コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- 未来への帰り道〜ユキ編〜【プロローグ】 ( No.195 )
- 日時: 2015/07/23 23:48
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: wGslLelu)
——お母さんはさっきからずっと泣きながら、痛いくらいに私を抱き締めてきて苦しい。涼くんは何処に行っちゃったんだろ? 今日は一緒に遊ぼうって言ってたのに、もしかして、私が準くんに会いに行ってたから怒っちゃったのかな。だとしたら、悲しい。しかも涼くんに、ちゃんとありがとうって言ってない。
「ねぇ、お母さん。涼くんは?」
「涼くんって、さっきの……あら?」
私がお母さんに聞くと、途中で困ったような顔に変わった。
「……どうしてかしら。思い出せないわ。ユキの命の恩人で、ついさっき会ったばかりだというのに……」
頭を抱えてしまったお母さんを見て、私はふざけているんだと思った。だって、お母さんは涼くんについさっき会ったばかりだ。どうしてお母さんは私に嘘をつくの? ……もしかしたら涼くん、私の事を嫌いになって帰っちゃったのかな?
「——つっ!」
「あっ、ユキ! 待ちなさい!」
そう考えたら凄く悲しくなってきて、私は走り出した。涼くんに会いたかったから。きっと、まだ近くに居ると思ったから。
病院の中は広くて、いつも行っている公園とは全然違う。パジャマを着てよろよろと歩くお爺さん、マスクをしてコホコホと咳をするお婆さん、その隣で白い服を着て胸にカードを付けた人が忙しく動いている。ずっと走っていたから苦しくなってきて、私は途中で止まり、ペタンと床に座った。
「……今回は接触した人間が多くてね、難しいよ。彼と関わった全ての人間の記憶を消すのに、かなり時間が掛かる——」
私が座り込んだ曲がり角から声が聞こえてきた。お父さんより低い声。さっきまではいっぱい人が居たのに、ここには誰も居ないみたい。どうしてだろう?
「そう思うなら手伝ってほしいね。この間関わった、彼らにえらくご執心みたいだけど、そのせいでこちらは猫の手を借りたいほど忙しいんだ。それに、人間には関わらないと言ってたじゃないか。面倒事ばかり押し付けられても困る」
何だか難しいお話をしてるみたい。私は休みながら、その声を聞く。
「……まったく。このままだと、約10年といったところだよ。そうしたら、全てが終わる。綺麗に。……あぁ、問題はないよ。山部涼は信頼できる人物だ。お前が信頼したあの少年のように、ね」
——涼くん! その名前を聞いた私は立ち上がって、その声の主へ向かって走り出す。
私を助けてくれた涼くんにありがとうを言うために、涼くんを知っているなら、どこに行ったのかも知っている気がしたから。
「おじさん、涼くんがどこに行ったか知ってるの?」
「おっと、これは可愛いお客さんだね」
私が駆け寄って尋ねると、大きいおじさんは私に向かって笑った。お話していると思ったのに、そこにはおじさん1人しか居なかった。どこかに行っちゃったのかな。
「さて、涼くん、だったね。……残念だけど彼は遠くへ行ってしまったんだ」
「えっ、どうして? 涼くんとはもう会えないの?」
「涼くんは帰らなくてはいけない場所があるからね。君ともう一度会うのは難しいかもしれない。——でも大丈夫、そんな悲しい世界はすぐに終わる。そしたら、君はもう悲しいと感じる事もないだろう」
「何を言ってるの? よく分からないよ」
「分からなくていいんだよ。人は知らない方が良い事も沢山ある。君も、今は分からなくても、その内理解できるようになる」
おじさんが何を言っているのか私には分からない。でも、その時のおじさんの顔は凄く辛そうな顔していた。それからずっと————私は。
- 未来への帰り道〜ユキ編〜【1】 ( No.196 )
- 日時: 2015/07/27 21:54
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: a0p/ia.h)
白色のカーテン越しに穏やかな春の陽光が差し込んで、リビングに陽だまりを作る。
そんな陽気とは裏腹に私は焦っていた。今日からお姉ちゃんと一緒に高校に行く大事な初日、既に朝食も食べたし、忘れ物の確認もした。完璧……のはずだったのに。
「お姉ちゃーん、私の髪留めどこに置いたっけ?」
「髪留め? 昨日、洗面所で見かけたけど……それよりユキ、急がないと遅刻しちゃう」
艶やかなセミロングの黒髪をなびかせて、私のお姉ちゃんはそんな事言う。
あぁ、そうだったと思いだし、洗面所へダッシュ。置きっぱなしになっていた髪留めをサイドに付けた。お姉ちゃんと違って私の髪は短いから準備にそこまで時間は掛からない。小さい頃は同じくらい長かったけど、容姿が似ているせいかよく間違われるため、私はいつからか髪を切った。お姉ちゃんより少しだけ短く。手早く鏡で確認してからリビングに戻る。
「お待たせ! 行こうお姉ちゃん」
「ちょっと待って……うん、大丈夫。身だしなみはしっかりしないとね」
そう言うと、お姉ちゃんは手櫛で私の前髪を整えて、制服の襟も直してくれた。
綾瀬紗織(あやせ さおり)は、私の自慢のお姉ちゃんだ。容姿端麗、頭脳明晰、運動以外は大抵の事は何でもできてしまう。少し人見知りなところを除けば完璧。私はというと、容姿こそお姉ちゃんに似てるけど、特段成績が良い訳でもなく、他に秀でたところもない。お姉ちゃんと違うのは人見知りをしないってところかな。
「えへへ、ありがとお姉ちゃん」
お礼を言いながら軽く抱きつく。お姉ちゃんのサラサラの髪が頬に当たって少しくすぐったい。——っと、お姉ちゃんとイチャイチャしたいのはやまやまだけど、これ以上じゃれていたら本当に遅刻してしまう。私は少し名残惜しさを感じながらも身体を離し、家を出た。
***
学校へと続く長い坂道を歩く。見上げれば雲一つない青空……とまではいかないけど、降り注ぐ穏やかな日差しと辺り一面に咲き乱れた桜からの花吹雪。その一枚一枚の花弁が太陽の光に当てられてキラキラと輝いて見える。
そんな風に見えるのは、新生活に胸を躍らせているからだろうか。
「でもさ、よくお母さんは許してくれたよね」
ちょっとだけお姉ちゃんの前を歩いていた私は、振り返ってお姉ちゃんに話しかける。
少し前、自宅から遠い学校に通うために私はひとり暮らしをしたいとお母さんに言った。
お母さんは猛反対。というのも、私が小さい時に事故に遭いそうになってから私に関しての事は過保護気味だからだ。お姉ちゃんはしているのに、私だけダメなんてズルいと粘り強く抗議すると、渋々ながらお母さんは条件付きで了承してくれた。
お姉ちゃんは1年前から家を出ていた。高校生でひとり暮らしは色々と物騒だし、経済的にも優しくない。そんな理由からか、お姉ちゃんも最初は反対されていた。けど、いつもはわがままなんて言わないお姉ちゃんの強い希望だったからか、お父さんもお母さんも最後は納得してくれたみたい。そこまでして、家から遠い高校に行きたかったのかな? という疑問が残ったけど、お姉ちゃんが意味もなく選ぶわけもないので、きっと良い所なんだと私も興味をもった。そして、その興味が同じ高校に行くキッカケともなった。
……と、話が少し逸れたけど、私が出された条件は、お姉ちゃんとの同居だった。
お母さん曰く、お姉ちゃんが傍に居れば安心、だとか。さすがお姉ちゃん! と思うと同時に、私にはない信頼感がある事にちょっと嫉妬してしまう自分も居たりする。
まぁ、お姉ちゃん好きだし、私としては文句なんてない。それに、私が張り合ったって敵わないのは分かっているしね。
お父さんは相変わらずあっこっちに飛びまわっているみたいで、その時は会えなかったけど近い内に会いたいな。
「ユキは昔から危なっかしいから、お母さんが心配するのも分かる。あの時は本当に心配したんだから」
過去の事を思い浮かべているのか、お姉ちゃんの綺麗な顔に影が差す。お姉ちゃんが言っている『あの時』とは私がまだ小さかった時の事だ。
あの日、私は近所に住んでいた男の子と公園で話した後、家へ帰る途中だった。私が歩いていた所に、居眠り運転の車が突っ込んできて、危うく事故になりかけた。その時に助けてくれたのが当時仲良くなった年上のお兄さんだった。名前は涼くん……と言っても、私より全然年上だったけど。
ピンチの時に颯爽と助けてくれた涼くんは私の憧れに変わり、多分初めて人を好きになるっていう淡い経験をしたんだと思う。その時には少し気になる男の子が居たけど、その存在が霞んでしまう程、鮮明に記憶に焼き付いた。
今でもその強い想いが胸の中に残っていて、無意識の内に涼くんを捜し続けている。けど、あれ以来涼くんには会えていない。涼くん、今どうしているのかな。
そういえば、もう一つ何か印象的な出来事があった気がしたけど、それは頭の中に靄がかかったように思い出せない。
「大丈夫、大丈夫。私は立派に大きくなったから」
私はそう言って、重くなった雰囲気を壊すようにわざとらしくおどけてみせる。お姉ちゃんに悲しい顔させるのは好きじゃない。もちろん、お母さんだってそうだ。
あの日以来、私達家族は少し離れた所に引っ越す事になった。きっと事故の事(未遂だったけど)をあまり思い出させないようにと、お母さん達が配慮してくれたんだと思う。それからというもの、お姉ちゃんもお母さんも私に対して気を遣っているように感じる。お母さんもだけど、特にお姉ちゃんは私に対してかなり過保護だ。心配してくれるのは嬉しい。
けど、お姉ちゃんにはお姉ちゃんの人生があるのだから、私の事を気にせずもっと自由にしてほしいとも思う。って、私がそんな事を偉そうに言える立場じゃないんだけどね。
「またそうやって……あっ——」
「うん?」
私を窘めようとしたお姉ちゃんの顔が驚いた表情に変わる。その視線の先を追えば、強張った顔をした見知らぬ男子がお姉ちゃんの間近まで来ていた。すごしやすい気候だというのに、その男子は額にうっすら汗を滲ませ、まるでこれから戦場にでもいくような悲壮な表情になっている。そして、その男子はお姉ちゃんに向かって——
「あ、綾瀬さん! 好きです、お、俺と付き合って下さい!」
そう言った。
「えっ、えぇー!?」
男子の告白を聞いた私は、自分の事じゃないのに大きな声を出して驚いてしまった。
だって、朝だよ。登校中だよ。周りに他の生徒だって一杯居るのに、こんな道端で公開告白なんて勇気を通り越して、そういう趣味でもあるのかと思ってしまう。
それに対してお姉ちゃんは、困ったように少し逡巡した後、頭を下げながら小さな声で「ごめんなさい」と言った。さすがお姉ちゃん、学校でモテモテなんだね……。
玉砕した男子の『この世の終わりだ』といった感じで、ガックリと落ち込んだ表情を見ながら、私は心の中で密かに励ましたのだった。
(続く)
- 未来への帰り道〜ユキ編〜【2】 ( No.197 )
- 日時: 2015/11/11 01:56
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: Uj9lR0Ik)
本日全ての授業が終わり放課後になると、私の机の周りをクラスメイトに囲まれていた。
「綾瀬さん、凄い可愛いよね。うわ、髪サラサラ! しかも良い匂い」
「顔小さいし、細い。むうぅ、同じ人間なのにどうしてこう違うものか……」
「あ、あの、ちょっと……やっ」
クラスメイト数人に囲まれて、髪を触られたり、頬を突かれたり、腰を触られたりと、まるで触れ合いコーナーに居る動物のような扱い。知り合って間もないというのに、こんなにぐいぐい距離を詰められると少し戸惑う。
「ち、ちょっと、ストップ!」
私が必死の思いでそう言うと、みんな手を止めてくれた。
いくら女の子同士とはいえ、あまり過度なスキンシップをされるとさすがにちょっと困る。それに、ここは教室でまだ教室には男子達も居る。そんな状況であちこち触られるのは恥ずかしい。
「ごめんね〜、綾瀬さん可愛いから。つい」
「つい、じゃないよ。もう」
私はそう言いながら目を細めて抗議してみるが、大して効果はないみたい。
むぅ……もっと怖い顔だったら——ううん、それは女子としてダメだよね。止めてくれるだろうけど、みんなが近寄らなくなっちゃうかもしれない。
「綾瀬さんは、もう部活決めた? もしまだなら一緒に文芸部に入らない?」
「うーん、私は部活には入らない予定なんだ。ごめんね」
私は顔の前で両手を合わせて謝る。これからお姉ちゃんと一緒に生活するんだから、なるべくお姉ちゃんの負担は減らしてあげたい。部活などで帰りが遅くなってしまうと、逆にお姉ちゃんに負担を掛けてしまう。私としてはそれは避けたいところだ。
「そうなんだ、残念だなぁ。せっかく綾瀬さんと堂々と放課後にイチャイチャ出来ると思ったのに……」
「例え入ったとしても、そんな事しないよっ!?」
「えぇー、せっかく部活が一緒っていう大義名分があるのに、綾瀬さんとイチャイチャしないなんて、寿司屋に行ってネタを食べずにシャリだけ食べるようなものだよ〜」
私を誘ってくれた女の子、里中さんはそう言って、眉根を少し寄せながら顔をしかめた。
冗談で言っているんだろうけど、なんだか目が本気で怖い。さっきもその……里中さんだけはちょっと手つきが怪しかったというかなんというか……。
テレビ見た事があったけど、世の中には色々な人が居て、中にはその……女の子同士でOKな人も居るみたい。けど……まさか、ね。
私がチラリと視線を送ると、里中さんは満面の笑みを浮かべた。
「と、とにかく、部活は入る予定ないから! また明日ね!」
一度考えてしまうと、その笑みは何か企んでるように見えてしまい、私はそう言うと鞄を持って逃げるように教室を出た。
扉を開けて教室の外へと出た瞬間、私の頭にドンという衝撃が走る。その衝撃で吹き飛ばされるようにして私は床に座り込んでしまう。
「い、たたたたっ……」
里中さんから逃げようと慌てていたからか、前方不注意の私は何かに思いっきり頭をぶつけてしまったようだ。おでこから頭部にかけて、じんじんとした痛みが襲ってくる。うぅ……めっちゃ痛いよ。
「大丈夫か?」
「……は、はい、すいません、私ってば前見てなく——て」
私が顔を上げると、そこに居たのは黒縁眼鏡をかけた男子生徒。ツンツンと、ハリネズミのように逆立った短い黒髪。細見の体躯、全体的に整った顔でクールな印象を受ける。
何だか懐かしい。前にどこかで会ったような…………違う、そうじゃない。私は——この人を知っている。
「……立てる?」
「…………」
私は彼に差し出された手を無言で掴んで立ち上がった。
色々な想いが入り混じった気持ちが私の胸の中で台風みたいに暴れまわる。だってこの人は、私がずっと捜してきた人にそっくりなんだ。
記憶の中に残る『涼くん』に瓜二つ。ううん、本人だ。間違いない、断言できる。……やっと、やっと会えたね。勝手にどこか行っちゃうから、私はあの日からずっとずっとあなたを捜してたんだよ? じわりと、私の目頭が熱くなっていく。
「泣いてる? ……どこか痛めたのか?」
「……ううん、大丈夫。これは嬉し泣きだから。やっと、涼くんに会えたから……」
私は溢れる涙を軽く拭って、笑顔でそう答える。けど、涼くんは何故か見る見るうちに怪訝な表情に変わっていった。
「……君と俺は初対面のはずだけど? 名前は一緒みたいだけど、人違いだ」
「————えっ?」
何を言っているの? 見間違えるはずなんてない。だって……!
その時、私の中で何かが壊れていく音がした気がした。
(続く)
- 未来への帰り道〜ユキ編〜【3】 ( No.198 )
- 日時: 2015/11/27 00:25
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: MHTXF2/b)
「そ、そんな訳ないよ。涼くんだよ。小さい時、事故に遭いそうになった私を助けてくれたじゃない。私、今でもずっと——」
「……悪いけど、身に覚えがない。誰かを助けた事なんてないし」
「私っ、綾瀬! 綾瀬ユキだよっ!」
「……すまない。やっぱり、俺には覚えがないな」
私の必死の訴えに、困ったような顔をしながら涼くんに言い放たれたその言葉は、私の心を壊す程に突き刺す。どうして……? 何で覚えていないの?
「もう良い? 友達を待たせてるんだ」
そう言って涼くんは私の横を通り抜けると、足早に帰っていった。
ひとり残された私にどうしようもない喪失感が襲ってくる。ずっと胸の奥に秘めてきた想い。そんなものは幻想だと、私のただの誇大妄想だと、そう言われた気がした。
「綾瀬さん大丈夫? あいつ何なのよ。確か隣のクラスだったっけ。綾瀬さんは知っているみたいだったけど、知り合いなの?」
今の私たちの様子を遠巻きに見ていた里中さんが、心配そうに声を掛けてきた。
「……ううん。何か、私の勘違いだったみたい」
里中さんの問い掛けに、取り繕った笑顔でそう答えるのが今の私の精一杯だった。
***
「今日はどうだった?」
帰宅してから、お姉ちゃんと一緒にキッチンに立つ。
今日のメニューはグラタンみたい。お姉ちゃんは洋食が得意で、実家に居た時も私によく作ってくれていた。おかげで私は料理というものがそこまで得意じゃない。
私は細々した物の担当だ。お姉ちゃんの問い掛けを聞きながら付け合せのサラダを作るための野菜を洗ったり、お皿を用意したり、ちょっとした盛り付けを手伝っている。
「うん、今日は色々あったよ」
答えながらオーブンの中を覗き込むと、ホワイトソースの上にかけられたチーズが踊っている。うーん美味しそう。見つめながら今日の事を思い返す。
涼くんは、もう私の事なんて忘れちゃったんだろうか? 私にとって大事な思い出だったとしても、涼くんにとっても大事な思い出だとは限らない。
そんな事さえ気付かずに、私は浮かれていたのかな? でも、何か重要な事を私は見落としている気がする。それはもっと根本的な問題で——
「元気ないみたいだけど、大丈夫?」
思考の世界にトリップしていた私に、お姉ちゃんが心配そうに尋ねてくる。
いけない、いけない。お姉ちゃんに心配かけてどうするんだ私。ちゃんとしよう。
「うん、大丈夫だよ。お腹空き過ぎちゃって……元気無くなっちゃったよ。えへへ」
「何だ、そういう事だったんだ。もう少しで出来るから待っててね」
私が笑いながらそう言うと、お姉ちゃんはふわりと柔らかい笑みを浮かべて、私が洗った野菜を切り、サラダを綺麗にお皿に盛り始めた。それ以上深く聞かれずにに話が終わった事に、私は安堵する。
——これで良いよね。お姉ちゃんに心配かける訳にはいかないんだから。
***
夕食が終わると私は自室に戻り、ベットに体を投げ出して枕に顔を埋める。
お姉ちゃんが住んでいるこのマンションは広い。オートロック、カメラ付きインターホン、2人一緒でも悠々過ごせる部屋が2つ、リビングは広くキッチンは対面式。おまけにトイレとお風呂だって別で、お風呂は私とお姉ちゃんが2人で入っても窮屈じゃない広さだ。
心配性なお母さんと、私たちを溺愛してくれているお父さんが無駄に広い部屋を借りてくれたのだ。前はお姉ちゃん1人で住んでいた訳だから、すっごく贅沢な気がするけど、今思えば、お母さんは私が「ひとり暮らしをしたい!」と言うのを予見していたのかもしれない。それでも広いんだけどね。
さておき、考えるのは今日の出来事。出そうで出ない答えにモヤモヤが溜まっていく。
「……そもそも、涼くんはあの時私と友達になって」
うん? 待って。あの時って、私は小さかったよね。
私だって大きくなって成長している訳で、でも今日再会した涼くんはあの時ままで。まるで時が止まったみたいに……。
「そうだよっ! 違和感の正体は、涼くんが昔の姿と全然変わらないって事だっ!」
ベットから勢いよく体を起こして思わず叫んでしまう。
あれからもう10年も経っているはずなのに、容姿が全く変わっていない。
ううん、それどころか、一緒の学校に通って、同じ学年って事自体がおかしな事なんだよ。何でそんな簡単な事に気付けなかったんだろう。記憶のままの涼くんと再会できて舞い上がってたのかな? そんな事を考えていると、トントンと控えめなノック音が鳴った。
「凄く大きな声が聞こえてきたけど、何かあったの?」
そう言って、ドアを開けて入ってきたお姉ちゃんの顔は曇っていた。
……しまった。さっき思わず叫んじゃったから、隣に部屋に居るお姉ちゃんにも聞こえちゃったんだ。
「えっと、何でもないよ。ちょっと発声練習というか……あ、あはは」
「そう、なの?」
うぅ、お姉ちゃんに思いっきり怪訝な目で見られてる。
そりゃそうだよね。咄嗟に口から出た言い訳だったから仕方ないけど、言い訳としては苦しすぎるし、そもそも何の発声練習だって話だよね。
「このマンションは壁が厚いから隣には聞こえにくいと思うけど、あまり夜に大きな声を出すとご近所に迷惑になるからね?」
窘めるような口調でお姉ちゃんはそう言う。
私は若干引きつった笑みを浮かべながら、頷いた。
「それじゃあ私はもう寝るけど、ユキも夜更かししないで寝るんだよ?」
「うん、ごめんねお姉ちゃん。ありがとう」
パタンと閉まる扉を見て、私は胸を撫で下ろす。
ふぅ、別に何にも悪い事してないのに少し焦ったよ。何て説明すればいいか分からないもんね。「子供の頃に私を助けてくれて、その頃からずっと気になっている人と、そっくりな人を学校で見つけたんだ」と正直に言うのも気恥ずかしいし。
そもそもお姉ちゃんとそういう話をした事がない。お姉ちゃんは総モテみたいだけど、今まで浮いた話は聞かないし……お姉ちゃんが誰かに恋をする事ってあるのかな?
妹の私としては、少し心配だな。お姉ちゃんに彼氏なんて出来たら、それはそれで嫌だけども。
「……とにかく、明日聞いてみようかな」
あれだけそっくりなんだから、涼くんの年の離れた弟——もしくは、親戚って可能性が高いかもしれない。少なくとも涼くんとなんらかの繋がりはあるはず。
その糸を辿れば、今度こそ私は涼くんに会える。そして、あの時言えなかったお礼が言えるんだ。
今までずっと、涼くんが私の心に住みついてた。急に居なくなっちゃうから、本当に、本当に悲しかったんだからね? 何で私の前から急に消えたのか教えてほしい。——ちゃんと答えて。そう心で問い掛けたって、返ってくる言葉なんかない。
でも、問い掛けずにはいられない。もしかしたら、やっと涼くんに会えるかもしれない。胸が騒ぎ出す。今すぐにでも飛び出したい衝動を抑えて、私はそっと目を閉じた。
(続く)
- 未来への帰り道〜ユキ編〜【4】 ( No.199 )
- 日時: 2015/11/27 00:26
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: MHTXF2/b)
翌日の昼休み、私は昨日の夜に思案していた事を聞くために、涼くんが居る教室へとやって来た。
隣りの教室、ほんの僅かの距離だというのに、それは遠くて、まるで私と涼くんの距離のような気がした。
って、感傷的になってる場合じゃないよね。ふぅと軽く呼吸を整えると、私は扉の近くに居た男子生徒に話しかけた。
「あ、あの、涼く——いえ、山部くんは居ますか?」
私は涼くんと言いかけて、慌てて言い直す。
ここに来る前に、ちゃんと苗字はリサーチしてきた。だって、親しくもない(はず)私がいきなり名前で呼んだら変だもんね。それに、涼くんは涼くんでも別人で、あの涼くんじゃないんだから。……多分。
「山部? あぁ、山部ならあそこで清川と話しているよ。呼んでやろうか?」
「ううん、大丈夫です。ありがとう」
期待と不安が入り混じった気持ちで、対応してくれた男子生徒が指差した方向を見つめる。すると、教室の隅で談笑している2人の男子を見つけた。
1人は涼くん。もう1人は清川くんというらしい。……清川くんって、どこかで見た事あるような気もするけど、どこかで会った事あったかな?
そんな事を考えながら、私は意を決して教室の中へと入る。ひそひそと、耳打ちでもするかのような声音で話す生徒達。周りから私に向けられる視線が突き刺さる。
「……うぅ」
きっと気にし過ぎなんだろうけど、ちょっと居心地が悪い。
なんだか凄くアウェーな気分だよ。その視線を振り切るかのように、私は涼くんの隣へと駆け寄った。
「あのっ」
「うん? あぁ、昨日の」
緊張した私の声に気付き、涼くんはゆっくりと顔を上げる。
私は席に座っている涼くんを見下ろす。ツンツンとしたハリネズミのように逆立った黒髪、黒フレームの眼鏡、少しクールな表情、あの頃と全く変わらない。
同じ名前で、そっくりな顔。別人のはずなのに、見ているだけで、私の想いが溢れそうになる。ひとりでに込み上げてくる想いを抑えて、私は言葉を紡ぐ。
「昨日はごめんね。と、突然なんだけど、山部くんに歳の離れたお兄さんとかって居る? もしくは、親戚に年上の男の人とか?」
私のそんな問い掛けに、山部くんは訝しげな表情に変わる。
ちなみに、隣に座っている清川くんは不思議そうな顔で私を見つめていた。
「……いや、俺に兄は居ないよ。親戚なら居るけど」
「そ、それって、どんな人っ!?」
その一言に、思わず食い気味で涼くんに詰め寄る。
「田舎で蕎麦屋やってる。山で採った山菜と手打ち蕎麦、それが美味いらしい。遠くからわざわざ食べに来るお客さんも居るとか」
「その人は、昔この辺に来た事あるとか、そういう話は聞いた事ない? あと、その人の年齢は? 名前とか分かる?」
「少なくとも、俺が知る限り無いと思うよ。確か還暦過ぎてると思うけど。けど、その人の名前は君が言ってたリョウじゃない」
——ダメだ。それじゃあ10年前の記憶と辻褄が合わない。
いくら子供の頃の記憶が写真のように正確じゃなく、ボンヤリとしてたとしても、さすがにそれは違うと思う。私が考えていた可能性が全部潰れてしまった。
「というか、質問の意図が分からないんだけど。それは君に何か関係ある事なの? 昨日は泣いていたし」
「えっ、う、うん。めちゃくちゃ関係ある……かな」
唐突に質問されて、少し口ごもりながら私は答える。
焦る。何て答えればいいんだろう? まさか、子供の頃に私を助けてくれた人が気になっていて、今でもその人の事を捜している……なんて答えたら、痛い女とか思われそうだしなぁ。
昨日少し口走っちゃったけど、まだ詳しくは言ってないからセーフ……だよね?
「そんなに邪険にしなくていいだろ、涼。お前は鈍いな。いいか、その子は必死で捜してるんだよ。昔に失った——その大事な記憶を」
「——えっ?」
私が思案していると、涼くんの隣りに向かい合わせるようにして座っていた清川くんが急に会話に入ってきた。しかも真剣な表情で。
さらに、なんだか核心をつくような言葉を……。え、えっ、まさか。
「彼女は昔に会ったお前の親戚の蕎麦を食べて、その味を忘れられずにいるんだよ!」
ち、ちっがーーう!
どうしたらそんな考えになるの! 色々間違ってる!
真顔で言い放ったその清川くんの一言に、涼くんは呆れ顔で深い溜め息を吐く。
「そんな訳ないだろう。ちゃんと人の話を聞いてたか? その親戚はこっちに来た事がないんだ。それに、その人の名前はリョウじゃない。彼女が捜しているのはリョウって名前の人なんだ」
「そんな事は分からないだろ? どこかで偶然会ったのかもだし、名前だってちゃんと聞き取れなくて、間違って覚えてたのかもしれない」
「……じゃあ仮にそうだったとして、わざわざ昔食べた蕎麦をもう一度食べたくて、容姿が似ていた俺を尋ねたって事か?」
「その辺の詳しい事情を俺は知らないけど、そうなんじゃないか?」
「こじつけにも程がある。大体——」
完全に私を置いてきぼりにして話す山部くんと清川くん。
あぁでもない、こうでもないと、2人でどんどんと会話が進んでいく。……あぁ、うぅ。もしかしてこれは、完全に放置プレイなんじゃ?
「はいはい、ストーップ。なーに、男同士で盛り上がってるか」
その時、唐突に私の背後から明るい声が聞こえてきた。振り向くとそこに居たのは女の子。
ボブカットの黒髪に、華奢な身体、ハキハキと喋る彼女は、全体的に快活そうな印象を受ける。しかも凄く可愛い人だ。
「渚か。どうしたんだよ?」
ヒートアップしていた話し合いを止めて、清川くんが渚と呼ばれた女の子に横目で問い掛ける。
「どうしたんだよ? じゃないよ。お昼一緒に食べようって約束してたのに、準一が全然来ないから」
仕方がないなぁ。とでも言わんばかりの表情で、女の子がそう言う。
へぇ、清川くんの下の名前、準一って言うんだ。昔、仲良かった男の子と同じ名前だ。何か涼くんといい、名前が同じだなんて凄い偶然。
お昼一緒に食べようだなんて彼女さんなのかな?
「おっと、そうだ。待たせて悪い」
「まったく。それより、こんな可愛い子を放置して準一達は何してるの?」
「——へっ? えっと、その」
急に褒められたせいか、少し驚いてしまった。
あわあわする私を清川くんは気にも留めず話し出す。
「いや、昔食べた涼の親戚の蕎麦が忘れられないって、その子が言っててさ」
「そんな事、私は一言も言ってないよ!?」
思わずツッコんでしまう。
だってこのまま話が流れていくと、ただの蕎麦好きの女子高生になっちゃうし。その時の味が忘れられなくて泣いたとか。私の事どれだけ食いしん坊だと思ってるの?
「ほら、だから言ったろ? で、君が言う理由が俺は知りたいんだけど。そうしたら、もう少し協力してあげられるかもしれないし」
涼くんは真っ直ぐに私の目を見据え、落ち着いた声のトーンで私に問い掛ける。
こ、ここで言うの? ……本音を言うべきなのか、それとも勘違いでしたって言って、お茶を濁すべきなのか。うぅ、どうしよう?
(続く)
- 未来への帰り道〜ユキ編〜【5】 ( No.200 )
- 日時: 2016/01/29 19:17
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: z5Z4HjE0)
「そ、それは……」
「はいはい、そこまで。山部くん、この子困ってるよ?」
言い淀んでいた私に、渚さんが割って入ってくれた。
「ん、すまない。どうしてか気になっただけで、言いたくないなら言わなくていいんだ」
少しバツが悪そうに涼くんはそう言う。
何でだろう。渚さんに対する涼くんのあの態度……ちょっと変かも。
「あの、ごめんなさい」
「いいの、いいの。何でもハッキリさせる事だけが正しい訳じゃないよ」
そう言って、優しく笑う渚さんは少し大人っぽく見える。
涼くんは清川くんと話に戻り、既に別の話題になっていた。この間見つけたミステリースポットがどうとか、涼くんが熱心に話しているが、清川くんは興味が無さそうに相槌を打っている。
「あぁ、もう準一ってばお昼どうするの……あっ、そうだ。せっかくだから、お昼一緒に食べない? えーっと……」
「綾瀬です。綾瀬ユキです」
「綾瀬さんね。私は新谷。新谷渚だよ。よろしくね」
穏やかな春の風のような、そんな爽やかな笑みを浮かべながら、渚さんは私に手を差し出す。私はその手を恐る恐る握った。
「ふふっ、なんか綾瀬さんとは仲良くなれそうな気がする」
「わ、私も、新谷さんとは仲良くなれそうな気がします」
「渚でいいよ。学年同じだし、敬語も使わなくて大丈夫。その代わり、私もユキって呼んでいい?」
「う、うん! よろしくね、渚」
2人して笑いあうと、お喋りに夢中な涼くん達を残して、私たちはそのまま食堂へと向かった。本当は涼くんにまだ聞きたい事があったんだけど、これから時間はまだまだあるんだし、また今度でも良いよね。
***
「ユキ、今日はどうだったの?」
今日も今日とて、家に帰ってからお姉ちゃんと夕飯を作る。
私はこの時間が好きだ。大好きなお姉ちゃんと一緒に料理をする時間。と言っても、別に料理する時間が好きな訳じゃない。お姉ちゃんと一緒に何かをやる時間が好きなんだけど。
「うん、新しい友達が出来たよ。渚さんって言って、すっごい感じの良い人」
「そうなんだ、それは良かったね」
そう言って、お姉ちゃんは優しく微笑む。
野菜が沢山入ったシチューをかき混ぜながら、微笑んだお姉ちゃんの横顔はどこかお母さんに似ていて、少し懐かしくなって背中から抱きつく。
優しい香りと、温かな鼓動。ドクンドクンと、お姉ちゃんから伝わるその音が私を安心させてくれる。
「急にどうしたのユキ? 火を使っている時は危ないよ?」
「うん、ごめんね」
家を出て少ししか経ってないはずなのに、この寂しさは何なのだろう?
ホームシックってやつなのかな? だとしたら、私はどれだけ寂しがり屋なんだ。……こんなんじゃダメだね。
「……お姉ちゃん、温かい」
「もう、ユキったら」
「——うっ」
身体をくっつけて、お姉ちゃんのその表情を見ていると、不意に何かの映像が私の脳裏をかすめた。
それはとても嫌な感じで、広い部屋の中、明かりも点けずに暗い部屋の中でお姉ちゃんが膝を抱えてひとりで泣いている。そして、それを少し離れた場所で見ている私。とめどなく流れる涙の渦は、部屋中を悲しみで侵食していき、徐々に濃い闇が広がっていく。まるで深い海の底に沈んでいくような、そんな感覚。
これは何? 何でお姉ちゃんが泣いているの? どうして私が何も言わずに見ているの?
「——キ、ユキ、大丈夫?」
遠くから聞こえてくる声とともに、私の視界に明かりが飛び込んでくる。
まるで悪い夢でも見ていたみたい。ボンヤリとした意識が元に戻ると、私はお姉ちゃんに肩を揺すられていた事に気付く。
「……ご、ごめん」
「体調、悪いの?」
心配そうな顔でそう問いかけるお姉ちゃんに、私はゆっくり横に首を振る。新生活に慣れてなくて、少し疲れてるのかもしれない。けど、別に体調が悪い訳じゃないし、今日だって調子は良かった。
「もう、心配するでしょ。今日は私ひとりで作るからユキは部屋で休んでて」
「う、うん。そうしようかな」
無理をして手伝ってもお姉ちゃんに心配をさせるだけ。そう思った私は、お姉ちゃんにお願いしますと言って、リビングを後にした。
あれは一体何だったんだろう? なぜか胸の中が騒ぐ。涼くんの時とは違う、もっと別の何か。胸を圧迫するような、この気持ちは何だろう?
***
「やぁ、久しぶりだね。元気にしてたかい?」
翌日の放課後、ひとりで帰宅途中の私に見知らぬ男の人が声を掛けてきた。背が高く、細見だがガッチリとした体躯、逆立った黒髪、少し浅黒い肌、黒色のスーツに身を包み、黒いサングラス——見るからに怪しい。
最近は変態さんがよく出没するって学校で噂になってたけど、まさかこの人? 私は一瞥だけして、構わず無視するように歩き出した。
「ふ、冷たいな。せっかくこうして会いに来たというのに」
何か言ってるけど、無視無視。
下手に話なんかしたら、何されるかわからないし。
「君が捜していた山部涼という男。……彼は見つかったかい?」
背後からのその一言に、私の足がピタリと止まる。
同時に何か恐ろしいものが背筋を駆け上がってくる感覚に襲われた。
「……どういう意味ですか?」
ほぼ無意識に振り返ると、私の口からそんな言葉が零れた。
話す気なんてなかったはずなのに、涼くんの話題が出ただけで吸い寄せられるように。
「君は幼い頃に言ってたじゃないか。彼は何処に行ったのか? と。事故に遭いそうになった君を救った彼は、忽然と姿を消してしまったんだろう?」
「……ど、どうしてその事を」
男が言った内容は、私しか知りえない事だった。
あの時、涼くんに会ったはずのお母さんですら覚えていなかった。直前の出来事だったというのに、その名前を覚えているのは何故か私だけだった。
まるで狐にでも化かされたかのように、誰一人として名前はおろか、姿も存在すら初めから無かったかのように。
あれ以来、ずっと心に引っ掛かっていた。病院で誰かと話したはずだけど、そこだけ深い霧がかかったように記憶がハッキリしない事。曖昧で抽象的な記憶。何かを、私は何かを忘れているんだ。喉まで出かかっているのに、それが出てこない。
「しかし、そろそろタイムリミットだ。この世界は終わる。もうすぐ、ね。君の憂いも悲しみも、もうすぐ終わるよ——」
街が夕暮れに染まる中、男が低い声でそう呟く。男はそれだけ言い残すと、静かに去って行った。
どういう事なの? 世界が終わる? そもそも、何で私と涼くんの事を知ってるの? ぐちゃぐちゃに絡まった糸を解くように、状況を整理しようとするが思考が追い付かない。結局、私はしばらくの間その場に立ち尽くしていた。
(続く)