コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- Enjoy Club 2章 第4話『知る者、知らぬ者』(9) ( No.313 )
- 日時: 2013/06/16 10:37
- 名前: 友桃 ◆NsLg9LxcnY (ID: KZXdVVzS)
- 参照: 久しぶりすぎてドキドキ←
バニラエッセンスの甘い香りが、オーブンからふわりともちがってきた。もう何度も経験していることなのに恵玲は思わず口元を緩めてしまう。ゆっくりとオーブンに近付き中をのぞくと、オレンジ色の光の中に円形の型が見えた。まだ焼き始めてから10分も経っていないので生地は膨らんでいないようだが、そろそろだろうと恵玲はにんまりと笑った。
今回の任務の標的である不良たちから難なく獲物を盗り上げた恵玲と水希は、足取りも軽く早々に家へと引き上げていた。もちろん、もはや麗牙光陰の家と呼んでもいいような定番の場所となっているウィルと白波の家である。しかし当の家主は2人ともいない。白波はいつも通り音信不通の行方知れずの状態で、ウィルは任務の報告に主の元へと向かっていった。白波はともかくウィルはもう十数分もすればここに帰ってくるだろう。
そして先に帰宅した恵玲と水希が何をしているかというと、のんびりケーキ作りをしているのである。
「あぁ〜、今日も任務楽しかったぁ」
オーブンの近くの椅子に腰かけた恵玲は、大きく伸びをすると同時に明るい声を上げた。恵玲の唐突な声に、水希は小さく笑っている。彼女もエプロンを外しながら、恵玲の向かいの席に座った。
「あっという間だったよね」
「もちろんだよぉ。あんな雑魚たちに時間なんてかけないもん!」
後藤達が聞いたら頭を沸騰させて怒りそうな台詞を、恵玲はよく通る可愛らしい声でしれっと言い放った。水希がもう一度小さく笑った。
——恵玲は思う。自分はきっと、能力者としての生活が本当に性に合っているのだろう、と。能力を持って生まれてきたこと自体は自分でも正直不気味に思うし不安はある。未だに亜弓に打ち明けられていないことがずっと胸の中でわだかまっていたりもする。それでも、能力を使って任務をこなすことは他にかえ難い快感だった。
頬杖をつき、あらぬ方向をぼんやりと眺めながらそんなことを考えていると、正面から、「あのさ……」と控えめな声がした。水希だった。一拍遅れて我に返った恵玲は、目をぱちくりさせて彼女を見た。
「あっ、何? どうしたの?」
水希は何やら神妙な面持ちでテーブルの一点をじっと見つめていた。内心首をかしげながら静かに待っていると、やがて彼女は重たい口を開いた。
「前影晴様の屋敷に皆で行ったとき、影晴様言ってたよね? “これからE・Cの勢力を拡大する”って」
ゆっくりと目を見開く恵玲。正直、今の今まで忘れていたことだった。なぜかって、あの主の宣言以降具体的に何も変化がないからだ。しかし水希は、その不穏な空気を感じる宣言がずっと気にかかっていたらしく、目を伏せたままゆっくりと言葉を紡いでいった。
「私、恵玲姉ちゃん達も影晴様も大好きだからE・Cのことは大好きなんだけど、……能力のことはそんなに好きじゃないの。だから能力を使いすぎるのは気が進まないんだけど、E・Cの勢力拡大するってことはたぶん能力使う機会が増えるってことでしょう? だから不安なのが消えなくて。……それに、もしかしたら能力者も私たちだけじゃ足りなくなるかもしれな——」
はたと、水希の言葉が途切れた。上げた顔に、驚きと不審が入り混じったような感情がじんわりと広がっていく。そしてそれは、恵玲も同じだった。
勢力を拡大して能力者が足りなくなったら、単純に考えて能力者を増やすことになるだろう。だが、
——……能力者を、“増やす”……?
お互いの顔を見つめあったまま、重い沈黙が流れる。
——……能力者って意図的に増やせるものなの……?
自分は今、確実にひきつった笑みを浮かべていると恵玲は思う。
そのままどれくらいの時間がたったのだろうか。玄関の開く音で、2人は我に返った。ウィルか白波が帰ってきたのだろう。改めて正面を見ると水希が血の気の引いた顔で表情をこわばらせており、恵玲はとっさにテーブルの上にある彼女の手を力強く握った。
「影晴様の言う“勢力拡大”っていうのは、たぶんあたし達が想像していることとはちょっと違うことなんだよ。だから大丈夫!」
恵玲は、胸の内の不審感を無理やり隅に追いやって、力のこもった声で言う。今ここにウィルがいれば、きっとそう言って水希を励ましたはずだ。自分達は、影晴のことを信じるしかない。特にウィルと水希は、それがやや盲信的な域までいっていることに当の本人達も、恵玲もとっくに気付いている。でも、だからこそ2人の影晴への信頼は繋いでおかなければ、と恵玲は握った手に力を込めた。ウィルと水希にとって、影晴は心の支えだ。もちろん恵玲にとってもそうだが、2人は特にそれが強いように思う。勝手な憶測で、信頼を失ってはダメだ。
果たして水希は、まっすぐな目をこちらに向けてはっきりとうなずいてくれた。その目が今はやけに健気に見えて、恵玲は少し泣きそうになった。もしかしたら、主のことに関しては自分がしっかりしなくてはいけないのかもしれない。初めて恵玲はそんなことを思った。