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Re: 浅葱の夢見し ( No.516 )
日時: 2013/11/17 10:39
名前: いろはうた (ID: jhXfiZTU)

*「あの男…あの男さえいなければ、そなたはおれだけのただ一人の娘となる。

 あの男がいる限り、おれがそなたを抱きしめても、そなたの心にはあの男がいる。

 この先、そなたと共に過ごしても、そなたの瞳には、おれは決して映りはせぬだろう。

 ……おれはそれを、許しはしない」


殺気すらこめて甘くささやかれた言葉に、カエデは震えた。

声に滲む、ありえないくらいの彼の本気を感じ取ってしまった。


「やっと、愛する者を見つけたのだ。

 そなたは、おれが奪う。

 ……ほかの誰にも渡さぬ。決して」


シキの瞳が深くなる。

ああ、どうして。

どうして自分を、自分だけを見てくれないのか。

こんなにも想っているのに。

誰よりも想っているのに。

離したくない。

誰にも渡したくない。

傍にいてほしい。

自分だけを見てほしい。

シキの想いが瞳の奥で揺れている。

それは、あまりにも自分のものと似ていた。

紫の暗い炎をまとった瞳が、愛しさと憎しみにまみれている。

鏡を見ているかのような錯覚。

カエデは、紅に染まりつつある青年を見た。

あれだけ傷ついていているというのにその青い瞳はまったく屈していない。

強い視線は折れることがない。


「ヒタギ、逃げて…」


カエデは緩慢なしぐさで首を横に振った。


「もう、もういいから…。

 私のことは、もういいから…」


来てくれただけで、十分だから。

こうして迎えに来てくれて、私のために傷ついてでもどこにも行かないでくれるだけで。

だから——————


「は、やく、逃げ————」

「…巫女姫」


よく通る水のような声が、カエデの言葉をさえぎった。


「おれは逃げたりなど、しない。決して」


絶対的な響き。

涙を抑えられなかった。

シキの深い想いを知って、その腕から逃れられない女のためにこんなにも傷ついて。



——————そんなに、『ハルナ』のことが大切なの…?



カエデは体を震わせた。

シキが。

シキの気配が、ひどく冷たいものに変わった。

再び、式神の獣たちがヒタギのもとに向かっていく。


「や、だ…。

 っやだあっ!!

 やめて!!

 もうやめてっ!!

 や、めてよぉ…っ!!!」


ぼろぼろと大粒の涙がこぼれ落ちていく。

狂ったように泣き叫んでも、なにも変わらなかった。


…私は逃げてきたはずなのに。

大切な人たち、ハルナを、ホムラを………ヒタギを守るために逃げてきたはずなのに。

言い訳をたくさんして、自分の気持ちを偽って、押し殺してまで逃げてきたのに。


——————もう、つらくて苦しい思いをしなくて済むように、

なによりも、自分の心を守るために逃げてきたのに。



なんで。

これで、全部うまくいくはずっだたのに、なんでこうなっているんだろう。

なんで、誰よりも守りたい人が、こんなにも傷ついているの。


一番私が見たくない光景が、視界を焼き尽くす。


なんで、私は、ずっと逃げてきたんだろう。





——————こんな私に、何ができるの…?