コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- Re: 臆病な人たちの幸福論【一周年ですよ!】 ( No.497 )
- 日時: 2013/10/19 21:01
- 名前: 火矢 八重 ◆USIWdhRmqk (ID: MuUNITQw)
「……帰ってきてたんだ」
ポロリ、とこぼれた。
無防備にこんな風に寝ているのは珍しい。何時もコイツが寝るのは、ワタシが眠りに入った後だ。
そういや文化祭の準備期間で、忙しい忙しいっていっていたのを思い出す。よっぽど重労働だったのか、それとも、興奮してはしゃぎ過ぎたか。多分後者だろう。
文化祭。見た記憶はもちろんないけれど、知識としては知っていた。最近勉強して知った。記憶というのは種類によって覚える場所がそれぞれあって、思い出がなくなっても、知識や経験の記憶は残っているというのは結構あるらしい。
「(ということは、記憶を失う前も洗濯物や料理を上手に行えなかったってことよね……)」
ちょっと落ち込む。……いいもん、最近店主からも教わって材料の切り方とか上手くなったんだから。これからよこれから。と、思ってても、やっぱり気にしてしまう。モヤモヤと数々の失敗を思い出してしまい、羞恥を振り払おうとして思わず叫んでしまった。
「というかそれはどうでもよくてーッ」
慌てて口を閉じる。
要を見ると、少し身じろいだだけで、スースーと、寝息の規則は乱れていなかった。……ヤバかった。寝てるのに、耳元で叫んだらダメだろ。
フウ、と一息をついて、ワタシは改めてコイツの顔を見た。
「……間抜け顔」
見てると鼻をつまみたくなる。そんなことをするほど、ワタシは子供じゃないけど。
……子供で思い出したけど、ワタシって、何歳だろう。
ふと、今まで意識的に封じ込めていたものを開けた。
何もかも記憶がなくなって、何者かも判らなくなって、訳が分からないまま、コイツに助けられて、一緒に暮らすことになって。
ひょっとしたら、凄く酷く辛い現実になっていたかもしれないのに、随分とワタシは、穏やかで中々楽しい日々を送っている。
それでも、記憶喪失のことだけは、忘れることはない。
ワタシは何歳? どんな環境で育ったの? 家族は居るの?
知りたいけれど、知ることのできないことばっかりで。——けれど、一つだけ、思い出していることがあった。
それは、あの日フウコに話してくれたことによって、より一層疑うことのないモノになった。
ワタシは——バケモノなのだと。
意外と知識はあるので、もともとは人間だったのかもしれない。けれど、今のワタシは、人間じゃない。
そう確信できるのは、口が裂けているからじゃない。そうではない。
しょっちゅう包丁を使うとき手を切るのに、すぐ傷が癒えてしまう驚異的な治癒能力を持つから、でもない。
そうじゃない。……そうじゃない。
自分でも、何故そこまでいいきれるのか、説明のしようがない。……でも、たびたび起こる、あの手の感覚。
家でも、あの店でも、包丁や刃物を持った時、微かに感じる。その時、急に意識が消えてしまう。
霧で隠されたように曖昧な記憶の中にもあった。こんなことが。
……いや、前は、ずっとそんな感覚だった。
あの感覚がいったいなんなのか、説明のしようがない。なんせ抽象的に思い出してきたのだ。気のせいだと言い続けられたら、自信がなくなる。でも。
ワタシは、人というよりも、バケモノという方が、なんだかとても、しっくりくる。
そんなことはなか。
「……だから」
……口に、出したつもりはなかった。
慌てて要の顔を見ると、要の目はバッチリ開いている。
「……何時、起きたの?」
「さっき」
「そう……」
ドッドッド、と心臓の音が煩い。さっきまで中々起きないだろうと思ってたから油断した。ビックリしたわ!
「……えっと、ワタシ口に出してた?」
「え? 何のこと?」
「え、さっき、要『そんなことはない』っていわなかった?」
そう聞くと、要はすごく不思議そうな顔をした。
それでさっきの言葉が出た真相を察する。……寝言かよ。驚いたわ。
「何? なんかいっとったと?」
今度は、要が聞いてきた。
要の瞳は、綺麗な黒色だ。
黒曜石のように、澄んでて、たまに鋭くて、何時も綺麗。
……もし、ここでワタシが自分のことを「バケモノ」だといったら。
要は、悲しむだろうなあ。
「……ううん。何にもいってないよ」
「? そうかね?」
ワタシは、要が悲しむのは見たくない。
それ以外はいい。間抜け顔でも、バカな顔でも。けれど、悲しむのだけは。
要。……ワタシ、知ってるよ。出会って三週間も経った。でもまだ、ちゃんと話してくれたことはないけれど。
『いかないで』
寝ている間、その言葉をたまに聞くんだ。
君は、置いていかれたんだね。
大切な人に。
だから、今の今まで、あんな風に、安らかに眠ることはなかった。声を上げて泣きながら寝るよりも、起きて仕事をして、平気な振りをするほうが、良かったんだね。
でもたまに、眠っていた君が、苦しそうに泣いていたことがあるよ。それを君には黙っているけれど、ワタシは、本当は、励ましたかった。
今のワタシには、それが出来ない。自分のことで、手一杯過ぎて。だから。
「……ねえ。もし、ワタシがこの家を出ていくっていったら、どうする?」
そう聞くと、要は目をパチクリと瞬かせた。
「……出て行ってしまうと?」
——それって暗に、「いかないで」っていってるようなものだよね。
それが、何時か出ていかないといけないワタシにとっては、嬉しすぎることだった。
中々上手くならない笑顔を、精一杯してみせて、いった。
「いかないよ」
……いかないよ。まだ。いかないよ。
そう何度も、繰り返した。
ワタシはこの時、二つの嘘を、ついていた。
それが明かされる時。……嘘をついたときには、思いもしなかっただろう。
「いらっしゃーい」
「あのー……ここ、『ハルジオン』で会ってますよね」
「せやけど。初めて見る顔やなあ、君」
「ええ、京都から来まして。……あの」
「——大八木千歳さん、ですよね?」
死神が、ワタシを断罪しに来るとは。
夢にも、思わない。
(後半へ続く)