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Re: 臆病な人たちの幸福論【瀬戸君、ご乱心】 ( No.568 )
日時: 2014/09/07 22:02
名前: 火矢 八重 ◆USIWdhRmqk (ID: PboQKwPw)

 生きていても、褒めてはくれなかっただろうな。
 愛しても、くれなかっただろうな。

 それでも、……あと少しだけ、愛されなかったことに気づかなかったら。きっと、あのまま殴り殺されたであろうワタシは、死んだ後も望んだだろう。
 お母さんとお父さんに、殴られるのではなく、頭を撫でてくれることを。
 優しく、あたたかい、陽だまりに照らされた家族の夢を見ながら。冷たくなっていっただろう。



 ……窓から、月光が差し込む。
 真っ暗闇の中、窓のそばにあった鏡を見た。
 奇跡的に血で汚れていない鏡は、大量の血を浴びたワタシを映す。

 映されたワタシの口は、異常に裂けていた。
 そのことに、驚きはしなかった。そっと、指で耳元まで触れる。痛くはない。


 ……鎌で、この口を裂いたんだっけ。


「あ、ハハハハ……アハハハハハハハハハハ!!」


 笑いがこみあげてくる。
 鏡にうつされた不気味なバケモノが笑う。

 誰もが賞賛したワタシの顔。
 けれど、ワタシはこの顔が嫌いだった。
 この顔だけしか、誰もワタシを見てくれなかった。
表面上の好意は、悪意なんかよりもっと最悪なものだ。簡単には、振り払えないのだから。
 振り払えば他人の善意を足蹴りにしているかのようで、こちらが悪い気がした。振り払う明確な理由が思いつかない限り、相手を悪くいうのはダメだと思った。

 それに。……表面上の好意を受け取らなければ、ワタシは愛されていないと認めるほかなかったのだから。



 だから今、嬉しい。
 親殺しという罪深いことをした女に相応しい、醜い顔だ。

 愛されないなら、周りの人から憎まれよう。
 バケモノだと蔑まれよう。気味悪く思われよう。
 薬になれないなら、毒になってやる。
 正義の味方に慣れないなら、悪役になってやる。
 同情なんかいらない。誰からも『バケモノ』と呼ばれる、極悪の存在になる!!
 皆ワタシが大嫌いなんだ!!
 いいよ、ワタシもこんなクソったれな世界大嫌いだ!! ぶっ壊してやる!!
 ワタシは、幸せな人間を恨む。妬む。例えワタシと全く関係がなくても、その無関係さに腹が立つ!!
 道連れにしてやる、同じ屈辱を味あわせてやる、引き裂いてやる!! ああなんて、想像しただけでこんなにも楽しいんだろう!! ワクワクするんだろう!!


 解放された。ワタシはもう、誰かの目を気にすることがない!! 嬉しい!! 凄く嬉しい!!




 ……嬉しいのに、なんで悲しいんだろう。




 鏡の前のワタシは、泣いていた。
 月光によって更に妖しくなった顔は、ボロボロと涙を零す。
 皮肉なことに、泣いているバケモノの顔は、醜くても、恐ろしくても……涙する顔は、今までよりも情けなかった。

 ……狂人になろうと思っても、良い娘になろうとも。結局、ワタシは自分の心を捨てることが出来ない。
 実の両親を殺してしまった。知っている人とはいえ、無関係な人も巻き込んで。
 人を殺した罪悪感。取り返しのつかないことをしたという、虚無感。


 なんてことを、してしまったんだろう。


 頭がいっぱいになって、立っていられなくなったワタシは、ペタンと力なく座った。
 コツンと、膝がベビーベッドの足元にぶつかった。


 千歳の顔を覗く。
 千歳は、もう泣いていない。
 寝てもいない。……そして、笑ってもいなかった。
 目が死んでいる。覇気がない。
 随分両親やお手伝いさんから放って置かれたんだろう。ワタシも……最近、千歳に構っていなかった。


 千歳の目に、ワタシの顔が映る。
 また、泣きだすだろうか。随分怖い顔をしているし。そう思ったのに……少しだけ、こちらのほうに、首を傾けて。——ニッコリと、笑った。



 ……なぜ、ワタシは、ちゃんと千歳の存在を考えなかったんだろう。
 千歳を弟だと思ってなかったから? 厄介者だと思っていたから? それとも、両親や山田さんの方に向いていたから?

 でも千歳は、こんなひどい『姉』に対して、笑った。
 ガラス玉のような目で、姿も心も醜いワタシに、微笑んだ。
 その時ワタシは——今まで満たされなかった心が、温かいものでいっぱいになる。











「……ねいちゃ」



 それは、小さな声。

 千歳が、喋った。
 初めて千歳が、口をきいた。
 ワタシを、『姉ちゃん』といったのだ。


「(ああッ……!!)」


 涙が零れる。
 さっきのとは違う、熱を持つ涙。みっともなく、鼻水も流れる。
 胸が苦しくて、心臓がバクバク鳴って。……でも、悪くない気分。


「ねいちゃ、ねいちゃ」


 手を必死に動かして、無邪気に笑う『弟』。
 ワタシを、……こんなワタシを、『姉』だと呼んでくれる弟。

 どうして気づかなかったんだろう。
 『幸せ』は、こんなところに転がっていた。無償の愛は、この小さな命が注いでくれていたのだ。

 それなのにワタシは、何にもしてくれない弟に、ワタシには甘えくるばかりの弟に腹を立てて!!
 こんなにも非力な弟を、殺そうなんて考えて……!!



『妹ってさ、やっぱり色々邪魔ばっかするんだけど。何時も可愛く「ごめんね」なんていうから、ま、いっかって思っちゃうのよねぇ……』


 やっぱ甘いのかなあ、そういったハツを思い出した。



『妹って、居てくれるだけでいいのよね。一人で留守番することないから。
 ……あの子に向かって、「お姉ちゃんばっかり頼ってちゃ、このままじゃ一人で生きていけないよ」って言ったことあるんだけどさ。何時も助けられているのは、私かもしれないなって、ふっと思うんだ』


 ハツの言葉が、今になって理解できる。
 そして理解できる今、ハツがどれだけワタシの支えになっていたのか、やっとワタシは思い知った。