コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- Re: 小説カイコ ( No.427 )
- 日時: 2013/11/02 10:09
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: 9BM3Sh1T)
○百年後
あれからさらに百年後。
僕は、街を離れて、人里を離れて、山奥深く、鬱蒼とした緑の世界のなかに閉じこもっていた。
山はいい。
本当の自然とは、かつていままで人の足が入ったことのない不気味なもののことだ。人の手の届かない自然は、とても凶暴だしとても野蛮だ。そして、遥か太古の、それこそ人など一人も居なかったであろう原始の世界の空気が、まだ濃厚に立ち込めている。
そう、本当の自然とは、こんなもの。
この鬱蒼とした、木々に覆われ蔦に隠された世界には、空もない。
上を見上げても、ただただ沢山の葉が、僕を覆っているだけだ。ときどき、はらはらと、その一枚一枚が、舞うように落ちてくる。くるくる回って、楽しそうだ。
小鳥も、獣も、何もやって来ない。
ここに居るのは、僕と、樹だけ。
そんな中、一際目立つ大樹がいた。僕は彼が好きだった。
まるで大地を吸い尽くすように這われた大きな根に、見上げても収まらないほどに高い樹高。黒く威厳のある幹の色は、ほかの誰にも負けはしない。
人外と成り果て、幾千の時を生きる僕だけれど、彼は僕の何倍も長い年月を、こうして一人、生きてきたらしい。
そっと幹に手を触れると、ひやりとしていて、冷たかった。言葉など通じない。けれど、どこか心は通じていたように思う。
小鳥も、獣も、もちろん人も。
誰もやって来ない。誰もわからない。誰も知らない。
そしてもちろん彼も、そんなことなど知りもしないし、知ろうともしない。ただただ、大地にしっかりと根を張って、大空に腕を広げ挑み続けるだけなのだ。
そう、これがほんとうの孤独。
同じ孤独ならば、彼と同じように、樹として生きたかった。
僕はどうせ誰とも交じり合えない存在なのだ。ならば、初めから人の温かさなど要らなかったものを。
手に入らないと分かっているものを、どうして天は、僕に見せ付けたのだろう。
まるで陽だまりのような、きらきらとして優しいものを、どうして知らなければいけなかったのだろう。こんなに求めてしまうのに。こんなに哀しいのに。知りさえしなければ、僕もこの樹のように、孤独だけを知って生きていられたのに。
・・・・・・孤独?
あれ、おかしいな。どうして孤独を感じるのだろう。
孤独しか知っていないなら、孤独など感じないはずだ。どうして?
ああ、それは僕が人の温かさを知ってしまったからだ・・・・・・人の温かさ?
人の温かさ。それは一体なんだっけ。
でも確かに、覚えている。でも、それが何で、どんなものだったのか全く思い出せない。僕は昔、いったい何を経験したのだろう?
・・・・・・思い出せない。
知っているはずなのに、思い出せない。
そんなことを思いながら、僕はずっと彼を見上げる。ほんとうに大きな樹だ。
どれだけ見上げていたのだろう。たぶん、数年は経っているに違いない。それでも、見飽きない。
「はは・・・・・・、ずっとこうやって突っ立ってれば、僕もあなたみたいになれるかな」
百年ぶりに言葉を発すると、どうした訳か急に森に風が吹いた。
こんな密林に、風が吹いたことなど、今まであっただろうか。
嫌な予感がして振り向くと、少し向こう、そこにはやはり何かが立っていた。
「やあ土我、久しぶり」
突如姿を現した、真っ青な水干を着た男が僕に手を振った。
「・・・・・・誰?」
真っ青な水干こそ目新しかったが、確かにどこかで見覚えのある男だ。
「ひどいなあ、忘れたのかい?」男は愉快そうに笑う。「矢々丸だよ、ほら、えっと・・・・・・八百年くらい前に、一緒に都の主様にお仕えしていたじゃないか。ほら、陰陽師の主様にさ、一緒に人商人の檻から買ってもらったじゃないか」
「・・・・・・ああ、」
古い記憶を手繰り寄せる。確か、あれは、僕がまだマトモだった頃。
「思い出した。そういえばそんなこともあったな。そう、僕は鬼子と呼ばれていた。そうだ、リトは?元気?」
そう、リト。あの少女を助けるために、僕は赤鬼の取引に応じて、はじめての殺人を犯したのだっけ。
「おいおい、冗談キツいな」
矢々丸は手を打って笑った。
「ずっとそうやって木と話していて頭が可笑しくなったんじゃないか
? 今は江戸の世だぞ。あれから何百年経ったと思ってるんだ。リトが生きてるわけないだろう。もし生きてたとしても、そらもうリトじゃないわな、そりゃ鬼だよ、鬼」
「そうか・・・・・・」
彼の言うとおり、どうやら長い間人の言葉を使っていなかったせいで、どうも僕は大事なことを忘れていたらしい。それに、僕が昔、主様に仕えていたことや、さらには矢々丸のことも、リトのこともすっかり忘れていた。今、言われてはじめて思い出した。
「あれ、矢々丸じゃあ、おかしくない? どうしてお前は生きているんだ。もしかしてお前も、鬼なのか」
「あったりー」
ザザザッ、と彼が人外の速さで僕に近づいた。
「この通り俺もお前と同じ人外さ。今では人里では人食いの青鬼と呼ばれていてね。お前はあれか、灰色だから灰鬼か?」
「別に、そんな二つ名ないけれど」
驚いたことに、確かに彼の青い水干の服からは、人の血の臭いがした。
「人食いの青鬼と言ったな。人を食っているのか」
「おうよ、そら鬼だもの。お前もだろう?」
「いや、そんなことしたことないよ。ああ、でもまだマトモだったころ、主様がお亡くなりになってからあんまりにも飢えたものだから、道端に倒れていた餓死体を食べたことならある。・・・・・・最悪だったな」
「いやいや、」彼が首を振る。「俺は死体など興味ないわ、生きている人を喰うのよ」
彼に、だんだんと嫌悪を感じてきた。
そんなことをする意味がまるで分からないし、第一、どうして彼は僕に会いに来たのだろう。僕はこうして、大樹と喋っているだけで満足だったのに。
「それで、何の用? 突然来て」
「そう、それよ。 ・・・・・・なあ土我、一緒に人里を襲わないか? 愉しいぞ、人が逃げ戸惑うのを見るのは。何度やっても愉快だし、飽きない」
「なぜ、そんなことをする」
「それはなあ・・・・・・なあ、笑わないで聞いてくれよ? 俺は、俺は・・・・・・神になりたいのだ」
唖然とした。
この男は、一体、何を言っているのだろう。
「呆れたな、お前こそ人の肉を喰い過ぎて頭が可笑しくなったんじゃないか」
「いや、馬鹿にしてくれるな。奥州の方にな、目をつけている村があるんだ。そこの守り神は蟲神とかいう神でな、女の神だ。もとの名前は白絹姫とか言うそうだがな。弱い村なのだ。それで、その村を襲って白絹を倒して、俺が神座に着く。易いことよ、どうだお前も一緒に?」
その時、僕は矢々丸の話など聞いている余裕がなかった。
体が、何かおかしいのだ。そして驚くことに、自分の体から、血が、出ていた。胸の真ん中が割れて、そこから黒い血が溢れてくる。
「おい? 土我?」
さすがに熱に浮かれたように話していた彼も僕の様子がおかしいと気がついたようで、胸元を押さえる僕を見返した。
「なんだよ、急に」
「よく分からないけど・・・・・・」
自分の胸からは、ついには剣の柄のような部分が皮膚を破って、突き出してきていた。
「なんか、俺の体から、何か、出てこようとしてるみたいだ・・・・・・」