コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- 幼なじみから恋人までの距離(12) ( No.16 )
- 日時: 2013/05/04 19:15
- 名前: あるゴマ ◆Dy0tsskLvY (ID: Ba9T.ag9)
「踏み台あるなら気づきなさいよ! さてはあんた、普段は図書室なんて来ないんでしょ!」
香凛が踏み台の上から俺をののしった。
「気づかなかったのはお前も一緒だろ。お前だって、本の題名すら読めないで、普段読書なんかしないんだろ」
「私は違う。どれか借りて帰ってやるわ」
不機嫌な顔のまま、香凛はぱっと目についた本を棚から抜こうとした。
それはぶ厚い『日葡(にっぽ)辞書』だった。そんなもの借りてどうすんだよ……。
「もう分かったから。昼飯でも食いながら作戦を立て直そうぜ」
「だから本当に読むんだって!」
香凛がこっちを勢いよく振り向いた。紺色のスカートが横に広がる。
「お」
俺は思わず声を上げた。
香凛の太ももの間に、スカートの紺色とは違う、白い布が一瞬だけ見えたのだった。
「ちょっ……嘘!」
とっさに香凛は両手でスカートのすそを押さえる。
すると今度は——。
「ぐげっ」
バサバサという音とともに、香凛の頭に本が落っこちてきた。
「くー……」
泣きっつらになって香凛は頭を押さえ、その場にしゃがみ込む。
踏み台の上でしゃがんだ香凛——見えそうだぞ、さっきの白いのが。
「おいおい、大丈夫か? 全く、そそっかしいなお前は」
俺は床に落ちた本を拾い集めた。
「……見たわよね?」
いつの間に踏み台から降りてきたのか、目の前には香凛の顔。復讐の鬼と化したような顔。
「見たって、何をさ」
俺が一度とぼけると、香凛は小さなにぎり拳を胸の位置まで持ってきて、
「だから、わーたーしーのー……」
拳をプルプルさせながら言った。
「まったく、はっきりしないやつだなぁ。お前もそうやって怒ってばっかりいるから、うまくいかないんだよ。少しは笑顔を見せてみろ笑顔を」
「今が笑顔にふさわしい状況なのか、よくよく考えてものを言いなさいよ」
香凛のかまえたにぎり拳が、今にも俺の顔面に飛んできそうだ。
「バーカ。笑ってりゃいいんだよ。笑ってりゃ、お前もかわいいんだって」
「え? かわいいって……ほんとに?」
香凛の肩から力が抜け、表情がいくぶんか和らいだ。
これは、聞く姿勢に入ったと言っていいのか。
よし。この作戦でいこう。香凛をその気にさせるんだ。
「本当だとも。試しに一度、俺の前でニッコリ笑ってみろよ。笑ってればその場の雰囲気も良くなって、相手もお前に自然と好意を持って接してくれるし、なんだかんだで、うまくいくもんさ」
俺はちょっといい加減な、口から出任せも含めてこう言ったが。
「わ、分かった……。笑顔ね、笑顔でいさえすればいいのね」
効いてる、効いてるぞ。もう一声で、相手は武器を下ろしてくれる。
「だ、だろ? 肩の力を抜いて、その胸もとにかまえたにぎり拳も下におろして、笑ってみろよ」
「すー、はー。すー、はー……」
香凛が肩の力を抜いて、深呼吸している。
おそらく頭の中で、自分の笑顔のイメージを作り上げているのだろう。
「よし。肩の力を抜いたら、次はにぎり拳も解除してだな。で、笑顔っていっても、お前がいつもクラスの女子なんかに見せている、自然な笑顔でいいんだぞ」
「自然な笑顔……自然な笑顔……いつも見せている……自然な笑顔……」
「なにも難しいことなんかないさ。ほら、そのかまえたにぎり拳を解除して」
「こんな感じ?」
香凛の表情が、ぱっと明るく花開いた——。
と思ったが。
——えへら、えへら。
さっきとは微妙に形容の仕方が違うが、それはやはり、ひきつったような笑みだった。
「こここ、これでいいのよね?」
寝苦しい夜に、とつじょ枕元にはい寄る女幽霊のような笑みで、香凛が言った。
「……四十点だな」
「な、なんですって!」
香凛がいつもの(いつものってのも、あれだな)怒った表情に戻った。
怒りの表情はこんなに上手くできるのになあ。
でも、そんなの上手くできても、嬉しくないよ俺だって。
「やっぱ、雪乃みたいな良い見本を毎日見てるしな、俺」
「あ、あんな風にできれば私だって悩むことないわよ!」
香凛の殺気がメラメラ燃えてくるのが分かった。
まずい。そろそろグーが飛んでくるか?
ぐ、ぐぐぐ——。
「ん?」
飛んできたのは、にぎり拳じゃなくて、ぐぐぐという、低い音。
この音は……。
ぐるるるるるぅぅ——。
「!」
目の前で、香凛が「しまった」というような表情をして、顔がどんどん赤くなってくる。
「……まずは昼飯が先か?」
それは香凛のお腹が鳴る音だった。
静かな図書室だから、余計に目立ってしまう。
「聞くなバカ!」
香凛の細腕の右ストレートが飛んできた。
「おっと」
俺はそれをかわす。
来るのが分かっていれば、よけられないことないさ。
まあ、来るのが分かってるってのも、どうかと思うがな。
「聞こえちまったよ。んなこと気にしないで、そろそろ昼飯に……」
言いかけたところで顔面に打ちこまれる、鈍い響き。
香凛が左手に隠し持っていた辞書を俺に投げつけたのだ。
一瞬、視界が暗転した。
「辞書っていうのは、こういう使い方もできるのよ」
香凛が言い捨てて、図書室を出ていく。
いや、そういう使い方はできないと思うんだが。知性ある人間として。
それと、忘れるところだったが、図書室ではくれぐれも静かにしよう。