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Re: 『花言葉』—気まぐれ短編集—【クローバーの花言葉】コメ求む ( No.7 )
日時: 2012/01/24 22:33
名前: 火矢 八重 ◆USIWdhRmqk (ID: kGzKtlhP)

イチゴ

 始まりは、娘の一言だった。

「ねえ、おかあさん。わたしのなまえはなんで『いちご』なの?」


 まだ四歳にも満たない娘の言葉に、私は暫く目を瞬かせてしまう。——何でいきなり?
 そう言おうとしたが、寸の字で留めた。好奇心旺盛な娘は、何時もあっちこっちに興味を持つ。会話が唐突なのは日常茶判事だ。


 ——そう言えば、と私は想う。まだ、この子にはあの事を話していなかったな、と。


 あの事がきっかけで娘に『苺』と名付けたのだ。丁度いい、娘に話してやってもいいかもしれない。
 私は娘に話しながら、脳裏にあの暖かいあの日が鮮やかに蘇っていた。




 あれは、娘が生まれる少し前。私は妊娠八カ月を迎えていた。
 実の父母や、夫の父母、それに友人たちに祝福され、周りからはとっても優しい言葉を頂いた。

 だが、あの日は何故か、とても不安と恐怖を感じていた。——私は無事に、子供を産めるのかと。
 出産の事を調べると、大体は八時間も痛みを感じるらしい。そんな中、自分は陣痛に負けずに産めるのだろうか。
 もう一つあった。産むということは、もう一つ命が誕生するということ。命はとても重くて、軽く扱ってはいけない。もし自分の不注意や、ほんの些細な事で子供を死なせたり傷つけたりしたら……そんな不安や恐怖が纏わりついて、狂ってしまいそうだった。
 私は気を紛らわす為、私は少し外に出かけることになった。


 外はとても晴れて、気持ちが良かった。商店街は賑わい、心地いい位の人の声が聞こえる。
 八百屋さんのおじいさんに、「お腹目立ってるね。もうすぐかあ」と目を細めて言われたり、肉屋のおばさんに、「おめでとう」と祝福された。

 だが、私にとってはそれは苦痛でしかなかった。
 自分はちゃんとこの子を産み、育てられるのか。痛みに負けず、産めるのか。


 ——一瞬、私の心の隅に、『中絶』という言葉が浮かび上がった。


 その時、私のお腹の中に居る赤ん坊が蹴った。はっと我にかえり、少しでも思った自分を叱る。


——そんな心にもない事を思ってはだめだ。


怖いからって、『楽』に逃げてはいけないのだ。逃げれば、絶対私は後悔する。一生自分を責め続ける。
 判っている。けれど怖い。

 はあ、と私は思わずため息をついた。自分がとても情けない。
 母は私を産んで、ちゃんと私を育てたのだ。立派な人間……とまではいかないが、ちゃんとした大人には育っている……ハズ。
 母のような強さが欲しい。弱い自分に、少しでも勇気を与えて欲しい。
 行くあても無く、私は商店街を歩き続けた。




 ——……あれ?


 気づくと、私は全く知らない所に居た。
 ぼー、と歩いていたからだろうか? だが、ここらの道には詳しいハズ……だった。
 とても暖かいお昼の時間から、いつの間にか、少し寒い黄昏の時間になっていた。暗くなっていて、周りが多少……いや、とても不気味だった。
 背筋がスッ、と凍りつき、どうしよう、と焦っていると、目の前に花屋さんがあった。少し寂れているが、雰囲気はとても良い。
 良かった! と私は思った。ここらで花屋さんを経営してるなら、ここらへんの道にも詳しいだろう。私は天にすがる思いで店に入った。


 店に入ると、中は取っても暖かかった。暖かい光に包まれ、花の良い匂いが香っている。

「『黄泉の花屋』へ、ようこそおいで下さいました」

 店の奥から声が聞こえた。振り向くと、そこに小さな女の子がたっていた。
 十歳ぐらいだろうか。オレンジのエプロンをかけ、長い黒い髪はおかっぱにしている。幼いとはいえ、顔立ちは綺麗に整ってあった。
 ……ああ、私の子供はこんなにも綺麗な顔立ちで産まれるのだろうか。

 色々妄想していたが、はっと我に帰り、私は女の子に道を尋ねた。
 すると女の子はニコニコと笑って、仕事が少し片付いたら途中まで送りますと言ってくれた。そう言うと女の子はすぐに店の奥へ行く。
親の手伝いをしているのだろうか? 何と言う心やさしい子供なんだろう。今から生まれてくる子供は、私の手伝いをしてくれのだろうか。

 そんなことを思いながら、ふと棚に並んでいる花が目に映った。
 白くて小さな花だった。鉢に植えられてあり、入りきれないように鉢の外にホイホイとツタが出ている。
 可愛らしい花だった。何の花だろう? と思っていると、女の子は仕事が終わったのか店の奥から出て来た。

Re: 『花言葉』—気まぐれ短編集—【クローバーの花言葉】コメ求む ( No.8 )
日時: 2012/02/04 21:15
名前: 火矢 八重 ◆USIWdhRmqk (ID: kGzKtlhP)

「お待たせしました。では行きましょう」
「あの、この花は何ですか?」

 私は思わず敬語で聞いていた。——恐らく、女の子には大人のような印象を持っていたからだ。敬語だったから、というのもあるかも知れない。
 女の子はニコニコと笑いながら、答えてくれた。

「その花はイチゴですよ」
「え? イチゴ?」

 私は思わず聞き返す。
 イチゴは、クリスマスのイメージがあったからだ。

「イチゴはクリスマスのイメージが強いですが、実は春が旬なんです。今は品種改良でクリスマスに出てくるものが多くなりましたが、やっぱり旬のモノは美味しいですよ」

 心の中で思っていた私の疑問を、女の子はサラサラと答えた。
 ヤバイ、顔に書いてあったか? それとも口に出していたか?
 私が悶々と考えているのにも構わず、女の子はニコニコと続けた。

「貴女は今、お腹に赤ちゃんを抱えてますね」
「え? あ、ハイ」

 そう言われて、私は思わず大きくなったお腹をさすった。ポンポン、と蹴った感触を感じる。——またチビが蹴ってるな。
 思わず微笑んでしまい、女の子も私のお腹を見ながら、ニコニコと笑って言った。

「不安ですよね、赤ちゃんを産むのって。育てるのも、もっと大変。だって、とても重い命だから。気を重くするのは、とても当たり前の感情です」

——その言葉に、私は撫でた手を止めた。まるで、自分の心を見透かされたようだったから。
 いくら感情や思っていることを顔に出してしまう私でも、出産に対しての不安や恐怖は、一度も顔に出さなかった。ずっと一緒に居た夫や家族にも全くばれなかった。
 それなのに。この女の子は、いともあっさりに私の不安と恐怖を見抜いた。
 驚きはあったが、不思議にも怖くはなかった。寧ろ、判ってくれる人が居て、安堵とほっとしたモノがあった。

 女の子はイチゴの鉢を持ち、私に問いかけた。

「イチゴにまつわるお話、聞いたことあります?」

 私は首を横に振ると、女の子は私に騙った。
まるで、子供に昔話を聞かせるような母親のようなまなざしで。

「——『北欧の女神フロガは、神々の王オーディンの妻で、どんな女神よりも美しく愛情深く、空と雲、青春と愛、死を司り、鷹の翼を持って空を飛び、猫に引かせた二輪の車に乗って、地上を走ってました。
 さらに幼な子が死ぬとその亡きがらをイチゴでおおい、ひそかに天に運ぶ役を担っていたと言われています』——」

 そう言うと、女の子は優しい微笑みで私に言った。

「フロガは、愛情深かったからこそ、幼い子を天に送ることが出来た。
——貴女が怖いと想うのは、命の大切さをちゃんと分かっているから。貴女が不安だと想うのは、ちゃんとその責任の重さを判っているから。
 判っているのならば——その想いが、自分の子供に通じぬはずはない」

 その言葉一つ一つに、私は心が軽くなっていった。そして、ふんわりと身体の芯が暖かくなっていった。
 女の子は私の手のひらと自分の手のひらを重ね、こう言った。

「自分の血肉をわけて生まれるんだもの。絶対、大丈夫」

 その言葉に、自然と暖かい涙が零れ落ちた。

 ——何だ。そういうことだったんだ。
 たった、それだけのことだったんだ。

 視界がぼやけながら見えたイチゴは、まるで幸福な家族のようだった。




 あの後、家に帰って私はこっぴどく怒られた。帰るのが遅い、もう一人の身体ではないと、数時間説教を喰らった。
 説教を喰らいながら、私は一つ気付いた。——途中まで一緒に居た女の子が、いつの間にか消えていたのだ。
 残っていたのは、あの花屋さんで買ったイチゴの苗だった——。




 私が語ると、娘は不思議そうな顔で言った。

「そのおんなのこ、どこにいったのかなあ?」

 私も判らない。何度かあの商店街に足を運んだが、あれっきりあの花屋さんに辿り着くことはなかった。それどころか、あそこらへんにそんな花屋さんは無いと言う。
 判らないことだらけだが、一つ判ったことがあった。
 それは、あの女の子がとても優しかった事。
 ひょっとしたら、私を励ますために、あの花屋さんが現れたのかもしれない。そして、私が平気になったから、もう必要ないとこっそり消えたのかもしれない。

 そろそろおやつの時間になった。きょうのおやつは、娘が大好きな苺だ。
 勿論、あの花屋さんで買った苗で出来た果物。
 甘酸っぱい苺の味が口に広がった。娘と笑いながら、ああ幸せだな、と私は想った。








































 イチゴの花言葉 『幸福な家庭』『貴方は私を喜ばせる』

執筆日 2012年 1月24日