コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- Re: 臆病な人たちの幸福論【参照1100突破感謝祭更新!】 ( No.128 )
- 日時: 2012/12/03 16:09
- 名前: 火矢 八重 ◆USIWdhRmqk (ID: qgJatE7N)
- 参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel6/index.cgi?mode
間章
「お前なんて、生まれなきゃよかった」
酒に溺れた父親に面といわれた。
それは、わたしの大好きな、桜が咲く季節だった。
唐突に、昔の事を——嫌な記憶を思い出す。
その思い出は、ガラスの破片のように、鋭くわたしの心臓を突いてきた。
あの日は、とても綺麗な満月が出てきて、月光を浴びて桜は輝くように散っていた。
素敵な夜だった。とても、素敵な夜に、なるはずだった。
けれどその日は、父親にとっては、酷い日だった。
わたしの家は、名家だった。名の知れた貿易商だったけれど、最近は売り上げが低くなっていた。そんな中、中々儲けが良い話が舞い込んできた。
父は大喜びだったし、皆も喜んだ。最近生活が苦しくて、しかもわたしの入院費やらでさらに苦しかったから。
「上手くいったら美味しいもん食わせてやる」——父はそういって朗らかに笑いながら、わたしの頭を撫でてくれた。
——なのにその話は、突然無かったことにされる。
理由は、わたし。結核持ちのわたしがいたから。
その頃はまだ、結核が恐ろしいものしか判らなくて、中々治る人は居なかった。
けれど、理由はそれだけじゃない。
わたしが、それ以上に恐ろしく、感染しやすい病気を抱えているという噂が、流れてしまったのだ。
勿論、デマである。わたしは確かに身体が弱いが、かかるとしたらせいぜい風邪ぐらいだった。
だけど、人間というのは、噂だけで決めてしまうこともあって。
その話は、ひょっとしたらその病気にかかっているかもしれないと疑惑をもたれている父親には断りもなく、消えてしまったのだ。
「どうしてこんな娘を産んだんだ」
酒に溺れた父親は、やがて母にも矛を向けてきた。
母を罵倒した。暴力を振ってきた。酒を掛けてきた。
母は、何もいわなかった。ただ、歯を食いしばって耐えていた。
兄たちは一生懸命止めてくれた。
けれど、酒に溺れた父親は、兄たちの頭を叩いた。
激しい争いに、男たちは、血だらけになった。
やめて、やめて。
一体何百回、そう唇を動かしたでしょう。
なのに、恐怖で声は、全く出なかった。
物凄い形相で、怒鳴って、殴っていたから。
どうしてなんだろうな。
どうして、人というときは、苦しい時に、苦しいことしか思い出せないんでしょう。
父さんも、悪い人じゃなかったよ?
本当はね、優しい人だったんだ。必要以上に気に掛けてくれた。あの日の後も覚えていて、何百回も、ごめん、すまなかった、どうかしていた、って、謝ってくれた。
母さんだって、悪くない。兄さんたちだって、絶対悪くない。
——悪いのは、きっとわたし。
わたしが居たせいで、皆が苦しんでいる。
こんな役立たず、生まれなければ良かった。
——そう思えたら、どれだけ良かっただろう。
あのね、判ったの。
気づいてしまったの。
ケンちゃんに出会ってしまって、思い出したの。
話す楽しさを、笑う楽しさを、——幸せなことを。
だから同時に、思い出してしまった。生前の頃の、辛いことを。
あの時のわたしは、怖くて信じられなくて、……嫌で嫌でたまらなくて、忘れようとした。
そして忘れた。
——あの後、父さんは謝ってくれた。
けれど、一線を越えてしまった暴力は、止めることは出来なかった。
何度も何度も、暴力を振られた。
母さんや兄さんだけじゃない。わたしも、何度も、何度も殴られた。
いっぱい辛かった。いっぱい痛かった。苦しかった。悲しかった。
でも、いえなかった。
いえない理由は、沢山あった。
わたしのせいで皆苦しんでいるって知ったら、心配掛けさせたくなかった。
迷惑になって、嫌われたくなかった。捨てられたくなかった。
でも、それ以上に怖かったのは、わたしがわたしでなくなることだって、気づいた。
……今でも、良く判らない。
わたしは、わたしの感情を制御出来ないの、抑えられないの。
でも、でもね?
夢を持てば持つほど、苦しむことは判る。
期待すればするほど、絶望に落とされることだって、判るよ。
だからね。
生まれなきゃ良かったっていうなら、生まなきゃ良かったじゃない。
結核持ちだって判ったなら、その場でわたしを殺せばよかったじゃない。
憎いなら憎んでよ。死んで欲しいって思うなら、殺してよ。
昔は、病気持ちの人は、座敷牢に閉じ込められることだってざらにあった。最悪、殺す事だって。名家では、その傾向がとても強かったのに……。
ねえ、何で謝るの? わたしが悪いんでしょう?
わたしのせいで不幸になっているんでしょう? なのに何故?
……その理由は、もうとっくに気づいていた。
ケンちゃんがいってくれた。兄さんたちは、わたしを愛していたから、憎んで欲しかったと。
だから、憎んでも、憎まれきれなくて。
わたしも、皆が好きでした。
皆も、わたしのことを好きでいてくれたことぐらい、判る。
——……でもね。もう、どうだっていいの。