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Enjoy Club 2章 第4話『知る者、知らぬ者』(1) ( No.239 )
日時: 2012/08/03 06:22
名前: 友桃 ◆NsLg9LxcnY (ID: KZXdVVzS)

 学校の支度を終えて玄関に行くと、弟の葵が慌ただしく運動靴を履いていた。小さくあくびをしながら履き終わるのを待っていると、つま先を床に打ちつけながら顔を上げた葵が鼻で笑って言った。

「大口開けてあくびしてんなよ、バカ姉貴!」

 口元にあてていた手を下ろし、むっとして弟をにらむ。

「大口なんか開けてないのです! それより早く外に出——」
「つーか姉貴なんで今日こんなに早ぇんだよ」

 葵は私の台詞を無視し、顔をしかめてそんな呟きを漏らす。いつもながら姉に向かっていい態度である。私も弟に対抗してべっと舌を突き出し、彼の疑問は無視してやった。葵が前髪をとめたピンをいじりながらわざとらしくヘンなものを見る目でこちらを見てきたが、そんな視線は気にしない。私は靴箱を開け、緩慢な動作でローファーを探した。

 今日はこれから体育祭の練習がある。いわゆる朝練というやつだ。おかげでいつもよりかなり早めに家を出なくてはならないことになり、生意気な中学生の弟と玄関ではち合わせるというあまりよろしくない状況になってしまったが、体育祭のためだ、仕方がない。でも、これから毎朝葵の憎まれ口を聞かなくてはならないのかと思うとやっぱりちょっとげんなりしてしまう。

 靴箱から取り出したローファーを足元に置き顔を上げるのと同時に、葵が勢いよくドアを開けた。途端に、もはや神々しいまでの白い光が私の体に照りつける。あまりの眩しさに目を細めた。

「行ってきまーす!」

 さすが私と違って通常運転の中学生。学ランの背中に部活用の大きなスポーツバックを背負って、元気よく声を上げた。私と同じ茶色い髪も、比較的かわいい部類に入る横顔も、白く明るい光に照らされている。日焼けしそうだなぁと、眠った頭でぼんやりそんなことを考えている私の横で、母親が「いってらっしゃい」と手を振った。
 母親の見送りの言葉を聞いて葵は外に駆け出して行き……、しかしなぜかすぐに玄関に戻ってきた。忘れものかと目をぱちくりする私と一度だけ視線を合わせ、なぜか彼は決まり悪そうに目をそらした。

「そーいや姉貴さ、あれ……知ってる?」
「はい?」

 “あれ”というのが皆目見当がつかなくて、私は思わず裏返った声を上げる。熱を伴った外の光を背に浴びながら、葵はきょときょとと視線をさまよわせている。

「いや、だから紫苑先輩の……、——あぁもう別にいいや! 何でもねぇ! 行ってきます」
「は!?」

 葵は投げやりにそう言って、今度こそ家を飛び出していった。私は母親と顔を見合わせ首をかしげあった。





 残暑、と世間ではそう言われている。もう9月も下旬。体育祭本番まであと1週間ちょっとしかない。顎を伝い落ちる生ぬるい汗をハンカチでおさえ、私、友賀亜弓は短い通学路を1人で歩いていた。
 今日は珍しく隣に“あの子”がいない。いつも一緒に登校しているクラスメートであり親友でもある、荒木恵玲。今朝、学校に遅刻していくというメールが届いていた。
 たまに通る車を気にしながら、一歩、また一歩と重い足を前へと進めていく。足が重いのは別に学校に行きたくないからではなく、単に暑さにやられているせいだ。せっかく家で日焼け止めを塗ってきたのに、こんなに汗をかいては台無しである。再び汗をぬぐって、家から持ってきたペットボトルのお茶を口に含む。

 そのときほんの一瞬だけ風がスカートのすそを揺らした。それだけでも私はほっと息をつく。なにげなく手をかざして前方の空を見上げると、澄んだまっさらな青が広がっていて、思わず笑みがこぼれた。





 私が出てきたアパートの陰に、2人のがたいのいい男が潜んでいた。彼らは何やらこそこそとささやき声で言葉を交わしている。

「あの大人しそ〜な奴が本当に紫苑の女なのかよ」
「そうらしいぜ。でもアイツなら楽に後藤さんのとこへ連れて行けそうだ」

 2人の口元に嫌な笑みが浮かぶ。

 私はそんな背後の会話にも視線にも気付かずに、いつも通りの日常を送ろうとしていた。