コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- Re: 臆病な人たちの幸福論【罪と罰】 ( No.593 )
- 日時: 2015/08/24 17:11
- 名前: 火矢 八重 ◆USIWdhRmqk (ID: FInALmFh)
「——選んでみる?」
初めてその人は、こちらを見た。
やっぱり、きれいな目だった。山にある緑、雨に濡れた緑。自然界にあふれる美しい色彩。
でも、この人の目がきれいに見えるのは、ワタシを真正面から見てくれるからだ。真正面に見る潔白さが、この人にあるからだ。
両親にも、最後に会った山田さんにも、失われていたものをこの人は持っている。
「今からでも、遅くないよ。人として生きること。
……たどり着く先は、やっぱり地獄だろうけど」
だからワタシは信じた。
この人のことを。
この言葉が、嘘じゃないって。
だからワタシは、「人」に戻ることを決心した。その時、今度は強烈な睡魔が襲ってきた。
頭の中全部を白く塗りつぶすような激しい睡魔だった。起きたときには、全てを忘れてしまうかもしれない。直感した。でも、どうしようもなく眠く、抗えなかった。
最後に、女の人がこういう。
「おやすみ。安心なさい。悪いようにはしないから」
と。
■
要に別れを告げた瞬間、気づけばワタシは、鳥になっていた。
白い鳥になって、空を飛んでいる。憧れの鳥の姿だ。
下を見下ろせば、街の光が灯って。
上を見上げれば、空気が少し澄んだ秋の夜空は、星が輝いている。
夜になっても、光はある。溢れるように、闇の中にある。
すごいなあ。こんなに光にあふれていても、夜は消えない。
やっと思い出した。何故ワタシが、二十年以上たった今になって、口裂け女として現れたか。
あの人があの後、何をしてくれたかは覚えていない。推測できるけれど、それが真実化もわからない。直接あの人に聞いたって、答えてはくれないだろう。
でも、どうしてもあの人にいいたいことがあった。
そう思いながら翼を大きく羽ばたかせると、あっという間にあの人の家についた。
ベランダの欄干に、ワタシは止まる。
その人は、寝間着姿で、あの日のようにワタシを待ってくれた。
「ありがとう」
ワタシは真っ先に、その言葉を掛けた。
この言葉をどうしても伝えたくて、ここへ来た。
「あなたが導いてくれたお蔭で、ワタシは最後、人に戻れた」
「……その『最後』は、こんな風になったのに?」
「あるべき姿に戻っただけ。でも、あの時選ばなかった道と、同じだとは思わない」
沢山得るものを持って、逝ける。ワタシはちゃんと生きられたのだ。
だからありがとう。
要と、ワタシを引き合わせてくれてありがとう。
要と同居することになった当初、記憶がないからわからなかった。
なんで、要のお義母さんは、要とワタシの同居を認めてくれたんだろう。
要曰く、あの人は大雑把だから、なんていってたけれど。そんな理由で、大事な息子の元に見知らぬ女を置かせることが出来るかと思った。
その理由が、全部思い出した時にわかった。
あなたは最初から、こうするつもりでいたんだ。
何もいわないで、見守ってくれていて、ありがとう。
「今度会えた時には、お義母さん、って呼んでいいですか」
「……無理ね。その時には、私もいないだろうから」
そう言って笑った顔が、要にも、……あの子にも、似ていた。
「さよなら。——芙由子さん」
さあ、向かおう。あの子の元に。
■
こうやって、街を見下ろすと、判ることがある。
本当に人は、ギュウギュウ詰めに暮らしていて、本当にみんなで暮らしている。
だから、すぐに不機嫌な態度も伝わるし、ご機嫌な態度も伝わる。
沢山の理不尽に囲まれて、沢山のやさしさに囲まれて。
でも全部、もともとは一つなんだ。何時もいろんな問題が発生して、とっても複雑に見えるけれど。
たった一つから、始まったんだ。
■
太陽のように、その家は燃えていた。
炎は大きく、高く高く、何時までも変わらぬ夕暮れの空へと向かっている。飛んでいるワタシにも、届きそうだ。
あの炎、熱そうだなあ。でも、とても綺麗な炎の色。
ワタシが流した血の色よりも明るくて、金糸をぜいたくに使った朱の布のようだ。きっと、ああいう炎はどんな不浄なものでも優しく包んで浄化するのだろう。
でも、あの中に居るあの子は、不浄なものじゃない。
善意の塊であるあの子にとっては、自分の命を奪う業火でしかない。
想像しよう。全力で走る時、少し助走するように。
少しだけ上空して、そして矢のようにワタシは飛んだ。下に向かって。
口ばしの先が、空気を切る。そのままワタシは、燃える家に突っ込んだ。
不思議と、暑さは感じない。息も苦しくない。ただ、炎の中は眩しくて、中を探るのは大変。
だけど一刻の猶予もない。あの子は何処に居るんだろう。そう思って、姿を探す。
平安時代の姫様のように、長い髪を乱してフウコは横になっていた。
ワタシは近づいて、フウコの容態を確かめる。服や肌には煤がついていたけれど、無傷だった。息もちゃんとしている。
良かった。安堵の息が零れた。ワタシ、ちゃんと間に合ったんだ。
「フウコ、フウコ」
白い翼は、人間の腕に戻っていた。
こういう時は人間の体が役に立つ。やさしく、ワタシはフウコの身体を揺らした。
「……千代ちゃん?」
目を覚ましたフウコは、すぐに飛び起きた。仰天した顔をして問い詰める。
「な、なんで!? なんで千代ちゃんがここにいるんですか!?」
「それよりも、早くここから出よう?」
元気だね。結構煙吸っているはずなのに。これだったら一人で出ることも出来るだろう。
ワタシは彼女の体を起こして、出口に向かわせる。
「ほら、早く出て」
「む、無理だよ……だって、わたし」
「ケンジを、置いて行ってもいいの? ケンジ、あなたを随分探していたわ」
さっきここへ向かう途中、山の中を必死に探していた。水が欲しくて堪らない砂漠の旅人のように。水の代わりに、彼はフウコを探していた。
「あなた、ワタシにいったよね。要を一人にしないでって。
だから、あなたもケンジを一人にしちゃいけないわ。わかってるでしょう?」
「でも……でも」
「一緒にいたくないの?」
「いたいよ! でも、千代ちゃんだってその気持ちは同じじゃない」
「そうよ。一緒よ」
だから決めたの。もう離れないって。
離れないと決めたから、ここにいる。自分の罪が許される時の向こうで、ずっと要と暮らすのだ。
罪が清められない限り、ワタシはあの人と一緒にはいられないから。