんわりと漂っている。なぜか自分の体は真っ白な布団で覆われ、横に寝かされていた。
まるで自分自身、死んだのかと思ったくらいに静かで、平和な気持ちだった。
しばらくそのままぼうっとしていると、部屋の向こうから軽い足音が聞こえ、誰かが部屋の中に入ってきた。戸を用心深く引く音が、スーっと聞こえた。
反射的に腰の太刀に手を伸ばしたが、太刀がない。……抜かれてしまったか。仕方がないので相手を刺激しないために、寝た格好のまま相手を見据えることにした。もちろん、右手は懐の短剣へと伸ばして。
「あ、起きていらっしゃったんですか」
そこに立っていたのは、年は十七、八くらいの女の子だった。張りつめていた警戒心が一気にほどける。緋色の帯をなびかせた、長い黒髪の綺麗な子だ。こちらの視線など一切気にせず、その子は話を続けた。続けた、というより、いきなり物凄い勢いで言葉を叩き出した。
「びっくりしたでしょう? 今朝ね、水を汲みにいったら、あなたがそこの辻で倒れてたの。あなたあんまり悪い事しそうな顔じゃなかったからね。拾ってあげたんです。ああ、さすがに太刀は危ないから抜かせてもらいましたけど」
そう言うと、その子は無邪気に笑った。
「……なんだかよく分からないけど、ありがとう」
そう答えると、その子は嬉しそうににこっと笑った。
「今、飲み物持ってきますね」
そう言い残して、その子はパタパタと部屋から出て行った。見た感じ、裕福な家の子みたいだった。
しかしまあ、なんと不用心な人だろうか。行き倒れの男、それも得体の知れない鬼人を拾って、それでいて更に家の中に置いておくなんて。
しかし少なくとも、この家には他に安心できるだけの下人が何人もいるのだろう。だってあの少女の細腕だけでは自分をここまで運べはしないだろうから。
それと、気にかかることが一つ。さっきあの少女は太刀を “抜かせてもらった” と言った。だったら、俺の太刀はこの腰にあったということだろうか。まさかあのバケモノが、元通りに戻しておいたというのか。
それにしても、さっき少女が発したあの言葉。
“ あんまり悪いことしそうな顔じゃなかったから ”
あの無邪気な笑顔はそこから来るのか。
それにしても、あんまり悪いことしそうな顔じゃない、……ね。
思わず、間が抜けすぎていて笑ってしまった。本当になんて不用心な人なんだろう。なんて馬鹿な人なんだろう。
◇
「ふうん。土我さんって言うんですかぁ」
この、目の前で茶碗をすする女の子の名前は由雅というらしい。女なのに坊さんみたいな名前だな、とぼんやり思った。
「あのさ、由雅ちゃん。親切にしてくれてありがとう。でも俺、先を急ぐから。太刀、返してくれないかな」
「もう行くんですか?行き倒れてたのに」
茶碗を盆に戻した、由雅の表情が僅か、陰った。
「うん」
「そうですか……」
少し、残念そうな笑顔で由雅は縁側を指さした。
「縁側に置いてある籠、あるでしょ? そこに土我さんの履物と、背負ってた荷物、それに太刀も包んで入っていますから。あと、お節介かもしれないけどおにぎりも握っておいたのが入っていますから。良かったら食べてくださいね」
何も嬉しくないはずなのに、由雅は嬉しそうに笑う。
無邪気な笑顔に裏があるのではないのかと勘ぐってしまうのは、きっと俺の根性の悪さのせいだろう。
「ありがとう。これ、おいしかった」
「道中気を付けて下さいね」
俺が支度し終わると、由雅は家の外まで出てきて見送ってくれた。満開の花のような笑顔で手を振って、さようなら、と言ってくれた。後ろを振り向くのもなんだか照れくさかったので、振り向かず、歩きながら手を振って答えた。
しばらく歩いて、もう由雅も由雅の家も見えなくなっただろう距離まで来た時にはじめて後ろを振り向いた。もちろん、目に見えるのは甍を争うように立ち並ぶ高く知らない人たちの家々ばかりだった。
……あの子は、由雅は、どうしてそんなに笑えるのか。そもそも、道端に倒れていた全く知らない男になんでこんなに親切にしてくれたのか。
そ ん な 、 こ と は 愚 問 だ
冷たい理性が、少し熱くなり出した思考に水を差した。
そうだ、何を関係のないことを。きっとあの女には何か目当てがあるに違いないのだ。主様のためにも、ここで妙な道草を食うわけにはいかない。
—— 辻風が、裾を乱す。
- Re: 小説カイコ 【一気にかなり更新】 ( No.388 )
- 日時: 2013/05/17 19:14
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: .wPT1L2r)
- 参照: この勢いだと今日中に完結まで持ってけるかもなー ←若干寂しいw
それから、館へと帰ると、病床の主様が血相を変えて飛んできて、俺の姿を見ると、気が抜けたように崩れ落ちた。
「主様! いけませぬ、かように動いては……」
「よかった、良かった土我よ」主様は震えながら俺の両頬をその弱々しい両手で挟んだ。「無事で良かった。お前が無事で、それが一番だ、何よりだ……」
「おおげさでございますよ、ほらこの通り、土我は元気です」
「よかった、よかった、ほんとうによかった……」
「ちょっと、主様をお運びして」
そこに居た若い下人に手伝わせて、主様をどうにか部屋まで運んで、布団に落ち着かせた。
下人を部屋から出させると、主様は疲れ切ったように、長い溜息をついた。
「わたしも、長くないんだなぁ……」言いながら、こちらを物憂げに見る。
「土我や、私が死んだら、お前は幸せにおなり。お前に授けた知識と知恵と、技術さえあれば、お前はどこでもやっていける。私が死んだら、どこへでも、好きなところへ行くといい」
「そんな……らしくないですよ、気を強く持って下さいませ。そうだ、例の件ですが、」
「もういい、もういい。その話は止めだ。私は、やっと気付けた。学問よりなにより、お前が大事だ」
「大変嬉しきお言葉、しかし、それでは飢饉や天災はどうするのです、官命なのでしょう」
「官命など、どうだって良い。金なら、暮らしの困らぬ程度にもう溜め込んだ。何せ私は独り身だからな」
独り身、そう言いながら主様はぶるっと震えた。
「お寒いですか、なんなら火鉢を持ってこさせますが——」
立ち上がろうとして、手首を握られた。別にいらないという意味だろう。
「なぁ土我や」
このごろの主様はおかしい。特に今日は。
いつも感情の無い、その代り何があっても動じない、岩のような力強さを持っていた主様は、病気をひどくされてからは、すっかり弱ってしまって、時々、微かにだが笑ったり、泣きそうな顔をしていたりすることがあった。
俺は、そんな弱った主様を見るのが嫌いだった。あの、岩のように、無言の強さがあって、何の表情も宿さない、強靭な心が好きだったのに。
「わたしは、いつだって学問一筋で来た。弟と共に、物の怪に心を喰われてからというもの、感情のない私には、それだけが唯一の生きる慰みであったからだ。誰も愛さない、誰からも愛されない、代わりに、無言で学問を積んでゆく。そんな無感動で無機質な毎日。わたしはいつしか、そんな孤独に、独り身でいることに、誇りさえ覚えていたんだ」
「誇り、で間違いないですよ。俺は、そんな主様の力強さが好きです」
「いいや、間違っている」主様は苦しそうにゴホゴホと咳き込んだ。「弟に似た、幼いお前と出会って、お前に名を与えて、それで、やっと気が付いたんだ。わたしは、もしかすると、一番人の感情の中でくだらないと蔑んでいた、“ 寂しさ ”というものと闘っていたんじゃないかってね。寂しさなんて感じること自体が、私にとっての恥辱だったんだ。だから、余計に寂しい方向へと歩みを進めて、それに耐えている自分に、一種の自惚れを抱いていていた。後戻りのできない自尊心の輪廻に、私はいつしか、自分から自分で、物の怪が喰い残したたった一つの感情——“ 寂しさ ” さえも殺してしまったんだ」
「……」
あまりのことに、言葉が出なかった。
「なぁ土我や。私の寂しさを癒しておくれ。私の汚い自尊心を、どうか笑わないでくれ」
「笑うなど、そんな……」
主様が、無言で痩せ細った腕をこちらへと伸ばしてきた。そして、俺の頭を弱々しく撫でた。
あの日、感じたような力強さや、温かさは、もう感じられなかった。その手はもう、病魔に侵された、一人の憐れな老人のものにすぎなかった。
「ああ、お前はいい子だ。いい子だ……」
そしてふいに、主様の腕が落ちた。後には、すやすやと静かな寝息。
細い腕を、できるだけそっと布団の中へ戻して、俺は部屋を後にした。
これから俺は何をしたらよいのか、何をするべきなのか。
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