コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- Re: 小説カイコ ( No.392 )
- 日時: 2013/06/09 22:11
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: P4ybYhOB)
- 参照: http://mb1.net4u.org/bbs/kakiko01/image/1415jpg.html
その後、矢々丸と二言、三言短い会話を交わしてから、リトの様子を見に行った。
今は使っていない西の蔵がリトの寝床で、そっと中に入って暗闇に耳を澄ませば、穏やかな寝息が聞こえた。細い格子の窓から差し込む、ささやかな月明かりに照らされた幼い寝顔が、どうにも頼りなくって心細い。吹き込む微かな夜風が、冷たく冬の訪れを告げている。
静かに蔵の戸を閉めて、外に出た。
月明かりを逆光にした館は、今はもう生気が無い。
死んだようにひっそりとした暗闇の中で、灯りのついていない館の影は、本当に真っ暗でどこか化物じみていた。
ひゅうう、と冷たい風が吹く。
それと一緒に、どこかで子供のひどく泣いている声が風に乗ってくる。この声は、生きている者の声なのか、それとも飢え死んだまま、死霊となって母を呼ぶ子どもの声なのか。
通りの方に目を向けると、北東の方角から、怪しげな鬼火が列を成してふわふわと中空を漂っている。怨みのつのった青色の炎からは、すすり泣く女の声や、苦しそうに呻く老翁の声、悲痛に叫ぶ罪人の声が聞こえる。
その視線の向こう、ふと目の合った若い女の白い幽霊が、鬼火を見上げていた俺を見て、けたりと笑ってスーッと消えて行った。
ああ、ここまで都は荒れてしまったのか。
今日だけではない。昨日も、一昨日も、この頃ずーっと鬼火や死霊がここらじゅうを漂っている。俺は、鬼子で、つまり鬼の血の通う人だから、見ようと思えば彼らを好きなだけ、思う存分いくらだって見ることができる。……まぁ、見えて心地の良いものではないけれど。
「リトや、主様も……いずれ近いうちにアレの仲間になってしまうのか」
分かってはいても、やはり嫌だった。できることなら、できるだけ、そうなってしまうまでの時間を稼ぎたかった。
ああ、決めた。明日、またあの鬼に会いに行こう。
都を侵す、瘴気の正体を確かめに。
都を救うためではない。大切な人を守るために。
- Re: 小説カイコ ( No.393 )
- 日時: 2013/06/09 23:01
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: P4ybYhOB)
- 参照: ヤマタと蛇姫っ いずれまた登場するかも……?
そして今日は、ついに七日目。
このまま予定通りいけば、七人が何者かによって殺されるはずである。
六回も事件が続いたのだ。人々は次は我が身と、七人で居ることを避けた。その一方で、勇ましい若人たちは名誉欲しさや好奇心から、わざと力のある者同士で集まり、七人の集団を作っては日が沈むのを待っていた。
やがて血のような鮮紅の陽は落ちて、
真っ暗な夜の闇が降り始めた。
土我は人影の少なくなった外市を急いでいた。
刻々と闇が深まるにつれて理性の錠が外れてくるのが身に染みて分かる。全身が痺れるような昂揚感に押されて、呼吸も苦しいくらいだ。
町人たちから噂の破片を寄せ集め、ぼったくりと有名なト占いの怪しげな唐人に未来を尋ね、今宵の惨劇場の場所をやっとの思いで知ることができた。
それから走り続けること一刻半。やっと目的の地に着いた。
月明りの下、土我は怪しく白銀に輝く鋼の太刀をそっと抜いた。土我自身の身分と技量では到底手に入ることはなく、到底扱えそうにもない美しい太刀である。
太刀は、名を草薙と言う。
それはかつて神代、素戔嗚が、大蛇の尾の先を割いて手に入れたものだと言われていた。
- Re: 小説カイコ ( No.394 )
- 日時: 2013/06/09 22:23
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: P4ybYhOB)
- 参照: http://mb1.net4u.org/bbs/kakiko01/image/1415jpg.html
それからしばらくすると、太刀を右手に、土我は、ある遊郭の裏地にひっそりと立ち尽くしていた。
店の表側いつも通り、寂しげな夜風が吹いているだけだったが、一旦店の裏側の世界に踏み込んでしまえば、そこは別世界だった。
赤かった。少し前までは生きていたモノたちから流れ出る液体のために。
思わず土我は鼻を覆った。血の、匂いがあまりにも強すぎる。七人分の死体を目の前にして土我は現れるであろう“何か”を物陰にそっと隠れて、待っていた。嫌悪感にひどい吐き気がしたが、それでも黙って待ち続けた。
大分、切りつけたようで、狭い裏地は足の踏み場も無いくらいに血で染まっていた。その証拠に、布靴越しにも赤色は染みてきたらしく、足先に嫌な液体の感触がした。
しばらくして、ソイツは来た。
大きな月の下、カランコロン、と大下駄の音を楽しげに響かせながら。
長い銀色の髪に、禍々しい深紅の面。
表情は見えない。ただ、面に描かれた歪んだ笑みが土我を嘲り笑っているようだった。
カランコロン、
コロンカラン、カランカラン。
優しい単調的、まるで子守唄のような大下駄の音は、ちょうど土我の隠れている物陰まで鳴り響くとぴたりと止んだ。
……どうやら、鬼相手に壁など無いも同然らしい。
奇襲を諦めて、次にどうするかを素早く思考していると、面の向こう側からヒトのものとは思えない低く、ガラガラとした声がした。
「……久しゅうなぁ」
間髪入れず、土我は太刀を右手に弾けるように走り出す。
バケモノの腹へと目がけて太刀を振るったが、ひらりと右へとかわされた。そのまま勢いに任せて右へと体ごと投げるようにして袈裟切りにするがそれより早く、バケモノは土我の背後に飛び移っていた。
まずい、な。
とっさに身を翻して交戦姿勢を保とうとしたが、既に気が付いたころにはバケモノの爪が肩に食い込んでいた。仕方がないのでバケモノの手首ごとぶった切ったが、腕から離れても手首は自分の肩にがっしりと食い込んだままだった。さらに、どんどん奥へと食い込んでいく。
「ッ……!」
ギリギリ、とバケモノの爪が自分の肉を浸食する。ほとばしる真っ赤な血液が、ぬるりと背筋を伝っていった。
痛みのあまり、喉の奥から意気地のない声が漏れてしまう。
しかしバケモノは俺の目の前に悠然として立っている。手首から先の無いその腕からは、血の一滴も出ていない。
「煮て食おうか……焼いて食おうか……迷う迷う……」
バケモノはさも楽しそうに、それでいて優しい唄でも歌うように穏やかな口調で土我の周りをぐるぐると歩き出す。
「この素晴らしい月夜に、下賤な奴婢が私の相手をしようなどとは。その蛮勇だけは褒めてやってもいいがな」
ギギッと更に肩の手首に力が籠る。「どれ、顔を見せろ小僧」
バケモノは残っている左の方の手で強引に土我の顎を持ち上げた。並ではない殺意を放つ土我の薄色の両眼を眺めながら、ほぉ、と少し感心したようだった。
瞬間、土我の下腹に鋭い一撃が落ちる。
あまりにも強すぎる一撃は、そのまま土我の意識を一瞬で奪ったようだった。
「呆れたわ。飯にもならん。喰う気も失せたわ」
泥水と鮮血の混じる汚れた水たまりへと土我を蹴り上げると、バケモノは醜悪な嗤い声を残して、またどこかへ消えていってしまった。
- Re: 小説カイコ ( No.395 )
- 日時: 2013/06/09 22:28
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: P4ybYhOB)
- 参照: http://mb1.net4u.org/bbs/kakiko01/image/1415jpg.html
それから、土我が体を起こしたのは空が白み始めた頃だった。
右肩に尋常じゃない痛みを感じた。ズキリと骨まで凍るように痛い。着物の帯を解いて肩を見てみると、円形の入れ墨が入れてあった。よく見るとただの円ではない、蛇が何匹も絡みついた、気色の悪い模様であった。
思い出した。ここは昨日バケモノの爪が喰いこんだところではないか。
「はぁ……」
思わずため息が出る。きっとこれは何かの呪いの一種だろう。
立ち上がると、自分の周りには見知らぬ七人の男女。昨晩の被害者たちだ。むっと鼻につく鉄錆の赤い匂いが吐き気を催す。時間の経った血の匂いは、もとよりずっと臭気を増していて、酷い。
地面に落ちていた太刀を拾い上げる。昨日とは違い、死んだようにずっしりと重かった。まだ細い朝日に刃身を照らすと、刀には自分の肩にあったような同じ模様が掘られていた。刀に掘られた蛇の目が、自分を嘲笑うようににやりとこちらを見ていた。……この太刀も、俺と同じ運命を辿ることになるのか。
ふらふらと、平衡感覚の取れない体を動かして、身体と着物の汚れを落とすために土我は川へ赴いた。まだ人々が眠っている間に、あそこに居た証拠は全て消さなければいけない。
川へ着いて水の中へ入ると、心の臓が止まってしまうかと思うほど冷たかった。無理もない。まだ時間が早いのだ。
しばらくバシャバシャやっていると、遠くから歌うような、優しい声が流れてきた。若い女の声で、どうやら幽霊では無いらしい。
耳を澄ましていると、女の声は遠ざかっていった。まるで水の精が唄っているようだった。よく透き通った、綺麗な声だった。
「土ー我ーさんっ!」
突然、背後から声がした。ギョッとして振り返ると藍色の着物を着た女の子が居た。
……自分は今まで着物に付いた血を落としていたのだ。川の水はほんのりと赤くなっている。この女にこの状況を見られた以上は、生かしておくにはいかない。
一瞬を置かず、水の中から女の居る川岸へと飛び移り、女の胸倉を掴んで草むらへと張り倒す。草と、女の身体が薙ぎ倒される乱雑な音を川のせせらぎが消していく。
女にまたがって、身動きをできないようにしてから太刀を抜いて、女の細い首筋に鋭い刃先を向けた。
「女、貴様何のつもりだ。言うようによっては生かしておけぬ」
「なんのって、」
まだ若いその女の子は、自分の置かれた状況を理解しているのかしていないのか、けろっとしている。
「私ですよ、私。由雅です。あれぇ覚えてないのかなー?」
「ああ、お前か……」
全身の力が抜ける。いつか、出会ったあの子か。
気を抜いた瞬間、太刀を握っていた右手にまるですっぱりと切られたような激痛が走った。思わず太刀を取り落とすと、由雅はすぐに、いま落とした太刀の柄を逆手に持って、俺のみぞおちを物凄い勢いで突いてきた。胃袋の中身が、ウッと喉元にまでせり上がる。
突然の攻撃に慄いていると、由雅は勢いに任せて俺を蹴り上げながら、何か呪文のようなものを鋭く叫んだ。同時に、まるで化猫のようにするりと俺の腕の間をすり抜けていった。
「金縛りよ、土我さん」
由雅は勝ち誇ったように ふふん、と鼻で得意げに笑った。
「あたしに勝てるとでも思いましたぁ?」
全身が凍りついたように動かない。確かにこれは金縛りだ。
由雅は動けない俺の前に仁王立ちになって、話し続けた。
「だいじょーぶ。あたしは検非違使のお役人に連続殺人事件の犯人さんを突きだすようなマネはしません。ただ、なんでこんなことしたのか話してほしいのよ。あたしはね、退屈なのが一番ガマンできない人なんです。ちょっとでもワクワクするような話をしてくれたら私にしたことは許してあげますよ」
由雅はイタズラっぽく笑った。……言っている事とは裏腹に、笑顔だけは天使のように無垢である。
「ほら、早く話してください。なんなら、また私の家に来ます?」
言いながら、由雅は俺の周りの地面に、木の枝で円を書き始めた。
それから、円のなかにごちゃごちゃと様々に怪しげな模様を付け足していき、最後に円の中心に文字のようなものを書き込んだ。
由雅は書き終わると満足そうにニッコリ笑って、木の枝を円の外へ放り投げた。枝は、大きく半円を描いて川に落ちていく。パシャリ、という水音が後ろで聞こえた。
「ふふっ、うまく描けた。これねぇ、壁部屋って言うんです。……閉!」
由雅が大きな声でそう叫ぶと、目の前が真っ暗になった。円の淵沿いに、黒い壁が突然現れたのである。
「乱暴でごめんなさいね」
由雅が俺の胸倉を女の力とは思えない怪力で握り、黒い壁に向かって俺を押し倒した。
- Re: 小説カイコ ( No.396 )
- 日時: 2013/06/09 22:34
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: P4ybYhOB)
- 参照: http://mb1.net4u.org/bbs/kakiko01/image/1415jpg.html
「うわっ!?」
黑い壁に触れて瞬間、息が止まるかと思った。肺の中に、物凄く熱い空気が入って、自分が内から破裂してしまうようだった。
それも一瞬で終わり、気が付いたら数日前にお世話になった、あの、由雅の部屋の真ん中に仰向けに倒れていた。数秒すると、由雅の軽い足音が部屋の向こうから聞こえてきた。
「あっ、土我さんここの部屋に居たんですか。よっぽどここに来たかったのねー」
唖然とする俺に構わずに、由雅はすごい勢いで喋り始めた。
「土我さんはさっき、川で着物の血を落としていました。でも、土我さん本人に外傷があるわけじゃない。あれはあなたの血ではありませんよね? それに、土我さんは泉屋の遊郭亭のほうから来ました。私、今度の事件現場はあそこらへんだろうな〜と思って目星はつけて、見張ってたんですよ。さては、昨晩の被害者は遊郭で遊びまわっていた若衆七人ですね」
「まぁ……正解だけど……」
よく喋る娘だな。「やったのは俺ではない。俺も犯人を知りたいところだ」
「へぇ? じゃあ、あの血は誰のです?まさか、鼻血だとか言いませんよねえ」
由雅は可笑しそうにクククッと笑った。
……説明に困る。このまま返り血ではないということで話を進めれば、あのバケモノについて話すハメになってしまう。
返答に詰まる俺を、流し目に見ながら、由雅がまた話し始めた。
「まぁ、話せないんならいいです。ところで、被害者の数は毎晩ごとに一人ずつ増やしていましたよね?あれには何か意味はあるの?奈良の都が栄えている時期にはそういう呪いの形式があったような気がしますけど」
「随分と博識だな。奈良の都ではそのような呪いの儀式が毎晩行われていたのか?」
「もちろん、私がその時代に生きていた訳じゃないから、詳しくは知りませんけど。文献にはいくつか残っていますよ」
「……お前、文字が読めるのか。」
由雅が ははん、と得意げに鼻を鳴らした。
「女だからって馬鹿にしないでくださいよ。私はそこらへんの頭の呆けた貴族さんよりは数倍頭はいいです。……で、質問に答えてください。人数の変化にはいったいどんな意味があったの?」
「だから、言っただろう。やったのは俺ではない。お前と同じだ、俺も犯人を突き止めようとしたのだ」
すると由雅は、不満そうにふくれっ面をして見せた。
「なーんだ、せっかく大物を仕留めたかと思ったのに。つまんない」
「なんでもいいが、早くこの金縛りを解いてくれ。苦しい」
「……別にいいですけど。変な気は起こさないでくださいね?」
由雅の白い手が、俺の着物の帯へと伸びてきた。ふっと自分に覆いかぶさってきた柔らかい体に、思わずどうしたらいいのか全身が硬直する。由雅の肩から垂れた長い黒髪が、少し頬をくすぐった。ふわりと、女の匂いがする。どうやら、由雅は俺の背中の帯の結び目を解いているようだった。
「な、何を、」
「耳元で大声出さないでください。別に何もしませんし、取って喰いやしませんよ。ちょっと緩めるだけですから」
すると、由雅は頭の簪を一本抜いた。先に薄桃色の玉のついた、綺麗な簪だった。
「呪いってね、かけるのは簡単でも、解くのはけっこう疲れるんですよ。……あぁ、面倒くさい」
言いながら、俺の緩めた帯の先に簪をそっと刺した。
瞬間、由雅の表情が凍った。
「? どうした」
俺を見上げた由雅の目は、ひどく真剣だった。
「あなた、昨日、銀髪で赤面の鬼に会ったでしょう」
「会ったが。それがどうした? というか、何故そんなことが分かったのだ。」
「ちょっと失礼します」
そう言うと、由雅は俺の右肩に触れた。華奢な手のひらから、ひやりとした感覚が伝わる。
「この刺青。あいつのに間違いないわ。うん、この八つ蛇はあいつのですね」
あんまりにも真剣な声でいうものだから、少し、怖い。さらに、由雅はブツブツと念仏のようなものを唱え始めた。
「……駄目みたい」
「駄目?」
由雅はまるで墨を流したような真っ黒な瞳で俺を見つめ返した。
「金縛りなら解いてあげられる。でも、赤面の呪いは私じゃ無理だわ。ごめんなさいね」
そう言うと、由雅は俺の帯に刺した簪を勢いよく抜いた。すると急に、いままで動かなかった体の節々が自由になった。どうやら金縛りは解けたらしい。
「……すごいな」
「何がです?」 由雅が後ろを向きながら聞いた。
「いや……、何でもない」
さっき触れられた右肩を恐る恐る見てみると、由雅が言ったように、確かに刺青の蛇は八匹描かれていた。
「日本書紀」由雅がニヤリと笑いながら口を開いた。
「あれに出てくるヤマタノオロチ……。確か、首が八つある蛇の怪物でしたよね?」
- Re: 小説カイコ ( No.397 )
- 日時: 2013/06/09 22:40
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: P4ybYhOB)
- 参照: http://mb1.net4u.org/bbs/kakiko01/image/1415jpg.html
「にほんしょき……?」
「そういうね、胡散臭い話が腐るほど載ってる面白いものがあるんです。それに出てくるんですよ。ヤマタノオロチっていう八つ頭の大蛇の怪物がね」
「八つ頭の蛇だと。本当に居たのかそんなものが。この国に?」
本当は、日本書紀もヤマタノオロチの話も主様から教わっていたので知っていた。
けれど、ここはあえて知らない振りを通して、彼女の口から出る話を直接受け止めようと思った。
「本当に居たかどうか、そんなことはどうでもいいんです」
由雅は人差し指を一本、ピンと立てて、空中にくるくると円を描きながら話し続けた。
「昔の人が、そういう話を日本書紀に書いた、つまり後世の人間、私たちにそれを伝えたかった。ただそれだけのことでしょう」
「怪物の存在の真偽より、先人の意向の方が重要だとでも言いたいのか」
由雅はフフフと楽しそうに笑った。
「面白くなってきましたね。私、こういうの大好きです」
「人がとんでもない呪いを受けたのかもしれないのにか」
つくづく、恐ろしい娘である。
「別に、土我さんがどうなろうと私の知ったことではないですし。最初からアカの他人なんですから」
確かに、どうして、自分は今の今までこの矛盾に気が付かなかったんだろうか。どうして、さっき、殺すのを躊躇ったのだろう。どうして、こんなにも同情を求めてしまうのだろう。
たった数日前に偶然出会った娘に。
「では、どうしてお前は八日前の朝、俺を助けたのだ」
少しヤケになって、捨てるように聞く。
「おもしろそうだったから、ただそれだけです。それにね、土我さん、あなた最初の時と随分人当たりが違うじゃない?! なんなんですか、その乱暴な言葉遣いは?」
「別にどうこうという意味はない。あの時は太刀をお前に取られていたからな。いい面でもしておかないと返ってこないかと思っただけだ」
……それでなくとも、こいつと話しているとだんだんと口が悪くなるのが自分でもはっきりと分かる。自分でも、こんなに乱雑な言葉遣いは滅多に使わないのに。
「それでなんなのだ、ヤマタノオロチとは。はよ言ってくれ」
由雅は大儀そうに腕を組み直す。
「そんなにヤマタノオロチの話が聞きたいんですか? 人にものを頼むときはもうちょっと言葉遣いに気を付けるものですよ」
やっと、少しだがこの娘の性格が掴めてきたようだ。どこまでも人を小馬鹿にする、人を苛立たせる、怪奇話が好き、女のくせに文字が読めて頭も良い。おまけに、妙な妖術まで使えるときた。まるで歯の立たない女だ。こいつこそ本物の鬼ではないのか。
「で、聞きたいんですか? 聞きたくないんですか?」
「……聞きたいが、」
由雅は偉そうに ふふん、と鼻を鳴らした。
「そんなに聞きたいならしょうがないですねー。では、この国が誕生したところから始めましょうかね」
「昔々、境界なんてものは無くて、地の泥も天の雲も同じ靄だった時代。世界が生まれたばかりの話です……」
********************************************
「イザナミとイザナギは知っていますか?」
「いや」
「日本国創造の神とされるつがいの夫婦神です。彼らは海や空を造り、国土を形成しました。ちょうど粘土遊びのようにね。それから、万物の神々を産みます。イザナミの方は最後に火の神を産んだ際に火傷を負って、死んでしまいますけどね」
「神も死ぬことがあるのか?」
「普通は死にません。うーん、言い方が悪かったかな。正確に言うと彼らには“死”と言う観念はありません。消える、って言った方が語弊が無いかも。まぁ、それでイザナミの子供たちの中で特に凶暴だった“スサノオ”っていう奴が居ます。こいつが問題児でね、色々と天界で事件を起こした末に、天界の高天原(タカマノハラ)から下界へと追放されてしまいます。追放された先は出雲の国(イズモノクニ)と言ってね、本当にここから西北西の方向にあるところですが。
で、話を随分はしょりますが、そこで奇稲田姫(クシナダヒメ)っていう可愛い女の子が困っているところをたまたまスサノオが通りかかります。何でも、その子は今夜ヤマタノオロチっていう、頭と尾が八つある大蛇の怪物に喰われてしまうらしいのね。
あんまりにも可哀想に思ったスサノオはヤマタノオロチ退治を打って出ます。まぁ、スサノオは神様なんだから、当然ヤマタノオロチは退治されてしまいますが。
すると、あら不思議。退治したヤマタノオロチの尾の先から聖剣、草薙剣(クサナギノツルギ)が出てきます。そして、奇稲田姫はスサノオに一目ぼれして、二人は夫婦になりましたとさ……ってところですかねー」
話し終えて、由雅は深呼吸をした。どうやら神話の余韻に浸っているらしい。
「なんとも突拍子の無い話だな。」
それを楽しそうに話すこいつも突拍子もないが。
「でも、でもね!本当に日本書紀に書いてあるんですよ。私が読んだのは写本ですけどね。古事記っていうのにも書いてあるらしいけど、まだそっちは私読んでないんだよなぁ〜。あー読みたい!!」
由雅は熱に浮かれたように話し続けた。
「それで、その土我さんに掘られた蛇の入れ墨はヤマタノオロチにしか思えないんですよ。そうなると、あの赤面の鬼はヤマタノオロチに何か関係があるはずですよね。」
「ああ、そうかもな……」
つくづく、よく喋る娘だ。
スサノオ。ヤマタノオロチ。
もし、この入れ墨がそんな得体の知れないモノ達が関係している呪いなら、自分はもう長くないだろう。
別に、死ぬのが怖いわけではない。嫌なわけではない。どうなっても別にいい。どちらにしろ俺にはあまり明るい未来は待っていない。
初めから、呪われた体なのだ。鬼子の命の短いことぐらい、教えられずとも知っている。
けれども、やはり。
「なぁ、由雅。」
俺に呼ばれて、由雅は何か話している途中だったが、こちらに振り向いてきた。
「じゃあ……じゃあ、もし、この入れ墨の呪いがそのようなものだったとして。俺はあとどのくらい生きられる?」
- Re: 小説カイコ ( No.398 )
- 日時: 2013/06/09 22:42
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: P4ybYhOB)
- 参照: http://mb1.net4u.org/bbs/kakiko01/image/1415jpg.html
「さぁ?」
由雅はからからと笑った。
「案外今夜が峠だったりして。どんな死に方をするんでしょうかねぇ。悶え苦しむんでしょうかね、それともポックリ逝っちゃうんでしょうかねー」
「な……」
可笑しそうに唇を歪める少女が、少し不気味に見えた。
「なんという奴だ、人が死ぬかもしれないのに。なぜそんなに楽しそうに笑う」
するとまるで人の話を聞いていない由雅は、くるりと向き直ると、真剣な顔つきで問うてきた。
「……で?もしも今日があなたにとっての最後だったら、何がしたいの、何を思うの、何を望むの?」
少し、声を低くして囁くように聞く。思わず目が合った、黒曜石の瞳には不思議な光が宿っている。
「別に。時が流れるのに任せる以外ないだろう。俺にはどうすることもできないのだから」
「何か望まないの?本当の本当にこの世から永遠に存在できなくなってしまうかもしれないのに」
「だから、」
由雅の、黒く、刺し殺すような目線に耐えられず、顔を背ける。
「望んだところで何も叶わないのだから、そんなことは虚しいだけだ。それに、俺に望みなどない。ああ、強いて言えば最後に何か美味いものでも食っておきたいかな」
「っ、アッハハハハハハ!」
由雅が急に大笑いし始めた。狂ったように両の手を叩きながら、甲高い声で。
「何と無欲な! アハハ、やっぱり土我さんは面白い人です。そうだなぁ、私だったら、色んな鬼や妖獣に喧嘩をふっかけて、最後には宮廷のデブ女たちの寝床全部に放火して回ってやりたいです。うん、思いっきり悪い事したいわ。歴史に残るくらいの」
チチチチチチチチチチ………
外で、鳥の鳴く声がした。庭に目を向けると陽はすっかり高くなっていた。
まずい。人が多くなる前に帰らなければ。
急いで着物の乱れを直して荷物を整えた。荷物って言ってもそれほどの量があるわけではないが。
「どーしたんですか。突然そんなに急いで」
由雅が俺の背中に話しかけた。
「じゃあな。俺は人が多くなる前に帰らなければならないんでな。お前と違って暇人ではないのだ」
ちょっと! と後ろで由雅の声がしたが構っているヒマはない。
外に出ると、水瓶を持った中年の女衆が小うるさく喋りながら歩いていた。高くなり始めた日の光が、その後ろ姿を燦々と照らし出している。どうやら、井戸はあっちの方向らしい。
それから、すっかり明るくなった大通りを避けて、できるだけ人目に付かない小道を進んだ。
- Re: 小説カイコ ( No.399 )
- 日時: 2013/06/09 22:48
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: P4ybYhOB)
- 参照: http://mb1.net4u.org/bbs/kakiko01/image/1415jpg.html
「おー、土我、遅かったな」
あれから朝の眩しい陽ざしをひたすらに避けて、物影伝いにさんざん遠回りをし、今やっとの思いで屋敷に着いた。湿気た屋敷の庭隅の小屋裏では、同じく下人の矢々丸が鶏の首を絞めている。バサバサと、鳥が激しく暴れて羽毛が飛び散っていた。鳥汁でもつくるのだろうか。
「どうだった? 鬼には会えたか?」
俺の足音に気付いたのか、こちらを振り向きもせず鶏の茶と灰色の羽を払いながら、矢々丸が大きくくしゃみをした。
「会えたけどな、妙なお土産もらった。」
「土産だ?」
矢々丸はたった今息絶えた鳥の首をそっと離すと、こちらへ振り返った。死んだ鳥の頭が、ぐったりと垂れている。
「ああ」
着物の右の掛襟をずらして、入れ墨の蛇の描かれた肩を見せる。すぐに矢々丸の眉間にしわが寄った。
「……ッ、馬鹿が! 無理はするなって、何回も言っただろ!どうすんだよこんな意味分からんもの入れられてよ!これじゃあお前まで死んじまうぞ!!」
「落ち着けよ。俺は大丈夫だから。こんなの気味が悪いだけで何ともない。それより、リトはどうなった。」
すると矢々丸は大きなため息をついた。
「今は落ち着いてる。静かに奥で寝てるよ。気になるんだったら、起こさない程度に見にいってやれよ」
小屋の奥、昔は蔵として使っていた所がリトの病床となっていた。 「いや、寝ているのだったらいい。」
まだ幼いこの少女の命は、多分あと数週間としてもたないだろう。日に日に弱くなっていく浅い呼吸に、嫌でも死の気配が滲んでくる。
ぽつり、と雨粒が頬に当たった。
再度、きっと暗い泥沼な未来を思い描いて、思わずくらりと眩暈がした。
◇
ぽつり、ぽつり。
頬に水玉がはじけた。やはり雨が降ってきたようだ。
埃くさい蔵の中に、静かに腰を下ろす。蔵の中は暗くて、ときどき、なんだか分からない虫やネズミなんかが壁沿いに走る音が聞こえる。
「土……我、……?」
蔵の奥から、名前を呼ぶ声が聞こえた。ふと振り返ると、リトが布団から少し身を起こして俺の方を見つめていた。熱で真っ赤に腫れた瞳が、痛々しかった。
「なんだ、起きていたのか」
「うん」
痰の絡んだ、あまりよく聞き取れない声でリトが頷いた。
「鬼は、捕まえたの?」
「いや。見つけることはできた。でも捕まえるのは無理だった。殺すこともできなかった」
すると、リトはふっと表情を緩めた。
「そっか。よかった」
「……よかった?」
「うん。だってね、だって、鬼を殺すと殺した人も鬼になっちゃうんだって。むかしね、母さまが言ってた」
「はははは!馬鹿言え。そんなことあるものか。第一、鬼になるも、なかなか愉快ではないか。鬼は飢えない、暗闇の中でも目が見える、金や身分からも自由だ。しかも数千の寿命があるそうじゃないか。何か悪い事でもあるのか?」
「だめだったら!」
ゲホゲホと、咳き込みながらリトが叫んだ。
「鬼になんか絶対なっちゃだめだ、土我は立派な人間だよ、死ぬまで人じゃなくちゃ駄目だ!」
「わかった、わかったから。もう寝ろ。……夜中にお前の咳で起こされるのはもう御免だからな」
そう言うと、リトは不満そうに溜め息をつくと再びその小さな体を床に預けた。今は落ち着いているが、日が沈むのと共に、リトの呼吸と咳はいつもひどくなる。
みんなそうだった。咳がずっと続いてから、熱が出て、それからは数日と持たずに死んでゆく。恐ろしい死病だ。そうやって、この館の人間は一人、また一人と減っていった。
そしてここに残るは、主様と矢々丸、リト、それに俺の四人だけである。
主様は昨晩熱が出てしまった。リトもこの有様だ。もうすぐに、ここは無人館と化すだろう。俺も矢々丸も、いつ咳が出始めるか分からない。
ザアザアザアザアザア
蔵の屋根を叩く雨音は、だんだんと強くなってきている。
ふと、先程からジンジンと痛みだした肩の入れ墨を見ると、入れ墨の模様が変わっていた。前までは絡みついて、一つの塊のようになっていた蛇のうちの一匹が、塊から離れて、腕の方へ伸びている。じっと蛇を見つめていると、若干だが、少しずつ、少しずつ蛇は皮膚の下を這い進んでいるようだった。気味が悪かったが、やはりどうしようもなかった。
人の身とは不便だ。
病が流行れば死んでしまう。呪いを受ければ抗うすべもない。
些細な何かが違っていれば、すぐに鬼子だと言われ石を投げられ蔑まれる。
いっそのこと、本当に鬼になれればいいものを。
- Re: 小説カイコ ( No.400 )
- 日時: 2013/06/09 22:54
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: P4ybYhOB)
- 参照: http://mb1.net4u.org/bbs/kakiko01/image/1415jpg.html
ついに、今日も陽が落ちた。
先程から降っていた雨は強くなる一方で、どんどんと街の温度を下げていく。
この雨のせいなのであろうか。ついに、恐れていたことが起こった。リトの咳がぴたりと止んで、熱が出てしまったのだ。熱が出たからには、もう、死、以外の道はない。ましてや幼子の身である。今晩を越すこともできないかも知れない。
しかし、どうすることもできない。
喉が渇くと言えば水を差しだすし、寒いと言えば火を起こしてやる。
しかし、楽にしてくれ、と頼まれても何もしてやれることは無い。ただただ、慰めにもならない下手な言葉を掛けてやる。それさえも、無駄に思えてきてしまう。
蔵の外で、犬が煩く吠えていて、リトが頭に響くと言うので、黙らせに外へと出た。
ギギギギ……と、重たい蔵の扉を開けると、予期せぬ、不吉な影が立っていた。
昨晩、出会った銀髪の鬼であった。
俺の怪訝な表情を読み取ってか、鬼はハハハ、と低い声で笑った。
「若造、今晩はお前の番だぞ。なかなか動かぬものだから、こうしてわざわざ催促しにやって来てやったのだ」
「人外に用は無い。失せろ。」
すると鬼は困ったように真紅の面を長く、黒い爪でガリガリと掻いた。
「そうともいかんて」
話にならないと思った。これ以上、鬼と関わると余計なことしか起こらないので、蔵の扉を再度、閉じることにした。どうせ、闘ってもまた負けるだけだ。
「待て待て。お主、病のおなごを助けたいとは思わんかな?」
扉を閉める腕が、瞬間、止まる。
「と、いうと?」
「話を聞く気になったか。嗚呼、いい子だいい子だ。気付いていると思うがな、今日は八日目だ。即ち八人が今宵の内に殺されなくてはならん。いいか、八日目の今日が一番大事な日なのだ。そして七日目の入れ墨を持つ者はお前だ。もう分かったかな?」
「ははぁ、要は俺に人を殺せと? ふざけるな、何がおなごを助けるだ」
すると鬼は呆れたように鼻を鳴らした。
「馬鹿は相も変わらず馬鹿やの。褒美をやる。その褒美があのおなごの病を治すことということだ。うまい話だぞ」
「……断る。人外の言うことは信用ならん。とっとと失せろ」
「何故だ? 人の紡ぐ言霊よりも、我らの言霊の方が信頼はあるはずであろう。己の私欲の為にすぐに数多の嘘をつく人間よりはな。
人を殺すのが怖いのか?罪深いのか?それならいいだろう、南市の牢獄に行け。そこの罪人衆のうち、明日、処刑が行われるものがちょうど八人おる。全員、一番北の牢に繋がれている。奴らをやれ。どうだ、相手は罪人で、しかも死ぬべき日が少しずれるだけだ。何も悪いことは無かろう。
八人の悪人を殺して、一人の無垢な子供が救われるのだ。なんと良い話ではないか」
「……。」
黙る俺を鬼はしげしげと表情の無い面で眺めた。
「まぁいい、ここまでだ。もし今宵、八人が用意できなかったのなら、それはそれでいい。どうなるかは俺の知ったことではないわ」
そこまで言うと、鬼の周りから、紫色の煙がしゅうしゅうと出てきて、鬼の姿を丸ごと包んだ。しばらくすると、煙は失せて、鬼も一緒にそこから消えていた。
……八人の悪人を殺して、一人の子供が助かる。
あの鬼は約束を守るだろう。鬼は嘘をつけない。そんなことぐらい教えられなくとも知っている。
扉の前で呆然と立ち尽くしていると、後ろから苦しそうな声がした。 熱で頭のおかしくなったリトが、もうこの世には居ないはずの母親を呼んでいるのだ。
急いで近づくと、俺の姿を見てリトは擦れた声を精一杯に張り上げた。
「母さま、ねぇ私ね、私、体が重いよ。うまく息ができないの」
ぽつり、ぽつり。まるで喉を絞るように、言葉を紡ぐ。
「阿呆、無駄に喋るな」
「母さまったら、ひどい」
それでも、苦しそうな笑顔を見せる。
“人を殺すのが怖いのか?罪深いのか?”
ふいに耳元で、鬼の囁く声が聞こえたような気がした。銀色の長い髪が、目の前でちらついたように感じた。
……違う。人殺しだなんて、そんな下賤な存在にはなりたくないだけ。
“何を云う?お前は鬼子だ。綺麗に生きようなど、もとより叶わぬ願いではないか”
“少しだけ、死ぬ日にちがずれるだけだ。少しだけ”
“それともお前は幼子が目の前で苦しもうとも、平気なのかな?”
邪鬼の問いかけが、頭の中で永遠にガンガンと響いた。両耳を塞いでもあの鬼の声ははっきりと、むしろより明確に聞こえてくる。一瞬の間も開けずに。同じトーンで、何の抑揚もなく。
それはまるで、人を狂わす呪いのよう。
だんだんと、正常な思考が侵されていく。
「リト、一刻ほどで帰ってくる。それまで傍にいてやれんが、許してくれ」
リトは、やっと会えた母親が留守にしてしまうのは残念だったが、強がって微笑み、母さまいってらっしゃい、と小さな声で付け加えた。
……一刻、そんな小さな時間、黙って耐えて見せるんだ、と自分に言い聞かせて。