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コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- Re: 小説カイコ ( No.406 )
- 日時: 2013/06/21 21:49
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: P4ybYhOB)
ぴしゃり、と鴨が戸を立て切って部屋から出てゆく。
一人っきりになった空間で、自分の呼吸だけが、場違いみたいにはっきりと聞こえる。ふと空を掴んだ自分の右手を、意味も無くじっと見つめながら、鳥の声を聴いていた。
「そう……土我さんが。あの土我さんが」
運んで、くれたのか。
あのぶしつけな男が、そんな親切じみたことを。
「そうだ、礼。一応お礼言わなきゃだな」
むくりと布団から起き上がって、ふらふらする頭を抑えて、彼の眠っているらしい南の部屋へと向かう。
◇
南の部屋に、鴨の言っていた通りに土我さんは意識を失ったまま、眠り込んでいた。半分口を開いたまま息をしていて、呼吸する度に広い胸がゆっくりと上下する。やけに汚れた着物が、少し気になった。
どうしてわたしを助けてくれたんだろう。別に、助けてくれなくて良かったのに。
あのまま放って置いてくれて良かったのに。だって私は死にたかったんだから。
彼の顔をそっと覗き込む。
大分深く眠っているらしく、まったくこちらには気が付かない。やけに色白な肌は、やはり少しばかり病的だ。そして私とあまり年は変わらないはずなのに、彼の髪は、若者らしくない、老人のような灰色をしている。……閉じているまぶたを開けば、きっとまたあの、不思議な琥珀色の瞳が見れるはずだ。
はじめて出会った時から、不思議な人だなぁと思った。
たぶん、聞いたことしか無かったけれど、この人は世に言う鬼子だと思う。
鬼子。
決まって遊女や傀儡女の腹から生まれると言う呪われた赤子。
彼女たちのような、売春を生業とする女性は、こどもができてしまえば、毒を飲んだりして子を流してしまう。そうして故意に流され、殺された何人もの赤子の霊は、やがて寄り集まって、悪鬼となって、彼らの母親の腹に宿ってしまうという。それを鬼子という。
生まれてくるはずの命を絶たれた怨みなのか、鬼子は母親を殺して生まれてくる。鬼子には、子流しの薬も効かないので、鬼子を宿してしまった女の人は、自殺するか、生んで、鬼の親となって死んでしまうしかない。
鬼子は総じて、気味の悪いほど色白で、生まれた時から老人のような灰色の髪をしていて、目は猫の目のように、薄い黄色や琥珀色をしているという。そう、この土我さんのように。
◇
早朝の、冷水から彼女をすくいあげてから。
どうやら俺は、意識を失ってしまったらしい。
幼い頃の、夢をみた。
確か、恐ろしい人商人から、主様が俺を買うより前。
今はもう思い出せないけれど、とても優しい女の人に、育てられていたのだっけ。
捨て子で、鬼子の俺を拾ってくれて。
俺の見た目も気にせずに。むしろ愛しいと愛してくれた、そんなひと。
どうして思い出せないのだろう。こんなにも恋しいのに。
きっとたぶん、人を八人も殺してしまった俺にはもう、そんな幸せだった、幼いころを思い出す権利なんて無いのだろう。
そう、だから夢を見た。
幸せだったときが終わった、あの頃の夢を。
- Re: 小説カイコ ( No.407 )
- 日時: 2013/06/21 22:34
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: P4ybYhOB)
あれは確か、恐ろしい人商人の手から、俺が主様に買われてから数年が経った時のこと。
良く晴れたその日は、からりと乾いた風が吹いていて、空が眩しかった。
よくは覚えていないが、ふらふらと街を歩いていたら、いつの間にか河原に辿り着いていた。
俺は河原が好きだ。
白い砂利が広がる小さな砂漠の風景は、どこか空虚な気持ちに優しかった。白い砂漠を横切って流れる小川が、さらさらと飽きずに涼しげな音を立てている。きらきらと、眩しい光がいくつも水の中で踊っている。
そしてゴロリゴロリと、無造作に転がる死体の数々。
肌が痩せこけて、黒くなった屍は、かつて自身がヒトであったことをすっかり忘れてしまっているようだ。
河原の、ありのままの美しい自然の風景と、哀れな人間の黒い亡骸との対比が、あんまりにも明け透けで、空々しくって、虚しくて、綺麗だった。
ふと、何の気が向いたのか、俺は転がっている死体一つ一つの顔をじっくりと観察してみたくなった。彼らの表情を、見て見たかった。
腐臭のひどい陽炎に、嫌悪感を抱きながらも、死人の顔を覗くと言う禁忌を味わってみたくなった。それはどこか、少年じみた冒険心だったのかもしれない。
一番近くにあった俯せの死体を起こすと、女であった。性別の区別などつかないほどになってはいたが、辛うじて髪の長いところから、それが分かる。それに、固まった両腕を組むようにして、その中に死んだ赤子を抱えていた。おぞましいとは思いつつも、良い話なのかな、と疑問に思う。
「俺の親も……ここにいるのかな」
立ち上がって辺りを見回して見ても、ただただ青い空を仰いでみても、川の水音に耳を傾けてみても、答えは出ない。
代わりに突然、どこからやって来たのだろう—— 背の丸まった、可笑しな男がひきつった顔で、俺を見て狂ったように笑っているのに気が付いた。
「灰色! 灰色の髪ダ!
……どひゃア、コリャ、おまえさん、あン時の鬼子じゃネェか、エ?」
可笑しな男は、ヒャッ、ヒャッ、と不快な甲高い声で笑った。ふざけたように、両手をパチパチと叩く。
「……おじさん、それ、俺に言ってる?」
「オオォォ、そうダヨ。よく見りゃ似てるネェ、おめぇさん、母ちゃんに似てンナ。ヨカッタナァ、きっとイイ男になるヨォ、ヒャッ、ヒャッ、ヒヒ……ッ」
「母ちゃん? 俺の? ……おじさん、まさか知ってるのか、俺の親を」
「そうだヨォ、知ってるよォ」
ギョロリと、可笑しそうに男は目を剥く。
「綺麗なオンナだったヨ。ちっと気がぁネ、強かった、ヒヒ。……でもなァ、可哀想だったナァ、死んじまったサァ。ヒャッ、ヒャヒャァア」
「やっぱり、死んじゃってるんだ」
こつんと、足元の小石を蹴った。ぱしゃん、と音を立てて、白い石が、川に波紋を描く。
すると男は、また高い声で笑った。
「そらナ、当たり前だろ、今、ココニ、お前がいるンだからサ。可哀想だったヨオ、最期までサ、嫌ダ嫌ダってサ、泣いてたンだから。鬼の親は嫌ダァ、ってナ。残念だネェ、イイオンナだったのにサァ」
「……そっか」
「そうサ、俺らは困ったヨォ。お前をどおしようってサ。だってコロシたら呪いがコワイコワイコワイ! ンデサ、俺の提案でサ、籠にお前を入れてサ、川に流したサァ。ヒャッヒャッ、ヒヒヒ! 悪かったナァ、でも、さすがダネ。さすが鬼子! よくここまで育ったネェ。スゴイヨ、ホントスゴイヨ」
「そっか、そっか」
「ソウソウ、……ってオイ! どこ行くンダヨ!アレェ、」
知らず、俺はその可笑しな男から逃げるように、走り出していた。
あの、甲高い声が、耳から離れない。どうしてか、涙がこぼれて、視界が歪む。
聞かなきゃよかった。そんな、知らなくても良かった話。
知らないままで良かったのに。知らなかったら、幸せな作り話を、描いていられたのに。なんで、
そんな、生まれた時から、俺は嫌われ者だったなんて。
- Re: 小説カイコ ( No.408 )
- 日時: 2013/06/21 22:41
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: P4ybYhOB)
そして数年の時が経った。
主様の館の中では、一人の家人として扱ってもらえたけれど、館から一歩でも外に出れば、鬼子として周囲の人々から疎まれた。
「わーーー!鬼子じゃ、鬼子が来よったぞ、汚ねぇ汚ねぇ」
カツーン、
足元に、小石の雨が降る。
カツーン、カツーン
カツーン、カツーン
何度、聞きなれた音だろう。石の降る、蔑んだ差別の音色は。
石の飛んできた方を見ると、意地悪そうに小さな黒い瞳を光らせた、自分と同じような子どもたちが何人か見えた。薄汚れた土色のボロボロの着物をまとっていて、ここらではよく見かける孤児の集団だった。
「……。」
無言で睨み返すと、大抵の子は怯んで一歩下がったが、先頭に居た一際気の強そうな子だけは、全く動ぜずに不敵にニタリと笑った。
「なんや、やるかぁー?」
こんな奴らに構っていられるか。土我は挑発を無視して歩みを速めた。その冷めた様子が、血の昇りやすい餓鬼大将の機嫌をひどく悪くしてしまったようだった。
「おい、待てやゴラァ!」
ガン、 頭の後ろに突然鈍い痛みを感じた。思わず手を当てると、ぬっとりと生暖かい真っ赤な血が、手のひらに鮮やかにくっ付いていた。 頭から噴き出た自分の赤色の液体が目に入ると同時に、鋭い怒りが、ふつふつと心の奥から込み上げてくる。
駄目だ、逆上するな、あんなのに構うな、
そう自分に言い聞かせて、すぐに走り出した。後ろからは、ギャアギャアと騒ぐ彼らの声と、いくつもの小石が地面に叩きつけられる音。それと、バタバタと追いかけてくる草鞋の履いていない裸足の足音。
ああ、面倒だな。小さく溜息をついて、荒れ果てた鉛色の街を右へ左へと孤児たちを振り切りながらめちゃくちゃに走った。
はぁはぁと息を切らせて走り続けると、ふっと道が開け、いつの間にか河原に来ていた。
振り返ると、もうあの孤児たちは追ってきていなかった。どうやらうまく振り切れたようだ。
乱れる息を整えながら、なにとなく河原へ歩き出す。河原には、いつも通り沢山の腐乱した人間の死体がごろごろと無惨に転がっていた。そして大きなハエが、黒い群れを成してソレの周りを耳障りな音を立てて飛んでいる。
黒くなった死体の、ほとんどボロ布のようになった着物からはみ出る、何本もの痩せこけた腕や足を見ながら、急にあの、かつてここで出会った、可笑しな男のことを思い出した。
ふわりと暖かい風が吹いて、思わず目を塞いだ。穏やかな風に乗って、人の腐った臭いも一緒に流れ出す。
嫌になって天を仰ぐと、ただただ平和に晴れ渡っていた。雲一つない透き通った空色が、目にまぶしかった。
空は、こんなに綺麗なのに。どうして、どうして人の世界はこんなにも汚いのだろう。
「絶景ですよね、かような日の河原は」
突然、誰かの声がして、振り返る。
すると五丈ほど離れたところに見知らぬ少女が立っていた。腐った風にその豊かな黒髪と紺色の帯をなびかせて、眩しそうに目を細めてこちらを見ている。
一目で、身分の高いことがわかった。透き通った雪のように白い肌に、射干玉の漆黒の髪がよく似合っていた。
「あなたも、この風景に見惚れていたのでしょう?」
少女が、静かな口調で話しかけてきた。
「さぁ、どうだろう」
この少女がどこの誰なのか検討もつかないが、とりあえずこの場所はこの人には不釣り合いだと思った。
「ここは、河原は、あんたみたいな人が来るような場所じゃない。その上等の着物を腐らせたくなかったら、さっさとここから出ていくことをお勧めするね」
「まぁすいぶんと親切な人。でも私、この場所が好きなの」
少女が、一歩こちらへ歩き出す。その足の運びの流麗さに、驚くほどに。
「それに—— ねぇ、あなた、最近巷で噂の鬼子さんでしょう?」
ふわりと、また柔らかな風が、今度は意味を違えて吹いてきた。
「……ははあ、俺はそんなに有名なのかな。言わずとも見れば分かるだろう、そうさ俺がその例の鬼子とやらさ」
慣れたつもりだったが、この少女が自分に声を掛けた理由が、彼女の好奇心を満たすためだったと思うとやはり不愉快だった。
「で?その鬼子に何の用かな。あんまりからかうと痛い目に遭わせてやるぞ」
もちろん、そんな気はない。そんな無駄なことに興味はない。
ただ、野次馬女にはさっさとどこかへ行ってもらいたかった。不愉快だ。
「ふふ、面白い。あなた、やっぱり面白いわ」
「—— は?」
その時、一際風が強く吹いた。豪、という音とともに乾いた大気が揺らぐ。思わずギュッと目をつむる。
風が収まり、目を開けると、不思議なことにあの少女の姿がどこにも無かった。辺りを見回しても、一向に見当たらない。
———— もしやあの女、亡者の魍魎であったのではあるまいな。
確かに、この世の人としてはあまりにも綺麗で整ったなりをしていた。第一、あのような気品のある人がこんな死の河原に居たこと自体、疑わしい。
ふたたび一人っきりになった河原には、やはりただただ穏やかな風と、暖かな陽のひかりが、熟れた屍の山を悠々と包んでいた。
どうしたことか、近くに聞こえる川のせせらぎが、なんだかやけに真新しく感じた。
- Re: 小説カイコ ( No.409 )
- 日時: 2013/06/21 23:10
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: P4ybYhOB)
■
そこでふつりと、夢が途切れた。
億劫にまぶたを開けると、第一に視界に映ったのは見慣れない天井。それに、見慣れない、女の顔。
「あ、気が付いた」
綺麗な墨色の瞳が、こちらを覗き込んでいる。
「……お前、由雅か」
意識がぼうっとして、まじまじと彼女の顔を見る。不思議と、さっきまでの夢の続きを見ているような気分だった。少年の頃、河原で出会ったあの少女の面影が、目の前で不確かに微笑んでいるようだ。
「俺、お前に会ったことがあるかもしれない」
「そりゃあ、昨晩も会いましたけど、」
「そうじゃない」寝ていた体を起こして、同じ目線になる。「ずっと前。綺麗な晴天の日だったと思う。河原でさ、お前、俺に会わなかったか。鬼子なんて珍しいだろう、覚えていないのか」
「……どうだったかしら。そう言われてみれば、そんな気も、するようなしないような」
首を少し傾ける由雅の仕草が、やけに可愛いと思った。男みたいな性格のくせに、端々に見える女らしい仕草に、どうにも困る。
「そうだ、大丈夫なのか。あんな冷たい水の中に居て。てっきり俺は、お前が死んだかと思った。なぜあんなことをした? 馬鹿なのか」
「はは、土我さんこそ大丈夫ですか。殺人なんてはじめてのくせに昨日の晩に八人も殺して。馬鹿なんですか?」
「……要は、お互い大馬鹿だということか」
「一緒にしないでくれます?」
由雅は苛立ったように眉根を寄せた。
「そうだ、お礼。そういやまだ言っていませんでしたね。死にかけた私をここまで運んできて下さりそれはそれは有り難うございました。なんで余計なことしてくれるんですか」
驚いて言葉を失う俺を、立ち上がった由雅は腹立たしげに見下げた。
「ええ、余計なことですよ、余計なこと! わたし死にたかったんだもの!!
……いや、違う。死にたかったんじゃない、生きていくことに飽き飽きしていた。こんな平坦でつまらない人生に、無意味な繰り返しの毎日に、ただただ何の価値も見出せなかった。無意味を積んでゆくだけのこれまでの人生に、それにこれからの人生に、気怠さしか感じなかった
……聞いて下さいよ、私、入内しろって言われているんですよ。嫌ならさっさと結婚してしまえと。年を食えば女は売れ残るからって。全部ぜんぶ、親の昇進のためですよ。できるだけいい位に就きたいのでしょう。
でもそうやって、親や親戚のために、彼らの言うことを聞いて、世間一般の大人しい妻になって、鼻持ちならない夫の装飾品として生きて、老いて、死んで。……そんな人生に何の価値があるの? 何の意味があるの? それなら面倒くさい生を積むだけ無駄でしょう?
はは、でも、そんなことさえも叶わなくなっちゃった。昨日、鬼に入れられた八日目の入れ墨のせいで。入墨のある女なんて、どうにもなりませんからね。やがて家の者にも入墨のことはバレてしまうでしょう。そしたら私、どうなるでしょうね。父親の昇進の道具にもならない娘など、どうなるのでしょうね」
豪雨が叩きつけるように、吐き出された言葉。
地団太を踏みながら早口に喋る彼女は、まるで幼い子どもが駄々を捏ねているようだった。
それから、だいぶ喋ってすっきりしたのか、由雅は一息つくと、諦めたようにからからと笑いだした。乾いた憂いの笑い声は、とてもよく静かな部屋に、不思議と響いていた。
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