コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- Re: 臆病な人たちの幸福論 ( No.149 )
- 日時: 2012/12/14 23:07
- 名前: 火矢 八重 ◆USIWdhRmqk (ID: qgJatE7N)
- 参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel6/index.cgi?mode
後書き
……か、書いたぜ。
『六花は雪とともに』以来の、大長編をこなしたぜ、私ッッッ……!!!!
寒さと気力と恥とその他で、私の疲労は半端ありません。ですがそれ以上に、やり遂げたという快感があるので、良しとします。
第二部、これを持ってただいま終わりました。
……『第二部』、ですよ? まだまだ、この物語は続きます。
第二部は、実はわざと言葉を抜かして、ぼやかしているシーンが多々あります。……わざとじゃないのもありますが、まあそこは、「作者の拠所ない事情」ということで、一つよろしくお願いします。
そのわざと抜かしたシーンは、今度は杉原雪視点で明かされますので、どうかお楽しみに!!!
その前に感謝祭更新せねばならないわけですが……(汗
さて。読者や鑑定の皆さんに、しょっちゅう質問が来たことをここで話しましょうか。
まあ全部、第二部で明かしたんですが、判りにくかったかもしれませぬので、ここでもう一度。
『何故諷子は見えないはずなのに、健治に見られても平然としていたか』
『何故健治は、フウの姿が見れたのか』
『何故、健治はフウの身体に触れることが出来たのか』
……これは、第三章や第七章で健治がいっているように全部、
『そういうものだったから』『理由なんて無い』
としか、いいようのないのです。
この小説のコンセプトは、「受け入れる」です。
私の小説は、しょっちゅう幽霊やら妖やらが出てきますが、どうして出しているかというと、それは私が「ありのままで感じたモノを書く」からです。
ぶっちゃけ私、「妖も幽霊も信じている」タイプでございます。
……と、これだけ見ると、引かれる方も多いでしょう。ですが、私の意見を聞いてから、思う存分ドン引いてください。
大体、私が「妖や幽霊は居る」といって、「現実見ろ」「見ても見間違いだ」という方は多いです。そりゃもう。
ですが、私は思うのです。「やっぱり、科学とか根拠とか理屈とか無いモノは存在している」と。まあ、無いって言うよりも、「表現の仕様がないもの」とでも言いましょうか。
……第七章で健治が言ったとおり、「物事には元々理屈は無い」と思います。
それらに理由や理屈がついたのは、「人間の言葉で表現できるモノ」だったり、「大人数が共感できるようにしたモノ」だと思います。
ルールや法律も同じことだと思います。「大人数が都合が悪いから」出来たものであり、大人数はそれを守れば、大抵の不幸は取り除くことが出来ます。宗教も似たり寄ったりなところがあります。
「枠」にはみ出さない限り、人は可能な限り認められます。
しかしやはりというべき、それらには限界があり、そのルールや法律、理由や理屈から外れるモノもいるのです。
それらは時に犯罪者でもあり、理不尽な存在でもあり、そして、哀しい被害者でもあるのです。
例えば、Aさんが万引きをしたとしましょう。
ここだけ見れば、Aさんはただの犯罪者です。ですが、その背景には「いじめ」があったとなれば、どうでしょうか。
本当はしたくないのに、脅されてされる。そんなことがあれば、どうでしょうか?
勿論、それでもAさんには罪があります。万引きを犯したという事実は変わりません。
ですが、その裏を知るだけで、違うと思います。
ひょっとしたら、その人はちょっと小心者なだけで、でも本当は凍えそうな捨て猫を見捨てられず拾ってくる、そんな優しさを持った人間かもしれない。
けれど、被害者でもない、ただその事を聞いただけで何も知らない人は、Aさんを「犯罪者」と決め付けるだけなのです。
Aさんの優しい人格は、否定されることになる。
ということは、Aさんの優しさは「なかった」ことにされるのです。
……似たり寄ったりの話だと思います。
居る居ない、本当か嘘か、事実かそうではないか。それだけで多数決で決めれば、「存在しなかった」ことになるのです。
何が存在しないのでしょうか。見えないから? 聞こえないから? 触れたことないから?
では死んでしまった人は、存在しなかったことになるのでしょうか? 元素レベルのモノは、肉眼では見えません。なのに、皆がその科学を信じている。地動説だって、地球が太陽の周りを回っていることなんて、皆が見たことないのに。
……これは、大人数が「共通」しているから、「存在している」のです。
確かに上記のモノは、人間の言葉でいくらでも表現でき、理屈がくっつきます。けれど、普通の人はあまりそんなこと、考えないと思うのです。大人数がいうから、「そんなものだ」と、無意識のうちに受け止めているのです。
……妖も幽霊も、同じことだと思います。
そしてそれは、きっと人も。苦しいとき、助けてくれる人が目の前に居たのに、気付かないということはかなりあります。そしてその人の中では、「そんな人居なかった」となっているのです。
だから私は、諷子を幽霊として出しました。
自分じゃ判らない、漠然とした悩みを抱えて、生きたかった、死にたかった、どうせ助けてもらえない、否定される、でも一人は寂しい。
そんな、さまざまな悩みを気付いてもらえない幽霊。誰にも気付かれないからこそ、彼女はずっと「居なかった」。
でも、そんな幽霊少女だからこそ、これから居なくなろうとする少年の気持ちに気付けたのです。
少女は、少年に気付いた。少年は幽霊に存在を肯定されたことによって、救われた。そしてその行動によって、少女もまた肯定されて、救われる。
健治だけが諷子が見れたり、触れた理由。理由なんてあんましないけれど、強いていうなら、諷子が健治のために何かをしようと行動したからこそ、健治はその存在に気付いた、ということでしょうか。
つまり、諷子が別の人の為に何かをしようと行動していれば、諷子を見れたり、触れたりすることが、ひょっとしたら出来ていたのかもしれません。
作中で語ったとおり、人は本当には判り合えないと思います。
でも、だからといって、一生懸命はなしたことが、全て伝わらないわけではないのです。
何かしら発信していれば、何かが届いている。
そしてそれを、認められることだってある。
まどろっこしい言い方ですね。スミマセン。
実は私も、よーわかってないですw
ただ、それでも私は、そんな感じで、何かをつかめた感じがします。
弱いところも強いところも、優しいところも理不尽なところも、全部が私で。
それを何にも判ってなくても、無条件で肯定してくれる人間が現れる。そして時には、自分の行いを否定し、止めてくれる。
そんな人間が、必ず居ます。絶対に!
自分の感情を、否定しないでください。
悩みが漠然として判らないからといって、他人に判ってもらえないと、あまり思わないでやってください。
理屈とか理由にあんまし捕らわれずに、自分が感じたことを正直に進めばいい。
答えが漠然としていても、何時か答えがわかるから、焦らずのんびりと過ごせばいい。納得いかないのなら、とりあえず理解だけしといて、後は時間に任せる。
……まあ、とにかく。私が言いたいのは。
「小難しく考えず、この小説読んでね!!!!!wwww」
……以上です!w
それでは、やっぱり寒い肥前地方からお送りいたしましたw
〜後書き 完〜