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記憶【綾瀬編】 ( No.157 )
日時: 2015/03/08 00:28
名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: a0p/ia.h)

 ——清川くんが帰ったあと、私は彼が前に取ってくれた猫のぬいぐるみを抱き締めながら、まだ彼の温もりが残るソファーに顔を押し付けてまどろんでいた。ぬいぐるみを見つつ考える。……本当に誠実な人です。普通ならどこかに損得が入ってもおかしくないはずで、無意識だとしても、人間にはそういう感情がどこかに入ってしまう。
 新谷さんの事を私に言う必要はありません。もっと言ってしまえば、新谷さんを選んでも私には文句の言いようがないのです。ですが、清川くんは私とちゃんと向き合いたいと言ってくれました。それは、私と新谷さん、どちらを選ぶにしても真剣に向き合いたいという事なのですが、やはり私に話す事は清川くんにとってあまりメリットはありません。新谷さんにも話したそうですが、彼女もそれで納得したようです。つまり、どちらが選ばれても恨み言は言わないという事なのでしょう。
 もちろん、私がすんなり諦められるかと聞かれたら、そうではないと思います。例えどんな事をしても彼の心を繋ぎとめられるのなら、私は嫌な女にもなれるかもしれない。それくらい彼の事を好きです。他の誰にも譲りたくはない。物わかりの良いふりをして、嘘をついて、自分の想いを誤魔化したくありません。

「やっと再会できたんです。本当に……本当に、この10年間は長かったんです」

 そうひとり呟き、窓から外の景色を見つめてみる。闇の中、厚い雲が空全体を覆い尽くしており空気が張りつめた様に冷たい。もしかしたら明日は雪かもしれません。
 たまに思ってしまう時があります。10年前に戻って、清川くん——いえ、準一くんと出会わなければ良かったとも。そうしたら、この想いも、胸のくすぶりも、痛みさえなかった事になるのですから。でも、私は知ってしまった。出逢ってしまった。もうなかった事にはできません。
 …………そう言えば、今日準一くんはおかしな事を言っていました。私に妹はいないか? と。私には妹はおろか、兄も姉も弟すらいません。でも、でしたらなぜあんな事を聞いたんでしょうか? 準一くんが意味もなく私にそんな事を尋ねてくるとも考えにくいです。
 なんとなく気になった私はお母さんに連絡する事にしてみる事にした。久しぶりに電話を掛ける。月に一度メールでお母さんに連絡するくらいで、電話はめったにしません。
 お父さんもお母さんも仕事が忙しいというのもありますが、電話になると何を話したらいいのかと思ってしまい、なかなか掛けられないというのが一番の理由かもしれません。携帯を操作して、アドレス帳からお母さんの番号を呼び出しボタンを押す。——コール音が二度三度と鳴ってからお母さんが出た。

「あ、お母さん、私です。……はい、元気にしています。いえ、その事ではなくて、少し聞きたい事がありまして。はい」

 急に電話が掛かってきて驚いたのか、お母さんは私の体調の事を心配してくれました。「突然電話を掛けてくるなんてどうしたの?」不思議そうに問われたけど、今は仕事の休憩中で時間はあるようで話を聞いてくれるみたいです。

「あの、変な質問なのですけど、私に妹はいるんでしょうか?」

 そう尋ねた私に返ってきたのは長い沈黙。お母さんは少し動揺した声音で『いきなりどうしたの?』と尋ねてくる。そのお母さんの態度が不自然で、まるで私に何かを隠しているように感じる。それまで気にしていなかったけれど、その様子で私は少し気になってしまい、いけない事だと思いながらもカマをかけてみる事にした。

「私、お母さんが隠している事がわかったんです」

 嘘です。他愛のない冗談。あまりこういう冗談は言いませんが、すぐに笑い話になると思っていました。にもかかわらず、通話口の向こう側では声が聞こえなくなり、それから長い沈黙が続いて——そして、その沈黙が破られた後に告げられた返答は衝撃的な事実でした。

『……紗織、記憶が戻ったのね。……でも誤解しないで。あなたを騙していた訳ではないの。あの時は、あの子が亡くなって、あなたもその時のショックであの子の事を忘れてしまって、だから私達は黙っているのがあなたに辛い思いをさせない方法だと思ったの。あぁするのが一番だと思って——』

 その後の通話口から聞こえる言葉は頭の中には入ってきませんでした。
 準一くんが伝えようとした言葉、お母さんの言葉、私には妹がいた。その事実を頭が認識した瞬間、脳内に当時の記憶がフラッシュバックする。抜け落ちていた記憶の全てを思い出した。

「わ……私、わ……私、は、どうして今まで……」

 そして同時に襲ってくる、どうしようもないくらいの後悔と不安。
 今の今までどうして私は忘れていたんでしょう。大事な妹の事すら忘れて、私は————本当に何を……。ポロポロと自分の瞳から零れ落ちる大粒の涙。今までの想いが決壊して溢れていく。まるでそんな私の気持ちに反応したかのように、窓の外では空から真っ白な雪が降り始めていた。