コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- ユキノココロ【63】 ( No.171 )
- 日時: 2015/04/18 23:55
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: Ft4.l7ID)
先輩の家に来てからどれくらい経ったのだろうか? なんかもう時間の感覚がない。
当初の予定である一泊はとっくに過ぎ、そろそろ行方不明届けでも出されるんじゃないかと心配になるレベルだ。……と言うかだ、もともとこんなに連泊するつもりがなかったので色々な問題が発生してきた。例えばそれは、着替えだったり、母さんへの連絡だったり、バイト先である風見鶏への連絡だったりと問題は山積みだ。
連絡関係は先輩から携帯を借りて何とかするとしても(バイトはマスターに怒られるどころじゃすまないかもしれないが)着替えは結構重要だったりする。風呂に入れても着替えれないのは正直キツイ。
「あの先輩、一度家に帰してくれませんか? その、着替えとかもないですし、もしこのままなら家やバイト先に連絡を入れておかないとマズイですから。と言うよりですね、バイトには行かせてほしいんですが」
「……ダメです」
俺の願いは即座に却下された。
これは一体どうしたものかと頭を悩ませていると、先輩が柔らかな笑みを浮かべる。
「清川くんの着替えは私が買ってきます。それと、お仕事の件でしたら私が代わりに行きますので心配しなくて大丈夫ですよ」
……本当にどうしたらいいんだこれ。先輩に買わせるのはちょっと——と言うか、そんな事をする必要はないと思う。それにバイトはダメだろう。風見鶏はマスターの趣味が強い店だし、普通の店より規律は緩いとは思うが、それでもそれは許されないと思う。何より俺が嫌だし。
「大丈夫じゃありません。着替えはともかく、バイトは俺の勝手で店に、マスターや渚に迷惑をかける訳にはいかないんですよ」
ハッキリ『それだけはダメだ』という意思を伝えるため少し強い口調で言うが、先輩は笑みを浮かべたまま部屋の扉に手を掛けた。
「先輩っ!」
それを引き留めるように呼びかけると、先輩はピタリと足を止める。
わかってくれたのか? そう思っていると、先輩は俺に向かって一歩、また一歩と近づいてくる。俯いているので表情は窺えないが、いつものような穏やかな雰囲気ではないのが空気でわかる。お互いが触れ合えるほどの距離まで近づくと、先輩は真剣な眼差しで俺を見つめてきた。
「……大丈夫です。清川くんは何にも心配はいらないんですよ? 私が清川くんのお世話を一生しますから。だから、いつまでも一緒です」
「…………」
先輩の細くしなやかな手が俺の頬に触れ、耳元に口を近づけて囁くようにそんな事を言う。背筋を駆け抜ける例えようのない感覚。すぐ傍には先輩の綺麗な顔があって、鼻腔をくすぐる甘い香り。まるで熱にでも侵されたかのように俺の思考を奪っていく。
それでも流されたりはしない。それは、先輩を傷付けるだけだから。傲慢でいい、恨まれたって構わない。先輩が前に進むためなら、俺は——
「先輩ダメです。少し離れてください」
「嫌です……こんなに好きなのに、どうして離れないといけないんですか?」
どうしてって、そんなの決まってる。
「俺は決めましたから。辛い時もずっと傍に居て、支えてくれた、渚の想いに応えたいって……いえ、今の言い方は卑怯ですね」
一旦言葉を切ってから呼吸を整える。
頭の中に浮かぶ言葉、でもそれは綺麗に飾った言葉じゃない。とても単純で、とても大事な言葉。
「俺は渚が好きです。その想いは変わりません」
「……うっ……うぅっ、どうしてそんな事を言うんですか…………ずっと、ずっと想ってきたのに、こんなの……あんまりじゃないですかぁ!」
先輩の嗚咽混じりの言葉に胸がズキズキと痛む。
本当にどうして、なんだろう。言葉は自由で不自由だ。便利なようで不便だ。言葉一つで何かを変えたり、何かが変わったりする。でも、俺にはそんな言葉一つかけられやしない。——だから思うんだ。このちっぽけな俺の気持ちが少しでも伝わりますように、先輩が前に進めますようにって。
「……先輩、俺の事を好きになってくれて本当にありがとうございます」
「……清川、くん?」
俺は震える手で先輩を抱き締めた。
ごめんな、渚。今だけは許してほしい。後でいっぱい怒っていいから。
「ずっと好きでいてくれて、本当にありがとうございます。俺は——初恋の相手を選べませんでした」
「……っつ……うぅっ……そんなの、納得できる訳ないじゃないですか……」
この日、一つの恋が終わりを告げた。
とめどなく溢れる先輩の涙は俺の服に悲しみという染みを作り、いつまでもいつまでも泣き止む事はなかった。