コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- ユキノココロ【62】 ( No.168 )
- 日時: 2015/04/05 22:29
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: MHTXF2/b)
「せ、先輩、その、言いにくいんですが、トイレに行きたいんですが……」
少し遅めの夕飯を食べてから数分後。生理現象、生きているなら避けては通れない現象に俺は見舞われていた。まさか我慢しろなんて鬼畜な事は言わないだろうし、すんなり行かせてくれると思ったのだが、先輩は無言のまま俺を見つめてきた。結構限界だったので、手錠を外してくれと促すようにお願いしてみる。
「……あの、結構限界なんで、早くコレを外してくれますか」
「……ダメです」
拗ねたような、むくれたような、そんな目をしながら先輩はそう呟く。
ダ、ダメって……じゃあどうすればいいんだ? ベットを背負ってトイレに行けとか言わないよな? それとも、ここで漏らせと? うぅ、高校生にもなってそんな醜態は晒したくないぞ。
「じゃあどうすればいいんですか? まさか、ここでしろとか言わないですよね」
「そ、そんな事言いません! だ、だから、その……い、一緒に行きます」
「…………はぁ?」
今何て言ったんだ? 一緒に行くとか言わなかったか?
ちょっと待て、待ってくれ。俺にもプライバシーってものがあると思うんだ。百歩譲って、この手錠は良いとしよう。先輩が心の整理をつけるまでの間なら俺は付き合う。今までハッキリとした態度を取れなかった俺にも責任があるし、ユキの事もあるしな。渚や涼あたりが聞いたら呆れるだろうが、これは俺が決めた事だ。
ここから逃げたり(繋がれてるので今は無理だが)拒絶する事はできる。
でも、それでは意味がない。先輩がきちんと納得してもらう形でないと意味がないのだ。
ユキからの最後の願いを果たすためには、必要不可欠である事——しかしだ、さすがにこれは譲れないだろう。
「あのですね、先輩。そんな事をしなくても、先輩がちゃんと納得して理解してくれるまで俺は逃げたりしません」
真剣な気持ちを乗せて俺が言うと、先輩はなぜか目を輝かせた。
「そ、それは、私が納得するまでは清川くんが家に居てくれる、という事でしょうか?」
「へっ? まぁ、そうですね。先輩がちゃんと納得するまでは、と思っていますが」
俺がそう答えると、先輩は嬉しそうに微笑む。
今の会話で喜ぶようなところがあっただろうか? 先輩にとっては嬉しい要素なんてないはずなんだけど……。頭の中で一抹の不安がよぎりながらも、今の最優先事項はそれではない。マジでそろそろ限界だ。早くしないと俺の人生に黒歴史が生まれてしまう。
「……せ、先輩、マジで、もう限界だから……!」
「あっ、す、すいません!」
この後、先輩に手錠を外してもらい、ギリギリのタイミングで間に合う事ができた。本当に焦ったが、黒歴史が生まれるのだけは回避できたので良しとしよう。……問題はまだまだ山積みだけど。
***
——生きている、とは時に不便な事もある。
例えばそれは、お腹が空いたら食事をしなければいけない。眠気がきたら眠らなければいけない。怪我をしたら治療しなければいけない、といった感じだ。生きている以上、どれも不可欠な事で、必要だという事。
つまり何が言いたいかというと、風呂に入りたいという事だ。うん、何がつまりなのか自分でも全然わからない。とにかく、強引な話の繋げ方だけど入浴は大事だ。風呂は命の洗濯なんて言われてるしな。既に時計は日付を越えたため、昨日になってしまったが、昨日はバイトだったから、今物凄く風呂に入りたい! 冬とはいえ、汗ぐらいは流したい。
「……先輩、申し訳ないんですが、お風呂を借してもらえませんか?」
「お風呂ですか。もちろん構いませんよ」
まさか一緒に入るとか言い出さないよな? などと身構えていると、意外にもそんな事はなく、先輩は部屋を出ていってしまった。
何だ、ちょっと警戒し過ぎたのかな? と言うか、疑心暗鬼になっているのかもしれないな。ふぅっと溜まっていた空気を吐き出すように一息つくと、扉が開いた。
「タオル持ってきました。今外しますね」
「はい、すいません」
***
入浴を済ますと、俺は再び拘束された。
風呂に入っている間も警戒するような出来事もなく、それで少し怪しんでしまう俺は重症なのかもしれない。この行為をもう見慣れてしまってきている自分が少し怖いが、これも先輩を説得するためである事を忘れてはいない。それにしても、先輩はなぜここにひとりで住んでいるのだろう?
今更の疑問だが、いくら家が裕福とはいえ、女の子のひとり暮らしなんて何かと物騒だとは思うし、先輩の親だって心配なはずだ。なんとなく気になった俺は、隣りに座っている先輩に問いかける。
「先輩はどうしてここにひとりで住んでいるんですか?」
俺がそう尋ねると、先輩は驚いたような表情に変わる。そして、少し伏し目がちになりながらゆっくりと口を開く。
「そ、それは……ここに居れば清川くんに会えると思ったからです」
「……それは、またなんとも」
予想外の答えが返ってきて少し困惑してしまう。
先輩とは小さい時に会ったきりで、それ以降は会っていない。父さんが亡くなってから俺がこの町を離れた期間を考えると、一体いつから先輩はここに居たんだろう。
それに、俺が戻ってきてあの高校に入る事まで考えると、もう一度再会するなんてかなり低い確率だ。始めから知っていたならともかく、偶然だとしたら凄いな。
「私が両親に無理を言ったんです。高校を卒業するまででいいからこの場所に居たいって……もちろん最初は反対されました。でも、今思えば両親は私にどこか引け目もあったんだと思います」
ポツリ、ポツリと思い出すように先輩は話す。
ご両親の引け目とは、きっと先輩にユキの事を黙っていたからだろう。だからせめて高校を卒業するまでというのも、先輩の想いを頭ごなしに否定できず、なるべくなら好きにさせたいと思ったんだと思う。
「だから、清川くんに会えたときは本当に凄く嬉しかったんです。最後の年に会えるなんて運命かもしれない、なんて思いました……本当はもう少し早く気付けたら良かったんですけどね」
そう言って、少し寂しそうに先輩は笑う。
先輩は3年だから来年には卒業してしまう。もうあと何ヵ月かという短い期間だ。その寂しげな表情を見て、胸の奥を小さな針で刺されたような感覚が襲う。何かできるはずなのに、何もできない俺。先輩の心を埋める事、先輩が求める事は俺にはできない。
「先輩、俺は——」
「聞きたくないです。聞きたく、ないです。……清川くんは、私が納得するまで傍に居てくれるって言ってくれました。私はそれだけで充分です」
先輩は唇を軽く噛みながら顔をしかませる。
その様子を見て、名状しがたい気持ちが俺の心を支配する。それはまるで靄がかかったように。何かを言おうとするが、喉まできて言葉が出ない。結局、それ以上は何も言えずに沈黙の時間がただただ流れていった。