コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- Enjoy Club 2章 第2話『灰に染まる波』(4) ( No.129 )
- 日時: 2011/09/30 11:33
- 名前: 友桃 ◆NsLg9LxcnY (ID: AEu.ecsA)
- 参照: 2ページです
屋敷へと入った白波は、この間麗牙のメンバーと向かった大広間とは違う部屋を目指し歩いていた。あの広間は基本的にウィルや扇を通すときだけに使われる場所で、普段影晴はあまり出入りしていない。その代わりによく使うのが、この屋敷の大半を占めている実験室や、今向かっている休憩室とも書斎ともとれる小さな部屋だった。
閑散とした冷たい廊下を表情ひとつ変えずに歩く。途中上った階段は、1人で使うにはもったいないほどの広さだ。廊下も階段も電気はちゃんと付いているのにどことなく薄暗く、通る者の緊張感をあおってくるようだ。もっともこの屋敷を歩きなれている白波は、緊張なんてほとんど感じていなかったが。現に肩の力も結んだ唇も適度に力が抜けている。
そう時間がたたないうちに、白波は目的の部屋にたどりついた。ほぼ等間隔に並ぶ扉の中の1つ。ごく普通の大きさの茶色い扉だ。白波はその前に立つと、何のためらいもなく手の甲で二度ノックをした。ここで影晴が中にいればちゃんと返事が返ってくるのだが、今回は少し待っても何の反応もない。嫌な予感が頭をよぎり、わずかに顔をしかめる白波。それでも気が進まなそうにドアノブを握り、ゆっくりと扉を開いた。
開いた瞬間、古い本独特のにおいが鼻をついた。それも当然、その部屋は分厚い専門書や実験資料のおさめられたファイルで埋め尽くされていたのである。壁にはずらりと本棚が並び、その本棚に囲まれるようにして年期を感じさせる机とふかふかのソファーが置いてあった。よく使う小物も棚や床に置いてあったりする。普段使っているのがその見た目や空気からよくわかる部屋だった。そしてその中央のソファーには、予想通りの人物が浅く腰かけていたのだ。
——天銀である。彼はいつも通りのオーソドックスなスーツ姿で、テーブルの上に置いた資料に視線を落としていた。所々はねた長めの茶髪がその視界を邪魔していたが、気にも留めていないらしい。ちょっと前かがみになって資料に意識をやっているその姿は、素直にみれば一心不乱に文章に読みふけっているようにも見えるが、あいにく白波の目にはやることがなくてとりあえず目の前の紙切れに目を向けているようにしか映らなかった。テーブルの上には資料から離してティーカップが置いてあったが、中身はほとんど飲まれないまま冷え切ってしまっている。その状況をざっと確認して、白波は柄にもなく肩を落とした。
——……最悪だ
白波が部屋に入ってきてからも、いっこうに顔を上げない天銀。入ってきたのが影晴でないことはわかっているのだろう。一瞬影晴を探しに行こうか迷いはしたが、彼が今何をしているかはだいたい予想がつくのでやめておいた。ドアを開いた体勢のまま、他に時間をつぶせそうな部屋を頭の中で思い浮かべてみる。しかしいくら考えたところで、結局ここで待っているのが一番手っ取り早いのだ。天銀がいるということは、かなりの高確率で影晴はここに帰ってくるのだから。
重く息を吐き出して、白波はようやく扉を閉めた。天銀が今さらながらに目を上げこちらを見てきたが、構わず部屋の奥へと足を進める。奥の壁に並んだ本棚。それを埋め尽くすいかにも難しそうな専門書の数々。白波は本棚の脇の壁にもたれかかり、なんとなく本の背表紙を眺めていることにした。『量子科学計算の応用』『原子吸光の実験と分析』『解剖生理学による人体の構造と機能』……。ひとつ、ふたつみっつと、白波の頭にクエスチョンマークが並ぶ。なんともチンプンカンプンなタイトルだ。白波は思わず眉根を寄せて、横目でちらりと天銀の背中を見た。おそらくこのよくわからないタイトルの本を彼は理解できるのだろうし、影晴にかかってはたやすく応用まで出来てしまうのだろう。
それにしても、白波がその場所に落ち着いてからも天銀は声すら掛けてこない。ただひたすらテーブルの上の紙に視線を落としている。しかしどの程度真剣に読んでいるかはかなり疑わしく、先程からページをめくる音すら聞こえなかった。白波も全く人のことは言えないが。
一応本棚に目を戻してはみたものの、もはや字の羅列が視界に並んでいるだけで、意味は全く頭に入ってこない。そうしてお互い無言のままじれったいほどゆっくりと時が過ぎていった。徐々に背表紙を見る目が睨むような目つきになってきた白波は、唐突に一言ぶっきらぼうな声を投げた。
「影晴は」
「3階の実験室だ」
即答。だが白波に負けないくらい、あるいはそれ以上に抑揚のない声。白波はそれ以上なにも言わず、壁に背を預けたまま腕を組んだ。
地下ではなく3階の実験室ということは、そう大規模な実験ではない。きっとすぐにここに帰ってくるだろう。それまでは待ちぼうけだ、と白波はあっさり目を閉じる。
元々天銀が物音一つ立てずに自分の世界に入っているため、当然部屋は人っ子一人いないような静寂に包まれた。まるでお互いの存在を認識していないかのような奇妙な沈黙がしばらく続き、さしもの白波も瞼を上げで前方の床をじっと見据える。組んだ腕に無意識に力がこもった。これが他の誰かだったら、何の苦痛でもなかった。仮に一緒にいるのがウィルだったら、こんな沈黙いくら続いたって平気だったはずだ。しかし、天銀だと話は別である。
ワインでも持ってくればよかったと内心後悔し始めた時、ノックもなしに突然扉が開いた。そして、実験用のラフな服装に汚れた白衣を羽織った影晴が姿を現したのである。入口の方に顔を向けて彼の姿を見た白波は、つい小さく息をついてしまった。