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Re: 臆病な人たちの幸福論【瀬戸君、ご乱心】 ( No.567 )
日時: 2014/09/07 21:36
名前: 火矢 八重 ◆USIWdhRmqk (ID: PboQKwPw)

口裂け女ノ邯鄲ノ夢


 ……あの日、ワタシは、山田さんに騙されたことを知った。
 その瞬間、ワタシは、殺されかけた。


 何故殺されそうになったかは、実のところあまり覚えていない。
 何となくだけど、宗教上の『生贄』とかだと思う。——オカルトに興味のなかったワタシが、その存在になっているなんて、なんとも滑稽な話だけど。

 叫んだワタシに、彼は持っていたナイフで切り付けた。

 それから必死にもみ合って、両頬にヒヤリとした感覚が、遅れて鋭い痛みを伴った。そのまま傷をえぐられそうになったワタシは、何とかスキをついて外に飛び出した。

 女のワタシは力負けすると思っていたのに。火事場のバカ力とでもいうのだろうか。奇跡だった。
 その奇跡を逃すわけにいかない。助けを求める為に、必死に走った。

 息苦しくて、全身が麻痺するぐらいに脈が速く鳴って、酸欠した頭は何も考えられなくなるぐらいに痛んだ。
 小学生の時は、走るのは凄く苦手だったのに、高校生になった途端、速く走れるようになったいた。追い掛けてくる山田さんたちの友人から逃げて、ギリギリのところで交番にたどり着いた。



 山田さんたちは現行犯として逮捕されて。ワタシは、警察署の方で事情を聴かれ、保護されて。——その後、お父さんが迎えに来た。
 今日のところはもう遅いからと、家に帰らされた。
 珍しく車で運転するお父さん。街のネオンで照らされたバックミラー越しでも、どんな顔をしているのかわかった。
 いや、見なくたってわかった。
 想像通りなのだ。こうなるとは思わなくても、ワタシが男の人と付き合っていると知ったら、どんな表情になるかは判っていた。

 顔を合わせる度に言っていたのだ。

「お前は、お父さんが決めた人と結婚するんだよ」と。

 高校を卒業したら、お金持ちの男の人と結婚させられると気づいた。
 だからワタシは、山田さんに騙されたのだろう。










 家にたどり着くや否や、ワタシはお父さんに殴られた。
 切り付けられた頬が、尋常ではないぐらいに痛む。でも、もう、泣くことも出来ない。疲労して立ち上がることも出来ないワタシに、父と母が、罵声を浴びさせてくる。


「そんな娘に育てたつもりはないぞ!」

「汚らわしい……はしたない!」


 恥というものを知らないのかと思ってしまうぐらい、人様には聞かせられない言葉。その勢いは止まらない。
 異常を感じた弟が泣き喚く。何時もなら耳がキンキンとするぐらいに煩わしいのに、両親の怒鳴り声は赤ん坊の泣き声をかき消した。


 どんどん重くなる身体。
 ボンヤリと、はっきりしない思考。
 ただ、このときになって、ようやくワタシは、真実を知った。


 ああ、そうか。

 この人たちは、子供なのだ。
 赤ん坊のように、何も考えず、ただひたすら泣き喚く人たちなのだ。

 山田さんも、ワタシが何か気に食わないことをしたら、こんな風に散々怒鳴り散らしていたっけ。
 八歳年上の山田さんが大人に見えた。そこら辺のサルのような男子高校生とは違うと思った。
 汚らわしい、性欲にまみれた目でワタシを見ず、ワタシという人格そのものを受け入れてくれると思っていた。
 でも、違う。
 あの人もまた、自分以外は何一つ受け入れられない、子供だったのだ。


 愛してくれると思っていた大人は、皆子供だった。
 誰も、ワタシを愛してなんかいなかった。あったのは、執着心。
 赤ん坊が気に入った玩具を手放さないのと同じ。
 両親にとって、山田さんにとって、ワタシは人間じゃなく——玩具。


 ワタシは随分ひねくれた人間だと思っていたが、そうでもなかったみたい。
 それでも愛されていると信じていた。恋人だから、愛してくれる。両親だから、愛してくれる。何にも疑わず。


 そんな自分がバカらしく、アホらしく、間抜けで、——純粋だと思えた。


 そうだ。
 ワタシは、純粋だった。
 両親よりも、山田さんよりも、ずっとずっと純粋だった。
 両親がワタシを見てくれないのは、自分がダメな娘だから。ワガママで、人の苦労の上で平気で寝そべって食って暮らす。それなのに、両親が思うような令嬢にはなれず、両親が望むような人生を歩まず、勝手に暮らしている。
 山田さんの言葉がキツイのは、ワタシがダメな人間だから。人の神経を逆なでして、恋人がしてくる行為がたまらなく嫌だと感じて。山田さんには迷惑しかかけない。好意をちゃんと返していない。それどころか怖く感じて。でも、それはワタシの心が弱いから。


 ずっとそう思っていた。
 ずっと自分を卑下にしていた。
 真実に気づけた今、それがどれだけ滑稽知って——でも、そんな自分が、たまらなく愛おしかった。

 ワタシはこの時、やっと自分を好きになれた。

 そう自覚した途端——ワタシの意識は、一旦途切れる。













 気づけば、あたりは血の海だった。
 鉄と生臭い肉の匂い。手には草を刈る為の鎌。……ワタシこんなの、ドコで拾ったんだろう。
 お手伝いさんがお庭の掃除をしてくれるのに……。ボンヤリと辺りを見渡す。

 首ダケナイ死体。
 首ダケノ死体。

 お父さん、お母さん、お手伝いさん。
 皆、もう、何もいわない。
 ワタシを怒鳴ることも、殴り飛ばすことも、ワタシを卑下することもない。