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　ザーァァァ…と、雨が降る。


「あー…、嫌だ」


　私原宮麗は、そう呟かざるを得なかった。




　ああ。
　何ていう憂鬱な帰り道だろう。








アジサイ







　今日は、全く持って散々だ。
期末テストの問題が全然解けなくて、おまけに土砂降りの雨は降るわ、カサは持ってきてないわ、制服はびしょびしょに濡れるわ。
　靴や靴下の中もビショビショで、気持ち悪い。
　とりあえず、商店街の店で雨宿りしようと思ったけれど、生憎店は閉まっていて。

　仕方が無い。そう思った私は、屋根の下で寒さと闘いながら雨が止むのを待つことにした。



「あー…最悪」




　一人呟く。けれど、ここには私以外誰も居ない。
　ったく、天気予報のバカ野朗。何が、「今日から梅雨明けになるでしょう」だ。滅茶苦茶梅雨じゃんかァァァァ!!
　もう絶対見ない。あの天気予報。
　あ、でもお天気のお姉さん可愛いんだよなあ…。




「はあ……どうしよ」




　更に悲しいことが、私の家はとても遠い。
　取り合えず、雨がもう少し穏やかに降る時まで待とうと思ったけれど、雨は止む気配が無い。このままだと、夜を向かえそうだ。

　思わず、ため息を付くと。



















「原宮？　そこで、何をしているんだ？」





　不意に、声をかけられた。





　叩きつけるような雨の中に、ビニール傘を持った男の子が居た。
月光のような銀髪に、真っ赤な瞳。女の子だったら羨ましく思う、真っ白な肌（彼はアルビノらしい）。しかも美形。
　彼の名は、富田慧（とみたさとし）君。最近私のクラスに転校してきた。
　やはり美形だから、女子には噂されるけれど…何か、近寄り難いというか、そんなオーラを纏っているから、そんなに親しくは無い。
　それに、風邪で良く学校を休むし、自分から話しかける子ではなかったから、今ちょっと驚いている。

　私はぎこちなくも、笑顔で返事をしたんだ。



「あ、富田君。
　いやー、実は私カサ忘れちゃって……」




　あ、そうだ、と私は考え付いた。




「ね、悪いけど、中に入らせてもらえない？」
「え……？」




　私のお願いに、慧君は驚いて目を瞬かせる。
　そんな慧君に構わず、私は彼に思いっきり頭を下げた。




「このままだったら夜迎えちゃいそうだし。
ね、一生のお願い！　なんなら、土下座でも…」
「わ、判った！　んなことしなくても入れるから!!」



　ドロだらけの地面に座り込もうとした私の様子に、慌てた慧君は快く（？）承知してくれた。






















　決して狭くない傘の中で、肩を並べながら歩く。
　ふと、傘を持っている彼の右手を見る。
　腕には包帯がぐるぐるに巻かれていた。
　病弱だけじゃなく、ケガもするんだろうか？


「…良く、俺の名前覚えていたな」


　慧君が、話を振った。
　彼の、ぎこちなさが可笑しくて、思わず私は笑って答える。


「あは、噂の転校生の名前を覚えないほうが可笑しいっての」
「噂の…？」
「女子では寡黙でカッコイイって流れてるのよん」
「カッコイイ…？」


　私の言葉が良く判らなかったのか、慧君は首を傾げる。
　天然か、コイツは。
ふと、親友の蘭を思い出した。彼女もかなりの天然少女だが、それ以上に天然のようだ。


「でも、そっちこそ、よく私の名前覚えていたねえ」


　私は不思議に思う。
　同じクラスだったが、会話なんて殆どしていなかったのに。


「そりゃ、まあ…男子の中では有名だからな、原宮は」
「私が？」
「何時も元気でニコニコ、ポジティブで嫌味の無い女。おまけに美人で気立てが良い。
——なんて、言われているぞ？」
「はあ!?」


　慧君の言葉に、思わず私を声を上げる。
　何、その噂!!　全然聞いたこと無いよ、私!?


「まさか、私も天然だったの…？　そうだったの…???」
「な、何が…？」


　私は敏感少女だって思ってたのに!!
　チクショウ、蘭とか慧君とかの同類か、私は…。


「…何か、原宮って変だよな」


　彼の聞き逃せない発言に、私はムキになって言い返す。


「なッ!?　それは日本人じゃ殆ど見かけない容姿を持っているしかも性格は天然の君に言われたくないぞ!!!」
「そーゆー良く判らない発言が変だって言うんだ」


　ぐさッ!!　っと、心に刺さった。
　ダメージ百五十は受けたわ。



「ふっ…君、大人しい子だと思っていたら、中々言うわね」
「そりゃどーも」



　軽く笑う慧君。…メッチャ腹立つわー。
　何か口では勝てないような気がする。とてもする。



　でも、私がふと彼の方を見ると。


「…ホント、変だよな。
　原宮って」



　あんなに振っていた雨は、いつの間にか止んでいた。
　灰色の雲の隙間から、一条の光が差し込んできていて。


　その光に照らされた慧君の笑みは。
　とても、綺麗で、優しかった。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　◆


　その縁があってか、私と慧君は良く話すようになった。
　帰り道が一緒だったことから、帰りは一緒に帰るようになっていた。


　いざ、付き合ってみると、寡黙と呼ばれていた慧君は案外、おしゃべり好きだった。
　ただ、何時話を切り出せば良いのか判らなかったみたいだ。



　もうすぐ家が見えると、その会話もお終い。
　いざその時を迎えると、とてもとても名残惜しかった。













　慧君と一緒に居ると、とても楽しい。でも、ちょっと恥ずかしい。
　時々見せる笑顔が、とっても綺麗で。見ていたいのに、どうしてか恥ずかしくて目をそらす。



　判らないなあ、私。
　一体どうしちゃったんだろう。


　でも、恥ずかしさを含めて、とてもとても楽しかった。



























　けれど、彼と初めて話して一週間後。
　彼は、学校を休んだ。


　最初は風邪かなと思った私は、彼に渡すプリントを持って家にやってきた。
　彼の家は私の家と結構近かったが、伺おうとしたのは初めてだった。


　彼の家は、なんと言うか…殺伐した雰囲気だった。
　借家だからだろうか。何か、ボロボロって感じ。


　でも、私はあまり気にも留めず、いろいろなことを考えていた。
　私が持ってきたのは、学校のプリントだけじゃない。メロンやスイカなどのフルーツも入っている（あれ、野菜かな？）








　全く、病気だなんて。身体を鍛えなよ。
　ほら、これ食べて、元気出してまた学校に来てね。


　そう言おうと決めて、インターホンを鳴らそうとしたその時だった。


「目障りなんじゃ、テメエはァァァァ!!」


　図太い男の声が、私の鼓膜を破るように飛んできた。その後に、ガッシャーン!!　という凄い音がする。


　その時、ゲホ、という、悪い予感しかしない声が聞こえた。
　男の暴力と暴言はハッキリと聞こえる。耳を塞ぎたくなるような、言葉と音。



　その時、ふと彼の傷を思い出した。


　ひょっとして、腕に巻かれていたあの包帯は、こんな風にケガをしていたからじゃないかと。

　そして、彼は、風邪で休んでいたわけでは無い。
　では、彼が今まで休んでいた理由はッ……！



　ガッシャーン!!



「オラオラァ!!　さっさとくたばれ!!」



　男のサイテーな言葉。激しく振るわれる暴力。
　それを聞いて、今すぐ飛び出したかった。
　鍵は開いている。戸を開ければ、すぐに駆けつけられる。
　でも、私はそこで思いとどまった。


　私が行っても、足手まといになるだけ。
　私が行けば、私も慧君みたいに、同じ様なことになる。
　行けば、私にも暴力は振るわれるだろう。ボロボロになって、ズタズタにされて、しまいには…。


　想像するだけで、背筋が凍った。


　もう、警察には連絡してある。伝えると、警察はすぐ来ると言った。
　これで大丈夫。すぐに来る。
　私が飛び出さなくても、慧君は助けられる。



「オラア!!　さっさと死にやがれ!!」



　男の暴言は、私の胸を刺す。
　自分が言われたわけじゃないのに、とてもとても辛かった。怖かった。
　だから、耳を塞いだ。
　見えなくても、慧君が今受けている暴力が見えそうで、目も閉じた。














































「テメエなんか、生まれなきゃ良かったんだよぉ!!」


　けれど、この言葉だけは。

　耳を塞いでも、目を閉じていても、
　私に届いた。







　ガシャア!!　と戸を思い切りあける。
　バタバタと、足音を響かせて、部屋に飛び込む。

　そこには、気の立ったガタイの良い男が拳を振り上げているのと。
　頭から血を流し、呆然とした慧君が座り込んでいた。


「はッ…原宮!?　どうしてここに!?」
「ああ!?　何だ、テメエは!!」


　私の方に、男が歩いてくる。
　男の顔は、般若のようで…とても、汚い顔だった。



「原宮!!　逃げろ!!」


　大量に血を流したせいか、顔色が悪い慧君は、それでも私を助けようとした。



　…でも、私は。


「…そんな風に、慧君をいじめたのは、アンタ？」


　逃げれないように、リビングのドアに立ちふさがって。



「アンタ、本ッ当に最低ね!!!」


　啖呵を切って、両手を広げた。

















　ゴメン、慧君。

　私は、心の中で謝る。






　私、逃げられないよ。



　勿論、逃げることが正論なくらい、わかってるよ。
　でも、私には正論を選ぶことなんて、ムリだ。

　そんなにもボロボロになった君に、背を向けることなんて、できっこないよ。




　私ね、君の笑顔が見たかった。
　慧君は、笑顔を時々しか見せなかったから。
　でも、初めて話したあの時、とっても綺麗だったんだよ。
　だから、君の笑顔がもっと見たいと思って、ずっと傍にいた。



「アア!?　何のマネだあ!?　さっさとどきやがれぇ!!」


　男が、私の頭上を目掛けて、拳を振るう。


　怖い。
　コイツの顔が、拳が、纏った空気が。全てが怖い。
　それでも、私は離れることは出来なかった。



　慧君。慧君は、要らない子じゃないよ。
　だって、私を傘に入れてくれた。私と話してくれた。
　そんな優しい慧君を、生まれてこなければ良いなんてけなすの、誰だろうと絶対に見逃すわけにはいかない。

　これは私の意地だ。ワガママだ。
　でも、譲れない。


　こんなヤツに、こんな優しい慧君が傷だらけになるなんて、そんなの、絶対に見逃すわけにはいかないッ……!!



　拳が、あと少しで私の頭上に届く。

　ゴツン!!

　そんな、鈍い音と鋭い痛みに、私は意識を失った。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　◆


　目を覚ましたときは、病院だった。
　そこには、顔を真っ青にしたお母さんの顔があって。
　起きてすぐに、警察と母親には、こっぴどく叱られた。

　私は意外と軽症だったらしい。
　軽い脳震盪を起こしただけで、明日には帰れると言われた。

　問題は、慧君だ。
　お母さんの話では、慧君は命に関わるほどのケガを負い、集中治療室に運び込まれた。…まだ、手術中らしい。



　暴力を振るっていた男は、慧君の父親らしく、殺人容疑と児童虐待の罪で逮捕された。
　まだ、取調べ中ではあるが、間違いなく刑務所送りだろう。









　…彼が引っ越したのは、一度や二度ではなかった。
　彼の亡き母親は、ずっと再婚や離婚を繰り返し、何度も引越しを繰り返したらしい。
　そして、最後の父親が、このサイテー男だった。
　母親はこの男の凄まじさに絶望し、自殺を図り、親戚が居ない慧君はこのサイテー男と暮らさねばならなかった……。
























　私が退院したその日。彼は、目を覚ました。
　手術は大成功らしく、体調も回復に向っているらしい。


　その日、私の元に残念なお知らせが入った。
親戚の居ない慧君は、彼の意思関係なく施設に預けられるらしい。その為、この地とも離れなければならなくなった。…つまり、転校だ。
慧君が退院した後、彼はすぐに引っ越さねばならない。



　帰り道、私はお母さんと一緒に帰る。
　病院の庭には、蒼と赤のアジサイが咲いていた。






　彼の居場所はくるくる変わる。
　まるで、アジサイの花の色が変わるように。








　…私、何て無力だろう。
　彼はどこまでも大人の事情に流される。それを止める力は、私には無い。
　彼が流されるのを、見届けるしかない。

　慧君との別れの日。私は、笑っていられるだろうか。
　彼と離れるのは、とてもとても寂しい。

























　私、慧君と離れたくない。






































　あ。






「どうしたの？　麗」


　何十歩か先に歩いていたお母さんが、心配した顔で私の方に振り向いた。


「ううん、何でもない」


　私はそう返して、すぐにお母さんの方へ走る。
　駐車場に止めてあった車に乗る。車が動き出し、病院は遠くなる。
　私は見えなくなるまで、窓から病院を見ていた。
































　そうか、私。

　慧君の事が、好きなんだ。



　　　　　　　　　　　　　　　　　　◆



「——ってなことが、昔あってねー」
「何ソレぇ!?　私聞いてないよ!!」


　ここは、黄泉の花屋。
　何時もの通り、私と、幼馴染の蘭と、ここの店主である夕華さんは、紅茶を飲みながら優雅に雑談していた。
　蘭が最近同じく幼馴染である誠也と付き合うようになった。だから、その話中心にしていたら、いつの間にか私の初恋の話になっていたのだ。


「ほら、蘭とは別のクラスだったじゃない、あの時」
「そ、そうだけど〜！」
「それに、その後すぐに慧君引っ越しちゃったから、もう会ってないんだよね」
「でもでもでも!!」


　何か悲しそうに顔をゆがめる蘭が面白くって、私は思わず笑った。






　あれから、二年。
　彼とは、一度も会っていない。
　告白もしなかったし、初恋は胸の中だ。





「レイちゃんにも、そんな可愛らしい思い出があったのですね」


　見た目十歳の夕華さんが、大人っぽく笑う。くう、綺麗。
　目の前には、薄い青やピンクのアジサイが、テーブルに飾られていた。



「綺麗なアジサイだね」
「でしょう？　綺麗に咲いていたから、切ったんですよ」


　私が言うと、夕華さんは優雅に笑っていった。


「…ねえ。夕華さん。アジサイの花言葉って、どんなの？」


　唐突に、私は聞きたくなった。


「そうですねえ…色々在りますが…ちょっとマイナスな花言葉が多いです。
『高慢』や、『無常』、『貴方は冷たい』等…。
　でも、素敵な花言葉もあります」
「何々!?」


　私が目を輝かせて聞くと、夕華さんは笑みを深くしていった。


























「『辛抱強い愛』です——————」








　あれから、二年。
　彼とは会っていない。
　告白も、していない。


　けれど、今朝、自分の家のポストを見たら。
　慧君からの手紙を発見した。


　手紙の内容は、自分は施設から養父母に預けられ、幸せに暮らしているという事。
　そして、夏休みになったら、こっちへ遊びにくるという事。


　手紙と一緒に写真も合って、真ん中には幸せそうに笑っている慧君が、その隣には、養父母と思われる、優しい面差しをした女の人と男の人が居た。



　彼の居場所は、アジサイの花の色のように変わった。
　でも、ようやく自分の色が定まったんだ。


　良かった、慧君。
　本当に良かったよ。



　今度会ったら、君とまた話したい。
　そして、私の気持ちをちゃんと伝えたい。

　その時、君の笑顔が見れたら、私は嬉しい。



　アジサイの花言葉　『移り気』『辛抱強い愛』