コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- Re: 臆病な人たちの幸福論 ( No.479 )
- 日時: 2013/09/17 22:28
- 名前: 火矢 八重 ◆USIWdhRmqk (ID: MuUNITQw)
ワタシの目の前に現れたのは、要の友達らしい。
男の方は三也沢健治と名乗り、女の子の方は、宮川諷子と名乗った。
男はどうでもいいけど、——宮川諷子を見ると、なんだか落ち着かない。
何でだろ。綺麗でかわいい子とは思う。だけど、何だか、全然落ち着かない。記憶喪失と判った直後の時の、あのモヤモヤ感がある。
——……マスクしてたからギリギリこの口元も見られなかった。だけど、バレてしまう危険性があるから、こういう気持ちになるのかな。とにかく、心穏やかじゃなくなるから、早く帰ってほしい。
そう思ったワタシは、いらだちで頬を膨らませていた。
「千代っち、謝ろ?」
——一方要は、何も気づかずに、優しくいう。
さっきからこいつは、この男女を泥棒扱いしたワタシに謝れといってくるのだ。
「……ごめん、要。洗濯物ぐちゃぐちゃにして」
「いや、そこじゃなくて」
「何で!? 不法侵入したついでに人を泥棒扱いする人が悪いじゃん!!」
「いや、俺らも泥棒扱いしたけどさ? アンタが先に泥棒扱いしたじゃん」
「うっさいそこの男!」
何でワタシが謝らなきゃならないのよ! 勝手にドア開けたのはアンタだし、そもそも鍵をかけ忘れたのは要じゃない! 勘違いしても仕方ないじゃないの!!
(……——要もこの騒動の原因の一つだというのに、ワタシは何故か彼には八つ当たりしなかった。そのことの意味を、ワタシはこのころ、気づいていなかった)
今は、爆発しそうな怒りではないのに、何だかくすぶっていて、止められなくて。
「千代っち、謝ろ?」
何度も繰り返してくるコイツもめんどくさい!!
反射的に、ワタシはいやと返した。けど。
「千代っち」
——……まっすぐと、茶化すことも誤魔化すこともできないような視線が、ワタシの隋まで貫いた。
要は怒っていなかった。名前を呼ばれただけだった。なのに、ワタシの怒りはあっさりと抑え込まれてしまって。
沈下させるわけではなく、かといって暴れ馬を無理やり抑え込むわけでもなく。
ただ、冷静に、ワタシの理性に語り掛けた。
多少の驚きと、何故か悲しいものが、ワタシの理性を呼び起こす。
「……ごめんなさい」
滑るように、その言葉が出た。
要は、「よしよし、頑張りましたー」と、大らかに笑いながら、ワタシの頭をなでてくる。
態度は変わらなかった。だけど空気は、さっきよりももっともっと優しいものに変わった。
……そうか、とこの時判った。
こいつは、優しい、だけじゃない。
厳しいんだ。とても、人に。
笑顔で多重に包んで、尖った言葉と態度はとらないけれど。
なのに、頭から離れられない。要の言葉は。
——どれだけオブラートに包んでも、この人は、厳しい。
……だけど。
この撫でる手が、全てを包み込むようにしてくれたから。
抑え込まれた怒りは、ちゃんと、何処かで昇華されていた。
◆
「千代っち! 今日の晩御飯は肉じゃがじゃー!」
「……コンビニ弁当はどうするの?」
「コンビニ弁当だけじゃ悲しかろ? 一緒に食べればええんじゃ!」
そういって、ニコニコニコニコ笑う要。
……ワタシは、何故か笑えなかった。
この後バイトがあるから。そう要がいった時、宮川諷子が、慌てて紙袋から可愛らしいタッパーを取り出した。
中身は、肉じゃがだった。
『おすそわけに……って。わたしは美味しいって思ったけど、口に合わないかもしれない……』
『ああああありがとう! これで食費が助かったばい! 口に合わん!? 愛情込めて作った料理がそんなワケないったい!!!』
おすそ分けに、涙目になりながらそのタッパーを崇めるように掲げる。
宮川諷子と要の顔を交互に見て——また胸が、激しく痛み出した。
「(……何で、こんなに痛いのかな)」
今思い出しても、痛みは鈍くならないまま。気がどんどん萎んでいく。
その気持ちのまま、ワタシは肉じゃがを口に放り込んだ。
甘い。いい香り。柔らかい。
けど、何でかな。
どうしても、美味しいって、思えない。
「……千代っち? どうしたと?」
要の心配した声にこたえるのも億劫なぐらいで。
「……今日、まさか人に遭うとは思わなかったから」
「……千代っち」
そしてまさか、マスクを外して、この口元を晒すとは思わなかった。
——けれどそれよりも、さっきから、宮川諷子と要が一緒にいる姿が、どうしても頭から離れられない。
「いい人じゃったろ? ちよっちに、怯えてなかったじゃろ?」
……要の言葉に、ワタシは素直にうなずく。
確かに彼らは、少し動揺していたけど、全然怯えていなかった。
要の突拍子もない話も、すんなりと受け入れて、何もいわずに帰って行った。たぶん、ワタシの口元のことや要と同居していることを無暗にいいふらすことはしないだろうな、とも。
「な、千代っち。人と会いたくないのは判ったばい。けど、あの二人だけは、信用して大丈夫。な、千代っち。千代っちには、もっともっと、人と接しなきゃだめったい」
少しずつでもがんばろ? ——そういうコイツは、優しいいい方をする。だけど厳しい。
コイツのいうことは、間違ってなんかいない。
このまま閉じこもるだけじゃ、ダメなんだ。
だって、要とワタシは結局、赤の他人で。要から無償のモノを貰っておきながら、ワタシは返すものは全く持たない。
……洗濯物すら畳めなかったもの。宮川諷子のように、肉じゃがを届ける、なんてことも出来ない。
自分の身すら守れないワタシは、一刻も早く、その術を身につけて、要の元を離れなきゃいけない。
……すっかり忘れていたんだ。要って、本当にやさしかったから。
だけど、今日、要の厳しさを知って、このままじゃいけない、と思い知らされた。
同時に、突き放されたような、疎外感。
寂しい。……不安。怖い。
記憶を失った時、自分が何なのか、そして、コイツを信用していいのか、それだけを考えてた。
それで、この一週間、ワタシは要と話すだけ、出かけた要を待つだけの日々だった。
そして今日。……要の友人が現れて。
これから、沢山のことを考えなきゃいけないと、確信した。
……それが、怖い。
考えることも、その日あったことを思い出すのも、覚えなきゃいけないことも、きっと、沢山増えてくる。
それを、ワタシは要なしにこなせるのかな。
この時、あのモヤモヤとした不安と、自分の気持ちに気づけたら、何かかわっていたかな。
いずれにせよ、ワタシはいろんなものを見落として、勘違いしていたんだ。