コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- 〜彼奴と私〜芽生編【完】 ( No.223 )
- 日時: 2016/11/06 23:13
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: 4J23F72m)
「おい芽生、こんな朝っぱらから何やってるんだ?」
「何って、クッキー作ってる」
翌日の開店前の店内。私が厨房でクッキーを作っていたら、岩夫が2階から眠そうな目を擦りながら降りてきた。合鍵は貰っているので、勝手したたるなんとやら。
「……クッキーだぁ? 一体どういう風の吹き回しだ?」
「うるさいなぁ、私だって偶にはお菓子くらい作るから」
「……どうでもいいけどよ、親の仇みたいに混ぜてるな」
岩夫が私の横に立ってブツブツ呟いている。やはり製菓は自分の分野のせいか、気になるのだろう。けど横に立たれて見られると、今度は私が気になって集中できない。
「いいでしょ、私のやり方なんだから」
「どうせ練習するならスポンジの練習してくれ。後釜を育てる為にも、教えておきたいからな」
寝起きでさらに伸びた顎鬚を触りながら感慨深そうに岩夫は言うが、私は別に店の為に作っている訳じゃない。ちゃんと材料は自分で買ったものだ。
岩夫の作るスポンジや沢山のお菓子、クリスマス限定のスペシャルケーキなんかは、私よりあいつが教わるべきだ。私にはとてもじゃないけど真似できないと思う。
バター、卵黄、グラニュー糖が入ったボールを丹念にかき混ぜていく。そうして固まった生地をラップで包み冷蔵庫へ。ここまでは順調、かな。
「それ、清川に直接言えばいいよ。あいつ喜ぶと思うよ。私は作るのは向いてないし」
「むぅっ……いや、準一がやってくれるって言うなら、俺は大歓迎なんだけどよ。でも、なぁ? あいつも自分のやりたい事だってあるだろうし……」
今度は頬を掻きながら小さく唸る岩夫。
……まったく、いつだったか「俺の後釜は準一しか居ない」とか言っていたくせに、素直じゃない。あいつなら岩夫の事を尊敬してるし、岩夫がやってほしいと言えば喜んでやるだろう。
でもまぁ、私も人の事は言えない。今だってこうして、昨日のお礼にあいつにクッキーなんて作ってやろうとしているんだから。
***
「おはようございます」
夕方になって、清川が店にやってきた。朝早く店に寄って、クッキーを作ったらそのまま登校。包装まで仕上げてから学校に行ったので、少し遅刻してしまった。
こういう時、自分の親戚がお店をやっているのは利点だ。家でやっていたら、お母さんに根掘り葉掘り聞かれて、また面倒くさい事になる。
「おう芽生、おはよ」
「お、おはよ」
清川は、まるで昨日の事なんて無かったかのような爽やかな笑みを浮かべて私に挨拶をする。妙に緊張したり、気にしているのは私だけの気がして少し腹が立つ。
「あっ、待て」
そのまま通り過ぎて2階にある更衣室に向かおうとしたので、呼び止めた。
「ん? 何か用か?」
「用って訳でもないけど……その、これ」
今日の朝から早起きして作ったクッキーを清川に渡す。
包装も綺麗にできたし、見た目は売り物と変わらないくらい……だと思う。味の保証はできないけど。
渡された袋を受け取ると、清川は少し驚いた表情でクッキーと私を交互に見つめてきた。
「ん、これはなんだ?」
「別に、大した物じゃないから。昨日の、その……お礼というか、なんというか」
肝心な所で口ごもってしまう。はっきり言えばいいんだ。「これは昨日のお礼で、それ以上でもそれ以下でもない」って。
けど、心のどこかで素直になれない自分が居る。なんでだろう? ありがとうって思っているのに、口に出して言うのはこんなにも難しい。昨日は言えたのに、今日になったらまた言えなくなっている。
「ん? 昨日のお礼って、芽生のお母さんの事か? それなら昨日——」
「だからっ、とにかく受け取ればいいの! それと、苦情は受け付けないから!」
ここで今から昨日の事からもう一回説明するなんて、絶対無理だ。昨日のお礼だけじゃ足りないからクッキーを作りましたなんて、言える訳ない。
私がそう言うと、清川は頬笑む。きっと、素直にお礼も言えない仕方ない奴だって思っているに違いない。確かに昨日は流れというか、勢いで言えただけだし、そう思われても仕方ないけど。
出会った最初の方は私に対して敵意を向けていた事もあったと思う。
だけど、いつの頃からか私に対して柔らかくなっていった。それはこいつが渚と付き合うようになってからだったろうか。その少し前は、この世の終わりみたいな暗い顔をしていた日もあったり、店を急に休んだ時もあった。今思えば、その時は清川が昨日言っていたように悩んでいた時だったのだろう。詳しい事は分からないけど。
「そうか、芽生が俺にわざわざ。嬉しいよ、ありがとうな」
「……あ、うん。まぁ、分かればいい」
少し照れくさくなって清川から視線を逸らす。
その先に傾いた日差しが窓から射し込んで、木製のテーブルの色が薄くなっていた。そろそろ混み出す時間だ。
まぁ、清川が喜んでいるなら早起きした甲斐もある……って、別にその為に早起きした訳じゃなくて、義理、義理を果たす為だけど。私は受けた恩も仇も忘れないんだから。
「ははっ、大事にするな」
清川はそう言ってにこやかに笑うが、大事にされても困る。
袋の中はクッキーなのだから、早く食べてくれないとダメになる。いや、この場合は大事に食べるという意味? それとも中に何が入っているか分かってないとか?
「なるべく早くたべ——」
「あの、入っても大丈夫でしょうか?」
一応、清川に言っておこうかと口を開いた瞬間、扉が開いてお客様が入ってきた。
思わず目を奪われるほど美人のお客様が、恐る恐るといった感じで問い掛ける。清川はそのお客様を見ると、軽く会釈をした。お客様が清川の様子に気付くと、嬉しそうに笑みを浮かべながら同じように会釈を返す。そして清川は急いで2階へと駆け上がっていった。
何? 知り合い? 少し気にはなったが、頭の中で瞬時に切り替えて営業モードへ。
綺麗なセミロングの黒髪を揺らしながら、そのお客様はカウンター席へと座る。まるで清流のように綺麗な所作は、その容姿も相まってとても目立つ。
こんなお客様来た事あるっけ? 一度来たら忘れなさそうだけど。おっと、いけない。
浮かんだ疑問を思考の外へと追い出すと、メニューとおしぼり、お冷をトレーに乗せてお客様の席へ。
「いらっしゃいませ、風見鶏へようこそ」
少しだけ変化した彼奴と関係性。今日も風見鶏で、私の1日が始まる。
〜END〜