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- Re: 臆病な人たちの幸福論【口裂け女のムカシバナシ】 ( No.529 )
- 日時: 2014/02/20 19:02
- 名前: 火矢 八重 ◆USIWdhRmqk (ID: T5S7Ieb7)
……多分、ワタシはハツみたいに、子供や赤ちゃんが好きではないと思う。
ハツは「弟が可愛いかもしれないけれど」と言ったけれど、ワタシは特にそうは思っていなかった。
あまり弟に関心はなかった。嫌いではなかったけれど、ハツみたいに顔を緩めることは出来なかった。だから接している時も、マニュアル通りにしているだけで。勿論、弟はマニュアル通りには事を進めてはくれなくて、面倒くさくはなったが、それでも弟の世話を止めようとはしなかった。
お父さんとお母さんが頑張っている。だからワタシには見向きもしないのだと。
ここで弟の世話を頑張ったら。……ワタシのこと、見てくれるかもしれないと。
そう、思っただけなのだ。
◆
走る、走る、走る。
ただひたすら、走って走って走る。
なのに、あいつは何時までも追いかけてくる。
——巷で噂された口裂け女のワタシの方が速いハズなのに、要は、とうとうワタシの手首をつかんだ。
ドッと、汗が全身から出ていく。
もう、流石に残暑は通り過ぎて、涼しいどころかうすら寒くなってきたのに。
「千代っち!」
名前を呼ばれたが、ワタシは振り向くことはしない。
何となく予想していた。コイツがワタシを追いかけて、ワタシより速く走って、ワタシの手首をつかむことは。
「なんばしとるの、千代っち。千歳さんの何が気に食わんのじゃ?」
要は、優しく声を掛ける。
こいつは、ワタシが欲しい言葉を、欲しい態度をくみ取ってくれる。そこが好きになった理由だけど。今は、それが嫌だった。
「あなたに……何が判るっていうの」
やっと出た言葉が、それだった。
判ってる。こんなこと言ったって、要を傷つけるだけだ。突き放すことが出来るぐらいだったら、既にやっている。
だけど、何時もワタシの気持ちを見通したかのような態度で喋るこいつに、無性に腹が立って、感情を抑えることが出来なかった。
「判らなかったら、放っておいてよ。お願いだから」
「千代っち!」
「——いい加減、しらばくれるのをやめて!」
自分でも信じられないような金切声に、要がビクリ、と肩を震わせた。
けれどワタシは、それに構わないで責めたてた。
「知ってるでしょ、もう既に! ワタシ、口裂け女なの。バケモノなの。通り魔なの。沢山沢山人殺してるの!」
気づかないわけがない。
要の学校の文化祭の時に、ヒソヒソと陰口で言われた言葉。
『あれって、噂の口裂け女じゃない?』
マスクをしていたのに、何故ワタシの口が裂けているなんて判ったんだろう。
その時は判らなかった。何の噂だったのかも知らなかったし、そもそも噂を立てた記憶もない。
判らないから余計記憶の中で突っかかって来る。気になったワタシは、ネットで調べることにした。
調べてしまった。
夏から起こった、通り魔殺人。
その数、死者負傷者入れて十単位の人たちが被害に遭っている。
負傷者の人たちは、口を揃えてこう言った。——「口裂け女にやられた」と。
被害は、お盆が終わった後に途切れている。
それはちょうど、ワタシが記憶を失くした直前。
証拠は何もない。けれど、ワタシと噂の口裂け女を結びつけないほうがおかしい。
いくら要がテレビも新聞も持たない主義だったとしても、学校や仕事で噂を聞いていたはずだ。
「……思い出したと?」
要の声が、遠くから聞こえるのは、ワタシが現実逃避したいと願っている心のせいか。
だけど、ワタシは、それには答えず、思いっきり要の手を振り払って、走り出した。
できれば飛べたらな、と思った。
(鳥みたいに飛べたら、要に追いつけられることもない)
(このままだと、絶対に要に嫌われる)
(……心の片隅で、またさっきみたいに手首をつかんでくれたらな、と思った自分に自嘲して、今度はもっと速く走った)