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- Re: 臆病な人たちの幸福論【『杉原ルート』完結!】 ( No.366 )
- 日時: 2013/04/20 18:45
- 名前: 火矢 八重 ◆USIWdhRmqk (ID: l6pfUsAS)
- 参照: 嬉しいんだけど皆杉原ちゃんの設定に突っ込んでくれない(泣
(※第三部の後の、健治と諷子。珍しく三人称で)
意外にも、清潔で柔らかい光を灯している、光田家のトイレ。
そこに、あろうことか便器に座らず、健治はうずくまって床に座っていた。
彼がこうなっているのは、話は数十分前に遡る。
玲を家まで送り、とりあえず詳細はまた今度にしよう、という風に別れを告げ、健治は家へ帰ろうとした。
しかし、マナーモードにしていた携帯電話に、実の母親から一通。内容は辛辣にも「今日は帰ってくんな」。
「……随分辛辣ですね。しかも一言だけなんて」
ため息をつく諷子。当初は怒りを露にしていたが、今は呆れしか浮かばない。……けれどそれは、その時彼が戸惑いと悲しそうな表情を表したからだ。
その時、諷子は反省した。——同情は、この人にとっては辛いものでしかないと。
だから今は、彼がするように、呆れた顔をしている。勿論、何割かは本心ではあるけれど。
「まあ、あのバカがこんなメール送るのは、自分が家に帰ってこない場合だけどな」
健治はため息を殺して、諷子と同じように呆れた顔をした。
ため息を殺したのは、諷子に悟られないように。一度、実の母の話をして、気が緩んでその時の心情を顔に出してしまった時、諷子がとても心配しそうな顔で覗き込んできた。
潤んだ上目遣いを見て、健治は誓った。——もう絶対にコイツには心配させまい、と。
あんな目で見られたら、何もかもが持たない、心臓も、理性も。キスすらもしていない純情な高校生は、心の中でガッツポーズをとりつつも、穏やかではなかった。
「俺が、自分が居ないうちに勝手に通帳盗んじまうんじゃないかって疑ってんだよ」
「……なんですか、ソレ」
「だから、バカなんだよ、あの母親は」
怒りを隠しきれずに震えた声で聞く諷子に、健治は笑った。安心させるように。
健治は、自分の通帳の主導権を実の母に握られている。「私が稼いだお金なんだから私が管理する」と、ここだけ親の権利を主張しているのだ。
流石に、小遣いは貰っている。けれど、その半分は必ず、通帳に入れているのだ。
まあ三也沢家は金持ちで、実は半分だけで一ヶ月の小遣いにしては、充分だったりする。実の母親が一般的の高校生の小遣いの相場を知らなかったことに関して、健治はそこだけバカな母親に感謝した。
「(「——それで毎月苦しんでいると思ったら大間違いだバカやろう」……って、昔はあの母親が俺を苦しませたいがためにやっていると思っていたけど……)」
今は、別に考えていることがある。
けれどそれは、自分が大切に想っている人間には、いわないと決めた。
いいたくないわけではない。寧ろ逆だ。
けれど、健治は、心配になってくれるよりも、能天気に笑ってくれるほうが、ずっとずっと良かった。……バレてしまった時は、多分優しい彼女は悲しむと判っていても。
「しかたがないね」
諷子はため息をついた。そして、次にこういった。
「今日は、うちに泊まっていってください。今、芽衣子さんに相談したら、そういえっていわれたので」
◆
というわけで、健治は光田家にお邪魔することになった。
別に問題はない。寝室を一緒にするわけではないのだから。そんな期待もしてない。……多分、という言葉を、健治は必死で飲み込む。
「ケンちゃん手!! 手怪我してる!!」
「手? ……あ」
そんな風にモヤモヤと考えている最中、諷子の慌しい声で我に帰った。
「……ホントだ、怪我してる」
「きっと、玲ちゃん探す時木の枝とかで怪我しちゃったんだよ! しょ、消毒しなくちゃ」
「止めなさい!!」
あわあわと動き出す諷子に、健治は慌てて止めた。
「な、何で止めるんですかケンちゃん!?」
「あなたは最近のことも思い出せないのですか!? お前が保健室の留守番頼まれてた時、大怪我した上田がやって来て、慌てて消毒液を探そうとしたら何を間違ったのか熱々のコーヒーを持ってきて転んで全身擦り傷だらけの上田をコーヒーまみれにした挙句、ついでに傍で何故か開けっ放しだった三つほどの消毒液にコーヒーを入れて使える消毒液が全部台無しになったことを!!」
「あ、あの時は、慌てていたもん!!」
「その前に手先が不器用な諷子さんに消毒を頼むとか無理ですがな!!」
卑怯、と思いつつ、健治は落ち着いて、言葉を放つ。
「……まだ、指の先の麻痺、治ってないんだろ」
「……」
ギュ、と、何かを堪えるように諷子は黙った。
「もう殆ど治った」といっても、それを信じるほど健治は鈍くは無い。
時折、思い通りに動かない指先を見て悔しそうな顔をしている諷子を、健治は見ている。
「別にお前にしてほしくないわけじゃないんだけど。頑張ることと無理することは違うと思うからさ」
少し嘘をついた。けれどバカ正直にいえるほどの度胸はない。要はヘタレなのである。
「じゃあ」諷子は少し考えてから、こういった。
「手を使わずに、ケンちゃんの怪我を消毒してみせる!!」
「……お前ってそんなにお馬鹿だったか?」
キラキラと輝く笑みに、健治は口元を引きつかせた。
「嘘じゃないです! まあ一応、指を使った方が固定感はあるけれど。誰にでもできる治療法があります!」
「ほー。じゃあやってみろ」
できるわけ無い、と心底バカにしていた健治は、気付けなかった。
諷子の、次の行動に。
ペロ、クチュ、という音が、蝉はもう鳴かない静かな夕暮れには、やけに大きく聴こえた。
少し熱い温度と、ざらつきと濡れた感触に、ようやく健治は気付いた。
「……諷、子、さん?」
硬直した健治が、かすれた声で諷子を呼ぶ。けれど、諷子は口が塞がっているから言葉にできない。
傷が深くならないように、丁寧に。それこそ、割れ物を扱うように、そっと。
それがもどかしくて、健治の体温は上昇する。
「フウ! フウって!!」
「(だから口塞がってるんだってば)」
少しイラつきながらも、それでも傷を深くさせないように、舌へ神経を集中させる。
ペロ、と右手を一通り舐め終わった後、諷子はそれはもう、無邪気に笑っていった。
「はい、おしまい!! じゃ、次は左手出してください」
トクントクン、と何かが疼いた。
「……ませんでした」
「え?」
——けれどまあ、それに耐え切れるわけもなく。
「すいませんでした調子乗りましたぁぁぁぁ!!」
バ!! と、神業とも思える土下座をして、健治はその場を走って立ち去った。
「え、ちょ、ケンちゃん!?」
叫ぶものの、彼がトイレに行ったと判った諷子は、おいかけるつもりもなく。
ただ、何だろう、とキョトンとした顔で、諷子は考えていた。
その一部始終を見ていた、ダメナコもとい光田芽衣子は、ポツリと一言。
「青春ねぇ」
頑張りなさい、純情な青少年
(……いや、この場合、普通にヘタレかしら)
(にしても話すとどちらも無自覚に惚気るのに)
(へんなところで初々しいとか鈍感とか、止めて欲しいわあ)