コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- Re: 秘密 ( No.528 )
- 日時: 2015/07/13 18:41
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
〜・107章 父の言葉・〜
留守電を再生した後、暫くパソコンを弄ってから席を立ち窓に寄った。
センサーが仕掛けられようと、部屋にはカメラが付いていようと。
この部屋から出ることはできない訳じゃない。
私が死んで困るのならば、不用心に追いかけては来ないだろう。
小さく頷くと、窓を開け放つ。
具体的に何メートルか分からないけど、落ちれば間違いなく即死だ。
私達に残された時間は短い。
急がないと。
私にはきっと人は殺められない。
傷つけられない。
けれど、何時もの日常を捨てればそのくらい。
私はそんな覚悟を抱いた。
足が滑らない様に、靴下を脱ぎ棄てる。
窓枠に手を掛け、身を乗り出す。
黙って死のうなんて許さない。
思っていたより強い風に、体が振り落とされそうになる。
運動神経はもともと、良い方ではない。
むしろ悪い方だ。
飛び箱も、鉄棒も、球技も、どれもこれも駄目だ。
こっちに戻ってからは、色々トレーニングを重ねてはいる。
けれど、体力の無さは昔からだ。
まだ、運動音痴のまま。
パイプや、となりの部屋のベランダ、僅かな足場を踏み外さない様に。
慎重に歩きながら、振り下ろされない様にしっかりと掴まる。
何時もより気を張っている分、肩に力が入る。
後で筋肉痛になることは確定だな、と言う考えが頭によぎった。
ここまで来たら、もう後には引けない。
長い因縁に、決着を付ける時が来た。
16年もの間、ずっとずっと待ち続けていた。
この時を。
もう、迷わない。
- Re: 秘密 ( No.529 )
- 日時: 2015/07/18 18:14
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
丁度…この辺りの位置だ。
父の部屋につくと、窓から中を覗き込む。
こちらには背を向け、机に向かっている。
部屋には父以外誰もいなかった。
勢いよく窓を開け、父の首を絞めに掛かる。
「お話があります、父上。黙って聞いていてください。」
私は今、なにを求めているのだろう。
圭たちを捨て、日常を捨て、…何が残るのだろう?
震えそうな言葉を。
真っ白になりそうな頭を。
抑え込んで、気取られない様に言葉を紡ぐ。
「私にはあなたを憎む理由は…ないといえば嘘になります。
圭たちのこと、母のこと。やっぱり許せないと、思う。
でも、今はそんなことどうでもいいんです。」
生まれてから、ずっと。
父はこちらを見もしなかった。
そのことについては、責められることじゃないし責める気もない。
父は、誰にも成し遂げられないことをしたのだから。
「でも、総合的には色々と許容できるんだ。常識なんて関係なく。
私は自分の為にここに来た。自分の答えを、確かめるために。」
どんな極悪の状況であろうと。
どんな闇の中でも。
そこで育った私にとって、闇は心地よくはなくても不快でもない。
光ある居場所は確かに尊い。
でも、光ある場所だと実感できるのは私が闇で生きてきたからだ。
圭のことも母のことも。
勿論憎いと思う。
闇を知っているから、私は彼らを大事に。
誰よりも、愛おしく思える。
闇を知っていたから、光が神々しく見えた。
このまま、光の中で生きていきたいと思った。
でも、父の裏側を知ったら…
闇の裏側を見てしまってから。
私に迷いが生じた。
私は父がいなくなれば、もう普通に光の中で生きていけると思った。
闇に怯えることもなく、連れ戻されることにも怯えず。
いつまでも、彼らの傍にいられると。
私にとって、一番大事で温かい場所に。
ずっと居続けることが出来ると。
けど、知ってしまってから。
ずっと考えていた。
本当に、私はこのままと光の中で生きていけるだろうか。
闇で生まれて、そこで16年間居続けて、そこで育った。
いまさら、光の中で生きていけるだろうかなんてことは。
言ったらきっと、圭たちに怒られてしまう。
それでも、きっと私は闇を切り離すことが出来ない。
光の中だけで生きて行くこと。
それは私の16年を否定するもの。
あれだけのことをして、のうのうと光の中では暮らせない。
ナイフを首元に当てる。
怖いくらいに無反応だ。
それでも、首を絞める手を緩めない。
だから、私は闇にちゃんと向き合わないといけない。
「…父上がいなければ、私は普通の生活を送っていた。
牢獄ではなく、私がずっと望んでいた明るく光りある場所を。」
こんなもので、何かが変わるなんて思っていない。
こんなもので、私が生きてきた世界は変わらない。
このまま腕を折られるのも、覚悟の内だ。
「私は自分の覚悟の為に聞く。」
こんなもので、世界は変わらない。
父の答えが、どんなものであろうと。
きっと、彼のしてきたことは変わらない。
「お前は、自分の行いを正しいと思うか?」
それでも、私の中のこの気持ちが。
少しでも軽くなるかもしれない。
「君は家族を犠牲にして、その代償に民を救った。
それを君は正しいと思うか?家族より民を愛したこの道を悔いたことはあったか?」
宙ぶらりんになっていた気持ちを。
地につけることが出来るかもしれない。
「君は今、家族と民のどちらを愛している?」
- Re: 秘密 ( No.530 )
- 日時: 2015/07/26 13:40
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「…決まっている」
何時もの父の声。
けれど、何時もの饒舌な口調とは違う。
何処までも静かで、落ち着いている。
「…民だ」
骸骨の様な、痩せこけている。
サングラス越しでも分かる程の綺麗な顔。
かつては整っていたのだろう。
どこか哀愁を漂わせる雰囲気を纏いながら。
少しだけ口元を緩めた。
「それが間違いの訳がない。」
嬉しそうに、誇らしそうに、そして少しだけ悲しそうに。
けれど、今は人では無い様だ。
痩せ細り、頬がこけ、周りを敵に回した。
身内も、味方も。
彼は、沢山のものを捨てた。
それを彼は一切の後悔もしていない。
だってそれは。
より多くのものを、救うために行ったことだから。
「それが…、君の答えか。」
犠牲も合った。
とても、多くの。
でも、救いも確かに合ったのだ。
父は、自分の歩んだ道を否定しなかった。
父はその救いを否定しようとはしなかった。
否定してしまえば、救われた人をも否定してしまう。
それなら。
それなら、…?
- Re: 秘密 ( No.531 )
- 日時: 2015/08/01 12:45
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
その時。
バタンッ、と大きく扉が開いた。
「テオドール」
腰まである長い金髪と相まって、どこか少女的な印象を受ける少年。
アニエスでも指折りの実力者。
何時もと同じ黄色と黒を基調としたぴったりとした上着とズボン。
肩には何時もと同じストールを纏っている。
トール。
会うのは随分と久しい。
いつだって力を求め、争いごとには積極的に首を突っ込んだ。
狂った感性をしている訳ではない。
ただ「戦いたい」、「人を救いたい」と言う願いの為に。
人を救うための力を手に入れる手段として、戦って経験を積んでいるだけなのだ。
「人を救いたい」
だから、彼はテオドールの元にいる。
トールはこちらを一瞥すると、迷うことなく足を振り上げた。
パシンッとトールの足が私の手に直撃し、ナイフを落とす。
トンッと。
ナイフはそのまま机に刺さった。
絶妙な角度で、父を傷つけないように気遣った蹴り方だった。
首元に当てていたナイフが、見事に父の肌に傷1つ付けていない。
ナイフを落とされて、素直に両手をあげる。
降参のポーズ。
「…父上は無事だ。まだ何もしてはいない。」
どうしてだろう。
少し、穏やかな気分だ。
怒りが無いといえば嘘になる。
やっぱり許せないという気持ちもある。
けれど、それよりもどこか温かい気持ちが。
私の心を埋めた。
「寿命が縮むぞ。」
ついっ、と部屋を出ていった。
分からない。
彼は、間違っている訳じゃない。
勿論正しい訳でもない。
誰かを救うために、誰かを犠牲にするのは間違っている。
間違ってる。
でも、それと同じくらいに正しいと思うんだ。
- Re: 秘密 ( No.532 )
- 日時: 2015/08/04 15:38
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
〜・108章 父が創った国・〜
部屋を出た後、トールは私が持っていたナイフを手で弄びながら後ろをついてきた。
部屋まで送り届けるつもりなのだろう。
私は何も知らなかった。
ただ父を悪だと決めつけて、向き合うことを忘れていた。
…私には、やらなければならないことがある。
けれどその為には、私はこの国を知らなさすぎる。
「トール、少し外に出ないか?」
例外的な強さをその身に秘め、父の片腕として長年付き添ってきた。
父と同じくらいにこの国のことを詳しいだろう。
私は知識ばかりで、実際は何も知らない。
アニエスの機密情報、父の隠してきた過去。
それらを調べ知ることが出来ても、アニエスの現状までは分からない。
書面として覚えていても、実物を目に焼き付けてはいない。
考えることはできても、目にすることはできない。
なんて無力。
知らない、なんて愚かな響き。
私は変わりたい。
母がくれたこの頭と瞳で。
圭がくれた心で。
父が納め、作りあげてきたこの国を。
自分の目で確かめたい。
- Re: 秘密 ( No.533 )
- 日時: 2016/04/23 20:00
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「いいのか?私を外に出して。」
いまだに人の声が途絶えない。
アニエスの中心都市である市場では人の声が飛び交っている。
目を閉じ、聞こえてくる音に耳を澄ませる。
心地いい音だ。
瞼をあげると、笑顔の人々が目に映った。
「…素晴らしい国だな」
人は皆笑顔で、笑い声が絶えない。
周囲の国から隔離された、山の中の小さな村の様な国。
けれど、貧しさも不幸も感じさせない。
「別に、テオドールに仕えている訳じゃない。」
途中、市場のおばさんが小さな饅頭をくれた。
トールはよくこの市場に、身分を伏せてきているようだった。
すれ違う何人もの相手に挨拶をし、物を勧められたり食べ物を振る舞われていた。
時折立ち止まっては軽い冗談や世間話を交えながら、楽しそうに話していた。
何人もの相手に茶化されながら、市場を通り過ぎた。
賑やかな市場を抜けると、途端に人気がなくなり森に出た。
風の音や鳥の鳴き声が耳を癒し、緑と木々の隙間から零れる木漏れ日が目を楽しませた。
綺麗な空気だ。
「トールは何時から力を欲する様になったんだ?」
今までずっと、外を眺める窓すらもない牢にいたから。
森があることは知っていたが、ここまで美しいとは思いもしなかった。
思えば父のもとから勝手に抜け出したのは、これが初めてだ。
新鮮な空気に、ほっと息を吐く。
「覚えてないね、そんなもん。」
『力を手に入れる』『人を救う』
それがトールの掲げる行動原理だ。
トールは何時からそれを掲げ始めたのか。
どれくらいの時、それを追い続けたのか。
「人を救うために力を手に入れたのか、手に入れたから救うのか。
当初の目的なんて、とっくの昔に忘れたよ。ただ、テオドール程面白い奴は珍しい。」
何事もない様に話す。
目的を忘れ、ただ力を求めながら人を救う。
いまやトールに釣り合う奴もいない。
彼の才能は群を抜き、統率者となった。
輪の中心に立つことはできても、輪に混じることはできない存在。
「周囲を巻き込むのは、後味悪いからな。」
それだけの相手がいても、周りを巻き込むことを嫌う。
そんなトールは、自由に羽を伸ばせない。
戦えば、必ず誰かが巻き込まれるから。
だから彼は1人で、皆を導く道を選んだのだ。
そう言った情報も、私は知っている。
本人の行動や、言葉から知っている。
今まではずっと、知識としてしか扱ってこなかったけれど。
今なら、1人1人の人間として見ていける。
「体、無理してるんだろう?」
トールは、戦う為に色々なものを捨てた。
強くなるために体も、沢山改造している。
トールには特別な力等ない。
ごくごく普通の人間だ。
だからこそ、無茶をすれば反動で肉体にも強烈な負荷が生じる。
「俺の場合は手を伸ばせば、強くなれた。いっそ届かなければ、諦められたのにな。
もっとも、これはこれで楽しいから気にしてはいないけどな。」
森を抜けると、静かな草原が広がっている。
静かで、自然が溢れている。
外界とを隔てる崖の少し手前。
兵士が沢山立っている。
「よっ」
小さく手をあげながら通り過ぎて行く。
兵士たちはトールが通り過ぎる傍から敬礼をしている。
軍を率いているだけあってか、人望はかなりのものだ。
身軽で、誰とでも打ち解けられる奴だと。
ここに来る道中で思い知った。
私はアニエスを、もうずっと歩いていない。
生まれてから大抵の時間をこの地で過ごしたのに。
私は来たことはなかった。
涼風で過ごした時間など圭たちに出逢った6年前。
彼らが失踪するまでの短期間と、ここ数年だけ。
それ以外は、私はずっとこの国にいた。
けれど、思い出はあの場所に置いて来てしまった。
「あっちは、訓練場。それと、向こうは宿舎。こっちは療養所」
療養所では怪我をした兵士や、病人の介護をしているらしい。
訓練場では、兵士たちが弓や剣を使い武術の向上を。
そして、孤児たちを兵士に仕立てるための場所でもある。
エリスも、昔はあの中にいたのだ。
親に捨てられ、路頭に迷った子どもたち。
背も低く、腕も細く、力のない子供。
私の中に、圭との会話が甦った。
エリスの生い立ち。
そして、それに対して父がとった処置。
父はエリスを救おうとしていたのだ。
闇の世界で戦わせることで、生かそうとしていたのだ。
- Re: 秘密 ( No.534 )
- 日時: 2015/08/13 17:50
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
・・・思い出の屋敷にて、圭との会話・・・
「エリス達は飢え苦しむ子供達だった。
当時のアニエスは財力が無く、孤児を育てることを出来なかった。
それで苦しまぎれに考えだされたのが、子供たちを兵士として育てること。」
アニエスは元々人が少ない。
それでも、エリスたちの様な捨て子は稀に出る。
けれど、それを賄えるほどの資金がなかった。
身寄りのない子は、死ぬしかなかった。
「兵士不足の解消と、孤児の有効活用」
エリスの、ふざけた顔が思い浮かぶ。
世界の全てを馬鹿にするような、表情。
ただ一身に、兄弟を守ろうとした少女。
「当時のエリスも幼かったのだから、兄弟はきっと赤ん坊だったんだ。
戦力にならないからと言って、見捨てることも出来なかった。
だから人質と言った名目を掲げ、兵士に育てたのだ。」
これを聞いたら、エリスはどう思うだろう。
エリスは今の生活をそこそこ気に入っているようだった。
それでも、やっぱり心中穏やかでいられるだろうか?
「…どこで…その情報を?」
「調べた。私だってエリスだけを頼りにしてる訳じゃない。
私には私なりの情報網がある。エリスには調べさせられないこともあるからな。」
私だってエリスに劣らない。
牢に蹲っていたって、知識の吸収はしていたのだ。
外に出てからは、人脈も充分に広げた。
「孤児院を作ろうとして計画自体が頓挫した形跡があった。
国王に上り詰めたのも、国民を慮ってだ。金を動かすなら王の方がやりやすいからな。
実際王になってからは金銭的な問題はかなり改善された。」
圭の視線が変な所に向いている。
視線の先を辿ってみると、それは私の手元だった。
無意識に。
小刻みに震えていた。
私は、この事実に何を感じているのだろう。
怒り?
悲しみ?
…よく分からない。
「…全ては民の為、だ。全く、素晴らしい王様だよ。」
ふざけた様に、吐き捨てる。
きっと、自虐的に見えているんだろうな。
「エリスには、言わないでやってくれ。」
最後の最後に私はそう圭に口止めをした。
- Re: 秘密 ( No.535 )
- 日時: 2015/08/17 18:52
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
思い出の屋敷で圭に話したことを思い出した。
エリスは立派な兵士として育ち、手練手管の手段を用いてお金を集めた。
今では孤児院を建てられるくらいに。
エリスはよく孤児院を出入りし、子どもたちの世話をしているらしい。
孤児はある一定の年齢に達すると、兵士になるための訓練を施される。
決まった道を歩くことになるが、生きていられるだけでもこの国では儲けものだ。
エリスが歩いてきた道は、決して楽な道ではなかっただろう。
エリスは知らない。
孤児達を兵士にするのは、そうすることでしか生かせないからであることに。
私も。
なにも、知らない。
知らずに、ずっと憎み続けていた。
全て父がやっていたのだ。
父が国王になってからは、都は栄え人は増え、孤児も増えた。
孤児たちを1人でも生かすために兵士にして。
そしてその兵士たちを使って金を集めた。
もう二度と、飢えて死んでしまう孤児が出ない様に。
私にとって父は絶対だった。
成長するにつれ、私は自分の生い立ちの歪さに気付いた。
父が悪の権化の様に。
そんな風に思い始めた。
父は母を虐げ続けた。
私のことも、軽んじ続けた。
エリスの兄弟達も人質にされている。
嫡男だというのに、放っておかれたアレクシス。
トールだって、父に出逢わなければ生まれながらの体を弄ることもなかっただろう。
だって。
だって。
…でも、私は父の何も見てはいなかった。
何もかも捨て、家族も、仲間も、自らの身さえも切り捨てた。
さっきまで、半信半疑だったけれど。
私の質問に、迷いもなく民と答えた。
それで、やっと分かった。
ああ、これはきっと本当なんだと。
私は一体なにを見てきたのだろう。
私は一体なにをこの目に写してきただろう。
どうして、気付けなかったんだろう。
チャンスは、いくらでもあったというのに。
今度こそ、父の本質を。
私は見れているだろうか————?
- Re: 秘密 ( No.536 )
- 日時: 2015/08/23 15:36
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
〜・109章 温もりと邂逅・〜
「よっ、元気にしてるか餓鬼ども」
孤児院の中に屈託のない笑顔で割り込んだ。
手には先程市場で貰ったお菓子や果物を抱えている。
「差し入れ持ってきたぞー」
わあ、と言って子供が駆け寄ってくる。
少しやせ気味ではあるが、健康そうだ。
…多い
「アニエスみたいな小さな国から出て行こうとする大人が多いんだよ。
見知らぬ土地に行く時、子供は邪魔なんだろう。」
理由は…聞かなくても分かる。
「後がないからさ。」
よっ、と小さく近くの子供を抱き上げる。
嬉しそうにきゃっ、きゃっと笑い声をあげる。
「…捨てられた方はたまったもんじゃないのにな」
…知らない
知らなかった。
孤児がいることは分かっていた。
でも、あんなに賑やかな市場。
あんなに人がいたのに。
その陰で。
こんなにたくさんの子供たちが、捨てられていたなんて。
「おー、よしよしっ!重くなったな〜!!」
トールは慣れきった手つきで子供をあやし、1人1人にお土産を渡している。
渡すたびに名前を呼びながら、頭を撫でて。
彼はもう何十回もここに来ているのだろう。
私は知らなかった。
トンッと背中に何か柔らかいものがぶつかった感触がした。
振り返ると、小さな女の子。
着ている服はボロボロで、髪も肩くらいに短くバッサリと切られている。
鋏で切ったのか、長さはバラバラだった。
女の子は、頭を抱えてうずくまった。
「えっ…と…」
小さい子とは、目線を合わせた方がいいと聞いたことがある。
その場でしゃがみ、目を合わせる。
つぶらな瞳には僅かに怯えが混じっている。
わざわざ蹲ったのは、自己防衛だったのか。
「私はアリスよ。そこのお兄ちゃんと一緒に来たの。あなたは?」
子供の扱いと言うのは良く分からない。
けれど、遥の件も合った。
あのような感じで良いのだろうか…?
「そいつはアリア。ちょっと前に来たばっかりなんだよ。」
「…そうか」
ここにいる子どもたちは。
皆捨てられた存在。
この子たちも、将来はエリスの様に。
兵士になることが決まっている。
けれど、そうやるしか生きることも、生かすことが出来ないのだ。
バラバラの髪も、本当に鋏で乱雑に切ったものだろう。
さらっと髪をなでると腰に手を回し、グイッと持ち上げる。
意外に重くて、足元がおぼつかない。
「…っと、ととと…と」
子供ってこんなに重いものなのか。
「…わっ」
とうとう支えられなくなり、そのまま後ろに倒れ込んでしまった。
背中に鈍い痛みが走る。
幸い後ろには誰もいなかったようで、被害者はいない。
「…何やってんだか」
呆れ切った表情を向けながら、トールはまた違う子を抱っこし始めた。
一体どんな体力をしてるのか。
…それとも、私が非力なのか?
「アリア、…大丈夫?」
アリアは小さく頷いた。
頭を庇っていた手は、今はきゅっと毛先を掴んでいる。
「…良かった」
温かい。
命の温もり。
命の重さ。
それを一身に浴びている。
アリアの小さな体が。
私は彼女を捨てた親を思った。
アリアはこんなに、小さくて、温かいのに…。
- Re: 秘密 ( No.537 )
- 日時: 2015/08/27 18:57
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「そろそろ戻るぞ。」
肩車をしていた子供を降ろすと、こちらに言葉を投げた。
「じゃあな、また来るからな」
トールは馴染んでいるようで、子どもたちが惜しんでいた。
砕けた口調で、荒っぽく頭をなでる。
力強くて、それでも子供たちは嫌がるそぶりはない。
子供たちにとって近所の御兄さん、と言った感じなのだろう。
そんな想像が安易に出来るほど、子どもたちがトールを見つめる視線には。
親しみや親愛が伺えて、警戒心がこれっぽちも無かった。
「お姉ちゃんもまた来るから。」
体力的なもので抱っこはまだ難しくて。
絵本も無かったようなので、口頭で物語を語り薀蓄を垂れた。
自分がかなり説明が下手なのには自覚が合った。
要所要所を摘まんで話すのが苦手だ。
ここも良い、ここも外せないと、ともかく話が長くなってしまうのだ。
「今度はもっと本を持ってくるし、絵本も持ってくるね。」
しかも子供にも分かるように説明をするのが、意外に難しい。
けれど、子どもたちも文句を言いながらも楽しんでくれた。
自分の培ってきた経験も織り交ぜながら話すと、笑ってくれた。
子供とは接する機会もなく、難しい言葉を使わない様に選ぶのにも苦労した。
「アリア」
再びアリアの髪をなでる。
「今度、髪を切ろうね。お姉ちゃんが切ってあげる。」
鋏のジェスチャーをする。
口数が少ないアリアにはジェスチャーを交えた方がいいと、今日の経験。
「折角綺麗な髪なんだから、綺麗に揃えよう?」
アリアは少しだけ頬を赤らめてコクン、と頷いた。
アリアは顔立ちは普通に整っている。
髪型を整え、笑う様になればもう普通の子と変わらない。
ぬいぐるみとかも欲しいな。
…作れるだろうか?
色んな子どもと遊び、心身ともに疲労しながら。
私とトールは帰路についた。
名残惜しそうな子供たちに手を振ると、嬉しそうに笑顔を返してくれた。
子供とは、あんなに重いのか。
あんなに笑うのか。
全然、知らなかった。
…あれが、父の守りたかったものか。
トールの来訪を嬉しそうに笑って。
髪を切ってあげると言ったら、恥ずかしそうに頷いたアリア。
そう思うと、無下にも出来ない。
こうやって町を歩いていると、今までには見えなかったものが見えて来る。
私は何も知らなさすぎた。
答えはいつだって、目の前にあったのに。
私は、気付こうとしていなかった。
「父は…何時くらいになりそうだ…?」
「長くても、今年いっぱい」
…想像は、ついていた。
もう長くないことは。
「…そうか」
そっか。
…そっか。
私は、この先の道を。
どの方角へと進んでいくべきなのだろう。
この国に留まるべきか。
それとも、光ある場所に行くか。
でも、この国を捨てて光のある場所に行けるだろうか。
あの場所は確かに心地よくて、温かな光で満ちている。
「そういえば…テオドールに手をあげたのは、初めてだな」
思い出した様に、トールが問いかける。
こいつと並んで歩く機会も、増えて行くのだろうか。
こいつの目にはこの国を私よりも沢山見ている。
こいつも父の代わりに私を隣にして歩く日が増えるだろう。
「…そうだな。覚悟を確かめたかった。殺す気はなかった。
けど、もしかすると…傷つけていたかもしれない。」
思い出す。
父の首を締め上げた、感触。
首筋に当てた、冷たいナイフ。
何処までも平坦な声。
変わらない表情が、少しだけ緩んだ瞬間。
民だと答えた、瞬間。
「傷つけることは…出来なかったと思う。」
きっとあの父を傷つけることは、もうできない。
母の仇。
私の仇。
「どうか父を、守ってやってくれ。」
何処までも民の為に生き続けた男。
父のやってきた行いの痕跡を、私なりに1つ1つ辿ってみた。
何時だって、突き放すような態度で接してきた。
それも、訳合ってのことだったのではないか。
「父に刃を向けるのは私だけだ。」
それだけは絶対に忘れない。
父の一面や真実を知ってしまった。
それで殺意が鈍ってしまった。
私が父を殺せるようになるまで。
誰にも殺させない。
私を守ろうとしてくれた母としての温かさが。
私にとっても、とても愛おしいものだから。
父を生かすことはその想いをを否定することになるから。
「やだね」
「どうして?」
「テオドールを殺すのは、俺だからだ。」
テオドールの傍にいると面白い。
使えている訳じゃない。
彼は確かにそう言っていた。
「殺すのは、俺しかいない。」
ふっと笑う。
それだけで、ある程度のことは想像がつく。
「それはどうかな。」
- Re: 秘密 ( No.538 )
- 日時: 2016/04/23 21:28
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
城門から堂々と歩いて入るなんて、初めての体験だった。
城と言ってもみすぼらしい。
大きく、荘厳だが、私用の部屋はボロボロで風がビュービュー吹き抜けて肌寒い。
屋敷仕えの人も少なく、使っていない部屋には蜘蛛の巣だって張っている。
綺麗になっているのは客人用のところだけ。
父は自分の身を削り、この国を作りあげた。
大国に囲まれながらも。
領地をここまで狭められても。
国を保っている。
例え、知る人が僅かだとしても。
それは父の手腕だからこそ、行えたのだ。
ここはまだ王都。
外界とを隔てるあの崖の先にも、少しアニエスの領土が広がっている。
けれど、あの崖を越えたら見える世界が違うらしい。
基本的には貧しい人達が暮らしている。
けれど一部では医者が足りずに病が流行っている地域があり、移動する力がない女や子供、老人がいるらしい。
そこから必死に介護をしても、命を落とす人が多いらしい。
「幽がそろそろ帰ってくるらしいぜ」
アニエスの地図に目を通しながら、着替えをする。
ついたての向こうから、トールの声が聞こえた。
王都は崖で囲まれ、簡単には入れない。
崖を越えた所にもアニエスがあり、そこを再び崖が囲っている。
つまりは、王都は二重の崖に囲まれているのだ。
アニエスと言う国自体、崖で外と分断されていて。
王都とそれ以外の町との間にも崖が存在する。
国外に出るのも、王都に来るのも大変だ。
「幽…?」
当分アニエスに戻ってくる予定があるとは聞いてない。
涼風に待機し、圭たちと学校生活を送るはずだ。
私がいざという時逃げない様。
何時でも圭たちに危害を加えられるよう。
「…職務放棄じゃないのか?」
呆れたように、呟く。
丁度着替えも終わった。
黒いドレスに、マント。
真っ黒な三角帽には赤いレースの刺繍されている。
魔女を連想させる格好だ。
少し踵のあるハイヒールも黒い。
演説用の試着だ。
私の独断で勝手に製作した。
「いや、職務はちゃんと全うしている。」
…?
疑問が頭をよぎったその時。
眼下の閉じられたはずの城門が、再び開く。
「じゃっじゃじゃーん!ようこそ王城へ!!」
聞き慣れた声。
その声を先導に足音が聞こえた。
「…圭」
何時だって、地球の裏側に行っても追いかけて来る。
そんなことを、約束した。
あの、真夜中の病室で。
それから彼は本当に追いかけて来てくれた。
それが嬉しくて。
でも、近づけさせたくなくて必死だった。
圭の口が、小さく動いた。
聞こえないけど、名を呼ばれた様な気がした。
それだけで、全身に熱が走る。
「1人の予定なんだけど、2人増えちゃった♪」
- Re: 秘密 ( No.539 )
- 日時: 2015/09/13 23:24
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「マリー!?リン!?」
圭の後ろについて来た、2人の姿に目を疑った。
圭だけなら分か…らなくもないが、2人を連れて来られたのは初めてだ。
控え目どころかズカズカと、と言うほど遠慮がなく歩いていた。
「アリス!」
渦を巻くように伸びている階段を、まず先にマリーが駈け上る。
今私がいる所は高さ的には2階。
直ぐ追いついて、首に腕を伸ばししがみついてきた。
「心配、しました…!圭から話を聞いて…勝手にいなくならないで下さい…!」
声が泣きじゃくっているみたいに、震えている。
いつもいつも、心配ばかりさせていた。
自覚はあった。
でも、仕方ないことだと思っていた。
私はここから離れられないし、今回は留まるつもりで来た。
「…ごめんね、マリー」
何時も相談に乗ってくれて、背中をバンバン叩いてくれる。
真っすぐで、一途なマリー。
1人の人をずっと好き続ける。
10年もの間。
好きな人が、別の女の子を見ていても。
それを笑顔で隠し、想い続けた。
そんな強かな女の子。
大好きだった。
「ここでやらなきゃいけないことを見つけちゃったの。
私にしかできない。…ううん、私がやらなきゃいけない仕事。」
マリーの細い腰に手をまわして、抱きしめ返す。
どんなときだって、こうやって無条件に抱きしめて。
涙をこぼしては心配してくれる。
そんなマリーを強くて、人間みたいだと思った。
いつも羨ましいと思っていた。
ずっと、尊敬していた。
「…アリス?」
「こうやって抱きしめられたりすると…迷ってしまうから。」
腰にまわしていた手を緩ませる。
マリーはリンと付き合ってからは、本当に幸せそう。
大人びた…というのだろうか。
もともとの容姿もあるけれど、なんというか雰囲気が変わった。
リンも。
更に強く、たくましく、大人っぽくなった。
相手を想い、想われることを受け止めて。
どこか人としても成長をしてるみたいだった。
「ようこそ、マリー」
いつからか後ろにいたリンに向き合う。
「久しぶりだね、リン」
「…唐突過ぎるんだよ」
リンの背中に手を回す。
クリスマスに私をおんぶした時よりも、背中が大きく感じた。
皆、変わっているんだ。
本当に自分を必要としてくれる存在を胸に抱いて。
そうやって強くなっている。
リンを見て、私も強くなりたいと思えた。
2人みたいな恋をしたいと、心の底から思えた。
「ごめんごめん、今度からは少し気を付けてみるよ。」
リンから離れた後、圭と向き合う。
圭の頬がこけていて、少し痩せていたようだった。
…想像には、固くない
「手紙、読んでくれた?」
幽に伝えておいてと頼んだ手紙。
誰かに当てて手紙を書くなんて初めてだったけれど。
「読んだよ。」
幽は…ちゃんと渡してくれたんだね。
なにを考えているか分かりづらくて、苦労している。
完全記憶能力と…それ以外の特異点。
私の代用品。
私の真似ばっかりだ。
そして私も、きっとそれを強制した。
「…そっか」
それだけを言うと、圭の背中に手をまわした。
弱弱しく、やっぱり痩せたなと実感した。
「人間であることを、誇って。」
圭と離れる時、にっこりとほほ笑んだ。
圭も微笑み返してくれた。
そうして、3人と向き合って私はまずこう告げた。
こう告げるべきだと、分かっていた。
「ようこそ、アニエスへ。」
- Re: 秘密 ( No.540 )
- 日時: 2015/09/16 15:36
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
〜・110章 友人たちの滞在・〜
「とりあえず、諸々の事情で暫く日本まで飛行機を飛ばせない。」
トールも私も幽もエリスもアレクシスも、残念ながら予定がある。
そうそう飛行機を飛ばすことはできない。
財政難もアニエスの抱える問題の1つだ。
「と言う訳で、暫く王城に留まってもらう。」
まあ、どの道飛行機が合っても彼らはきっと帰らない。
そのことも分かっていたから、今回は割と早く決断できた。
アニエスに3人を留まらせるなんて。
昔はもっと迷っていたと思うけれど。
「衣食住の心配は無しとして…」
部屋はボロイが、余っている。
見た目だけはちゃんとしておかないと、なめられるから。
彼らに私がここにいることに納得させるには…
現状を見てくれれば一番手っ取り早いのだろうけど…
気はそこまで進まない。
アニエスの現状を見せるのは、見ていてつらいものがある。
…でも、判断をするのは彼らだ。
「とりあえず、客人用のパンフレットは渡すから好きに見学して。」
父はこのことをずっと前から知っていて、もう了承済みらしい。
顔も合わせず、トールから言伝を聞いた。
あれ以降、父とは顔を合わせていない。
「私はもう見飽きたから。」
それは嘘。
城の中等なかなか出歩かないから、ハッキリ言うと良く分からない。
けど、もう歩いて覚えた。
「この部屋にいるから、好きにみて。
万が一、誰かに聞かれたら幽の招待といえば大丈夫だから。」
私は彼らを置いて部屋に戻って、パソコンを起動させる。
一通り書類に目を通す。
今の私には特別な仕事は無い。
王になると、決めてはいたが父にはまだそのことを言っていない。
書類に目を通して、それで仕事は終わりだ。
けれど、個人的な用事はまだある。
アリア達にあげるぬいぐるみや絵本を作りたいのだ。
画力の問題はともあれ、話のあらすじだけは大まかに決めておきたい。
やはり一般的に童話とか…?
国境に囚われず、なおかつハッピーエンドのものが良い。
ぬいぐるみも何の動物が良いだろう?
狼などの凶暴なものも可愛い顔にすれば大丈夫のはず。
アリアの為の髪飾りとかもあると良い。
綺麗な髪なのだから、短くても使えそうなものが良い。
パズルとかも頭の回転を速めてくれそうだ。
段ボールとかを使えば、お金もそこまでかからない。
廃材とかで積み木も良いな。
角を少し丸めて小さくしておけば、小さい子でも遊べる。
凝ったものじゃなくても、手作りって響きは良いな。
私には味わうことが出来なかったものを、与えておきたい。
手作りのおもちゃも、散髪もしてもらったことはないけど。
私は今でも母のことを愛おしく思っている。
けど、もっとたくさんの私を色んな事をしてもらいたかった。
色んな事を教えてほしかった。
私の成長を、近くで見てもらいたかった。
そんな想いが無い、なんてとてもじゃないけど言いきれない。
あの子たちには、同じ思いをしてほしくない。
お菓子とかの差し入れも良いけど、食べすぎは良くないから。
虫歯予防に、今度はお茶にしよう。
…
子供は嫌いだと、思っていた。
無鉄砲で、デリカシーがないし、直ぐに懐くし、慣れ慣れしいし。
目を離すとなにをしでかすか分からない。
失礼だし、不作法だし、悪戯するし。
子供は…嫌いだ…
嫌い…
そう思っているうちに…案外、私は子供好きだったのかもしれないと思った。
悪戯っぽい彼らに振り回されながら、思い返すとやっぱり笑顔が浮かんでしまう。
もっと笑って欲しい。
喧嘩も沢山して、その分沢山仲直りをしてほしい。
生きている世界は辛いかもしれない。
けど、辛いだけじゃない。
少しでもそう想っていて欲しいから。
私が圭に出逢うまで気付けなかったこと。
美しいとも、優しいとも、思えないけど。
それでも、と思えることがある。
だから、小さいうちにこういう思い出をたくさん作ってあげたい。
- Re: 秘密 ( No.541 )
- 日時: 2015/09/22 15:29
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「不思議です。アリスの故郷で、裁縫をする日が来るなんて。」
布は真っすぐ切れない、絵本の絵も上手く描けない。
そんな訳でマリーに裁縫を教わっているのだ。
縫いぐるみなんて縁がなくて、どういうものが良いのか分からなかった。
マリーはその辺りは分かっていた。
流石は縫いぐるみに囲まれて育ったご令嬢だ。
可愛い図案まで綺麗な線で書いてくれた。
私は編み棒を使って、編み物の練習をしている。
マリーは縫いぐるみを縫いながら、たまにこちらの様子をうかがってくれた。
「私も思わなかった。」
リンと圭は物語の内容を考えて、それを絵にしようとしていた。
子供向けの話、と言うのは難しい。
一般的な童話のタイトルをあげて、それについてアレンジをいれつつ直している。
マリーはそれに助言までいれている。
私も童話は門外漢なので、圭たちが読みあげる物語に耳を傾けていた。
不可解で意味が分からないものもある。
現実的じゃない。
「…そのかちかち山って、また凄い話だね」
殆んど聞いたこともない話。
強引で、不可解で、無理矢理なハッピーエンド。
突拍子もない話ばかり。
私には聞いたことのない話ばかり。
「最近は描写を控えているものも多いそうですが。
タヌキとウサギとおじいさんが和解しているラストらしいですよ」
それって物語を逸脱してないか?
ラストまで変わってしまうとは。
童話や絵本と言うのは酷く無理矢理なハッピーエンドだ。
世の中、そんなに甘くはない。
「最近は学校の窓をあかないようにしたり、ジャングルジムなどを危ないと非難している。
そうやって、公園や学校から遊具を減らしたりもしているらしいですよ。」
「大人気ないな…」
リンの感想に同意だ。
「小さいうちに転び方を知らないとね。」
言って聞かせるよりも感覚で理解させないと。
転んだら痛いって言うよりも、体感した方が分かる。
それと一緒。
「モンスターペアレンツとか、バカバカしい。
子どもを弱くして、ちょっとした逆境に負ける人間にするだけ。」
よくニュースや本で見かける。
給食を食べさせるだけで虐待と罵られるなんて間違ってる。
教師も大変だ。
好き嫌いをしないように、苦手なものも食べられる様にいておかないと。
大人になって残すのは、マナー的にもよくない。
「私は少し辛いことがあるくらいが、子供としては丁度いいと思う。」
あっ、今の編み方これであっていたかな…?
ちょっとひやり、とする。
マリーはスパルタだから…間違えると後が怖い。
「親はずっと傍にはいてくれない。逆境も苦しみも、人生に必要なものだよ。」
結局は自分の力で生きていくのだ。
この独り立ちを阻害する親など、実にバカバカしい。
…私は誰かの親になったことないけど。
優しい、甘いだけの人生なんてつまらない。
苦しみや逆境があるからこそ。
日常を幸せだと感じられるのだ。
「可愛い子には旅をさせよ、だね」
- Re: 秘密 ( No.542 )
- 日時: 2015/09/25 17:39
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
トントン
定期的なノックの音で、作業の手を止める。
「ごめん、用事が出来ちゃった。」
作業の途中の編み棒をマリーに託す。
顔を出さないようにしたのは、あいつらしい。
人の気持ちには、見た目に寄らず聡い。
部屋を出て行こうとした時、3人が心配そうな目を向けた。
「大丈夫。もう前みたいなことにはならないよ。安心して。」
父の所に行って、入院沙汰になったのだ。
そこで心配する気遣いは、実に彼ららしい。
「あの…アリス…っ!」
呼び止めたのは圭だ。
はあ、とわざとらしく溜め息をつく。
「なに?」
「行かない…で、欲しい…」
違う。
間違ってる。
これは、私が好きな圭じゃない。
私は圭の全てが好きだ。
いまさら、嫌いになれないということを私はどこかで気付いている。
でも、違う。
このままだと圭は…
私の意思のままにしか動かなくなる、操り人形だ。
「圭、少し来て。話したいことがある。」
部屋から連れ出すと、ひとけがない所まで連れてきた。
部屋を出る時に扉の前には誰もいなかったことから、きっとノックをしてすぐに立ち去ったのだろう。
私が直ぐ行くことが分かっていたから。
刃向かわないことを、分かっていたから。
「私は今圭の恋人ではない。ここには私がすべきこと、出来ることがある。」
「やっぱり心配…っ!」
圭の言葉を黙らせるように、口に人差し指を添える。
圭は驚きに満ちた視線を向けた。
…分かりやすい
そんな圭も、好きだよ。
「私がやらなくてはいけないことを、見つけたの。」
この国に、留まる理由を見つけた。
誰かの意思ではなく、自分の意思で。
この国を変えたいと、願った。
「そして、それはここでしかできないこと。だから私はここに来たの。」
この地を守っていくこと。
アリアの様な子どもたちを、守っていくこと。
「私が好きになった圭は、温かくて優しくて、人間らしい弱さと強さを持っていた。」
圭の当たり前すぎる人間らしさに、圧倒されて、惹かれていった。
何処に行っても。
何時だって迎えに来てくれたし、そのことに救われもした。
圭が掛けた言葉に、胸の内が穏やかで温かい気持ちで満たされた。
大好きだった。
その気持ちも、伴う痛みも、圭が教えてくれた。
私の言葉に救われたって、言ってくれたことは本当にうれしかった。
私にも人を救えるんだって、飛び上がりそうなくらい嬉しかったんだよ。
でも、私はいつまでも弱いままじゃない。
圭に会って、人としても成長した。
圭を好きになって、変わったんだ。
「私はもう弱くない。圭にはもう沢山救ってもらった。だから、もう心配しなくていいんだよ?」
圭の中の私はまだ弱いまま。
そして、弱い私に恋をして、依存している。
私はもう、父のことを恐れていない。
アニエスに戻ることに怯えてもいない。
圭たちと離れ離れになっても、また会うことができると信じられる。
「圭、自分のやりたいことを見つけて。私だけを糧にしないで。」
- Re: 秘密 ( No.543 )
- 日時: 2015/11/19 17:45
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
アリスを救いたい、救わないと。
そんな小さな世界に圭を閉じ込めるのは、あまりにも勿体ない。
圭は強くて、カッコ良くて、忍耐力もあって。
悲しいことが合っても、人の為に笑う様な性格で。
損な性格をしているのに、それを恥じずに貫いている。
それが凄く心配だけど、なによりの武器でもある。
誰にも平等に、分け隔てなく接することが出来て。
何より、優しくて温かい。
誰よりも素敵な人。
だから。
私を守ることだけを誇りにしないで。
圭は世界の広さや希望を見せたいと言ってくれた。
圭も、もっと広い世界を見て。
私がアニエスのことを向き合った様に。
圭も、自分の未来と向き合って。
このままじゃいけない。
一生圭の手を握っていたかった。
その気になれば、きっとそれは実現できたかもしれない。
けれど、そうすることは圭の為にはならないと気付いたのだ。
圭と一緒にいる喜びよりも、圭に輝かしい未来を与えたい。
私がいることに安堵し、自分の力で歩きだすことを拒絶してしまう。
私といることで、彼の未来を閉ざす。
それに気付いてしまった。
圭の涙を拭っているだけでは、圭は弱くなる。
大丈夫。
「もう、沢山の希望を見せてくれた。」
圭のことを、きっと私はまだ好きだ。
やっぱり愛おしい。
「私は私のところでやることを見つけた。圭も、圭の場所で頑張って。」
もう弱くない。
圭のことを思えば、傍にいられなくても強くいられる。
私は圭のことが好き。大好き。
でも、圭は違う。
圭は、私の強くて綺麗な所ばかり見ている。
「圭は、私の意思を尊重してくれる。私の為に色々なことをしてくれる。
でも、自分の為には何もしない。それが私は嫌。」
目の前に映っている圭の世界が、私だけみたい。
以前の私ならそれを、微笑ましく嬉しくすら感じただろう。
もう、何処にも行かないと喜んでいたかもしれない。
私はもう1人で歩ける。
その強さを、くれたのは圭。
圭の両頬に手を添えて、目を真っ直ぐと見据える。
「圭、もっと私を見て。私はもう弱くない。強い。
それに、私の美しい所だけを見ないで。勝手に美化しないで。醜い所も見て。」
しっかりと私を見て。
圭に見せる面だけで判断しないで。
「それを受け入れて。そうなって初めて圭は私を好きになってるんだよ。」
綺麗な所だけ見て、好きなんて都合が良すぎる。
私が抱える問題を、もっと見て。
「それを踏まえて自分の為に何か行動をして。
それが、圭の好きの証になるはずだから。今の圭はそうじゃない。」
ぱっ、と手を離す。
「私達は、付きあうのに早計過ぎた。」
強い自分も、醜い自分も、見せて来なかった私も。
やっぱりどこか幼かったのだろう。
圭が離れていくことに、怯えていた。
「自分の気持ちと向き合って。ちゃんと相手をよく見て。そして自分の為に行動して。」
醜い部分を見せて、圭が離れて行っても。
私は、圭を好きになれて良かったと笑いたい。
思い出をくれてありがとう、と。
圭は私を救ってくれたのに、救えなくてごめんねと。
「私は私の場所で頑張れることを見つけた。圭も、自分の場所でやりたいことをやって。」
そう言う恋をしたんだ。
だからこそ、多少辛辣なことを言ってでも。
圭を変えたいと願うの。
「…だから、今の圭は…あんまり好きじゃない。」
- Re: 秘密 ( No.544 )
- 日時: 2015/10/11 16:10
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
〜・111章 エリスの叫び・〜
私達は、どこか相手ばかりを想っていた恋をしていた。
圭を危険な目に合わせたくない。
アリスを守りたい。
そんな思いばかりを交わしていた。
お互いの本質を、見ることを忘れてまで。
互いが美化し合い、醜さや相手の気持ちを無視してきた。
私はもう助けはいらない。
「…ごめんね」
圭が見せてくれた世界は、キラキラしていた。
世界が光り輝いていて、些細なことでも心が躍った。
誰かと一緒の帰り道や、心配されることが嬉しいことだと初めて知った。
「私は圭が、大好きだったよ。けど私の気持ちよりも、自身の気持ちを尊重して。
私は自分の意思でここにいたいの。ここにいる未来を描きたいの。」
圭がくれたものは、眩しくて私の胸をいっぱいにしてくれた。
その光を、この場所で。
誰かと分かち合いたい。
「…圭のすべきことは、私を追うことじゃないよ」
私は圭の背中を見つめて、追いつきたいと願っていた。
でも、なにも圭と同じ道を歩く必要はないのだ。
別々の道を歩いても、道は何時か交わるのだから。
「夕食には戻るね」
どんなに暗い道でも。
これが私の選んだ道。
こんな道でも。
圭と道が交わることを、夢見ることが出来る。
- Re: 秘密 ( No.545 )
- 日時: 2015/10/16 16:50
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「…不快?」
圭と別れた後、私は来た道を引き返した。
角をまがった所には、腕を組みながら壁にもたれかかったエリスが待っていた。
エリスのことも、調べた。
昔の私なら何も思わなかった。
今の私は違う。
「…別に」
軽く唇をかむ様な仕草。
これはエリスの稀に垣間見える癖だ。
そして、昔絶った筈の癖。
「…私には、関係ないことだしね」
エリスは…辛いことを経験してきた。
この国にいる人は皆そう。
アレクシスも、トールも、エリスも…父も、アリアも…
崖の先には病が流行り、そこをまた崖によって隔離されている。
こんな狭い国で、それだけで生きていくのは大変なことだ。
城を出て、エリスと隣を並びながら歩く。
「橋がそろそろ下りる時間だよ。」
崖を越えるには、一番楽に行く手口は橋を下ろすことだ。
それが一番手っ取り早い。
「私は、のぼるから。気にしてない。」
崖をのぼって出ていくことも出来る。
決して、楽な道筋ではないけど。
それが一番、アニエスからの脱出に使われる手段だ。
エリスはトレーニングの為に、といって崖をのぼって行くのはもう何時ものこと。
崖の先では、病人と貧しい人しかいない。
誰かが餓えていたり、寝込んでいたり、道端に倒れている。
それが、日常。
「今日は、美味しいご飯を持ってきたぞ。」
数日に何回か、食事を持って来て体を洗ったりしている。
病を隔離するために王都には近づかせることはできないけど。
心苦しいが毎日は無理なので、数日に1度の食事。
死んでほしい訳ではないのだ。
「今日は日本名物、天麩羅だよー☆」
崖をのぼってきたくせに、エリスの息には乱れがない。
普段からやっていて、慣れているのだ。
「それに、お浸しにみそ漬け、味噌汁、お握り!山菜のフルコース!!」
山菜は意外にそこらに生えている。
分別や、川の汚れなどに注意を払わないといけない。
けれど、その気になれば歩いてでも取りに行ける。
初心者は無闇に取ってはいけないけど、その点は心配ない。
魚や海藻も分別が出来る。
ちゃんとした野菜や肉を食べさせられないのは、心苦しい。
けれど、食べられるだけマシだ。
「やっぱり、人出は多いに限るね。」
人数が多いので、食料を配り体を拭いたり、薬草を配布したり。
何時も少人数で立ちまわるから、1人増えただけでも助かるのだ。
病人を担いだりすることはできないけど、自分の知識で人を救える。
「知っていますか?空が青いのは…」
診察や食事を配布しながら、薀蓄をこぼす。
そうすることで、少しでも意識を痛みから逸らせるように。
輪になっている真ん中に立ち、様々な話題を振る。
「何か聞きたいことはありますか?」
毎回真ん中に立つと、周りに質問を仰ぐ。
分からなければ、次回までの宿題。
何も質問がなければ、知っている本を読みあげる。
「『牛肉なんて久しぶりだな。豪勢だ。』『いや、残り物で済まないな』」
話のジャンルはバラバラ。
ファンタジーも恋愛ものも、友情ものも、バトルものも。
正確に読みあげる。
1冊も読み切るのには時間が掛かる。
大抵は1章辺りで切り上げて、次回への持ち越しとする。
こう言う時、この記憶能力を持っていて良かったと思う。
物語は好きだけど。
それを余すところなく、存分に振る舞うことが出来る。
「撤収、終わったよ」
「ん、後13分くらいで終わるよ。薬草でも集めてて。」
時間配分も正確に済ませられる。
この能力のお陰だ。
私の力で、存分に人を笑わせられる。
「南に暫く行った所にまだ沢山ある。少し残しつつ、採集して。」
お金がなくても、知恵と工夫と乗り越える。
土地が乾き、作物を作りづらい。
けれど、それでも育つ植物は育つのだ。
食料を節約した分、国事に回す。
飢え死にする、と言うほどでもないが食料は大事にしないといけない。
贅沢をすることはできないのだ。
「では、明後日。また聞きたい話、考えておいてください。」
お年寄りも割と多い。
色々な話を聞いたりするのも、為になる。
お祖母ちゃんやお祖父ちゃんってこんなかんじなのかな、と思う。
色んな話を聞かせてくれて、それがとても斬新だ。
「また、話を聞かせてください!」
毎回こうやって、手を振りながら橋を戻って行く。
初めは侮蔑の表情もあったそうだが、食べ物の配布をすることで少しは信頼関係を得られてきた。
私が今まで怠ってきたこと。
見ることを忘れたこと。
少しでも、追いつきたい。
私の理想に少しでも近づきたい。
トールやエリスは、もうとっくの前に打ち融け合っている。
彼らは、何時も誰とでも仲良くなれる。
それは決して、良いことばかりではないといのに。
それが本当に、彼らの意思でやっているのだろうか。
本当に、楽しくて笑っているのだろうか。
- Re: 秘密 ( No.546 )
- 日時: 2015/10/21 17:15
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
夕食を嗜んだ後、部屋にも戻らずにふらふらと歩きまわった。
圭とは顔を合わせたくない。
リンやマリー達がここにいることは、少し居心地が悪い。
少しずつ頼ろうと思っていたけど、いざそのチャンスが回ると。
声をあげて、逃げたしたくなる。
もっとも。
私は今ここでは仕事がない。
正式に王を継ぐ訳でもなく、帰れない。
父とは早くその話をしないといけないのに、まだ顔を合わせてはいない。
いつ部屋に行っても、いないのだ。
考え事をしながら、歩いていると廊下の真ん中にエリスが立っていた。
どこかに出かけるのか、何時もより着飾っていた。
「アリス、なにが必要だと思う?」
廊下の隅に置かれていた、植木鉢を指差した。
廊下には色々な種類の植木鉢がぎっしりと並べられている。
花の道を連想させる。
葉だけのものがあれば、花が咲いているものもあれば、実を付けているものもある。
名前を書いていないから、何がどの種類か分からないようにしてある。
「…アデニウムかな。」
少し離れた植木鉢を指差す。
艶やかで美しい花を指差す。
毒を含む花で、呼吸系の機能を麻痺させる。
煮詰めて武器に塗れば、使える。
「煮詰めておくよ。そろそろ無くなりそうだっただろう。
まだいくらか在庫はあったと思う。出掛けるなら、そっちを持っていけ。」
台所で、水や鍋を借りないとな。
仕事がないのだから、こう言う所では役に立ちたい。
いくつか花を摘み、腕に抱え込む。
台所へと歩を進めると、途中で見慣れた髪飾りを見掛けた。
貸した寝巻のワンピースに身を包み、ルームシューズを履いていた。
長い髪が綺麗で、出逢った時から付けている花の飾りが髪を彩っている。
植木鉢に触れようとしたマリーの手を抑える。
「これは…ミクラフギ。綺麗だけど、毒があるよ。」
ヘタに触れて、何かの拍子に口にしてしまっては取り返しがつかない。
「正体はケルベリンというアルカロイドの配糖体で、食べるとすぐに作用する。
胃が少し痛むなと思った後、静かに昏睡し、心臓は動きを停める。それ全て含めて3時間以内。」
城内にはこう言った有毒植物を育てている。
何時でも使えるように、ちゃんと手入れもされてある。
「ここにあるものには下手に触れない方が良いよ。」
山菜やお茶になる葉もあるが、圧倒的に毒が多い。
その他にも、薬草を植えている。
自然の力は偉大だ。
「食用、薬用、暗殺用、毒殺用、拷問用、その他もろもろあるからね♪」
エリスの口からさらり、と物騒な単語が零れてきた。
こう言う所では、オブラートには包まない。
「殺っ…」
「エリス」
声に圧をかけて、放つ。
マリーの前で、そんな話をしてほしくない。
冗談にしても質が悪い。
悪質だ。
「この程度のこと、隠してどうするの?そんなんだから、アリスは弱いんだよ。」
「何が言いたいの?」
エリスの視線がいつもと違い、鋭くこちらを真っ直ぐと見つめていた。
いつもなら、こちらを見ているようで見ていない。
そんな目をしていたのに。
「言葉の通り。大事なものを作るのはご立派だけど、過保護すぎ。
あんたが犠牲になるのではなく、彼らも成長すべきでしょ。」
「分かってるよ。」
苛々する。
私だって、何時までも自分を犠牲にしたくはない。
自己犠牲しか知らなかったあのころとは違って。
私だって、少しは彼らを頼ることを知った。
「なら、この現状は何?今でも彼らだけ安全な場所にいるのに?」
「彼らにはまだ早い。でも、少しずつは彼らにも…!」
元々日常にいたのだ。
それをいきなり、こちらの世界に引きずり込むのは危ない。
それでも、少しずつ…
重荷を分け与えようと、アニエスにも滞在させている。
「少しずつじゃだめなんだよ!あんたには時間がないの!!
これ以上のんびりしている暇は一秒たりともないんだよ!!」
突然発せられた、大声。
それに私は一瞬思考回路が途絶える。
私の中にいるエリスとは、あまりにも違うから。
「分かってんの?あんたはこのまま、あいつ等と同じ末路を辿りたいの!?
あんたに残された時間は決して長くないの!!」
その言葉を聞いた瞬間。
プチン、と私の中の何かが切れた。
「エリス!!!!!!」
腕に抱え込んでいた花が、バラバラと滑り落ちて床に転がる。
鮮やかで美しくて可憐な花。
でも、その内面には毒を抱えている。
歌っている時でも、こんなに大きな声を出したことがない。
喉の調子を慮らない、叫び方。
「…それは言わない約束でしょ」
胃に残っていた全ての酸素を吐きだしたような。
息が出来なくて、それでも精一杯声を絞り出した。
彼らのことを、そんな風に引き合いに出して欲しくなかった。
どんなに愚かと罵られようと、彼らを侮辱するのは許さない。
エリスにとって、大事な人達だから。
トール、アレクシス、私よりもずっと。
ずっとエリスの中では大きい存在だ。
「…ごめん」
ふう、と息を吐く。
自分の気持ちを落ち着くように、と。
「…私こそ、大声出してごめん。」
気付けば、圭とリンもいる。
大声を出したから、聞こえてしまったのだろう。
何処から聞いていたのだろう。
「…煮詰めておくから、…早く、行け」
ああ、気分が悪い。
それはきっと彼らに、聞こえてしまったから。
やっぱり、こちら側のことは知られたくない。
そう、思ってしまったことに。
これ以上一緒にいたら、何をしでかすか分からない。
「…話は今度だ。」
- Re: 秘密 ( No.547 )
- 日時: 2015/10/24 19:31
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
どうして怒鳴ってしまったのだろう。
いつもなら、笑ってかわす所だったのに。
彼女と…アリスといると…彼らを見ると…あいつ等を思い出す。
私がこちらの世界に関わってからできた、初めての友人達。
気さくで、話しやすく、良く笑っていた。
喧嘩もしたし、その分仲直りもした。
自分と彼らが違うことは、気付いていた。
出逢った時は、距離を置く様に作り笑いを浮かべた。
けれど、いつの間にか親友と呼べるほどの仲になった。
出逢ったばかりの時には思いもつかないほど、親しくなった。
その頃には夜会なんかにもちょこちょこ顔を出していた。
沢山の人の、沢山の表情を知っていた。
嘘を突こうが、騙そうが、大抵は表情を見ていれば分かった。
だから、心から一緒にいることで楽しめる相手などいなかった。
人の気持ちが分かることは、安心感と同時に嫌悪感を呼び寄せた。
それが当然のことだと思っていた。
けれど、彼らは本当に何の偽りもない様な笑顔を向けてきた。
遊んだことのないことや、聞いたこともない様な場所へ連れて来てくれた。
ずっと大人たちの中で生きてきた。
金持ちの習性や、癖は分かっていても。
同年代の子との関わりはなかった。
それはきっと、私が他の子と違うことに羨望を覚えることを控えるためだろう。
けど、その頃は羨望ではなく疎外感を覚えていた。
疎外感、とも少し違うかもしれない。
ともかく、自分が他人と違うということはよく分かっていた。
だからこそ、実感できるのだ。
私が出逢ったのが彼らで良かった、と。
能天気で、好奇心旺盛で、いつもどこかちょこまかしてて、人をからかってばかり。
なのにさりげなく気遣い屋で、自由で、優しかった。
彼らといた時に感じた想いを、私はもう感じない。
彼らを言い表す言葉は、1つでは収まらない。
でも、唯一言えるのは。
彼らは死ぬべきじゃなかった。
死ぬはずじゃなかった。
「…なんで、死んじゃったかな」
聞こえるはずがないのに、ボソリと呟いた。
彼らがいなくなってから、ずっと薄れることのない痛みが身体中をめぐっている。
でも…
アリスが彼らを見つけた時。
彼らに会った時。
彼らと話している時。
稀に。
ごく稀に。
彼らと話しているかのような感覚に襲われた。
だからこそ。
今度こそ。
間違えてほしくはないのだ。
同じ道を辿ろうとしている彼らを。
そして、私の対となるパートナーのアリスを。
好意を抱いたことがある。
けれど、嫌悪感だって何度も抱いてきた。
まるで人形の様に、自己主張がない子だったから。
自己犠牲だけで、全てを解決しようとするから。
自分を写した鏡を覗き込んだみたいだった。
とても似ているのに。
左右が逆転しているみたいに、相容れない。
けど、やっぱり根本は一緒。
アリスは、私と同じ道を歩こうとしている。
守ろうと、大事にし過ぎている。
「私はあんたに…同じ道を歩いてほしくないんだよ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「見苦しいところを見せちゃったね。」
3人に向き合う。
「…大丈夫ですか?」
「なにがあった?」
こう言う時、躊躇わずに声をかけてくれる彼らが好きだ。
リンやマリーらしい強みだ。
本当なら真っ先に声をかけてくれる圭は、口をつぐんでいる。
私が外出前に行ったことを気にしているのだろう。
「怪我…してない?」
ようやく躊躇いがちに訪ねてきた。
「大丈夫だよ。ありがとね。」
さっき怒鳴った時に落ちた花を拾う。
あれだけ落ちない様に気を付けていたのに。
結局は全部落としてしまった。
失態だ。
花を拾うと、今度こそ落とさない様に抱え込んだ。
台所で煮詰めておかないと。
「…初めての、喧嘩だ」
エリスが私に対して大声を張ったのも。
それに対して私が怒鳴り返したのも。
思えば、マリー達とも喧嘩なんてしたことなかった。
それは、私の本質を彼らに隠しているから…?
幼い頃から、私の全てを見てきた。
生い立ちも、私の性格も、よく知っている。
万里花達には、結局私は何時も隠し事ばかりしている。
「ちょっと、台所に行ってくる。」
どうして…
どうして、怒鳴ってしまったのだろう。
知らず知らずのうちに、2人は同じことを想っていた。
無意識のうちに。
結局は、似た者同士。
- Re: 秘密 ( No.548 )
- 日時: 2015/10/30 17:12
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
〜・112章 アリアの散髪・〜
窓を開け、鍋に花を入れた。
水を加えて、ぐつぐつと煮出す。
匂いを吸いこまない様に、布巾で口を覆う。
花には毒がある。
紫陽花やオシロイバナ、水仙、鈴蘭、チューリップ、ホオズキ。
スイートピー、アネモネ、それ以外にも挙げればきりがない。
よく見かける彼岸花も、花・葉・茎・根全てに毒がある。
彼岸花にあるリコリンという物質の致死量は10g。
球根1つに15mgしか含まれていないので、大量摂取しなければ大丈夫。
食べなければ害はないので、よくネズミ避けに使われる。
彼岸花は、形が好きだ。
彼岸花は毒としてよりも、食用として使う。
水に晒せば、毒は抜ける。
勿論食べられる花…エディブルフラワーというものもある。
バラやホウセンカ、ペチュニア、パンジー、マリーゴールド、タンポポ。
城では色んな物を育てている。
だから廊下にはずらり、と鉢が並んでいる。
毎日ちゃんと手入れし、頃合いを見て摘む。
けれど、ちゃんと数は残す様にしている。
薬草園もちゃんと別に設備されている。
自然の毒の力を、余すところなく使える。
トリカブト、なんて有名だ。
あれは解毒剤もないのに、そこらに生えている。
花言葉も『あなたは私に死を与えた』
何度かかき混ぜ、丁度いい具合になると容器に移し替える。
棚には似た様な瓶が沢山置かれている。
ラベルの1つもない。
それぞれの瓶の位置や柄を覚えて、他人に不用意に使わせないため。
何の薬か分からないものを使いたがる人はいないだろう。
基本的に目につく所にある棚に入っているのは、人に害をなさないものだ。
毒薬は床下やパッと見では分からない様な所に仕舞っている。
「アリス」
布巾の下で、クスリと微笑む。
「何か用?」
女の様に細い顎。
茶髪がかった髪が少し伸びていて。
中性的な顔立ち。
圭だ。
もう普通に言葉を交わせる。
「アリス、今度王都を出る時一緒に行く。」
覚悟を決めた、顔だ。
- Re: 秘密 ( No.549 )
- 日時: 2015/10/31 19:17
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「アリスのことを知りたい。だから、ここでアリスが何をするのか知りたい。」
目を伏せる。
圭も変わろうとしている。
「…良いよ」
変わった後の圭は。
また、私に恋をしてくれるかな?
誰かを救いたい、というばかりで将来のことも考えず私のことばかり。
私はもうなににも囚われていない。
彼が恋をしたのは、弱くて美しい私。
強くて醜い私を見てはいない。
それも私の一部だというのに。
圭に見せていない私を見せる機会かもしれない。
千年の恋も冷めてしまうかもしれない。
けど、もしかするとそんな私も好きになってくれるかもしれない。
このまま私に依存していると、圭は私がいればいいと思ってしまう。
そうやって、歩きだすのをやめてしまう。
けど、私はそんな圭も愛しいと思ったこともある。
でも、やっぱりそんなことはできない。
もっと圭を知りたい。
もっと圭を見ていたい。
私もちゃんと圭の醜い所も、綺麗なところも、強い所も、弱い所も。
抱きしめた恋をしたいから。
そっと、口の横に温かいものが触れた。
布巾越しではあったけれど、それは圭の口付けだった。
迂闊だった。
突然のことで反応できなかった。
「…こう言うことやると、後で好きじゃないと気付いた時。後悔しか残らないぞ。」
好きか分からないのに、キスなんて軽々しくするものじゃない。
そうやって錯覚して、どんどん泥沼にはまって行く。
「それでもいい。好きじゃなかったとしても、後悔はしない。」
…ずるい奴。
そっと、圭の唇を指で押さえる。
「でも、駄目。私は圭にそういう風に好きになってもらいたい訳じゃない。」
こんな生い立ちだから、軽い気持ちで恋をさせたくない。
火傷を負うのは、何時だって相手の方だから。
「やすっぽいラブシーンをやってるね」
突然後ろから掛けられた声。
帰ってきたのだろう。
少し、疲れた様で何時ものツッコミもキレがない。
「まだ言う?甘すぎだって。」
冗談っぽく笑って誤魔化す。
エリスは近くの椅子を引きだすと、ドスンっと座り込んだ。
足を投げ出して、億劫そうに答えた。
「いんや、別にいい。
そこのお坊ちゃんも少しはこっちに加わる気になったみたいだしね。」
先程のやりとりを聞いていたのだろう。
一体何時から立っていたのか。
「早かったね。茶でも飲む?今ならリラックスできる香も焚けるけど。」
「…水だけでいい。飲んだらシャワー浴びて寝る。」
答えながら、化粧を慣れきった手付きで落とし始めた。
私は化粧をしないので、きっと同じことはできないだろう。
「いつも迷惑をかけるな。」
私自身のことも、父のことも。
エリスはいつも着飾って、化粧を施して出かける。
顔には笑みを浮かべるけど、決して楽しそうではない。
「なに、もう慣れた。」
心底どうでもよさそうに答えた。
私には人の気持ちなんてもの、エリスほど敏感ではない。
けど、それは本当の気がした。
「圭、席を外してくれ。」
ここからは一対一の話し合いがしたい。
- Re: 秘密 ( No.550 )
- 日時: 2015/11/04 23:59
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
話を終えて部屋を出ると、彼らのもとを訪れた。
「6月の初めには、涼風に返せると思うんだ。」
今は5月上旬。
けれど、高校2年生が4月中旬から1ヶ月近くも休んでいる。
成績面でも、将来的にもこれ以上休むのは良くない。
「アリスは?」
リンは鋭いね。
会話の些細な違和感を見抜いている。
「私はここに残る。高校には一応籍は置いておくけど、戻る予定はない。」
私は彼らと別の道を歩く。
その為の第一歩。
彼らからの自立。
「ここで、私はすべきことを見つけたんだ。」
にっこり、微笑んで見せる。
「出来る限り、電話もメールもする。私はもう大丈夫。」
その強さは、彼らから貰ったもの。
だから、私はもうここに残る。
まだすべきことがあるから。
「…本当に大丈夫ですか?」
やっぱり。
心配してくれる。
それはマリーの優しさで、想いやりで、強さなのだ。
沢山の非難の目を押しのけ、自分を貫き通した灘万里花という1人の少女。
そんな彼女みたいになりたくて。
マリーに分けてもらった気持ちや、温もり。
好きな人を一途に想い続ける強さを持ち合わせて。
それを人に分けられるような存在に。
「問題ない。マリーやリン、圭から貰ったものを。
もっとたくさんの人に、たくさんの子どもたちに、分けたいんだ。」
にこり、とほほ笑むと堂々と宣言する。
「今日は疲れたから、もう寝よっか。続きは明日。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
翌日、圭とマリーとリンを連れて孤児院に向かった。
圭に連れて行って欲しいと言われていたが、元々全員を連れて行くつもりだった。
「この子がアリア。ここにいるのは、そのほとんどが孤児なんだ。
アニエスの財政難を嘆いて、祖国を捨てるために子どもを捨てるんだ。」
私も聞きかじったばかりのことだけど。
トールに連れて来られてから、毎日。
通って、子どもたちの笑顔を見た。
「今日こそ髪を切ろっか。お姉ちゃん、勉強してきた!」
次に来たときに切る、と言ったはものの髪など切ったことはない。
だから少し待ってくれ、と毎日の様に引き延ばしてきた。
「マリーは、髪の切り方知ってる?結んだりするのは出来るよね」
髪を結ぶのは相変わらず苦手。
アリアの髪を整えたら、少し髪を弄ってほしいのだ。
「こうした方が良いってアドバイスがあったら、言ってほしいんだ。」
なにせ、人の髪を切るのは初めてだ。
失敗したら、申し訳ない。
アリアに玩具を手渡す。
「遊んでれば、直ぐ終わるよ。」
無闇に首や顔を動かさない様に、玩具で気を引く。
布を首周りに羽織らせる。
「参ります」
ジャキンッと想像以上に大きな音がした。
髪を梳きながら、整える。
本を見て、それを真似ているだけだけど。
この能力には、そう言う使い方もある。
それを、示したい。
「…どう?」
しばらく髪を切り、鏡で確認する。
髪に城から持ってきた花を挿す。
元々あった可愛らしい顔がなかなか映えている。
バラバラだった髪が綺麗にまとまっている。
前よりもこっちの方が断然いい。
「アリア、終わったよ。」
鏡を渡すと、ニカッと笑った。
アリアは相変わらず無口で、喋らない。
けれど、表情は少しずつ変わりつつある。
いつの日か、楽しそうに言葉を語る日が来るのだろうか。
それを、見届けられたら…きっと…
「アリスにしては…上出来です」
とても、幸せだろうな。
- Re: 秘密 ( No.551 )
- 日時: 2015/11/08 18:47
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「ここにいるのは、孤児だ。規定年齢を越すと、兵士になる準備をする。」
アリアの頭をなでると、圭たちに向き合う。
子どもたちはその場にいるが、構わず話す。
幼くてまだ分からない、と言う意味ではない。
隠しても仕方がないのだ。
アリア達には、幸せと一緒に残酷な世界も見せていかなければいけない。
残酷なんだよ。
そう言う世界にいるんだよ、と幼いうちから伝えておきたい。
「銃を持ち、ナイフを手にする。人の裏側を知る術を知り、人を騙すことを覚える。」
辛く、残酷なものである。
だからこそ、光を見つけた時、その希望から手を離してはいけない。
絶対に諦めてはいけない。
「…私は暗闇の中で、光を放ち導きたい。」
何処までも暗く、底がない世界でも。
少しでもその闇を淡くする努力は辞めたくない。
「だから私はここで、王になって少しでもこの国をよくしたいんだ。」
そうやって、少しでも…
「父の…意思を継ぎたいんだ。」
誰よりもこの国を愛していた父。
憎まれても、虐げられても、傷つけられても。
身を斬る様な痛みを伴いながら、犠牲を払い…僅かにアニエスに光を灯した。
周りに理解されずとも、それでも豊かな国を作りあげた。
父を許すことはできない。
今でも、憎い。
私にとっての母も、同じくらい大事だったから。
圭たちと引き離されて、涙にくれた日もあった。
けど…だからこそ、私は強くなれた。
圭たちだけの世界から、出ることが出来た。
「…だから、私は涼風には帰らない。ここで、私のすべきことをする。」
進路とか全然決まってない。
自分から何かしたい、何かになりたい、なんて思ったことなかった。
私が初めてなりたい、と思った。
父の様に。
憎まれても、人を愛せる様な人になりたい。
心の底から蔑まれても、誰かの為に泥をかぶれる人。
不思議。
私も父のことを憎んでいるのに、父の様になりたい。
「大好きだよ、マリー、リン、圭」
名前を呼ぶ度、愛しさがこみあげてくる。
胸が温かな気持ちで包まれる。
「自分の道を歩こう。」
- Re: 秘密 ( No.552 )
- 日時: 2015/11/13 20:13
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
〜・113章 エリスの追憶・〜
「…やっぱり、分かってないね」
…エリス
遠目から見ていたであろう、エリスが突っかかってくるくらい分かっていた。
想像がついていた。
「私は、彼らと一緒に夢を見たい。一緒の夢を叶えたい。」
「叶えたいなら、王になんてなるな。軽い気持ちで上に立たれる身にもなって。」
…分かっている。
エリスやトールやアレクシスの上に立つ。
傷を抱える彼らをまとめあげ、少しでもアニエス存続に貢献する。
分かっている。
「王になることも諦めない。父の跡を継ぐのは私しかいない。」
父の血を継ぎ、父の意思を理解する努力を続けて、父の様になりたい。
それにエリスが反対することも分かっていた。
エリスたちの傷はそれだけ深く、痛いものなのだ。
「そんな思いあがり、してんじゃねえよっ!」
ガッと胸倉をつかみ、持ち上げられる。
周りで彼らの私を心配する声が聞こえる。
華奢な体の、一体どこにそんな力があるのか。
足が地面につかない。
首が締め付けられ、呼吸が出来ない。
「私は…そんな奴の為に懸ける命はないっ!」
けど。
私よりもずっと。
エリスの方が辛そうな顔をしている。
苦しそうな顔を、している。
- Re: 秘密 ( No.553 )
- 日時: 2015/11/19 17:49
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「…私は、大好きなんだ。」
エリスの手を包み込む。
絶対に、目を逸らさない。
彼らの上に立つって言うことは、彼らから目を逸らさないこと。
きちんと真正面から向き合うこと。
「圭やマリーや、リンだけじゃない。」
私が好きなのは、彼らだけじゃない。
それ以外の朝霧も、遥も、母も。
「父や、アレクシス、トール、アリアみたいな子どもたち。…エリスだって」
この国にいる人も皆。
みんな、みんな。
「大好きなんだよ…っ!」
自分の世界を、広げて。
彼らを見つめて、ずっと募らせてた想い。
「だから…守りたいんだよ…っ!」
私が今まで狭い世界に閉じこもり、その被害をエリスたちが被っていた。
私が本を読み、涼風で安寧を貪っていた間。
エリスたちはアニエスの為に行動を続けていた。
命を掛けて、何度も死線をくぐりぬけてきた。
何もせず、何もできない私が恥ずかしい。
何が完全記憶能力だ。
それが一体なんの役に立った。
恥ずかしい。
「王になり、知識と知恵を絞るしかっ!私には出来ることがないから…!」
ふるふる、とエリスの手が震えている。
でも、ここでエリスから逃げたら。
私のみんなに対する想いからも逃げることになる。
皆、なんて言葉私は嫌いだった。
でも、今はそれ以外の該当する言葉が見当たらない。
大事なものが、多すぎるから。
「…誠意を、見せて」
手を下す。
胸倉を掴んでいた手を離し、地面に乱暴にたたき落とされる。
深く息を吸い込む。
絞められていた首が少し痛い。
けれど、構わない。
エリスたちはこれの何倍も苦しんだ。
人を傷つけることは、楽なものではない。
私は幸せな日々を謳歌しているために、見ない様にしていた。
父のせいだと、必死に理由を探していた。
逃げていた。
こんな痛みは、父の何万分の一にもならないだろう。
全ては、目をそむけ続けた私のせいだ。
エリスが親指で、くいっと圭たちを指す。
「こいつらにそれなりの覚悟があるって、私に示して。」
それがなにを示すか…大体何か分かった。
私が辿る道が…エリスとは違うこと。
それを、示す方法。
それはきっと、私が一番よく知っている。
- Re: 秘密 ( No.554 )
- 日時: 2015/11/21 17:54
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「ついて来て欲しい」
そう言うと、圭たちは戸惑った表情を浮かべながらついて来てくれた。
これから…何が起こるか想像もつかないのだろう。
城に戻ると、適当に空いている部屋に入る。
いつの間にか、廊下に1輪の赤い彼岸花が活けられていた。
「エリスの名前の由来はね…女神からなんだ。不和と争いの女神。
ギリシャ神話とかに出て来るんだけど、聞いたことくらいはあるんじゃないかな?」
「テオドールはそう言った名前の付け方が好きでね。」
エリスが補足する。
「災いの母。女神テティスとペーレウスの結婚式に招かれなかった腹いせに、
「最も美しい女神に」と記した黄金の林檎を宴の場に投げ入れた。
そして、ヘーラー、アテーナー、アプロディーテー3女神の争いを惹起し、
パリスによる裁定、パリスの審判を仰ぐことになり、トロイア戦争の遠因を作った。
余談だが、娘に混沌と争いの女神デュスノミアーがいるらしい。」
流石エリス。
自分の名前の由来くらいは、すらすら言える。
そもそも勉強だって出来る方だ。
「眠れる森の美女は、エリスの行動がヒントに描かれているんだ。
そう考えると、少しは分かりやすいでしょ?」
私はただ覚えるだけ。
それを使う術を、これから身につけていく。
「私には、身分を隠して付き合っていた友達がいてね。
簡潔に言うと…今のあんたらみたいな関係だったんだよ。」
夢を見ている様に、宙を仰ぎ目を閉じる。
エリスの少し芝居がかった、仕草。
そうやって、少しでも彼らのことをぬぐい去りたいのだろう。
私には…想像するしかできないけど。
「御察しの通り。もう会っていない。兄弟とも、彼らとも。」
けれど昔と違い、痛みを覚える。
エリスの傷を想像するだけで、痛みが膨らんでいく。
それはきっと、圭たちのお陰でもあり。
エリスのお陰でもある。
- Re: 秘密 ( No.555 )
- 日時: 2015/11/26 18:24
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
初めて人の温もりを感じたのは、生まれたばかりの兄弟を腕に抱いた時。
私は、人が温かいものだと知った。
母や父は早々に他界した。
愛された思い出も、憎まれた思い出も残ってはいない。
実際、両親が私のことをどのように想っていたか分からない。
路頭で身を寄せ合い、雨風をしのいだ。
日に日にぼんやりし、動かなくなる自分の体。
次第に泣き声をあげることもなくなり、小さな手が細くなった。
ああ…これが死か。
胃壁をガリガリと引っ掛かれるような痛み。
焼けつく様な喉。
胃がよじれるような感覚。
朦朧とする意識。
ふわふわと浮かんでは消える幻覚。
浮かぶ顔は…誰の顔だったろう…?
死ねば、この痛みが消えるのだろうか。
そんなことをぼんやりと考えた。
盗みを働く気力はもうない。
そんな食べ物もない。
ただ、死ぬのを待っていた。
死んだら、父や母に会える。
愛されても、憎まれても、会うことが出来る。
恋しい、という気持ちより。
知りたい、という好奇心だった。
…せめて、兄弟だけでも生きていて欲しいな。
体は大きくならない。
腕は細いし、笑うこともない。
泣きもしない。
何人もいた兄弟の…全員の笑う顔を見てみたい。
子どもの様に笑い、手足を忙しなくバタバタと動かす。
そんな赤ん坊を、私はいつも地べたから眺めていた。
買い物をする女の腕の中にいる赤ん坊は皆幸せそうで。
抱いている女も嬉しそうで。
それが私には信じられなくて。
でも。
この子たちも…そんな風にいつか笑い成長する日が来ればいいのに。
それはなんというか…不思議な気持ちだった。
痛みが全身を苛む中、私は兄弟たちのことを思った。
名前もついていない、子どもたち。
「…笑え、兄弟」
何時からか降り始めていた雨が冷たい。
…眠い。
このまま…泥の様に眠りたい。
もう、目を開けたくない。
腕に、もう温かくない兄弟の重みを感じながら。
眠った。
- Re: 秘密 ( No.556 )
- 日時: 2015/12/04 22:25
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
〜・114章 授かった名前と数奇な出会い・〜
けれど、私は死ぬことはできなかった。
何かが私の頭に触れた。
きっとそれは、人の手だと思った。
確信が持てなかったのは、それがあまりにも冷たかったから。
温もりを失い、少し硬く、大きい。
ごつごつしている。
なにかが横たわっている私に掛かっている。
布…?
目を閉じたまま、状況を把握しようと鈍い頭を働かせた。
私の頭を何度も撫でていた、それは。
撫でる手を止め、足音が遠ざかっていく音がした。
扉が閉まる音、出て行ったのか…
…もう少し、撫でていて欲しかったな。
ふいに香ったのは。
鼻を刺激する、香ばしい食べ物の匂い。
それは停止していた私の臓器を動かすには充分だった。
既に懐かしいものになっていた、空腹と言う感覚。
耐えきれず、目を開けると御馳走が飛び込んできた。
部屋は質素で、机が1つと二段ベットとカーテンくらいしか物がない。
どうやら私は二段ベットの下の段に眠っていたらしい。
掛かっていた物は想像と違わず、布に近い毛布だった。
部屋には私の他に、1人だけ男がいた。
幼い、男の子と呼ぶのが丁度いいくらいの年だ。
それがアレクシスだった。
匂いの元は並べられているパンとスープ。
今からすると、そこまで美味しいご飯じゃなかった。
けれど、その時はとてもこの世のものとは思えないほど美味しく感じた。
「…兄弟は?」
腕に抱いていたはずの、兄弟たちがいない。
心地が付いた時、ふと疑問に駆られた。
何故気付かなかったのだろう。
傍にいた男の子に問いかける。
「…生きてはいるって、父さんが言ってた」
年もさほど変わらなさそうな男の子。
「父さん…?」
再び扉が開く。
「目が覚めたか。」
誰…?
どこか人ではない様な不思議な雰囲気を漂わせる男だった。
顔は整っているのに、痩せすぎている。
人としての体温を持たない様に、精気が欠けている。
「名前は?」
コツ、コツと定期的な足音。
機械みたいだ、と直感的に思った。
「兄弟は…?」
「名前を、聞いている」
妙な威圧感があった。
体が硬直した。
「…ない。」
「兄弟…とはあの赤子達か。会わせる訳にはいかない。」
体が動かない。
鋭い眼光と、書類を読み上げる様などこまでも淡々とした口調。
兼ね備えている、雰囲気からして…捩じ伏せられているような錯覚を起こす。
「ただ…」
と、男は続けた。
「1つだけ、お前と兄弟を生かす方法がある。」
静かで、落ち着いている。
なのに…獣に抑えつけられているような…圧がある。
「私に従え」
静かだけど、獰猛な狼みたい。
群れを好まず、1人でいる野獣みたい。
ひっそりと獲物を狙うような、鋭い視線。
「そうすれば、兄弟もお前も、生かしてやる。」
- Re: 秘密 ( No.557 )
- 日時: 2015/12/12 14:06
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「訓練場に連れていけ。まずは、才を見てからだ。」
近くにいた少年に、声を投げかける。
少年は先ほどよりももっと身を強張らせているようだった。
「はい…父上…」
呼び方まで、変わっていた。
少年にとって、きっとこの男は…畏怖の対象なのだろう。
絶対に逆らうことのできない相手。
父親と言うのは、そんな生き物なのだろうか。
覚えていない。
それから訓練場に行くと、同じくらいの年の子どもが沢山いた。
狙撃やナイフによる攻撃、様々なものを試した。
幸い、私は視力は良かったしバランス感覚も悪くはなかった。
耳も悪くなかったし、盗みもやっていた。
訓練すれば伸びると言われ、殺人者としての才が合った。
人の表情を窺うことも、偽ることも、盗みを働くうちに覚えた。
訓練場に顔を出した男に、少年は怯えながらも結果を淡々と告げた。
男はそれを聞くと、何故か少し顔をゆがめた。
けれど、こちらを向いて頭に手をのせた。
「良くやった、エリス」
にこり、とも笑いはしなかった。
でも、この手だと分かった。
冷たくて、ごつごつして、骨張っているけど、大きい手。
「お前の名前、エリスだ。不和と争いの女神から取った。」
私が眠っていた時、優しく撫でていた手。
人ではないみたいな無機質な手。
けれど、冷たくて気持ちの良い手。
何故だかほっと…落ち着く手。
私を嫌悪するのでも、卑下する訳でもない。
必要としてくれた。
その時は、その感情に名前に名前が付けられなかった。
今でも、つけられるかどうかは甚だ疑問だ。
ただ、その時の私はこの人についていきたいと思った。
兄弟たちを匿い、私を必要としてくれた、初めての人だから。
「…良い名前」
- Re: 秘密 ( No.558 )
- 日時: 2015/12/16 18:02
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
当時の私は幼かったけれど、危ない仕事をしている自覚は合った。
特に人を騙す才に長けていた私は、普通の子供とは違うことが分かっていた。
幼い頃から、知識と大人らしさを兼ね備えることを強制させられていた。
もうあまり覚えていない兄弟たちの為。
稽古を受け、そのことで守れると聞いていた。
けれど。
仕事をこなせばこなすほど、兄弟たちの顔を思い出すことも無くなって行った。
幼く、言葉も使えない兄弟。
彼らは、私に人の温もりを教えてくれた。
テオドールには温もりはなかった。
優しくもなければ、私自体には興味がなさそうだった。
けれど、必要としてくれた。
私に名を与え、仕事を与えてくれた。
投げかけた言葉の全てには答えてはくれない。
けれど、それでも私はテオドールのことを尊敬していた。
厳しく、無情で、冷血で、私自身に興味がない。
でも、私のことを見てくれた。
この頃はまだ、テオドールに憎しみなんて覚えていなかった。
もう忘れかけていた兄弟とは関係なく、自分の意思でテオドールの下にいた。
育ての親の様に、近くにはいないけど。
けど、何故だか傍にいる様に感じられる人だった。
少年・アレクシスともまるで弟の様に接して育った。
成長するにつれ、可愛げはなくなっていったが。
最近は生意気で偉そうになってしまった。
血は繋がらず、歪な関係だったけれど。
本当の家族みたいだった。
私より2,3年上のトールも、色々なことを教えてくれた。
武術の基礎は、彼に叩きこまれた。
そんなトールを兄の様に慕っていた。
まるで父の様なテオドール、兄弟の様なトールとアレクシス。
アリスとも牢越しに顔を合わせる様になった。
テオドールの様にもの凄く人間離れしていた。
人形のように美しく、機械の様に感情も温もりもない。
動かなければ、人間だとも思えなかっただろう。
使用人はアリスのことに関しては口を閉ざしていた。
1人、城に仕えていた老婆をつかまえて問いただした。
気になったことは、とことん突き詰める。
それは私の性分だった。
“あの子はこの国を守るために汚れ役を一身に背負っているんだよ”
生け贄の様だと思った。
アリス自身に自分の人生について問うた。
沈黙を続けた彼女。
けれど、私は牢の前で粘り続けた。
“…興味がない”
くだらなそうに、そう吐き捨てたアリス。
自分の人生に何の疑問も抱かず、死を受け入れていた。
私はアリスの返事を聞いて、何と答えたのだったかな。
アリスに聞けば、きっと教えてくれる。
でもきっと…
「そうか…お前は確かに優秀かもしれないけど人間として大切な何かを失っている。」
とでも言ったのかな。
きっとそれで睨みつけて、それでもきっと彼女は顔色を変えなかった気がする。
牢から出ても、彼女は変わらなかった。
変化に軽やかに順応し、どこまでも淡々と飄々と過ごしていた。
塔での会話がきっかけで、私はアリスのことが嫌いになった。
自分の対となるパートナー。
大事なものの1つもなく、ただ言われるがままに動く。
私はそんな風にはなりたくない。
日常の笑顔は、偽りの笑顔。
大切な存在であった兄弟たちのことも、もう思い出せない。
テオドールやトールも、大事とは少し違う。
このままだと、アリスの様になってしまいそうで。
大切なものも、大事なものもない、人形になってしまいそうで。
自分と言う存在が薄れてしまいそうで。
アリスに生き方を聞いてから、私は武術の訓練に励んだ。
見目をよくするために、パッと見に現れるほど体を鍛える訳にはいかない。
傷を作る訳にも行かないから、細心の注意を払った。
やがて私も成長して、夜会に出る様になった。
仕事の幅も広がった。
ドレスと化粧で自らを彩り、様々な情報収集に勤しんだ。
夜会は疲れるが、外に出るいい機会だった。
アレクシスと出ることも多かったが、監視の目は格段に減った。
パーティーで相手の気を引いている間に、トール達が忍び込むこともよくあった。
彼らと出逢ったのも、そんな時だった。
- Re: 秘密 ( No.559 )
- 日時: 2015/12/23 17:49
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
その日は。
夜会が終わり、暫くの間時間つぶしをしていた。
1人で仕事をこなす様になり、迎えを待っていた。
城はとても窮屈だから。
穏やかな風を感じたくて、近くの草原まで足を運んだのだ。
夜風が心地よく、星も綺麗だった。
城に戻れば、また訓練。
別に嫌いではないが、好きと言う訳でもない。
何年も続けてきた習慣の様なものだ。
この先ずっと続けても、得られるものは果たしてあるのだろうか。
テオドールが私を必要としてくれた。
牢に幽閉しているテオドールの娘・アリスはどうやら切り札らしい。
いつか、私もアリスの手ごまとなるのだろう。
それがテオドールの望みなら、逆らいはしない。
でも、単純な人生だ。
夜会の為、勉強もしている。
本も読むし、マナーも習うし、器用にナイフも使いこなせる。
大人になったら、私は自分の様な子どもに同じようなことをするのだろう。
訓練は辛いけど、知識が実践で役に立ったら嬉しい。
偽りの笑顔で人を騙し、情報が得られたら嬉しい。
でも、私の嬉しいことはそれしかなかった。
それ以外に、何もなかった。
「痛っ!」
何気なく歩いていると、地面から悲鳴が聞こえた。
足元に目を落とすと、何か柔らかいものを踏みつけてしまった。
尖ってはいないとはいえ、踵のある靴だ。
踏まれたら痛い。
しかも、見事に顔面を踏みつけたらしい。
相手は手で顔を覆いながら、呻いていた。
「っ…!」
「も、申し訳ない。まさかこんなところで人が眠っているとはつゆ知らず…」
傍に屈みこみ、怪我を確認しようと顔を覗き込む。
「全く…気を付けろよな、おば…さん?」
顔を抑えつけていた手をはがすと、まだ幼さの残る少年の顔が覗いた。
それが…彼、ルークだった。
ルークは光を運ぶもの。
ミーナは愛。
アイザック、彼は笑う。
彼らの名に、そんな意味が込められているとはその頃はまだ知らなかった。
でも確かに。
その名の通り、彼らは私に光と愛と笑顔を。
胸一杯になるほど、与えてくれた。
- Re: 秘密 ( No.560 )
- 日時: 2015/12/23 20:17
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
〜・115章 初めての友達と想い人・〜
顔を踏んづけた少年の元に屈んで、顔を覗き込もうとした。
思いっきり顔の真ん中を踏んだ。
目を踏んでいたら、かなりの重症だ。
「いたっ!こんなところで何をしてるの、ルーク!」
可愛らしく着飾っていた、少女。
頭にはリボンの飾りを付けた、大人しそうな少女。
着ている服は質素だけど、趣味の良さをうかがわせる服だ。
「あれっ?先客?」
「あっ…私はアイリス。」
偽名だ。
エリス、という名前は外では使わない。
自然と偽名が出て来る癖ができていた。
エリス、と言う名前が城の中だけの特別な呼び方だとも思っていた。
「私はミーナ。綺麗なドレスね。あーっ!ルーク、顔に足跡が付いてる!」
「ごめんなさいっ!私がいるの気付かなくてうっかり…!」
うっすらとだけど、足跡らしきものが窺える。
力を込めていないとはいえ、やはり人の体重は侮れない。
軽い方だとは思っていたのに。
「あ、良いの良いの!どうせその辺にねっ転がってたんでしょ?」
「ミーナ…走るの…早すぎ…!」
そこに息を切らせながら、眼鏡をかけた少年がやってきた。
前髪が少し伸びているが、異様に肌が白い。
「アイザックが遅いのよ!」
どうやらミーナと言う少女は、淑やかそうに見えて意外とハッキリと物を言う性格らしい。
歯に物着せぬ言い草で、はきはきと男子2人物おじせずに話す。
「えっと…誰…?」
「ルークがまた寝てたのよ!こんなところで!あっ…この子はアイリス。」
ブブッとポケットの中で小さく電話がなる。
バイブが2回で切れた。
撤収の合図だ。
「ごめんなさい、お父さんが呼んでて…顔、踏みつけてごめんなさい!」
この時、1回別れた。
これっきりだと思っていたのに。
割と時間を置かずに、再会した。
- Re: 秘密 ( No.561 )
- 日時: 2015/12/24 21:37
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「あれ?アイリスちゃん?」
夜会に出た後、再び同じ所で彼女に会った。
綺麗な色のワンピースを着ている少女。
「えっと…」
人の顔と名前を一致させるのは大事な仕事だ。
名前を思い出すと同時に、少女が答えを口にした。
「ミーナよ。忘れてたの?ひっどーい」
分かりやすく頬を膨らませる。
つい、可愛らしいと思ってしまう。
「忘れたわけじゃないよ。でも、良く私の名前を覚えていたね。」
一度しか顔は合わせていない。
「私、一度会った人のことは忘れないの!」
素直に驚いた。
「えっと…ルークだっけ?怪我は大丈夫だった?」
「ああ、あいつは馬鹿だからね。大したことなかったし。
あっ、今日もルークとアイザックもいるよ。すぐくるよ。」
話を交えて見ると、3人はいつも私が夜会を行っている所の近くで遊んでいるらしい。
それからも何度も会った。
3人とも両親はいないので、貧しながらも3人とも同じ家に暮らしているらしい。
彼らが来ている服も、全部お手製らしい。
3人とも…特にミーナがそもそも物を作るのが好きらしい。
それは自給自足の生活を営んでいるうちについた習慣で。
ある意味自然の流れだった。
明るい口調で、何時もと同じように話す。
きっと、本当にどうとも思っていないのだろう。
それが当たり前の所に、暮らしているのだろう。
それに同情は覚えたが、気の毒だとは思わなかった。
「…私も、昔は似たようなことが合ったよ。」
今はもう、違うけど。
両親を亡くし、盗みを覚え、そうして最後は死にかけていた。
「父さんも母さんも覚えてはいないけど。今となっては兄弟のことも覚えてないけど。」
顔も言葉も温もりも、なにも覚えてはいないけれど。
テオドールも決して温かくはないけど。
必要としてくれる。
「今の生活は…そこそこ気に入ってる。」
何度も何度も夜会の度に会うようになって。
次第に親しくなっていった。
お嬢様みたいな雰囲気なのに、天真爛漫なミーナ。
思慮深くて口数も少ないけど、場を和ませてくれるアイザック。
少し意地悪で偉そうだけど、仲間思いなルーク。
夜会はいつも決まったところで行われ、会うたび3人はいつも外の話を聞きたがった。
彼らも、私の知らない様なことをたくさん知っていて話が尽きることは無かった。
知らない遊び。
知らない食べ物。
なにより、彼らの日常があまりにも楽しそうで。
幸せそうだった。
遠出した、夕食を一緒に食べた、手作りの帽子を編みあった。
彼らからもたらされる些細な喧嘩話すら、とても心地よかった。
花冠の作り方、秘密の場所、彼らにとって大事なものを教えてくれた。
彼らの中だけに存在していた心地よい関係に私も混ぜてくれた。
良く一緒に踊ったり、歌ったり、花冠をかぶせあった。
お金がなくても、彼らの世界は心地よかった。
彼らといた時。
私が光をみられた、唯一の時間。
素で笑うことが出来た、唯一の時間。
兄弟のことも忘れ、ただ言われるがまま仕事をする。
そんな日々を忘れることが出来た。
見失いかけていた自分を思い出せそうだった。
普通の世界と接することで、初めて希望や憧れを抱いた。
人を安心させるために身につけた偽りの笑顔が、本物の笑顔に。
馬鹿なことをやったり、はしゃいだり、感じたことない気持ちばかり。
私はずっと身につけたものを人を騙したり、傷つけるために使った。
人と自然に触れ合うこと。
自然に笑顔で接してくれること。
どれもがとても尊いものだった。
一方で、恐れてもいた。
大事に想われれば想われるほど。
私の裏の顔を見られたくなかった。
彼らは私とは違う世界にいる。
私のことを知られてしまったら、もう今まで通り接することが出来なくなる。
そのくらい、幼い私でも分かっていた。
城にいる時は、毎日訓練を受けて牢にいるアリスを眺めていた。
怒りも、笑いもしない、人形の様なアリス。
機械の様に、ただ淡々と本のページをめくり続ける。
彼らとは大違い。
アリスのことを国を救うための生け贄の様に思っていたけど。
私はあんな風にはなりたくないな、と思った。
私は光を失いたくない。
今は闇の中に生きても、何時か必ず。
テオドールの元を離れて、彼らと一緒にいる日を夢見る。
この頃から、私はテオドールの歪さを感じる様になった。
夜会が行われる、と聞かれる度に嬉しくなった。
彼らに会える、と。
夜会の主催者に作り笑いで取り入り、いざという時融通がきく様に。
その夜会に出席するのは人脈を広げるのが目的だった。
夜会を定期的に行うのもそのためだった。
夜会がある。
ただそれだけで嬉しかった。
機密情報を聞き出すだけの任務だったら。
完遂させてしまったら。
もう、彼らには会えないから。
私の話は決して本当のことばかりじゃない。
嘘だって混ぜたし、私が何をしてきたか気付かれない様に笑いながら騙した。
彼らの表情に曇りはなく、馬鹿みたいに笑っていた。
まさに、今のアリスと彼らの様な関係。
まだ、アリスの生い立ちを彼らが知らなかった時みたいに。
無邪気に笑って、騙して、それでも守ろうとしていた。
- Re: 秘密 ( No.562 )
- 日時: 2015/12/31 02:03
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「エリス、最近良いことあった?」
なんの曇りもない顔で問いかけてきたのは、2,3年上の師匠のトール。
「なんですか。藪から棒に」
咄嗟のことだけど、つい癖で笑顔で隠す。
訓練の結果だ。
「いや…夜会がある度に嬉しそうだからさ。」
トールの顔から笑みは消えない。
まだ、疑っている。
「嬉しそうにしないと、主催者に取り込めないでしょう。
アニエスの為に人脈を広げる必要があるから私は尽力を尽くしてますよ、師匠。」
でも、トールが笑顔で問いかけて来るってことは。
決定的な証拠を握られていても可笑しくない。
さて、どう切り抜けるべきか。
何時も会うたびにかなり注意を払っているが…詰めが甘かったか。
「いや、別に気にしなくていいんだ。でも、気を付けろよ。
任務に支障が出るようなら、テオドールも腰をあげて動き出すからな」
「肝に銘じておきます。」
トールは北欧神話からとられた名前。
一般的にトールは雷の神と言われている。
けれどそもそものトール神とは、農耕・製造・気象・季節・天候・災害などあらゆる全てを司った『全能』の神である。
戦闘だけに秀でている様に見えて、あらゆる分野に優れている。
それからは少しだけ頻度を下げたが、やはり彼らに会いに行った。
アリスで例えると
ルークが圭、アイザックが凛、ミーナが万里花みたいな感じ。
それほどに彼らは善人で、綺麗で、憧れずにはいられない様な人達。
私の中を彼らが満たしていく。
欠けた心を埋めていく。
私は幸せでいっぱいだった。
- Re: 秘密 ( No.563 )
- 日時: 2016/05/08 17:15
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
やがて私は好意を寄せる様になった。
彼らのことを愛しく想う様になった。
彼らのことを、とても大切に想う様になった。
今からすると、まるでアリスと同じような道を歩いていた。
圭がルーク。
凛がアイザック。
万里花がミーナとするならば。
私はアリスと1つだけ違う所が合った。
私が好きになったのは、圭では無く凛だったのだ。
物静かで、知らない人とはハキハキと喋ることなんてできない。
でも、さりげない優しさ。
少し不器用なところも、大好きになっていた。
綺麗な顔立ちで、何にもとらわれない様にどこか自由で。
黒い髪も相まって、猫みたい。
どうしようもなく、惹かれて恋をしていた。
私には仕事用の携帯しか持たされていなかったし、城で手紙のやりとりをする訳にも行かなかった。
だから、彼らとは廃屋のポストに手紙をいれてやりとりをしていた。
この頃のアニエスは今よりまだ少し領土が広くて、夜会の会場もアニエスの領土だった。
今みたいに周りが崖で囲われるような狭い所にアニエスの領地を定めたのは。
他国からの侵入を阻むため、テオドールが狭めたもの。
彼らがいなくなってから、私は孤児を養う施設を作る為に。
尽力し続けた。
話を戻そう。
私は偶に寝る前や訓練の休憩時間に会いに行きたかった。
リスクが高いことも分かっていた。
だから、いつも寝る前に彼らの顔を思い浮かべて必死に眠りについた。
会えない時間が長引くほど、恋しさは増していった。
異性を好きになるなんて、初めてだった。
好きになればなるほど、私は自分のことを隠した。
嘘をつくのも次第に苦しくなった。
いっそ、今の立場のなにもかも無くなってしまえばいいのに。
アニエスと言う存在全てが消えてしまえばいいのに。
そう、思いもした。
でも、辛うじて今の私を作っているのはアニエスの環境だ。
作り笑いも、衣食住も、兄弟も。
全てアニエスにいたから得られたものだ。
私が今生きていけるのは、全てテオドールに与えられた技術。
トールが咲かせてくれた才能だ。
アニエスを失った場合、私には何も残らない。
お金もないし、生きていくすべもない。
テオドールはきっとその辺りも心得ていたのだろう。
彼らなら、きっと話したら受け入れてくれる。
そんなこと分かっている。
でも、以前と同じようには接してはくれない。
些細な言動の端々から、彼らの気遣いや優しさを感じ取ってしまう。
テオドールが伸ばした私の才能。
人の気持ちが分かってしまうことは、残酷なことだ。
偽ることすら、出来ない。
感じたくないこと、気付きたくないこと。
全てを一身に浴びてしまう。
だから、知られたくない。
嘘をついて、重ねて、暴かれないか怯えながら。
彼に恋をしていた。
- Re: 秘密 ( No.564 )
- 日時: 2016/01/11 23:07
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
〜・116章 彼らがくれた日・〜
当時、私の気持ちを知っていたのはミーナ一人。
彼女は私がアイザックに抱いていた想いに気付いた。
そしてその答えを教えてくれた。
それから、私が緊張しながらアイザックと話す時。
ミーナはずっと微笑みながら眺めていた。
ミーナは何時も全身を使って、感情を周りに示していた。
楽しい時も、怒っている時も、悔しい時も、愛しい時も。
余すところなくそれを表現していた。
そして自分にも他人にも嘘をつくのが嫌いだった。
ミーナと会ったばかりの時。
私はよくミーナがルークに求愛しているのを見かけた。
初めは冗談かと思った。
4人でいる時も、何の躊躇いもなく飛びかかったり抱きついていた。
けれど、そのことについて話題に触れた時。
ミーナは頬を赤らめ、俯いた。
本当に慕っていた。
ルークもミーナのことを悪しからず想っているようで。
何時も二人のやりとりを微笑ましく思っていた。
ルークは優しくて、想ったこと感じたことは4人の間では包み隠さず話した。
変なところで気を使ったり、誰かを庇って矢面に立ったり。
軽薄そうに見えて、真摯だし。
きっと、私の気持ちにも気付いていて黙っていたのだろう。
変なところで気を使う。
アイザックは猫みたいで、気持ちを隠すことが苦手な人だった。
分かりやすくて、嘘をついていないことが一目瞭然。
そんな彼と一緒にいる時は、とてつもない安心感があった。
人と話すのが苦手で、でも彼らと一緒にいる時は大声を張り上げたりする。
私と話してくれるのは、彼らといるからなのだろう。
そう思うと、少し辛くもあった。
でも、どの道私の立場では隠し通すのが精一杯。
話すことも、伝えることも、彼らを傷つける。
週に一度、テオドールが城を空ける日は。
何度でも会いに行った。
会えない日は彼らのことを想った。
寝る前には彼らの顔を想い浮かべた。
カメラなんてものはないから、写真の一枚も持っていない。
けれど、お互いが描いた似顔絵がある。
特にルークは絵がとても上手で、色を付ければ動き出してしまいそうなほど上手に描けている。
その絵も、今もクッキーの箱にしまってある。
彼らの絵は、それだけだから。
夜会に出る時のドレスを着ていても、彼らは私と対等に接してくれる。
たまに、夜会の御馳走をちょっぴり持ち出して一緒に食べたりもした。
大好き。
そんな言葉で身体中埋め尽くされた。
彼らと出会う前には、想像もつかないほど。
私は満たされている。
そう、実感している。
彼らは決して裕福な家庭ではない。
飢えに苦しむこともある。
身分も何もかもが釣り合わない。
釣り合っていないのは…私だ。
彼らはなんでも些細なことは包み隠さずにぶつけ合っていた。
本当の家族の様に接していた。
喧嘩もするし、一緒にはしゃぎもするし、泣いているとそっと慰めてくれる相手がいる。
私はもう、何年も泣いてない。
テオドールに仕え始めた時は、兄弟のことを思い出した。
トールもアレクシスも、家族みたいだった。
でも、本音もぶつけられない。
喧嘩もしない。
家族と言うよりかは仕事仲間に近い。
ミーナやルーク、アイザックと一緒にいる時はそういうのとは違う。
温かい気持ちで満たされる。
- Re: 秘密 ( No.565 )
- 日時: 2016/01/11 23:08
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
彼らと過ごした日々を、少しでも忘れない様に毎日日記に記すようになった。
私にはアリスの様な能力はないから。
そういう所は、アリスが羨ましい。
愛しい、大好きな人との思い出を一瞬たりとも忘れることない。
そういう使い方も、出来る。
私にはそんな頭はないから。
だから、大人になっても忘れない様に。
ずーっとずーっと覚えていられる様に。
少しでも記録に残しておきたい。
会った日は、手が痛くなるくらい日記に書いた。
開かなくても、その日のことを鮮明に思いだせるように。
- Re: 秘密 ( No.566 )
- 日時: 2016/01/11 23:09
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
私がアイザックからもたらされた物は、沢山ある。
愛しい気持ちも、恥ずかしくなったりした思い出も。
アイザックの隣が、一番心地よく安心出来た。
心地いい空間。
温かい気持ち。
食事しながら挟む会話の楽しさ。
忘れたくない。
ずっと一緒にいられることが、叶うのなら。
それ以上に願うことはなかった。
でも、思い出以外に彼らからもたらされた物は今となってはあまりない。
形となるものはあまり残ってはいない。
でも、それ以上に価値あるものを貰っているから。
けれど彼らから貰ったもので。
今でもずっと、身につけている物がある。
それぞれから貰ったもの。
誕生日のお祝いだった。
どんな高級なプレゼントよりも、価値がある贈り物。
「じゃーん!」
何時も通り、テオドールがいない日。
私は城を抜け出した。
テオドールがいない日はトールもいない。
だから、とても身軽になれるのだ。
何時もの場所に向かったら、途端に目の前が真っ暗になった。
匂いからして、袋の様なものをかぶせられているのが分かる。
「えっ、ちょっ…」
突然視界を奪われると、急に足元がぐらぐらしているような錯覚に襲われる。
慣れている場所なのに途端に戸惑う。
「良いから良いから!」
うわっ、と足を滑らせて尻餅をついた。
腰に鈍い痛みが走る。
「あ〜、もう服汚れちゃうよ!」
突然視界が晴れると、鮮やかな夕焼けと彼らの笑顔が目に飛び込んできた。
「「じゃーん、「「「お誕生日おめでとう!」」」
吃驚して…
呆気をとられている私の頭に素早く何かをかぶせた。
「3人で作った花冠!やっぱりすっごい似合ってる!」
誕生日を祝われるなんて、初めてで。
そもそも誕生日がなかった。
でも、彼らはそんなことが当たり前の様に受け入れてくれた。
「出逢って1周年記念!!だから、今日をアイリスの誕生日にしよ!」
もう、1年も経ったんだ。
私はまだ、自分の本名すら告げていない。
でも、そんな私でも彼らは…
つーっ、と頬を温かい何かが流れた。
目が熱くなって、胸がいっぱいになった。
「わわっ…!」
「嫌だった…?ごめんね、アイリス!」
「…違う」
これが、涙と言うもの。
「…夕日が…眩しくて…っ!」
両手を使って、拭う。
こう言う時、どうすればいいのか分からない。
…嬉しい。
嬉しい。
嬉しい!
嬉しい!!
こんな日がずっと…続けばいいのに…!
「アイリス」
アイザックの声が、耳元で聞こえる。
手をそっと掴んで、引き寄せられた。
アイザックの、手の温もり。
熱が私にも感染しているみたい。
私の手も、どんどん温かく…熱くなっていく。
「出逢ってくれて、ありがとう」
彼らは、家族の様に暮らしていた。
それに、私を混ぜてくれた。
彼らの中にある尊いつながりに私を加えてくれた。
嬉しくて、堪らない。
恥ずかしいとかそういうのも含めて、とっても愛おしい。
「妙に派手な服より、そっちの方がずっと良いよ。」
綺麗な青。
海の欠片みたいに綺麗な石。
宝石みたい。
少し青みがかって見えるアイザックの瞳みたい。
腕にブレスレットが光っていた。
「アイリスの目と、おんなじ色」
悪戯っ子の様に、笑う。
何時もはおどおどしているのに、そういう顔も出来る。
内弁慶で…見知った相手としか会話を交わさない。
誰かが傷ついても、何もできない。
だからこそ、必死に傍にいようとしていた。
それで不慣れなことをしたり、頑張ったりするような奴。
そういうアイザックを見つめてきた。
そんなアイザックだからこそ。
私は…彼のことを…
好き。
大好き。
- Re: 秘密 ( No.567 )
- 日時: 2016/01/11 23:09
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
それから、私は彼らに貰ったものをお気に入りのクッキーの箱に仕舞いこんだ。
箱はいつも自分の部屋に置いて、寝る前は必ず眺めていた。
彼らからもたらされた物は全てそこに仕舞うことにしていた。
貝殻で作ったネックレス、四つ葉のクローバーなど花の栞、そして蒼い宝石みたいなブレスレット。
とても、綺麗で温かい。
手作りで、想いをこめて作られていることが分かる。
どれも手間暇かかるものばかり。
とても凝っている。
彼らからのプレゼントを包み込むように、花冠もしまっている。
少しでも、長持ちさせようと水やりも頑張った。
でも。
少しずつだけど、衰弱していっている。
萎れていっている。
まるで、これからの彼らの関係を暗示させるように。
- Re: 秘密 ( No.568 )
- 日時: 2016/01/16 17:06
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
〜・117章 花贈りの日・〜
季節は巡り、春が近づいてくる。
アニエスにはバレンタインに似た行事がある。
求愛をする日で、チョコレートの代わりに花を贈る。
バレンタインほど派手ではないけど、ささやかに祝われる感じが好きだ。
…否、好きになった。
彼らと出逢うまでは、こんな地味な日は気にも留めたことがなかった。
『花贈りの日』
素敵な名前。
だから花贈りの日が近づくと男女共にそわそわしだす。
色々な花を探し出し、それを見つけようと躍起になる。
私は外で色々な仕事をする関係で、色んな花や種を手に入れることが出来る。
そうして、彼らの背中を押した。
彼らから頼まれた花の種を城中から集め、種を渡した。
私に出来るせめてものこと。
今まで花になど興味はなかった。
けれど一から自分で育てるのも、感慨深いものがある。
花贈りの日は慕っている異性以外にも、親しい友にも家族にも贈れる。
そういうオールマイティーな日なのだ。
「ルーク」
そして、やってきた花贈りの日。
ずっとずっと待ち遠しく、この日の為に準備してきた。
「これ、あげる」
花には花言葉がある。
それはとても曖昧で、幸福と復讐など真逆な意味を兼ね備えていることもある。
けれど、とても美しい。
その日のミーナの服装は、真っ白なワンピース。
頭には何時ものリボンと共に、ひまわりの花が飾られていた。
残念ながら、季節的に押し花だ。
けれどそれでも彼女の可憐さは薄れない。
ひまわりの花言葉は…『あなたしか見えない』
ミーナらしい、明るく美しい、情熱的な花だ。
手にはパンジーが握られていて、顔は真っ赤に茹っていた。
パンジーの花言葉は…『私を想ってください』
ミーナらしい大胆さと、女の子らしさが覗く告白だった。
この場にはルークの他にも私やアイザックもいるのに。
顔を真っ赤にさせながらも、不敵に笑っている。
ルークもつられた様に顔を赤く染めている。
突然のことで驚いているのかもしれない。
ミーナの分かりやすいほどの求愛に気付いていないわけがない。
けれど、もしかして私とアイザックがいる場で渡されるとは思わなかったのだろう。
何時もは饒舌で、冗談を言ってばかりのルークが照れ隠しの様に落ち着きがなくなった。
「その…ありがとう…」
ルークは何時も笑ってばかりで、軽薄にも見えがちだけど違う。
面倒見はいいし、冗談で場を和ませてくれる。
真面目で、行動力は折り紙つき。
でも、腹を決めると何処までも真っすぐ。
ミーナの気持ち、なんとなくだけど分かる。
ルークも、ミーナも、アイザックも。
好きにならずにはいられない様な奴らだった。
「俺も…お前に渡すものが…ある」
ルークが差し出したの、定番中の定番かもしれない。
でも、ミーナにとっては何にも変わらない大事な宝物になるだろう。
真っ赤な薔薇が一輪。
薔薇は色や本数に寄って意味が変わる。
花言葉には疎いルークが、必死に私に教えを乞うていた。
だから薄々ルークの気持ちにも気付いていた。
「…幸せに、なれよ」
隣をちらりと見やると、いつの間にかアイザックが顔を真っ赤にしている。
…アイザックらしい。
「好き…ってこと…?」
「違うだろ。」
照れくさそうに、花を渡すと人差指で頬を掻く。
「俺にはお前しかいないってこと。」
赤い薔薇一輪の意味は『一目惚れ』と『私にはあなたしかいない』
花贈りの日に備えて、ずっとミーナとルークの両方に相談を持ちかけられていた。
だから、二人の気持ちにも気付いていた。
アイザックにも花を育ててもらうことで手伝ってもらったし、二人のことも知っている筈。
けれどこうも顔を真っ赤にさせている所から、まさかここまでとは思わなかったのだろう。
…それは私もだけれど。
二人の告白はそれだけ初々しく、熱く、大胆で、彼らの想いが伝わってくる。
互いを、本気で想い合っている。
熱が空気を通じて、私達にも伝わってきているようだった。
見ているこっちの方が恥ずかしくなる。
「おめでとう、二人とも。」
こうなることは分かっていた。
だから、二人に渡す花も決めていた。
「アイザックと私からの選別。」
デンファレ。
花言葉は『お似合いの二人』
本当に、良かった。
- Re: 秘密 ( No.569 )
- 日時: 2016/01/18 16:56
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「じゃあ、邪魔者は退散するね。ほとぼりが冷めたら来てね」
ここでアイザックと一緒に二人から離れることも決めていた。
ミーナの顔は幸せでいっぱいで、輝いていた。
私もアイザックに渡したい花がある。
想いを告げることを、諦めている。
でも、今日だけは。
…ミーナの大胆さが移ったのかな。
なんだか、今なら何でもできそう。
そっと、背中から彼に渡そうと思っていた花を出そうとした。
「アイリス」
何時も四人の時は物おじせず、なんでもずばずば言う性格のアイザック。
でも、今はさっきの影響を引き摺っているのかまだ顔が火照っている。
「…これ、同じ名前の花…見つけたから…」
アイザックの手には、綺麗なアクセサリーが輝いていた。
透明な…なんだろう?
雫の形をしたおはじきみたいな、ビー玉みたいな物体の中に。
その中に花が閉じ込められている。
フックが付いていて、色々なものにひっかけられるらしい。
「これ…なに?」
「…樹脂だって。型に押し花をいれて樹脂で固めた。」
「それって…」
お金が掛かるはず。
樹脂も型もそうそう手に入らない。
手間も少なくともネックレスや押し花の栞とは比にならない。
「簡単だよ。道具さえあれば誰でもできる。」
「でも、道具って…!」
彼らは貧しく、蓄えもさほどある訳じゃない。
食事には困らないと言っても、無駄遣いできるほどの余裕はない。
アイリスの花をアイザックに頼まれてはいない。
だから、これはアイザック自身で調達したものだ。
こんな立派な花。
そこらに生えているとも思えない。
「別に、値切ってもらったし…楽しかったから…気にしないで」
顔が、真っ赤だ。
でも…残念なことに、アイリスの花言葉は知らない。
「…ありがとう」
そこまで有名な花ではないから。
自分の偽名に、思い入れなんてなかったから。
花言葉も、聞きかじっただけの知識だ。
でも…彼らといる時はアイリスで良かったと思える。
争いと不和の女神の名前で何か、呼ばれたくない。
「私も渡したいものがあるんだ。」
そっと、さっき背中に隠した花を差し出す。
「その樹脂の奴。今度、私にも作らせて。」
ブルー・スター。
5枚の花びらが青い星のように見えることにちなんでいる。
夏の花だけど、城で適温で育てられるために今でも手に入る。
花言葉は『信じあう心』
…そして、『幸福な愛』
- Re: 秘密 ( No.570 )
- 日時: 2016/01/21 19:57
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
アイリスと言う名前はとても綺麗。
アイザックから貰った飾りは透明で、綺麗。
シンプルだけど、温かいもので胸が満たされる。
花言葉、調べておけばよかった。
「あのさ…アイリスの…花言葉って知ってる…?」
黒い髪も相まって、アイザックは黒猫みたい。
気ままで、めんどくさがりやで、彼らの為なら矢面にだって立つ。
なにより、自分の悪い所を自分の口で言える所が凄い。
「アイザックこそ…私があげた花の名前分かるの?」
「…知らない」
素直な人。
嘘をつかないし、なんでもきっぱり言う。
勿論、何時ものメンバーの前でだけだけど。
知らない人とはあまり話さない。
内弁慶で、だからこそ彼らのことを心から大事に想っている。
アイザックはこちらに顔を向けると、何時もの様に笑った。
やっぱり、アイザックの笑顔は安心する。
纏う空気も。
意外に大きい手も。
温もりも。
隣にいる気配だけでも。
とても。
とても、とても。
愛おしい。
「私は…」
あ、れ…?
私…一体…なにを…言おうとして…
想いは伝えない。
そう、決めていたのに。
伝えても、何にもならないから。
伝えても、彼らを苦しめるだけだって。
分かっているのに。
ミーナの告白を見たせいだろうか。
ルークの変化を見たからだろうか。
アイザックの…穏やかな笑顔を見たからだろうか。
「私は…ずっと…」
…止めろ
止めろ
止めろっ!
言うな、言うな、言うな、言うな!!
言ったら、戻れなくなる。
今の関係に。
この心地いい関係のままではいられなくなる。
それなのに、口は私の意思を裏切って勝手に動く。
伝えたくて、堪らないと言わんばかりに。
けれど。
絶対に、アイザックに教えてはいけない。
私が彼の傍に…ずっと居るために…っ!
「アイザックのことが————」
- Re: 秘密 ( No.571 )
- 日時: 2016/01/26 21:54
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「はい、そこまで」
突然割り込んできた聞き慣れた声に。
私の顔から瞬時に熱が消え去った様な錯覚を起こす。
声のした方角には、金色の長い髪。
黒い服と金色のコントラストがよく映える少女の様な顔立ち。
「…トー、ル」
トールは何の遠慮も無しにズカズカと近づいてきた。
「お楽しみを邪魔してごめんね。色々許容してきたけど…もうこれ以上はダメってさ。」
トールの視線が、私の隣のアイザックに向けられる。
「やめてっ!!」
知られた
知られたっ!
絶対に気付かれない様に、ずっと細心の注意を払っていたのに。
大事だからこそ、恋しい夜も枕を抱えて耐えたのにっ!
一緒に歌ったり、踊ったり、花を贈り合ったこの日が。
途絶えてしまう。
「なんでも言うことを聞く!だから、手を出さないで!!傷つけないで!!」
彼らの傍には、もういられない。
でも、それよりもずっと。
彼らに危害を加えられる方がずっとずっと怖い。
「何言ってんの?」
冗談を言うみたいに。
何時ものように無邪気に笑って。
大袈裟に肩をすくめた。
「傷つけたり、傷つけられるのは当たり前だろ?」
それからは、地獄だった。
パチンッと鳴らしたトールの指。
訝しげにアイリス、と問いかけるアイザックの声。
取り押さえる大柄な男たち。
私の悲鳴。
遠いところで聞こえた、ミーナの声。
ルークの怒声。
頬をボロボロと伝う、涙。
彼らに向かって痛いくらい伸ばした、私の手。
そして、遠くに小さく見えるテオドールの姿。
それが、あの時私が見た全て。
- Re: 秘密 ( No.572 )
- 日時: 2016/02/05 19:25
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
〜・118章 彼らの未来に光があれば・〜
「お願いです!これからどんな仕事でもする!逆らったりしないし、抜け出したりもしない!
だから、あいつらだけは!あいつ等は何も悪くない!私が…勝手に…」
勝手に憧れて。
勝手に慕って。
勝手に傍にいて。
勝手に恋をしただけ。
奪われて初めて。
彼らが与えてくれたものがどれほど大きかったか分かった。
想像していたよりもずっと大きくて。
失った途端に心臓をえぐられたみたいに痛む。
これが悲しみと言うものなの?
「お願いします!もう会わない!もう夢は見ない!だから…!!」
城に戻ってから、テオドールの前で叫び続けた。
言うことを聞く、逆らわない、一生アニエスの為に尽力する
沢山のことを叫んだ。
彼らが救われるなら、なんだってした。
でも、聞く耳を持たれなかった。
私は直ぐに自室に連れていかれ、待機を命じられた。
世界が目の前で崩れたみたい。
部屋に鍵を掛けられても、私は必死に叫んだ。
届かなくても。
そうでもしなければ、痛みに挫けてしまいそうだった。
「ミーナ…ルーク…アイザック…」
愛しい彼らの名前も何度も呼んだ。
もう会えない。
そう思い知らされる度に、また深く抉るような悲しみが襲ってきた。
無邪気に人を騙し、傷つけていた時には知らなかった痛み。
心臓が潰れたみたいな痛み。
人の体とは不思議なもので。
あれだけ泣いて叫んで、悲しくても。
時間がたてば空腹を知らせる腹の音が鳴り。
疲労で意識が朦朧とする。
けれど、意識が途絶えたらもう彼らに会えない気がして。
そう思うと、胸が痛くて。
眠ることすらままならなかった。
- Re: 秘密 ( No.573 )
- 日時: 2016/02/09 14:47
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
暫く立つと、徐々に靄が晴れる様に気持ちが落ち着いてきた。
もう、会えない。
それで、もう良いじゃないか。
どの道私は…
ここから離れられないんだから。
元々彼らとは世界が違った。
現状で、彼らに危害を加えられることはないだろう。
もし、かすり傷でも負わせてたなら。
テオドールを裏切る要因になりかねない。
私はまだまだ技術を身につけてなどいないけれど。
兄弟はもう私の足枷としては機能するかどうか分からない。
それくらい分かっているだろう。
ずっとドアにもたれかかりながら、涙を流しながら彼らの名前を呼んだ。
時間がたち涙を拭うと、お気に入りのクッキーの箱を出した。
日記と、彼らから贈られたものを仕舞っていた。
花、貝殻、栞、ブレスレット、小さな日記帳。
今にしてはもう、懐かしい日々。
今日貰ったアクセサリーも箱に仕舞う。
それを包み込むように仕舞われていた花冠を手に取る。
そっと触れただけなのに、くしゃっという変な音がした。
私の心臓ごと握りつぶされた様な音。
バラバラと花弁が床に落ち、残りの命が短いことを示していた。
「あっ…あ…」
枯れないで。
まだ生きて。
彼らが死んでしまったら、私の心にもう二度と光は灯らない。
だから。
唯一私が光を見られたあの時を。
彼らが見せてくれた光が薄れない様に、何度も思い返して。
思い出で、一秒でも長く光をともせるように。
ずっとずっと、覚えているから。
だから、彼らの命が消えたら。
光源が絶たれてしまったら。
私の世界は真っ暗になってしまう。
想いを遂げられなくても良い。
もう言葉を交わすことが出来なくても良い。
二度と会えなくても良い。
彼らの未来に。
光さえあれば。
それで私は生きていく。
- Re: 秘密 ( No.574 )
- 日時: 2016/10/14 23:37
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
のんびりしている暇はない。
この部屋の近くの足の運びは分かっている。
この頃は鍵の開け方をまだ教わってはいない。
けれど、何度も見たことがある。
部屋にある針金を二本手に持って、鍵を弄る。
簡単には開かないだろう。
それでもやめる訳にはいかない。
ガチャッ
何度も何度も試しながらも、暫くするとやっと開いた。
アイザックに貰ったアクセサリーを胸元のリボンにひっかける。
最後だから、記念にね。
何時もなら、地下牢に連れていかれているはず。
忍び込むように地下牢に向かい、様子をうかがう。
今こうしている間にも、私はテオドールに逆らっている。
これでこそアリスと真逆なのじゃないか。
私はアリスを嫌った。
アリスの様にはなりたくないと思った。
でも、私がアリスを嫌った理由は不条理を涼しい顔で受け止めていたから。
自身の命を尊く想うことさえなかったから。
大事なものの1つもなく、ただ言われるがままに動く。
そんなアリスになるのが嫌いで。
けれど。
やっと私にも大事なものが出来た。
テオドールの言うことに逆らった。
これこそ、私がなりたかったものじゃないのか。
大事なものを作り、それを自分の意思で守りたい。
そういう人に私はずっとなりたかったんだ。
「アイザック…!」
幸い牢の周りには人がいなかった。
もう真夜中だし、人が少ないので何時までも見張りを付ける訳にも行かない。
「アイリス…?」
「ミーナとルークもいるね。」
知られてしまった。
少し接しづらさがないといえば嘘になる。
けれど…今は彼らの命に掛かっている。
「アイリス!」
しーっ、と人差指を口元に寄せる。
「気付かれちゃうよ。」
牢の鍵も、先程と同じ要領で開ける。
割と簡単な鍵だ。
もう少し厳重な牢もあるのだが…
それほど取るに足らないと思われていたのだろうか。
「巻き込んで、ごめんね。大丈夫、ちゃんと帰すから。」
手錠も簡易的なものっぽい。
これなら多分、外せる。
「文句なら、後でいくらでも聞くから。今は黙って助けさせて。」
なにか言いたげな彼らの言葉を封じる様に、先手を打っておく。
静かにしておくに越したことはない。
「…ごめんね、ミーナ」
ルークとやっと幸せになれたと思ったのに。
こんなことに巻き込んでしまって。
「…ごめんね、ルーク」
やっと素直になれて、ミーナの想いを受け入れられた。
あの告白は、私に勇気をくれた。
「きっと、二人の未来は輝いているよ。」
彼らの未来が。
幸せで満ちている様に。
何時でも傍にいて、支え合って、想い合って…幸せになる。
「…ごめんね、アイザック」
こうやってアイザックに触れられるのも、後本当に少し何だ。
もう沢山の気持ちや温もりを貰った。
温かい光を見つけた。
「悪い夢だよ。直ぐ覚める。」
今、ここで起きていることは全て夢。
外の世界で、彼らは生きていくべきだ。
- Re: 秘密 ( No.575 )
- 日時: 2016/10/14 23:38
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
気付かれない様に、急いで外にでた。
何時もと同じ、草原までくるとやっと息をほっと吐いた。
「もう、ここに来ちゃダメだよ。走ったら振り向かずにまっすぐ帰って。」
これでもう、彼らは幸せになる。
「…もう、会えない?」
私がただのご令嬢じゃないことは、きっと彼らにも分かっていただろう。
それでも、それを問い詰めることもなく。
もう会えないことを心配している。
彼ららしかった。
「今を幸せだとは思わない。きっと、思っちゃいけないんだ。」
銃やナイフを使いこなし、夜会で人の顔色をうかがう。
時に人を傷つけては、傷つけられ。
常に死ぬ覚悟を決める今を、幸せになんてきっと一生思えない。
それを幸せ、なんて思うのはきっと彼らへの侮辱だ。
「でも、私はこれで満足だよ。」
- Re: 秘密 ( No.576 )
- 日時: 2016/02/20 17:09
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
〜・119章 一生分の幸せ・〜
「でも、私はこれで満足だよ。」
彼らと出逢えた。
それだけで、暗く淀んだ私の世界が。
鮮やかに彩られた。
彼らといる間だけは、本当に素で笑うことが出来た。
その経験は、きっとこの先も私を強くしてくれる。
「これ…持ってけよ」
ルークがその辺りで咲いていた花を摘んで差し出してくれた。
百合?
白くて、気高くて、清らかで、綺麗。
「…ありがとう」
こんなところに、咲いているのに。
ちゃんと成長し、花を咲かせた。
とても、強く生きている。
「やっぱりルークはカッコいいね。」
ミーナが好きになるだけある。
義理堅く、強くて、優しくて、温かい。
ルーク。
光を運ぶもの。
本当に、ルークは強烈なくらい輝いている光を私に運んで来てくれた。
あの時、ルークの顔をふんづけた時から。
彼らとの縁が結ばれた。
「…これ、あげる。」
どんな時もミーナの髪を彩っていたリボンを、外す。
「昔、ルークに貰ったの。私はもう幸せだから、アイリスにあげる。」
私は知ってる。
ミーナにとって、これがどれだけ大事なものか。
ミーナが幼い頃からずっと付けていて。
ルークを想っている証。
きゅっ、とルークが渡してくれた百合にリボンを結び付ける。
鮮やかな赤色が、良く映えていた。
「少しでも悪いって思うなら、ちゃんと帰しに来なさいよ」
最後まで、鮮やかに笑う。
良く笑って、ただひたすらにルークを想い続けた。
ルークと一緒に色々なところを連れ回してくれた。
さらっと気遣いやで、どこまでも真っすぐで。
相談にも乗ってくれたし、不安な時は肩を叩いてくれた。
そんな何処までも一途で、好きと伝えられるミーナを羨ましく思っていた。
「ミーナはやっぱり強いね。お幸せに。」
ミーナ。
愛。
彼女は誰よりも人を愛し、慈しむことが出来た。
私にもその感情を分けてくれた。
彼らを愛おしいと想う気持ちを与えてくれた。
「巻き込んでごめんね…アイザック」
アイザックを愛しく想う気持ちは、まだ私の中にある。
- Re: 秘密 ( No.577 )
- 日時: 2016/02/24 00:07
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「アイザックからは、もう大事なものを貰ったね」
私の胸元で、いまだにアイリスのアクセサリーが揺れている。
腕には誕生日に貰ったブレスレットが。
アイザックはいまだに俯いている。
そんな顔をしないで。
「巻き込んで…、ごめんね」
もう会えない。
それはやっぱり寂しい。
離れたくない。
そういう想いが、まだ私の中にある。
それは否定できない。
「…それ、二回目」
きっと、彼らがいなくなった後。
また泣いてしまうのだろう。
だから、今は精一杯笑う。
心の底から。
「君達と会った日は、毎日とても楽しかったよ。」
ありがとう、と小さくお礼を言う。
想いは伝えない。
伝えられない。
彼の仕草や笑顔、行動にいちいち目がいって。
「手を振って別れる時は、何時も次に会う時のことを考えていた。」
花や星を見ると、アイザックのことを思い出した。
城にいる時でも、アイザックのことを想うと景色全てが優しく映った。
「誕生日もくれた」
誕生日が分からない私に。
彼らと出逢った日を誕生日として授けてくれた。
「…ずっと、傍にいたかった」
大好きだった。
会える日は嬉しくて、贈り物されたら飛び上がりそうだった。
触れられる度に体温は上がった。
愛しい気持ちに戸惑いながらも、楽しかった。
「とても、楽しかった。」
少し私より身長が高いアイザックを見上げる。
人見知りで、臆病なのに。
四人でいる時は、ものをはっきり喋って。
自分の力の無さを理解し、恥じ、強くなろうとしていた。
誰かが傷ついていると、何もできないことに苦しみながら傍にいた。
だからこそ、必死に傍にいようとしていた。
それで不慣れなことをしたり、頑張ったりするような奴。
そんな不器用で、強くて、温かいアイザックのことが。
大好きだった。
「傍にいられて、幸せだったよ」
今ならハッキリ明言できる。
これが幸せだと。
私が出来る、最高の笑顔で。
アイザックの顔を見上げる。
「傍で幸せをくれて、ありがとう」
ブルー・スターの花言葉は。
『幸福な愛』
- Re: 秘密 ( No.578 )
- 日時: 2016/06/13 23:25
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
最後の最後に、言葉を交わすことが出来て良かった。
彼らの前では、最後までアイリスでいたい。
出来ることなら。
アイザックの穏やかで静かな笑顔を。
最後にもう一度見たかった。
それが例えこんな状況になろうとも。
何時追手が来るかも分からない、今みたいな状態でも。
彼らに最後の別れを告げたかった。
…きっともう、会えないから。
感謝の気持ちを、伝えたかった。
伝えきれるものでは到底ないけれど、それでも。
「傍で幸せをくれて、ありがとう」
精一杯の想いをこめて伝えられた。
途端にアイザックに抱き寄せられ、温かい唇を重ねていた。
突然のことで、とても驚いた。
涙を流したのは、私なのか彼なのか。
少ししょっぱい味がした。
けれど、同時に胸の中から温かな気持ちが芽生えた。
芽生えた気持は、瞬く間に胸を満たしてくれた。
幸せだ。
そんな気持ちが、言葉が、すとんと胸の中に落ちていった。
元あるべきところに戻った様に、綺麗に嵌まった。
私の欠けていたものを、彼らが埋めてくれた。
その実感があった。
私は、彼らが大好きだ。
彼らには抱えきれないほどの幸せを受け取った。
今、私の胸はとても穏やかだ。
先程までの焦りも、不安も、恐怖も、どこかにいってしまった。
この胸を満たす、思い出と、幸福感と、好きと言う気持ちが。
今は私を温めてくれる。
このキスが、アイザックのどんな気持ちから派生したものか分からない。
好意だったかもしれないし、同情かもしれない。
けれど。
大事な思い出、大事な気持ち、最後にはキスまでしてくれた。
何度も会うことが出来たし、何度も横顔を見つめることが出来た。
私はなんて恵まれているのだろう。
アニエスにいる、誰だって。
こんな幸せな想いはしたことないだろう。
唇を離した後、暫く見つめあった。
アイザックの頬は赤く染まっていて。
きっと、私の頬も赤かった。
「またね」
アイザックは、最後に笑った。
私が大好きな、何時もの笑顔で。
「またね」
私はこの時、確かに一生分の幸せを貰ったんだ。
- Re: 秘密 ( No.579 )
- 日時: 2016/02/29 23:45
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
リボンで束ねられた百合を抱え、唇の感触と笑顔を反芻する。
彼らとは真逆の、来た道を引き返す。
これで、もう心配はいらない。
私は大人しく城に戻り、もう彼らに会わない。
それでいい。
抱えきれないほどの幸せを貰った。
彼らがくれた贈り物が、これから先も私を励ましてくれる。
私が“アイリス”であったことを証明し続けてくれる。
幸福な時間があったことを、思い出させてくれる。
だから、もう良い。
今までの日のこと。
私が忘れない限り、何時までも美しいまま心にとどめておける。
彼らには彼らの人生を歩んでほしい。
彼らはもう、自由だ。
そんなことを少しでも思ったのが、間違いだった。
- Re: 秘密 ( No.580 )
- 日時: 2016/03/09 20:17
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
〜・120章 一生分の哀しみ・〜
パンッパンッパンッ
突然発せられた三発の銃声。
遠くで、彼らが倒れるのが見えた。
拳銃を構えているテオドール。
悲鳴すら、聞こえなかった。
ただ人が倒れる音と、銃声だけが私の耳に届いた。
彼らが贈ってくれた花。
私が抱えていた百合が、ぼとりと足元に落ちる。
白いダイヤモンドリリーの花言葉は。
『また会える日を、楽しみに。』
- Re: 秘密 ( No.581 )
- 日時: 2016/03/16 18:33
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「…で、今に至る。」
足を組み、膝の上で頬杖をつきながら懐かしそうに話をした。
表情には愛しさがにじんでいて、彼らが本当に大切な存在だったことがうかがえる。
「今でもよく思うんだ。彼らと出逢わなければ…とは思えない。
でも、私の立場や身の上を話しておけばよかったって偶に思うんだ。」
はあ、と小さく溜め息をつく。
「結局、私は彼らを心の底からは信じられなかった。
いなくなってしまうんじゃないかって…怯えてばかりいた。」
エリスは遠く、宙を眺めながら呟く様に告げた。
その目は虚ろで、蒼い瞳がただのガラス玉の様に見えた。
「でもどこかで…離れていかないことが分かっていたから、怖かった。」
どんなことを知っても。
離れていかない。
そういう相手。
エリスが出逢ったのは、そういう相手だったんだね。
「…意外だった。」
「何が?話したこと?」
からかう様に、こちらを見てきた。
見ている、筈なのに。
やっぱりエリスの目は私を通り過ごした何かを見ていた。
「包み隠さず話すんだとは思ったけど…違う。
そんなことがあったなら、もうテオドールの所にいる必要がないのに。」
私なら。
彼らが消える瞬間を目の当たりにしたら。
…きっと許せない。
昔は外で生きていくすべがなかったかもしれない。
でも、今ならアニエスから逃れる術もあるはずだ。
「一応は恩人だよ。いなかったら、私は彼らに出逢うこともなく道端で死んでた。
勿論だからって、許せる訳じゃないけど。でも、殺したくもないんだ。兄弟のこともあったしね。」
兄弟。
名前もついていない、エリスの兄弟たち。
そんな兄弟の為に、命を張れるものなの?
「それに、全部は話してない。
アイザックに私が惚れるのにもちゃんとしたプロセスがあるんだよ。
それは誰にも話さない。私だけの胸に一生抱えていくって決めてるんだ。」
ああ…
楽しそうに笑う。
あの時とは、大違い。
アイザックを好きになった…きっかけ。
いなくなっても、忘れることが出来ない。
もう、傍にいられなくても愛しいと想える存在。
エリスの中でそんな存在になった、きっかけ。
「覚えていないかもだけど、アリスには本当に助かったんだ。」
私は昔のことはあまり覚えていない。
人の思い出、と呼ばれる『エピソード記憶』をつかさどる場所を。
人間関係を経つという目的で消してしまっている。
だから、私は幼い頃のことは断片的にしか覚えていない。
圭たちと出逢ったきっかけすら、私は覚えていない。
「彼らがいなくなってからしばらくのことは、少ししか覚えてない。
苦しんでたのは知ってるけど…助けた覚えがない。」
彼らがいなくなってからのエリスは、あまりにも痛々しかった。
その頃は、牢をでてトレーニングを受ける時間があった。
その時に、エリスにわざと強く技を掛けられたりした。
「枯れそうなってた花冠とか、百合を生かす方法を教えてくれた。」
…やっぱり覚えてない。
「レジン液っていう…アイザックがいっていた樹脂。
あれ、市販されている物なんだけどそれを直接花に塗ればいいって。」
ああ、とその方法には直ぐ思い当った。
「花の質感や繊細な色合いをそのまま残す方法だね。花の形をそのままに留める方法。」
「そう、それ。おかげで助かったよ。結局アイザックに教えてもらう前にいなくなったから。」
大事な人を失ったエリス。
彼らが残した花や贈り物が、唯一の心の支えだったのだろう。
それほど、大事に想えるような存在だったから。
「あいつ等がいないけど、その分私は生きていこうって。
あいつ等の分まで、外の世界を見て、自由に生きようって決めたんだ。」
勝気で大胆で、何処までも真っすぐなミーナ。
冗談ばかり言って、何時も3人を引っ張っていたルーク。
不器用だけど、仲間思いでズバズバ物を言うアイザック。
「だから、何時も笑っているのか?」
珍しくリンが口を挟んだ。
そして、鋭い。
「私はあの日自分に約束したんだ。この先も笑って行こうって。」
- Re: 秘密 ( No.582 )
- 日時: 2016/03/21 22:27
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
世界そのものを侮蔑する様に、ふざけた砕けた喋り口調。
その顔には、何時も笑みが貼りついていた。
どんな時も、思い出すエリスの顔は笑っていた。
それが、エリスの約束。
強い。
エリスは、強い。
「一生分の幸せを貰ったんだ。だから、私はずっと幸せなの。」
そして、美しい。
胸が轟き、膝が震えた。
「彼から、最高のプレゼントをもらってから。私はずっとこの世の誰よりも幸せなの。」
そうやって笑ったエリスの顔は、どこまでも晴れ晴れとしていた。
いなくなって、もう二度と会えなくても。
思い出を胸に抱えて、笑って生きていくことを自らに誓った。
それがどれほどの重責か。
「エリスは…アイリスの、花ことばを知ってる?」
どれだけ願っても会えない。
言葉を交わせない。
過去の記憶だけを辿り、それだけを抱えて生きている。
「…アイリスの花言葉だけは、まだ知りたくないの。知らないままでいたいの。」
そして。
生きていて辛いことが合う度に、彼らにはもう会えないと思い知らされる。
「それでも、私は幸せだから。」
それでも生きて、笑っている。
会えなくても。
「…彼らは名前すら、知らなかったけれど」
想うだけで、幸せだとハッキリと断言する様に。
清々しい笑顔。
覚悟をもった、笑顔。
- Re: 秘密 ( No.583 )
- 日時: 2016/10/14 23:53
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「いつか…他に人を好きになることがあるかもしれない。こんな私を受け入れてくれる人がいるかもしれない。
でも、今はまだアイザックのことを想っていたいの。あいつの笑顔を胸に留めておきたいの。」
いつか。
私もそんなことを断言できる日が来るだろうか。
マリーやリン、圭と会えなくなっても。
二度と会えないことに耐え、笑って行けるだろうか。
「例え傷付いても、一緒にいられることを選べたら良かったのに。
それが私の後悔。こちら側の世界で生きていけば、傷つけたり傷つけられることが合っても。
ずっと一緒に生きることが出来たかもしれない、今ならそう思うの。」
ようやく。
エリスの伝えたいことが分かった。
「私は今、誰よりも幸せだと思っている。それは揺るがない。
でも、あいつ等の傍にいる以上の幸せではないの。欲張りかもしれないけど。
ただの未練かもしれないけど。アイリスでいた時間が、私にとっての幸せの全て。」
エリスが彼らを失って、どれだけ苦しんでいたか。
私は覚えている。
どれだけ幸せだったのかも。
「遠く離れているだけなら、まだ幸せ。」
それでも、エリスは笑って。
例え作り笑いでも常に笑顔を浮かべている。
彼女が心から笑える日が、何時か来ると良いな。
今は無理でも。
何時か。
もう一度。
アイリスと言う名前を、名乗れる様になる日を。
幸せの証である名前を。
「でも、いなくなるのは駄目。そんなに苦しいことはないの。」
そんな相手に会えれば。
次は、エリスという名前も好きになってほしい。
争いと不和の神から取った名前じゃない。
アニエスの為に尽力した、1人の優しい女の子の名前を。
アニエスのことも、ひっくるめて。
真実を話せる相手に。
出会えるといい。
「あの時、私は一生分の幸せと一緒に…一生分の哀しみも貰ったの」
何時もは強気なエリスの笑顔が。
その時は酷く儚げに映った。
- Re: 秘密 ( No.584 )
- 日時: 2016/04/04 22:38
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
〜・121章 エリスが見たもの、守るもの・〜
例え傷つけ、傷つけられ様とも。
それでも、いなくなってしまうよりかはずっといい。
エリスの後悔が、痛いほどに伝わってくる。
対となるパートナーとして。
同じような立場である私に対して。
同じ経験をしてほしくないのだ。
「だから、アリス。絶対に手離しちゃダメだよ。
ずっと幼い頃から私を見てきたアリスなら、分かるでしょ?」
分かる。
いかにおぼろげとはいえ、忘れるわけがない。
「アリス、時間はもう残っていないんだよ。だから、大事にしな。」
手を伸ばし、頭の上にポンッと乗っける。
くしゃくしゃ、と笑いながら頭をくしゃくしゃにした。
優しい…笑顔。
これはエリスが彼らに出逢ったからこそ、得られた表情。
「…私が王になったら、それでもついて来てくれるか?」
少し照れたように、笑った。
何時もの嘘っぽい笑顔とは、違う。
「聞かれるまでもなく…決まってるじゃん。私とあんたはパートナーなんだからさ。」
圭たちに会うまでエリスのことは、ずっと尊敬していた。
自分の意思で、行動していたから。
私はただ言われるままに行動するだけだったから。
「話したらすっきりした。後は、アリスが決めな。
言っておくけど、テオドールの部下は曲者揃いだよ。」
エリスが、どれだけのものを抱えていたか、私は知っている。
エリスが彼らを失った後、どれだけ苦しんでいたかも。
エリスの生き様も。
エリスの闇も。
私は見てきた。
それでもエリスはアニエスと言う地から、逃げようとはしなかった。
外の世界で自由に暮らしたいと思う日も、あっただろう。
でも、恩人であるテオドールに恩を返すまで。
憎いけれど、自分と兄弟を生かしてくれたテオドールのために。
彼らはもういないけれど。
その分、生きなければいけないと。
「私を誰だと思ってるの?」
精一杯不敵に笑って見せる。
これから先の道は、厳しくて痛くて、辛いだろう。
エリスの様な過去を抱えている人が、アニエスには沢山いる。
トールやアレクシス、幽、子どもたち。
テオドールの部下は、そういう人たちが集まっている。
泣きだしてしまうかもしれない。
涙すら、枯れてしまうかもしれない。
でも、そこで引き下がるのは私じゃない。
「そうこなくっちゃ。」
姉っていうのは…こんな感じなのかな。
ふと、そんな感じがした。
エリスがいっていたみたい。
トールやアレクシスは仕事上の繋がりだったけれど。
まるで家族みたいだと。
彼らに出逢って、本当の家族と言うものを教えられたと。
彼らを殺めたテオドールのことは、憎くてたまらなかっただろう。
けれど、テオドールのことを父の様にも感じていたから。
許せないとは思えても、殺したいとは思えなかったのだろう。
「後は、あんた達次第だよ。」
そう言ってエリスは圭たちに目をやった。
- Re: 秘密 ( No.585 )
- 日時: 2016/04/09 21:43
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
アリスは、変わった。
もしくは、ずっとアリスの本質が見えていなかっただけなのかもしれない。
アリスは孤児院でアリアと言う少女の髪を切った。
笑顔で。
アリスが子供好きだとは知らなかった。
けれど、なんだか割りきった様な。
覚悟を決めた様な強い芯が、アリスを動かしているみたいに。
少女の髪を切った時。
ジャキンっという音はまるで、昔のアリスと決別する音に聞こえた。
アリスはエリスの昔話を少し驚いたような表情で聞いていた。
まるで、初めて聞いた様に。
アリスの記憶が欠落していることは知っていた。
高校にあがって、アリスと再会した時。
アリスはまるで自分たちとはほとんど初対面の状態だったらしい。
それでも、それを悟らせないのはアリスの演技力。
アニエスで培われてきた能力だ。
エリスが、彼らの話を終えてからは苦しそうな顔をしていた。
それは単なる感情移入かもしれない。
もしかすると、その辺りの事情は少し覚えていたのかもしれない。
知らないアリスを、沢山知った。
アリスは変わった。
目的を見つけ、まっすぐそこに向かっている。
立ち振る舞いからは迷いを感じさせない。
急に、自分が恥ずかしくなった。
アリスは自分のすべきことを見つけ、それを命がけでこなそうとしている。
自分のしようとしていることは。
それを止めようとすることは。
彼女の命懸けの選択を、留まらせること。
アリスの決意を鈍らせること。
アリスが真っすぐ前を向こうとしているのに、横にいる自分がそれを邪魔している。
それは彼女への冒涜になるのではないか。
彼女の傍にいたい、それをずっと願っていた。
アリスが危険から程遠い普通の日常で、一緒に生きていきたいと。
けれど、それはアリスの意思を殺してしまう。
アリスは無責任に言っている訳ではない。
王になるのがなにを示すのか、しっかりと見定めてその上で答えを出した。
自分のすべきことは、アリスが必死に出した答えを否定することなんだろうか。
自分も、アリスの横に並べる様に努力すべきではないのか。
アリスに行かないで、としがみつくのではなく。
必死に追いつこうと、自分で立ち上がり走り出すことじゃないのか。
- Re: 秘密 ( No.586 )
- 日時: 2016/04/24 17:14
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
アデニウムを台所で煮詰めていた、昨夜。
圭が席を外した後、エリスと話をした。
私のこれからについて。
結局、話しあいは上手く行かなかった。
けれど互いの本音をぶつけ合えたと思う。
私はアニエスを継ぐこと。
エリスは、それは無理だということ。
今にしてみるとエリスは、私を圭たちの傍にいさせようとしたのではないか。
そして、この国に連れて来るのを了承し孤児院にまで連れていったのは。
圭たちにアニエスのことを知ってもらいたかったのもあったのかもしれない。
それはエリスの心に今も刺さったままの、後悔。
でも、本当は。
彼らに嘘をつかず、傷つけず、それでも傍にいられる方法を探しているのではないだろうか。
それを、自分とよく似た私に。
自分では出せなかった答えを、出してくれるのではないかと。
淡い期待だって、きっと抱いていた。
エリスの期待に、絶対に応えられるとは言わない。
けれど、エリスと違う道を歩かなければいけないと思った。
私とエリスは似ている。
けれど、対となるのなら歩む道は違う。
片方が、既に間違った道を示してくれたから。
私はそれを踏まえて行動しなければならない。
自身の為にも。
王になることに、迷いはない。
彼らと会えないのは、とても寂しいけれど。
それはちょうど良い気がする。
彼らも。
私も。
私達は互いに依存し過ぎている。
長い人生、一人で歩く時間も必要だ。
彼らと歩む道は、きっと温かくて幸せな道だろう。
一人で歩く道はきっと、暗くて辛いだろう。
けれど、一人で歩かねば分からない景色もある。
辛くて、涙を堪える日もあるかもしれない。
それでも。
涙を堪えた分、それは自信になる。
それは私の糧になる。
- Re: 秘密 ( No.587 )
- 日時: 2016/04/24 23:44
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「遠出で疲れたよね。明日は橋の向こうまで行くから、ゆっくり休んでね。」
にこり、と笑った。
気付けば、もう夜も遅い。
かなりの時間がたっていたらしい。
「そそ、ゆっくり休め。若人よ。」
エリスは、また作った様な笑い方をしている。
エリスにとって、アイザック達だけが絶対なのだろう。
優しくて、温かくて、儚かった彼ら。
笑い合ったあの日が、永遠なのかもしれない。
それはもしかすると、一生揺らぐことがないかもしれない。
狭い世界。
でも、それがエリスの全て。
決して帰って来ない、過去に囚われている。
それが悪い、なんて私には断じられない。
彼らがいた日々は、それだけ素晴らしいものだったのだ。
それ以外の全てが、どうでもいいと思えるくらいに。
そんなことを彼らは望んでいない。
そんな月並みの言葉を、掛けることはきっと彼らに対する侮辱だ。
彼らはもう何も語らない。
彼らの意思を知るすべは、もう存在していない。
それを代弁することは、きっと誰であろうと彼らへの冒涜になる。
彼らはエリスの中に、ずっと存在し続ける。
もう、いなくても。
心には彼らと紡いだ物語がある。
だから、願う。
いつかエリスに、アイザックと同じくらいに大事に想える人が出来ることを。
アイザックを忘れる訳じゃない。
彼らのことを知って、それを受け入れてくれる人を。
それでもエリスを想っていてくれる人を。
人生って言うのは、長いんだ。
今日とは違う明日が、必ずやってくる。
苦しくても、辛くても。
生きていれば、必ず変化は訪れる。
だから今の私に。
エリスに掛けられる言葉は、ない。
「エリス、生きろよ。」
エリスが、いつか本当に笑えたら。
無理矢理でも、作ったものでもない。
本当の笑顔を。
「…死ぬわけには、いかないじゃん」
私はただ。
それを、願うだけ。
エリスがアイザックから貰ったアイリスの花に込められた意味を。
守ってくれることを、祈るだけ。
- Re: 秘密 ( No.588 )
- 日時: 2016/04/26 23:52
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
〜・122章 狭い世界と敵・〜
「圭、夕食を食べたら私の部屋に来て。勿論1人で。」
そう声を掛けられたのは、エリスとアリスが部屋を出ようとした時だった。
ふと、思い立ったように振り返って告げてきた。
笑ってはいたけれど、少し寂しそうだった。
「…分かった。」
空腹だったはずなのに、夕食は酷く味気なく感じた。
エリスの話を聞いたからだろうか。
アリスの呼び出しが胸に引っ掛かったからだろうか。
それとも、これから先のことを案じたからだろうか。
アリスは本気で言っている。
それを阻害することに対して、迷いが生まれたからだろうか。
なんとなく食べていると、夕食は終わった。
各々が与えられた部屋に戻った。
「…アリス?」
アリスの部屋に入ると、直ぐに何かを踏みつけた感触がした。
部屋は暗い。
出掛けているのだろうか。
廊下の灯りを頼りに、足元に落ちていた物を拾い上げた。
何かの資料だ。
グラフや難しい漢字がびっしりと並んでいる。
『アニエスの財政 その5』
アリスのことだ。
きっと、毎晩資料を読み耽っているのだろう。
他にも孤児院に持って行こうとしているのか、布や綿も散らばっていた。
失敗作であろう、歪なライオンのぬいぐるみも転がっている。
灯りを付けると、部屋の全貌が曝け出される。
とても散らかっている。
「夜這い?」
「ちょっ…!?」
背中越しに顔をのぞかせたのは、勿論アリスだ。
楽しそうに笑っている。
「冗談冗談。でも、こんなに早く食事が終わるとは思わなかった。」
いつの間にか着替えたのか、寝巻であろうワンピースに身を包んでいる。
「アリス…食事は…?」
「後で食べる。今はあんまり食欲なくて。」
笑顔は崩さない。
アリスとは、長いことずっと傍にいた。
けれど、何時からだろう。
アリスが作り笑いを浮かべる様になったのは。
「それで、呼んだ用件なんだけどね。」
そっと、アリスは自らの耳に触れた。
そこにはずっと前にアリスに贈ったイヤリングが輝いていた。
プレゼントした日から、アリスはずっと律義に付けていた。
毎日。
1日も欠かさずに。
それを、目の前で外した。
「これ、返したくて。」
手のひらにきゅっと握らせてきた。
このイヤリングは、2人だけの思い出の結晶の様なものだと思っていた。
アリスを想っている、印の様なものだと。
それを、アリスは今自分の掌に置いた。
「それと、これもかな。」
アリスが重ねて手のひらに乗せてきた。
夏休みに、海の家で互いに交換し合ったブレスレット。
まだ、アリスのことを全然知らなかった頃に贈ったもの。
「クリスマスプレゼントのぬいぐるみは…ごめん、今は持ってないや。」
「なん、で…?」
目の前で起こっていることを、理解できなかった。
アリスが自ら、2人の思い出となるものを掌に置いてきた。
「…持っていても、辛いから。」
アリスの瞳が、こちらをじっと見つめてきた。
少しだけ、潤んでいる。
「前の私は、なにをするにも躊躇いはなかった。」
再会したばかり…否、出逢ったばかりのアリスは。
楽しそうに笑っていても、どこか遠くを見つめているようだった。
どこか浮かない様な顔をした。
それが不思議で。
アニエスのことを知ってから、合点が行った。
アリスは誰であろうと売られた喧嘩は買った。
柳親子であれ、マリーの父親であれ、朝霧であれ。
喧嘩や賭けをすることに、何のためらいもなかった。
相手が危害を加えるなら躊躇しなかった。
「だから、大切な気持ちをくれた圭を大事だと想っているし、感謝だってしてる。」
何もしていない。
アリスは、自分に出逢ったことで救われたと思っている。
でも、それは自分にとってもそれで救われていたから。
アリスの隣が心地よかったから。
「でも、今は何をするにも痛みを覚える。出逢う前には覚えなかった痛みが。」
だから、辛い。
そう訴える様に、アリスは言葉に力を込めている。
「…圭には、自分の道を歩いていて欲しい。私は、圭が歩む道を阻害する。」
勿論私の道も、と小さく困った様に笑った。
アリスは、揺らがない。
それほどの意思と覚悟を持っている。
そんなこと…ずっと前から分かっていたのに。
「アニエスと言う存在は私を圭たちだけの世界から出してくれた。」
それから、ずっと目を逸らしてきた。
「圭は恩人だ。でも、私に痛みを与える敵でもあるんだ。」
キッパリと、断じる様に。
これが私の答えだ、と言わんばかりに。
「だから、もうそれはいらない。」
まるで、今まで積み重ねてきた思い出までも。
掌にいらないと、置いた。
目の前では、今までに見たことないアリスの笑顔が合った。
「互いの為にも、別れよう。」
- Re: 秘密 ( No.589 )
- 日時: 2016/04/27 22:49
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「呼び出してごめん。用件はそれだけ。じゃあねっ、圭。」
キッパリと言えた。
言ってやった。
「恩人で敵でも、これからも友達として付き合ってくれると嬉しいな」
イヤリングをしていた耳が、軽い。
思い出を1つ1つ剥いで捨てていったみたい。
痛いけど、身がとても軽い。
私は上手く笑えたか。
上手に切り捨てられたか。
「明日は、橋を越えるから。体調を整えとかないとね。」
きっと大丈夫。
私は変わった。
知ることは、変わるきっかけになった。
アニエスのことも、父のことも、知って良かったと思える。
なら、きっと大丈夫。
- Re: 秘密 ( No.590 )
- 日時: 2016/05/02 23:41
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「今日はカレー?朝から重たそう。」
でも、香ばしい匂い。
恐らくレトルトであろうが、レトルト文化は偉大だ。
「今日は珍しいですね。朝食を一緒にとるなんて。私は嬉しいですけど。」
3食きちんととる様に、と何時も万里花は言っていたからね。
席についたアリスがただ食事をするだけで、とても嬉しそうに笑っていた。
「いつもなら、そんなにお腹空かないんだけどね。橋の向こう行く時は食べる様にしてる。
それでも基本部屋に運んでもらうんだけどね。今日は特別。」
アリスは今日は楽しそうだ。
少なくとも、見ただけならそんな感じがする。
いつもは別々に食事をするのに、そこにアリスがいるだけで不思議な気分になる。
「たまに外で食べるのも悪くないですよね。」
万里花が言う通り、食事は基本何時も城でしている。
アリス曰く孤児院や橋の向こうでは、貧しい人がいて食べづらいんだそうだ。
確かに以前訪れた孤児院の子供たちは痩せていて、申し訳ない気分になる。
こんなレトルト食品でも、城にいるからこそ食べられるのだろう。
来客などが無ければ、基本的に食事はいつも質素で簡単なものらしい。
「それは言えてる。」
黙々と食べていた凛が同意する。
確かに、日中ずっと城にいる。
城で孤児院の子供向けのおもちゃや防寒具、絵本を作って過ごしている。
その作業自体は慣れてくれば、面白くなってくるし退屈はあまりしない。
エリスやアレクシスも出払っていたり、仕事をすることが多い。
どの道3人だけでは、外に出ても右も左も分からない。
「じゃあ、今日は遠征が終わったら外でお弁当食べよっか。
孤児院や橋の向こうは無理でも、王都や孤児院の手前の森でなら大丈夫。
王都からの声が聞こえて少し賑やかだけど、それはそれで美味しいと思うよ?」
朝食を食べると、アリスはいくつかの薬を飲んだ。
1月上旬のスキースクールから、アリスは薬を常備する様になった。
定期的に呑まないと、直ぐに体調を崩し最悪命を落とす可能性すらある。
そう言う体なのだ、と以前話していた。
副作用で眠くなったり、身体の節々が痛んだりすることもあるらしいが…
アリスはその素振りすら見せない。
1時間後、大きな弁当箱を持ったアリスと一緒に城を出た。
橋は孤児院の少し先の崖にある。
城から離れれば離れるほど、貧しくなっていく。
橋を越えれば景色が変わる、と聞いていた。
孤児院と訓練場にいる子供と遊んでいると、橋の準備が整ったと声が掛かった。
重い音を立てて、降りた橋を渡ると確かに景色が変わった。
ボロボロの家。
道端で倒れこむ人。
異臭が鼻を刺激し、王都に引き戻したい衝動に駆られる。
とても静かで、賑やかな王都とはまるで違う。
土地が全体的に乾いているのだろう。
植物があまり生えていない。
殺風景だ。
「水を引いて、畑を作ってる。あと少しで完成なの。」
エリス達が持っている大きな鍋や皿で、沢山の人に食事を配っている。
手慣れている様だ。
全体的に枯れた土地だと思っていたが、歩き周っていると少し離れた所に森もあるようだった。
「あの森には有毒植物も多いから。お腹が空いても食べちゃダメだよ。」
視線に気付いたのか、アリスが声を掛ける。
空腹で、有毒植物を口にした人がいたのだろうか。
有毒植物は、城に持ち帰り繁殖させようとしているらしい。
森で有毒植物は見かける度に、摘んでいるが流石に撲滅とまではいかない。
全部、アリスが事前情報として話してくれた。
けれど、実際に目にしてみると立ちすくんでしまう。
それでもエリスたちは躊躇うことなく、仕事に取り掛かる。
アリスとエリスで配膳、男手達は畑仕事。
配り終わると、エリスとアリスでそれぞれ町の人に話しかけた。
話は他愛もないことも多いが、話している人も楽しそう。
エリスはお手玉を4つも使って芸を見せていた。
アリスは知識を使って楽しそうに話していた。
2人と話しているおばあちゃんやおじいちゃんも、表情が柔らかい。
子供をあまり見かけないのは、子供たちは孤児院に移しているのでいないらしい。
ここにいるのは病人と、老人。
王都で暮らす財が無い人もいるが、この国を出ていく人も、少なくない。
兵になれば衣食住は保障されるが、こんな危うい国に残る人はいないだろう。
「『ケイタ…?』けれど、なにか違う。違和感が拭えない」
やがて、小説の一節だろうか。
なにかを読み上げ始めた。
アリスが読み上げ始めると、エリスはその場を他の人に任せて離れた。
「おーい、手が止まってるぞ少年」
長い金髪、中性的な顔立ち、細い体。
トールだ。
「…すいません」
バレンタイン以来の顔合わせだ。
後頭部にいきなり蹴りを食らったのは、今でも記憶に新しい。
「まあ、慣れないよな。でも、そろそろ出来そうなんだよ。
この種類の穀物は水が少なくても出来るし、保存もきくから。植えちまえばこっちのもんだよ」
けれど、それを異にも返さず躊躇いもなく話し掛けてきた。
苦手意識はあるが、人と話すのに躊躇いがない様でもあった。
トールの言った通り。
確かに、畑らしくなっている。
今なら、普通の野菜とかも育てられそうだ。
「仕事が不定期だし、来れるうちにやった方が良いじゃん?」
偶然にも今は人出が多くて、畑作りが想像以上に捗っているらしい。
普段はもっと少人数で、頻度も少ないらしい。
「畑が出来れば、もう大丈夫だ。何年も掛かったけど、やっとひと段落つく。」
畑と同時進行で水を畑まで引こうとしているらしい。
それももうそろそろ終わりだ。
「やっとこれで橋を降ろせるんだ。」
王都とここを隔てているのは、崖。
故に橋を使うしか出入りは出来ない。
飛行機などを使うか、橋を使い崖を越えなければアニエスからは出られない。
しかし、崖以上に貧困と病が橋を渡ることを憚らせる。
けれどもう大丈夫だ。
熱心な看病や、畑づくり、食料の配布。
何年も絶えず続けてきたからこそ。
やっと、橋を下ろすことが出来るのだろう。
彼らの手には肉刺が出来ている。
何度もつぶれた跡がある。
エリスは見た目が大事な仕事が多いので、パッと見怪我は無さそうだ。
けれど夜会や外征の後は決まってぐったりしている。
それでも笑っているのが、彼ららしい。
たかが数週間。
1月も経っていない。
けれど。
それでも彼らを知るには充分な時間だった。
彼らも、優しく微笑むことを知った。
決して楽に生きていける場所じゃない。
けれど、それでも毎日を精一杯生きている。
じゃあ、自分は?
トールも、アレクシスも、エリスも、アリスも。
ここで精一杯生きているのに。
覚悟を持って、生きているというのに。
- Re: 秘密 ( No.591 )
- 日時: 2016/05/03 00:29
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
城に戻ると、ドッと疲れが押し寄せてきた。
久々に外で食事をしたが、やはり外で食べるご飯は格別だ。
食事中はエリスやトールや幽も含めて、なかなかに面白かった。
彼らのする話には、聞いたこともない様な面白さと驚きが備わっていた。
見ている世界が違うのだと、痛いほどに痛感した。
アリスはアニエスに来てからはずっと部屋に籠っていた。
ここでしか読めない資料があるらしい。
早く、今までの分を取り返せるように毎日夜遅くまで起きている。
「よっ、八神圭くん」
廊下ですれ違った時、アリスは笑いながらそう挨拶した。
また何か作るのだろう。
赤い彼岸花を抱えていた。
避けられている。
あからさまに。
それほどに。
気付かぬ間に、それだけアリスを傷つけていたのか。
“痛みを覚える”“敵”
アリスは自分を憎んでいたのか。
アリスはアニエスと言う国も、父親も、もう憎んではいない。
逆に、祖国や父親の為に生きようとしている。
それを自分と言う存在が阻害している。
みるみる膨らむ、焦りと罪悪感。
アリスに問い質されてから、ずっと迷っていた。
アリスが自分にとって、どのような存在であるか。
恩人と言う気持ちを、錯覚しているのではないかと。
アリス以外に、拠り所になるものがない。
だから必死にしがみついていただけなのではないのか。
そう思うと、分からなくなった。
アリスに対する好き、は。
ただの依存だったのか。
アリスに自分の理想ばかりを重ねていたのか。
そしてもしかすると、その理想が彼女を苦しめたのか。
自分の理想が、アリスをありもしない少女に仕立てていたのだろうか。
10年前、なにも持っていなかった自分に。
人間らしさと言う、誇れるものがあることを教えてくれた。
あの頃から、ずっとアリスは特別な存在。
歌っているアリスは、とても生き生きしていた。
アニエスのことに迷い、苦しみながらも前を向いていた。
その姿があまりにも強烈で、目を閉じても鮮やかに浮かび上がってくる。
辛くても、必死に前に進もうと足掻く姿に魅せられた。
泣くこともあったけれど、すぐに涙を拭いて立ち上がる様な子だった。
そんなか弱く、それでも強くあろうとした姿に惹かれた。
今のアリスとは、違う。
ここでのアリスは、自分の役職を全うしようとしていた。
苦しみしか見いだせなかったものに、やっと光を見つけた様な。
アニエスから逃げて光ある平凡な世界で暮らすことだけを考え、生きていたのに。
今はまるで真逆。
アリスはもう、過酷な運命に翻弄されたか弱い少女ではない。
自分の意思で未来を決め、その為の道を迷わず突き進む。
嵐の様に強く激しい少女だった。
きっかけは、恐らく彼女の父だ。
アリスが、父の優しさに気付いたのは何時だったのだろうか。
父が、自分を苦しめた末に何を得ようとしたのか。
それを知ったのは。
そこから、アリスは祖国の為に生きる準備をしていた。
父の、不器用で残酷な優しさに。
アリスは何時頃から、気付いていたのだろうか。
- Re: 秘密 ( No.592 )
- 日時: 2016/05/05 16:09
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
〜・123章 狂おしいほど・〜
何時から、アニエスの為に生きようと決めていたのだろう。
兵士にすることで孤児を生かし、自らの身を削りながら国を作りあげたことに。
一体何時、知ったのだろう?
「…あれ?」
アリスが父親のしたことを知るには、アニエスのことにも向き合ったはずだ。
エリスたちの中でのテオドールは。
冷酷無慈悲、容赦がなく、勝つためなら孤児を兵士にしてでも勝つ。
そうして、アリスと言う存在を作り王にまで上り詰めた。
まるでテオドールの手が汚れきっているかのような物言いだった。
そう信じて疑っていない。
孤児院を作ったのも、兵士として育てられる様に。
テオドールがまるで人間ではない様な、そんな印象ばかりが植えこまれている。
牢で育ち、アニエスの知識や歴史をひたすら頭に詰め込まれたと言っていた。
パソコンよりも確実で、決して忘れられないアリスの頭に。
様々な生活の知恵を身につけ、非合法なことまでも。
それを聞いていたから、テオドールが悪人だと信じて疑わなかった。
アニエスの歴史や知識を、詰め込んだ。
ならば、アリスの父がしたことを知ったとしてもおかしくない。
そうして憎んでいた自分が、間違っていたことに気付いたのかもしれない。
けれど、もし自分がアリスの父だとしたら。
自分の都合の悪いことはアリスに教えたりしない。
アニエスの発展に役立てようと紙面にしていても、アリスに見せる必要はない。
自分がいなくなるまで、伏せていても何ら問題はなかったはずだ。
孤児を兵士として育てる訳を、エリスが知らない程だ。
エリスですら知らなかったのだ。
都合の悪い情報は、伏せることが出来たのではないか。
アニエスという小国を、上手くまとめあげられる程の頭が合ったはずだ。
そう簡単に気付かれるものなのだろうか。
アリスの父親は悪役に徹した。
それはきっと、憎んでいてもらった方が都合が良いからだろう。
現に、アリスはずっとテオドールのことをずっと憎んでいた。
けれど、ならばアリスに自分のしてきたことを話す理由がない。
してきたことを、覚えさせる必要もない。
教えてしまえば、アリスは父を許してしまうかもしれないのに。
テオドールは許されることなんて望んでいない筈だ。
許されたら、それこそ救われない。
- Re: 秘密 ( No.593 )
- 日時: 2016/05/08 17:50
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
アリスが身につけた非合法な知恵。
それは人を騙すためのものだ。
植物は毒性を、非合法な知恵は警備をかいくぐる為に利用できるからだ。
崖によって王都とそれ以外を隔離した。
それは他国からの侵入に二重の崖という壁が便利だから。
橋の向こうでは、そろそろ畑を作る。
そうすれば王都並みとは言わずとも、今までよりはずっと暮らしやすくなる。
そうしてまた兵士を沢山作れるから。
橋向こうの開拓していた事実を、そもそもアリスは認識していなかった。
人を騙すため、人を傷つけるため、勝利の為。
それが嘘だとアリスが気付いたのは何時だ。
テオドールがアリスに気付かせるほど迂闊だとは思えない。
気付かれたら、直ぐに知れてしまう。
積み上げてきた憎しみが台無しだ。
それなのに、アリスがテオドールをおかしいと思ったのは何故だ。
決定的なきっかけは何だ。
アリスが違和感を覚える情報、それを直ぐ信じられるようなもの。
もともとアリスは、テオドールともろくに連絡をとっていない。
知るきっかけなどあったのだろうか…?
そこまで考えてようやく、我に返った。
アリスの全てを知っている訳じゃない。
だから、知らない所で何かやりとりが合ったのかもしれない。
変なことを考えたな。
…それでも、アリスと関わることがほとんどないテオドールが。
テオドールの善行を、アリスが知ることなどあるのだろうか。
部屋に入って、扉を閉めた途端。
先程廊下ですれ違ったアリスの声を思い出した。
“八神圭”
“よっ、八神圭くん”
「…まさか」
- Re: 秘密 ( No.594 )
- 日時: 2016/05/14 01:59
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「父上」
「…なにしに来た?」
不機嫌な男の声。
しわがれていて、少し低い。
男はベットに腰掛け、キーボードでなにかの書類を作成しているらしい。
明らかに、就寝の準備をしている。
キーボードの上を滑っている指が、骨張っていた。
骨格標本に薄皮一枚かぶせた様に、人間離れしている。
男はこちらに背を向けている。
「私が王になります。父上の跡を継ぎ、この国を治めます。」
「何を言っている?」
剥き出しの敵意と、嫌悪が男の口から発せられる。
昔から、変わらない。
ピリピリしてばかりいる。
雰囲気そのものが、どこか刺々しい。
「父上に認められなくても、何度でも言います。」
投げかけた言葉はかえってこない。
それでも、何度でも話し掛け続ける。
「私は、あなたが守ったこの国を守ります。」
いつか。
男の胸に、届くまで。
「憎くて憎くて仕方なかったあなたの国を、私が救います。」
届くと、信じて。
「何をしに来た、エマ・ベクレル」
男がそう呟いたと同時に、手に持っていたナイフを思い切り振り下ろした。
- Re: 秘密 ( No.595 )
- 日時: 2016/05/17 04:50
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
ヒュンッと風をきる音がした。
金属がぶつかる音が耳をつんざく。
私が振り下ろしたナイフを、袖口に隠していたナイフで弾いた。
彼がナイフを仕込んでいることを、私は知っている。
けれど、わずかに態勢を崩した男はベットの縁から上体のバランスを失った。
男の手を引き、床に叩きつけるとすかさず男の上に馬乗りになった。
その衝撃で男のすぐそばで花瓶が落ちる。
破片がピッと彼の頬を切りつけた。
「腕が落ちたね、テオドール」
男の袖からナイフを抜き取り、遠くに飛ばす。
ナイフを胸元につきつける。
「昔のあなたはこんなものじゃなかった。」
無駄のない動きに、完璧と言うまでに正確に相手の急所を狙っていた。
足元を救われたことなど、なかったはずなのに。
「わざわざ娘の服をくすねて、声真似までしたって言うのに。」
娘・アリス=ベクレルは私の生き映しの様に生まれて来てくれた。
「でも、娘と区別できるほどには私のことを忘れてはいない様ね。」
なによりも傍に置き、武器に仕立てあげた娘。
それを、通して私のことを想起させずにはいられなかっただろう。
彼はどんな気持ちで娘と接していただろう。
自分が傷つけた女によく似た娘を、どんな気持ちで傍に置いたのだろう。
安らぐことなど、出来はしなかっただろう。
それほどに、アリスと私は良く似ている。
「会いたかったぞ、テオドール。」
私の娘だと1目で分かる。
けれど、あの子には分からない様な気持ちを。
私は知っている。
「17年もの間、狂おしいほどお前が憎かった。」
- Re: 秘密 ( No.596 )
- 日時: 2016/06/15 18:07
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
〜・124章 母の意思・〜
「憎かった。」
口にすることで、改めて実感する。
私はこの男が、憎くて憎くてたまらなかった。
傷つけて、傷つけて、ナイフを胸に突き刺してしまいたい。
彼が目の前で息をしているだけで、怖気がはしる。
「私を虐げ、挙句の果てにはここを追いだした。居場所もなにもかも奪った。」
好きでもない男の子供。
それでも、私にとってはたった1人の宝物だった。
「愛しい娘に、触れることもなく。私は泥水を啜りながらここまで来た。」
一目見ようと、何度も城に近づいた。
けれど、娘は牢に閉じ込められていて簡単には会うことはできなかった。
会ったのは、17年で1度だけ。
「途中でお前が娘を涼風にやったと知り、娘が色んな家庭で虐げられていることを知った。」
私の追跡の手を拒むためと、娘の人間関係を絶つために。
そして娘自身に世の中の不条理を身をもって知らせるために。
「私は身を潜めるしかなかった。一度救うだけじゃ、意味がないからだ。」
たらい回しも、何もかも全てもアニエスの滅亡を防ぐため。
アニエスに暮らす人々の為だ。
その為には、娘をちゃんと育てる必要が合った。
心が挫ける様な子になっていては、アニエスと言う重荷を背負えないから。
感情に流される様な子では、アニエスと言う重荷を背負えないからだ。
「娘を役立てる日は必ず来る。その日を待って、ずっと息を潜めていた。」
- Re: 秘密 ( No.597 )
- 日時: 2016/06/26 12:53
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「アリス!?」
慌てて扉を開けると、アリスは驚いた様にぽかんとした表情を浮かべた。
「なに?」
さっきすれ違ったアリスは寝巻用の白いワンピースを身に包んでいた。
けれど、今のアリスは違う服を着ている。
「さっき、廊下ですれ違った?」
ますます分からなさそうに、首をかしげた。
「?私はずっとここにいた。」
…やっぱり
「やっぱりあれは、アリスのお母さんだったんだ。」
「母に会ったのか。」
アリスは薄い笑みを浮かべながら、宙を仰いだ。
「やっぱりあの人は身軽だな。部屋から私が着ている寝巻を持ち出すなんて。」
知らなかったというには、あまりにも落ち着いている。
「…アリスは、知ってたの?」
「知ってたよ。母から手紙を貰っていたし、ここでも合図を受け取っていた。」
さらり、と何と言うこともなさそうに認めた。
そんなこと、聞いてない。
頭に浮かんだのはそんな言葉だった。
それほどにまで、自分がとるに足らない相手になり下がったのだろう。
それとも、はなからアリスと釣り合ってなんかいなくて…
「…合図?」
「エリスの話をした時にも合っただろう。部屋に、赤い彼岸花が。
どうしてあれが調理もされずにただ活けられていたのか…考えれば分かる。
あれは観賞用にしては縁起が悪い。」
アリスの母親はここを追いだされていたはずだ。
戻ってくるということは、如何ほどのリスクを背負うことか分かっているはずだ。
けれど、アリスの口調に変化はない。
「母は自分の意思で戻ってきた。何らかの想いを抱いて。
それは殺意かもしれないし、憎しみかもしれない。それでも戻ってきた。」
ふいっ、とこちらを見る。
「命懸けで戻ってきた母を邪魔するのは、母の意思を殺しているんじゃないかな?」
冷めた目。
自分の気持ちや情を完璧に無視して、ただ淡々としていた。
「だから、会わない。会う時は何もかもが終わってからにしたいんだ。」
- Re: 秘密 ( No.598 )
- 日時: 2016/07/01 13:41
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「私はあなたのことがずっと憎かった。殺したいほどに。」
宝物を奪い、人生を狂わせ、挙句の果てには呆気なく捨てられた。
生きることすら辞めたくなるような絶望を植え付けた。
「どこにいてもなにをしても、あなたのことばかり考えていた。」
ぴくり、と人離れした男の眉が動く。
まるで人間の様に。
「憎かったけれど、愛してなんかいなかったけれど…
なんて不器用なんだ、ってその愚かしさや残虐さを愛しいと想った日もあった。」
殺したいほどに憎んでいた。
でも、それと同時に同じくらい大きな愛しさに包まれていた。
「きっとこれは、呪い。私の気持ちじゃない。私はあなたが憎い。
殺したいくらい。でも、あなたがいなかったら私はここにはいない。」
これを愛と呼ぶには、憎しみに満ちすぎている。
けれど愛と呼ばずに、何と呼ぼう。
これほど強烈にあなたを想う気持ちを、他に何と呼べばいい。
「憎しみって言うのは…愛に似ているのね。」
憎いと思う気持ちに、偽りはない。
生きていたのは娘の為と、この男への憎しみだけだった。
その為だけに生き続けてきた。
私はあの男に執着している。
その自覚はあった。
けれどそれが愛しさだとも、ましてや愛だとも思いはしなかった。
だって、憎む要素しかない。
私の宝を奪い、私の人生を奪い、捨てた。
一生残る様な傷を、私の胸に刻んだ。
生きるために、衣食住を整えても。
仕事に打ち込んでも。
何時だって頭に浮かぶのはあの男の顔だった。
息を潜めて、傷が少しでも薄れる様に時間が過ぎるのを待った。
何年も経った。
仕事も落ち着いた。
少し落ち着いたけれど、それでもあの男の顔はチラついた。
眠る前のふっとした時間に。
鏡を見ながら身支度を整えている時。
仕事中の僅かな時間も。
気を抜けば浮かんできた。
娘の姿を一目見れば、少しは自分の気持ちに整理がつくのかもしれない。
そんな考えがよぎった。
宝物である私の娘は…元気だろうか。
ある時、仕事場から休みをもらった。
働き詰めであった私を考慮したものだった。
今思えば、魔が差したとしか言いようがない。
私は自分の娘に会いに行った。
- Re: 秘密 ( No.599 )
- 日時: 2016/07/07 01:17
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
元々、彼は仕事詰めで城にいる時は書斎から出ることはほとんどなかった。
私が娘を身籠っていた時でさえも。
「…また、ここか」
けれど城中を探し回っても、娘を見つけることが出来なかった。
諦めて帰ろうとした時、私はふと牢獄を思い出した。
私が城にいた時に過ごした牢獄。
少しだけ、覗くつもりで向かった。
ダメもとだった。
いないと分かっていての、行動だった。
けれど、そこに私の娘はいた。
ボロボロの布切れを身にまとい、本に埋もれながら、冷たい床にぺたんと座っていた。
顔に血の気は無く、生気もない。
まるで決められた動作しかできない、人形の様。
私と同じ顔。
けれど、耳の形があの男に少し似ていた。
悲鳴を上げることも、泣くことすらも、知らないまま。
娘は牢に閉じ込められていた。
手を伸ばすと、能面の様な感情が空っぽな顔で不思議そうに手を伸ばしてきた。
「…こよみ」
愛しい娘の名前を呼んだ。
こよみは、日のこと。
過ぎる日も過ぎる日も、幸せに生きられる様に。
その幸せな思い出を決して忘れることがないように。
毎日、笑って生きていける様に。
そういう意味を込めて、私が付けた。
アリス、と言う名前は男が勝手につけてしまったから。
私も何か名前を付けたかった。
温もりに満ちた名前を。
「…愛してる」
あまりにも当たり前に、その言葉が口から零れでた。
その時、私は久方ぶりに胸が温かくなったのを感じた。
- Re: 秘密 ( No.600 )
- 日時: 2016/07/09 01:08
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
〜・125章 憎しみと愛しさ・〜
僅かに交わした言葉が、愛おしい。
娘はなにも発することはできなかったけれど。
まるで言葉以外の何かが、私達の間にあったかの様に。
僅かな触れ合いで、沢山の想いを感じた。
その日を境に、私は決意を固めた。
金も、誇りも、命さえも。
全てを投げ捨ててでも、彼らの為に生きようと。
あの男に復讐し、娘を守る為に。
その為だけに生きようと。
それからは身軽さを利用し、様々なところを出入りした。
生まれつきの記憶力を活用させ、頭を使った。
この身が次第に陽の当らない所に沈んでいく実感が合った。
でも、沈んだその先にはあの男と娘がいる。
そう思えば、まだ頑張ることが出来た。
それに役目を見つけたことで、身がとても軽くなった様な気さえした。
彼と娘を失って、私は死んだように暮らしていた。
娘と会い、私は生きている実感をようやく感じられた。
生きる理由を、見つけたのだ。
娘の身柄が涼風に移され、そこで酷い家族の所をたらい回しにされていたのも知っていた。
でも、私にはなにも出来ない。
私にはまだ娘を救えるほどの力を付けてはいない。
あの男に対する憎しみは、薄れることはなかった。
私から昼を奪い、夜の世界に閉じ込めた。
憎くて憎くて、堪らなかった。
けれど、彼がいないと。
今ここにいる私は、存在しない。
私の中を占めるあの男の存在が消えたら。
私は何も残らない。
何処にいたって、あの灰色の牢に戻ってしまう。
冷たくて、心ごと凍えそうな冷たい床の感触が甦ってくる。
憎むことだけで、繋ぎとめられていた気持ち。
何時しか、その気持ちの中に少しの愛しさが生まれた。
彼のしようとしていること、していること。
それらを知ったその瞬間から。
- Re: 秘密 ( No.601 )
- 日時: 2016/07/12 00:37
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
とある伝手で、私は書類を手に入れた。
書類や情報を形に残さないため。
それを理由に産み落とされた娘であったが、そんな娘にもまだ見せていない物があるはずだ。
そう思って、ずっと形になっている物を探し回った。
薄っぺらく、強く握ったら崩れてしまいそうなほど古い紙。
それは、テオドールの隠してきた優しさが書き連ねられていた。
彼が犠牲にしたもの、救ったもの。
彼の後悔と、絶望と、慟哭。
彼の一番脆く、柔らかい所が赤裸々に記されていた。
長く分厚資料を読み終えると、私は小さく息を吐いた。
彼の愚かしさや不器用さに、思わず笑みが零れた。
涙が零れた。
こんなものの為に、彼は私の未来と…娘の未来すらも奪った。
全体的に見れば彼は悪と断じられる人間だ。
如何なる理由があろうとも、彼は人を傷つけ、殺してきた。
それは覆らない。
彼が奪った私や娘の時間、他の多くの命も…決して戻って来ない。
けれど…彼には彼なりに守ろうとしたものが合ったのだ。
誰に理解されずとも。
彼の信じる理想を実現にしようと。
辛くて、誰もついて来ない様な。
一人でそんな棘の茂る道を歩いてきた。
その結果、何人もの犠牲を出しても。
一人でずっと暗闇の中、足掻き続けた。
傷つけ、殺め、切り捨て、手離してきた。
それはあまりにも、…痛々しい。
私の中には、あの男がいる。
娘がいる。
それだけで、私は一人ではない。
あの男も一緒だ。
書類を失ったことで、彼はクリスマスに娘を監禁した。
私をおびき出し、彼の歴史を綴る紙を取り返そうとしたのだろう。
そんなことをしても彼に私は捕らえられない。
私は娘の友人の八神圭を連れ、着替えと指輪を渡して送りだした。
指輪は、彼が私を捨ててから初めて自分の金で買ったもの。
ささやかな願掛けをしてある。
彼も一人ではないことを、気付かせたい。
その為に、思いっきり頬をぶん殴ってやる。
私の心をここまで陣取っておいて。
このまま一人でいられると想うなよ。
私もあいつの中を陣取って。
一生忘れられない様に、彼の胸に楔を打ち込んでやる。
- Re: 秘密 ( No.602 )
- 日時: 2016/07/12 23:11
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「私は沢山のものを捨てた。娘と、復讐心以外の全てを捨てた。」
そうやって過ごしているうちに、私はそれらなしでは生きていけなくなった。
何をしていても、どこにいても。
心はあの牢に戻ってしまう。
彼の傍にいて、ようやく私は生きている心地がする。
そこでなければ、私は死んだのと変わらない。
何も食べた心地がしない。
眠った心地もしない。
痛みも、安らぎも、全てが鈍くなる。
全てが、まるで夢の様に。
何も感じられない。
全てが、灰色のまま。
「あなたの隣でだけ…私は生きていられるの」
彼の傍にいて、初めて世界が彩られ。
痛みや安らぎに安堵することが出来る。
「あなたが私をこんな風にした。」
憎くて、たまらない。
だからきっと、この私の気持ちはなにかの呪い。
少しでも。
彼のことを愛しいと想う、なんて。
彼に残された時間が少ないのなら。
その最後の一瞬まで、彼の中を私でいっぱいにしてやる。
絶対に忘れられない様に、心に杭を打ち込んでやる。
「忘れさせてたまるか。私が、あなたの中でいかに小さな存在であろうと。」
絶対に、絶対に、忘れさせてたまるか。
吐かれる言葉は憎しみに満ちているのに。
私の中には、それでは同じくらいの愛しさが溢れてる。
でも、それは絶対口にしない。
彼の命が消えるまで。
彼は救われることを望んでいない。
苦しむことを、幸せとしている。
許されることを、望んでいない。
だから、私は彼の傍にいる。
「だから、私はお前を殺さない。」
部屋の隅にナイフを投げ捨てる。
私にも、彼にも、届かない様に。
死んで楽になんてさせない。
彼の最大の理解者として、彼の傍に留まる。
死んでしまったら、もう何も伝えることも。
私のことを覚えていることも出来ない。
そんなの、許さない。
「生きて生きて、私の存在を刻みつけろ。」
花瓶の破片が、私の腕を傷つける。
小さな傷から、血が流れる。
それでも構わず、彼の頭を抱き寄せる。
どうしようもないほど、愛に近い憎しみを。
私は彼に抱いている。
- Re: 秘密 ( No.603 )
- 日時: 2016/07/14 23:51
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
バタンッと扉を叩きつける様に開けられた。
部屋には、両手を広げて倒れているテオドールと。
そこに馬乗りになっているアリスそっくりの女のひと。
長い金髪が絨毯の上に広がる。
少し艶めかしくも見える、その光景だが。
けれど、2人の間に漂う濃密な空気は他を寄せ付けなかった。
たった2人だけの世界で完結している様に。
閉ざされた歪な世界を。
垣間見た気がした。
- Re: 秘密 ( No.604 )
- 日時: 2016/07/17 23:46
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
〜・126章 残された時間、傍にいる為に・〜
「…トールか」
調べていたので、知っている。
テオドールの、右腕ともいえる存在だ。
鉄砲玉というよりもなんでもこなす汎用武器の様な存在で重宝されている。
やがてバタバタと足音が続き、小柄な女の子が飛び込んできた。
アリス=エイベル
娘のアリス=ベクレルの代用品として作り出された化け物。
娘と、同じ。
完全記憶能力と、人を騙すことに長けている。
その能力はエリスにも引けを取らない。
知ってる。
知ってる。
彼の傍にいる為に、調べた。
「幽ちゃん」
ゴーストと言う通り名から幽、という日本語名を与えられている。
トールと並んで、どちらもテオドールとは切っても切れない存在だ。
知っている。
テオドールが彼らに何をしたのか。
彼らがなにを抱えていたのか。
全て、あの脆い戒めの紙に記されていた。
知らずに、彼の傍にはいられない。
傍にいる為なら、そのくらい当然。
入手するために苦労したが、この先一緒にいられるなら。
安すぎる代償だ。
「テオドールを殺しはしない。」
馬乗りになっていた所を、立ち上がる。
続くように緩慢な動きで、テオドールも体を起こす。
トール達に向き合うと、私は吐き捨てる様に告げた。
「テオドールに残った時間、全て私が貰い受けた。」
彼らの過去も今も知っている。
大変だし、苦労しただろうし、今も苦しんでいるだろう。
同情だってしてやりたいくらいだ。
正常だったら、助け出したいとか思っただろうな。
でも、もう心が麻痺して痛まない。
私が人として当たり前の様に心痛めるには。
テオドールの存在が不可欠だ。
- Re: 秘密 ( No.605 )
- 日時: 2016/07/19 00:50
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
テオドールの抱えるものを知っている。
知らずに傍に、いられない。
「テオドールの残された時間は、全て私が貰おう。」
残された時間、彼の傍に留まる。
私のことを忘れられない様に。
「必要ならば、仕事の補佐もする。介護も介抱もしてやろう。
どの道、こんな容体じゃ使えないだろう。私の娘を使え。」
トールが足を振り上げる。
早さは凄まじいが、それを少しずらして受け流す。
流れる様な動きでトールは次の攻撃に移る。
それを腕を使って攻撃を逸らす。
生粋の汎用武器であり、武道派であるトールと勝負などはなから成立しない。
真向に勝負できなくても、それでも避けるだけならできる。
軌道を逸らせるくらいなら、できる。
出来る様に、訓練した。
テオドールは私が馬乗りになっても、抵抗しなかった。
否、抵抗することが出来なかったんだ。
それほど衰弱しているのに、いつも通りの激務をこなしたのは素直に感心する。
だが、いつまでも長続きするものでもない。
放置しておけば、もっと状態は酷くなるだろう。
「後継者に仕事を教えるのも、仕事のうちだ。勿論休むのもな。」
人離れしたこの男の。
人間らしい一面を一番傍で見つめてやる。
覚えていてやる。
世界中の誰一人知らない優しさを、弱さを、温かさを。
私だけは、覚えていてやる。
それが男にとって苦痛でしかなくても。
この我が儘だけは、貫き通そう。
「私の娘は、君達が思うよりずっと。有能で、強かだ。」
トールからの追撃に対応しながら、答える。
その場しのぎの避けなど、長続きしない。
経験に関しては、彼には敵わない。
彼の体力切れを狙うのも、難しい。
先に、こちらの方が限界に達してしまう。
力があるうちに、向かいうつしかない。
「文句は誰にも言わせない。」
後ろに、勢いよく跳躍する。
そうして距離を稼ぐ。
先程投げ捨てたナイフを再び握りしめる。
私の取り柄は身軽さにある。
ナイフを持つというのは、重荷を背負うのと同じ。
けれど、ナイフが使えない訳じゃない。
蹴りを正直に受けていては負荷が大きい。
幽はあまり戦闘訓練を受けていないと聞く。
あくまで人並だと。
娘の代用品としてなら、確かに護身術くらいしか覚えていなくても不思議ではない。
けれど、警戒は怠らない。
ナイフを構え、トールに向かって突っ込む。
刺さらなくていい。
ただ、一瞬防御の体勢に入るはずだ。
そしてそれだけで十分だ。
気が一瞬このナイフに向かうだけで。
「ストップ」
そこに鶴の一声がかかった。
- Re: 秘密 ( No.606 )
- 日時: 2016/07/26 16:58
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「ストップ」
見ていれば、おおむね状況は分かった。
というか、この部屋に仕込んだ盗聴器でずっと様子は確認していた。
実際に部屋を見回すと、思っていたより部屋は騒然としていた。
床には花瓶の破片が散らばり、幽は能面の様な顔で戦況を見ていた。
テオドールは緩慢な動きで、衣服を整えている。
ナイフを構えたトールと向き合っているのは、私の服を身にまとっている女。
見れば見るほど、私によく似ている。
否、私が彼女に似たのだ。
母の手にもナイフが握られ、腕からは血がいくつかの筋と成り絶えず流れている。
絨毯は母の血を吸いこんで赤くなっている箇所がある。
「状況は把握しました。」
- Re: 秘密 ( No.607 )
- 日時: 2016/07/30 11:55
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「トール、ナイフを仕舞え。母上も。」
母は仕方ない、と言った調子でナイフをゴミ箱に投げ入れる。
それでもトールはナイフを仕舞わない。
それならそれでもいい。
「テオドール、母の言った通りだ。」
母の言葉は、憎しみで満ちていた。
けれどどこか、告白の様でもあった。
「私はこの国を継ぐよ。もう逃げない。」
もう、充分なほどの幸せを貰った。
「逃げて来たばかりの私が、上に立てるか分からないけど。
そこで弱気になるのは、あなたの娘じゃないよね。やるのが私だよ。」
これ以上の幸せを、私はもう受け取れない。
幸せを受け取った分、人に伝えたい。
じゃないと、もう抱えきれないよ。
「同情なんてしてない。私がただ、やりたくなったの。」
父が頷いてくれることも、認めてくれることも、無い。
そんなこと、分かってる。
だから、実力行使させてもらう。
「憎くてたまらない父上への、親孝行代わりの復讐だよ。」
愛されるよりも、優しくされるよりも。
憎まれたり、復讐される方が。
「そっちの方が我が家らしいでしょ?」
父は私と母を傷つけた。
母は父を憎み、そうすることで愛を示そうとした。
だから私も憎しみで示す。
父への優しさを。
父は…人の優しさを痛む人だから。
- Re: 秘密 ( No.608 )
- 日時: 2016/08/01 17:47
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
〜・127章 邪魔はさせない・〜
「私は父上の秘密を、母から知らされています。」
涼風にいた時、私に届いた茶封筒。
差出人も、宛名もない。
けれど、母だと直感した。
「父上のしてきたこと、全てを。墓場まで持って行こうとした秘密を。」
「…知らせたければ、そうすれば良い。」
「憎しみが解ければ、お前の元には誰も留まらない。」
母がぱしり、と口を挟む。
助け舟、と言えるかもしれない。
「もう延命は望めないんだろう?なら、することは独裁じゃない。」
父に残された時間は少ない。
しばらく前から、浮上している話だ。
「お前が死んだら、この国は本当に終わりだ。それがお前の望みか?」
だから、私は何度もこの国に呼び戻された。
正式に国を支えるのは、嫡子であるアレクシスになる。
けど、私はそんな重荷をアレクシスに背負わせたくない。
私が適任だと思うし、妥当だとも思う。
正式に王と成れば、間違いなく泥をかぶることになる。
泥をかぶり、非難され、いわれのないことで責められもするだろう。
幸せになど到底なれない。
一番この国の闇を吸い込み、その為に育てられた私なら。
泥をかぶっても問題はない。
アレクシスはアニエスの外で芸能関係の仕事をしているし、所帯持ちだ。
なにかあれば、被害をこうむるのはアレクシスだけに留まらない。
私は直視などずっとしてこなかったけれど。
現状を知らされて、やっと気付いた。
ずっと手がかりも、ヒントも私の中にあったのに。
もうこんな後悔はしたくない。
私一人が幸せな生活を営んでいる間。
この国では一体何人の人が死んだのだろう。
私の力でも、もしかすると1人くらいは救えたかもしれないのに。
「私はこの国を終わらせたくない。どんな手を使ってでも。」
贖罪でも、罪滅ぼしでも、罪悪感でもいい。
どんな手を使ってでも、この国を笑顔で満たしたい。
エリスもトールも、誰も汚い仕事をせずに笑える様に。
幽もアレクシスも普通の生活を送れる様に。
「その為なら、例え父上であろうと。邪魔はさせない。」
- Re: 秘密 ( No.609 )
- 日時: 2016/08/08 14:04
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「私はアリスに賛成だよ♪」
アリスは、私と対になる存在。
私は彼女には無いものを補う様に、教育された。
アリスには無い体力や体術を身につけ、社交の場に顔を出した。
まるで鏡映しみたいに。
根っこの所は良く似ていて。
幼い頃は似すぎていることが、とても嫌だった。
私の未来を暗示させるところが、嫌いだった。
こんな風にアニエスに囚われて、生きていくのかと。
牢に閉じ込められ、人形の様に、機械の様に生きているのかと思うと。
ゾッとした。
怖くて、嫌で、でも私にはアニエス以外のものがなかった。
アリスみたいになるのは、時間の問題だと思っていた。
けれど私は彼らに出逢った。
ルークとミーナ、アイザック。
どれも愛しくて、眩しくて、憧れずにはいられない様な。
そんな素敵な人だった。
恋慕という感情を抱き、世界には輝きに溢れている様に思えた。
彼らを失った痛みは、今でも癒えることはない。
彼らを失ってから、私は人が消えることの恐ろしさを知った。
当たり前の様に今まで自分が奪ってきた者。
それを、奪われて初めて痛みを知った。
誰かが視界の端から消えてしまうことすら怖くなった。
“…頼む、目に届く所にいて”“いなく…ならないで…っ!”
その言葉を、アリスはもう忘れてしまっただろう。
アリスは何も言わず、ずっと隣にいてくれた。
テオドールの様に無機質で、冷たい、機械みたいな人。
私はずっと、自分によく似たアリスが嫌いだった。
テオドールがいなくなった後、アリスに仕えるのかと思うと嫌気がさした。
でも、この時初めて。
アリスと一緒に働くのも悪くない、と思った。
「アリスの持つ強さを、私は信頼してる。」
そして数年ぶりにアリスに会いに涼風に行った。
アリスは彼らの様な人と、温かな関係を築いていた。
幼少期の頃の記憶はないはずなのに、彼らはまたアリスと一緒にいる。
それをみて、本当に何処までも似ているのだと思った。
私と同じ道を歩ませたくなくて、3人にアリスのことを話させたりもした。
アニエスから必死に逃げようと足掻いたり、彼らと手を切ろうともした。
アリスが彼らと再会して1年で。
アリスは随分人間らしくなった。
私はそれがとても嬉しかった。
「パートナーとして、理解者として、断言します。」
私によく似ているからこそ、彼女の成長が嬉しかった。
私の気持ちをくんで、違う道を選ぼうとしようとしてくれていること。
アニエスのことをよく見て、現状を共に悲しんでくれたこと。
そして今は自分のすべきことを見つけ、現状を打破しようと足掻きだしたこと。
彼女は私の想像以上の存在になってくれた。
テオドールには、本当に感謝している。
けれど、恩人を死にまで追い込みたくはない。
本人の意思も勿論尊重したい。
アリスはその気持ちまで、理解してくれた。
「次について行く人はアリスしかいない。」
次に一緒に戦うパートナーは、アリスしかいない。
そう、確信した。
- Re: 秘密 ( No.610 )
- 日時: 2016/08/17 17:19
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「ありがとう、エリス」
エリスがここまで信頼してくれるとは、嬉しい限りだ。
エリスは私の人生における先輩だ。
私は彼女の様な深い悲しみを経験したことはない。
彼女の様な壮絶な生い立ちもないし、強さもない。
だけど何時だって助言をして、時には叱ってくれた。
私はエリスの闇を、まだほんの少し垣間見ただけ。
全てはきっと把握できない。
それでもエリスは、私を支持してくれた。
「エリス、母上の手当てと明日からのテオドールの仕事の書類を私の部屋に。」
だから、私もエリスに応えたい。
バレンタインにトールがいっていた。
“あまりエリスの前であいつ等の話をするなよ”
“あいつは、大事な人達にいなくなられたことがあるからな”
その時はまだ、なにを言っているか分からなかった。
けれど、調べてみると直ぐに分かった。
私は幼い頃のことを曖昧にしか覚えていない。
けれど、それでもずっと消えずに残っていたものが合った。
大事な人達にいなくなられた、エリスの抉られるような痛みを。
私は目の当たりにしたことがあった。
彼女は再び立ち上がることはできたが、今度は笑ってばかりいる様になった。
ともかく何時も楽しそうに振る舞い、作り笑いだろうと何だろうと笑顔が絶えなくなった。
今まで通り仕事もやり始めた。
人がいなくなる痛みを知ってもなお、アニエスの為に。
常に笑いながら。
「あいさ、了解」
母の手をとって、エリスが部屋から出ていく。
それが彼らを想ってのことでも、構わない。
生きてくれるなら、例え作り笑いでもいい。
何時か、本心から楽しそうに笑うことが出来る様になればいい。
それまで私はエリスの隣にいようと。
そう思ったんだ。
「さて、これからやることが山積みだ。」
- Re: 秘密 ( No.611 )
- 日時: 2016/08/22 00:08
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
アニエスのことを知れば知るほど、難解だ。
まず知らなければ始まらないと思って始めたことだけれど。
資料の量は勿論膨大だし、それを頭の中で整理するのも大変だ。
幼い私の頭に詰め込まれたアニエスの知識など、100分の1にも満たなかった。
それに頭の中に詰め込まれている知識も、埃を被ってしまっている。
知識を余すところなく使うには、一から勉強することが不可欠だった。
問題は叩いても叩いても湧いてくる。
いたちごっこだ。
難しくて理解できない所は、エリスかアレクシスに聞いた。
テオドールは教えてくれないし、トールも私を信頼などしていないから。
信頼を得るには時間が掛かる。
分かっていることとはいえ、自分の不甲斐なさに腹が立った。
今まで何もしてこなかった私が、王になる等言いだしても。
はいそうですか、となるはずがない。
知識は覚えるだけでなく、反復しながら身体に沁み込ませる必要がある。
付け焼刃では通用しない。
必要ならば城外に行くことも憚らない。
現場の空気を見知っておくことで、より一層沁み渡っていく。
王になることにためらいは少しはあった。
けれど、私はもうアニエスを切り捨てられないと悟った時。
逃げることをやめた。
王になれない、と突き返されても大丈夫だった。
ここまで国を想ってきた父が、後継者のことを育てていないわけがない。
そんな確信が合った。
アレクシスが王になっても、私は知識を供給するために傍に置かれるだろう。
けれどそれじゃだめだ。
テオドールは家族よりも国を優先した。
家族よりも、国を愛した。
嬉しそうに、誇らしそうに、そして少しだけ悲しそうに。
民を愛したこの道が間違いな筈がないと断言したテオドール。
それはテオドールの家族にとっては何より残酷で。
そのことで母もアレクシスも苦しんだ。
そんな2人に国を背負えなど、口を裂けても言わせたくない。
テオドールなら口が裂けても言ってしまいそうだから恐ろしいのだけど。
もしかするとアレクシスはそれを光栄に思うかもしれない。
信頼されている証だと思うかもしれない。
けれどそんな過酷なものを、背負うのは私だけで十分だ。
アレクシスには、俳優と言う職もあり、愛すべき家族もいる。
私なら構わない。
テオドールの寵愛を受けずとも、優しさを与えてくれた人がいる。
そして、アニエスを救うためなら彼らとの別れも惜しまない。
それほどの強さと、揺るがない優しさを貰った。
だから構わない。
どうせ、もう彼らの傍にはいられない。
あれだけ大好きで愛おしい圭の傍に、私はもういられない。
- Re: 秘密 ( No.612 )
- 日時: 2016/08/22 20:56
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
〜・128章 奮い立つ準備・〜
「トール、幽。」
部屋にいる2人に声を掛ける。
「お前らの中で絶対的な存在はこの先ずっとテオドールただ1人かもしれない。
けど、テオドールみたいになれなくても、私は努力は惜しまない。」
彼らにとっては、拾ってくれたテオドールの存在が絶対で。
それは時間がたっても揺るがない事実かもしれない。
人を救いたい、その為に父のもとにいるトール。
父に存在を肯定された、幽。
この2人の中の父をどうやっても私は越せないかもしれない。
それでも、私はこの国の勉強をやめない。
少なくとも、この国の未来に光をともすまで。
アリアの様な子どもたち。
それを私は1人でも救いたい。
「テオドールの寿命は、もう残り少ない。
腕の利く医者に見せるが、それでもさほど延命はできないだろう。」
私はこの国に戻ってくるのが大嫌いだった。
国の為に何かしよう、と思っても圧し掛かってくる重圧に逃げ出したくもなるだろうな、と。
人の命。
だから最初は何度も何度も口にして、逃げ場を自分で塞ぐ。
やるしかない、そんな状況を作り出そうと。
そう思っていたし、その準備もしていた。
でも、アリアやテオドールの元にいる人達の過去を知れば。
自然と湧きだしてきた。
「私もこの国が大好きだ。それに人の為に何かしたい。」
勿論そんな善意だけで突き動かされるほど、私は純な人間ではない。
恐怖も不安もあれば、義務感や罪悪感だってある。
きっと始めてしまえば、もう誰も逃げることを許してはくれないだろう。
でも、それでいい。
逃げ道なんていらない。
覚悟を持って、この道を進むんだ。
「だから、逃げられないくらいがちょうどいい。」
私は臆病ものだから。
今まで幸せだった分、目をそむけたくなるかもしれない。
でも、そんな私に彼らが付いてくるほど頼もしいことはない。
「臆病な私の為に、働いてくれると助かるな。」
彼らがいることが、私の支えになる。
逃げたくない、と思っていても。
きっと私を待つ未来は、そんな気持ちを吹き飛ばすほどおぞましいだろう。
そんな小さな不安を吹き飛ばしてくれるような、彼らが私は欲しい。
「テオドールが頼りにした君達だから、私は頼むんだよ」
この先、私が歩む道に。
彼らは必要だ。
「お願いします。私と一緒に、この国を助けてください。」
彼らに向かって、頭を下げる。
「私は王になるとはいえ、君達よりずっと劣っている。」
対等なんて、到底思えない。
彼らを従わせるような人望なんて私には無い。
即戦力にはなりえないし、彼らには私には無い経験がある。
そんな彼らが付いてくるなんて、虫の良すぎる話だ。
「テオドールが一番で構わない。」
父が積み上げてきたことに、そんなに簡単に追いつくことはない。
彼らに認められるような努力も、今のままじゃ不十分かもしれない。
「私に、力を貸してください。」
それでも、私は諦めたくない。
- Re: 秘密 ( No.613 )
- 日時: 2016/08/24 16:12
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「俺は、別にテオドールに仕えてる訳じゃない。
ただ、俺の望みを叶えるのに手っ取り早そうだから傍にいるだけだ。」
まず口を開いたのはトールだ。
めんどくさそうに頭を掻きながら、これまためんどうくさそうに口を開く。
「だからっていきなりテオドールからアリスに乗り換えるほど、薄情な人間でもない。情なんて、この世界には不要だとしても。
ぽっと出のお嬢様に身をゆだねるほど、落ちぶれてもいない」
耳が痛い。
けど、反論は出来ないや。
どれも真っ当なくらい、正論だ。
「信用も信頼もこの世界じゃ役に立ちはしない。けど、これがなくては成立もしない。」
不確かで不明瞭。
されど、確かに存在する。
手を組むには、そこには信用や信頼が必ず存在する。
それはどれも純なものではなく、騙し騙されの歪な形かもしれないけど。
それでも、必要なのだ。
「今は手を組むと言ったら、信頼よりも利害の一致の方が一般的だ。
利害の為に利用し合うって言うのもあるけど。
互いを利用し合うにしても、あんたにそれほどの価値があるとも思えない。」
仰る通り。
隙がない反論だ。
私にはそんな価値はない。
努力をしたって結果が出せないと意味がない世界だ。
「テオドールには手を組んだ価値もあれば、面白味もあった。
でも、それがあんたにあるとは俺は思わない。俺を満足させるものがあるとは思わない。」
確かに、私と組んで得られるもの等ない。
彼の望むものを与えることはできないかもしれない。
「私は揺るぎません。テオドール一筋です!」
明るい声で、頭上から幽の声が聞こえる。
頭を下げているから見えないけれど、きっと笑っているのだろう。
「…テオドールは私を受け入れてくれた。」
今度は平坦な抑揚のない声が返ってきた。
やっぱり、思い通りにはいかない。
まあ、あっさりついてくる様な人を信頼も信用も出来ないけれど。
今の私はこの2人を使えない。
「って訳だ。出直してこい。」
下げた頭をあげて、にっこり笑って見せる。
「はい、出直して来ます。」
私は諦めない。
この国の王になると決めた。
アリアの様な子どもを助けたいと思った。
橋の向こうに何度も行くうちに、老人や病人が溢れていることを知った。
そんな彼らも、笑って行ける国を作りたいと思った。
くだらない正義感、くだらない罪悪感。
そう切り捨てられても、文句は言えない。
私のしてきたことは、そういうことだから。
だからって。
ここで逃げ出したら、今までの自分に嘘をついたことになる。
国を背負うと決めた覚悟、アリアの様な子どもを無くしたいという願い。
圭たちと決別しようと涙を拭いた日も、全て否定することになる。
それは嫌。
私はあの時確かに、願ったんだ。
例えどんな夢物語であろうと、成し遂げたいと。
中途半端な気持ちではなく、本当に馬鹿みたいに心から思えたんだ。
けれど私は弱く、小さいから。
逃げ出したくもなるし、足が震えて止まらない時もある。
そんな自分が私は何より嫌い。
アニエスにいる人は皆、もっと怖い想いをしているのに。
それを胸に仕舞って、誇り高く笑っているのに。
なにも出来ない自分を、私はもう許せない。
だから支えてくれる彼らが、どうしても欲しい。
「また明日も来ます。」
私を強く奮い立たせてくれる、彼らが欲しい。
- Re: 秘密 ( No.614 )
- 日時: 2016/08/30 23:29
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
部屋を出る時、圭とすれ違った。
話を一体どこから聞いていたのだろう。
少し弱気な顔をしていた。
私の言葉で色々揺れている所があるのかもしれない。
それでこの追い打ちだ。
けれど私はにっこり微笑んで見せた。
ここで甘やかしてはいけない。
「おやすみ、圭」
いっぱい悩んで、苦しんで、答えを出して欲しいんだ。
そうやって圭の横をついっ、と通り過ぎた。
- Re: 秘密 ( No.615 )
- 日時: 2016/09/02 20:22
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「おやすみ、圭」
アリスの顔はとても笑っていた。
けれど笑い声はとても乾いていた。
アリスは本気なんだ。
分かってはいた。
けれど改めて認識させられた。
アリスは本当に、アニエスの王になるつもりなんだ。
誰のせいでもない、自分の意思で。
その為の行動を、既に始めている。
自分はここで動けない。
動けず、通り過ぎていくアリスを止めることも出来ない。
アリスは未来を見ている。
父やトール達の前で自分の意思を話していた。
必要とする力を手に入れるために、頭を下げることも厭わない。
アリスのこと、ずっと好きで力になりたいと思っていた。
その為に彼女の父親と対峙する覚悟もしてきた。
彼女が昔授けてくれた言葉が、まだ胸の中にある。
けれどそれを恋と勘違いしてるんじゃないか。
“私は圭の道を阻害する”
“痛みを与える敵でもある”
アリスの言葉が、胸を抉る。
“だから、それはもういらない”
にっこりとほほ笑みながら、イヤリングとブレスレットをつっ返してきた。
“圭には自分の道を歩いてほしい”
“今は何をするにも痛みを覚える、圭と出会う前には覚えなかった痛みを”
“アニエスと言う存在は私を圭たちだけの世界から出してくれた”
何を言っているんだろう、ってずっと思っていた。
アニエスの存在がずっとアリスを苦しめているものだと思っていた。
けれど…
あの時のアリスの言葉は、まったくの真逆の言葉。
恩人と言う気持ちと恋慕の感情を、間違えているんじゃないか。
アリスはそう言っていた。
アリスが口にした言葉が、こんなにも自分を動揺させる。
好きだと信じて疑わなかった。
それを根本から揺らされた。
アリスのことを見ていて、自分は何時まで経っても同じ場所。
やりたいことも、したいことも、なにもない。
アリスはするべきことを見つけて、それにまっすぐ進んでいる。
気付かぬうちに、どんどん置いていかれそうで。
まるでそれを好きという言葉で、必死にしがみついているみたいだ。
不覚にも、そう思ってしまった。
アリスは本気だ。
アリスの進む道に、自分と言う存在はあまり必要とはしていない。
アリスを失った場合、自分がどうなるのか。
想像なんてできない。
“…でも、私は圭の優しさ以外も見てみたい”
“私達のしてることって、本当に恋愛なのかな?”
いつかの帰り道に、アリスがそんなことを言っていた。
だから、しがみついているのかもしれない。
でも、そろそろ手を離すべき時が来たんだ。
分かっている。
未来に進むにあたって、こんな執着はただの枷にしかならない。
でも…!
それでも彼女に向けた想いが、ただの執着だけだと思いたくない。
本当はやめろって言いたい。
傍にいてほしいって、泣いてでも止めたい。
でも、それをアリスは望んでいない。
アリスがいなかったら…
どんな日々も無意味だ。
「どうしたんですか?」
気付かぬ間に下を向いていたらしい。
上から降りかかってきた声に、顔をあげる。
「先輩」
学校の後輩、有栖川幽だった。
- Re: 秘密 ( No.616 )
- 日時: 2016/09/04 23:40
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
〜・129章 普通と言う素晴らしい才能・〜
幽…アリス・エイベルはアリスの代用品として育てられた。
テオドールは彼女にとっての恩人で。
テオドールがいなければ、きっと彼女はここには存在しなかった。
彼女は自分の異常性を誰よりも理解していた。
何時まで経っても頭にこびり付いて剥がれない記憶。
そしてもう1つ、欠陥を抱えていた。
人として過ごすには、かなり大きな、致命的ともいえる欠陥が。
けれどそれらをすべて分かったうえで、孤児である彼女をテオドールは救い傍に置いている。
彼女は両親のことを覚えていない。
彼女の母は、彼女を産み落としたことに絶望し自害した。
幼い自分を育ててくれた大事な人がいたが、それもすぐにいなくなった。
いなくなった瞬間を、今でも覚えている。
あの人は、化け物である自分のせいで死んだのだと彼女は理解している。
生きるための知恵を密かに身につけ、わずか5歳前後でそれを無意識に行っていた。
テオドールに出逢ってからはひたすら知識を詰め込んだ。
武術も軽く習い、なにより人を騙す才能に恵まれていた。
初めての任務は9歳。
得た知識で人を殺めて妖しく笑った。
その仕事の様から、通り名はゴースト。
それがアリス・エイベルという少女だった。
- Re: 秘密 ( No.617 )
- 日時: 2016/09/19 12:39
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
そんな自分の後輩の正体を知らずに、圭は言われるがまま別室に移った。
圭が知っている幽の情報は、とても乏しい。
アリスの代用品で人を騙すのにたけている、くらいの認識だ。
「私はアリスの気持ちも、先輩の気持ちも、分かりません。理解できません。」
椅子を勧めた後、開口一番切り捨てる様にそう告げた。
「それでも客観的に見ると、2人は確かに依存しすぎているような気がします。
それ故にアリスは決断をしたんだと思います。互いの為に。」
それから諭す様に、静かに淡々と告げる。
後輩と思っていた少女から諭される、と言うのもなんだか変な気分だ。
「私には考えて、想像して、答えを出すしかできないから。」
ぼそり、と呟く。
幽は休みになったアリスの家に行こうとした行動を異常と言った。
異常。
アリスに向けるこの気持ちは、異常なのだろうか。
アリスになにかあれば直ぐに助けたい。
多分、自分のことをそっちのけにしても。
でも…
きっとアリスはそれが嫌なんだよな。
自分の為に誰かが傷つくことを、嫌がる子だから。
迷惑を掛けたがらなくて、アニエスのこともずっと黙っていた。
アリスは進む道を決めて、その道には自分を必要としていない。
今までずっと一緒にいたのに、いきなり突き放すのはとても勝手だ。
でも、そうさせるに足る原因があるのだろう。
そう思えるくらい、アリスのことは知っているつもりだ。
「先輩は勿体ないと思うんです。頭だって悪くないし、運動も出来る。
作曲の才能は長けてるし、その癖美術もそこそこできる。
努力家だし、一途だし、忍耐強いか…は知りませんけど…
礼儀正しいし、思慮は少し浅いけれど狭量ではない。凄いと思います。」
なんだかこそばゆい様な、変な気分だ。
面と向かって、褒められ称えられるというのは。
照れる、恥ずかしい、と言うよりかは戸惑うに近い。
最後は若干、貶されているような気もするけれど。
「アニエスに暮らす者として、私も当然武術の心得もあれば頭の回転も速いです。
でも、普通の世界に暮らしていながらそこまでの才能があるのは凄いです。」
それから少し苦笑いを浮かべた。
「私の場合は、求められたからあるだけです。」
それは確かに、事実なのだろう。
必要とされたから、普通の生活を捨てて。
この世界に入ったのだろうと、そのくらいは分かる。
俊敏さも、賢さも、狡さも、射撃の腕も、格闘の技術も。
必要だから身につけたにすぎない。
「幼い頃の、あなたの生い立ちは知っています。
母の虐待に対して耐え、生きながらえたのも正直に凄いと思います。
その後アリスの補助があるにしても和解を成し遂げたのも、素晴らしいことだと思います。」
和解…というのはそうなのだろうけど…
結局アリスがいなければ、真実を知ることなく母の最後に立ちあうことも出来なかった。
自分は何もしてはいない。
アリスがいなければ、向き合うことにいまだって逃げていただろう。
「普通なら、周りに流されてしまったり触れようとしない過去にも立ち向かって見せた。
高校で過ごしても思いました。同級生は自主性、と言うものが欠けている気がします。」
「ほんと、日常の尊さが分かっていない。それが心底イラつきます。」
周りの空気を読んだりすることは…あった。
けれど、今はただ単純に読む必要がない空間にいるから。
アリスやマリーやリンの傍は。
そういう煩わしいものがない。
自主性がない、というのは案外的を射ているのかもしれない。
温かい陽だまりの中で、ただ幸せに過ごしていた。
何も考えず。
「自主性はいきなり見つけることは出来ない代物です。
私もそれを探すのに、酷く戸惑っています。
少しずつ見出して…他人とは違うことを探していくしかないんだと思います。」
目の前の少女が俯いて、表情に暗い影を差した。
幽のことは…少しだけ聞いている。
アリスと同じ完全記憶能力の保有者だと。
全てを記憶し、頭を使い、生き伸び、国を救うために育てられたアリス。
そのアリスのスペアとして、幽はいるのだと。
幽はアリスの影だった。
テオドールに拾われ。
アリスと同じ名前を付けられた。
それを聞いた時。
例え恩が合っても、自分自身が消えてしまうことを内心恐れていたのではないか。
そう思うと、途端になんと声を掛ければいいのか分からなくなった。
大丈夫だよ?
幽は消えたりしない?
そんな言葉に…何の重みもありはしない。
自分は幽の事を何も知らない。
くすり、と笑って幽は明るい声で笑って見せた。
けどね、と楽しそうに話した。
「誰かの真似をして、誰にも私だと分からなくなっても。
私さえ分かっていれば、それで良いんです。性格が似るなんて、当たり前です。
人は親の背中を見て、親の性格に似るんです。だから、なにもおかしくないんです。」
まあ私の話はさておき、と照れたように笑い返した。
何も言えない。
けれど、彼女が生きてきた中で見出してきた。
あまりに達観した価値観に、おもわずぽかんとしてしまった。
「自分でも分からなくなるほど誰かと同化してしまうなら…悩む必要もないですしね。
自分にすら分からないなら“自分”なんて必要ないでしょう?
人は自分って言う、危うくて不確かなものに依存し過ぎなんですよ。」
幼く見える後輩の、見た目にそぐわぬほど饒舌。
幽は表情を使って巧みに人を騙すのに長けていると聞いている。
自分が見ていた後輩は…全て彼女が望んだ、虚像だったのか。
「でも、先輩が凄い才能があることはきっと私よりアリスの方が知ってます。
それを封じ込めるのが、とても勿体ないことも。その為にアリス自身が妨げになっていることも。」
「才能…とか言われても…」
普通の高校生だ。
何の変哲もない。
作曲も趣味の一環の様なものだし…特になにか秀でているわけでもない。
野球で素晴らしい成績を出した、とかそう言う訳じゃない。
成績だって中の中くらいだ。
「普通の高校生をやること。それは私達にとっては望んでも得られるものじゃない。
普通に暮らす、なんて素晴らしい才能だよ。私達にとってはそっちの方が価値がある。
大勢の中で自分を失わずにいるのは大変でも…そういう苦しみすら羨ましい。」
アリスや幽、エリスにとっては。
アニエスの為に動くのが当たり前で。
涼風で普通の高校生を送るなんていうのは、まるで夢の様な日々だったのだろうか。
「勿論これは私の主観で、普通の人からすると日常なんて退屈かもしれない。
でも、安全で退屈な時間にいても色々想像することも決して無駄じゃないと思うの。
思考錯誤する時間は、とても幸福で温かな時間だと思うんです。
義務かもしれなくても、その日々の中で楽しさを見出すなんて遣り甲斐がありそうじゃない。」
ふっと、顔を伏せながら幽は続ける。
顔には弱弱しい笑みが貼りつき、それでも言葉を紡ぐ。
「どんな日々だって、続けば退屈です。
危険を孕んだ私達の様な生活でも何時かは単なる日常になります。
結局は、自分で行動に移し変化を及ぼすしかないんですよ。」
結局、と言葉を続ける。
「日常も、こちら側も。結局はなにも変わらないんですよ。」
- Re: 秘密 ( No.618 )
- 日時: 2016/09/23 15:57
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「脱線しましたね」
幽は照れたように、控え目に笑って見せた。
「先輩は…アリスへの気持ちが、偽りであることに怯えているのですか?」
ドキリ、とした。
心臓を掴まれる、というのはこの様なことなのかと実感させられた。
「それは…アリスが特別な存在だからですか?
不幸な境遇にいるアリスに対して抱いた気持ちは恋慕では無く同情だったとでも?」
「…アリスを好きなのは…慕っているのは…昔から好きだと信じてた。
こんな気持ちは、恋慕以外にないと思っていたから。疑ったことがなかった。」
幼い頃、家が窮屈で。
逃げ出した先で、アリスと出会った。
アリスと話すのが楽しくて。
彼女の為に力になりたくて。
傍にいたくて。
ずっとそばにいられたら、って何時も願っていた。
その気持ちを恩と誤解している、私達がしていることは恋愛なのかと。
彼女が問いかける度に、不気味に心が揺れた。
「アリスの道に…いらないのは、僕の方だ。」
この気持ちを、ただの執着だと認めたくない。
大事だと思ったことも。
傍にいたいと思ったことも。
全部ただの執着だったのだと、思いたくない。
けど、恋慕なのかと言われると…ハッキリ断言できない。
でも今自分がやっていることは、アリスに縋るだけで。
アリスに恩だと思わせている。
客観的にも、大事に思っていた当人にも。
やっていることはそう映っているんだ。
気付けば頭を垂れる様に、両手で抱え込んでいた。
「アリスだって、気持ちに揺れていましたよ。」
揺れる?
アリスが?
「アリスだって、答えを迷いながら傷付きながら出したんです。
アリスだけが特別な訳ではないです。自分だけが被害者面しないで下さい。」
すっ、と幽が目の前で立ち上がった。
そしてまるで別人の様に、ひやりと冷たい声を発した。
「先輩を連れてくれば、少しは変わると思っていたのに興ざめです。」
つまらなそうに、感情が抜け落ちた顔で、吐き捨てた。
「先輩もアリスを見て、答えを出してください。」
そしてそのまま、静かに部屋を出ていった。
- Re: 秘密 ( No.619 )
- 日時: 2016/09/26 15:37
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
アリスが別れよう、と切り出した時。
ブレスレットやイヤリングを、掌につっ返してきた時。
ただただ、信じられなくて。
自分の何が悪かったのかとか。
またアニエスのことで苦しんでいるのか、と思っていた。
アリスは傷つけることに慣れていなくて。
何度も距離を置かれた。
拒絶すれば、傷つけることを知っていたから。
本当の意味で拒絶をしなかったけれど。
本当に、何度も。
どれだけ言葉を掛けても、しばらくすると距離を置こうとした。
アリスにとってはアニエスは長年ついて回った、切り捨てられないものだった。
だからそれを失うことが、不安に繋がることも仕方ないと思っていた。
なによりもアリスに自由に生きていて欲しかったから。
アリスを苦しめるものを、排除しなければならないと信じつづけていたから。
けれど、アリス自身の気持ちを。
気付いたら見落としていた。
恥ずかしい。
自分のことばかり考えていた。
それが、死ぬほど恥ずかしい。
アリスは自分のことを考えて…何処までも他人の事を考えていたのに。
アリスはあの時、なにを想って別れを決断したのだろう。
それを知らないといけない。
- Re: 秘密 ( No.620 )
- 日時: 2016/10/02 10:22
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
〜・130章 アリスを知るために独自調査・〜
再会して暫く、アリスには昔のことを覚えていないことが分かった。
アリスはお母さんの目を逃れるために、この町に来た。
そこで出逢った。
アリスと過ごした日は夢のようだったけれど、アリスはそのことを覚えていない。
誰ひとりいなくなった基地で、泣いていたことしか覚えていないらしい。
本人がそう言っていた。
6年越しの再会で、アリスはちっとも変わっていなかった。
あの頃はアリスと会うのを恐れていたけれど、それがとても嬉しくて。
些細な行動の端々に幼い頃のアリスの面影を見つけては、胸が熱くなった。
けど、アリスからするとどうだろう。
アリスは幼い頃のことは覚えてなどいない。
話を聞いたことがあるとはいえ…
それでも、初対面の様な人と会うのは怖かっただろう。
覚えていないのなら…何故、基地で歌っていたのだろう。
幼い頃は、とても仲が良かった。
アリスは自分の家までやってきて、歌いながら泣いていた。
歌うことは、基地に楽譜があるから出来ただろう。
それでも見ず知らずの少年の為に泣くことが、どれだけ大変なことだろう。
それ以外にも、自分に合わせる為にどれ程気を付けたのだろう。
それなのに自分は記憶が欠落していることしか、見抜くことが出来なかった。
アリスは当たり前の様に、笑いながら接していたから。
けれど、その笑顔の奥でアリスはどれほどの不安を隠してきたのだろうか。
本当は、何時も一緒だった3人のことを覚えていないなんて。
夢にも見なかったのだ。
じゃあ…
幼い頃のアリスにかけられた言葉がきっかけで…アリスを好きになった。
その言葉を、アリスはどんなふうに思っただろう。
覚えてもいない自分をきっかけに、好きだと言われても。
嬉しさなんてこみ上げてこないだろう。
ただただ、嫌なだけだ。
どうして今更、そのことに気付いたのだろう。
ずっと前からそのことを知っていたのに。
- Re: 秘密 ( No.621 )
- 日時: 2016/10/10 19:12
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
椅子に深くもたれかかり、少し伸びてきた前髪を弄る。
少しずつ、アリスと出会ってからを思い出して。
そこを自分の視点ではなく、アリスの気持ちで思い返してみる。
すると、今まで見えて来なかった物が見えて来るような気がした。
アリスはアニエスのことを、知られてどう思ったのだろう。
嫌だと思ったのだろうか。
知られて、態度が変わることを恐れただろうか。
それとも…演技をしなくて済んだことに、ほっとしただろうか。
アニエスのことを隠して、笑っていることは辛かっただろうか。
それとも隠して普通の高校生活を送ることを、アリスはどう思っていただろう。
アニエスと言う存在を知らない、普通の高校生活は…楽しいものだったのだろうか。
ただ辛いだけのものではないと、思いたい。
でもそれは…自分の希望的観測だ。
事実を歪みかねない。
もっと。
思い出して、考えろ。
そうすればきっと、何か分かるはずだ。
アリスの気持ちに、少しでも近付くために。
- Re: 秘密 ( No.622 )
- 日時: 2016/10/15 07:09
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
アリスはアニエスにいた時、電話をしてきた。
つまり自分たちのことを、悪く想っていないはずだ。
お別れを告げたい、くらいには大事に想っていたと思う。
連絡を取る理由がないからだ。
アリスとしては、どちらでも構わないからだ。
連絡が取れなかったら取れなかったで、誰もなにも疑わなかっただろう。
アリスは自分たちと別れた後、高校に入るまで色んな家をたらい回しされていたらしい。
アリスはそれを自虐的に、アニエスの未来の為だと言っていた。
本心ではどう思っていたのだろう。
日常的に殴られたり、辱められたり。
そのせいでアリスは強くなったのかもしれないけど。
決して楽な道ではなかっただろう。
アリスからその話を聞いた時は、とても辛くて。
より一層、親身にならないといけないと思った。
アリスにとっての何十分の一でも、気持ちは少しだけ分かる様な気がしたから。
気持の通じ合わない家で過ごす、肩身の狭さくらいなら分かっていたから。
厳しい仕打ちに耐え、笑っていられる姿に、一種の憧れを抱いたのかも知れない。
アリスの強さに、魅せられていたのかもしれない。
誰に対しても、容赦がない。
周りの目なんか気にしない。
それでいて、いつも他人優先なところがあった。
けれど…
アリスの本質は、一体何だったのだろう。
アリスの父が冷酷非道で残虐な人だと思っていた。
けれど彼の本質は、どこまでも民を守ろうとした優しく不器用な男だった。
何よりも彼自身が傷つく茨の道だった。
必死に周りに憎まれようとしていた。
それなら。
アリスの本質は何だろう。
きっとまだそれをハッキリとは見ていない。
優しくて、強い、女の子だけじゃない。
それ以外のアリス。
彼女は自分たちと一緒にいて、どう思っていたのだろうか。
嬉しかった?
楽しかった?
愛しかった?
それだけではないはずだ。
きっと、辛くも苦しくもあったはずだ。
分からない。
そうは思いたくない気持ちもある。
けれどそれ以上に、彼女が心中でなにを想っていたか知りたい。
思い返せば何時だって、嬉しそうに笑っていた。
時に、悲しそうに泣いていた。
怒ることも、稀にあった。
でも、嫉妬とか憎しみとかそういった類の。
醜い感情は、見たことが無い。
アリスの見えていない一面を見る為には。
きっとアリスがアニエスでなにをしていたかも知る必要がある。
- Re: 秘密 ( No.623 )
- 日時: 2016/10/23 16:06
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
部屋を出た後、アリスのことを知ろうと関係者を探した。
「統也さん」
最初に会ったのはアレクシスだった。
部屋から出たばかりの所の様で、扉を閉めていた。
アリスとは腹違いの兄で、涼風では三田村統也という偽名を使用している。
アリスはアレクシス、と呼び捨てにしているけれど。
なんとなく偽名で呼んだ方が、アリスの兄らしく感じられた。
最近は見掛けていなかったのは、ずっとアニエスにいたかららしい。
血筋的には正当な次期王になるはずだ。
そう思えば、忙しいに決まっている。
「アリスの昔のことを知りたいんです。知らなくてはいけない気がするんです。」
そう言われると、顔に驚きが広がった。
この人は、一体どう思っただろう。
自分の代わりに王になると言い出した自分の妹のことを。
アニエスと言う枷から解放されて嬉しく想っただろうか。
それとも、悔しく想っただろうか。
「あ〜…圭、と言ったかな。個人的な感想を言うなら知らない方がいいと思う。」
そう言われる気は、なんとなくしていた。
アリス自身が思い出すことを拒んでいた。
それにこの人も、何気に妹想いな所がある。
「妹は確かに、知られたくなくて故意に隠してる。関係が変化することに恐れている。
それでも言えるのは、知らないことが癒す傷もあるということだよ。」
そういうと、少し困った様に笑いながら歩いていってしまった。
- Re: 秘密 ( No.624 )
- 日時: 2016/10/25 13:24
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
〜・131章 “しいたげられた国”・〜
その後、エリスや幽に当たってもよい答えは得られなかった。
アリスに口止めされていると、それだけを言って遠ざかっていった。
アリスの手際は見事だった。
知っているであろう関係者各位に口止めをし、それに纏わる資料も全て破棄されていた。
アリスの存在は秘密裏であった為、そもそも名前が記されていない。
それでもなにかあると思っていたが、確認できる範囲ではさっぱりだ。
かなり昔と言うこともあり、情報はなかなか集まらない。
アリスと出会う以前の話だから、10年以上前の話になるはずだ。
城にある図書室にアニエスの歴史にまつわる本が細々と置かれていた。
けれど10年近く前のことは、あまり残されていない。
小さくとも国として成り立つのだから、本になっていてもおかしくないのに。
アニエスの歴史関係の本棚は、がらんとしている。
王城なのだから、少しはあるはずなのに。
もしかすると、アリスが借りていったのかもしれない。
仕方なく、近くにあったアニエスの童話集を手に取った。
童話などなら、少しは歴史に則って記されていることもあるだろう。
けれど予想に外れて、書かれているのは夢見がちな物語ばかりだ。
当たり前だが聞いたこともない様な話ばかりだけれど、ありふれた様な話だ。
その中に1つ、気になる童話が合った。
その題名は“しいたげられた国”
- Re: 秘密 ( No.625 )
- 日時: 2016/10/27 20:42
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
『むかしむかし、あるところに小さな国がありました。』
出だしは、いたって普通だ。
普通の童話や昔話と変わらない、典型的な書き出しだ。
『ゆうふくではなかったけれど、やさしいひとがくらしていました。』
子供向けなのかひらがなばかりで、少し懐かしい。
『まわりには大きな国がたくさんあって、やさしい小さな国のひとたちはたくさんのいやがらせをうけていました。』
…
子供向けの童話なのに、なんだかシビアだ。
『小さな国のひとたちは、いやがらせをうけながらも、強く笑いながらくらしていました。
けれど、いやがらせはだんだんひどくなっていきました。』
お金を巻き上げる役人らしき人と泣く国民、暴力をふるわれている絵。
見ていて痛々しくなる様な挿絵が描かれていた。
『あるとき、大きな国のひとたちが小さな国のひとをころしました。』
突然飛び込んできた、文字。
胸を弓で貫かれた人の絵、首を剣で切り落とされた人の絵。
『小さな国のひとたちは、あたまが良かったけれどたくさんの人がしにました。
むかしからなんどもまわりの国にしいたげられ、ころされてきました。
小さな国のひとたちはなんども知恵をつかって、おいかえしました。』
けれど、ある時小さな国は大きな国に吸収されてしまった。
頭が良く、優しい人の暮らしていた小さい国の国民達。
彼らは国を追い出され、大きな国に奴隷として連れていかれた。
彼らは語るのもおぞましい程、残虐な目に合った。
たくさんいたはずの国民は、みるみる数が減っていった。
残ったのはたったの5人。
その5人は、大きな国を出て小さな国に戻る決意をした。
それから生死をさまよいながら、逃げ出して小さな国に戻った。
そして外界を繋ぐ橋を全て落とした。
例え飢えて死のうとも、絶対に許さないと心の底から憎みながら。
『そして、小さな国のひとびとはぜったいに大きな国のひとびとをゆるさないときめました。
ぜったいに、ぜったいに、大きな国のひとびとのいいなりにならないことをきめました。』
ラストにはこう締めくくられている。
『いまも、小さな国のひとたちはたたかいつづけているのです。』
続きがあると思っていたのに、これで終わりらしい。
魔法の道具も出て来なければ、救いもない。
小さな国は、間違いなくアニエスのことを示唆している。
アニエスが小さいながら、今だ国と言う形を保っているのは。
迫害される過去があったからなのか…?
“たくさんの人がしにました”
過去に、アニエスの人が沢山死んだことがあるのだろうか。
それも…何度も。
子供向けに記されているはずの童話が、酷く残酷で。
それでも…これはきっと事実なのだ。
今では外の世界との繋がりもある。
それでも追い込まれても国として保ち、大国に屈していない。
トールやエリス、幽はいまだに裏稼業をしている。
それでも決して服従しないと決めている。
どんな汚い手を使おうとも。
周りの大国達の機密情報を握って、脅しながらも国と言う形を保とうとしてる。
それを、小さな子どもたちにも伝えようと本にされている。
本を閉じると、それを静かに棚に戻した。
- Re: 秘密 ( No.626 )
- 日時: 2016/10/30 10:55
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
それからアリスを見掛ける度、忙しそうに走り回っていた。
城にいる時間はぐっと減り、食事の場にも顔を出さなくなった。
城にいても部屋に籠って書類を読みこんでいるか、トール達に頭を下げるか。
さもなくば、疲れきって眠っているかだ。
彼女はまだ父親の仕事を譲られた訳ではない。
それでもアリスの母の口添えもあってか、少しずつ手助けをしているらしい。
アリスは折角母に会えたというのに、二人の時間はさほどとっていないらしい。
アリスは増えた仕事に東奔西走していたし、アリスの母もテオドールにつきっきりだったからだ。
けれど双方とも、あまりそれを気にしている節はなかった。
テオドールの寿命が残り少しと言うのなら。
せめて夫婦水入らずの時間を少しでも増やしておきたいのかもしれない。
夫婦と呼んでいいものか、分からないけれど。
それでも互いに、思う所はあるのだろう。
自分も日々子供たちの為の玩具を作ったり、孤児院で子供の世話を見ている。
涼風に戻る日時も正式に決まった。
アリスはアニエスに留まる意思を固めた。
涼風に戻ったら、もう毎日の様に会うことが出来ないくなる。
アリスと話す時間も持てないまま、期限が刻一刻と近づいてくる。
アリスは決断してしまった。
だから、自分も行動に移さなければならない。
- Re: 秘密 ( No.627 )
- 日時: 2016/10/31 22:32
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「こよみ」
書類を読んでいると、軽いノックの音が3回響いた。
「…母上」
もっと砕けた呼び方で構わない、と艶やかに笑ってこちらに歩んできた。
見た目は、生き写しの様にそっくりだ。
けれど母には私とは別種の聡明さと、大人っぽい艶やかな雰囲気がある。
母の周りに流れる時間は酷く穏やかそうで、静かだった。
私は急いて、迷って、行き詰まってばかりいるのに。
そう言った所に母の方が長く生きているのだと、感じさせるモノが存在する。
「…なんて呼べばいいのか、分かりません」
「好きに呼べばいいよ。親子なんだし。」
あれだけずっと想っていたのに。
会ってみるととても呆気なくて、感動の涙も出なかった。
私の存在が母の人生を狂わせたことに、あれだけ苦しんで泣いたのに。
そういえば…
圭と初めて初めてキスをした時…母のことで泣いていた気がするな。
「最近…良く思うんですよ。」
アニエスで生まれてから、色々酷い目にも合った。
幸せなことだってあった。
「些細な思い違いや、偶然が重なって…人は不幸になる。
ただの純粋な悪意なんてなくて…通り雨みたいに突然、不条理な目に合うことがある。
そうやって、救いがない道を歩くこともある。」
「そうね。」
窓の外に目をやりながら、ひとり言のように呟く。
「苦しまないと出せない答えだってあると思うんだ。
私はもう幸せに出逢ってしまったけれど…幸せになる前に、やらないといけないこともあるんだよ」
「そうかもしれない。別に逃げても、責められはしないだろうけど。」
きっと母は、分かって後の言葉を付け加えたのだろう。
傍にいる時間は少なくても、なんとなく分かった。
「それもそうなんだけどさ…きっと、幸せを掴むために必要なことなんだと思うんだ。
2人のままでいたら、どの道駄目になってしまうと思うんだ。私も…相手も…」
「そうね。」
「互いの存在感に安心を覚えて、そこで止まってしまう。
でも、今の私達には傍に居ながら成長する術を持ち合わせていないと思うんだ。
傍にいるだけで、それだけで良いとそこで止まってしまう。それほどに脆くて、弱いんだ。」
それはきっと、圭と私の偏った生い立ちも関係あると思う。
傷付いた過去があるから、それ故におかしいくらいの依存をしている。
傍にいればいい、お互いを守れればそれでいい。
それでいい、ばっかりだ。
「もっと…互いに広い世界を見て…依存ではなく、恋愛をしたいの。
色んな人を見て、その上で私を選んでほしいの。
アニエスのことを片づけたら…そうやって真っ白になってから、選びたいの。
多分、そんな思いも…どこかにあったと思う。」
そうでないと、色んな色に塗りつぶされて。
自分と言う意思が分からなくなる。
私が好きになってほしい私は、アニエスと言う殻に閉じこもっている私じゃない。
同様に、私は依存し合う圭を好きじゃない。
このままだと今の場所に甘え、彼は自立しなくなる。
「つき離さなくても私はアニエスに残るから、自然と距離は出来るだろうけどね。
会いに来たら、意味が無くなっちゃうし。
その時に圭も涼風でただ私の帰りを待っている様だと駄目だから。」
私には、時間がない。
アニエスのことを片づけるのだって、数年なんてものじゃ済まないだろう。
たくさん、待たせると思う。
けど、今は私が圭の逃げ場になって未来を封じている。
甘えてしまって、辛いことが合っても逃げてしまう。
この先、一人で泣く夜もあるだろう。
でもそんな日が私達を強くしてくれる。
だから、逃げちゃダメだ。
「圭に、ちゃんとそのことを伝えないといけないのに。」
きっと会ったら、迷ってしまうから。
彼が今のままで傍にいてくれたら、それで良いんじゃないかって。
そう思ってしまうから。
けど、未来は何があるか分からない。
1人で歩ける様な力を、いい加減付けるべきなんだ。
それに、たがいに寄り掛かったままだと。
私も、彼も。
前に進めない。
だから、ここらへんでもう。
私達は別々の道を歩いた方が良いと思った。
- Re: 秘密 ( No.628 )
- 日時: 2016/11/02 18:08
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
〜・132章 忘れられない過去と、忘れてしまった思い出・〜
「若いって良いわね。」
「…私はそうは思いません。」
「何もせず蹲って時間が経つのを待っていても味気なく、つまらないわ。
愚かであろうと間違っていようと、自分が生きた証なら少しは愛おしく想えるものよ。
若い頃はなんでもできるし、迷うことも間違えることもとても大事なことよ。」
母の言ってることは、正論かもしれない。
けど。
「私は昔のことなど、思い出したくありません。」
圭と出会う前のことなど、思い出したくない。
絶対に。
あれほど無知で、愚かで、間違ってばかりの、最低なこと。
「私もそうだった。丁度今のあなたくらいの年よ。あなたを身籠ったのは。」
それは…知っている。
母の見た目は30代にしては若々しいが、纏う雰囲気はそれ以上だ。
母にとっての悪夢の始まりは、今の私と同じ頃。
「過去から逃げても、絶対に逃げられないわ。だってそれは今の私を作っている物だもの。」
違う。
違う、違う。
血だまりの中で、無機質に立っている。
そんなの、私じゃない!
「私の始まりは、圭と出会った時からですっ!その前の私は人ではありません!」
私の人生は圭と出会う高校まで…私は昔あった優しいケイのことを想ってきた。
覚えていない、エリスから聞いたことのある少年。
会った時、すぐに圭だって分かった。
圭を好きになってから…私の全ては始まった。
圭に会う前のこと、全部忘れたかった。
自分のしたことの重みが、圭といるほど辛いものへと変わっていく。
なのに…絶対に私は絶対に忘れられない。
完全記憶能力なんて、こんなときばかり私を苦しめる。
「…違わない。人でなくても、それはあなたよ。」
同じ顔をしていることが、余計に苛立ちを助長させていく。
鏡に映っているみたいで。
未来の自分に、諭されているみたい。
「私はテオドールのことも、あなたのことも。憎くて、疎ましくて。
忘れようと仕事に打ち込んだり、娘のことを気にしたり、迷ってばかりだった。」
母の、見つめている視線に映っているのは。
どのような過去なのだろう。
私が知らない様な苦しみも、辱めも、痛みも。
たくさんあっただろう。
「疎ましく思ったり、苦々しく思ったこともたくさんあった。
苦しんで、布団をかきむしって眠れない日も何日も…何年もあった。」
それでも、母は娘と父を想って。
ここまで歩いてきた。
「それでも私は戻ることはできなかった。触れることはできなかった。」
父が、母を遠ざけたからだ。
私が生まれて、用無しになったから。
…もしかすると父は、母の全てを見とおすような聡明さを恐れていたのかもしれない。
自分の本質を見透かされることを。
そうして理解されることを、恐れていたのかもしれない。
その恐れや怯えから、母を遠ざけたのかもしれない。
不思議と、そんな気がした。
「あれだけ憎かったものが、今では何より愛おしい。」
母の中でくすぶっていた憎しみは。
彼の本質を知り、愛しさに変わった。
変わった…とは少し違うかもしれない。
母の中には、まだ父を憎む気持ちもあるのだから。
憎しみと愛は似ている、とどこかで聞いたことがある。
そう考えると憎しみから生まれる愛だって、べつにおかしくはないのかもしれない。
憎んでいるから、愛することが出来て。
愛しているから、憎むことが出来るのかもしれない。
「彼のしたことは許せない。今でも、憎んでもいる。私の人生を台無しにしたんだから。」
それでも、と誇らしげに笑って見せた。
そっと頬に手を寄せ、優しく撫でた。
「こんな娘を得られたのなら、きっと私は幸せ者ね。」
- Re: 秘密 ( No.629 )
- 日時: 2016/11/03 13:17
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「あなたはまだ、手の届く所にいる。
私は彼の死期が迫るまで、触れることはできなかった。けれど、あなたは違う。」
私は…そんなに綺麗で潤な娘ではない。
圭にずっと嘘をついて、騙して、捨てようとしている。
アニエスのことだって…今の今まで目を逸らして逃げてきた。
「せめて残された時間は、彼と過ごしたいの。」
母の手は、借りれない。
母は今は何よりも、父の温もりを必要としている。
この先逃したら…母は一生父の傍にいられなくなる。
そんな大事な時期、私は母の邪魔をしてはいけない。
「痛みばかりの彼の人生、最後の最後くらい…幸せになってほしい。
幸せが彼にとって痛みにしかならないとしても、この我が儘だけはつき通すよ」
母は…父を愛しているのだな。
私を見つめる瞳にも、父の面影を探している。
私を救おうとしてくれたのも。
父を愛した証を、守ろうとしたのだ。
歪んで、憎しみに満ち溢れていても…それでも狂おしいほどに、愛している。
私にはそんな気持ちは分からない。
私の圭への気持ちは、幼い子供みたいに未熟だ。
母の様に達観していなければ、きっと覚悟だってない。
圭のことは大事で、愛おしくて、傍にいたいと願っている。
…でも、それは傍にいられたら幸せだろうなと思っているだけで。
夢の様に現実味を帯びていない、ただ理想に過ぎない。
理想を現実に近付けるのも大事だと思うけど。
やっぱり、現実も見ないといけないと思うんだ。
私は命がけで生きなければならなかったけど。
圭はそうじゃない。
もっと広くて自由に、生きていて欲しいの。
- Re: 秘密 ( No.630 )
- 日時: 2016/11/03 14:07
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「私は…圭に隠していることがあります。
私は圭が好きな…私でいることに、私は…耐えられません…っ!」
私は圭に会ってから、初めて人間になれた。
幼い頃、圭と会ったことは正直あまり覚えていない。
けれど、エリスからずっと話を聞いていて。
そんなに優しい人に出逢えたら、変われるんじゃないかって思っていた。
一度は、私を変えてくれたのだから。
その頃は、色々な家にたらい回しにされていて。
毎日が苦痛で堪らなかった。
母にも愛されていないと信じ切っていて。
強くあり続けるしかなかったから。
だから、たまにエリスと会う機会があれば。
何時も彼らの話を聞いていた。
そんなに安らぐことが出来る場所が、私にあったなんて信じられなくて。
でもそんなことがあったら、どんなに素敵だろうと思って。
まるで別世界の様で信じられなかったけれど。
痛みも責任も、立場も何もかもないような。
そんな場所が出来たら、どんな気持ちだろうとよく想像していた。
何度も基地に足を運びながら、彼らに会う日を楽しみにしていた。
基地の中にある楽譜を読んで、素敵な歌だと思いながら歌うのが日課だった。
それが、覚えてはいない彼らにつながっていられる気がして。
高校になっても、その日課を続けていた。
そこで、マリーに会った。
覚えてはいないけれど、エリスの話す特徴そっくりの3人。
直ぐに分かって、涙が零れた。
ガラにもなく人を抱きしめた。
- Re: 秘密 ( No.631 )
- 日時: 2016/11/03 19:00
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
彼らは初め、私と距離をとっていたけれど。
昔私を変えてくれたように、また私を変えてくれるのではないかと。
そう言う思いが私を突き動かし、彼らは私の元に留まってくれた。
エリスの言っていたことは本当なんだって、身に沁みるほど実感した。
彼らはあまりにも私に優しくて。
私の中に変化をもたらしてくれた。
私は彼らのことを覚えていないことを、気付かれない様に尽力した。
もっともそんなことは無理な話なので、彼らは薄々気付いていたらしいけれど。
彼らはそれでも自分たちのせいで私の記憶が欠落したと、気にしていたけれど。
それからたくさんのことが合った。
アニエスにだって何度も連れ戻されたし、アニエスからも何人も来た。
想いを伝えて、伝えられたりもしたし。
彼らの家族に会って、たくさんの愛の形を見て。
彼の手を取ったり、離したり、迷ってばかりだった。
けれど…どんな時も身につけていたイヤリングを彼に返した時。
私は彼を切り捨てたのだ。
彼の根本にある私への想いは、幼い子供の頃の気持ち。
私は覚えてなんかいないんだよ。
私はずっと彼らを騙してきた。
好きとか言われても…もう、喜べない。
「馬鹿だなぁ…」
馬鹿なのは彼だろうか。
それとも…
- Re: 秘密 ( No.632 )
- 日時: 2016/11/03 19:07
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
〜・133章 電話越しの叫び・〜
圭たちが涼風に戻るまで、あと数日。
携帯からはもう圭の連絡先を消去してしまった。
覚えているので、あまり意味はないけれど。
彼らが涼風に戻ってからは、連絡は取るつもりはない。
まだ雑用の雑用の雑用くらいしかさせてもらっていないけれど。
これからはもっと、仕事は増える一方だろう。
知ることをたくさん知って、やることをやらないといけない。
圭と言葉を伝えられるのは…あと少しだけなんだな。
母と別れた後、廊下でぶらぶらと歩いていた。
仕事に取り掛かろうと思ったけど、今日の分は終わってしまった。
それでもやることは多いけど、小休憩に余った茶菓子を取りに居間に行った。
クッキーを食べていても、甘くて嫌気がさしてきた。
胸になにかが突っかかっているみたい。
圭。
私は大好きだよ。
何時だって、頭に浮かんで胸が温かな気持ちで満たされる。
頭で分かってても、彼を求めてしまう。
けど、それだけでは駄目だと思ったから。
本当に好きだからこそ、離れて歩かないといけないと思ったんだ。
懐から、携帯電話を出す。
消去してしまったけれど、頭に残った番号を指で丁寧に押していく。
耳に当てると、不気味なくらい冷たかった。
「…圭」
- Re: 秘密 ( No.633 )
- 日時: 2016/11/06 20:14
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
部屋で眠っていた。
滞在するのも残り数日と言う所で、アリスのことを調べるのに忙しかった。
焦って、空回りして疲れてしまったのだろう。
携帯が控え目な音をたてていて、目が覚めた。
眠ったことにすら、気付かなかった。
アリスはこれ以上のことをこなしていると思うと、少し情けなくなった。
表示されていたアリスの名前に目を見張った。
最近はアリスとは距離が出来ていて、もう話すこともないと思っていたから。
『…圭』
電話越しに聞くアリスの声が、酷く懐かしい様な気がした。
本当は数日しか経っていないというのに。
「…アリス?」
『直接会うと…迷いそうだから…』
迷う。
その単語はいつものアリスにはあまり似合わなくて。
『でも、今伝えないと…もう話せない気がして…』
アリスも、迷ったりしているんだ。
そう思うと、少しアリスを身近に感じた。
やっぱり普通の女の子なんだと、再確認できたみたいで。
『圭とさ、出会えてとても嬉しかったんだ。それは嘘じゃないの。
エリスからずっと話は聞いていて、会えるのを楽しみにしていたんだよ。』
アリスはこちらの返事を待たず、言葉を続ける。
言葉にすることで自分自身に確認しているような。
噛み締める様に、ゆっくりと話す。
『圭に会えて…初めて私は変わることができた。優しくなれた気がするんだ。
圭を好きになって、良かったって心から思っている。でも…』
息を止め、吐き出すように告げた。
『やっぱり、私は圭の傍にはいられないよ。』
- Re: 秘密 ( No.634 )
- 日時: 2016/11/09 21:18
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「圭が大事だからこそ、私は圭に自分の汚い所や醜い所を隠していたい。
…いや、隠していたんだよ。気付かれたらどうしようってびくびくしながら。」
気付かれたら、傍にはいられない。
傍から離れていくのを、ずっと恐れていた。
距離をとることはあっても、それは心のどこかで彼らは私を見捨てないと信じていたから。
「私には圭しかいなかった。マリーやリンしか…3人しかいなかった。
3人が離れていくのは…本当に嫌だったんだよ。」
安らぎや癒しをくれた。
アニエスで生きていく息苦しさが、彼らの傍では何時も和らいだ。
「圭はさ…私にとって、創造主みたいなものなんだよ。
3人がいなかったら、私は今も…ううん、今なんて存在してなかった。
今の私は、間違いなく圭がいなければ存在していない。」
圭たちと出会う前は…本当に辛くて。
生きているのが、辛くてたまらなくて。
何処にいっても憎まれて。
蔑まれ、痛めつけられ、傷つけられた。
心を閉ざし、基地に逃げ、誰もいない所で。
覚えていない思い出を抱いて、歌った。
それでも耐えられない時何度も死のうとした。
生きる意味も理由もなかった。
そんな私にとって。
これから先1人になっても。
圭達と過ごした、何気ない日々は。
私に力をくれる。
「1人にならないためなら、例え圭が見ているのが昔の私でも構わないと思った。
それくらい、必死だったんだ。全身全霊と言っても良い。」
でも、次第にそれは苦しくなっていった。
段々それは私じゃない!と叫び出したくて堪らなくなった。
「圭が見ているのが…今の、醜い私じゃなくて良かった。」
圭の目には、神々しい女の子に映っていた。
慈愛に満ち、どこか危うげで投げやりながら、必死に誰かを守ろうとしていた。
そんな私はどこにもいないのに!
それでも…あの場所を失いたくなくて、必死で。
圭の傍にいられるだけで幸せだと、思いこもうとしていた。
「私は…アニエスで生きる上で、恋は命がけなんだよ。
命を掛けても相手を守ろう、愛そうって覚悟が必要なんだ。…エリスや、母みたいに」
母のように、一途に人を愛せるのが羨ましい。
相手のどんな過去や、どんなことをしっても…傍にいつづけて。
愛しつづけている。
「そうじゃないと、相手に危害が加わるから。生半可な覚悟では人は好きにならないの。
好きになっても、その想いを隠し続けて…伝えてからも、どちらだって命懸けだよ」
私が圭の傍を何度も離れようとしたのも、そういうことだ。
傷つけるのが、怖かったから。
「でも、圭にその覚悟を強制したくない。好きになったのは私なんだから。」
圭はまだ高校生だ。
私と違って、輝かしい未来がある。
可能性が無限大だ。
昔の私にばかり縛られて、今を見失ってほしくない。
そんなの、私も圭も救われない。
「こんなことに、命を懸けるなんて馬鹿げている。
圭の人生は長くて、まだまだ色んな事がある。私に付き合わせたくないんだ。
懸ける命は、私のだけで良い。圭と付き合って…気付いたんだ。
私は…、自分を偽って…苦しい想いをしてまで、圭の人生を狂わせたくない…っ!」
今の、ありのままの私を見せていないのに。
そんな私の為に人生を棒に振ってはいけない。
それほど無駄なことはない。
愚かで、無価値で、救われないことなど、ない。
「1人になるのが怖かったんだ。今まで付き合わせて、ごめんね。」
1人に戻るのが、怖くて。
でも、圭に隠しているのも辛くて。
八方ふさがりで。
それでアニエスに逃げた。
アニエスの為に生きたい、と思ったのも事実だったから。
丁度良かった。
『迷惑じゃ…なかったよ。アリスのこと、大好きだった。』
…圭達に去られるのが、どうしようもなく怖くて。
沢山嘘をついて、傍にひきとめてきた。
自分に嘘をつかせる圭のことを嫌いにもなったし、やはり愛しくもあった。
「圭と別れようって思ったのもさ、やっぱり甘えちゃうからだと思ったんだ。
何時だって欲しい言葉、優しい気持ちを分けてくれるから。」
私自身も気付かなかったような。
欲しい言葉も、気持ちも、温もりも。
全て分け与えてくれたから。
圭を想って、人を想うことの幸せさを身に沁みる様に感じた。
「本気で圭と一緒にいるなら、やっぱりアニエスから目を背けてはいけないと思ったんだ。
アニエスのことを本気で取り組むには、逃げようが向かい合おうが。
圭がいるのは、あまりにも不都合だった。」
初めは、記憶を消そうと思った。
アニエスの機密情報を宿した記憶を、私の中から消し去ったら。
私はもうアニエスにいる理由が無くなる。
そうでなくても、父が死んだらきっと逃げだせた。
けれど圭に別れを告げた後、家に投函されていた茶封筒。
その中には母からの手紙が入っていた。
手紙と言っても、まるで報告書の様な味気ない内容で。
父の辿ってきた足跡が、ただ淡々と綴られているだけだった。
それを読んでから、私は記憶を消して逃げ出す道を諦めた。
「父のことを知って、逃げてはいけないと思ったんだ。
アニエスにいる人は、みんないろんなものを切り捨てたり傷ついたりしながら。
それでも、本当に大事なものを失わない様にひたむきに頑張る優しい人ばかりだった。
私にはできることがある、私にしかできないことがある。」
それが、分かったから。
私が生きてきて、幸せを受け取り、悩み、苦しんだことが。
なにか意味を帯びてきた様な。
やっと使えるのだと、この為に使いたいと思えることに出逢えたから。
「1つ…聞きたいの。」
私にとって、とても大事なこと。
「圭にとって…圭が描く…私ってどんな女の子?」
- Re: 秘密 ( No.635 )
- 日時: 2016/11/14 20:01
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
『圭にとって…圭が描く…私ってどんな女の子?』
アリスはずっと、1人になるのが怖くて。
その為に全力で傍に引き留めようとしたことを詫びていた。
3人の存在が、どれほど大事だったか。
アリスの言葉からひしひしと伝わってくる。
そんなアリスを責める気など起きず、むしろ感謝することばかりだった。
それほどに大事に想ってくれる相手など、早々出会えない。
アリスの様な子に、二度と出会えない。
声が少し涙で湿っているような気がした。
「どこまでも他人思いで…優しくて…ちょっと意地悪で…
人見知りなところもあって、努力家で、いつも笑顔にしてくれる。
なにかあれば引っ張ってくれて、強気で、いつも一生懸命で…きりがないよ。」
『…私はそんなに立派な人間じゃない』
「えっ?」
ドスの利いたあまりにも低い声に、一瞬怯んでしまった。
『自分勝手だし、弱いし、他人を僻んでばっかりだし…そんなに立派な人間じゃないっ!』
突然発せられた大声に、耳を疑った。
あまりにも、いつものアリスと違ったから。
『圭には…私はそんな風に見えているんだ…』
そんな風に…?
『違うんだよ…私はそんなに凄い人間じゃないんだよっ!
私はもっと弱くて、醜くて、自分のことばっかり考えてて、周りを笑顔になんかできない!
もう頑張れない…頑張りたくない…もう私は…っ、笑えないんだよっ!』
あまりにも、痛々しい声。
辛くて、痛くて、我慢できないほど隠して、それでようやく吐きだした様な。
そんな声。
「…そんなことないよ。」
『そうなんだよっ!もうこれ以上隠していくのが、私は苦しいんだよっ!!』
吐きだされるアリスの言葉に、飲みこまれそうになる。
濁流の様に、もう止まらない。
今までずっとせきとめていた思いが、溢れだしていた。
『私は酷いこと、たくさんしてきたっ!それでも圭たちに嫌われたくなくて…
圭達の前では、圭たちが望む、強くて優しくて温かい…そんな私でいなければならなかったっ!
3人に嫌われるのだけは…それだけは嫌だったからっ!!』
アリスが必死に隠していたこと。
アリスと出会う前のこと。
それだけだと思っていた。
けど…アリスが隠さなければいけないことは、他にも合った。
そんなこと、思いもしなかった。
『スキースクールで…薬を飲み続けないと死ぬって告げられて…
私はそう言う体になったんだって、絶望したよ。でも、笑って誤魔化した。
圭は優しい言葉を…たくさん掛けてくれたよね…よく、覚えてる』
スキースクールの夜、屋根の上でアリスはそんなことを確かに話していた。
アリスはそれで良いの?と声を掛けると。
ボロボロと涙をこぼしながら、普通の生活に戻りたいと泣いていた。
『けど、いつ死ぬか分からない体になるのなんて怖くてたまらなかったっ!
薬を飲む度、死んじゃったらどうしようって…それでも、圭の前では笑って見せたっ!
圭の言葉は…本当に、嬉しかったし助かったよ…少し、軽くなったよ、確かにね。
けど、救われた後は何時だって笑っていなければいけなかったっ!!
何時だって何回も乗り越えられるほど、私は強くないっ!!』
アリスを助けたこと。
それを悔いたことはない。
アリスを救えなかったことを悔いたことは何度もあったけど。
『初めはまだ…耐えられた。圭たちがいれば、本当に救われたような気分になってた…
でも、どんどんエスカレートしていって…次第に駄目になった…
当たり前の様に立ち上がれるものだと思われて…でも、今更言い出せなかったっ!』
言葉を掛けて、傍にいて、支えればアリスは笑ってくれた。
それだけで、やって良かったと心から思えた。
けど、どこかでアリスのことを軽んじてはいなかっただろうか。
アリスなら、直ぐに乗り越えられる。
そういう強い女の子だとどこかで軽んじていなかったと、本当に言えるか?
『皆本当の私なんて見えていない…それでも、特に圭の傍にいるのは辛かった。』
急に、静かな口調になった。
吐きだす思いを吐きだし、半ばもう諦めたような…
疲れ切った口調だった。
『他の2人より…大事に想ってて…でもその分、嫌われたくないって想いが強かった…
圭はいつだって私のことを気にして…大事に想っててくれたから…
まだ辛い、これ以上助けて、なんて口が裂けても言えなかったっ!!』
血を吐く様な、痛々しい…
アリスの叫び。
『圭はよくやってくれた…私を救ってくれた…これ以上私の為に力を裂いてもらいたくなかった。
嫌いになって…もらいたくなかったから。圭が好きな私は、そんな私じゃなかった。』
そう言われて…なにも答えられない。
自分の中のアリスは…アニエスに縛られている弱い救わなければいけない、普通の女の子。
でも、なによりそこから足掻こうとする強い女の子。
きっと、なによりもそこに惹かれたのではないか?
『圭は…本当に凄い人だから…私が憧れる、強さと弱さを持っている人だから…
人の痛みに、どこまでも寄り添える人で…弱い所すら、愛おしかった…
私と一緒にいるだけで…楽しそうに笑って…それだけで幸せって顔をしてくれて…嬉しかった…』
だからこそ、アリスは抗いつづけなければいけなかった。
無理をしてまで、絞り出す様に、頑張り続けなければいけなかった。
癒しをくれる、大事な場所が…いつの間にか、苦しみを与える場所になっていた。
『黙って…から回って…逆恨み、こんな醜い自分を…隠しておきたかった…
でも、私はもうこれ以上頑張れないんだよ…私にはもう、なにもないんだよ…
これ以上、私からなにを奪っていくの…?そんなこと、言わせないで…っ!』
アリスは何時も頑張っている女の子だと思っていた。
自身が苦しんでも、他人が苦しんでいたら。
迷わず飛び込む様な。
その様子がとても危うげで時折心配になるけれど。
人の為に頑張れる子だった。
でも、その『頑張り』はアリスにとっては心を削る様な…痛みを伴っていたんだ。
『もう、本当の私なんて分からないっ!ただ、苦しくて辛くて…痛いだけっ!!
救いも安らぎも、どこにもないっ!!何が癒しなのかすら…私にはもう…っ!』
ずっと気付かなかった。
自分がアリスを想っていたのは。
アリスにとっては苦行でしかなかった。
『…ごめん、もうこれ以上言っても…嫌になるだけだから…もう、切るね』
大きく息を吸うと、震えた声でそう吐きだした。
返事を聞く前に、アリスはブツリッと電話を切った。
最後の最後まで…何も言い返せなかった。
- Re: 秘密 ( No.636 )
- 日時: 2016/11/23 21:12
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
〜・134章 今まで通りにはいられない・〜
電話を切った後も、ずっとアリスの声がリフレクションしていた。
アリスが放った言葉や、叫び。
それが時間が経つほど、胸の内で次第に膨らんでいった。
アリスは憎んでいたのだろうか。
気付かぬ間に理想ばかりを追い求め、押しつけ続けていた自分を。
それでも隠し続けなければいけなくて、黙って、痛みに耐え続けてきたのだろうか。
アリスは自分の本質を見てくれたのに。
母のことを調べ、母の最後に付き添ってくれた。
母と向き合うのが怖い自分に。
アリスは、弱くて迷って逃げてばかりいる自分を知っている。
だから、アリスには嘘はつけない。
アリスがいるだけで幸せそうな顔をしているって言うのは、本当だ。
どうしようもない安心感と、幸福感に満たされた。
でもそれと引き換えに…アリスは痛みや妬みが身体を蝕んでいった。
これから…アリスとどうやって接していけばいいのだろう。
傍にいても、傷つけるだけなのかもしれない。
そう思うと…やっぱり、今まで通りには笑えないのだろう。
知ったら、もう今まで通りに笑えない。
そのことも分かっていたから、アリスはずっと隠してきたのだろう。
だから、あんなに詫びていたのだろう。
1人になりたくない、そんな我が儘に付き合わせてしまったと。
別にそんなこと気にしないのに。
アリスが1人が恐ろしいというのなら、いくらでも傍にいるのに。
でも…それではきっと駄目なんだろうな。
傷つけあうことしかできないほど、自分たちは未熟だ。
好きになってもらわないと、息が出来ないから。
そんな想いが…いつだって、いつもアリスを追い詰めていた。
でも、これ以上アリスを縛り続けてはいけない。
そう少しでも思うのならば、もう…
コンコンッ
ノックの音が響き、返事を待たずにドアが開いた。
「なにしてるんですか?」
朝食を載せたであろう盆を持った、マリーだった。
活発さと、静かさを持ち合わせた女の子。
「…ちょっと…考え事」
「どうせアリスのことでしょう。ケイの頭は何時もそればかりですから。」
食事の席には、呼ばれて何度も行った。
けれど、食欲が湧かず結局残してしまった。
子供たちの為の玩具作りにも参加できなかった。
部屋に戻っても、眠気すら訪れなかった。
疲れ果てて、気付けば眠り、目が覚めて、数口だけの食事をし、また部屋に戻る。
そんな日が…もう何日続いただろう。
「そう…かもね」
でも、アリスのことは…なにも…見えていなかったな…
幸せだったのは、こちら側だけだったんだな。
アリスには、なにも与えられていないんだ。
「まあ、恋愛に迷いや衝突は避けられないですからね」
衝突、なんてものじゃない。
一方的に、吹っ飛んだようなものだ。
アリスが心をすり減らし、もう無理だというほど追いつめていた。
「でも、アニエスにいるのも残り少しですから。
アリスはここに残るそうですから、言いたいことはちゃんと話してくださいね。」
そう。
ようやく暇を得たアレクシスが同伴で、飛行機を飛ばしてもらえるのだ。
出席日数もあるし、自分たちが留まるべき場所に戻らなければならない。
アリスは自分の居場所を確認し、それは涼風ではないと決断したのだ。
早く…答えを出さなければいけない。
どこまでも幸せで…アニエスのことを片づけたら。
今度こそ幸せに生きていけるのだろうと信じて疑わなかった。
でも、アリスを苦しめていたのはアニエスではなく自分。
自分が強い女の子であるアリスに、憧れを抱いたから。
そんなアリスに惹かれたから。
アリスは頑張り続け、心をすり減らし、自分自身を嫌い、ぼろぼろになった。
1人にならない為に、アリスはどれだけの犠牲を払ったのだろう。
アニエスを除けば、アリスには3人いるあの場所しかなかったから。
その場所にしがみ続けるしかなかった。
アリスは、幼い頃はずっと牢で1人で育っていたという。
1人でいる辛さは、誰よりも知っていたのだろう。
「食欲はなくても、ご飯は食べてくださいね。思考力も、衰えますよ。」
パンッ、と目の前で掌を打ち合わせた。
その音に、一旦思考を途絶えさせられる。
「私にはきっと言えることはないから、せめて精一杯悩んでください。
応えてくれないことは…とても、辛いことですから。それは知ってますから。」
マリーは…長年、リンへ片想いをしていた。
それでも、想い続けとうとう実らせたのだから末恐ろしい。
リンがアリスを見つめている時も、傷付く覚悟で傍にいつづけた。
だからこそ、今があるのだと思う。
そういうマリーだからこそ、想っても想い返してもらえない辛さを知っているのだろう。
「後で、リンが食器を下げに来ますから。それまでに食べないと、口に突っ込みますよ。」
何時だってそうだな。
迷ってばかりいると、何時だって他の3人が励ましてくれる。
だから、ここはこんなにも居心地いいのだろうか。
でもそれは、とても美しいけれど、とても歪なようにも見える。
何時も他人がいて、困った時には支え合っている。
だから、なにかあると直ぐに弱ってしまうのだろうか。
1人で解決する力を、失ってしまうのだろうか。
- Re: 秘密 ( No.637 )
- 日時: 2016/11/23 10:01
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
もそもそと、口に食事を詰め込んでいく。
舌は機能をやめ、ただ口に含み飲みこんでいく作業をのんびり続ける。
ただただ不快でしかない。
弱い自分が嫌になる。
こんなことで、こんな風になにも出来なくなってしまう。
アリスも、こんなことが合ったのだろうか。
味のしないご飯を飲みこみ、眠れないほど悩んだのだろうか。
それでもアリスは、笑顔を振りまき、それを周りに悟らせなかった。
そうして、今。
どうすればいいか分からなくなって、ぼろぼろの身体を引き摺っている。
立ち上がる力も失い、それでも気丈に振る舞おうとしている。
だから、ここで止まる訳にはいかない。
味がしなくても、不快でしかなくても、食べなければいけない。
アリスの言葉を知ったのだから。
アリスの想いを知ったのだから。
それは、ただの贖罪かもしれない。
それでも、ここでなにもせずうじうじしているのは。
単なる甘えだ。
引きこもって3日目で、ようやくその行動に移せた。
何度もむせ返り、せき込み、苦労しながら飲みこむ。
水で流しこみ、スプーンでよそったご飯を口にする度猛烈な吐き気が襲う。
感じやすいな…全く。
こんなに弱くて、脆いから、アリスは心配を掛けまいと無理をしたのかもしれない。
なにかあれば、直ぐに喉を通らなくなり、眠れなくなる。
「お疲れ様。完食おめでとう。」
いつの間にか、リンが部屋に入ってきていたらしい。
最後の1口を飲みこみ、やっと息がつけた。
リンはきっと途中から見ていたのだろう。
完食したはいいものの、気持ち悪くて暫く返事が出来なかった。
「俺、医者を継ぐのはやめようと思うんだ。」
唐突に発せられた、リンの言葉に耳を疑った。
「はっ!?」
リンの今の家は、医者だ。
跡継ぎがいない医者が、成績優秀なリンを見越して養子になったのだ。
だから引き取られてはずっと勉強ばかりして、医者になろうと励んでいた。
何年もずっとそうしていた。
「人が傷つくのを見るのは嫌だからさ。正直血も苦手だし、足の引っ張り合いも嫌いだ。」
「えっ…でも…」
そんなことになったら。
「衝突は免れないだろうけど、やりたいことが出来たんだ。」
衝突することも、見込んでいる。
今まで言葉にしなかったのは、きっと本人も迷っていたからだろう。
「万里花にも、ちゃんとプロポーズする。それで母さんとも一緒に暮らす。」
…母さん
愛しい人の影を求めて、傷つけることを恐れてリンを置いていった。
リンの母親。
けれど和解を済ませ、今は離れて暮らしているが連絡は取り合っているらしい。
「…万里花の家を継ぐのか?」
「それも考えたけど…経済とか金銭のやり取りは嫌いではないけど…
それを仕事にする気は、特にないかな。必要とあれば、やるけどさ。」
それよりやりたいことが出来たんだ、と満足そうに笑った。
リンは母との問題を終えてから、子供の様に笑うことが増えた。
今までの様な、落ち着いた大人の様な微笑みは影を潜めてしまった。
色々我慢することが多い環境だったから、屈託なく笑うことをやめていたのだろう。
万里花を得、友を得、母を得たリンは。
限りなく満たされ、気持ちを表現する術を遅ればせながら身につけたのだろう。
冷酷で、人との関わりもほとんどなく、クラスメートからも一線引かれていたリン。
でも今のリンはどこから見ても、ただの少年だった。
「上手く行くかは分からないけど。どうしてもやってみたいんだ。
言うのはまだ恥ずかしいから、言わないけどな。」
子供らしさを残しながら、もともと整っていた顔立ちはどこか大人っぽくなった。
変わったんだ。
苦しんで足掻いたリンの姿を知っている。
そこからリンは、抜け出して変わったんだ。
そんなリンを見ていると、どこか焦り始めた自分がいた。
- Re: 秘密 ( No.638 )
- 日時: 2016/12/04 23:40
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「恋愛感情じゃないけどさ、俺はアリスのことも好きなんだぜ。」
万里花程じゃないけどさ、と顔をくしゃくしゃにしながら笑って見せた。
どことなく不敵な笑い方で、どこかアリスと似ている。
もともと口数の少なさや、そのくせ動作に感情が現れるところや。
優しさに不器用な所、少しずつ笑う様になっていたところ。
昔のアリスに似ているような気がしていた。
勿論アリスと違って勤勉だったり、几帳面だったりする所は似ても似つかないけれど。
纏う雰囲気はどこか少し似ていた。
リンと話していると、出逢ったばかりのアリスを想起せずにはいられなかった。
けれど、なにかを振り切ったリンは。
今のアリスに少しずつ近づいているような気がした。
やるべきこと、やりたいことを見つけ。
楽しそうで、どこか子供みたいに無邪気で、それでいて大人びて見えた。
自分の生きる意味を見出し、それに向かって没頭できることが嬉しくて仕方ないと言わんばかりに。
2人とも変わった。
嫌、変わったというなら万里花もだろう。
皆前に進んでいる。
駄々をこねているのは、自分だけだ。
アリスがいない生活が考えられなくて、ずっとこのままでいられると思って。
自分で歩きだすのを止めた。
アリスを傷つけたことを知り、それでもまだアリスにしがみつくことしかできない。
「だから、アリスが本気で決めたことなら。口出しする気はない。」
アリスが、本気で決めたこと。
そんなこと、分かっている。
アリスが生半可な覚悟ではないことも、ちゃんと分かっている。
アリスは自分の恩人で、大事な、尊い存在で。
だからこそ、いなくなるのが怖い。
アリスがいなくなった先、生きていく自分を想像できない。
「俺はアリスのことが好きだよ。人として、友達として。
俺には俺で頑張るべき場所がある。それはアニエスじゃない。」
それでも、自分のやりたいことがあるから。
それに向かって突き進むんだ。
自分には、突き進んでまで手に入れたいものはない。
アリスくらいしかいない。
辛い時、哀しい時、楽しい時、なんでもない時。
傍にいてほしいと願うのは、他の誰でもないアリスなんだ。
ずっと隣にいて、笑って、そんな日が続くことを夢見ていた。
でも、時間は流れていく。
決断すべき時は必ずやってくる。
今のままなんて幻想だ。
「それにさ、ちゃんとこれから先もずっと万里花と一緒に暮らしていくならさ。
傍にいたいなら、ずっとこのままなんて言ってられないよ。」
そこでリンは再び口端をめいいっぱい釣り上げて、笑って見せた。
「だって、もっともっと幸せにしたい。俺だって幸せになりたい。
だから今のままなんて、ふざけんなってんだよ。俺たちはもっと幸せになってやる!」
堂々と胸を張って、誇らしげに笑うリン。
高々と宣言した言葉に、微塵の嘘も躊躇も存在しない。
…羨ましい
自分も変わりたい。
例えアリスと一時的に離れることになろうと、幸せになる為に尽力できることを。
見つけたい。
アリスを都合のいい相手にするのではなく。
裏表を全て知って、それでも互いに支え合える相手に。
なりたい。
- Re: 秘密 ( No.639 )
- 日時: 2016/12/11 11:55
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
酷いことを言った。
きっとじゃない。
絶対、圭のことたくさん傷つけた。
食事の席に出ていないと、エリスが毎日の様にこぼしていた。
部屋に引きこもり、部屋を出入りするマリーやリンの疲れた姿しか目に出来ないらしい。
それだけで大体現状がどうなっているか、分かる。
マリーやリンの手にする食事は、いつも殆んど口が付けられていない。
それでエリスはかなりご立腹だ。
足りない訳ではないが食事は節制したいと、勿体ないと愚痴ていた。
お金はエリスやアレクシスの稼ぎがあるから、困りはしない。
けれど大国と付き合うために、お金はかかる。
だから貧民層も存在するのだ。
電話してから数日、殆んど食事を口にしていない。
私は慣れていても、圭は違う。
きっとやつれている。
最低だ。
確かに圭に言ったことは少なからず真実だ。
圭が見ている私はあまりにも神々しくて、天使みたい子だった。
私はそんな理想と違うことが苦しかったし、作り笑いだって何度もした。
でも、圭の傍が唯一の安らぎであるのも事実なんだ。
その安らぎを失いたくなくて勝手に無茶して、から回ったのは私なんだ。
圭が私の本心に気付かなかったのは。
なにより私がそれを望んだからだ。
だから圭はなにも悪くない。
なのに。
圭は私に文句の1つも言わない。
どうして。
どうして圭はそんなに優しいのだろうか。
圭の優しさは憎らしいけど、私を救ってくれもした。
憎いけど、それが愛しくもある。
まるで母が父に向ける気持ちみたいだ。
でも私は母とは違う。
母は父の意志を尊重し、父の死に際まで彼の陰に徹していた。
父の傍にい、父を想い続け、父を見返すために生きてきた。
父の中に、少しでも存在し続けようとした。
それが母の意志で、母が決めたことだ。
私は圭を追いかけてアニエスから逃げ出しもしなければ。
圭が私を追いかけて闇に沈むのも嫌だ。
互いに、好きなように生きればいい。
圭が例え私を想っていなくても。
私が圭を想えていればいい。
圭の中に私がいなくても、私の中には圭がいる。
それで充分。
それが私の意志。
私は圭を追いかけない。
そうすればいつか、絶対に後悔する。
元気に生きていれば、それで良い。
私ばかりにしがみついて、生きていて欲しくない。
私も、これからどういう顔で圭の傍にいればいいか分からない。
圭が帰国するまでの数日。
私は圭の部屋には近づかなかった。
- Re: 秘密 ( No.640 )
- 日時: 2016/12/18 13:17
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
〜・135章 幸せの代償・〜
「アリス」
圭とは会いたくない。
会ってもどんな顔をすればいいか分からない。
私が散々迷い、決めた答えを。
圭はあっさりと覆した。
そうだ。
確かに圭はそういう人だった。
いつも私の考えや予想を覆し、私を驚かせる。
なのに、圭らしいと思わせる。
人が必死に考えた答えを台無しにする。
けれど、私には考え付かない答えに辿り着ける。
「なあに?」
微笑み返しながら、ゆっくりと振り向く。
部屋には近づかないと決めたのに、圭は自分で会いに来た。
私の考えを覆す圭は、もしかすると私よりずっと強いのかもしれない。
「廊下じゃなんだし。場所、変えよっか。」
周りのことをよく見、気持ちを組み、それで考え、行動できる。
なかなか答えが出せなかったり、行動に出せなかったりもするけど。
どこまでも人間らしく、優しく、温かい。
流されることが合っても、苦しんで答えを出せる。
逃げ出しても、いつか答えを出せる。
そんな圭は、きっと私よりずっと強い。
- Re: 秘密 ( No.641 )
- 日時: 2016/12/19 02:43
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
アリスに連れられ、屋上の淵に並んで腰かける。
後から座ったアリスは少し距離を置いた。
下から吹き上げる風や、連なる建物を見ると少し怖くなる。
アリスはそんなことを全く気にしない素振りで、あしをぷらんぷらんと揺らしていた。
街並みを静かに見降ろし、こちらの言葉を待っている様にも見えた。
「僕はアリスの一面しか見ることが出来なかった。」
今更気付いて、それが死ぬほど恥ずかしい。
アリスのことを助けたいって豪語して。
それなのに、アリスのこと何も分かっていなかった。
「アリスが笑顔で苦しみを隠していたことに。気付くことが出来なかった。」
ここに来て、アリスの知らない一面を知って。
涼風にいたアリスは、笑顔で必死に隠していたんだと気付かされた。
そうすることでしか、アリスは居場所を確保できなかった。
居場所を失うことだけは、アリスは絶対に嫌だったから。
今になってやっと、分かった。
色々なことを調べて、真正面から向き合って、泥を被りに行く。
母親や身内の問題はそれに筆頭する。
マリーやリン、そして自分も。
トラウマを解決し、前へと向かって歩いていけるようになった。
それはアリスの善意だけではなく。
元々同じ立場ではないのだから泥をかぶっても大丈夫、と自分を軽んじてもいた。
それだけだと思っていた。
でも、アリスにとっては居場所を失いたくないという願いもこめられていた。
「…愛しいという気持ちは、あったよ。」
だから苦しいの、と彼女は言った。
想像はいくらでもできたはずだ。
アリスを見て、接していれば、見えて来るものがあったはずだ。
アリスは正体を暴かれるのを恐れながら。
苦しみながら。
気付かれたくない、そんなことを想っていた。
電話での暴露は、延々と続く苦しみを一刻も早く終わらせようとしていた。
激情に駆られ、色んな事を口走り、最後は疲れた様に電話を切った。
「アリスが昔のこと、覚えてないの。気付いてたのに。」
「…そうだね。隠すな、泣きたい時は泣けって。言っていたっけ。」
よく覚えているね、と呟くと。
忘れられないんだよ、ともっと小さな声で返した。
アリスはどんな一字一句も忘れない。
色んな感情や気持ちを、ずっと忘れることも出来ずに抱えている。
それもそうだね、と静かに返した。
忘れられないというのは、一体どんな気持ちなのだろう。
「昔のことを話に出される度、怯えていた。
出さない様に、気を使ってはくれていたみたいだけど。
やっぱり人を繋ぐのは、過去なんだから出すなて言うのも無茶だよね。」
昔のことを忘れてしまったアリス。
向けられる優しさは、全部過去の自分に向けられている。
分からない。
知らない。
怖い。
それだけじゃ足りない気持ちが、いつもひしめいていたと思う。
そんなことに、ずっと気付かなかった。
分かっていたはずなのに。
- Re: 秘密 ( No.642 )
- 日時: 2016/12/24 21:36
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「やっぱり、自然とアリスを昔のアリスと重ねていたと思う。
切り離しては考えられなかった。…昔のアリスも、特別な存在だから。」
大切な言葉を掛けてくれた大事な存在。
あの頃の唯一の生きがいだった。
アリスがいなかったら、確実に生きてはいなかった。
事情が合って、小学校高学年の頃散り散りに別れてしまったけれど。
それでもアリスのことを考えない日はなかった。
勝手に黙っていなくなって、謝り倒しても気が済まないと思っていた。
会いたくて、でも会えない。
そのことを申し訳なく想いつつも、やはりどこか安心していた。
あの頃の自分は、アリスはリンに惚れているものだとばかり思っていた。
真相はもう分からないけれど、だからって黙って消えることはなかった。
施設の都合でいきなり追い出されたにしても。
一度くらい会いに行けたはずだ。
それでも会いに行かなかったのは、多分怖かったからだ。
アリスがいなくなるまで、自分のしたことの本当の意味に気付かなかった。
- Re: 秘密 ( No.643 )
- 日時: 2016/12/24 21:53
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「圭たちのことは、昔からエリスに聞いていた。
エリスはアイザックのことも、圭たちのこともお伽噺の様に話してくれた。」
初めは、意地悪ばかりをしていたけれど。
アイザックを失ったエリスに寄りそい、圭たちと出会った私の傍に。
次第に優しく、時に厳しく。
寄り添うようになっていった。
「あの頃は、色んな家をたらい回しにされて。
人の悪意に歯を食いしばって耐えていなければいけなかった。
色んなものに疲れて、そんな時は圭たちの話が支えだった。」
エリスの行動は、とても嬉しかった。
母の目をくらます、という理由でアニエスを出た。
圭に出逢って、別れて、それからは色んな家をまわっていた。
どの家も、問題がある家ばかりだった。
母曰く、人の悪意や生きていく厳しさを身につかせるためだと。
その為に父はわざわざ、そう言う家を選んだのだと。
話してくれた、母は少し呆れた様な寂しそうな笑顔を浮かべていた。
今なら、その意味が分かる。
「私にもそんなことがあったんだって、嬉しかった。」
エリスは私の支えだった。
会うたび、彼らの話をねだっていた。
お腹が空いていても、生傷が絶えなくても、生乾きのボロボロの服を着せられていても。
エリスに会うと、痛みを忘れて聞きいっていた。
支給されている携帯は壊されることもしばしばで。
だから、エリスは大抵帰り道にふっと現れることが多かった。
携帯隠しときなよ、って笑いながら携帯を渡してくれた。
それがあの頃の日常だった。
家に帰りたくないのもあって、エリスと会うとついつい長話になった。
「…懐かしいな」
エリスから話を聞くのが、本当に好きで。
彼らと私の最も強いつながりは歌であった、と聞いて。
基地に足を運んでは、放置された楽譜を読みこみ。
歌うことで繋がっていられた気がした。
「歌っていれば…本当に、会える気がしてた。」
あのころとは、もう違う。
辛い事ばかりで、だから圭たちに会った時は嬉しかった。
お伽噺の中に入り込んだみたいに、夢の様だった。
「でも、やっぱりお伽噺は見ている頃が一番幸せだったのかもしれない。」
圭に会ったことは幸せだった。
私の人生において、間違いなく転機だった。
幸せの始まりだった。
「…幸せになっても、やっぱり痛みってあるんだね。」
考えてみれば当たり前だった。
代償なしに得られる訳なんてないんだ。
私がしてきたことを、考えれば。
もしかすると幸せになること自体が、痛みなのかもしれない。
「アリスは幸せになることに、不慣れなんだよ。不器用なんだ。
でもね、慣れてからも…それでも傷付くこともあると思ってるよ。」
ふふっ、と小さく微笑み返す。
やっぱり圭は変わらない。
「でもやっぱりさ、傷付かずにはいられないよね。
人生において痛みや、悲しみは絶対になくてはならない。不可欠だもん。」
傷付いて、ぼろぼろになって。
だからこそ当たり前の日々が、こんなにも愛おしい。
そんなこと、ずっと前から分かっていた。
知っていた。
「圭たちと過ごした時間は、本当に夢を見ているみたいに幸せだったよ。
傷付くことや罪悪感に苛まれることもあったけど。本当に、満ち足りていた。」
生きているんだって、実感できた。
例え圭の視線の先にいるのが昔の私でも。
それでも良いって、確かに想っていたんだ。
- Re: 秘密 ( No.644 )
- 日時: 2016/12/30 22:34
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
〜・136章 残酷な我が儘・〜
「圭のこと、本当に大事だったんだ。」
アリスは何度も繰り返す。
幸せだった。
大事だった。
夢を見ているようだった。
満ち足りていた。
そんな言葉を、何度も何度も噛み締めるように。
「その気持ちに、嘘はないんだよ。」
それでも、と小さく続けた。
その先の言葉は、なんとなく想像がついた。
“圭のこと、ちゃんと見れていなかった”、と。
哀しそうに。
寂しそうに。
ぽつりと零した。
「圭みたいになりたいって、理想ばっかりで。
救ってくれるのが当たり前で、笑ってくれるのが当たり前で。
それがどれだけ大変なことなのか、ちっともわかってなかった。」
- Re: 秘密 ( No.645 )
- 日時: 2016/12/30 22:40
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
アニエスのことは、色んなきっかけを生み出した。
「アニエスのこと知られたくなかったけど。
事実、私は心身共にまいっていた。救われたのは事実だよ。」
何度もいなくなったり、心配を掛けるのが嫌で。
いつか、手に負えないって捨てられたらどうしようって。
不安が胸を巣食った。
「でも、圭たちが優しくて。本当に、馬鹿みたいに優しくて。
それなのに、不安は拭えなくて。って、当たり前だけど。」
私のしてきたことを考えれば。
そんなの当たり前。
「見捨てられない様にって、精一杯努力した。
してもしても、したりなかった。餓えは増すばかりで、満たされなかった。」
見捨てられたら、それこそ死んでしまう。
嘘をつくことを躊躇わなくなり、作り笑いも板についた。
日に日に自分が暗い所に沈んでいく感触があった。
それでも、不安は消えなかった。
「でも。ある時を境に、私は絶対に見捨てられたりしないって気付いたんだ。」
信じられなくて。
疑ったり、仕方ないって諦めたり、色々なことをした。
でも、いつだって圭は来てくれた。
嫌われない努力も、諦めも、猜疑心も。
その瞬間にどうでもよくなってしまった。
「付き合ってからは、決定的かな。」
圭も私を好いていて、私も圭のことが好き。
それがまるで奇跡みたいなことで。
付き合い始めたばかりの頃。
気持ちが通じ合っていると分かるだけで。
毎日が、幸福だった。
そんな時に。
「圭の弱い所…お姉さんや家のことを…初めて知った。」
圭はずっと満たされた幸福な子供だと信じていたから。
そんな一面があることに驚いた。
「きっと、その頃から私のなにかは変わっていった。」
戸惑う圭や弱った圭。
気丈に振る舞おうとする圭、迷う圭、ぼろぼろになった圭。
色んな圭を見た。
憧れであった圭が、少しずつ変わっていった。
圭に散々助けてもらって、でも結局どこか信じられなくて。
いなくなろうとしたり、自ら傷付く道を選んで、進んだり。
ちっとも圭のことを考えず、軽率なことをした。
そんな自身がしてきたことに対する後悔と一緒に、ある気持ちが芽生えてきた。
圭と一緒にいられればいい。
それまで、ずっとそう考え続けていたのに。
「私のせいだ、って思っちゃったんだよね。」
圭は普通の男の子だった。
何の変哲もない、ちょっと家族関係で複雑な事情を持つ。
それだけの男の子だった。
でも、過去に私が授けた言葉によって変わってしまった。
圭は私を好きになり、圭の世界の中心は私になった。
それだけなら、良かった。
高校生になって、再会してからが問題だった。
夢は夢であれば良かったのに。
それは日常に変わってしまった。
「助けに来ることも、迎えに来ることも、全然楽じゃない。
凄く大変なことなのに、それが当たり前になった。」
ずっと話にしか聞いて来なかった圭と会って。
嬉しくて。
しかもそんな男の子が私を救ってくれて。
好きになって。
ずっと傍にいたいと願った。
絶対に失いたくないって。
「アニエスのことがあって、余計に圭は私の傍にいてくれるようになった。」
最初は誰よりも隠しておきたいことで。
絶対に知られたくなくて。
知られた時には、凄く後悔した。
それでも、時間が経つにつれ。
思ってはいけないことが、頭の中に渦巻いていた。
「アニエスのことがあれば、圭は絶対に私を捨てたりしないって。」
- Re: 秘密 ( No.646 )
- 日時: 2017/01/15 22:45
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「それに気付いた時、愕然としたよ。
圭のこと苦しめたくなくて、力になりたかった。傍にいて、支えたかった。
そんな気持ちが、確かにあったはずなのに。」
いつからか、私自身が圭のことを苦しめ始めた。
アニエスを口実に。
なによりも忌まわしいはずだったのに。
「圭の世界の中心は、間違いなく私になっていた。
アニエスのことは、なによりも強い楔だった。私はそれを利用した。」
気付いたと同時に。
手を離さなければと思った。
このままじゃいけない。
弱く、脆さを持った圭が。
私の為に壊れていく様が見えた。
「おかしいよね。圭の傍にいたくて、酷いことも汚いこともした。
それに躊躇いなんて感じたことなかった。
アニエスのことも、自分の性格も気持ちも、好かれる為ならなんだってやった。」
圭の理想であり続けたことも。
その為に無茶して、こんなの私じゃないって叫びたくなっても。
アニエスに呼び戻されたりして、監禁されたって。
そんなこと、お構いなしだった。
傍にいられるなら、好かれるなら、安い代償だって。
笑い飛ばせた。
自分はそういう人間だった。
「圭の弱さを見て、やっと分かった。普通の人なんだって。
優しくて、強くて…それでもやっぱり弱いんだって。
今は大丈夫でも、いつか壊れるって。そう思っちゃったんだよ。」
それでも。
圭の弱さを見て、やっぱり普通の人なんだって分かった。
それが、壊れていく。
「そしてそれは、紛れもなく私のせいだ。」
- Re: 秘密 ( No.647 )
- 日時: 2017/02/01 14:21
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「馬鹿みたいだ。」
長く続いた話が、佳境に差し掛かった。
溜め息をつくように、呆れたように。
小さくこぼす。
「私が必死にやってきたことは、自分の首を絞め続けるだけだった。」
周りを傷つけ。
自分も傷つき。
やっと手に入ったと思ったものは。
残酷な現実だった。
「私はもう充分だよ。」
精一杯頑張れた。
圭の世界の中心にいられた。
同じ場所で笑いあえた。
苦しくても。
確かに、私がやってのけたことなんだ。
「リンやマリーのお母さんたちを見て、手放そうって決心したんだ。
残酷な優しさを発揮して、例え圭が傷ついても構わないって。」
あー…
最後の最後まで、私はどこまでも自分勝手で救いようがない。
「我が儘に付き合わせて、ごめんね。」
- Re: 秘密 ( No.648 )
- 日時: 2017/02/14 23:06
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
〜・137章 違う道を歩いて・〜
「それを言うなら…僕だって充分我が儘を言ったよ。」
アリスの傍にいたいって。
傍にいて、気付かぬうちに傷つけていたんだから。
アリスにとっては、自分と一緒にいることは辛いことだったのかもしれない。
どう見ても違う価値観。
世界そのものの見方が違う。
一緒にいると、アリスが自身のことを嫌いになってしまうんじゃないかって。
それくらいのことは、考えたことがある。
だからこそ。
「アリスが自分のこと、好きになっても良いんだって。
そう思えるくらい、アリスの分までアリスを好きでいようって思ったんだ。」
いつだってアリスのことを考えて。
それはとても贅沢なほど、至福な時間で。
アリスさえいればって、何度も思った。
「でもね、アリスのこと。
10年前にかけられた言葉だけで、好きになった訳じゃないんだよ。」
・・・人間らしさを誇って・・・
その言葉だけじゃない。
10年前の言葉だけじゃない。
「…そうだよね。
圭は昔の私だけじゃなくて、今の私もずっと見ててくれてたもんね。」
小さくアリスも言葉を返す。
へへっ、と照れたように笑った。
「でも、不安にさせたのは僕の過失だから。
無茶させたのも、諦めたのも、疑わせたのも、全部。」
ううん、ってアリスは隣で首を横に振る。
金色の髪が、小さく揺れた。
「きっと圭がどれだけ想ってくれていても、変わらない。
もし不安にもならず、無茶せず、諦めず、疑わずにいられたら。
今よりずっと弱くなってたと思うし、そんな万能な圭を好きにはならなかったと思う。」
ああ。
確かにそうかもしれない。
不思議だ。
まるで懺悔する様に、お互いの過ちを吐露しているのに。
気持ちはひどく、穏やかだ。
お互いの気持ちを曝け出して、傷つけたことにも気付けたのに。
気分は良い。
「そんな万能な圭だったら、きっと恐れ多かったよ。」
アリスも軽口を返した。
彼女の顔も、笑っていた。
穏やかに、幸せそうに。
「圭のこと好きになったのは、きっと不完全な所もあったからだよ。
色々あったけどさ。圭のこと好きで大事だったってところも、忘れないでね。」
気分は穏やかだ。
彼女を傷つけ、傷つけられた。
なのに。
「だから、もう良いよね。」
うん、と静かに返す。
その先の言葉は、なんとなく分かった。
「違う道を歩こう。」
- Re: 秘密 ( No.649 )
- 日時: 2017/02/19 17:30
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
圭のことが、好きだった。
エリスから聞いていた話でも、一番多く出てきた名前で。
始まりの男の子、なんてふざけて言っていたっけ。
圭と出会ってから私は変わったと。
初めてエリスが、圭の話をした時。
それは私が膝を抱えながら、公園で時間が過ぎるのを待っていた時だった。
隣に腰掛ける人がいて、ふっと視線をやるとエリスが艶やかに笑っていた。
小学校高学年の頃だったかな。
普段は静かに笑いながら、用件だけを告げに来ていた。
最後の最後に、体には気を付けろよとだけ言っていたのを覚えている。
それがこの時は、用件を切り出すこともなくただ隣に座っていた。
家に帰るのが嫌で、外でただ歩いたり、疲れたら座ったり。
気ままに、それなりに気晴らしになった。
でも、外でいかに楽しく過ごしても。
いつかは家に帰らなくてはいけない。
それが辛くて、少しでも家にいる時間を減らそうと仮眠も外でとった。
幾つの時からだったろう。
気付いたら、そんな生活だった。
丁度その日は、前日の夜に家の人に酷い八つ当たりをされて。
ただ帰りたくないと、死にたいと、心の底から呪っていた。
だから、用件を告げないエリスを不審に思いながら。
死ぬことも許されないのかと、思ったことを覚えている。
エリスがいれば、私は死ねない。
「…去年のことなんだけどね。アリス、覚えてる?」
出だしはそんなものだったと思う。
私はその頃は幼い頃のことしか覚えていなくて。
アニエスでのことは覚えていたけど。
圭たちのことだけがすっぽり抜けている状態だった。
気付いたら、10だか11歳になっていた。
戸惑いはしたけど、知識の点で困らなかったし。
そういうものだと思っていた。
「…覚えてないよ。知ってるでしょ。」
気付いたらアニエスからここに来ていて、学校に行っている。
辛いことが多かったけど、それでも人と感覚が違ったのか。
仕方ないことだ、と冷めた目で見ていた。
食事を抜かれるのは慣れていたし、基本は家の外で過ごしていたから。
家の中で殴られたり、無理矢理酒を飲まされなければ良い方だった。
「あのね、いいこと教えてあげる。あんたには好きな人がいたんだよ。
しかも4、5歳の時からずっと。すっごい一途で初々しかった。」
「…なにそれ、意味分かんない。」
本をたくさん読んで、でも私には共感できないことが多かった。
感情というものを表現する術を身につけるタイミングを逸したのだ。
痛い、辛い、嫌だ、とは思っても。
人が持つような温かな気持ちは分からなかったし。
自分が持つことはないと思っていた。
私の心は穏やかで、いつも何かを諦めていて。
いつ死んでも構わないと言わんばかりに、どこか投げやりだった。
「ほんとなんだよね〜、これが。
私も目を疑っちゃったし。でも、すっごい幸せそうだった。」
そんな自分を、想像できない。
エリスの性質の悪い冗談だと思った。
「出逢ったのは、4年前かな。4年間ずーっと一緒にいたんだ。
会ったのはお屋敷で…相手の男の子が窓から飛び込んできた所から。」
「…窓から?」
「すっごいお転婆さんでしょ?
今のあんたみたいにお腹をすかせてて、食べ物を探していたの。」
その男の子と遊ぶようになった、という所まで話すと。
エリスは席を立って、からかう様な笑みを浮かべて帰っていった。
続きはまた今度ね、と後から電話で告げられた。
それからエリスは来る度に、少しだけ“ケイ”と言う男の子の話をした。
エリスが来るのは大抵私の携帯が壊れた時だった。
アニエスから支給された携帯で、家に帰る前と出た後。
電話する様に言われていた。
単なる生存確認で、涼風に来てからずっと続く習慣だった。
でも、家人は乱暴な人が多かったので壊されることもよくあった。
だからエリスは月に1度か2度。
多ければ週に2回。
携帯を新調しに来ていたのだ。
会うたびに話をせがむようになった。
輝くような物語に、耳を傾け。
家に帰ってからもずっと反芻していた。
エリスの話は抽象的で、彼らが今どこにいるのか。
一緒にいる時にどんな会話をしたのかも結構曖昧で。
伝わってきたのは、彼らは優しい人で。
私自身もその時幸せそうだったことだけ。
エリスの作り話かもしれないと思っていたけれど。
それでも、本当にいたらってずっと夢を見ていたんだ。
生まれて初めて見た夢だった。
その夢は私は励まし、圭たちに再会するまでずっと続いた。
- Re: 秘密 ( No.650 )
- 日時: 2017/02/23 23:29
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「圭のこと、本当に好きだった。
でも、苦しくても…逃げた先に圭といられる喜びが合っても。
私はここにいたい。確かにそう願ったんだ。」
これはきっと、本当の言葉だ。
今のアリスが考えた、偽りのない言葉だ。
「僕もきっと、アリスに恋をしていた。
子供みたいに幼くて、不器用で、恋に酔っていた所もあったけど。」
「「それでも」」
言葉が、重なる。
顔を見合わせて、笑う。
「「きっと恋をしていたんだよ」」
胸の中は穏やかな気持ちで満たされている。
温かくて、静かで、後悔も迷いも存在しない素直な気持ちが。
口から空気を震わせ、紡がれている。
「「君に恋をして良かった」」
同じことを想いながら。
くすくすと微笑みながら。
「ありがとう」
彼女が告げる。
「ありがとう」
それに応える様に、僕も告げる。
幼くて、未熟な恋でも。
とても大事な思い出だ。
アリスに恋をしなければ、母とのことも、姉とのことも。
一生、背負いながら生きて行くしかなかった。
アリスの言葉で、それがとても軽いものに感じられた。
感謝も、愛しいと思ったことも。
触れたいと、願ったことも。
全て本当。
彼女のことを、全然知ることが出来なかった。
子供の様に駄々をこねて、相手のことを心から慮ることが出来なかった。
そんな子供みたいな恋だけど。
して良かったと思える、そんな恋だった。
後悔も未練もない。
彼女も、自分の言葉で背負うものが軽くなったと。
そうやって、自分に偽りの恋をした。
笑顔で駆け寄ってきてくれた彼女も。
圭、と呼ぶ彼女の声と笑顔に。
本当に恋をしていたんだ。
お互いの顔を見る度に、嬉しくて幸せな気持ちにさせてくれた。
だから。
今度は。
「今度こそ、一緒に生きていきたい。」
いきなり恋人とかは無理だと思う。
気持ちの整理も出来ない。
ニセモノの恋は自分たちを幸せにしてくれた。
温かな気持ちを授けてくれた。
もう、沢山貰った。
「好きになる所から、始めさせてください。」
今度こそ、本当の恋人になりたい。
相手のことも、自分のこともちゃんと分かって。
弱さも醜さも、強さも温かさも抱きしめて。
それでも、迷いなく好きだと答えられる様に。
「喜んで」
幸せで堪らないという様な、朗らかな笑顔で。
彼女は返してくれた。
- Re: 秘密 ( No.651 )
- 日時: 2017/04/05 13:26
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「私はここで、アニエスを助けるよ。」
「僕は涼風に戻って、夢を見つける所から始めるよ。」
お互いの小指を絡ませ、微笑みあう。
少し距離を置こう。
お互いのことだけでなく、周りもちゃんと見えるように。
もう理想で誰かを傷つけないように。
「もし、恋人になれなくても良い友人くらいにはあり続けたい。」
好きになれてよかった。
こんなこと、聞いてくれるのは圭だけだったと思うから。
「そうだね。傍にはいたい。」
こうやって微笑み返してくれるのは、圭だけだと思うから。
「今度会った時は、お互いが見てきた色んな話をしよう。」
「きっと、楽しいだろうなぁ。」
くすくすと笑い合う。
今までは笑いあっていても、心地よさの中にチクチクとした痛みが潜んでいた。
痛みは圭と別れた後に、じわじわと増していって何時も私を苦しめていた。
「私の本心を知った時、どう思った?」
少し、興味がある。
圭のことだから馬鹿正直にショックを受けて、自己嫌悪に陥っていそうだ。
見ただけでも、数日で体重をかなり落としてるみたいだし。
「アリスがいないと、こんなに駄目なんだと思った。
アリスがいない未来を生きている自分を想像できなかった。」
ストレートな言葉に、素直に恥ずかしくなる。
そうだ。
最初から隠さずに話していたら。
誰も傷つかなかったのかもしれない。
でも、今は傷が愛おしい。
言葉の1つ1つがくすぐったくて、自分の中に温かく降り積もっていく感覚がある。
「…なら、これからも頑張れる。」
私の力だけで、圭の大事な人になれた。
結果が最悪なものだったとしても。
私の存在を、確かに刻みつけることが出来た。
「…ちょっと意外だった。
私が望んでやったことだけど、ここまでとは思わなかった。」
「自分でも驚いた。でも、なにもかもがアリスの思惑通りだと思わないでね。
素のアリスだって、少しは見てきたし。自分で意思で、好きだったんだから。」
照れくさそうに、子供みたいに。
頬を掻きながら笑っている圭を見ている。
ちょっとだけ私より高い背丈。
いつも軽く見上げて、すると直ぐに目が合う。
「圭はいつも驚かせてくれる。圭の偉大さを、今になって思い知ったよ。」
救ってくれないことばかりを嘆いていたけど。
人を助けるって言うのは凄く大変なことなんだ。
「偉大でも何でもないよ。ただ、馬鹿だっただけ。」
目が合うと決まって圭は笑ってくれて。
私も自然と笑みが零れる。
「なら、私も圭みたいな馬鹿になりたいよ。」
「貶してる?」
「褒めてはないけど…貶すってほどでもないよ。感心しただけ。」
「結局どっちなんだか…」
未来の約束をした。
それはきっとこれから先、自分たちを縛り、苦しめることもあるだろう。
でも。
この約束があれば。
圭と何時でも繋がっていられる。
頑張れる。
きっと。
幸せになる為の、力になる。
- Re: 秘密 ( No.652 )
- 日時: 2017/06/15 22:43
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
〜・138章 気付けなかったもの・〜
「とりあえず、これを使わずに済んでよかったよ。」
アリスがポケットから取り出したのは、黒光りする拳銃だった。
それが出てきた瞬間、ギョッとした。
「腕に力がないから、小さい型のを貰ったんだけど…それでもやっぱり重い。」
「あの…アリスさん?何でそんなもの持ってるのかな?」
脂汗をかきながら、やんわりと尋ねる。
あからさまなぐらい、苦笑いを浮かべているだろう。
「試したくて。」
にっこり、と満面の笑みで返された。
「あっ、別に射撃の練習したい訳じゃないよ。
それは室内でちゃんとする所があるから。外じゃ危ないしね。」
聞きたいのはそういうことじゃないんだけど…
でも、こうやってアリスと軽口叩くのも久しぶりだ。
いつもは、お互いが大事すぎて。
優しい言葉ばかりを交わしていたから。
最近はお互い、厳しい事ばかりを話していたし。
「…自分を止められるか、試したかったんだ。」
アリスの顔にはまだ微笑みが残っている。
「圭に言われて、止まれるか。自分の為に圭を撃てるか、試したかった。」
「…結果はどうだった?」
アリスの話を聞いてから、自分の中にも変化が起きた。
いつもなら、拳銃を持っていたら驚いて取り上げていた。
叱って、きつく抱きしめて、止めろって叫んでた。
でも、今のアリスにはそれが必要だから。
そう言う道を、アリス自身の意思で選んだから。
「…分かんない。」
ん〜、と空を仰ぎながらアリスは続けた。
「圭に言われても自分が変わらなかったら、それどころか圭を撃てたら。
きっともう何をしても無駄なんだな、救いようがないなって思ってたから。」
一緒にいて、苦しいことがあった。
アリスの中には、自分を憎む気持ちもあるだろう。
それだけのことを、自分はしたんだ。
でも…
憎む気持ちと同じくらいに、愛しくも想っていてくれたんだ。
そんな相手、この先絶対に見つからない。
「でも…今は撃てなかった。なら、まだ救いようはあるのかもね。
結構ギリギリだったけど。」
「ギリギリって…人の命を…」
「大丈夫。狙っても足だよ。」
「そういう問題じゃないっ!」
お互いの顔に笑みが浮かびながら。
物騒な単語を交えながら。
声をあげて笑っている。
こんな日が、来るなんて思わなかった。
アリスはこの先誰かを傷つけることもあるだろう。
誰も傷つけないで済むなんて、そんな簡単な問題じゃない。
それくらい分かっている。
でも。
今のアリスならきっと。
人の気持ちを組んで、多くの人が幸せになる様な。
そんな道を、必死に探していくのだろう。
だから、もう心配することなんてなかった。
- Re: 秘密 ( No.653 )
- 日時: 2017/07/07 22:00
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
3人が帰国する前日、私は激務の休みをもらった。
それは母やエリスのささやかな気づかいだった。
1日の休みをもらってしまうと、圭たちが帰った後しんどそうだから。
夜だけ休みをもらうことにした。
夕食の席に顔を出すと、3人は顔をほころばせて笑ってくれた。
私はアニエスに残ることを3人に伝えた。
「アリスが心から決めたことであるなら。止めません。
でも、辛くてたまらない時はいつでも連絡を。会いに来ても良いですから。」
「…ありがと、マリー。その時はまた、何時もみたいに笑って抱きしめて。」
「怪我とかは…気を付けろよ。危なそうな仕事だし。」
「非力だしね。精一杯気を付けるよ。ありがと、リン」
「やりたいこと、悔いのない様に。納得いくまでやってきな。」
にっこりと笑って返す。
「それは私の得意分野だよ。ありがと、圭。」
それからは和やかに食事を始めた。
お互いのこれからの指針を話し、談笑した。
リンは医者をやめ、マリーは家業を継ぎ、圭は夢を見つける所から。
大学の話、取ろうと思う資格の話。
マリーとリンに関しては結婚も視野に入れているらしい。
教会で挙げたいとか、真っ白なウエディングドレスが良いとか。
ブーケトスは私に投げてくれるとか。
色々なことをマリーが言う隣で、リンは真っ赤な顔をしていた。
2人は変わらないな。
見ていて微笑ましく、すぐにでも結婚式の招待状が届きそうだ。
食事を終え、別室に移った。
2人の延々と続く惚気を聞いて、私も昨晩圭と交わした会話を伝えた。
「長くにわたって、迷惑を掛けてすいませんでした。」
頭を下げると、即座にマリーが一声かけた。
「2人のことに口を出す気はありません。
アリス達がその道を選んだのなら、それが良いと思ったのでしょう?」
こう言った時、人目を憚らず真っ先に声を掛けてくれる。
そんなマリーが持つ、煌めく様な強さに憧れずにはいられなかった。
顔をあげさせ、にっこりと微笑んだマリーの顔は。
私が追い求める笑顔そのものだった。
優しく、力強く、温かで、不安を吹き飛ばすような笑顔。
ずっとずっと大好きだよ、マリー。
- Re: 秘密 ( No.654 )
- 日時: 2018/02/13 15:56
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
「ほんっと、馬鹿だな。」
後ろから聞こえたリンの大きな声に、一瞬体がびくっと震えた。
リンは思い切りしかめっ面をしていて、怖かった。
鬼気迫るというのはこんな顔だと思った。
「悪いのはこっちもだよ。不安だって言うなら、ずっと傍にいてやる。」
言うと同時に、そっと抱きしめてきた。
思えば、リンに抱きしめられるのはバレンタイン以来だ。
背丈が圭より高いせいか、少し屈む様な形になっている。
おんぶされた時も思ったが、大きな背中だ。
「いてやるってのは違うな。いさせてください、だ。」
優しい、声だった。
「言わないのが悪いとは言わない。言えない気持ちも分かる。」
だけど、と続ける。
「それでも、アニエスのことがなくてもアリスのことが好きだよ。
大事だってことは、覚えとけ。これから先ずっと。」
2人は、私がこれから進んでいく道をちゃんと理解している。
救いなんて見えない、暗くて危ない道。
私は主に頭を使うことになるだろうけど。
それでも任務に駆り出されることもあると思う。
そのための、訓練だと思うから。
人員不足ってのもあるけど、なにより私だけが安全な場所にいたくないから。
武器を持つこともあるだろうし、殺す技術も覚えるだろう。
それらを分かって、後押ししてくれている。
「…もっと、反対すると思ってた。」
「アニエスのこと?それとも圭のこと?どっちにしろ、するわけないじゃん。」
抱きしめられているので、顔は見えないけれど。
声は明るく、自信で溢れていた。
「前からずっと考えてたことだけど、アニエスのことを解決するってどういうことか。
アリスのお父さんの暴君をやめさせること?それとも、アニエスからの追手がいなくなればいの?」
…リンも、マリーも。
ちゃんと私のことを考えていてくれたんだな。
ずっと、気付かなかった。
当たり前になり過ぎていたから?
私がなにも見ようとしていなかったから?
どちらにしろ、愚かだ。
「多分どれも違うと思ってた。暴君をやめても、追手が来なくても。
どっちにしても、救われないと思ってる。今でも。」
しっかりした言葉が、私の中に降り積もっていく。
リンの言葉が、私の中にしっかり届いている。
その実感がある。
「だって、例えアリスのお父さんがいなくなったって。
アリスのお父さんが積み上げてきた物までなくなる訳じゃないから。」
リンの強さに、ずっと憧れていた。
人の目を気にせず、まっすぐに抱きしめてくれる手を。
迷いながらも人の為に、自分の道を突き進む背中を。
ずっと追いつきたいと思っていた。
「アリスのことを今まで管理してたのも…
お父さんが積み上げてきた人望あってだと思うから。」
確かに。
父がいなければ、私はただの小娘だ。
物覚えが良くたって、何の意味もない。
それでも私がアリスとして、アニエスに呼び戻されるのは。
エリスもトールも、アレクシスも。
父のことを信じているからだ。
父は私よりずっと頭が良いのに。
それでも、こんな私なんかに委ねることがあるのは。
私が父の娘だからだ。
「お父さんがいなくなっても、きっとここの人達は。
お父さんの言葉をずっと信じつづける。だから、無理だと思ったんだ。」
気付かなかった。
何時も助けてくれるリンが、裏ではそう想っていてくれたこと。
彼らの中にだって私やリンと同じように、繋がりがある。
歪かもしれないけど、それはエリスたちにとっても大事なものなんだ。
「反対しないってきっぱり言えるほど、割り切れないけどね。」
ただの暴君に、あんなに人はついていかない。
父に受け入れられ、居場所をもらい、救われている心も確かにあるんだ。
「でも、引きとめるほどの技量もないよ。」
…私はずっと気付けなかった。
気付こうとしなかった。
何でも分かった気がしていたけど、本当はなにも分かってなかったんだな。
最近はそれをひどく痛感する。
「反対するなら、アリスより頑張ってからにする。」
- Re: 秘密 ( No.655 )
- 日時: 2019/11/07 17:13
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
それから私がこれからアニエスでしていくことを話していった。
少し気は引けたけど、隠しても仕方ない。
これからは些細なことも、ちゃんと話せるようになりたい。
3人には知る権利があるはずだから。
「書類の山かな。それと軽く護身術。護身術はもともと少しやってたけど。」
アニエスのことを知るのは難しくて、今も書類の整理しか仕事がない。
それでも量は膨大で、それを淡々とこなす父が恐ろしい。
アニエスの歴史や今の状況が分からないと、なにも出来ない。
情報の整理ですら大変だ。
エリスやアレクシスの補助は受けているけど、難しくて頭が痛くなる。
「拳銃とか、一応扱いは覚えるつもりだけど…実弾は使わない。
麻酔銃とかゴム弾とか、催涙弾にするつもり。」
書類を読んだだけで知った気になるのはもうたくさんだ。
運動音痴で、バランス感覚壊滅的、体力だってない。
体だって丈夫じゃないし、筋肉痛で次の日動けなくなる。
歩きどおしだって辛いくらいだ。
トールやエリスみたいに前線に立つというのは、敵わないだろう。
「麻酔銃って対人用にはできてないんじゃなかったっけ?」
リンが口を挟む。
流石、元医者志望。
「撃ってから暫く効かないし、量を誤ると死に至らしめる。
実際には使えない、役に立たないって言われてるけど…実銃は致死性が高いから。」
それもそうか、と頷く。
人を傷つけたくないというのは、甘過ぎる私の理想だ。
「それに拳銃は扱いが難しくて。間違って同士討ちになるのも避けたいから。
未熟な私が実銃を持つのは危なすぎるよ。」
物騒な単語を出すと、少し顔をこわばらせながら笑っている。
いつも通りは、やっぱり少し難しい。
でも、慣れようとしてくれている。
心配はしてくれるけど、引きとめはしない。
「…止めないんだね。」
素直な感想を述べてみた。
「ここにいる間、アリスが頑張ってたの知ってますから。
驚くけど、否定はしません。人が死ぬのを望んでいる訳じゃないだろうし。」
…よく分かっている。
私が人が傷つくのが嫌いだということに。
だからこそ、彼らとの距離感に戸惑っていた。
傷つけずに傍にいる方法が分からなくて。
「アニエスとして、誰かを傷つけるかもしれないよ?」
「それは誰かを守るため、でしょう。
実銃を使わないのも、精一杯の優しさだと思ってます。」
それでも、普通に考えれば私のしていることは善ではない。
誰かを守るために、誰かを傷つけるのは。
許されることなのだろうか…?
誰に許しを乞う必要もないのに。
そんなことが頭によぎった。
「傷つけるって言うのは、銃などの物理攻撃には限らない。」
リン…?
「そういうことだろ、万里花。」
ええ、と嬉しそうに微笑んで再びマリーはこちらを見る。
「こうしている今でも、平和な世界でも傷つけ合いが起きてます。
目に見えないだけで、言葉や行動で人を傷つけています。
母が父のもとを去ったのも、優しさでしたが結果私や父を傷つけました。」
マリーとマリーの父を置いて家を出ていったマリーの母。
それによって3人とも何時も苦しんでいた。
でも、その発端は優しさだった。
そうマリーは言う。
「優しさのつもりでも、それは誰かを傷つける。
だから強くなりたいんです。少しでも優しさで傷つけられない様にも。」
その言葉を聞いていた、圭が気まずそうな表情を浮かべる。
圭の私に向けての行動も、全ては善意だった。
私を大事に想い、慈しんで、その結果だった。
「優しさで傷つけてしまった人を、傷つけないように。」
この世の全て良いことで周っているとは思わない。
性善説なんて信じていない。
…でも
それと同じくらいに。
本当の悪ってものは存在しないんじゃないかって思った。
「このままいけば、確実にアニエスの国のひとびとは傷付きます。
なら、それに抗ったっていいはずだと私は考えます。」
穏やかに笑いながら、マリーは諭す様に続けた。
「力って言うのは日常に溢れかえっています。
言葉だって力です。立場だって力です。
誰もが持っていて、傷つけたり守ったりする不思議なものです。
力は人を傷つけるけど、それがなければ何もできません。」
こうやってマリーに背を押されるなんて、一体だれが想像できただろう。
私の進んでいる道は間違っていないと、後押しされる日がくるなんて。
「月並みの言葉ですが。
暴力はよくないといって、誰も守れないことが一番の暴力ですよ。」
私を罪悪感から救うための嘘かも知れない。
「人を救う力があるのに、行使しない方がひどいと思いませんか?
ちゃんとした意志があるのなら、きっと大丈夫です。」
でも、そこに漂う優しさを。
今ならちゃんと受け止められる。
「アリスなら人の気持ちを汲んでくれると、信じてますしね。」
3人の誰もが私の道を応援してくれている。
信じた道を突き進めと。
言わんばかりに。
「アリスはさ、善悪なんてものに囚われ過ぎ。」
アリスはさ、と言う言葉。
文頭につけるのが、圭の癖。
最近気付いたことだった。
「1人の命の為に、大勢が死ぬのは悪いこと?
大勢の為に1人の生け贄がささげられるのが良いこと?
違うでしょ、数じゃない。」
人の生き死には、例えどれほど数に開きがあっても。
命ってのは天秤にのせるものじゃない。
いつだったか、圭から似た様なことを聞いた気がする。
「今まではアリスが一人で背負おうとしてるから、それが嫌だった。
イラついたし、引きとめもした。
でも、守りたいものを自分で守りたいんだって分かったから。
こうやって応援してるんだよ。」
スキースクールだったかな。
ああそうだ、思い出した。
あの屋根の上で、似た様なことを言ってくれていた。
「自分の守りたいものは自分で守る。他人任せにしない。
その為に、力を付けていくんだ。
これからアリスがやることは、力を付けて抗って守ることだから。」
圭は私の両肩に手を置き、頭を肩にのせた。
祈る様に。
慈しむように。
おまじないを掛けるように。
…守る様に。
「武器を持たず、生きて人を救える道を歩いていく。
それがアリスの進む道でしょ。なら、応援だってするよ。させてよ。」
いつだって包まれていた。
母の愛も、エリスの優しさも、そして3人のかけがえのない想いも。
どうして今まで気付かなかったのだろう。
私はずっと前から温かくて愛しい人達に出逢っていたんだ。
私もまた、彼らのことを優しく抱きしめ返せたら。
きっとそんなに幸福なことはない。
- Re: 秘密 ( No.656 )
- 日時: 2020/07/02 17:37
- 名前: 雪 (ID: Id9gihKa)
ご無沙汰しています、作者の雪です。
この度は一身上の都合で長い間、更新をストップさせてしまい申し訳ありませんでした。
「秘密」は完結までのおおよそ展開は既に決めていて、この先も更新を続けられたらと思っています。
同時に本作初期の拙く未熟なストーリーに手を加えたいとも考えていました。
頑張って構築した世界観を持ったまま更新を続けるか、新しく本作を初めから仕切り直すか。
どちらも捨てがたい選択で踏み切ることが未だに出来ていません。
もし新しく仕切り直すのならば、こちらにコメント共にURLを張り付けて新しいコメディ・ライト小説のに投稿していきたいと思っています。
どんな形であれ「秘密」は最後まで書ききるつもりです。
長々とお待たせしながら煮え切らない物言いになってしまい申し訳ありません。
「秘密」を読んで、数年前になりますが投票してくださった皆々様には感謝の気持ちしかありません。
今までありがとうございました。
そしてこれからもよろしくお願いします。