コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- 〜彼奴と私〜芽生編【1】 ( No.212 )
- 日時: 2016/11/06 00:00
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: KIugb2Tf)
私の名前は、風見芽生。カフェ風見鶏の店長、風見岩夫の姪で、ここの従業員でもある。私の家は隣町にあるのだけど、今は母親とケンカの真っ最中で、放課後はここに来てバイトする事でなるべく家に居る時間を減らしている。
家に帰る時が面倒な時は、ここに泊まる事もよくある。自分で言うのもなんだけど、私のような有能な人物はそうは居ないのだから、岩夫も文句はないと思う。
岩夫は私より清川準一とかいう、しがない苦学生に肩入れしていて、私よりあいつの方が優れているとか以前言っていた。言うに事欠いて、私よりというのが気に入らない。
一緒に仕事をしてみても、あいつの方が出来るとは思えないし、きっと岩夫はあいつに騙されているに違いない! という結論に私の中で達した。
長い冬が終わり、ようやく暖かな春がやってきた。私がここで働くようになってから数ヶ月が過ぎようとしている。春の陽気は三寒四温とよく言ったもので、昨日は暖かかったけれど、今日の気温は昼間だというのに肌寒いくらいだ。
店内は空調が効いているせいか、寒さや暑さなんかとは無縁。けど、外の情報を知っておくのも店員のマナーというもの。「今日は寒いですね、今、温かいおしぼりお持ちしますね」なんて、メニューを渡す時に一言付け加えると、お客様は喜んでくれる。
「……暇、今日はなんなの」
頭の中であれやこれやと色々と考えてみても、一向にお客様が来る気配は無い。
既にテーブルは拭いた、ガムシロップやストローの補充も終わった、普段は閉店後にしかできない食器類も漂白した。けど、店内にはお客様は1人も居ない。俗に言うノーゲストってやつだ。
「ほれっ、アイスコーヒー。お前がしかめ面していると、お客さんが怖がって入れないだろ」
立ち尽くす私の横に岩夫がやって来て、グラスに並々と注がれたアイスコーヒーを差し出す。透明のグラスの中に黒色の珈琲が並々注がれていた。
「私のせいだって言いたいわけ?」
私はアイスコーヒーを受け取ると、棚からポーションミルクとガムシロップを5個ずつ取り、アイスコーヒーの中へと入れた。それを見ていた岩夫が渋い表情に変わる。
「お前な、そんなにミルクやらガムシロ入れたら、コーヒー本来の味が死ぬだろ。コーヒーってのは、もっとこう——」
「そんなの好き好きでしょ? 私はミルクとお砂糖が少し入っていた方が好みなの」
「少しって量じゃねぇぞ、それ。ったく、これだからお子様は……」
ぶつぶつとぼやきながら、岩夫は厨房へと戻っていく。
文句を言うくらいなら、最初からアイスコーヒーなんて出さなければ良いと思う。私は苦いのは嫌いなのだ。甘い飲み物の方が断然美味しいし。
それに今日は寒いんだから、どうせだったらホットにすれば——まぁ、ドリップするのは面倒だったんだろうけど。あとお子様とか言っていたので、後でお腹をちぎってやろう。私の身長はまだ伸びるんだ。あと1年もすれば、絶対10センチはいける。成長期を舐めないでほしい。まったく。
アイスコーヒーをストローで一口飲むと、微かなコーヒーの風味と、ミルクとガムシロップの甘さが溶け合って、絶妙に調和していた。私的アイスコーヒー。店のメニューに加えたら売れるんじゃない? いや、それを頼むくらいならラテでいいか。
——カランカラン
「いらっしゃいま——げっ」
入り口の扉に付いている鈴が鳴って、持っていたグラスを即座に置き、今日一番の営業スマイルをしたというのに入ってきたのは、お客様じゃなかった。会いたくもない相手がやって来て、思わず本音が口から零れ出る。
「げっ、ってなんだよ。今日は休みだし、お客として来てるんだぞ」
そう言って、清川は苦虫を噛み潰したような表情へと変わった。
追い返そうかという考えが一瞬だけよぎったが、今店内はノーゲストの状態。気は進まないが、ここはコイツに注文をいっぱいさせて、今日の売り上げに貢献してもらうとしよう。
「お客様は1名様ですね。こちらの1名様用のカウンター席へどうぞ。1名様、ご案内です!」
「……お前、わざと言ってるだろ」
私が『1名様』というのを強調したせいか、清川はさらに苦々しい表情へと変わる。ふふん、なんだか胸がスカッとする。私が働いているというのに、呑気に来るのが悪い。
「言っとくけど、今日は待ち合わせで来てるんだ。冷やかしにきた訳じゃないからな」
「へぇ、まぁ別に興味ないけど」
清川が席に座ると、私は無造作にお冷とおしぼりを置いた。
別にこいつの予定なんて知ったこっちゃない。私としては、バンバン注文してもらって、お金を落としていってくれればいいのだから。そして早く帰れ。
「ご注文は、特製パストラミサンドとケーキセットにシェフの気まぐれサラダ——」
「待て待て待て! いつ俺がそんな注文をした!」
内心で毒づきながら伝票に記入していくと、清川は焦ったようにそう言う。ちっ、自然な流れでいけると思ったのに。
「心のオーダーが聞こえた」
「そんな事は1ミリも考えてない。大体、今日は渚とデートなんだ。それで、あれだ、その、出先で飯を一緒に食べるから」
……イラッとする。何で乙女みたいにモジモジしながら喋ってるの? 渚も渚だ。
こんな奴のどこがいいんだか。付き合ってから飽きもせずにイチャイチャと、間近で見てると胸焼けしてくるから正直やめてほしい。本当、爆発してほしい。清川だけ。でも、渚の嬉しそうな顔を見ると、私も何も言えないんだけど。
そういえば、前にコイツと話している時に、女の子なんだから言葉遣いは少し気にした方がいいと渚に注意されたっけ。「それにお店の中で乱暴な喋り方していると、周りのお客様にも迷惑になるから」って。接客に関しては、もちろんそんな失礼な話し方などしていないが、コイツと話している時に無意識に荒くなっていたらしい。それがお客様の耳に入ってしまうと、不快になってしまうという事だろう。
とりあえず渚が言うように「お前」から「あんた」とか「コイツ」とか名字で呼んでやるようにした。他にもあれから少しずつ直しているから、大分マシになったと思う。ふふ、私も大人だから、これくらいは余裕。
岩夫と話している時も、あのくらいなら許容範囲だと渚も言っていた。でも、やっぱりコイツと話していると調子が狂う。
「普段から役に立ってないんだから、こんな時くらいお店に貢献したら?」
「むちゃくちゃ言うな。俺はこれでも頑張ってるぞ? ……そうだ、芽生のデレた接客を見せてくれよ。そうしたら特製パストラミサンドを注文する気になるかもしれない」
「かしこまりました。ご注文はグーパンですね?」
「おいっ、やめろ! 目が笑ってないぞ! ほんの冗談だろ!」
私は笑顔を崩さないまま、右の拳に力を込める。
コイツ、やっぱり私とは馬が合わない。腹が立ったので、鳩尾に軽く一発グーパンしてやった。
「あだっ! ……おまっ、すぐに手を出すのは良くないぞ。一応、俺、お客なんだけど」
「お客様どうなさいました? 大声を出されると、他のお客様のご迷惑になりますので」
「原因お前なんだけど!? しかも、他のお客様いないからな!?」
「うるさい、デレとか気持ち悪い事を言うからいけない」
元はと言えば、一番の原因はあんたでしょうが。イラついたので、後頭部にチョップを入れる。コイツはカウンター席に座っていて、私がちょうど後に立ってるので、やり放題だ。「いたっ! やめろ」とか言いつつ、反撃はしてこないところを見ると、こいつマゾなのだろうか? まぁ面白いので気にせず続ける。
「なんだ、騒々しい」
私達が店内で騒いでいたからか、岩夫が怪訝な表情で厨房から出てきた。
「おう、準一が来てたのか」
「お疲れ様です。マスター」
清川は座ったまま、岩夫に軽く会釈をする。
岩夫は軽く手を上げてそれに応えると、私に向かって湿った視線を送ってきた。
「……なに? ちゃんと接客してたから」
「奥の厨房までお前らの声が聞こえてきたぞ。仲が良いのは分かったけど、ほどほどにしろよ?」
嘆息混じりにそんな事を言う岩夫。なにそれ? どこをどう見たらそう見える訳? どんなポジティブ解釈したらそうなるの? 岩夫の目は濁り切ってる。
「これのどこが仲良く見えるっていうの? 最悪。水と油、犬猿の仲だから」
「……俺は別にそこまで思ってないけど、芽生がいつも突っかかってくるだけで——」
「あ、ん、た、が、原因!」
「いや、その原因に心当たりが無いっていうか、よく分からんのだけど」
——カランカラン
ヒートアップしてきた私に水を差すように、扉の鈴が鳴った。
瞬間、思考を営業モードに切り替える。お客様が来たのなら、いつまでもこいつに構っている場合じゃない。しかし、その人物を見た瞬間、私の笑顔は引きつったような笑みへと変わってしまう。
「……お、お母さん」
(続く)
- 〜彼奴と私〜芽生編【2】 ( No.213 )
- 日時: 2016/11/05 23:58
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: KIugb2Tf)
「芽生、あなたまだここで働いていたの?」
「……そ、それはその……」
予想していなかった突然の来客で、私は言葉に詰まる。
普段なら言い返している所だけど、この間お母さんにもうバイトは辞めろときつく言われていて、私もいちいち問答が面倒だったので「わかった」と言い、適当に流していた。
ここでバレてしまったら非常にマズい。私の唯一気兼ねなくしていられる自由時間と、岩夫に言われた事を撤回させる為にもまだ辞める訳にはいかない。なんとか上手い言い訳を考えて、この場を切り抜けなくちゃ!
「お前のお母さん? めちゃめちゃ若いな……」
清川は私の隣で何か呟いているが、今は構っている暇はない。脳内で解決策を必死で模索するが、いい案は浮かばない。
「なんだ、今度は姉さんが来たのかよ」
厨房に引き返していた岩夫が、人の気配を感じたのか再びホールに戻ってきて、お母さんを見ながらそう言う。その声に反応するように、お母さんの視線が私から岩夫へと向けられると、その眼光は一層鋭さを増した気がした。
「なんだとはご挨拶ね。それより——芽生がまだあなたの所で働いていたなんて、私、聞いてなかったのだけど? 辞める事になっていたでしょ?」
「……あん? 俺は芽生が辞めるなんて話、聞いてねぇぞ?」
……マズい、マズい。岩夫にはお母さんとの事を逐一報告している訳ではないので、思わぬところで嘘が露呈してしまった。どうしよう……これはもう完全に退路が塞がれてしまったんじゃないか。焦りからか、背中にうっすらと冷や汗が滲む。
「芽生、どういう事か、お母さんにちゃんと説明できるわね?」
静かに、それでいて内に秘められた怒りが言葉の端々に見え隠れしていた。
笑顔をこそ崩さないものの、まるで能面のように張り付いた顔は怖さを倍増させている。……これは、詰んだかもしれない。絶望感に打ちひしがれていると、清川が横から小声で話しかけてきた。
「……なぁ、何かピンチなのか?」
「……見れば分かるでしょ、バカなの? 話しかけないで」
私の返答に清川は少し苦い表情をする。
この空気が読めない鈍感男に構っている暇はない。一刻も早く上手い言い訳を考えなければ。
「お母さん! 私、この店でやりたい事を見つけたの!」
そう勢いよく言ってみるが、もちろん口からでまかせだ。やりたい事なんてない。強いて言えば、こいつより私の方が仕事が出来るって岩夫に認めさせる事くらい。
本当の理由は、家に居る時間を極力減らす為なのだから。けれど、そんな事を正直に言ってしまえば、バイトは辞めさせられるに決まっている。だから、私は嘘を吐く。
「やりたい事? このお店じゃなきゃ出来ない事なの?」
「……えっと、それは」
案の定と言っていいほどの返しに、私は口ごもる。こうなる事は分かっていたけれど、咄嗟に考え付いた事で、事前に想定していた訳じゃないからポンポンと言葉なんて出てこない。あぁ、もう! どうすればいいの!
「芽生が本当にここでしか出来ない事があるなら、私は反対しないわ。でも、ただ私に反発しているだけなら認める事は出来ない」
落ち着いた口調で窘められる。お母さんの凛とした声音とまっすぐな視線は、私の気持ちなんて見透かしているようで、今すぐにでもこの場から逃げ出してしまいたい。けど、そんな事が出来るはずもなく、正直に言える訳もない。
「……えっと、そう! 私はお店を持ちたいの! だから、将来の為にここで勉強しているの!」
その場を凌ぐつもりの言葉だった。けど、そんな考えがいけなかったのか、今度は私の言葉に反応して岩夫が目を輝かせていた。な、なに? 何かおかしな事言った?
「おぉ! お前ってやつは、そんな事を考えていたのか! そういう事ならこの店を継げばいい。それまでに俺がみっちり仕込んでやるから」
「あ……う、うん、そうね」
岩夫は鼻息荒く、そんな事を言ってくる。
私が岩夫の予想外の反応に戸惑っていると、お母さんが真意を探るような視線でこちらを見ている。大丈夫、ちょっと予想外の展開だけど、岩夫なら後で何とでも言えるし。このまま隠し通せる。
「芽生、本当なの?」
「う、うん。もちろん本当だよ」
トーンが下がって冷気を帯びた声。最終確認という事なんだろう。私は目が泳がないように気を付けながら、お母さんに視線をまっすぐ返す。
「わかったわ、ならやっぱり辞めなさい」
お母さんが嘆息混じりそう言う。
「えっ?」
「おいおい姉さん、そりゃないだろう。せっかく芽生が店やりたいって言ってんだ。娘のやりたい事を応援してやるってのも親の務めなんじゃないか?」
すると、私が驚きの声を上げると同時に岩夫が食ってかかった。援護してくれるのはありがたいけど、岩夫が入ると会話がややこしくなりそうだから止めてほしい。
「結婚もしてなくて、子供も居ないあなたに言われても説得力がないわね。それに、私は芽生の夢を応援しないなんて一言も言ってない」
お母さんが岩夫の言葉をバッサリと切ると、岩夫が渋い表情に変わる。
岩夫はお母さんを苦手にしていて、口論になった時はいつもお母さんに言い負かされてしまう。勢いよく食ってかかったのに、あっけなく一喝されて黙るなんて……やっぱり本気で怒ってるお母さんは怖い。だから、言い出しづらかったんだ。
「じ、じゃあどうして?」
私は恐る恐る問いかけてみる。
「こんな店に居ても経験は積めないでしょう? お店を持つと言うなら、もっと上のレベルの所に行くべきよ」
「おい、いくら何でもその言い草は、もが——」
「ちょっとマスター、ここでマスターが感情的になっちゃマズイですって」
さすがに自分の店を「こんな店」と言われたのが頭にきたのか、岩夫が再度つめ寄ろうとした所を清川が止めに入った。
お母さんは岩夫を冷たく一瞥してから、店内を見渡した。
「見たところ、今はお客さんが居ないようだけど……そちらの子も、お客ではなく従業員なのでしょう? こんな暇なお店で経験が積めるとでも言うのかしら?」
「今日は偶々空いてるだけで、いつもはこんなんじゃ——」
「そうね、飲食店が水物だという事は私にもわかるわ。だとしても、もっと大きい所で毎日が忙しいお店もあるの」
お母さんは淡々と事実を述べていく。
反論しようと思えばいくらでも出来る。岩夫がこのお店に愛情を持っていて、いつもお客様に気を配って、お客様の笑顔の為にケーキや珈琲を作っているし、それを楽しみにして来て下さるお客様が沢山居る事も知っている。
でも、私には反論する理由が無い。そもそもお店を持ちたいなんて、嘘なのだから。
「そういうお店で働いた方が、きっと芽生の為にもなるわ。ちょうど私の知り合いに優秀なパティシエがやっているお店があるの。私が頼んでみるから、ここは辞めなさい」
いよいよ逃げ場が無くなってきた。
私が悪いのは分かっているけど、辞めたくない。どうしたら、お母さんを説得出来るだろう? お母さんからチラリと視線をスライドさせると、岩夫が今にも爆発しそうな赤い顔でお母さんを見つめ、清川は苦い表情を浮かべながらこの状況を見ている。
あぁ、もう、何か策はないの? 一発で打開するようなそんなミラクルな案が。
(続く)
- 〜彼奴と私〜芽生編【3】 ( No.214 )
- 日時: 2016/11/05 23:57
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: KIugb2Tf)
「まぁ芽生に特別な事情……そうね、ここに恋人でも居て、この場所を離れたくないというのなら考えなくもないけど」
お母さんは冗談のようにそう言って笑う。————そ、それだ!
天啓が降りてきたかのように私の頭が高速回転する。誰でもいいから、私の恋人だって言ってしまえばいい。そうしたら、ここを辞めなくて済む。
視線を清川に向ける。本当に不本意、こんな状況じゃなきゃ死んでも願い下げなんだけど、ここは断崖絶壁から転げ回って飛び降りるぐらいの気持ちになるしかない。
「じ、実はそうなの! お店を持ちたいっていうのも本当なんだけど、ここには、私の恋人が居るの! だから辞めたくない!」
「えっ、そうなの?」
「はっ? 誰だそいつは?」
「ん?」
私の言葉に三者三様の反応をみせる。私の渾身の演技に、お母さんは驚きで目を丸くし、岩夫は怪訝な表情で問い掛け、清川はいまいち状況を理解していないのか反応が鈍い。
やはりコイツは鈍感男だ。こんなのが相手では渚が苦労するのも当然。そんな相手に演技とはいえ、これから言う台詞は躊躇してしまう。
決意が鈍らないうちに、清川を睨みつけるような視線を向けて歩み寄る。
「じ、準一ったら、酷い。私がこのお店に居なくってもいいって言うの?」
口にした瞬間、気持ち悪さで全身に鳥肌が立ちそうになる。これはダメだ。今すぐ目の前に居るコイツの頭を意味なく叩いてしまいたい衝動に駆られる。
……我慢、我慢。これは仕方のない事。この状況を切り抜けるには悪魔に魂を売るぐらいの気概がなくちゃダメだ。
「……お前、熱でもある——ぐぅはっ!」
私のおでこにコイツの大きな手がピタリと張り付く。その瞬間、私は反射的にグーパンを鳩尾にお見舞いしていた。あっ……そんなつもりなかったのに、条件反射って怖い。
でもいきなり触れてくるコイツも悪い。普段なら斬首の刑に処してやりたいところだけど、今は仕方ない。コホンと、自分でもわざとらしい咳払いをしながら演技を続ける。
「こ、こんな時に冗談やめてよ。私達は付き合ってるんだから。私が居なくなったら寂しいでしょ?」
「……お、お前と、つ、付き合ってるわけな——がごぉ!」
否定の答えが紡がれる前に脇腹めがけて再びパンチ。今度は無意識じゃなく意識してやった。ごめん、渚。渚には悪いけど、コイツが鈍いのがいけないんだ。
本当に申し訳ないけど、今は協力してもらわないと困る。さすがに何度もこんな事をしていると怪しまれてしまうので、視線で「協力しろ」とコンタクトを図る。すると、若干涙目になりながら頷いた。どうやら交渉は成立したみたい。よしよし。
「……あぁ、い……いい訳ない……だろ。こ、恋人、なんだから」
正直言って、コイツにこんな事を言われるとか罰ゲームでしかないんだけど、今はこの気持ち悪さに耐えるしかない。岩夫は狐に摘ままれたような顔でこちらを見ているが、何も言わないでくれるならそれでいい。椅子に座っていた清川は、のろのろと立ち上がり、私の横に並んで立つ。
「……へぇ、あなたが芽生の彼氏?」
お母さんは値踏みするような視線で、私の隣に居る清川をジロジロと見つめる。くるくると1周回って、清川の全体をくまなく観察。元の位置である正面に戻ってくると、私を一瞥した。大丈夫……のはず。
「ふーん、そうなの」
お母さんの少し含んだような言い方が気になる。
「ね、準一君だっけ? 今度家に来なさい。芽生に彼氏が出来たって、お父さんにも紹介したいの。お父さん喜ぶわよ」
「えぇっ!」
「うっ、え!?」
お母さんのその提案に、清川と私は同時に驚きの声を上げた。
「真剣に付き合っているなら、それくらいできるでしょう? それとも、挨拶もできない関係だとでも言うの?」
「そ、そんな事はない……けど」
お母さんは試そうとしているんだ。もしここで断ろうものなら、さっきの努力、清川の恋人だと言った事が無駄になってしまう。判断を下せず決めあぐねていると、清川が肘で小突いてきた。どうやら怪しまれるので早く決めろと言っているらしい。
「……分かった、いつ?」
「そうねぇ、来週の日曜なんてどうかしら? お父さんにも伝えておくわ」
返事はせずに首肯だけして、了承をする。こうなってしまっては後には引けない。
はぁ……何でこうなったの? 来週の事を考えると本当に気が重い。
(続く)
- 〜彼奴と私〜芽生編【4】 ( No.215 )
- 日時: 2016/11/05 23:55
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: KIugb2Tf)
「渚、ごめん! 来週の日曜日だけ清川貸して!」
お母さんが帰ってからしばらくして、清川との待ち合わせの為にやってきた渚に顛末を話してから、私は拝むように手を合わせてから勢いよく頭を下げた。
「な、なるほど、私が来る前にそんな事が……うん、全然いいよ」
「ほ、本当?」
渚は柔らかな笑みを浮かべて、嫌がった様子もなくそう言う。
あんなんでも渚にとっては彼氏だ。絶対にあり得ないし、嘘とはいえ私と2人で家に行くなんて、少しは何か言われるだろうと覚悟していたのに、やっぱり渚は天使だ。風見鶏で唯一の良心。もういっそ、私の嫁になってくれないかな?
「あの、俺の意志は?」
カウンター席に座って、アイスコーヒーを飲んでいた清川が身体を横にして、飼い主に置いていかれたような犬のような瞳で問いかける。
「準一、芽生ちゃん困ってるんだから助けてあげて。それに————」
渚が清川の傍まで行くと、耳元で何か話す。声が小さくて最後の方がよく聞こえなかったが、渚の話を聞いた清川は少しの逡巡のあとにゆっくり頷いた。
「まぁ、そういう事なら。うん」
「うんうん、じゃあ今日は芽生ちゃんが風見鶏に残れるように作戦会議をしよう」
「おう。……って、今日のデートはいいのか?」
少し困惑したような表情で清川は渚に問い掛ける。
「デートなんていつでもできるじゃない。今は芽生ちゃんの方が大事だよ」
渚はふわりと笑って、そんな事はまったく気にしていないといった表情と声音でそう答える。
あぁ、本当に渚は私の天使、心のオアシスと言ってもいい。申し訳ない気持ちもあるけど、今は渚の優しさに甘えたい。渚のその言葉で、先程までの緊張感が一気に弛緩したように感じた。
***
お母さんと約束した当日の朝、少し緊張しながら髪を梳かす。外側に跳ねた髪が中々直らず恨めしい。ストレートの素直な髪に憧れた時期もあったけど、この頑固な癖毛は何をしてもいう事を聞いてくれそうにないという事は証明済み。はぁ、と溜め息を一つ吐く。
あの日以降、渚と清川とも話をして今日の作戦を話し合った。今日は清川を仮想の彼氏として、一緒に私の家に行く。演技の練習のように、会話が不自然にならないようになるまで何度も練習したので多分問題ない……はず。
前日の昨日は、家に帰る気が起きなくて風見鶏に泊まった。岩夫は奥歯に物が挟まったような顔をしながら私を見ていたけど、珍しく何も言ってこなかった。岩夫は単純というか単細胞な所があるので、割とストレートにズバズバ踏み込んでくる性格だ。私に気を遣ったのか、それとも別の要因でもあったのか、真意は分からないけど、私にとっては都合が良かった。
お母さんの事であれこれ尋ねられていたら、きっと昨日はここに泊まらず、別の場所に行っていただろうから。
「……そろそろ時間、か」
机の置時計に視線を移すと、約束の時間が差し迫っていた。そろそろ出なくては本気で遅刻コースだ。そうなったら、説得も何もあったものじゃない。練習したとはいえ、今回は不安要素が多い。頑固な寝癖をヘアスプレーで強引に直して、私は部屋を出た。
***
「おう、行くのか?」
2階の居住スペースから下のカフェまで降りてくると、岩夫がコーヒーを淹れようとカップを手に持ったまま問いかけてきた。冷めないように湯煎で温めたカップに、ゆっくりとコーヒーが注がれていく。その瞬間、香ばしさを含んだ湯気がふわりと立ち上った。
「うん、帰りは遅くなるかも」
気を遣って言ったつもりだったが、岩夫は苦笑する。
「お前の家は向こうだろ? あまり外泊ばっかりしてっと、姉さん今度は家から出るなとか言い出すぞ」
「……別にいいでしょ。家に居るより、こっちに居た方が気楽だし。それに、岩夫は独身で寂しい生活しているんだから、私が居た方がいいじゃない」
「姉さんみたいな事を言うんじゃねぇ。ったく、心配してやりゃこれだ」
岩夫は少し拗ねたようにそう言う。
そのままカップに注いだコーヒーをソーサーに乗せて、客席へと持って行ってしまった。
フロアは混雑した様子もなく、近所に住んでいるお爺さん達が数人居るくらい。芳醇な珈琲の香りが店内を包み、窓から射し込む陽光が朝の穏やかな時間を演出していた。
「っと、いけない。急がなくちゃ」
***
「おはよう」
待ち合わせ場所の駅前に着くと、清川が少し緊張した面持ちで待っていた。
白いYシャツの上に黒のジャケット、いつものカジュアルな服装とは違い、今日は全体的にシックな感じで纏めている。やはり家に挨拶に行くから気を遣っているのだろうか? それとも渚に言われたからだろうか? どちらにせよ、なんだか変な気分になる。
「ん、おはよ」
端的に挨拶を済ませると、特に会話もせずに私は歩き出す。私が歩き出すと、清川は慌てて追いかけてきた。
「お、おい。今日の段取りとか確認しなくていいのかよ?」
「その話はもう沢山したでしょ。移動にも時間かかるんだから、歩きながら最終確認すれば平気」
「そ、そうは言うけどなぁ」
清川は不安そうな声を漏らしながら、私の隣に付いた。その清川の横顔を少し見上げる。
「…………」
「な、なんだよ?」
私の視線に気付いたのか、清川が怪訝な表情で問い掛けてきた。
「あまりに近くに立たないで。目立つでしょ」
「は? 目立つって、離れて歩いていたら変だろ?」
それはそうなんだけど、清川が私の隣に立っていると背が低いのを強調されているみたいで嫌なんだ。あれは清川と初めて会った時だっただろうか? あの時、清川にチビッ子と言われた屈辱を私は忘れてはいない。私の座右の銘は『受けた恩と恨みは忘れるな』だから。
「……まぁいいか。今日はそれどころじゃないし」
疑問符を頭に浮かべてそうな表情の清川を置き去りに、私は再び歩き出した。
(続く)