コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- Re: 臆病な人たちの幸福論【罪と罰】 ( No.592 )
- 日時: 2015/08/24 16:39
- 名前: 火矢 八重 ◆USIWdhRmqk (ID: FInALmFh)
初めて人を殺し、家を飛び出した日。
山の中で、ワタシは、ある女の人に会った。
月明かりで照らされた道に、その人は立っていた。ワタシを待っていたかのように。
今まで出したこともないような力で走ったせいか、その人を見た途端に足が絡まった。
上半身だけ起こしたワタシの頬を、ゆっくりと撫でる。
『……まだ、早い』
深緑の目でワタシを見つめて、その人はいった。
妖のワタシには、死臭の匂いがした。多分ワタシも、別の妖からしたら、死臭の匂いがするのだと思う。
でもその身体にはちゃんと、血が通っていた。頬に触れた手は、ぬくもりがあった。
今なら、ゾンビとか、キョンシーとか、死体から生まれた妖じゃないとわかる。でも、どうしてだろう。動いているのに、その人は死体のようだった。
表情があまり、動いていなかったからかしら?
時間が止まっているようだったのだ。
不思議な人だった。
大人びているのか、幼いのか、
生きているのか、死んでいるのか、
その両方を重ねて持った人のようだった。
その人に撫でられる度、頭がボンヤリしてきた。瞼は重く、逆に身体は軽くなっていく。とても安心できたのだ。
ワタシはその人の腕の中で一旦眠った。
母親の腕のなかって、こんな感じなのかな。そう思いながら。
最初に目が醒めた時、まだワタシには記憶があった。
でも場所は、最後の記憶にある山の中ではなく、車の中。けれど、その女の人は傍に居てくれた。知っている人が居ると思うと、平静でいられるものだ。
女の人は、隣で運転していた。どうやらワタシは助手席にいるようだ。
その人は固まった表情で、前だけを見据えている。話しかけてみたかったけれど、出来そうになかったので、諦めた。
でも、ここはどこだろう。状況がわからない。
ネオンの町を見渡す。町の光って、あんなに眩しいものだったかな。それに知っている町並みとは随分違う。
あそこにあったパチンコ屋はコンビニに変わって、雑木林だった場所はファミレスに変わっている。
でも、学校の通学路に雰囲気は似ているのだ。ワタシは、ワタシが知らない町にいるのかな。ワタシが知っている町に似ているだけかな。
その疑念はすぐに違うとわかった。
ワタシが通っていた高校が、目についたからだ。
「今、あなたは二十年以上も先の未来に居るんだよ」
起きていたことに気づいていたのか、女の人がそういった。
こちらを見ずに、女の人は会話をつづける。
「未来、っていうのは変かもしれないが。君は今まで眠っていたんだ。二十年以上も」
「二十年以上も……?」
そんなにワタシ、眠っていたの? 自分の生きていた年数よりも?
女の人は続ける。
「人ではないというのは便利だね。こんな突飛な状況でも、驚かずに受け入られる。普通の人間なら、眠り続けていたという事実に目を背けるか、発狂するかのどちらかだ」
そうなんだろうか?
確かにワタシはもう、人ではない。斧でも簡単に片手で振り下ろすことが出来る腕力と、人の身長より遥かに高く飛べるこの脚。加えて裂けたこの口。立派な化け物。
でも、だからワタシがこの状況を受け入れているんじゃない。
ただ、どこかで他人事のように思っているだけだと思った。
「……人は、嫌だった?」
女の人は聞いた。漠然とした問いを、しかしワタシは、その意図を理解できた。
「どうでしょう。もうあんまり、何とも思っていないかもです」
そう答えながら、殺人の記憶を手繰る。
……あれだけ憎かった、恨んだ。なのに、今はどうでも良くなった。あれだけ心配していた千歳のことも、今は適当に幸せになっているだろうと思えた。
これが、心を捨てたということ? 化け物になったということ?
悲しくも辛くもない。だって感情がないんだから。
でも。
だったらこの、溢れてくる涙は何だろう。
「……どうして、泣くの?」
「わかりません」
わかりません。なんで泣くの? どうして人は泣くの。なんでワタシはまだ泣くの。
問いがグルグルと回る。廻って廻って身体の何処かに出来たくぼみにストンと落ちる。
「もう人じゃないのに。人じゃなかったら泣かないで済むと思ったのに」
「……じゃあ、まだあなたは人なの?」
「わかりません。ワタシはもう化け物だと思っていたんです」
人として生きたくないと、あれだけ願ったのに。
涙は止まらない。
失ったものが大きすぎたのか。捨ててはいけないものを捨てて、悔やんでいるのか。
悔やむ心も捨てたはずだった。
「ワタシは、これからどうするべきでしょうか。もう、ワタシの意思では動いていけない気がする……」
誰かに従って生きなきゃいけないような気がする。それぐらいのことをした。
生前から、親の言うことに従って生きていた。それに苦だと感じたら、今度は恋人の言うことに従った。
でもそれは、自分が望んだことだ。その方が、楽だったから。従えば愛させる、逆らえば殺されると思ったから。
でも、じゃあ、次は? 誰に従うべきだろう。誰の言うことを聞くべきだろう。……でもその時ワタシは、楽になれない気がする。楽だとは思えない。
楽だと思っていたことが苦痛な結末を迎えるんだと、気付いたから。でも今はそれが、罰として相応しい……。
「——それに気づくってことは、あなたが、人として生きたいと願うからじゃない?」
女の人はいった。
「誰かに選択を選ばされることが、苦痛だとあなたは知っている。それと同時に、最初から自分で選ぶことの責任も知っている。例え後に不利な状況に陥ったとしても、それが自分の選んだ道なら責任を果たさねばならない。……だから迷う。どちらが苦しくないかを。どちらが楽かを」
「結果、ワタシは他人に勧められたことしかしませんでした。全然、楽しくなかったけど……」
「ほら、自分で結論を出している。あなたは、楽な事じゃなくて、楽しいことをしたかったんだよ」
「したかったんでしょう?」ではなく、「したかった」。
疑問形ではなく、断定の言葉。けれど、間違いなくワタシの心情だった。
ワタシは驚いた。なんであなたが知っているの。ワタシ自身気づかなかった心情に、なぜあなたが言葉で表現できるの。