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Re: こちら藤沢家四兄妹 ( No.164 )
日時: 2014/09/14 23:00
名前: 和泉 (ID: uWNX.IKq)  


♯76「なくしものはなんですか」

佐々木さんがあたしのお姉ちゃん。
日下部に手を引かれてあるきながら、あたしはただ痛む頭を押さえていた。

なんで忘れていたんだろう。
なんで、なんで、なんで……。
彼岸花の花言葉をあたしに教えてくれた人。

『——が、梨花を守るよ』

あたしの、唯一の味方。

『杏奈が、梨花を守るよ』

あたしはどうして彼女を忘れてしまったの?
ずきんずきんと頭が痛む。
割れたコップ、閉まるドア、女の子の泣き声、桜、歩道橋、叫んだ女性、空に舞うストール、目を見開いてこっちを見る少年……。
あれ?
あたし、の、住んでいたアパート。
鬼のいたアパートは、東北にあった。今あたしがいるここは関東。

小学生のあたしが、ひとりでどうして遠く離れたこの街にいたの。

あたし、まだ何かを忘れてる。
佐々木杏奈を忘れてしまった原因が、どこかにある。
あたしが忘れてるのは……。

「藤沢さん!!」

気がつけばもう中庭にいた。
あたし、藤沢梨花の肩をつかんで日下部が顔をのぞきこむ。

「おちついて」

心配そうにこちらを見るヒロとアヤ。
泣きそうな顔をした日下部。
その顔を見た瞬間、ふと気がついた。

あたしが忘れてるのは、母親に置き去りにされたあの日から、涼子さんに抱き締められた小四の春までだ。
その五年間の記憶が、すっぽり抜け落ちているのだ。

五年の間にあたしに何があったの。
あたしはどうして……

『消えて、しまいたい』

死のうとしていたの。

「お母さんに、会いたい」

思わずこぼれた一言を、拾ってくれたのは日下部だった。

「お母さん、どこにいるの?」

「病院。でも面会謝絶で……。
ナツ兄が行っちゃだめって」

日下部が大きくため息をつく。
そしてぐっと強くあたしの手を引いた。

「いこう、藤沢さん」

「え!?」

「近くの総合病院だよね。目と鼻の先じゃん。
いくだけいこうよ。会えなかったら諦めたらいい」

「でも」

ナツ兄の哀しそうな顔を思い出す。
今、確実に母さんの身に何かが起きている。わかっているけど。
それでも私は今あの人にすがりたくて泣きつきたくて。

『大丈夫だよ』

あの柔らかい声を聴きたくて。

あたしのなくした五年間を、あの人は知っているような気がした。

「いこ、藤沢さん。たまには我が儘いったっていいんじゃないかな」

日下部が優しくひく手を振り払えるほど、今のあたしは強情にも強くもなれなかった。


イチコーから病院まで徒歩5分ほどで病院の正面玄関についた。
いざ白い建物を目の当たりにすると足がすくむ。
ためらうあたしの背をとんっと日下部が押した。

「いこう。ダメだったら帰ればいいから」

一目見るだけで構わない。
そう何度も胸の内で繰り返して、日下部に押されるままあたしは歩く。
ドアをくぐって、ロビーをすり抜けて。
もしかしたら病室が変わっているかもとカウンターに足を向けたとき、
するりと私たちの隣を車イスに乗った女性がすれちがった。
思わず足を止める。

「藤沢さん」

日下部が背を叩くのを無視してあたしは勢いよく振りかえった。
ふわふわのロングの髪に薄い桃色のカーティガンが角を曲がっていく。
とっさにその背を追った。

「待って……っ」

あの女性とすれちがった瞬間ふわりとお日様の匂いがしたのだ。
1日外に干していた布団のような匂い。
抱きつきたくなるような、包まれていたいような、あたたかな匂い。

——————母さんの匂い。

「母さん!」

車イスの前に立ちふさがる。
女性がびっくりしたような顔であたしを見る。

なんでそんな顔をするの。

「母さん……」

——————やっぱり、母さんじゃないか。

その顔を見た瞬間、安心感で泣いてしまいそうになった。
久々に見た、起きている母さん。
けれどあたしを見上げた母さんはきょとんと首をかしげたままだ。

そして一言。


「あなた、だあれ?」


息が止まるかと思った。

後ろを追いかけてきていた日下部が、ぴたりと足を止める。

「…………え」

「あなたはだあれ?私の知り合い?」

なに、これ。
わけわかんない。
何言ってるの、母さん。
人違い?そんなわけない。

あたしのこと、覚えてないの。

『面会謝絶』

その意味はこういうことだったの。

うろたえるあたしに、母さんは悲し気に顔を歪めた。

「ごめんね、私、なんにも思い出せないの」

あなたはきっと、私の大事な人だったのね。

その言葉に、こらえていた涙がするりとほどけた。

「かあ、さん……っ」

母さんは悲しそうにあたしを見ていた。
心臓をえぐりとられたような痛みが胸を走る。

今、あたしは傷ついているんだな、と、頭の奥で冷静なあたしが笑っていた。