コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ

Re: 臆病な人たちの幸福論【『第七章』更新!】 ( No.143 )
日時: 2012/12/12 22:32
名前: 火矢 八重 ◆USIWdhRmqk (ID: qgJatE7N)
参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel6/index.cgi?mode



「……ああ、でも」


 フウは、躊躇う様に目を伏せる。

 両手を突き出して、動かない指を何とか動かそうとしながら、それでも動かないけれど。

 何かを決意した表情で、彼女はいった。


「……わたしも、何を悩んでいたのか判らないの。あんなに苦しかったのに、どうしてあそこまで何もかも壊したいって思ったのか判らない。

 どうして、逃げてしまったんだろう。どうして、憎んでしまったんだろう。

 今思えば、わたしはあの時、正常じゃなかったんだ。きっと、自分で何とかしようと思う度に、歪んでしまったんだと思う」



 そういって、フウは自嘲気に笑った。


「パソコンだって、昔じゃ考えられないくらい色々出来るけど、ウイルスが入り込めば専門のソフトを取り込んで撃退しなくちゃいけない。一人でどうこうしようとする度に、ウイルスは更に悪化していく。
苦しいから閉じこもるなんて、一人崩れた洞窟の暗闇の中で発狂することを自ら望んでいるようなもの。そんなことすら、わたしは気付かないほどの弱虫で臆病者だったんだ。……ううん、本当は判っていたの」



 ゆるゆると首を振って、フウは自分がいっていたことを否定する。





「……独りが寂しいことぐらい、誰かに気付かれないのが怖いことぐらい、とっくの昔に知っていたのに。それを否定して、忘れようとした。
でもね、ケンちゃんがいってくれた。忘れているから、いうね?



 ケンちゃんはわたしに、『それでいいよ』っていってくれたんだよ?


 弱くてもいい、憎んでもいい。悲しんでもいい、辛くてもいい。

 傷つく理由なんて、何処にもない。だから、それらの感情に理由は存在しないから、素直のままでいいって、……そういってくれたよ」

「……忘れたなあ、そんな言葉」

「やっぱり?」



 俺の言葉に、ちょっと苦笑するフウ。


「……生きているってことは、闘うことだと思うの」



 ポツリ、とフウは詩人がいいそうな事をつぶやいた。



「逃げても逃げても、やっぱり何処かで闘わなければならない。それは自分の弱さだったり、コンプレックスだったり、わけが判らないものだったり。

 意識を取り戻す前に、一瞬だけ見えたあの世界も、本当に素晴らしい世界だったのに。目を開けても、傷つくものなんて存在しない。永遠のものだけがある。一生春のような本当に綺麗な世界だったのに、わたしはそこすら怖かった」



 あの夢想と呼ばれていた世界は、確かに凄く綺麗な場所であった。

 俺でも思う。あんな世界に住めたらな、と。


 けれど、本当にこの世界を捨ててまで住もうとは、どうしても思えなかった。



「本当の安全地は、きっと何処にも存在しない。例え、それがどれ程綺麗な世界でも、傷つく場所ではなくとも」



 そして、彼女も、恐らくそう思ったのだろう。



 どんな場所でも、傷つかない苦しまない場所などない。

 何の痛みもなくなればきっと、人間は本当に自分が存在しているのか不安になって、確かめる為に自分で傷をつけるだろう。

 ……人間というのは欲の底が尽きない。



 けど、とフウは続けた。


「けど、……肩の力を抜けれるのなら。ありのままの自分を受け入れることが出来て、そしてそれを認めてくれる人が居たら。それは、素晴らしい安全地だと思うの。例えどんなに怖いことがあっても、辛いことがあっても。きっと、前に進める。何とかなるって思える」



 だから大丈夫だよ、とフウはいった。




「ケンちゃんが傍に居てくれれば、多分、わたしは何処までもいける」






 足が無ければ、義足でも何でもつけて、それで訓練して歩く。
 手が動かないのなら、沢山頭から指の先に命令して動かしてみせる。
 その努力を見守ってくれるのなら、きっとわたしは何処までも頑張れる。

 そんな、気がするの。



 そういって、フウは微笑んだ。

 憑き物が落ちたような、そんな表情だった。









 サアアアア、サアアアア。

 今日で何回目の風が吹いただろう。

 その中で俺は、フウの身体を抱きしめた。


 カーテンが、ひらりひらりと、揺れる。

 花の匂いにつられたのか、窓からモンキチョウが入ってきた。




「……ケンちゃん?」



 何か、デジャヴだね、とフウが耳元でいった。

 けれど嫌がる様子は無くて、むしろ嬉しそうな様子だった。





 ——ああ、これが。




「(愛おしい、という感情なのか)」





 改めて想った。



 その感情を肌で、感じ取る。

 トクントクン、と心臓の音が聞こえた。

 彼女の身体全身から、脈が打つ音が感じられる。




 たまに、どうして息をしなければ生きていけないのだろうと思った。

 息をするのが、面倒くさいって思ったことも、まああった。

 それと同じに、どうして人は悲しまなければならないのだろう、と思った。

 皆が皆幸せなら、悲しむことなんて無くなると。





 ——けれど、その意味が、ようやく判った気がするんだ。


 弱弱しいから、愛おしいと思うのだ。その中で頑張ろうとするから、輝くのだ。

 その光に焦がれて、憧れる。


 正しく生きようとするのに憧れて、どうしようもないと思っている姿に、愛おしく感じて。

 ——そうやって人は、頼って、支えあって、生きている。




 確かに俺は、好きでこの世界に、あのバカ母に生まれたわけではない。

 でもきっと、こんな生い立ちじゃなければ、そしてこの世界に生まれなければ、フウと出会うことは無かったのだから。


 今までの不幸がなければ、今、この時の幸せを感じることなど、出来やしないのだから。






 傷つく理由は、存在しない。

 そして、この一瞬の幸せの理由も、存在しない。

 だからこそ、言葉にするのは、とても難しくて、フワフワしているけれど。





「……なあ。フウ。俺さ——」



 だからこそ、ハッキリと言葉にしたい。

 あの日、いえなかったことを、ちゃんと言葉にして伝えたい。






 風が流れる。

 モンキチョウが、今日持ってきたサクラ草の花びらに、止まった。