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Re: 臆病な人たちの幸福論【参照2500突破記念感謝祭更新!!】 ( No.223 )
日時: 2013/01/24 21:29
名前: 火矢 八重 ◆USIWdhRmqk (ID: l6pfUsAS)

 黒い、モヤのようなモノが見える。
 それは、薄暗い森の中、やや白い霧が立ち込めたこの場所では、はっきりと視界に写ることが出来た。

 あの黒いモヤから、声がする。


 ——……おいで。

 ——苦しいなら、一緒に死のう。




 何だろう、あの黒いモヤは。
 判らない。モヤから声が聞こえるなんて、あたしもどうかしてる。でも現に聞こえるんだ。

 逃げなきゃ、逃げなきゃ。じゃなきゃ——。


「わあ!」


 足に、地上に出た逞しい木の根っこが引っかかり、思いっきり転ぶ。
 ズシャ、と不吉な音が聞こえた。


 それでも起き上がった。膝小僧に鋭い痛みが襲ってくるが、気にしないことにする。見れば、心が折れそうだったから。

 身体を起こすと、あのモヤのようなモノは、すぐ近くまで来ていた。





 ——イッショニ、死ノウ……!





 声だけでも、恐ろしいと感じさせる低い声。

 産毛が、ゾゾォッっと立った。

 でも。



「(この、声……知ってる)」



 聞き覚えがある。
 今まで忘れていた記憶の扉が、開かれた。




 ——このモヤの声に会ったのは、確かあの子と過ごした夏の日のことだ——。


                    ◆


 世の小中学校は夏休み。不登校で引きこもりなあたしでも、堂々と道の中を歩けるようになった時期は、しかしとても暑かった。

 けれど、暇で何となく歩きたかったあたしは、麦藁帽子も水筒も持っていかずに、いつか得るか判らない散歩に出かけてしまった。

 案の定、あたしは熱中症になった。しかもしばらく歩かないうちに道を忘れてしまったらしく、迷子になってしまったというとんでもないオプションつき。

 帰ろうにも道はわからない。しかも熱中症で体力はない。動き回ることが出来ずに、あたしは樹海の傍にあった大きな木に、寄りかかっていた。



 ——あ、そっか。あの時、この樹海の前を通ったのか。



 それで、もう死にそうだったときに、あの子が声をかけてくれた。







       「——そこに居るのは、誰ですか?」「だあれ、君……?」





 声をかけてくれたのは、あたしよりも少し低い背丈の男の子だった。道場の帰りだろうか、少し藍が混じった灰色の剣道着と袴を着て、紫の布にくるまれた竹刀らしきモノを片手に持っていた。少し赤みがかかった黒い髪は、男の子にしては随分伸ばされている。

 顔立ちは中性的で整っていたけれど、やけに無表情で一見冷たそうに見えた。けれど、たれた目からは凶暴性を感じず、普通に話せそうな雰囲気を持つ子だった。



「……聞いているのは、僕の方なんですが」


 整った顔を、プウ、と膨らませ、無表情にも少し怒ったような印象を受ける。

 あ、なんかこの子可愛いぞと思った。



 ——のが、最後だった。












 ……目を覚ませば、板張りの天井が飛び込んできた。

 身体はだるさが残っており、起き上がるのも億劫なので、目で追える範囲で現状を把握する。

 しかし、それでは中々把握できなかった。出来たとしたら、タンスが近くにある、ということだろうか。扇風機の音と、風鈴の音が聴こえたので、それらも近くにあるのだろう。

 一体、ここは何処だろう。見慣れない部屋だ。

 というかあたしは、どうしてここに居るのだろう。確か、木の下で休んで……。



「あ、起きましたか」



 考えている途中、いきなり男の子の顔がドアップして映ったので、あたしはびっくりし(過ぎ)て、声が出なかった。



「母さんが居て助かりました。貴女、熱中症になってたんですよ」

「え……」

「こんな時期に、こんな時間に、水筒も帽子も持たないなんて自殺行為です。熱中症は死ぬことだってあるんですから、気をつけてくださいね」




 男の子の言葉に、あたしはだんだん記憶が戻ってきた。