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Re: こちら藤沢家四兄妹 ( No.158 )
日時: 2014/02/23 20:10
名前: 和泉 (ID: EUGuRcEV)  


誰でもいいからあの子を愛してあげて。


♯73「君に再会の誓いの花を 2」


荒れた生活の終わりは突然訪れた。

小学一年生の冬。
小学校から帰りおそるおそる家のドアを開けると、突然腕をつかまれた。
玄関にいた、お母さんだった。

その手には大きな荷物。

お母さん?

「逃げましょ、杏奈」

生気をなくしたお母さんの目に、強い光が宿ったのがわかった。

「このままここにいれば、私たちは殺されてしまう。
逃げましょう。
お父さんが出かけているうちに。
5分あげるから、本当に大事だと思うものだけ選んで持っておいで。
急ぎなさい!!」

私は飛び上がって自分の部屋に引っ込んだ。

昔撮った家族写真と花の図鑑をランドセルに放り込む。

ばたばたと部屋を駆け回っていると、襖の向こうから梨花がひょっこりと顔を出した。

「おねーちゃん……?」

「梨花、おいで」

存在を無視されてきた梨花。
今、私たちに大きな転機が訪れている。

「大事なものだけ選んで。ここから逃げるよ」

「逃げる?」

「安全な場所に逃げるの。
梨花が本当に大事だと思うものだけ選んで。早く」

梨花は大きくうなずいて私の手を握った。

「梨花……?」

「はい。りかのだいじは、おねーちゃんだもの」

その手を、ぎゅっと握り返した。

そうだね。
私の一番大事なものも、梨花だよ。

行こう。幸せになるんだ。

私は梨花の手を引いて部屋を出た。

「お母さん!」

「杏奈。もういいの?」

お母さんがほっとしたように振り向く。
そして大きく息をのんだ。

「……何やってるの、梨花」

お母さんが梨花の名前を呼ぶのを、その時私は初めて聞いた。
こんな冷たい声を出すのも。

「逃げるの」

私が言った言葉を梨花が繰り返す。
私はぎゅっと握った梨花の左手に力を込めた。

「何言ってるの……?」

けれどお母さんはわけがわからないと言った顔で呟く。


「あなたは、ここに、残るのよ」


何言ってるの、お母さん。

「私が連れていくのは杏奈だけよ。
その手を離しなさい、梨花」

何言ってるのお母さん!!

「あなたは父親に似すぎてる。
あなたを連れていけば私は辛かった生活を忘れられない。
あなたの顔を見るたびあの男を思い出して、あの男の影に一生おびえなくちゃいけない。
そんなのごめんよ。
あなたはつれていかない」

「やだ……」

「杏奈、離しなさい」

「嫌だよ!!」

幸せになるんだ。

梨花と、私と、お母さんと。

そこにお父さんはいなくても、もう壊れたガラスはもとに戻らない。
だからせめて残ったガラスだけでも、くっつけて新しい形に。

新しい幸せを、私たちで掴むの。

「梨花も一緒じゃなくちゃ嫌!!」

「聞き分けなさい、杏奈!!」

「おねーちゃん……っ」

「梨花、手を離しなさい。早く!!」

お母さんの悲鳴が響く。

「離さないなら……っ」

切羽詰まったような声。
嫌な、予感がした。

お母さんがテーブルの上に倒れていたガラスのコップを掴む。
片手で梨花の右手を掴んで動けないように固定する。

「や、だ」

梨花が身をよじるのを無視して、母さんはコップを思い切り振り上げた。

やめて。やめて。いやだ、お母さん。
お母さん!!

まるで全部がスローモーションみたいに見えた。

ガラスが夕陽に反射して赤く鈍く光る。

「梨花……っ」

私と梨花の手が離れるのと、お母さんの掴んだコップが梨花の左手首を直撃するのが同時だった。

ガシャン、と甲高い音。

赤に染まる梨花の左手。
ゆらりとゆれる体。

「り、か」

やだよ。私は、私は、ただ、普通の幸せが。

家族四人で笑いあう、普通の幸せが欲しかっただけなの。

それなのに、どうして。

ぐらりと、小さな体が崩れ落ちた。

「梨花ぁぁぁぁあっっ!!」

私の叫び声にはっと我に帰ったお母さんが、倒れた梨花の体に駆け寄る。
そしてあわてて傷を見て、軽く息をついた。

「破片は入ってない。
少し深く切ったけど、手当てすれば大丈夫……」

「何が大丈夫なの!?こんな……っ」

お母さんがあわてて梨花の手を止血して手当てを始める。
私は、震える体を自分で抱き締めた。

お母さんが呟く。

「ここまで、する気はなかったの」

だけど。

「お父さんに、似てるから」

やめてよ。

「だからなんなの!?
似てるからって、それだけで梨花はこんなふうに痛い思いしなくちゃいけないの!?

やだよ、私は梨花といたい!!」

叫んだ私の体を手当てを終えたお母さんが無理やり抱き上げた。

「ごめん」

そのごめんは、何に対するごめんなの。

「やだ、やだ……っ」

手足をばたつかせるけど意味がない。
床に横たわった梨花を一瞥したお母さんは、片手に大きな荷物を抱えてドアに手をかける。

「離せっ!!離せってば、ばかぁっ!!」

「もう、だめなの」

何がだめなのよ。

こんな、終わりは嫌。

「いやぁぁぁあっっ!!!!」

叩きつけるように叫んだ瞬間、扉が閉まった。


扉が閉まる直前、うっすらと開いた梨花の目から、はらりと一筋涙がこぼれ落ちるのが見えた。



家を飛び出したお母さんが、夕焼けに染まる道を駆け抜ける。

私はその腕の中で、いつまでも泣きじゃくった。

終わりは、あまりに私にとって辛い現実だった。