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Re: 臆病な人たちの幸福論【参照1000突破記念感謝祭更新!】 ( No.119 )
日時: 2012/12/01 17:13
名前: 火矢 八重 ◆USIWdhRmqk (ID: qgJatE7N)


 あの日、院長の策に応じた杏平は、この手段が何なのかを知っている。

 決して、院長も彼も、諷子を助けるのを諦めたからではない。

 これは、諷子を助ける、ただひとつの方法であった。




 杏平も、院長も、この世には説明のつかない出来事があることを、身をもって知っている。

 だからこそ、諷子が冬眠状態で生きていたことを知っても、驚くことではなかった。





 だから、諷子の意識が、ここではない別世界にあると判っても、すんなりと受け止めることが出来た。




 ……実際、彼はそこに行ったことがある。

 あれは、大学一年生の夏のことであった。鎌倉に行って、海に行こう、と約束していたその日の朝、いきなり視界が暗転して、意識を失った。


 ——気がついたとき、周りが昔寺で見た極楽絵のような場所にたどり着いていた。



 何が何やら判らないまま、そこに佇んでいると、フワフワと、絵に描いた妖精のようなモノが、彼の周りに飛んできた。

「ようこそ、夢殿へー」「まあ、つれてきたの私たちなんですけどねー」と、のんびりした口調で、妖精——名前は月乃と花乃といっていた——が、ここが何処なのかを説明してもらった。



 どうやらここは、極楽でもあるし、夢想でもあるし、高天原とも呼ばれているし、夢殿とも呼ばれる場所らしい。

 そして、世界はいくつもあり、その世界と世界を繋ぐ、空の域でもあった。

 ——以上、月乃の説明を引用した。彼自身は、全くといっていいほど、月乃の説明を判ってはいない。


 とにかく、花乃がいうには、別世界にも杏平が居て、彼はこれまた別世界に居る美雪を亡くし、生きる気力を失くしてしまったのらしい。

 その為、彼が向き合う時間を作るために、杏平の身体と美雪を貸して欲しいと、何だかスケールが大きい頼みごと(強制)をされた。

 身体には、基本一個しか魂が入れない。だが、魂が肉体に無ければ、魂は弱ってしまう。その為にここに連れてきた——以上、花乃の説明を(以下略)。



「(……まあ、意外とすぐに帰れたんだけどね)」


 理解しようとしたらパンクしそうだったから、あの後は「あれは夢だった」と思い込むことにしたのだが。

「ある方」に、「あの子(諷子)の意識は空の域にいるわよー」といわれたとき、「あ、夢じゃなかったんだな」と、思わざるを得なかった。



 ……という具合に、諷子が空の域にいるということが、判明したわけである。

 何だか、シリアスからギャグっぽくなったが、今杏平が居る場所は、ドシリアスな空気なので、読者は安心して欲しい。



 空の域から諷子の意識をこちらの世界へ持っていくには、自身の意思がないと帰れないそうだ。

 だが、帰ってこないところを見ると、どうやら彼女は生きることを拒んでいる。にも関わらず、生きているということは、彼女だって生への執着がないわけではない。

 なら、助け出すにはどうすればいいか?




 ——それこそ、簡単な話。

 諷子と関わりが深い『誰か』が、その空の域とやらに行って、彼女をその気にすればいい。




 その『誰か』に選ばれたのが、三也沢健治であった。




 ……だが、そんなホイホイいける場所でもない。

 空の域というのは、『迷い人が求める極楽』を描く場所。……簡単な話だと、自殺したいほど苦しんでいる人の逃げ場所なのだ。

 そこは、殆ど『死んでいる』人でないと、行けない。その条件を満たす条約の一つに、諷子の『ギリギリの死の線まで持ち上げる』というのがあった。

 つまり、この条約を果たさねば、諷子を助け出す方法は、一つも無い。








 今のところは。






 だからこそ、美雪や杏平も反論した。「まだ、他に方法があるのではないか」と。

 だが、院長はこう返した。「それは、一体いつの話になるのだい?」と。


 明日? 明後日? 明々後日? 一週間後? 一ヵ月後? それとも、一年後? 五年後? ……十年後?

 もっともっとかかるかもしれない。それまで、彼女を苦しませるつもりなのか、と。

 例え、長い年月をかけて、別の方法を見つけ、彼女を助け出したとしても、果たしてそれは彼女の幸せにつながるのか? と。





「先のことなんて判らない。だからわしは、今出来ることをする」




 ……長い年月を過ごしてきた老人の言葉に、若輩者の杏平たちは、二の言葉も告げれなかった。

 そしてそのまま、その案は受け入れる形となった。





 ……そして、現在、こうなっている。



 けれど、言い訳しないと、彼は決めていた。

 例え、この手段しか、諷子を救えないとしても、こんな人道から外れた方法は、許されないと判っていた。首謀者である院長も、判っているからこそ、この策を行うことを決めたのだ。


 間違っては居ない。けれど、許されない。

「正しい」ことだが、「無罪」ではない。



 だから彼は、罵られると判っていても、断片的な情報を彼女に告げなければならないと思った。

 自分や彼女をここまで奮い立たせた、彼を裏切らないためにも、告げなければならないと思った。