コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- Re: 臆病な人たちの幸福論【罪と罰】 ( No.604 )
- 日時: 2016/03/06 07:40
- 名前: 火矢 八重 ◆USIWdhRmqk (ID: jhXfiZTU)
- 参照: 第五部、終了です!
どうして、その炎の光の先に、フウちゃんがいると思ったんだろう。
あたしと三也沢君は、その光を目指して走った。
夜の山はあまりにも頼りなくて、何度か木の根っこに足元を取られて転びそうになった。静寂で、なのに虫の声や小さな獣の気配はあちこちにあって、今自分がどこにいるのか、わからなくなる。背筋に触れる空気は、先ほど感じた張りつめる清いものじゃなくて、風邪をひいた時の悪寒というか、冷たいのにどこかぬめぬめしたぬるい温度。
自分の身体の外にある物も、中にある物も、全部真っ黒に塗りつぶされそうで、そのうち何もわからなくなるんじゃないか。
暗くても炎の明かりで、ちゃんと見えているはずなのに。音はちゃんと聞こえているはずなのに。
それが全部、認識できなくなりそうだった。
自分が何を考えているかも、よくわからなかった。
なのに目指す場所は、判っていて。
目指す場所をしっかりと判っている三也沢君が、前に走っているから。
彼の後ろ姿だけは。他の草木は殆ど気づかなくても。あたしの目は、ジオラマ写真のように、彼以外のものはどうでもよく写っている。
それでも、あたしが見えるようには、彼があたしを写すことはないだろう。
「フウ、フウ……!!」
大波のように、炎は燃えていた。
それでも、こちらに襲い掛かるような気配はない。ただまっすぐと、天にむかって立ち上る。金色と緋色の糸で織りあげた錦のような炎は、きれいな分、なんだか切なかった。
地面に落ちた影は、ゆらゆらと、炎が眩しい分、濃くうつっていたから。そこに、うなだれたフウちゃんが座っている。……膝の少し下からは無い足を広げて。
「おい、フウ、どうしたんだ義足は……!」
顔を真っ青にした三也沢君は、フウちゃんの細い肩を揺らす。フウちゃんの瞳は暗くて、心を炎に持っていかれたように、呆然としていた。
フウちゃん、とあたしも声を掛ける。
「大丈夫、フウちゃん。怪我はない?」
三也沢君とは正反対に、あたしの心は、一切波紋を立てない水面のようだ。思っていた以上に、静かに、円やかな声が出た。
フウちゃんの丸まった背中を、ゆっくり撫でる。
「フウちゃん」
徐々にフウちゃんの顔に赤みがさしてくる。あたしたちを見た彼女の瞳は、一瞬揺らめいて、やがて頬に一筋の涙が零れた。
「……めんなさい、ごめんなさい……。わたし……」
ひっく、という声が漏れた途端、彼女はワアワアと泣きだした。
あまりにも大声で泣き出したものだから、軽く過呼吸を起こしている。
「フウちゃん、落ち着いて。ゆっくり、深呼吸することだけ考えて」
「わたし……けっきょく、なにも出来なかった……」
無理に喋らなくていいから。そういっても、彼女は謝罪を何度も口にした。
彼女のうねるような髪に、ふっくらとした頬に、夜空のような瞳に、細くて丸い身体に、赤々と炎が照らされる。
「わたし……なんで」
頬を伝った滴は、やがて顎から落ちた。長い睫毛が伏せられる度に、大きく零れ落ちていく。
「なんで少しでも……千代ちゃんの代わりになれるなんて、思ったんだろう……」
その言葉だけで十分、あたしと三也沢君は、判ってしまった。
思わず炎の方を見て……そして、目を逸らす。
あたしは、殆ど何も知らない。
フウちゃんが幽霊だった頃も、そうだった。三也沢君の態度が変わった時も、そうだった。
オカルト話にはとんと縁がなく、強いていうなら上田くんの妹さんの時ぐらいだろうか。それだって、悪霊と呼ばれた実物をみたわけじゃないけど。
でも、千代ちゃんがそういうことと絡んでいて、……そしてとおくへいってしまったことは、わかるんだ。
そして、多分、フウちゃんはそれを止めたかったんだろう。
フウちゃんは、やさしいから。やさしいから、人に好かれる。
その一人が、三也沢君で。フウちゃんは三也沢君が好きで。二人は両想いで、あたしの立ち入る隙なんてなくて。
だけど、なんでだろう。
少し前から、三也沢君の目に、渇望の色が覗いていたのは。
両想いでも、それでも足りないと、ひたすらあえぐ姿に見えたのは。
そして今は、それ以上の苦しみが見える。
やだ。フウちゃんのところに行かないで。あたしだって、三也沢君——健治のことが。
フウちゃんだけじゃないよ。君のことを想っているのは。あたしだって。
三也沢君がフウちゃんの方へ駆け寄る姿を見る度、そう思った。
こんなに苦しいほど想っていても、振り向いてくれる確証にはならない。
好きになってもらいたいから、人を好きになるわけじゃない。いくら愛しているからって、愛してもらえるわけじゃない。
それは、大体諦めがついている。
でも、奇跡的に両想いになっても。
それでも、こんなにも向いている気持ちが違うのか。
どちらも同じぐらい想い合ってるのに、一方が愛しすぎていると思うのは、目の錯覚だろうか。
対照的な二人の姿が、今傍で煌々と輝く炎と、照らされた地面の影のようで。
これから進む二人の道が、炎も夜空の光もない山道の奥へ行くんじゃないかと、そんな予感する。
口の中が、あまりに乾いて
(炎のせいかしら。こんなにも乾くのは)
(思い通りにならないことは当たり前なのに、)
(……それでもどうして人は、「どうにかしなきゃ」って思うんだろう)
——……そして、『口裂け女』の噂は、翌日になるとあっという間に消えた。
瀬戸要が『休学届』を出して、この町から姿を消したのも、同じころだった。
【第五部 完】