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- Re: 臆病な人たちの幸福論【『第五部開幕です!』】 ( No.441 )
- 日時: 2013/07/31 20:42
- 名前: 火矢 八重 ◆USIWdhRmqk (ID: l6pfUsAS)
————……あの家の晩御飯は、何だろうか。
あの家は、自分の家と違って、笑ってお母さんが出迎えてくれるのだろうか。
そんな想像が出来るようになったのは、多分高校生になってから。
小学校の時も、中学校の時も。
帰る道を、懐かしいとは思えずに、縮こまって帰っていた。
みたくなかった。他の子達は、俺とは違って、帰りを待ってくれる人が居るだなんて。
自分たちの為に、ご飯を作って待ってくれる親が居るなんて。
「……静かな夕暮れですね」
うらめしそうな態度を取っていると、急に、フウが微笑んでいった。
「あんまり通ったことが無いのに……懐かしいって、思います」
その言葉に、要領を得なかった俺は、ああ、と納得する。
俺も、さっきから思っていたからだ。
俺たちが通っている道は、古い家が並ぶ住宅街。何処にでもありそうな、そんな路地道。
けれど、夕陽に照らされたこの道は、何だか暖かく、懐かしい。
この道は、しょっちゅう通る場所ではないのに。
「……思い出したの。わたしは寝床からよく、学校から帰ってきた子達の歌とか下駄の音とか聴いていた」
「……」
「学校から帰ってきた子達が羨ましくて、何時かわたしも、学校に行けたらなあ、って思った……」
それは五十年以上経ってから叶ったんだけどね、とフウは笑った。
別に、その顔は悲観はしていなかった。だけど、切なさは、拭えてはいなかった。
想像すれば、想像するだけ、寂しくなる。あの頃は、それが苦しくて辛くて、仕方がなかったハズなのに。
だから、夕陽は、まともに見ることなんて昔は無かった。
見れば、下校の時の寂しさを思い出す。だから、俯いて歩いていた。
フウも、同じ気持ちだったんだろう。
だけど、今はどうだろう。
あんなにも嫌で、俯いて歩いていたのに、殆どあの頃の記憶は残っていないのに。
どうしてこんなにも、懐かしくて、満たされているのだろう。
「……ケンちゃん」
——なんて、疑問系にしなくてもわかる。
「……手を繋いでも、いいでしょうか……」
恐る恐る、フウが手を伸ばしてきた。
ああ、やっぱり、フウもか。
俺は、そっと、フウの小さな手を握り締める。
『お前に性欲というのはないのか!?』
しょっちゅう橘にいわれるが、別に性欲がないわけじゃない。
ただ、俺は、幸せな夫婦というものを見たことが無かったから。幸せな家族というものを、知らなかったから。
何時だって、家で休まる日なんてなかった。
だけど、周りはもっと怖かった。
帰り道なんて、特に怖かった。一番居場所が無い時間だったから。
……言葉にすると恥ずかしいが、今これが手一杯なのだ。
俺は、欲張りだから。
忘れたくないのだ。何一つ。
この手の温度も、嫌だった夕陽の光も、深い影も、残った穏やかな夏の暑さも、ツクツクボーシの鳴き声も。
全部、身体に刻みつけようと。
昔の思い出が、あまりにも空っぽだから。
全てを、忘れないように。全てが、愛おしく思えるように。
嫌だった思い出も、辛かった思い出も全て、フウと一緒に見れば何時か懐かしく思えると思うから。
「……瀬戸ん家までだぞ」
「照れなくてもいいじゃない」
「瀬戸が純朴なのは知ってるだろ」
「恋人同士が手を繋いでいるだけで取り乱すかな、普通……」
今は、まだ求めなくていい。
今は、この時間を精一杯、かみ締めていきたい。