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Enjoy Club 2章 第1話『愛しき日常』(2) ( No.27 )
日時: 2011/06/19 20:27
名前: 友桃 ◆NsLg9LxcnY (ID: AEu.ecsA)

 風音高等学校、通称風高。2学期を迎えたこの学校では今、体育祭の話題で持ちきりである。風高は元々行事に積極的な生徒が多く、男女関係なく皆が遠慮なしに本気を出せる良い空気を持った学校だ。冷めた空気なんて微塵もない。そんなだから生徒全員参加の行事である体育祭は、風高の一大イベントなのだ。本番は9月の下旬。2学期が始まって間もない時期にあるので、のんびりなどしていられない。夏休み前から発足している実行委員会を中心に、色分けやクラスTシャツ、係りや競技の内容が順調に決められていった。
 イベントの外枠を形作っていく委員会とは逆に、一般生徒は当然もっと具体的で自分に直接関係のあることに関心を寄せる。つまりクラスTシャツのデザインだとか、自分の出場する種目などに、だ。——その日は特に、全クラスHRのある曜日で出場種目が決まるため、学校全体が色めきだっていた。



 1年3組の担任——まだ若い新人教師である川島誠は、種目振り分けの最後の最後が決まらず、途方に暮れていた。

 1時間目に開かれたHR。体育祭係が、大変な競技になかなか立候補しないクラスメートをどうにかこうにかリードして、1人2、3種目ずつで割り振ることには成功したのだが、最後、目玉種目である“男女混合リレー”だけがひと枠余ってしまったのである。3組はリレーにかなり重きを置いてメンバー決めをしたため、適当に残りひと枠を埋めるわけにもいかない。しかもリレーはそれだけで4種類の種目があり、1人2種目までしか出れないことになっているので、重複出場にも限界があるのだ。しかし、途方に暮れていたと言っても、この状況を打開する方法が全く無かったわけではない。それどころか、それ以上にない最良の方法が川島の、そして3組の生徒皆の頭に浮かんですらいたのだ。しかしその案を、隣の席の子と小さな声で相談する生徒はいても、クラス全体に提案するものは1人としていなかった。

 教壇の端に置いたパイプ椅子に腰掛けている担任の川島は、ぐるりと教室を見回し、ふとある生徒が目についた。割合大人しい生徒の集まるこのクラスでは、かなり立場の強い位置にいる町田美沙である。長い髪の毛先をいじりながら、彼女はチラチラと後ろの方の席に視線をやっていた。その視線の先にある席を見、やはり彼女も同じことを考えているのか、と嘆息する川島。仕方がない、と彼はぼそっと独り言のように呟いた。

「紫苑さえいれば、綺麗に事が片付くんだけどなぁ」

 腕を組んでふぅっと息を吐き出す。皆の気持ちを代弁しているはずの言葉だった。生徒の視線が一斉に自分に集まり、ついでそれらは吸い寄せられるように一番後ろの席に向けられた。本当なら紫苑風也が座っているはずのその席が、今は空っぽだ。何か枷が外されたかのようにざわめきだす生徒達。皆もやはり川島と同じことを考えていたようだ。そんな彼らをよそに、川島は空っぽの席をじっと凝視していた。

 紫苑風也は、1学期の頃から不定期に無断欠席や無断遅刻を何度か繰り返している生徒だった。留年生なので前の担任から去年からそうだったということと、それでも去年よりはかなり頻繁に学校に来ているという情報を聞いていたので、やや前向きにとらえてはいたが、やはり担任としては彼のことが心配なのだ。いくら有名な不良とはいえ、自分のいち生徒であることには変わりがない。しかしそう考えられるのは、彼が教室では案外と大人しくしている生徒で、暴力的な事件なども全く起こしていないからだ。大人しいといってもそれは授業中寝ているためだったりするので、どちらにしろ褒められたものではないが。
 噂によると、彼は随分喧嘩が強いようだ。殴る蹴るの喧嘩だなんて川島自身は小学校以来経験したことがなかったが、おそらく相当な運動神経と体力が必要だろう。そうでなくても紫苑風也は見た目からしていかにもスポーツができそうな人物なのである。イメージにものを言わせるのはあまり良いことではないが、どうしたって期待せずにはいられない。

 ただ、と川島は顎に手をやり眉間にしわを寄せる。
 正直言って川島は、紫苑風也という人物をほとんど知らない。4月に行った教師と生徒の二者面談も彼は当然のようにすっぽかしたし、アンケートなどのプリントも提出した試しがない。もちろん……と言っては悲しいが、彼と個人的に1対1で話したことなんて全くないのである。——いや、追試の説明のときは例外か。
 川島が第三者の目で見て彼に関して気付くことと言ったら、4組の4、5人の女子と比較的仲良くしていることと、3組——つまりクラスメートとは目立つ交流をとっていないということだ。彼自身交流をとる気なんてないようにも見えるが。唯一担任として救いなのは、3組の生徒達が徐々に紫苑風也を思っていたほどの不良ではないと認識し始めていることくらいか。

「良い意味でも悪い意味でも大人しい奴みたいだからなぁ……あいつは」

 思わず独り言をもらし瞼を上げて教室を再びぐるりと見回すと、先程の町田美沙とがっちり目が合ってしまった。最初は偶然かと思ったが、彼女がわずかにつった目をそらしたりこちらに向けたりと迷う素振りを見せるので、すぐに彼女が何かを言わんとしていることに気が付いた。川島が目で問いかけると、町田は笑い混じりに話を振ってくる隣の席の友達を無視して、内緒話をするように囁いた。しかし内緒話にしては、やけに力のこもった熱い声だった。

「あっ、あたし風也くんの電話番号知ってるから……あとあたし男女混合に出るしっ。今、風也くんに聞いてみます……っ」

 次の瞬間、川島だけでなく話しかけてきていた友達も驚きに目を見開いていた。しかしその理由は川島とはちょこっとばかし違っていたようだ。目をまん丸にした町田の友人は、すぐに顔じゅうに光を弾けさせ、黄色い声を上げたのだ。

「ちょっとー美沙ぁ! 初でしょ電話! やるじゃん、ちょー積極的じゃんっ。がんばって!!」

 ディープピンクの携帯を両手で握りしめた町田の顔が、ぽっと火が付いたように真っ赤に染まる。川島は思わずむむっと眉を寄せた。恋愛方面に比較的疎い彼でも、すぐに勘づくような会話と表情だ。

 川島は町田の気持ちに気付いたことが彼女にばれないように、冷静な表情をどうにか作った。

「……それじゃあ今でいいから紫苑に連絡をとってみてくれるか」

 意識しすぎて逆に声が固くなってしまった。しかし町田は気付いた風もなく、「うんっ」と声に出して大きくうなずいたのだ。普段は結構クールに見える子なので、それは少し珍しい光景だった。

 すると彼女は予想外に躊躇のない速さで携帯電話をプッシュし始めた。その手元を彼女の友達が身を乗り出して覗き込む。町田の口元には、心底うれしそうな笑みが浮かんでいる。
 すっかり乙女な町田が携帯を耳にあてた、数秒後——

「——風也くん!?」

 町田の感激に満ちた甘く跳ねるような声が、三組中に響いた。