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Re: 浅葱の夢見し ( No.199 )
日時: 2013/05/04 20:40
名前: いろはうた (ID: a4Z8mItP)

*カエデは弓道の射場をにらんでいた。




ヒレンと夕餉を共にしてから数日後。

ヒタギは相変わらず帰ってこない。

夜は長い。

特に今夜は長く感じられる。

ヒタギがこうして任務でしばらく留守にするのはカエデにとって初めてのことだったので

彼が帰ってくる確信があまり持てない。

意味もなく部屋を掃除したり、庭園をぐるぐると徘徊したりして過ごしてみた。

だが、気持ちは落ち着くどころか焦燥感に駆られる一方だった。

さらには、夜中に目までさえてきてしまい、あてもなく屋敷をさまよっていると

射場にたどり着いてしまったというわけだ。

カエデは射場をにらんだ。

いや、正確にはにらんでいるのではない。

熱い視線を送っているだけなのだ。

武道が好きで好きでたまらないカエデにとって、射場に鎮座している

的と弓が今宵の月よりも輝いて見える。

だが、ここはトクマの縄張りのような場所だ。

他の女官たちに聞いてもやはり、彼はよくここで弓術の稽古をしているらしい。

今はまだ、彼の顔を正視するできる状態ではないので、できれば会いたくない。

辺りを見回し、特にトクマがいないか確認してから、そうっと射場に足を踏み入れた。

誰もいない。

木の床はつややかに磨かれ、的は月光を浴びて淡く輝いているように見えた。

カエデ壁に掛けてあるいくつものカケ(弓道の右手にはめる手袋皮の手袋)を取りだし、

座ると胸当てを付け、右手にカケをはめた。

それを紫の帯で固定する。

弓術は影水月にいたころ、少しやったことがあるので、ある程度の作法は知っている。

ただ、飛び道具はあまり自分には向いていないようで、ついつい剣術に走ってしまった。

だが、今の自分には弓術が必要だ。

雑念を払い、何も考えずに、ただ的だけを狙う。

この重いような苦しいような感情を一瞬でも忘れるために。

勝手に他人が他の者の武器に触れるなど、武術をする者にとって、

本来ならばやってはならぬことだ。

トクマや他の者達も、カエデがこうして勝手に射場に入って、勝手に道具を使ったことを知れば

よい気持ちはしないだろう。

それでもこのよくわからない気持ちを忘れたい。