コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- 約束の時【58】 ( No.160 )
- 日時: 2015/03/04 19:30
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: G1aoRKsm)
「マスター! お先に失礼します!」
「お、おい! 何だ? 一体どうしたって——」
マスターの返事を待たずに俺は荷物を取って外へ駆けるように飛び出る。
昨日と違って今日は夕方以降落ち着いていたからクローズ作業はほとんど終わってるし、問題はないはずだ。お咎めなら後でいくらでも受けよう。それよりも先輩のあの態度、ユキに何かあったんじゃないか? そんな胸騒ぎがさっきから治まらない。先輩は妹なんて居ないって言ってたし、ユキの姿は見えないはずだけど、もしかしたら……。
「お待たせしました! 先輩、家に戻りましょう!」
うずくまる先輩の手をやや強引に引いて、立たせる。
憔悴しきっている先輩に対して申し訳ない気持ちはあるが、今はこの胸騒ぎの予感が間違いだと証明するためにも急ぎたい。だが、先輩の足は動かない。まるでそこに根が生えたかのように固まったまま、虚ろな瞳が中空を彷徨っていた。
「先輩、早く行かないと!」
「……どこに、ですか? もう……遅いんです。遅すぎました。私は……私は……最低な人間なんです」
先輩にいつものような落ち着いた雰囲気はなく、まるで何もかも諦めたような暗い表情。
泣き腫らした目が痛々しい。やっぱり先輩はユキの事で何かしらあったに違いない。どこにも根拠はないが、確信めいたものが自分自身の中にあった。
「……この間話した妹さんの事で、何かあったんじゃないんですか?」
俺がそう問いかけると、先輩の瞳に少し生気が戻った。
そして食い入るように距離を縮めて俺の両腕を掴むと、すがるように尋ねてくる。
「どうして!? どうして清川くんがユキの事を知ってるんです!?」
「信じてもらえないかもしれないんですが、俺……先輩と出会う少し前からユキと会ってたんです。色々な話もしましたし、先輩の話も聞きました。と言っても、先輩がお姉さんだって事だけで詳しい話は全然ですが」
俺がそう言うと、先輩は驚きの表情を隠せないでいた。
俺がユキの名前を知っていたのもそうだろうが、亡くなったはず(これは俺の予想だけれども)の自分の妹が知り合いの所に出てきて、会話してたというのだから当然だろう。こんな事を言って信じてもらえるかどうかは疑問だけど、今はこれしか方法はないし、説明に時間をかけている暇はない。
もし先輩がユキのお姉さんでなかったとしても、またそれに気付かなかったとしても先輩の傍に居る事がユキにとって一番の幸せだと考えていた。でも、先輩が気付いて、本当にユキのお姉さんなのだとしたら、少しの間でもいい。ユキと会話をさせてやりたい。————もうユキにはあまり時間がないのだから。
***
俺はまだ半信半疑といった先輩の手を強引に引き、先輩の部屋へとやってきた。
いつもなら躊躇う先輩の部屋だが、今日はそんな事に気を取られてる場合ではない。申し訳ないと感じながらも、先輩の私室に無遠慮に踏み込みユキの姿を捜す。そして——
「……ユキ!」
「……じ……準……く……ん」
先輩の部屋で倒れこむようにしてうずくまるユキを見つけた。
すぐさま駆け寄ってユキの傍に行く。かすかに聞こえる弱々しい息づかい、小さなユキの身体がさらに小さく見える程苦しそうにしていた。
「き、清川くんっ! そこに、ユキが……ユキが居るんですか!?」
先輩の問いかけに俺は静かに首肯する。
こんな事態も予想していたはずなのに、実際に目の当たりにすると胸が苦しくなる。俺の判断は間違っていたのかと自分自身に問いかけてしまう。それでも俺は——
「……どこ? ……どこに居るの? ユキぃ……返事を……返事をしてよぅ……」
先輩はボロボロと涙を流しながら俺の近くに駆け寄って、電灯もついていない薄暗い部屋の中、手探りでユキを掴もうとするが、その手は虚しく空を切る。すぐ傍に居るのに姿も、声すら届かない。
「……じ……準……くん、お、お姉ちゃんに……伝えてほし……いの……私……お姉ちゃんの事……恨んでなんかいないよ……って」
途切れ途切れで苦しそうに紡ぐユキの言葉は、弱々しく、今にも消えそうなくらいだ。それでも、最後まで先輩に自分の想いを伝えようとしている。
「あぁ、大丈夫だ。ちゃんと伝える」
「清川……くん、どこ? どこにユキは……ユキは居るんですか……?」
先輩の悲痛な叫びと共にその綺麗な顔が歪む。
何とか、何とかユキの想いを先輩に伝える術はないのか? 例え声が聞こえなくてもいい。今ここにユキが居るんだって、それを伝える術さえあれば。——待て、あるじゃないか! ユキの声は伝える事ができなくても、ここに居るんだと伝える方法が!
「先輩! よく見ててください!」
そう言って、俺はユキが羽織っていたコートを脱がす。そして、コートの下から出てきた服は綺麗な花柄のワンピース、真冬に似つかわしくない服装だが、ユキの普段着である。
そう、ユキは姿こそ見えないが、なぜかこのユキの服だけは俺以外の人にも見える。これは以前、渚がユキと鉢合わせ(服だけ)してしまった時に気付いたのだが、今なら、ユキの事を知っている今の先輩ならこれでわかるはずだ。
「あ……あ……こ、の……服……は……」
先輩は信じられないといった表情をしながら両手で顔を覆う。
そして溢れ出す涙。それはとめどなく流れ落ちていき、白色のカーペットに小さな染みができていく。
「……お……ねぇ……ちゃ……ん」
「——ユキっ!」
息も絶え絶えだが、ユキは先輩を見上げながら優しく微笑んでいた。声は聞こえないはずだけど、そのユキの声に反応するように先輩がユキの居る場所へと手を伸ばす——しかし、その手はまたしても空を切った。服だけは見えているのに、あとほんのわずかの距離なのに触れられない。運命が嘲笑うかのように二人を阻む。ここまできて……ここまできて終わりなのか? 本当にユキは先輩と会えずに終わってしまうのか? そんな事って——
「——っ」
先輩にユキの想いが届いてほしい、そう願いを込めて俺はユキの手を握った。その瞬間、ユキの身体から淡い金色の光が溢れ出した。徐々に広がるその光はゆっくりと部屋全体を包んでいく。
「あ……あぁ」
「何ですか? ……この光は」
それはどうやら先輩にも見えているらしく、瞳に涙を溜めたままその光を見つめて不思議そうにしている。やがて光はユキが居る場所へと集束していき、視界が真っ白になってしまうほどの強い光を放った。俺はその強い光に思わず目を閉じる。
『お姉ちゃん、準くん、聞こえるかな?』
「——なっ!?」
「……この……声……は?」
再び目を開けると、そこには小さな光の塊。そしてその光の塊から聴こえてくる声。耳から聞こえてくるというより脳内に直接響いてくるような、そんな感覚。
その聴き慣れた声は、俺だけではなく、先輩にも届いているようだ。その証拠に先輩は辺りを見回して、声の主を捜している。けれど、さっきまでその場に居たユキの姿はいつの間にか消えていた。かわりに声だけがその存在を示すように脳内に響く。
『うん、聞こえているみたいだね。……あのね、そろそろ帰らなくちゃいけない時間みたいなんだ。だから、ちゃんと自分の言葉で伝えるね』
そこでユキは一旦言葉を切る。そして——
『お姉ちゃん、私はお姉ちゃんの事恨んでなんかないよ。あの日も、今も。……お姉ちゃんと最後にお話しできて本当に良かった。お姉ちゃんの事だから自分を責めちゃうかもしれないけど、私が悲しくなっちゃうから禁止、ね? お姉ちゃんは私の分まで幸せにならなきゃダメなんだから』
おどけるように、先輩が気にしないように、というユキの優しい気持ちが痛いほど伝わってくる。その言葉に当人ではない俺も込み上げてくる感情で胸が熱くなってくる。
先輩はユキの言葉に頷きながら、涙腺が壊れてしまったかのように先程から涙が止まらない。
『それから……準くん。今までありがとう。私、準くんに出会えなかったら、ずっと自分が誰なのかわからないまま漂っていたと思うんだ。だから本当に数えきれないくらいのありがとうだね。——それから、準くんは準くんが思ったようにすればいいと思うよ。色々な事考えないで、素直な気持ちで、ね』
「……あぁ、わかったよ。それと、俺の方こそ、ありがとな。でも、さようならは言わないからな、絶対」
『そうだ、ね。……うん。じゃあ、またねだ。ふふっ、やっぱり準くんは素直じゃないね』
そう言って、ユキは嬉しそうに笑う。
姿こそ見えなくなっても、脳内で鮮明にその姿が浮かぶ。
『本当はもっとお話ししたいけど……ごめんね、もう限界みたい……お姉ちゃん、準くん…………またね』
静かに、ゆっくりと紡がれたユキの言葉は俺たちの胸に確かに響き、そのまま空間に溶け込むようにして、その声と共に不思議な光は消えていった。