コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- Re: 臆病な人たちの幸福論【瀬戸君、ご乱心】 ( No.566 )
- 日時: 2014/08/15 20:50
- 名前: 火矢 八重 ◆USIWdhRmqk (ID: PboQKwPw)
パン! 朔君が手を叩いた。
ガラガラと、粗大ゴミが崩れていく。
車よりも背が高い食器棚は、粗大ゴミによって、半分より下が覆われていた。崩れていったことで、隠されていたところが現れていく。
音を立てて崩れ、頭から地面にぶつかって壊れていく粗大ごみ。それは怪獣映画の、次々と壊されていく建物のシーンのようだ。
のんきなことを考えていたわたしは、——目を疑った。
「これ、なにかわかる?」
棚の至る所に、真っ赤な血がベットリとついていた。
口紅よりも、絵の具よりも、ドラマなんかでよく使われる血のりよりも、鮮やかで狂気を帯びた赤。
自然の色とは程遠い。なのに、夕暮れや花のように見るものを魅了する、それでいて、人を狂わせるように美しい、赤。
「これ、見覚えあるだろ。お前の家にあった食器棚だ。
そしてこの赤は、お前が殺した使用人の、血だよ。
お前の妖力が帯びているせいか、何時まで経っても色が変色することはない」
まるでお前のようだね、と朔君はいった。
彼はしゃがんだにも関わらず、こちらを見下ろしている。
その目は、あまりにも冷徹で、口は笑っているのに、目は笑っていなくて。
まっすぐと届いた悪意に、わたしは身震いした。
本当に子供? この子は。
何度目の疑問だろう。
なんでそんな目が出来るの。隠そうともしない悪意を向けられるの。
そこら辺に居る大人びた子とは違う。生意気な子とも違う。根本的に違う。
これが、芦屋家?
子供だろうが関係なく、人の温かみを忘れたような冷たい悪意を向けるようにしているのだろうか……。
頭がガンガン痛む。胃らへんのところがムカムカして、吐き気が襲ってきた。
慣れたハズの義足が、思うように動かない。
義足と接している足の断面が、だんだんと痛んでくるように感じた。
逃げ出したくなるぐらいに、痛かった。立ち向かうのが怖くなった。
これ以上逆らったら、どうなるんだろう。芦屋家の陰陽師は、神をも殺す権利を持っていると聞く。わたしを殺すことぐらい、他愛ないだろう。
こんな目が、出来るぐらいなら。
(——負けるな。負けるな、負けるな)
自分の身体を抱きしめて、必死になって震えを止めた。
奥歯を噛みしめて、唇も噛んで、足の痛みを耐える。鉄の味が口に広がった。遅れて唇を切った痛みも来た。
同じ痛みのはずなのに、何故か唇の痛みは、心を落ち着かせてくれた。
……大丈夫。まだ、いける。小さくつぶやいた。
気迫負けしないように、キ、と朔君を睨み付ける。
朔君は笑いを止めて、真顔になっていた。それでも、冷たい目は変わっていない。
「……お前は、使用人たちを殺してから何も変わっていない。——それだけでもう、お前は十分にバケモノだ」
「姿かたちが変わっていないだけで、なぜ化け物扱いされなきゃならないんです!?」
彼の言葉にカチンと来たわたしは、思いっきり叫んだ。
声が裏返ったが、気にする余裕はない。
人を殺した罪は、とても重い。
それを責められたら、わたしは言い返すことは出来なかっただろう。
どんな背景があったとしても、殺された相手にとっては、憎むべき殺人鬼。
つい最近の通り魔事件の被害者は、千代ちゃんとは無関係な人ばかりだったのだから。——怪異の警察と呼ばれる陰陽師の人にそれを指摘されても、何も反論できない。
わたしが怖がっていたのは、それだった。
千代ちゃんを庇いきれないことが、怖かった。
でも、これは、違う。姿が変わっていないからってなによ。見た目が若い人にもそんなこというの。それをいったら、まるで。
まるで……。
「わたしも化け物みたいじゃない!!」
わたしだって、例外じゃない。
千代ちゃんは二十五年ほど姿が変わっていないけれど、わたしなんか八十年近くは変わっていない。
それをいうなら、わたしの方が化け物だ。
ほんの少しだけ、朔君の冷酷さが薄らいだ。
あれだけ肌で感じたキツイ殺意と悪意も、なくなったわけではないけれど、足の震えが止まるぐらいには消えていた。
「……『八十年近くもの冬眠から覚める』だったっけ? 見出し」
叫んだわたしの心中を察したのだろう。
朔君も、あの記事を読んでいたようだ。
「それじゃ、結界をくぐり抜けることが出来るわけだ。……そっかあ。禁術の子かあ……」
「……禁術?」
聞きなれない言葉を聞き返す。
けれど、声は思ったよりも小さくて、朔君には届かなかった。
でも、なんとなく、その言葉の意味は分かっていた。
禁術。つまりは、禁じられた術のこと。
多分、その禁術というのは、わたしの冬眠に関してのことだと。
朔君がまた、悪意と殺意を向けた。今度はわたしに向けて。
けれど、今度はさっきとは比にもならないぐらい弱いもので。
悪意を感じることは出来るのに、彼の態度は弱弱しく。殺意は向けられるだけ痛いのに、彼の態度は、虫も殺せないぐらい。
何故だろう。何故でしょう。
涙なんて流していないのに、どうしてかわたしには、彼が泣いているように見えました。
「じゃあ、別に君でいいよ」
か細い声で、朔君はいった。
「——誰だっていいんだ、一匹化け物を狩ることが出来れば、僕の仕事はおしまいだもの」
ゆっくり、ゆっくりと告げられた言葉とともに、朔君は手を伸ばす。
その言葉の意味を、わたしは、すんなりと理解した。
……薄々、想っていたことでした。
何故、わたしは冬眠することが出来たのだろうかと。
結核で弱った体のわたしが、死んだと思われて埋葬されたわたしが、どうして今まで生きたまま眠り続けることが出来たのかと。
偶然なんてありえない。わたしの身体に、誰かが何かを施して、わたしを冬眠させた。それしか考えられない。
でも、あの時代の科学では、——否、この現代の科学でも、到底無理な芸当で。
だから、考えられるのは一つ。
わたしが、生霊だったからこそ、そうだと感じた、たった一つの可能性。
わたしに。
「君を殺してもいいなら、その子は見逃してあげる」
わたしに、誰かが、人外的な術を掛けた、ということ。
死刑判決は唐突に
(千代ちゃんを差し出すか、自身がその代わりとなるか)
(朔君に聞かれたわたし)
(命の天秤が掛かった質問をされるなんて、夢にも思わなかった)