コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- Re: こちら藤沢家四兄妹 ( No.124 )
- 日時: 2013/10/31 16:54
- 名前: 和泉 (ID: a9Ili7i0)
♯55 「ふわふわマザーの迷子の思い出」
涼子さんが意識を失ってから、随分と長い時間が経つ。
このままもう目覚めないんじゃないか、なんて。
一瞬頭をよぎった悪い考えはその場で追い出した。
夏が終わって、秋になった。
もう随分と肌寒くなって、外出には上着が欠かせない。
子供たちは文化祭の準備で忙しいらしく、そんな中涼子さんの見舞いに行かせるのは忍びなくて、
今日は俺が仕事を早めに切り上げて病院に向かった。
結果的には、それでよかったのだと思う。
白い白い、静かな場所。
リノリウムの床をこつん、こつんと靴音を響かせて歩く。
涼子さんはここが嫌いだと泣いた。
泣きながら、少しずつ自分の持ち物を整理していた。
『この浴衣はリカにあげようかな。
これはもう要らないから捨てちゃうね』
そんな風に、少しずつ、少しずつ部屋を片付けていた。
だから、もう家には涼子さんの持ち物は必要最低限のものしか残っていない。
それが何を意味しているのか、わからないほど鈍感ではないつもりだ。
廊下の突き当たり。
一際暗い部屋には「藤沢涼子」の名札。
俺はゆっくりとドアを開けて、目を見開いた。
「要くん?」
涼子さんが、体を起こしてこちらを見て微笑んでいたから。
「涼子さん!!!」
慌てて駆け寄る。
「気分は!?
体はどうなの、ナースコールした!?」
けれど、涼子さんはただ首をかしげて俺を見ている。
なにかがおかしいと、そう思った。
「涼子さん、俺のことわかる?」
尋ねると、涼子さんはただ首をかしげる。
そして一言。
「要くん、制服はどうしたの?
なんでそんなサラリーマンみたいなスーツ着てるの?
似合ってないよ」
時間が、止まった気がした。
「ここ病院よね。
私、また倒れちゃったの?
やだな、小波に怒られちゃうじゃない」
こなみ。
小波は、ナツの母親だ。
10年前に、事故で死んだ、俺たちの高校時代の友達。
「涼子さん……?」
「要くん、私のこと涼子さんなんて呼んでたっけ?
涼子先輩、じゃないの?」
俺は高校時代涼子さんの後輩で。
告白して、結婚するとき呼び名を変えた。
涼子先輩から涼子さんに。
どうしたの、変だよ、なんて笑わないで。
変なのは涼子さんじゃないか。
頭が考えることを拒否する。
エラー、エラー、エラー。
頭で赤いランプが点滅する。
それでも、なんとなく気づいていた。
彼女に何が起きたのか。
俺は深く息を吸い込んで、震える声で彼女に問うた。
「涼子……"先輩"。
自分の名前と年齢、わかる……?」
涼子さんはきょとんとした目で俺を見て、くすくすと笑った。
「やだ、どうしたの要くん。
笹川涼子、17歳。高校2年生だよ。」
彼女は、自分で自分の時間を巻き戻した。
一番楽しかった、高校時代に。
今の彼女には、高校時代以降の記憶はない。
「……ナツ、リカ、ヒロ、アヤ。
この名前聞いて、なんか思わない?」
彼女は笑う。
ふわふわ、ふわふわ。
シャボン玉でも飛ばすみたいに。
「誰かしら?
要くんのお友だち?」
ふわふわ、ぱちん。
シャボン玉は弾けて消えた。
神様なんていないと泣いた、小さなナツの声が頭の奥に響いていた。