コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- 悪意と不思議な出来事【35】 ( No.99 )
- 日時: 2015/04/25 16:09
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: RnkmdEze)
部屋に入った瞬間、ふわりと香る甘い匂い。だがその甘い香りが主張し過ぎず、なんとも心地いい感覚だ。
「……清川くん?」
「——と、すいません。では、お邪魔します」
俺が玄関で止まっていたため、先輩に心配そうな目で見つめられてしまった。
やはり、女の子の部屋に入るなんて緊張してしまう。渚は、昔からの付き合いのせいか、あまり気にならないんだけどな。それに、さっき先輩に言われた言葉が、頭の中で反芻していて、どうにも落ち着かない。さっきの先輩の言葉は、冗談……だよな?
「どうぞ、散らかっていて恥ずかしいのですが」
「…………」
玄関から一直線に歩いていくと、リビングに着いた。俺が想像していた先輩のイメージ通り、部屋は白を基調とした落ち着いた雰囲気だった。家具なんかも、シックな木目調の家具で統一されていて、その性格が表れているようだ。——それにしても、どこが散らかっているんだ? 見た感じ、どこを見ても綺麗なんだが。あと広すぎだ。リビングだけで、軽く俺のアパートの部屋の二倍以上はある。
「散らかっているどころか、すごく綺麗ですが」
「……い、いえ、この辺とか、少し」
そう言って、先輩は部屋の隅に数冊置かれた文庫本を指差した。……いやいや、これで部屋が散らかってますね。とか言うやつは、テレビや漫画に出てくる小姑くらいだ。部屋の隅の壁に指をなぞらせて、その指に付いた埃を、フッとかやるレベルだ。この間、俺の部屋に来た時はさぞ散らかっていると思ったに違いない。
「それは、散らかっているとは言いません。それが散らかっていると言うなら、俺の部屋は夢の島になってしまいます」
「そ、そんな! 清川くんのお部屋は、とても綺麗でした! むしろ、その……落ち着くと、言いますか……その」
先輩は、頬を染めながらそう言う。
最後の方は、ほぼ呟くように言っていたけど、他人の部屋は気にならないんだろうか。ってか、今日の先輩ちょっと変だ。そんな表情をしながら、そんな事を言われると、本気で勘違いしそうになる。
——と、やめよう。そんな万が一にも想像できない事は。我ながら虚しくなる。
「あぁ〜、と。さっそくで申し訳ないのですが、絆創膏とかありますか?」
変な空気を変えるために、話題をチェンジ。いや、むしろこっちが本題なんだけど。
「す、すいません! 今持ってきますね」
先輩は、慌てたように奥の部屋へと走っていった。——ふぅ、何やってんだ俺。
***
「……いっつつ」
「染みますか? もう少しですから」
脱脂綿に染み込ませた消毒液が、切り傷に染みる。冬だったから、肌の露出が少なくて良かった。これが夏ならば、全身切り傷パレードだ。
「お手数かけます」
手当てくらい自分でやると言ったのだが、先輩は頑として聞き入れてくれなかった。さっきから先輩の顔が近い。肩より少し長い綺麗なセミロングの黒髪が、動くたびに揺れる。大人びた印象なのに、幼さを残した顔立ち、透き通るように綺麗な瞳は、比喩ではなく見つめ続けていたら吸い込まれそうだ。——なんかこう、別の事考えてないと、おかしくなる。
「……清川くん? 顔が赤いですよ? ……もしかして、熱ですか!?」
「ち、違います!」
——俺がそう言った次の瞬間、先輩が俺の額に自分の額をくっつけてきた。な、な、なんて熱の測り方するんだ。もっと別の方法あるよね?
お互いの顔が至近距離にあって、少し動けば唇が触れてしまいそうで、頭の中がまっ白になる。
「……ん〜、やっぱり少し熱があるかもしれません」
「…………」
至近距離で展開中の先輩の顔は、とてつもない破壊力で、俺の心をかき乱すには有り余るくらいの威力だ。そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、先輩は俺の額に自分の額をくっつけたまま、「うーん」と唸っている。
これは、拷問なのか? それとも、神様が俺を試しているんだろうか? どっちにしても、このままじゃ俺の精神がもたない。
「せ、先輩。ち、近いです」
「へっ? …………ふぁ!?」
やっと自分のしてる事を理解してくれたのか、先輩は勢いよく後ろに距離取る。あ、危なかった。あのままの状態が続いたら、さすがに理性がやばい。
「……あ、あの、す、すいません」
「……い、いえ。でも、先輩、さすがに無防備すぎです。俺じゃなかったら、その……危なかったというか」
色々と自分の魅力を自覚してほしい。でないと、俺が死ぬ。
「……大丈夫です。清川くんは、そんな事はしません。それに、清川くんをその気にさせるほどの魅力も私にはありませんから」
先輩は少し寂しそうに、俯きながらそんな事を言う。……何を言ってるんだこの人は。大体、先輩に魅力がなかったらこんなに——
「俺を信頼してくれるのは嬉しいです。でも、先輩は充分に魅力的です。だからこそ、気をつけてほしいと——」
つい熱が入ってしまったせいか、先輩の両肩を掴んで真剣に言ってしまう。
「……き、清川くんは、相手が、わ、私でも、その気になりますか?」
「当たり前です、俺だって男ですから。でも、気がない男にそんな事をしちゃダメです」
俺がそう言うと、先輩は眉根を寄せて、少し不機嫌な表情に変わる。
「……心外です。私は好きでもない人にそんな事はしません」
「…………」
待て、待て待て。
それって、つまり——いや、考えすぎだ。感情的になるな、清川 準一。うるさいくらいに高鳴る鼓動を強引に鎮めて、今の言葉は言い間違いだと頭に言い聞かせる。
「……き、清川くん……」
いつの間にか縮まっていた、俺と先輩の距離。
不安げに揺れながら潤んだ瞳は、とても綺麗で、金縛りのようにそこから動く事ができない。今度こそ俺の頭は、何も考えられないくらいに、白で埋め尽くされていくのだった。