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空白の時間【桜井 洋一編】 ( No.130 )
日時: 2013/08/23 03:11
名前: ゴマ猫 (ID: QXDbI9Wp)


「あの……何かあったんですか?」

俺がそう言うと、女の子は沈んだ表情でゆっくりと話しだした。

「……居なくなっちゃったんです。私の大事な人」

「えっ?」

「……すっごく優しくて、臆病な私が初めて好きになった人だったんです……付き合えた時は嬉しくて、嬉しくて、これからもこんな嬉しい毎日が続くんだって思ってました」

ポツリ、ポツリと言葉を続けていく女の子。
楽しかった出来事をふりかえるように。

「でも、ある日突然居なくなってしまって……この辺りに居るとはわかったんですけどね」

女の子の寂しさを含んだ笑顔になぜだか胸が切なくなる。
……出会ってから間もないはずなのに、なぜかこの女の子の事が気になる。
どうしてだろう……? 前にも会った事があるような、そんな感覚だ。

「……でも、こんな可愛い子を置いてどっか行っちゃうなんて許せないな」

俺の口から思わず出た言葉に、女の子は目を丸くして驚いたかと思ったら、俯いてクスクスと笑いだした。
あれ? なんかおかしい事言ったかな?

「えっと、なんか変な事言ったかな?」

「ふふふっ、いえ、ちょっと面白いな〜って思っちゃっただけです」

なんだかよくわからないけど、少しでも笑顔になってくれた事が俺は嬉しかった。
しばし笑いあった後、潮風が俺達の頬をそっと撫でていく。
あぁ、ここは海が近いのか……全然気付かなかったな。

「よかったら、名前を教えてくれないかな?」

「橘……橘 菜々です」

橘……菜々? 初めて聞いた名前なのに、初めてじゃない気がする。
何度も何度もその名前を呼んだような。
俺がしばらく考えていると、流れるようなボディの青いスポーツカーが俺達の目の前で止まった。

「おいおい、記憶喪失なのにナンパかよ。やるなお前」

車から降りてきた人物は、竜さん。倒れていた俺を助けてくれて、さらには自らの家に俺を居候させてくれると言ってくれたとても優しい方だ。

「うん? お嬢さん……確か」

そう言うと、竜さんは橘さんという女の子をじっと見つめる。

「やっぱりそうか。あいつめ……なーに考えてんだか」

何の事だかわからない俺と橘さんは首を傾げる。竜さんは深いため息をついた後、ふたたび車に乗り込むと俺達に話しかけてきた。

「おい、ちょっと行きたい場所があるから2人とも車に乗れ」

「へっ? でもその車、2人乗りですよ」

竜さんの車は2シーターのため、運転席と助手席の2席しかない。
どう考えても無理じゃないだろうか?

「お前さんが、そっちのお嬢さんを膝の上に乗せりゃ平気さ」

俺の指摘に竜さんは間髪いれず返してきた。
それは色々とまずいんじゃないだろうか? という疑問も置き去りに、竜さんに急かされ車に乗り込んだ。


————

「だ、大丈夫? 痛くないですか?」

「う、うん。全然平気だけど」

走り出した車の中で、かなりの密着状態である俺と橘さん。
幸いにも橘さんは小柄なせいか、シートベルトができないという事態は避けられた。……が、さっきから車が揺れるたびに橘さんのフワフワした髪の毛が俺のちょうど顔のあたりにきて、このほんのりと甘い香りが、なんともいえず気になってしまう。

「あー、車内でイチャつくのはほどほどにな」

竜さんのそんな茶化しに、俺と橘さんは口を揃えて「してません」と言った。

「まっ、それはともかく、そっちのお嬢さんには自己紹介がまだだったよな。俺は大垣 竜。今はそいつの保護者代理ってとこかな」

竜さんは俺を指差して、白い歯を見せてニカっと笑う。

「えっと、私は……」

「知ってるよ。俺の知り合いがお嬢さんの事を知っていてね、話しはよく聞いていたんだ」

竜さんは、橘さんが自己紹介をするのを制する。

「し、知り合いですか……?」

「そう、昔からの知り合いでね。腐れ縁ってやつかな。それとお嬢さんはそいつの事知ってるでしょ?」

困惑する橘さんに追いうちをかけるように、俺を指差してそう言う竜さん。
橘さんは俺の事を知っている?

「……そ、それは!?」

「ハハッ、別に隠す事はねーよ。お嬢さんが来てくれたから、そいつの事がよくわかったよ。名前は、桜井 洋一だろう?」

橘さんは驚いた表情のまま首を上下に振り頷く。……桜井 洋一? 橘さんもそう言っていた。
——って事はそれが俺の名前。

「どうして竜さんは俺の名前を知ってるんですか?」

疑問が多すぎて、何がなんだかわからない俺は竜さんに尋ねる。

「お嬢さんの知り合いからお前さんの事も聞いてたんだよ。まっ、目的地に着けばじきにわかるよ」

竜さんはそう言うと、それ以上は何も言わず車の運転に集中していた。