コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ

Re: 秘密 ( No.576 )
日時: 2016/02/20 17:09
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

〜・119章 一生分の幸せ・〜
「でも、私はこれで満足だよ。」

彼らと出逢えた。

それだけで、暗く淀んだ私の世界が。

鮮やかに彩られた。

彼らといる間だけは、本当に素で笑うことが出来た。

その経験は、きっとこの先も私を強くしてくれる。

「これ…持ってけよ」

ルークがその辺りで咲いていた花を摘んで差し出してくれた。

百合?

白くて、気高くて、清らかで、綺麗。

「…ありがとう」

こんなところに、咲いているのに。

ちゃんと成長し、花を咲かせた。

とても、強く生きている。

「やっぱりルークはカッコいいね。」

ミーナが好きになるだけある。

義理堅く、強くて、優しくて、温かい。

ルーク。

光を運ぶもの。

本当に、ルークは強烈なくらい輝いている光を私に運んで来てくれた。

あの時、ルークの顔をふんづけた時から。

彼らとの縁が結ばれた。

「…これ、あげる。」

どんな時もミーナの髪を彩っていたリボンを、外す。

「昔、ルークに貰ったの。私はもう幸せだから、アイリスにあげる。」

私は知ってる。

ミーナにとって、これがどれだけ大事なものか。

ミーナが幼い頃からずっと付けていて。

ルークを想っている証。

きゅっ、とルークが渡してくれた百合にリボンを結び付ける。

鮮やかな赤色が、良く映えていた。

「少しでも悪いって思うなら、ちゃんと帰しに来なさいよ」

最後まで、鮮やかに笑う。

良く笑って、ただひたすらにルークを想い続けた。

ルークと一緒に色々なところを連れ回してくれた。

さらっと気遣いやで、どこまでも真っすぐで。

相談にも乗ってくれたし、不安な時は肩を叩いてくれた。

そんな何処までも一途で、好きと伝えられるミーナを羨ましく思っていた。

「ミーナはやっぱり強いね。お幸せに。」

ミーナ。

愛。

彼女は誰よりも人を愛し、慈しむことが出来た。

私にもその感情を分けてくれた。

彼らを愛おしいと想う気持ちを与えてくれた。

「巻き込んでごめんね…アイザック」

アイザックを愛しく想う気持ちは、まだ私の中にある。

Re: 秘密 ( No.577 )
日時: 2016/02/24 00:07
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

「アイザックからは、もう大事なものを貰ったね」

私の胸元で、いまだにアイリスのアクセサリーが揺れている。

腕には誕生日に貰ったブレスレットが。

アイザックはいまだに俯いている。

そんな顔をしないで。

「巻き込んで…、ごめんね」

もう会えない。

それはやっぱり寂しい。

離れたくない。

そういう想いが、まだ私の中にある。

それは否定できない。

「…それ、二回目」

きっと、彼らがいなくなった後。

また泣いてしまうのだろう。

だから、今は精一杯笑う。

心の底から。

「君達と会った日は、毎日とても楽しかったよ。」

ありがとう、と小さくお礼を言う。

想いは伝えない。

伝えられない。

彼の仕草や笑顔、行動にいちいち目がいって。

「手を振って別れる時は、何時も次に会う時のことを考えていた。」

花や星を見ると、アイザックのことを思い出した。

城にいる時でも、アイザックのことを想うと景色全てが優しく映った。

「誕生日もくれた」

誕生日が分からない私に。

彼らと出逢った日を誕生日として授けてくれた。

「…ずっと、傍にいたかった」

大好きだった。

会える日は嬉しくて、贈り物されたら飛び上がりそうだった。

触れられる度に体温は上がった。

愛しい気持ちに戸惑いながらも、楽しかった。

「とても、楽しかった。」

少し私より身長が高いアイザックを見上げる。

人見知りで、臆病なのに。

四人でいる時は、ものをはっきり喋って。

自分の力の無さを理解し、恥じ、強くなろうとしていた。

誰かが傷ついていると、何もできないことに苦しみながら傍にいた。

だからこそ、必死に傍にいようとしていた。

それで不慣れなことをしたり、頑張ったりするような奴。

そんな不器用で、強くて、温かいアイザックのことが。

大好きだった。

「傍にいられて、幸せだったよ」

今ならハッキリ明言できる。

これが幸せだと。

私が出来る、最高の笑顔で。

アイザックの顔を見上げる。

「傍で幸せをくれて、ありがとう」

ブルー・スターの花言葉は。

『幸福な愛』

Re: 秘密 ( No.578 )
日時: 2016/06/13 23:25
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

最後の最後に、言葉を交わすことが出来て良かった。

彼らの前では、最後までアイリスでいたい。

出来ることなら。

アイザックの穏やかで静かな笑顔を。

最後にもう一度見たかった。

それが例えこんな状況になろうとも。

何時追手が来るかも分からない、今みたいな状態でも。

彼らに最後の別れを告げたかった。

…きっともう、会えないから。

感謝の気持ちを、伝えたかった。

伝えきれるものでは到底ないけれど、それでも。

「傍で幸せをくれて、ありがとう」

精一杯の想いをこめて伝えられた。

途端にアイザックに抱き寄せられ、温かい唇を重ねていた。

突然のことで、とても驚いた。

涙を流したのは、私なのか彼なのか。

少ししょっぱい味がした。

けれど、同時に胸の中から温かな気持ちが芽生えた。

芽生えた気持は、瞬く間に胸を満たしてくれた。

幸せだ。

そんな気持ちが、言葉が、すとんと胸の中に落ちていった。

元あるべきところに戻った様に、綺麗に嵌まった。

私の欠けていたものを、彼らが埋めてくれた。

その実感があった。

私は、彼らが大好きだ。

彼らには抱えきれないほどの幸せを受け取った。

今、私の胸はとても穏やかだ。

先程までの焦りも、不安も、恐怖も、どこかにいってしまった。

この胸を満たす、思い出と、幸福感と、好きと言う気持ちが。

今は私を温めてくれる。

このキスが、アイザックのどんな気持ちから派生したものか分からない。

好意だったかもしれないし、同情かもしれない。

けれど。

大事な思い出、大事な気持ち、最後にはキスまでしてくれた。

何度も会うことが出来たし、何度も横顔を見つめることが出来た。

私はなんて恵まれているのだろう。

アニエスにいる、誰だって。

こんな幸せな想いはしたことないだろう。

唇を離した後、暫く見つめあった。

アイザックの頬は赤く染まっていて。

きっと、私の頬も赤かった。

「またね」

アイザックは、最後に笑った。

私が大好きな、何時もの笑顔で。

「またね」

私はこの時、確かに一生分の幸せを貰ったんだ。

Re: 秘密 ( No.579 )
日時: 2016/02/29 23:45
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

リボンで束ねられた百合を抱え、唇の感触と笑顔を反芻する。

彼らとは真逆の、来た道を引き返す。

これで、もう心配はいらない。

私は大人しく城に戻り、もう彼らに会わない。

それでいい。

抱えきれないほどの幸せを貰った。

彼らがくれた贈り物が、これから先も私を励ましてくれる。

私が“アイリス”であったことを証明し続けてくれる。

幸福な時間があったことを、思い出させてくれる。

だから、もう良い。

今までの日のこと。

私が忘れない限り、何時までも美しいまま心にとどめておける。

彼らには彼らの人生を歩んでほしい。

彼らはもう、自由だ。

そんなことを少しでも思ったのが、間違いだった。

Re: 秘密 ( No.580 )
日時: 2016/03/09 20:17
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

〜・120章 一生分の哀しみ・〜
パンッパンッパンッ

突然発せられた三発の銃声。

遠くで、彼らが倒れるのが見えた。

拳銃を構えているテオドール。

悲鳴すら、聞こえなかった。

ただ人が倒れる音と、銃声だけが私の耳に届いた。

彼らが贈ってくれた花。

私が抱えていた百合が、ぼとりと足元に落ちる。

白いダイヤモンドリリーの花言葉は。

『また会える日を、楽しみに。』

Re: 秘密 ( No.581 )
日時: 2016/03/16 18:33
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

「…で、今に至る。」

足を組み、膝の上で頬杖をつきながら懐かしそうに話をした。

表情には愛しさがにじんでいて、彼らが本当に大切な存在だったことがうかがえる。

「今でもよく思うんだ。彼らと出逢わなければ…とは思えない。
でも、私の立場や身の上を話しておけばよかったって偶に思うんだ。」

はあ、と小さく溜め息をつく。

「結局、私は彼らを心の底からは信じられなかった。
いなくなってしまうんじゃないかって…怯えてばかりいた。」

エリスは遠く、宙を眺めながら呟く様に告げた。

その目は虚ろで、蒼い瞳がただのガラス玉の様に見えた。

「でもどこかで…離れていかないことが分かっていたから、怖かった。」

どんなことを知っても。

離れていかない。

そういう相手。

エリスが出逢ったのは、そういう相手だったんだね。

「…意外だった。」

「何が?話したこと?」

からかう様に、こちらを見てきた。

見ている、筈なのに。

やっぱりエリスの目は私を通り過ごした何かを見ていた。

「包み隠さず話すんだとは思ったけど…違う。
そんなことがあったなら、もうテオドールの所にいる必要がないのに。」

私なら。

彼らが消える瞬間を目の当たりにしたら。

…きっと許せない。

昔は外で生きていくすべがなかったかもしれない。

でも、今ならアニエスから逃れる術もあるはずだ。

「一応は恩人だよ。いなかったら、私は彼らに出逢うこともなく道端で死んでた。
勿論だからって、許せる訳じゃないけど。でも、殺したくもないんだ。兄弟のこともあったしね。」

兄弟。

名前もついていない、エリスの兄弟たち。

そんな兄弟の為に、命を張れるものなの?

「それに、全部は話してない。
アイザックに私が惚れるのにもちゃんとしたプロセスがあるんだよ。
それは誰にも話さない。私だけの胸に一生抱えていくって決めてるんだ。」

ああ…

楽しそうに笑う。

あの時とは、大違い。

アイザックを好きになった…きっかけ。

いなくなっても、忘れることが出来ない。

もう、傍にいられなくても愛しいと想える存在。

エリスの中でそんな存在になった、きっかけ。

「覚えていないかもだけど、アリスには本当に助かったんだ。」

私は昔のことはあまり覚えていない。

人の思い出、と呼ばれる『エピソード記憶』をつかさどる場所を。

人間関係を経つという目的で消してしまっている。

だから、私は幼い頃のことは断片的にしか覚えていない。

圭たちと出逢ったきっかけすら、私は覚えていない。

「彼らがいなくなってからしばらくのことは、少ししか覚えてない。
苦しんでたのは知ってるけど…助けた覚えがない。」

彼らがいなくなってからのエリスは、あまりにも痛々しかった。

その頃は、牢をでてトレーニングを受ける時間があった。

その時に、エリスにわざと強く技を掛けられたりした。

「枯れそうなってた花冠とか、百合を生かす方法を教えてくれた。」

…やっぱり覚えてない。

「レジン液っていう…アイザックがいっていた樹脂。
あれ、市販されている物なんだけどそれを直接花に塗ればいいって。」

ああ、とその方法には直ぐ思い当った。

「花の質感や繊細な色合いをそのまま残す方法だね。花の形をそのままに留める方法。」

「そう、それ。おかげで助かったよ。結局アイザックに教えてもらう前にいなくなったから。」

大事な人を失ったエリス。

彼らが残した花や贈り物が、唯一の心の支えだったのだろう。

それほど、大事に想えるような存在だったから。

「あいつ等がいないけど、その分私は生きていこうって。
あいつ等の分まで、外の世界を見て、自由に生きようって決めたんだ。」

勝気で大胆で、何処までも真っすぐなミーナ。

冗談ばかり言って、何時も3人を引っ張っていたルーク。

不器用だけど、仲間思いでズバズバ物を言うアイザック。

「だから、何時も笑っているのか?」

珍しくリンが口を挟んだ。

そして、鋭い。

「私はあの日自分に約束したんだ。この先も笑って行こうって。」

Re: 秘密 ( No.582 )
日時: 2016/03/21 22:27
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

世界そのものを侮蔑する様に、ふざけた砕けた喋り口調。

その顔には、何時も笑みが貼りついていた。

どんな時も、思い出すエリスの顔は笑っていた。

それが、エリスの約束。

強い。

エリスは、強い。

「一生分の幸せを貰ったんだ。だから、私はずっと幸せなの。」

そして、美しい。

胸が轟き、膝が震えた。

「彼から、最高のプレゼントをもらってから。私はずっとこの世の誰よりも幸せなの。」

そうやって笑ったエリスの顔は、どこまでも晴れ晴れとしていた。

いなくなって、もう二度と会えなくても。

思い出を胸に抱えて、笑って生きていくことを自らに誓った。

それがどれほどの重責か。

「エリスは…アイリスの、花ことばを知ってる?」

どれだけ願っても会えない。

言葉を交わせない。

過去の記憶だけを辿り、それだけを抱えて生きている。

「…アイリスの花言葉だけは、まだ知りたくないの。知らないままでいたいの。」

そして。

生きていて辛いことが合う度に、彼らにはもう会えないと思い知らされる。

「それでも、私は幸せだから。」

それでも生きて、笑っている。

会えなくても。

「…彼らは名前すら、知らなかったけれど」

想うだけで、幸せだとハッキリと断言する様に。

清々しい笑顔。

覚悟をもった、笑顔。

Re: 秘密 ( No.583 )
日時: 2016/10/14 23:53
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

「いつか…他に人を好きになることがあるかもしれない。こんな私を受け入れてくれる人がいるかもしれない。
でも、今はまだアイザックのことを想っていたいの。あいつの笑顔を胸に留めておきたいの。」

いつか。

私もそんなことを断言できる日が来るだろうか。

マリーやリン、圭と会えなくなっても。

二度と会えないことに耐え、笑って行けるだろうか。

「例え傷付いても、一緒にいられることを選べたら良かったのに。
それが私の後悔。こちら側の世界で生きていけば、傷つけたり傷つけられることが合っても。
ずっと一緒に生きることが出来たかもしれない、今ならそう思うの。」

ようやく。

エリスの伝えたいことが分かった。

「私は今、誰よりも幸せだと思っている。それは揺るがない。
でも、あいつ等の傍にいる以上の幸せではないの。欲張りかもしれないけど。
ただの未練かもしれないけど。アイリスでいた時間が、私にとっての幸せの全て。」

エリスが彼らを失って、どれだけ苦しんでいたか。

私は覚えている。

どれだけ幸せだったのかも。

「遠く離れているだけなら、まだ幸せ。」

それでも、エリスは笑って。

例え作り笑いでも常に笑顔を浮かべている。

彼女が心から笑える日が、何時か来ると良いな。

今は無理でも。

何時か。

もう一度。

アイリスと言う名前を、名乗れる様になる日を。

幸せの証である名前を。

「でも、いなくなるのは駄目。そんなに苦しいことはないの。」

そんな相手に会えれば。

次は、エリスという名前も好きになってほしい。

争いと不和の神から取った名前じゃない。

アニエスの為に尽力した、1人の優しい女の子の名前を。

アニエスのことも、ひっくるめて。

真実を話せる相手に。

出会えるといい。

「あの時、私は一生分の幸せと一緒に…一生分の哀しみも貰ったの」

何時もは強気なエリスの笑顔が。

その時は酷く儚げに映った。

Re: 秘密 ( No.584 )
日時: 2016/04/04 22:38
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

〜・121章 エリスが見たもの、守るもの・〜
例え傷つけ、傷つけられ様とも。

それでも、いなくなってしまうよりかはずっといい。

エリスの後悔が、痛いほどに伝わってくる。

対となるパートナーとして。

同じような立場である私に対して。

同じ経験をしてほしくないのだ。

「だから、アリス。絶対に手離しちゃダメだよ。
ずっと幼い頃から私を見てきたアリスなら、分かるでしょ?」

分かる。

いかにおぼろげとはいえ、忘れるわけがない。

「アリス、時間はもう残っていないんだよ。だから、大事にしな。」

手を伸ばし、頭の上にポンッと乗っける。

くしゃくしゃ、と笑いながら頭をくしゃくしゃにした。

優しい…笑顔。

これはエリスが彼らに出逢ったからこそ、得られた表情。

「…私が王になったら、それでもついて来てくれるか?」

少し照れたように、笑った。

何時もの嘘っぽい笑顔とは、違う。

「聞かれるまでもなく…決まってるじゃん。私とあんたはパートナーなんだからさ。」

圭たちに会うまでエリスのことは、ずっと尊敬していた。

自分の意思で、行動していたから。

私はただ言われるままに行動するだけだったから。

「話したらすっきりした。後は、アリスが決めな。
言っておくけど、テオドールの部下は曲者揃いだよ。」

エリスが、どれだけのものを抱えていたか、私は知っている。

エリスが彼らを失った後、どれだけ苦しんでいたかも。

エリスの生き様も。

エリスの闇も。

私は見てきた。

それでもエリスはアニエスと言う地から、逃げようとはしなかった。

外の世界で自由に暮らしたいと思う日も、あっただろう。

でも、恩人であるテオドールに恩を返すまで。

憎いけれど、自分と兄弟を生かしてくれたテオドールのために。

彼らはもういないけれど。

その分、生きなければいけないと。

「私を誰だと思ってるの?」

精一杯不敵に笑って見せる。

これから先の道は、厳しくて痛くて、辛いだろう。

エリスの様な過去を抱えている人が、アニエスには沢山いる。

トールやアレクシス、幽、子どもたち。

テオドールの部下は、そういう人たちが集まっている。

泣きだしてしまうかもしれない。

涙すら、枯れてしまうかもしれない。

でも、そこで引き下がるのは私じゃない。

「そうこなくっちゃ。」

姉っていうのは…こんな感じなのかな。

ふと、そんな感じがした。

エリスがいっていたみたい。

トールやアレクシスは仕事上の繋がりだったけれど。

まるで家族みたいだと。

彼らに出逢って、本当の家族と言うものを教えられたと。

彼らを殺めたテオドールのことは、憎くてたまらなかっただろう。

けれど、テオドールのことを父の様にも感じていたから。

許せないとは思えても、殺したいとは思えなかったのだろう。

「後は、あんた達次第だよ。」

そう言ってエリスは圭たちに目をやった。

Re: 秘密 ( No.585 )
日時: 2016/04/09 21:43
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

アリスは、変わった。

もしくは、ずっとアリスの本質が見えていなかっただけなのかもしれない。

アリスは孤児院でアリアと言う少女の髪を切った。

笑顔で。

アリスが子供好きだとは知らなかった。

けれど、なんだか割りきった様な。

覚悟を決めた様な強い芯が、アリスを動かしているみたいに。

少女の髪を切った時。

ジャキンっという音はまるで、昔のアリスと決別する音に聞こえた。

アリスはエリスの昔話を少し驚いたような表情で聞いていた。

まるで、初めて聞いた様に。

アリスの記憶が欠落していることは知っていた。

高校にあがって、アリスと再会した時。

アリスはまるで自分たちとはほとんど初対面の状態だったらしい。

それでも、それを悟らせないのはアリスの演技力。

アニエスで培われてきた能力だ。

エリスが、彼らの話を終えてからは苦しそうな顔をしていた。

それは単なる感情移入かもしれない。

もしかすると、その辺りの事情は少し覚えていたのかもしれない。

知らないアリスを、沢山知った。

アリスは変わった。

目的を見つけ、まっすぐそこに向かっている。

立ち振る舞いからは迷いを感じさせない。

急に、自分が恥ずかしくなった。

アリスは自分のすべきことを見つけ、それを命がけでこなそうとしている。

自分のしようとしていることは。

それを止めようとすることは。

彼女の命懸けの選択を、留まらせること。

アリスの決意を鈍らせること。

アリスが真っすぐ前を向こうとしているのに、横にいる自分がそれを邪魔している。

それは彼女への冒涜になるのではないか。

彼女の傍にいたい、それをずっと願っていた。

アリスが危険から程遠い普通の日常で、一緒に生きていきたいと。

けれど、それはアリスの意思を殺してしまう。

アリスは無責任に言っている訳ではない。

王になるのがなにを示すのか、しっかりと見定めてその上で答えを出した。

自分のすべきことは、アリスが必死に出した答えを否定することなんだろうか。

自分も、アリスの横に並べる様に努力すべきではないのか。

アリスに行かないで、としがみつくのではなく。

必死に追いつこうと、自分で立ち上がり走り出すことじゃないのか。

Re: 秘密 ( No.586 )
日時: 2016/04/24 17:14
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

アデニウムを台所で煮詰めていた、昨夜。

圭が席を外した後、エリスと話をした。

私のこれからについて。

結局、話しあいは上手く行かなかった。

けれど互いの本音をぶつけ合えたと思う。

私はアニエスを継ぐこと。

エリスは、それは無理だということ。

今にしてみるとエリスは、私を圭たちの傍にいさせようとしたのではないか。

そして、この国に連れて来るのを了承し孤児院にまで連れていったのは。

圭たちにアニエスのことを知ってもらいたかったのもあったのかもしれない。

それはエリスの心に今も刺さったままの、後悔。

でも、本当は。

彼らに嘘をつかず、傷つけず、それでも傍にいられる方法を探しているのではないだろうか。

それを、自分とよく似た私に。

自分では出せなかった答えを、出してくれるのではないかと。

淡い期待だって、きっと抱いていた。

エリスの期待に、絶対に応えられるとは言わない。

けれど、エリスと違う道を歩かなければいけないと思った。

私とエリスは似ている。

けれど、対となるのなら歩む道は違う。

片方が、既に間違った道を示してくれたから。

私はそれを踏まえて行動しなければならない。

自身の為にも。

王になることに、迷いはない。

彼らと会えないのは、とても寂しいけれど。

それはちょうど良い気がする。

彼らも。

私も。

私達は互いに依存し過ぎている。

長い人生、一人で歩く時間も必要だ。

彼らと歩む道は、きっと温かくて幸せな道だろう。

一人で歩く道はきっと、暗くて辛いだろう。

けれど、一人で歩かねば分からない景色もある。

辛くて、涙を堪える日もあるかもしれない。

それでも。

涙を堪えた分、それは自信になる。

それは私の糧になる。

Re: 秘密 ( No.587 )
日時: 2016/04/24 23:44
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

「遠出で疲れたよね。明日は橋の向こうまで行くから、ゆっくり休んでね。」

にこり、と笑った。

気付けば、もう夜も遅い。

かなりの時間がたっていたらしい。

「そそ、ゆっくり休め。若人よ。」

エリスは、また作った様な笑い方をしている。

エリスにとって、アイザック達だけが絶対なのだろう。

優しくて、温かくて、儚かった彼ら。

笑い合ったあの日が、永遠なのかもしれない。

それはもしかすると、一生揺らぐことがないかもしれない。

狭い世界。

でも、それがエリスの全て。

決して帰って来ない、過去に囚われている。

それが悪い、なんて私には断じられない。

彼らがいた日々は、それだけ素晴らしいものだったのだ。

それ以外の全てが、どうでもいいと思えるくらいに。

そんなことを彼らは望んでいない。

そんな月並みの言葉を、掛けることはきっと彼らに対する侮辱だ。

彼らはもう何も語らない。

彼らの意思を知るすべは、もう存在していない。

それを代弁することは、きっと誰であろうと彼らへの冒涜になる。

彼らはエリスの中に、ずっと存在し続ける。

もう、いなくても。

心には彼らと紡いだ物語がある。

だから、願う。

いつかエリスに、アイザックと同じくらいに大事に想える人が出来ることを。

アイザックを忘れる訳じゃない。

彼らのことを知って、それを受け入れてくれる人を。

それでもエリスを想っていてくれる人を。

人生って言うのは、長いんだ。

今日とは違う明日が、必ずやってくる。

苦しくても、辛くても。

生きていれば、必ず変化は訪れる。

だから今の私に。

エリスに掛けられる言葉は、ない。

「エリス、生きろよ。」

エリスが、いつか本当に笑えたら。

無理矢理でも、作ったものでもない。

本当の笑顔を。

「…死ぬわけには、いかないじゃん」

私はただ。

それを、願うだけ。

エリスがアイザックから貰ったアイリスの花に込められた意味を。

守ってくれることを、祈るだけ。

Re: 秘密 ( No.588 )
日時: 2016/04/26 23:52
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

〜・122章 狭い世界と敵・〜
「圭、夕食を食べたら私の部屋に来て。勿論1人で。」

そう声を掛けられたのは、エリスとアリスが部屋を出ようとした時だった。

ふと、思い立ったように振り返って告げてきた。

笑ってはいたけれど、少し寂しそうだった。

「…分かった。」

空腹だったはずなのに、夕食は酷く味気なく感じた。

エリスの話を聞いたからだろうか。

アリスの呼び出しが胸に引っ掛かったからだろうか。

それとも、これから先のことを案じたからだろうか。

アリスは本気で言っている。

それを阻害することに対して、迷いが生まれたからだろうか。

なんとなく食べていると、夕食は終わった。

各々が与えられた部屋に戻った。

「…アリス?」

アリスの部屋に入ると、直ぐに何かを踏みつけた感触がした。

部屋は暗い。

出掛けているのだろうか。

廊下の灯りを頼りに、足元に落ちていた物を拾い上げた。

何かの資料だ。

グラフや難しい漢字がびっしりと並んでいる。

『アニエスの財政 その5』

アリスのことだ。

きっと、毎晩資料を読み耽っているのだろう。

他にも孤児院に持って行こうとしているのか、布や綿も散らばっていた。

失敗作であろう、歪なライオンのぬいぐるみも転がっている。

灯りを付けると、部屋の全貌が曝け出される。

とても散らかっている。

「夜這い?」

「ちょっ…!?」

背中越しに顔をのぞかせたのは、勿論アリスだ。

楽しそうに笑っている。

「冗談冗談。でも、こんなに早く食事が終わるとは思わなかった。」

いつの間にか着替えたのか、寝巻であろうワンピースに身を包んでいる。

「アリス…食事は…?」

「後で食べる。今はあんまり食欲なくて。」

笑顔は崩さない。

アリスとは、長いことずっと傍にいた。

けれど、何時からだろう。

アリスが作り笑いを浮かべる様になったのは。

「それで、呼んだ用件なんだけどね。」

そっと、アリスは自らの耳に触れた。

そこにはずっと前にアリスに贈ったイヤリングが輝いていた。

プレゼントした日から、アリスはずっと律義に付けていた。

毎日。

1日も欠かさずに。

それを、目の前で外した。

「これ、返したくて。」

手のひらにきゅっと握らせてきた。

このイヤリングは、2人だけの思い出の結晶の様なものだと思っていた。

アリスを想っている、印の様なものだと。

それを、アリスは今自分の掌に置いた。

「それと、これもかな。」

アリスが重ねて手のひらに乗せてきた。

夏休みに、海の家で互いに交換し合ったブレスレット。

まだ、アリスのことを全然知らなかった頃に贈ったもの。

「クリスマスプレゼントのぬいぐるみは…ごめん、今は持ってないや。」

「なん、で…?」

目の前で起こっていることを、理解できなかった。

アリスが自ら、2人の思い出となるものを掌に置いてきた。

「…持っていても、辛いから。」

アリスの瞳が、こちらをじっと見つめてきた。

少しだけ、潤んでいる。

「前の私は、なにをするにも躊躇いはなかった。」

再会したばかり…否、出逢ったばかりのアリスは。

楽しそうに笑っていても、どこか遠くを見つめているようだった。

どこか浮かない様な顔をした。

それが不思議で。

アニエスのことを知ってから、合点が行った。

アリスは誰であろうと売られた喧嘩は買った。

柳親子であれ、マリーの父親であれ、朝霧であれ。

喧嘩や賭けをすることに、何のためらいもなかった。

相手が危害を加えるなら躊躇しなかった。

「だから、大切な気持ちをくれた圭を大事だと想っているし、感謝だってしてる。」

何もしていない。

アリスは、自分に出逢ったことで救われたと思っている。

でも、それは自分にとってもそれで救われていたから。

アリスの隣が心地よかったから。

「でも、今は何をするにも痛みを覚える。出逢う前には覚えなかった痛みが。」

だから、辛い。

そう訴える様に、アリスは言葉に力を込めている。

「…圭には、自分の道を歩いていて欲しい。私は、圭が歩む道を阻害する。」

勿論私の道も、と小さく困った様に笑った。

アリスは、揺らがない。

それほどの意思と覚悟を持っている。

そんなこと…ずっと前から分かっていたのに。

「アニエスと言う存在は私を圭たちだけの世界から出してくれた。」

それから、ずっと目を逸らしてきた。

「圭は恩人だ。でも、私に痛みを与える敵でもあるんだ。」

キッパリと、断じる様に。

これが私の答えだ、と言わんばかりに。

「だから、もうそれはいらない。」

まるで、今まで積み重ねてきた思い出までも。

掌にいらないと、置いた。

目の前では、今までに見たことないアリスの笑顔が合った。

「互いの為にも、別れよう。」

Re: 秘密 ( No.589 )
日時: 2016/04/27 22:49
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

「呼び出してごめん。用件はそれだけ。じゃあねっ、圭。」

キッパリと言えた。

言ってやった。

「恩人で敵でも、これからも友達として付き合ってくれると嬉しいな」

イヤリングをしていた耳が、軽い。

思い出を1つ1つ剥いで捨てていったみたい。

痛いけど、身がとても軽い。

私は上手く笑えたか。

上手に切り捨てられたか。

「明日は、橋を越えるから。体調を整えとかないとね。」

きっと大丈夫。

私は変わった。

知ることは、変わるきっかけになった。

アニエスのことも、父のことも、知って良かったと思える。

なら、きっと大丈夫。

Re: 秘密 ( No.590 )
日時: 2016/05/02 23:41
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)


「今日はカレー?朝から重たそう。」

でも、香ばしい匂い。

恐らくレトルトであろうが、レトルト文化は偉大だ。

「今日は珍しいですね。朝食を一緒にとるなんて。私は嬉しいですけど。」

3食きちんととる様に、と何時も万里花は言っていたからね。

席についたアリスがただ食事をするだけで、とても嬉しそうに笑っていた。

「いつもなら、そんなにお腹空かないんだけどね。橋の向こう行く時は食べる様にしてる。
それでも基本部屋に運んでもらうんだけどね。今日は特別。」

アリスは今日は楽しそうだ。

少なくとも、見ただけならそんな感じがする。

いつもは別々に食事をするのに、そこにアリスがいるだけで不思議な気分になる。

「たまに外で食べるのも悪くないですよね。」

万里花が言う通り、食事は基本何時も城でしている。

アリス曰く孤児院や橋の向こうでは、貧しい人がいて食べづらいんだそうだ。

確かに以前訪れた孤児院の子供たちは痩せていて、申し訳ない気分になる。

こんなレトルト食品でも、城にいるからこそ食べられるのだろう。

来客などが無ければ、基本的に食事はいつも質素で簡単なものらしい。

「それは言えてる。」

黙々と食べていた凛が同意する。

確かに、日中ずっと城にいる。

城で孤児院の子供向けのおもちゃや防寒具、絵本を作って過ごしている。

その作業自体は慣れてくれば、面白くなってくるし退屈はあまりしない。

エリスやアレクシスも出払っていたり、仕事をすることが多い。

どの道3人だけでは、外に出ても右も左も分からない。

「じゃあ、今日は遠征が終わったら外でお弁当食べよっか。
孤児院や橋の向こうは無理でも、王都や孤児院の手前の森でなら大丈夫。
王都からの声が聞こえて少し賑やかだけど、それはそれで美味しいと思うよ?」

朝食を食べると、アリスはいくつかの薬を飲んだ。

1月上旬のスキースクールから、アリスは薬を常備する様になった。

定期的に呑まないと、直ぐに体調を崩し最悪命を落とす可能性すらある。

そう言う体なのだ、と以前話していた。

副作用で眠くなったり、身体の節々が痛んだりすることもあるらしいが…

アリスはその素振りすら見せない。

1時間後、大きな弁当箱を持ったアリスと一緒に城を出た。

橋は孤児院の少し先の崖にある。

城から離れれば離れるほど、貧しくなっていく。

橋を越えれば景色が変わる、と聞いていた。

孤児院と訓練場にいる子供と遊んでいると、橋の準備が整ったと声が掛かった。

重い音を立てて、降りた橋を渡ると確かに景色が変わった。

ボロボロの家。

道端で倒れこむ人。

異臭が鼻を刺激し、王都に引き戻したい衝動に駆られる。

とても静かで、賑やかな王都とはまるで違う。

土地が全体的に乾いているのだろう。

植物があまり生えていない。

殺風景だ。

「水を引いて、畑を作ってる。あと少しで完成なの。」

エリス達が持っている大きな鍋や皿で、沢山の人に食事を配っている。

手慣れている様だ。

全体的に枯れた土地だと思っていたが、歩き周っていると少し離れた所に森もあるようだった。

「あの森には有毒植物も多いから。お腹が空いても食べちゃダメだよ。」

視線に気付いたのか、アリスが声を掛ける。

空腹で、有毒植物を口にした人がいたのだろうか。

有毒植物は、城に持ち帰り繁殖させようとしているらしい。

森で有毒植物は見かける度に、摘んでいるが流石に撲滅とまではいかない。

全部、アリスが事前情報として話してくれた。

けれど、実際に目にしてみると立ちすくんでしまう。

それでもエリスたちは躊躇うことなく、仕事に取り掛かる。

アリスとエリスで配膳、男手達は畑仕事。

配り終わると、エリスとアリスでそれぞれ町の人に話しかけた。

話は他愛もないことも多いが、話している人も楽しそう。

エリスはお手玉を4つも使って芸を見せていた。

アリスは知識を使って楽しそうに話していた。

2人と話しているおばあちゃんやおじいちゃんも、表情が柔らかい。

子供をあまり見かけないのは、子供たちは孤児院に移しているのでいないらしい。

ここにいるのは病人と、老人。

王都で暮らす財が無い人もいるが、この国を出ていく人も、少なくない。

兵になれば衣食住は保障されるが、こんな危うい国に残る人はいないだろう。

「『ケイタ…?』けれど、なにか違う。違和感が拭えない」

やがて、小説の一節だろうか。

なにかを読み上げ始めた。

アリスが読み上げ始めると、エリスはその場を他の人に任せて離れた。

「おーい、手が止まってるぞ少年」

長い金髪、中性的な顔立ち、細い体。

トールだ。

「…すいません」

バレンタイン以来の顔合わせだ。

後頭部にいきなり蹴りを食らったのは、今でも記憶に新しい。

「まあ、慣れないよな。でも、そろそろ出来そうなんだよ。
この種類の穀物は水が少なくても出来るし、保存もきくから。植えちまえばこっちのもんだよ」

けれど、それを異にも返さず躊躇いもなく話し掛けてきた。

苦手意識はあるが、人と話すのに躊躇いがない様でもあった。

トールの言った通り。

確かに、畑らしくなっている。

今なら、普通の野菜とかも育てられそうだ。

「仕事が不定期だし、来れるうちにやった方が良いじゃん?」

偶然にも今は人出が多くて、畑作りが想像以上に捗っているらしい。

普段はもっと少人数で、頻度も少ないらしい。

「畑が出来れば、もう大丈夫だ。何年も掛かったけど、やっとひと段落つく。」

畑と同時進行で水を畑まで引こうとしているらしい。

それももうそろそろ終わりだ。

「やっとこれで橋を降ろせるんだ。」

王都とここを隔てているのは、崖。

故に橋を使うしか出入りは出来ない。

飛行機などを使うか、橋を使い崖を越えなければアニエスからは出られない。

しかし、崖以上に貧困と病が橋を渡ることを憚らせる。

けれどもう大丈夫だ。

熱心な看病や、畑づくり、食料の配布。

何年も絶えず続けてきたからこそ。

やっと、橋を下ろすことが出来るのだろう。

彼らの手には肉刺が出来ている。

何度もつぶれた跡がある。

エリスは見た目が大事な仕事が多いので、パッと見怪我は無さそうだ。

けれど夜会や外征の後は決まってぐったりしている。

それでも笑っているのが、彼ららしい。

たかが数週間。

1月も経っていない。

けれど。

それでも彼らを知るには充分な時間だった。

彼らも、優しく微笑むことを知った。

決して楽に生きていける場所じゃない。

けれど、それでも毎日を精一杯生きている。

じゃあ、自分は?

トールも、アレクシスも、エリスも、アリスも。

ここで精一杯生きているのに。

覚悟を持って、生きているというのに。

Re: 秘密 ( No.591 )
日時: 2016/05/03 00:29
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

城に戻ると、ドッと疲れが押し寄せてきた。

久々に外で食事をしたが、やはり外で食べるご飯は格別だ。

食事中はエリスやトールや幽も含めて、なかなかに面白かった。

彼らのする話には、聞いたこともない様な面白さと驚きが備わっていた。

見ている世界が違うのだと、痛いほどに痛感した。

アリスはアニエスに来てからはずっと部屋に籠っていた。

ここでしか読めない資料があるらしい。

早く、今までの分を取り返せるように毎日夜遅くまで起きている。

「よっ、八神圭くん」

廊下ですれ違った時、アリスは笑いながらそう挨拶した。

また何か作るのだろう。

赤い彼岸花を抱えていた。

避けられている。

あからさまに。

それほどに。

気付かぬ間に、それだけアリスを傷つけていたのか。

“痛みを覚える”“敵”

アリスは自分を憎んでいたのか。

アリスはアニエスと言う国も、父親も、もう憎んではいない。

逆に、祖国や父親の為に生きようとしている。

それを自分と言う存在が阻害している。

みるみる膨らむ、焦りと罪悪感。

アリスに問い質されてから、ずっと迷っていた。

アリスが自分にとって、どのような存在であるか。

恩人と言う気持ちを、錯覚しているのではないかと。

アリス以外に、拠り所になるものがない。

だから必死にしがみついていただけなのではないのか。

そう思うと、分からなくなった。

アリスに対する好き、は。

ただの依存だったのか。

アリスに自分の理想ばかりを重ねていたのか。

そしてもしかすると、その理想が彼女を苦しめたのか。

自分の理想が、アリスをありもしない少女に仕立てていたのだろうか。

10年前、なにも持っていなかった自分に。

人間らしさと言う、誇れるものがあることを教えてくれた。

あの頃から、ずっとアリスは特別な存在。

歌っているアリスは、とても生き生きしていた。

アニエスのことに迷い、苦しみながらも前を向いていた。

その姿があまりにも強烈で、目を閉じても鮮やかに浮かび上がってくる。

辛くても、必死に前に進もうと足掻く姿に魅せられた。

泣くこともあったけれど、すぐに涙を拭いて立ち上がる様な子だった。

そんなか弱く、それでも強くあろうとした姿に惹かれた。

今のアリスとは、違う。

ここでのアリスは、自分の役職を全うしようとしていた。

苦しみしか見いだせなかったものに、やっと光を見つけた様な。

アニエスから逃げて光ある平凡な世界で暮らすことだけを考え、生きていたのに。

今はまるで真逆。

アリスはもう、過酷な運命に翻弄されたか弱い少女ではない。

自分の意思で未来を決め、その為の道を迷わず突き進む。

嵐の様に強く激しい少女だった。

きっかけは、恐らく彼女の父だ。

アリスが、父の優しさに気付いたのは何時だったのだろうか。

父が、自分を苦しめた末に何を得ようとしたのか。

それを知ったのは。

そこから、アリスは祖国の為に生きる準備をしていた。

父の、不器用で残酷な優しさに。

アリスは何時頃から、気付いていたのだろうか。

Re: 秘密 ( No.592 )
日時: 2016/05/05 16:09
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

〜・123章 狂おしいほど・〜
何時から、アニエスの為に生きようと決めていたのだろう。

兵士にすることで孤児を生かし、自らの身を削りながら国を作りあげたことに。

一体何時、知ったのだろう?

「…あれ?」

アリスが父親のしたことを知るには、アニエスのことにも向き合ったはずだ。

エリスたちの中でのテオドールは。

冷酷無慈悲、容赦がなく、勝つためなら孤児を兵士にしてでも勝つ。

そうして、アリスと言う存在を作り王にまで上り詰めた。

まるでテオドールの手が汚れきっているかのような物言いだった。

そう信じて疑っていない。

孤児院を作ったのも、兵士として育てられる様に。

テオドールがまるで人間ではない様な、そんな印象ばかりが植えこまれている。

牢で育ち、アニエスの知識や歴史をひたすら頭に詰め込まれたと言っていた。

パソコンよりも確実で、決して忘れられないアリスの頭に。

様々な生活の知恵を身につけ、非合法なことまでも。

それを聞いていたから、テオドールが悪人だと信じて疑わなかった。

アニエスの歴史や知識を、詰め込んだ。

ならば、アリスの父がしたことを知ったとしてもおかしくない。

そうして憎んでいた自分が、間違っていたことに気付いたのかもしれない。

けれど、もし自分がアリスの父だとしたら。

自分の都合の悪いことはアリスに教えたりしない。

アニエスの発展に役立てようと紙面にしていても、アリスに見せる必要はない。

自分がいなくなるまで、伏せていても何ら問題はなかったはずだ。

孤児を兵士として育てる訳を、エリスが知らない程だ。

エリスですら知らなかったのだ。

都合の悪い情報は、伏せることが出来たのではないか。

アニエスという小国を、上手くまとめあげられる程の頭が合ったはずだ。

そう簡単に気付かれるものなのだろうか。

アリスの父親は悪役に徹した。

それはきっと、憎んでいてもらった方が都合が良いからだろう。

現に、アリスはずっとテオドールのことをずっと憎んでいた。

けれど、ならばアリスに自分のしてきたことを話す理由がない。

してきたことを、覚えさせる必要もない。

教えてしまえば、アリスは父を許してしまうかもしれないのに。

テオドールは許されることなんて望んでいない筈だ。

許されたら、それこそ救われない。

Re: 秘密 ( No.593 )
日時: 2016/05/08 17:50
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

アリスが身につけた非合法な知恵。

それは人を騙すためのものだ。

植物は毒性を、非合法な知恵は警備をかいくぐる為に利用できるからだ。

崖によって王都とそれ以外を隔離した。

それは他国からの侵入に二重の崖という壁が便利だから。

橋の向こうでは、そろそろ畑を作る。

そうすれば王都並みとは言わずとも、今までよりはずっと暮らしやすくなる。

そうしてまた兵士を沢山作れるから。

橋向こうの開拓していた事実を、そもそもアリスは認識していなかった。

人を騙すため、人を傷つけるため、勝利の為。

それが嘘だとアリスが気付いたのは何時だ。

テオドールがアリスに気付かせるほど迂闊だとは思えない。

気付かれたら、直ぐに知れてしまう。

積み上げてきた憎しみが台無しだ。

それなのに、アリスがテオドールをおかしいと思ったのは何故だ。

決定的なきっかけは何だ。

アリスが違和感を覚える情報、それを直ぐ信じられるようなもの。

もともとアリスは、テオドールともろくに連絡をとっていない。

知るきっかけなどあったのだろうか…?

そこまで考えてようやく、我に返った。

アリスの全てを知っている訳じゃない。

だから、知らない所で何かやりとりが合ったのかもしれない。

変なことを考えたな。

…それでも、アリスと関わることがほとんどないテオドールが。

テオドールの善行を、アリスが知ることなどあるのだろうか。

部屋に入って、扉を閉めた途端。

先程廊下ですれ違ったアリスの声を思い出した。

“八神圭”

“よっ、八神圭くん”

「…まさか」

Re: 秘密 ( No.594 )
日時: 2016/05/14 01:59
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

「父上」

「…なにしに来た?」

不機嫌な男の声。

しわがれていて、少し低い。

男はベットに腰掛け、キーボードでなにかの書類を作成しているらしい。

明らかに、就寝の準備をしている。

キーボードの上を滑っている指が、骨張っていた。

骨格標本に薄皮一枚かぶせた様に、人間離れしている。

男はこちらに背を向けている。

「私が王になります。父上の跡を継ぎ、この国を治めます。」

「何を言っている?」

剥き出しの敵意と、嫌悪が男の口から発せられる。

昔から、変わらない。

ピリピリしてばかりいる。

雰囲気そのものが、どこか刺々しい。

「父上に認められなくても、何度でも言います。」

投げかけた言葉はかえってこない。

それでも、何度でも話し掛け続ける。

「私は、あなたが守ったこの国を守ります。」

いつか。

男の胸に、届くまで。

「憎くて憎くて仕方なかったあなたの国を、私が救います。」

届くと、信じて。

「何をしに来た、エマ・ベクレル」

男がそう呟いたと同時に、手に持っていたナイフを思い切り振り下ろした。

Re: 秘密 ( No.595 )
日時: 2016/05/17 04:50
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

ヒュンッと風をきる音がした。

金属がぶつかる音が耳をつんざく。

私が振り下ろしたナイフを、袖口に隠していたナイフで弾いた。

彼がナイフを仕込んでいることを、私は知っている。

けれど、わずかに態勢を崩した男はベットの縁から上体のバランスを失った。

男の手を引き、床に叩きつけるとすかさず男の上に馬乗りになった。

その衝撃で男のすぐそばで花瓶が落ちる。

破片がピッと彼の頬を切りつけた。

「腕が落ちたね、テオドール」

男の袖からナイフを抜き取り、遠くに飛ばす。

ナイフを胸元につきつける。

「昔のあなたはこんなものじゃなかった。」

無駄のない動きに、完璧と言うまでに正確に相手の急所を狙っていた。

足元を救われたことなど、なかったはずなのに。

「わざわざ娘の服をくすねて、声真似までしたって言うのに。」

娘・アリス=ベクレルは私の生き映しの様に生まれて来てくれた。

「でも、娘と区別できるほどには私のことを忘れてはいない様ね。」

なによりも傍に置き、武器に仕立てあげた娘。

それを、通して私のことを想起させずにはいられなかっただろう。

彼はどんな気持ちで娘と接していただろう。

自分が傷つけた女によく似た娘を、どんな気持ちで傍に置いたのだろう。

安らぐことなど、出来はしなかっただろう。

それほどに、アリスと私は良く似ている。

「会いたかったぞ、テオドール。」

私の娘だと1目で分かる。

けれど、あの子には分からない様な気持ちを。

私は知っている。

「17年もの間、狂おしいほどお前が憎かった。」

Re: 秘密 ( No.596 )
日時: 2016/06/15 18:07
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

〜・124章 母の意思・〜
「憎かった。」

口にすることで、改めて実感する。

私はこの男が、憎くて憎くてたまらなかった。

傷つけて、傷つけて、ナイフを胸に突き刺してしまいたい。

彼が目の前で息をしているだけで、怖気がはしる。

「私を虐げ、挙句の果てにはここを追いだした。居場所もなにもかも奪った。」

好きでもない男の子供。

それでも、私にとってはたった1人の宝物だった。

「愛しい娘に、触れることもなく。私は泥水を啜りながらここまで来た。」

一目見ようと、何度も城に近づいた。

けれど、娘は牢に閉じ込められていて簡単には会うことはできなかった。

会ったのは、17年で1度だけ。

「途中でお前が娘を涼風にやったと知り、娘が色んな家庭で虐げられていることを知った。」

私の追跡の手を拒むためと、娘の人間関係を絶つために。

そして娘自身に世の中の不条理を身をもって知らせるために。

「私は身を潜めるしかなかった。一度救うだけじゃ、意味がないからだ。」

たらい回しも、何もかも全てもアニエスの滅亡を防ぐため。

アニエスに暮らす人々の為だ。

その為には、娘をちゃんと育てる必要が合った。

心が挫ける様な子になっていては、アニエスと言う重荷を背負えないから。

感情に流される様な子では、アニエスと言う重荷を背負えないからだ。

「娘を役立てる日は必ず来る。その日を待って、ずっと息を潜めていた。」

Re: 秘密 ( No.597 )
日時: 2016/06/26 12:53
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

「アリス!?」

慌てて扉を開けると、アリスは驚いた様にぽかんとした表情を浮かべた。

「なに?」

さっきすれ違ったアリスは寝巻用の白いワンピースを身に包んでいた。

けれど、今のアリスは違う服を着ている。

「さっき、廊下ですれ違った?」

ますます分からなさそうに、首をかしげた。

「?私はずっとここにいた。」

…やっぱり

「やっぱりあれは、アリスのお母さんだったんだ。」

「母に会ったのか。」

アリスは薄い笑みを浮かべながら、宙を仰いだ。

「やっぱりあの人は身軽だな。部屋から私が着ている寝巻を持ち出すなんて。」

知らなかったというには、あまりにも落ち着いている。

「…アリスは、知ってたの?」

「知ってたよ。母から手紙を貰っていたし、ここでも合図を受け取っていた。」

さらり、と何と言うこともなさそうに認めた。

そんなこと、聞いてない。

頭に浮かんだのはそんな言葉だった。

それほどにまで、自分がとるに足らない相手になり下がったのだろう。

それとも、はなからアリスと釣り合ってなんかいなくて…

「…合図?」

「エリスの話をした時にも合っただろう。部屋に、赤い彼岸花が。
どうしてあれが調理もされずにただ活けられていたのか…考えれば分かる。
あれは観賞用にしては縁起が悪い。」

アリスの母親はここを追いだされていたはずだ。

戻ってくるということは、如何ほどのリスクを背負うことか分かっているはずだ。

けれど、アリスの口調に変化はない。

「母は自分の意思で戻ってきた。何らかの想いを抱いて。
それは殺意かもしれないし、憎しみかもしれない。それでも戻ってきた。」

ふいっ、とこちらを見る。

「命懸けで戻ってきた母を邪魔するのは、母の意思を殺しているんじゃないかな?」

冷めた目。

自分の気持ちや情を完璧に無視して、ただ淡々としていた。

「だから、会わない。会う時は何もかもが終わってからにしたいんだ。」

Re: 秘密 ( No.598 )
日時: 2016/07/01 13:41
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

「私はあなたのことがずっと憎かった。殺したいほどに。」

宝物を奪い、人生を狂わせ、挙句の果てには呆気なく捨てられた。

生きることすら辞めたくなるような絶望を植え付けた。

「どこにいてもなにをしても、あなたのことばかり考えていた。」

ぴくり、と人離れした男の眉が動く。

まるで人間の様に。

「憎かったけれど、愛してなんかいなかったけれど…
なんて不器用なんだ、ってその愚かしさや残虐さを愛しいと想った日もあった。」

殺したいほどに憎んでいた。

でも、それと同時に同じくらい大きな愛しさに包まれていた。

「きっとこれは、呪い。私の気持ちじゃない。私はあなたが憎い。
殺したいくらい。でも、あなたがいなかったら私はここにはいない。」

これを愛と呼ぶには、憎しみに満ちすぎている。

けれど愛と呼ばずに、何と呼ぼう。

これほど強烈にあなたを想う気持ちを、他に何と呼べばいい。

「憎しみって言うのは…愛に似ているのね。」

憎いと思う気持ちに、偽りはない。

生きていたのは娘の為と、この男への憎しみだけだった。

その為だけに生き続けてきた。

私はあの男に執着している。

その自覚はあった。

けれどそれが愛しさだとも、ましてや愛だとも思いはしなかった。

だって、憎む要素しかない。

私の宝を奪い、私の人生を奪い、捨てた。

一生残る様な傷を、私の胸に刻んだ。

生きるために、衣食住を整えても。

仕事に打ち込んでも。

何時だって頭に浮かぶのはあの男の顔だった。

息を潜めて、傷が少しでも薄れる様に時間が過ぎるのを待った。

何年も経った。

仕事も落ち着いた。

少し落ち着いたけれど、それでもあの男の顔はチラついた。

眠る前のふっとした時間に。

鏡を見ながら身支度を整えている時。

仕事中の僅かな時間も。

気を抜けば浮かんできた。

娘の姿を一目見れば、少しは自分の気持ちに整理がつくのかもしれない。

そんな考えがよぎった。

宝物である私の娘は…元気だろうか。

ある時、仕事場から休みをもらった。

働き詰めであった私を考慮したものだった。

今思えば、魔が差したとしか言いようがない。

私は自分の娘に会いに行った。

Re: 秘密 ( No.599 )
日時: 2016/07/07 01:17
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

元々、彼は仕事詰めで城にいる時は書斎から出ることはほとんどなかった。

私が娘を身籠っていた時でさえも。

「…また、ここか」

けれど城中を探し回っても、娘を見つけることが出来なかった。

諦めて帰ろうとした時、私はふと牢獄を思い出した。

私が城にいた時に過ごした牢獄。

少しだけ、覗くつもりで向かった。

ダメもとだった。

いないと分かっていての、行動だった。

けれど、そこに私の娘はいた。

ボロボロの布切れを身にまとい、本に埋もれながら、冷たい床にぺたんと座っていた。

顔に血の気は無く、生気もない。

まるで決められた動作しかできない、人形の様。

私と同じ顔。

けれど、耳の形があの男に少し似ていた。

悲鳴を上げることも、泣くことすらも、知らないまま。

娘は牢に閉じ込められていた。

手を伸ばすと、能面の様な感情が空っぽな顔で不思議そうに手を伸ばしてきた。

「…こよみ」

愛しい娘の名前を呼んだ。

こよみは、日のこと。

過ぎる日も過ぎる日も、幸せに生きられる様に。

その幸せな思い出を決して忘れることがないように。

毎日、笑って生きていける様に。

そういう意味を込めて、私が付けた。

アリス、と言う名前は男が勝手につけてしまったから。

私も何か名前を付けたかった。

温もりに満ちた名前を。

「…愛してる」

あまりにも当たり前に、その言葉が口から零れでた。

その時、私は久方ぶりに胸が温かくなったのを感じた。

Re: 秘密 ( No.600 )
日時: 2016/07/09 01:08
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

〜・125章 憎しみと愛しさ・〜
僅かに交わした言葉が、愛おしい。

娘はなにも発することはできなかったけれど。

まるで言葉以外の何かが、私達の間にあったかの様に。

僅かな触れ合いで、沢山の想いを感じた。

その日を境に、私は決意を固めた。

金も、誇りも、命さえも。

全てを投げ捨ててでも、彼らの為に生きようと。

あの男に復讐し、娘を守る為に。

その為だけに生きようと。

それからは身軽さを利用し、様々なところを出入りした。

生まれつきの記憶力を活用させ、頭を使った。

この身が次第に陽の当らない所に沈んでいく実感が合った。

でも、沈んだその先にはあの男と娘がいる。

そう思えば、まだ頑張ることが出来た。

それに役目を見つけたことで、身がとても軽くなった様な気さえした。

彼と娘を失って、私は死んだように暮らしていた。

娘と会い、私は生きている実感をようやく感じられた。

生きる理由を、見つけたのだ。

娘の身柄が涼風に移され、そこで酷い家族の所をたらい回しにされていたのも知っていた。

でも、私にはなにも出来ない。

私にはまだ娘を救えるほどの力を付けてはいない。

あの男に対する憎しみは、薄れることはなかった。

私から昼を奪い、夜の世界に閉じ込めた。

憎くて憎くて、堪らなかった。

けれど、彼がいないと。

今ここにいる私は、存在しない。

私の中を占めるあの男の存在が消えたら。

私は何も残らない。

何処にいたって、あの灰色の牢に戻ってしまう。

冷たくて、心ごと凍えそうな冷たい床の感触が甦ってくる。

憎むことだけで、繋ぎとめられていた気持ち。

何時しか、その気持ちの中に少しの愛しさが生まれた。

彼のしようとしていること、していること。

それらを知ったその瞬間から。

Re: 秘密 ( No.601 )
日時: 2016/07/12 00:37
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

とある伝手で、私は書類を手に入れた。

書類や情報を形に残さないため。

それを理由に産み落とされた娘であったが、そんな娘にもまだ見せていない物があるはずだ。

そう思って、ずっと形になっている物を探し回った。

薄っぺらく、強く握ったら崩れてしまいそうなほど古い紙。

それは、テオドールの隠してきた優しさが書き連ねられていた。

彼が犠牲にしたもの、救ったもの。

彼の後悔と、絶望と、慟哭。

彼の一番脆く、柔らかい所が赤裸々に記されていた。

長く分厚資料を読み終えると、私は小さく息を吐いた。

彼の愚かしさや不器用さに、思わず笑みが零れた。

涙が零れた。

こんなものの為に、彼は私の未来と…娘の未来すらも奪った。

全体的に見れば彼は悪と断じられる人間だ。

如何なる理由があろうとも、彼は人を傷つけ、殺してきた。

それは覆らない。

彼が奪った私や娘の時間、他の多くの命も…決して戻って来ない。

けれど…彼には彼なりに守ろうとしたものが合ったのだ。

誰に理解されずとも。

彼の信じる理想を実現にしようと。

辛くて、誰もついて来ない様な。

一人でそんな棘の茂る道を歩いてきた。

その結果、何人もの犠牲を出しても。

一人でずっと暗闇の中、足掻き続けた。

傷つけ、殺め、切り捨て、手離してきた。

それはあまりにも、…痛々しい。

私の中には、あの男がいる。

娘がいる。

それだけで、私は一人ではない。

あの男も一緒だ。

書類を失ったことで、彼はクリスマスに娘を監禁した。

私をおびき出し、彼の歴史を綴る紙を取り返そうとしたのだろう。

そんなことをしても彼に私は捕らえられない。

私は娘の友人の八神圭を連れ、着替えと指輪を渡して送りだした。

指輪は、彼が私を捨ててから初めて自分の金で買ったもの。

ささやかな願掛けをしてある。

彼も一人ではないことを、気付かせたい。

その為に、思いっきり頬をぶん殴ってやる。

私の心をここまで陣取っておいて。

このまま一人でいられると想うなよ。

私もあいつの中を陣取って。

一生忘れられない様に、彼の胸に楔を打ち込んでやる。

Re: 秘密 ( No.602 )
日時: 2016/07/12 23:11
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

「私は沢山のものを捨てた。娘と、復讐心以外の全てを捨てた。」

そうやって過ごしているうちに、私はそれらなしでは生きていけなくなった。

何をしていても、どこにいても。

心はあの牢に戻ってしまう。

彼の傍にいて、ようやく私は生きている心地がする。

そこでなければ、私は死んだのと変わらない。

何も食べた心地がしない。

眠った心地もしない。

痛みも、安らぎも、全てが鈍くなる。

全てが、まるで夢の様に。

何も感じられない。

全てが、灰色のまま。

「あなたの隣でだけ…私は生きていられるの」

彼の傍にいて、初めて世界が彩られ。

痛みや安らぎに安堵することが出来る。

「あなたが私をこんな風にした。」

憎くて、たまらない。

だからきっと、この私の気持ちはなにかの呪い。

少しでも。

彼のことを愛しいと想う、なんて。

彼に残された時間が少ないのなら。

その最後の一瞬まで、彼の中を私でいっぱいにしてやる。

絶対に忘れられない様に、心に杭を打ち込んでやる。

「忘れさせてたまるか。私が、あなたの中でいかに小さな存在であろうと。」

絶対に、絶対に、忘れさせてたまるか。

吐かれる言葉は憎しみに満ちているのに。

私の中には、それでは同じくらいの愛しさが溢れてる。

でも、それは絶対口にしない。

彼の命が消えるまで。

彼は救われることを望んでいない。

苦しむことを、幸せとしている。

許されることを、望んでいない。

だから、私は彼の傍にいる。

「だから、私はお前を殺さない。」

部屋の隅にナイフを投げ捨てる。

私にも、彼にも、届かない様に。

死んで楽になんてさせない。

彼の最大の理解者として、彼の傍に留まる。

死んでしまったら、もう何も伝えることも。

私のことを覚えていることも出来ない。

そんなの、許さない。

「生きて生きて、私の存在を刻みつけろ。」

花瓶の破片が、私の腕を傷つける。

小さな傷から、血が流れる。

それでも構わず、彼の頭を抱き寄せる。

どうしようもないほど、愛に近い憎しみを。

私は彼に抱いている。

Re: 秘密 ( No.603 )
日時: 2016/07/14 23:51
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

バタンッと扉を叩きつける様に開けられた。

部屋には、両手を広げて倒れているテオドールと。

そこに馬乗りになっているアリスそっくりの女のひと。

長い金髪が絨毯の上に広がる。

少し艶めかしくも見える、その光景だが。

けれど、2人の間に漂う濃密な空気は他を寄せ付けなかった。

たった2人だけの世界で完結している様に。

閉ざされた歪な世界を。

垣間見た気がした。

Re: 秘密 ( No.604 )
日時: 2016/07/17 23:46
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

〜・126章 残された時間、傍にいる為に・〜
「…トールか」

調べていたので、知っている。

テオドールの、右腕ともいえる存在だ。

鉄砲玉というよりもなんでもこなす汎用武器の様な存在で重宝されている。

やがてバタバタと足音が続き、小柄な女の子が飛び込んできた。

アリス=エイベル

娘のアリス=ベクレルの代用品として作り出された化け物。

娘と、同じ。

完全記憶能力と、人を騙すことに長けている。

その能力はエリスにも引けを取らない。

知ってる。

知ってる。

彼の傍にいる為に、調べた。

「幽ちゃん」

ゴーストと言う通り名から幽、という日本語名を与えられている。

トールと並んで、どちらもテオドールとは切っても切れない存在だ。

知っている。

テオドールが彼らに何をしたのか。

彼らがなにを抱えていたのか。

全て、あの脆い戒めの紙に記されていた。

知らずに、彼の傍にはいられない。

傍にいる為なら、そのくらい当然。

入手するために苦労したが、この先一緒にいられるなら。

安すぎる代償だ。

「テオドールを殺しはしない。」

馬乗りになっていた所を、立ち上がる。

続くように緩慢な動きで、テオドールも体を起こす。

トール達に向き合うと、私は吐き捨てる様に告げた。

「テオドールに残った時間、全て私が貰い受けた。」

彼らの過去も今も知っている。

大変だし、苦労しただろうし、今も苦しんでいるだろう。

同情だってしてやりたいくらいだ。

正常だったら、助け出したいとか思っただろうな。

でも、もう心が麻痺して痛まない。

私が人として当たり前の様に心痛めるには。

テオドールの存在が不可欠だ。

Re: 秘密 ( No.605 )
日時: 2016/07/19 00:50
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

テオドールの抱えるものを知っている。

知らずに傍に、いられない。

「テオドールの残された時間は、全て私が貰おう。」

残された時間、彼の傍に留まる。

私のことを忘れられない様に。

「必要ならば、仕事の補佐もする。介護も介抱もしてやろう。
どの道、こんな容体じゃ使えないだろう。私の娘を使え。」

トールが足を振り上げる。

早さは凄まじいが、それを少しずらして受け流す。

流れる様な動きでトールは次の攻撃に移る。

それを腕を使って攻撃を逸らす。

生粋の汎用武器であり、武道派であるトールと勝負などはなから成立しない。

真向に勝負できなくても、それでも避けるだけならできる。

軌道を逸らせるくらいなら、できる。

出来る様に、訓練した。

テオドールは私が馬乗りになっても、抵抗しなかった。

否、抵抗することが出来なかったんだ。

それほど衰弱しているのに、いつも通りの激務をこなしたのは素直に感心する。

だが、いつまでも長続きするものでもない。

放置しておけば、もっと状態は酷くなるだろう。

「後継者に仕事を教えるのも、仕事のうちだ。勿論休むのもな。」

人離れしたこの男の。

人間らしい一面を一番傍で見つめてやる。

覚えていてやる。

世界中の誰一人知らない優しさを、弱さを、温かさを。

私だけは、覚えていてやる。

それが男にとって苦痛でしかなくても。

この我が儘だけは、貫き通そう。

「私の娘は、君達が思うよりずっと。有能で、強かだ。」

トールからの追撃に対応しながら、答える。

その場しのぎの避けなど、長続きしない。

経験に関しては、彼には敵わない。

彼の体力切れを狙うのも、難しい。

先に、こちらの方が限界に達してしまう。

力があるうちに、向かいうつしかない。

「文句は誰にも言わせない。」

後ろに、勢いよく跳躍する。

そうして距離を稼ぐ。

先程投げ捨てたナイフを再び握りしめる。

私の取り柄は身軽さにある。

ナイフを持つというのは、重荷を背負うのと同じ。

けれど、ナイフが使えない訳じゃない。

蹴りを正直に受けていては負荷が大きい。

幽はあまり戦闘訓練を受けていないと聞く。

あくまで人並だと。

娘の代用品としてなら、確かに護身術くらいしか覚えていなくても不思議ではない。

けれど、警戒は怠らない。

ナイフを構え、トールに向かって突っ込む。

刺さらなくていい。

ただ、一瞬防御の体勢に入るはずだ。

そしてそれだけで十分だ。

気が一瞬このナイフに向かうだけで。

「ストップ」

そこに鶴の一声がかかった。

Re: 秘密 ( No.606 )
日時: 2016/07/26 16:58
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

「ストップ」

見ていれば、おおむね状況は分かった。

というか、この部屋に仕込んだ盗聴器でずっと様子は確認していた。

実際に部屋を見回すと、思っていたより部屋は騒然としていた。

床には花瓶の破片が散らばり、幽は能面の様な顔で戦況を見ていた。

テオドールは緩慢な動きで、衣服を整えている。

ナイフを構えたトールと向き合っているのは、私の服を身にまとっている女。

見れば見るほど、私によく似ている。

否、私が彼女に似たのだ。

母の手にもナイフが握られ、腕からは血がいくつかの筋と成り絶えず流れている。

絨毯は母の血を吸いこんで赤くなっている箇所がある。

「状況は把握しました。」

Re: 秘密 ( No.607 )
日時: 2016/07/30 11:55
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

「トール、ナイフを仕舞え。母上も。」

母は仕方ない、と言った調子でナイフをゴミ箱に投げ入れる。

それでもトールはナイフを仕舞わない。

それならそれでもいい。

「テオドール、母の言った通りだ。」

母の言葉は、憎しみで満ちていた。

けれどどこか、告白の様でもあった。

「私はこの国を継ぐよ。もう逃げない。」

もう、充分なほどの幸せを貰った。

「逃げて来たばかりの私が、上に立てるか分からないけど。
そこで弱気になるのは、あなたの娘じゃないよね。やるのが私だよ。」

これ以上の幸せを、私はもう受け取れない。

幸せを受け取った分、人に伝えたい。

じゃないと、もう抱えきれないよ。

「同情なんてしてない。私がただ、やりたくなったの。」

父が頷いてくれることも、認めてくれることも、無い。

そんなこと、分かってる。

だから、実力行使させてもらう。

「憎くてたまらない父上への、親孝行代わりの復讐だよ。」

愛されるよりも、優しくされるよりも。

憎まれたり、復讐される方が。

「そっちの方が我が家らしいでしょ?」

父は私と母を傷つけた。

母は父を憎み、そうすることで愛を示そうとした。

だから私も憎しみで示す。

父への優しさを。

父は…人の優しさを痛む人だから。

Re: 秘密 ( No.608 )
日時: 2016/08/01 17:47
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

〜・127章 邪魔はさせない・〜
「私は父上の秘密を、母から知らされています。」

涼風にいた時、私に届いた茶封筒。

差出人も、宛名もない。

けれど、母だと直感した。

「父上のしてきたこと、全てを。墓場まで持って行こうとした秘密を。」

「…知らせたければ、そうすれば良い。」

「憎しみが解ければ、お前の元には誰も留まらない。」

母がぱしり、と口を挟む。

助け舟、と言えるかもしれない。

「もう延命は望めないんだろう?なら、することは独裁じゃない。」

父に残された時間は少ない。

しばらく前から、浮上している話だ。

「お前が死んだら、この国は本当に終わりだ。それがお前の望みか?」

だから、私は何度もこの国に呼び戻された。

正式に国を支えるのは、嫡子であるアレクシスになる。

けど、私はそんな重荷をアレクシスに背負わせたくない。

私が適任だと思うし、妥当だとも思う。

正式に王と成れば、間違いなく泥をかぶることになる。

泥をかぶり、非難され、いわれのないことで責められもするだろう。

幸せになど到底なれない。

一番この国の闇を吸い込み、その為に育てられた私なら。

泥をかぶっても問題はない。

アレクシスはアニエスの外で芸能関係の仕事をしているし、所帯持ちだ。

なにかあれば、被害をこうむるのはアレクシスだけに留まらない。

私は直視などずっとしてこなかったけれど。

現状を知らされて、やっと気付いた。

ずっと手がかりも、ヒントも私の中にあったのに。

もうこんな後悔はしたくない。

私一人が幸せな生活を営んでいる間。

この国では一体何人の人が死んだのだろう。

私の力でも、もしかすると1人くらいは救えたかもしれないのに。

「私はこの国を終わらせたくない。どんな手を使ってでも。」

贖罪でも、罪滅ぼしでも、罪悪感でもいい。

どんな手を使ってでも、この国を笑顔で満たしたい。

エリスもトールも、誰も汚い仕事をせずに笑える様に。

幽もアレクシスも普通の生活を送れる様に。

「その為なら、例え父上であろうと。邪魔はさせない。」

Re: 秘密 ( No.609 )
日時: 2016/08/08 14:04
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)


「私はアリスに賛成だよ♪」

アリスは、私と対になる存在。

私は彼女には無いものを補う様に、教育された。

アリスには無い体力や体術を身につけ、社交の場に顔を出した。

まるで鏡映しみたいに。

根っこの所は良く似ていて。

幼い頃は似すぎていることが、とても嫌だった。

私の未来を暗示させるところが、嫌いだった。

こんな風にアニエスに囚われて、生きていくのかと。

牢に閉じ込められ、人形の様に、機械の様に生きているのかと思うと。

ゾッとした。

怖くて、嫌で、でも私にはアニエス以外のものがなかった。

アリスみたいになるのは、時間の問題だと思っていた。

けれど私は彼らに出逢った。

ルークとミーナ、アイザック。

どれも愛しくて、眩しくて、憧れずにはいられない様な。

そんな素敵な人だった。

恋慕という感情を抱き、世界には輝きに溢れている様に思えた。

彼らを失った痛みは、今でも癒えることはない。

彼らを失ってから、私は人が消えることの恐ろしさを知った。

当たり前の様に今まで自分が奪ってきた者。

それを、奪われて初めて痛みを知った。

誰かが視界の端から消えてしまうことすら怖くなった。

“…頼む、目に届く所にいて”“いなく…ならないで…っ!”

その言葉を、アリスはもう忘れてしまっただろう。

アリスは何も言わず、ずっと隣にいてくれた。

テオドールの様に無機質で、冷たい、機械みたいな人。

私はずっと、自分によく似たアリスが嫌いだった。

テオドールがいなくなった後、アリスに仕えるのかと思うと嫌気がさした。

でも、この時初めて。

アリスと一緒に働くのも悪くない、と思った。

「アリスの持つ強さを、私は信頼してる。」

そして数年ぶりにアリスに会いに涼風に行った。

アリスは彼らの様な人と、温かな関係を築いていた。

幼少期の頃の記憶はないはずなのに、彼らはまたアリスと一緒にいる。

それをみて、本当に何処までも似ているのだと思った。

私と同じ道を歩ませたくなくて、3人にアリスのことを話させたりもした。

アニエスから必死に逃げようと足掻いたり、彼らと手を切ろうともした。

アリスが彼らと再会して1年で。

アリスは随分人間らしくなった。

私はそれがとても嬉しかった。

「パートナーとして、理解者として、断言します。」

私によく似ているからこそ、彼女の成長が嬉しかった。

私の気持ちをくんで、違う道を選ぼうとしようとしてくれていること。

アニエスのことをよく見て、現状を共に悲しんでくれたこと。

そして今は自分のすべきことを見つけ、現状を打破しようと足掻きだしたこと。

彼女は私の想像以上の存在になってくれた。

テオドールには、本当に感謝している。

けれど、恩人を死にまで追い込みたくはない。

本人の意思も勿論尊重したい。

アリスはその気持ちまで、理解してくれた。

「次について行く人はアリスしかいない。」

次に一緒に戦うパートナーは、アリスしかいない。

そう、確信した。

Re: 秘密 ( No.610 )
日時: 2016/08/17 17:19
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

「ありがとう、エリス」

エリスがここまで信頼してくれるとは、嬉しい限りだ。

エリスは私の人生における先輩だ。

私は彼女の様な深い悲しみを経験したことはない。

彼女の様な壮絶な生い立ちもないし、強さもない。

だけど何時だって助言をして、時には叱ってくれた。

私はエリスの闇を、まだほんの少し垣間見ただけ。

全てはきっと把握できない。

それでもエリスは、私を支持してくれた。

「エリス、母上の手当てと明日からのテオドールの仕事の書類を私の部屋に。」

だから、私もエリスに応えたい。

バレンタインにトールがいっていた。

“あまりエリスの前であいつ等の話をするなよ”

“あいつは、大事な人達にいなくなられたことがあるからな”

その時はまだ、なにを言っているか分からなかった。

けれど、調べてみると直ぐに分かった。

私は幼い頃のことを曖昧にしか覚えていない。

けれど、それでもずっと消えずに残っていたものが合った。

大事な人達にいなくなられた、エリスの抉られるような痛みを。

私は目の当たりにしたことがあった。

彼女は再び立ち上がることはできたが、今度は笑ってばかりいる様になった。

ともかく何時も楽しそうに振る舞い、作り笑いだろうと何だろうと笑顔が絶えなくなった。

今まで通り仕事もやり始めた。

人がいなくなる痛みを知ってもなお、アニエスの為に。

常に笑いながら。

「あいさ、了解」

母の手をとって、エリスが部屋から出ていく。

それが彼らを想ってのことでも、構わない。

生きてくれるなら、例え作り笑いでもいい。

何時か、本心から楽しそうに笑うことが出来る様になればいい。

それまで私はエリスの隣にいようと。

そう思ったんだ。

「さて、これからやることが山積みだ。」

Re: 秘密 ( No.611 )
日時: 2016/08/22 00:08
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

アニエスのことを知れば知るほど、難解だ。

まず知らなければ始まらないと思って始めたことだけれど。

資料の量は勿論膨大だし、それを頭の中で整理するのも大変だ。

幼い私の頭に詰め込まれたアニエスの知識など、100分の1にも満たなかった。

それに頭の中に詰め込まれている知識も、埃を被ってしまっている。

知識を余すところなく使うには、一から勉強することが不可欠だった。

問題は叩いても叩いても湧いてくる。

いたちごっこだ。

難しくて理解できない所は、エリスかアレクシスに聞いた。

テオドールは教えてくれないし、トールも私を信頼などしていないから。

信頼を得るには時間が掛かる。

分かっていることとはいえ、自分の不甲斐なさに腹が立った。

今まで何もしてこなかった私が、王になる等言いだしても。

はいそうですか、となるはずがない。

知識は覚えるだけでなく、反復しながら身体に沁み込ませる必要がある。

付け焼刃では通用しない。

必要ならば城外に行くことも憚らない。

現場の空気を見知っておくことで、より一層沁み渡っていく。

王になることにためらいは少しはあった。

けれど、私はもうアニエスを切り捨てられないと悟った時。

逃げることをやめた。

王になれない、と突き返されても大丈夫だった。

ここまで国を想ってきた父が、後継者のことを育てていないわけがない。

そんな確信が合った。

アレクシスが王になっても、私は知識を供給するために傍に置かれるだろう。

けれどそれじゃだめだ。

テオドールは家族よりも国を優先した。

家族よりも、国を愛した。

嬉しそうに、誇らしそうに、そして少しだけ悲しそうに。

民を愛したこの道が間違いな筈がないと断言したテオドール。

それはテオドールの家族にとっては何より残酷で。

そのことで母もアレクシスも苦しんだ。

そんな2人に国を背負えなど、口を裂けても言わせたくない。

テオドールなら口が裂けても言ってしまいそうだから恐ろしいのだけど。

もしかするとアレクシスはそれを光栄に思うかもしれない。

信頼されている証だと思うかもしれない。

けれどそんな過酷なものを、背負うのは私だけで十分だ。

アレクシスには、俳優と言う職もあり、愛すべき家族もいる。

私なら構わない。

テオドールの寵愛を受けずとも、優しさを与えてくれた人がいる。

そして、アニエスを救うためなら彼らとの別れも惜しまない。

それほどの強さと、揺るがない優しさを貰った。

だから構わない。

どうせ、もう彼らの傍にはいられない。

あれだけ大好きで愛おしい圭の傍に、私はもういられない。

Re: 秘密 ( No.612 )
日時: 2016/08/22 20:56
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

〜・128章 奮い立つ準備・〜
「トール、幽。」

部屋にいる2人に声を掛ける。

「お前らの中で絶対的な存在はこの先ずっとテオドールただ1人かもしれない。
けど、テオドールみたいになれなくても、私は努力は惜しまない。」

彼らにとっては、拾ってくれたテオドールの存在が絶対で。

それは時間がたっても揺るがない事実かもしれない。

人を救いたい、その為に父のもとにいるトール。

父に存在を肯定された、幽。

この2人の中の父をどうやっても私は越せないかもしれない。

それでも、私はこの国の勉強をやめない。

少なくとも、この国の未来に光をともすまで。

アリアの様な子どもたち。

それを私は1人でも救いたい。

「テオドールの寿命は、もう残り少ない。
腕の利く医者に見せるが、それでもさほど延命はできないだろう。」

私はこの国に戻ってくるのが大嫌いだった。

国の為に何かしよう、と思っても圧し掛かってくる重圧に逃げ出したくもなるだろうな、と。

人の命。

だから最初は何度も何度も口にして、逃げ場を自分で塞ぐ。

やるしかない、そんな状況を作り出そうと。

そう思っていたし、その準備もしていた。

でも、アリアやテオドールの元にいる人達の過去を知れば。

自然と湧きだしてきた。

「私もこの国が大好きだ。それに人の為に何かしたい。」

勿論そんな善意だけで突き動かされるほど、私は純な人間ではない。

恐怖も不安もあれば、義務感や罪悪感だってある。

きっと始めてしまえば、もう誰も逃げることを許してはくれないだろう。

でも、それでいい。

逃げ道なんていらない。

覚悟を持って、この道を進むんだ。

「だから、逃げられないくらいがちょうどいい。」

私は臆病ものだから。

今まで幸せだった分、目をそむけたくなるかもしれない。

でも、そんな私に彼らが付いてくるほど頼もしいことはない。

「臆病な私の為に、働いてくれると助かるな。」

彼らがいることが、私の支えになる。

逃げたくない、と思っていても。

きっと私を待つ未来は、そんな気持ちを吹き飛ばすほどおぞましいだろう。

そんな小さな不安を吹き飛ばしてくれるような、彼らが私は欲しい。

「テオドールが頼りにした君達だから、私は頼むんだよ」

この先、私が歩む道に。

彼らは必要だ。

「お願いします。私と一緒に、この国を助けてください。」

彼らに向かって、頭を下げる。

「私は王になるとはいえ、君達よりずっと劣っている。」

対等なんて、到底思えない。

彼らを従わせるような人望なんて私には無い。

即戦力にはなりえないし、彼らには私には無い経験がある。

そんな彼らが付いてくるなんて、虫の良すぎる話だ。

「テオドールが一番で構わない。」

父が積み上げてきたことに、そんなに簡単に追いつくことはない。

彼らに認められるような努力も、今のままじゃ不十分かもしれない。

「私に、力を貸してください。」

それでも、私は諦めたくない。

Re: 秘密 ( No.613 )
日時: 2016/08/24 16:12
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

「俺は、別にテオドールに仕えてる訳じゃない。
ただ、俺の望みを叶えるのに手っ取り早そうだから傍にいるだけだ。」

まず口を開いたのはトールだ。

めんどくさそうに頭を掻きながら、これまためんどうくさそうに口を開く。

「だからっていきなりテオドールからアリスに乗り換えるほど、薄情な人間でもない。情なんて、この世界には不要だとしても。
ぽっと出のお嬢様に身をゆだねるほど、落ちぶれてもいない」

耳が痛い。

けど、反論は出来ないや。

どれも真っ当なくらい、正論だ。

「信用も信頼もこの世界じゃ役に立ちはしない。けど、これがなくては成立もしない。」

不確かで不明瞭。

されど、確かに存在する。

手を組むには、そこには信用や信頼が必ず存在する。

それはどれも純なものではなく、騙し騙されの歪な形かもしれないけど。

それでも、必要なのだ。

「今は手を組むと言ったら、信頼よりも利害の一致の方が一般的だ。
利害の為に利用し合うって言うのもあるけど。
互いを利用し合うにしても、あんたにそれほどの価値があるとも思えない。」

仰る通り。

隙がない反論だ。

私にはそんな価値はない。

努力をしたって結果が出せないと意味がない世界だ。

「テオドールには手を組んだ価値もあれば、面白味もあった。
でも、それがあんたにあるとは俺は思わない。俺を満足させるものがあるとは思わない。」

確かに、私と組んで得られるもの等ない。

彼の望むものを与えることはできないかもしれない。

「私は揺るぎません。テオドール一筋です!」

明るい声で、頭上から幽の声が聞こえる。

頭を下げているから見えないけれど、きっと笑っているのだろう。

「…テオドールは私を受け入れてくれた。」

今度は平坦な抑揚のない声が返ってきた。

やっぱり、思い通りにはいかない。

まあ、あっさりついてくる様な人を信頼も信用も出来ないけれど。

今の私はこの2人を使えない。

「って訳だ。出直してこい。」

下げた頭をあげて、にっこり笑って見せる。

「はい、出直して来ます。」

私は諦めない。

この国の王になると決めた。

アリアの様な子どもを助けたいと思った。

橋の向こうに何度も行くうちに、老人や病人が溢れていることを知った。

そんな彼らも、笑って行ける国を作りたいと思った。

くだらない正義感、くだらない罪悪感。

そう切り捨てられても、文句は言えない。

私のしてきたことは、そういうことだから。

だからって。

ここで逃げ出したら、今までの自分に嘘をついたことになる。

国を背負うと決めた覚悟、アリアの様な子どもを無くしたいという願い。

圭たちと決別しようと涙を拭いた日も、全て否定することになる。

それは嫌。

私はあの時確かに、願ったんだ。

例えどんな夢物語であろうと、成し遂げたいと。

中途半端な気持ちではなく、本当に馬鹿みたいに心から思えたんだ。

けれど私は弱く、小さいから。

逃げ出したくもなるし、足が震えて止まらない時もある。

そんな自分が私は何より嫌い。

アニエスにいる人は皆、もっと怖い想いをしているのに。

それを胸に仕舞って、誇り高く笑っているのに。

なにも出来ない自分を、私はもう許せない。

だから支えてくれる彼らが、どうしても欲しい。

「また明日も来ます。」

私を強く奮い立たせてくれる、彼らが欲しい。

Re: 秘密 ( No.614 )
日時: 2016/08/30 23:29
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

部屋を出る時、圭とすれ違った。

話を一体どこから聞いていたのだろう。

少し弱気な顔をしていた。

私の言葉で色々揺れている所があるのかもしれない。

それでこの追い打ちだ。

けれど私はにっこり微笑んで見せた。

ここで甘やかしてはいけない。

「おやすみ、圭」

いっぱい悩んで、苦しんで、答えを出して欲しいんだ。

そうやって圭の横をついっ、と通り過ぎた。

Re: 秘密 ( No.615 )
日時: 2016/09/02 20:22
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

「おやすみ、圭」

アリスの顔はとても笑っていた。

けれど笑い声はとても乾いていた。

アリスは本気なんだ。

分かってはいた。

けれど改めて認識させられた。

アリスは本当に、アニエスの王になるつもりなんだ。

誰のせいでもない、自分の意思で。

その為の行動を、既に始めている。

自分はここで動けない。

動けず、通り過ぎていくアリスを止めることも出来ない。

アリスは未来を見ている。

父やトール達の前で自分の意思を話していた。

必要とする力を手に入れるために、頭を下げることも厭わない。

アリスのこと、ずっと好きで力になりたいと思っていた。

その為に彼女の父親と対峙する覚悟もしてきた。

彼女が昔授けてくれた言葉が、まだ胸の中にある。

けれどそれを恋と勘違いしてるんじゃないか。

“私は圭の道を阻害する”

“痛みを与える敵でもある”

アリスの言葉が、胸を抉る。

“だから、それはもういらない”

にっこりとほほ笑みながら、イヤリングとブレスレットをつっ返してきた。

“圭には自分の道を歩いてほしい”

“今は何をするにも痛みを覚える、圭と出会う前には覚えなかった痛みを”

“アニエスと言う存在は私を圭たちだけの世界から出してくれた”

何を言っているんだろう、ってずっと思っていた。

アニエスの存在がずっとアリスを苦しめているものだと思っていた。

けれど…

あの時のアリスの言葉は、まったくの真逆の言葉。

恩人と言う気持ちと恋慕の感情を、間違えているんじゃないか。

アリスはそう言っていた。

アリスが口にした言葉が、こんなにも自分を動揺させる。

好きだと信じて疑わなかった。

それを根本から揺らされた。

アリスのことを見ていて、自分は何時まで経っても同じ場所。

やりたいことも、したいことも、なにもない。

アリスはするべきことを見つけて、それにまっすぐ進んでいる。

気付かぬうちに、どんどん置いていかれそうで。

まるでそれを好きという言葉で、必死にしがみついているみたいだ。

不覚にも、そう思ってしまった。

アリスは本気だ。

アリスの進む道に、自分と言う存在はあまり必要とはしていない。

アリスを失った場合、自分がどうなるのか。

想像なんてできない。

“…でも、私は圭の優しさ以外も見てみたい”

“私達のしてることって、本当に恋愛なのかな?”

いつかの帰り道に、アリスがそんなことを言っていた。

だから、しがみついているのかもしれない。

でも、そろそろ手を離すべき時が来たんだ。

分かっている。

未来に進むにあたって、こんな執着はただの枷にしかならない。

でも…!

それでも彼女に向けた想いが、ただの執着だけだと思いたくない。

本当はやめろって言いたい。

傍にいてほしいって、泣いてでも止めたい。

でも、それをアリスは望んでいない。

アリスがいなかったら…

どんな日々も無意味だ。

「どうしたんですか?」

気付かぬ間に下を向いていたらしい。

上から降りかかってきた声に、顔をあげる。

「先輩」

学校の後輩、有栖川幽だった。

Re: 秘密 ( No.616 )
日時: 2016/09/04 23:40
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

〜・129章 普通と言う素晴らしい才能・〜

幽…アリス・エイベルはアリスの代用品として育てられた。

テオドールは彼女にとっての恩人で。

テオドールがいなければ、きっと彼女はここには存在しなかった。

彼女は自分の異常性を誰よりも理解していた。

何時まで経っても頭にこびり付いて剥がれない記憶。

そしてもう1つ、欠陥を抱えていた。

人として過ごすには、かなり大きな、致命的ともいえる欠陥が。

けれどそれらをすべて分かったうえで、孤児である彼女をテオドールは救い傍に置いている。

彼女は両親のことを覚えていない。

彼女の母は、彼女を産み落としたことに絶望し自害した。

幼い自分を育ててくれた大事な人がいたが、それもすぐにいなくなった。

いなくなった瞬間を、今でも覚えている。

あの人は、化け物である自分のせいで死んだのだと彼女は理解している。

生きるための知恵を密かに身につけ、わずか5歳前後でそれを無意識に行っていた。

テオドールに出逢ってからはひたすら知識を詰め込んだ。

武術も軽く習い、なにより人を騙す才能に恵まれていた。

初めての任務は9歳。

得た知識で人を殺めて妖しく笑った。

その仕事の様から、通り名はゴースト。

それがアリス・エイベルという少女だった。

Re: 秘密 ( No.617 )
日時: 2016/09/19 12:39
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

そんな自分の後輩の正体を知らずに、圭は言われるがまま別室に移った。

圭が知っている幽の情報は、とても乏しい。

アリスの代用品で人を騙すのにたけている、くらいの認識だ。

「私はアリスの気持ちも、先輩の気持ちも、分かりません。理解できません。」

椅子を勧めた後、開口一番切り捨てる様にそう告げた。

「それでも客観的に見ると、2人は確かに依存しすぎているような気がします。
それ故にアリスは決断をしたんだと思います。互いの為に。」

それから諭す様に、静かに淡々と告げる。

後輩と思っていた少女から諭される、と言うのもなんだか変な気分だ。

「私には考えて、想像して、答えを出すしかできないから。」

ぼそり、と呟く。

幽は休みになったアリスの家に行こうとした行動を異常と言った。

異常。

アリスに向けるこの気持ちは、異常なのだろうか。

アリスになにかあれば直ぐに助けたい。

多分、自分のことをそっちのけにしても。

でも…

きっとアリスはそれが嫌なんだよな。

自分の為に誰かが傷つくことを、嫌がる子だから。

迷惑を掛けたがらなくて、アニエスのこともずっと黙っていた。

アリスは進む道を決めて、その道には自分を必要としていない。

今までずっと一緒にいたのに、いきなり突き放すのはとても勝手だ。

でも、そうさせるに足る原因があるのだろう。

そう思えるくらい、アリスのことは知っているつもりだ。

「先輩は勿体ないと思うんです。頭だって悪くないし、運動も出来る。
作曲の才能は長けてるし、その癖美術もそこそこできる。
努力家だし、一途だし、忍耐強いか…は知りませんけど…
礼儀正しいし、思慮は少し浅いけれど狭量ではない。凄いと思います。」

なんだかこそばゆい様な、変な気分だ。

面と向かって、褒められ称えられるというのは。

照れる、恥ずかしい、と言うよりかは戸惑うに近い。

最後は若干、貶されているような気もするけれど。

「アニエスに暮らす者として、私も当然武術の心得もあれば頭の回転も速いです。
でも、普通の世界に暮らしていながらそこまでの才能があるのは凄いです。」

それから少し苦笑いを浮かべた。

「私の場合は、求められたからあるだけです。」

それは確かに、事実なのだろう。

必要とされたから、普通の生活を捨てて。

この世界に入ったのだろうと、そのくらいは分かる。

俊敏さも、賢さも、狡さも、射撃の腕も、格闘の技術も。

必要だから身につけたにすぎない。

「幼い頃の、あなたの生い立ちは知っています。
母の虐待に対して耐え、生きながらえたのも正直に凄いと思います。
その後アリスの補助があるにしても和解を成し遂げたのも、素晴らしいことだと思います。」

和解…というのはそうなのだろうけど…

結局アリスがいなければ、真実を知ることなく母の最後に立ちあうことも出来なかった。

自分は何もしてはいない。

アリスがいなければ、向き合うことにいまだって逃げていただろう。

「普通なら、周りに流されてしまったり触れようとしない過去にも立ち向かって見せた。
高校で過ごしても思いました。同級生は自主性、と言うものが欠けている気がします。」


「ほんと、日常の尊さが分かっていない。それが心底イラつきます。」


周りの空気を読んだりすることは…あった。

けれど、今はただ単純に読む必要がない空間にいるから。

アリスやマリーやリンの傍は。

そういう煩わしいものがない。

自主性がない、というのは案外的を射ているのかもしれない。

温かい陽だまりの中で、ただ幸せに過ごしていた。

何も考えず。

「自主性はいきなり見つけることは出来ない代物です。
私もそれを探すのに、酷く戸惑っています。
少しずつ見出して…他人とは違うことを探していくしかないんだと思います。」

目の前の少女が俯いて、表情に暗い影を差した。

幽のことは…少しだけ聞いている。

アリスと同じ完全記憶能力の保有者だと。

全てを記憶し、頭を使い、生き伸び、国を救うために育てられたアリス。

そのアリスのスペアとして、幽はいるのだと。

幽はアリスの影だった。

テオドールに拾われ。

アリスと同じ名前を付けられた。

それを聞いた時。

例え恩が合っても、自分自身が消えてしまうことを内心恐れていたのではないか。

そう思うと、途端になんと声を掛ければいいのか分からなくなった。

大丈夫だよ?

幽は消えたりしない?

そんな言葉に…何の重みもありはしない。

自分は幽の事を何も知らない。

くすり、と笑って幽は明るい声で笑って見せた。

けどね、と楽しそうに話した。

「誰かの真似をして、誰にも私だと分からなくなっても。
私さえ分かっていれば、それで良いんです。性格が似るなんて、当たり前です。
人は親の背中を見て、親の性格に似るんです。だから、なにもおかしくないんです。」

まあ私の話はさておき、と照れたように笑い返した。

何も言えない。

けれど、彼女が生きてきた中で見出してきた。

あまりに達観した価値観に、おもわずぽかんとしてしまった。

「自分でも分からなくなるほど誰かと同化してしまうなら…悩む必要もないですしね。
自分にすら分からないなら“自分”なんて必要ないでしょう?
人は自分って言う、危うくて不確かなものに依存し過ぎなんですよ。」

幼く見える後輩の、見た目にそぐわぬほど饒舌。

幽は表情を使って巧みに人を騙すのに長けていると聞いている。

自分が見ていた後輩は…全て彼女が望んだ、虚像だったのか。

「でも、先輩が凄い才能があることはきっと私よりアリスの方が知ってます。
それを封じ込めるのが、とても勿体ないことも。その為にアリス自身が妨げになっていることも。」

「才能…とか言われても…」

普通の高校生だ。

何の変哲もない。

作曲も趣味の一環の様なものだし…特になにか秀でているわけでもない。

野球で素晴らしい成績を出した、とかそう言う訳じゃない。

成績だって中の中くらいだ。

「普通の高校生をやること。それは私達にとっては望んでも得られるものじゃない。
普通に暮らす、なんて素晴らしい才能だよ。私達にとってはそっちの方が価値がある。
大勢の中で自分を失わずにいるのは大変でも…そういう苦しみすら羨ましい。」

アリスや幽、エリスにとっては。

アニエスの為に動くのが当たり前で。

涼風で普通の高校生を送るなんていうのは、まるで夢の様な日々だったのだろうか。

「勿論これは私の主観で、普通の人からすると日常なんて退屈かもしれない。
でも、安全で退屈な時間にいても色々想像することも決して無駄じゃないと思うの。
思考錯誤する時間は、とても幸福で温かな時間だと思うんです。
義務かもしれなくても、その日々の中で楽しさを見出すなんて遣り甲斐がありそうじゃない。」

ふっと、顔を伏せながら幽は続ける。

顔には弱弱しい笑みが貼りつき、それでも言葉を紡ぐ。

「どんな日々だって、続けば退屈です。
危険を孕んだ私達の様な生活でも何時かは単なる日常になります。
結局は、自分で行動に移し変化を及ぼすしかないんですよ。」

結局、と言葉を続ける。

「日常も、こちら側も。結局はなにも変わらないんですよ。」

Re: 秘密 ( No.618 )
日時: 2016/09/23 15:57
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

「脱線しましたね」

幽は照れたように、控え目に笑って見せた。

「先輩は…アリスへの気持ちが、偽りであることに怯えているのですか?」

ドキリ、とした。

心臓を掴まれる、というのはこの様なことなのかと実感させられた。

「それは…アリスが特別な存在だからですか?
不幸な境遇にいるアリスに対して抱いた気持ちは恋慕では無く同情だったとでも?」

「…アリスを好きなのは…慕っているのは…昔から好きだと信じてた。
こんな気持ちは、恋慕以外にないと思っていたから。疑ったことがなかった。」

幼い頃、家が窮屈で。

逃げ出した先で、アリスと出会った。

アリスと話すのが楽しくて。

彼女の為に力になりたくて。

傍にいたくて。

ずっとそばにいられたら、って何時も願っていた。

その気持ちを恩と誤解している、私達がしていることは恋愛なのかと。

彼女が問いかける度に、不気味に心が揺れた。

「アリスの道に…いらないのは、僕の方だ。」

この気持ちを、ただの執着だと認めたくない。

大事だと思ったことも。

傍にいたいと思ったことも。

全部ただの執着だったのだと、思いたくない。

けど、恋慕なのかと言われると…ハッキリ断言できない。

でも今自分がやっていることは、アリスに縋るだけで。

アリスに恩だと思わせている。

客観的にも、大事に思っていた当人にも。

やっていることはそう映っているんだ。

気付けば頭を垂れる様に、両手で抱え込んでいた。

「アリスだって、気持ちに揺れていましたよ。」

揺れる?

アリスが?

「アリスだって、答えを迷いながら傷付きながら出したんです。
アリスだけが特別な訳ではないです。自分だけが被害者面しないで下さい。」

すっ、と幽が目の前で立ち上がった。

そしてまるで別人の様に、ひやりと冷たい声を発した。

「先輩を連れてくれば、少しは変わると思っていたのに興ざめです。」

つまらなそうに、感情が抜け落ちた顔で、吐き捨てた。

「先輩もアリスを見て、答えを出してください。」

そしてそのまま、静かに部屋を出ていった。

Re: 秘密 ( No.619 )
日時: 2016/09/26 15:37
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

アリスが別れよう、と切り出した時。

ブレスレットやイヤリングを、掌につっ返してきた時。

ただただ、信じられなくて。

自分の何が悪かったのかとか。

またアニエスのことで苦しんでいるのか、と思っていた。

アリスは傷つけることに慣れていなくて。

何度も距離を置かれた。

拒絶すれば、傷つけることを知っていたから。

本当の意味で拒絶をしなかったけれど。

本当に、何度も。

どれだけ言葉を掛けても、しばらくすると距離を置こうとした。

アリスにとってはアニエスは長年ついて回った、切り捨てられないものだった。

だからそれを失うことが、不安に繋がることも仕方ないと思っていた。

なによりもアリスに自由に生きていて欲しかったから。

アリスを苦しめるものを、排除しなければならないと信じつづけていたから。

けれど、アリス自身の気持ちを。

気付いたら見落としていた。

恥ずかしい。

自分のことばかり考えていた。

それが、死ぬほど恥ずかしい。

アリスは自分のことを考えて…何処までも他人の事を考えていたのに。

アリスはあの時、なにを想って別れを決断したのだろう。

それを知らないといけない。

Re: 秘密 ( No.620 )
日時: 2016/10/02 10:22
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

〜・130章 アリスを知るために独自調査・〜
再会して暫く、アリスには昔のことを覚えていないことが分かった。

アリスはお母さんの目を逃れるために、この町に来た。

そこで出逢った。

アリスと過ごした日は夢のようだったけれど、アリスはそのことを覚えていない。

誰ひとりいなくなった基地で、泣いていたことしか覚えていないらしい。

本人がそう言っていた。

6年越しの再会で、アリスはちっとも変わっていなかった。

あの頃はアリスと会うのを恐れていたけれど、それがとても嬉しくて。

些細な行動の端々に幼い頃のアリスの面影を見つけては、胸が熱くなった。

けど、アリスからするとどうだろう。

アリスは幼い頃のことは覚えてなどいない。

話を聞いたことがあるとはいえ…

それでも、初対面の様な人と会うのは怖かっただろう。

覚えていないのなら…何故、基地で歌っていたのだろう。

幼い頃は、とても仲が良かった。

アリスは自分の家までやってきて、歌いながら泣いていた。

歌うことは、基地に楽譜があるから出来ただろう。

それでも見ず知らずの少年の為に泣くことが、どれだけ大変なことだろう。

それ以外にも、自分に合わせる為にどれ程気を付けたのだろう。

それなのに自分は記憶が欠落していることしか、見抜くことが出来なかった。

アリスは当たり前の様に、笑いながら接していたから。

けれど、その笑顔の奥でアリスはどれほどの不安を隠してきたのだろうか。

本当は、何時も一緒だった3人のことを覚えていないなんて。

夢にも見なかったのだ。

じゃあ…

幼い頃のアリスにかけられた言葉がきっかけで…アリスを好きになった。

その言葉を、アリスはどんなふうに思っただろう。

覚えてもいない自分をきっかけに、好きだと言われても。

嬉しさなんてこみ上げてこないだろう。

ただただ、嫌なだけだ。

どうして今更、そのことに気付いたのだろう。

ずっと前からそのことを知っていたのに。

Re: 秘密 ( No.621 )
日時: 2016/10/10 19:12
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

椅子に深くもたれかかり、少し伸びてきた前髪を弄る。

少しずつ、アリスと出会ってからを思い出して。

そこを自分の視点ではなく、アリスの気持ちで思い返してみる。

すると、今まで見えて来なかった物が見えて来るような気がした。

アリスはアニエスのことを、知られてどう思ったのだろう。

嫌だと思ったのだろうか。

知られて、態度が変わることを恐れただろうか。

それとも…演技をしなくて済んだことに、ほっとしただろうか。

アニエスのことを隠して、笑っていることは辛かっただろうか。

それとも隠して普通の高校生活を送ることを、アリスはどう思っていただろう。

アニエスと言う存在を知らない、普通の高校生活は…楽しいものだったのだろうか。

ただ辛いだけのものではないと、思いたい。

でもそれは…自分の希望的観測だ。

事実を歪みかねない。

もっと。

思い出して、考えろ。

そうすればきっと、何か分かるはずだ。

アリスの気持ちに、少しでも近付くために。

Re: 秘密 ( No.622 )
日時: 2016/10/15 07:09
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

アリスはアニエスにいた時、電話をしてきた。

つまり自分たちのことを、悪く想っていないはずだ。

お別れを告げたい、くらいには大事に想っていたと思う。

連絡を取る理由がないからだ。

アリスとしては、どちらでも構わないからだ。

連絡が取れなかったら取れなかったで、誰もなにも疑わなかっただろう。

アリスは自分たちと別れた後、高校に入るまで色んな家をたらい回しされていたらしい。

アリスはそれを自虐的に、アニエスの未来の為だと言っていた。

本心ではどう思っていたのだろう。

日常的に殴られたり、辱められたり。

そのせいでアリスは強くなったのかもしれないけど。

決して楽な道ではなかっただろう。

アリスからその話を聞いた時は、とても辛くて。

より一層、親身にならないといけないと思った。

アリスにとっての何十分の一でも、気持ちは少しだけ分かる様な気がしたから。

気持の通じ合わない家で過ごす、肩身の狭さくらいなら分かっていたから。

厳しい仕打ちに耐え、笑っていられる姿に、一種の憧れを抱いたのかも知れない。

アリスの強さに、魅せられていたのかもしれない。

誰に対しても、容赦がない。

周りの目なんか気にしない。

それでいて、いつも他人優先なところがあった。

けれど…

アリスの本質は、一体何だったのだろう。

アリスの父が冷酷非道で残虐な人だと思っていた。

けれど彼の本質は、どこまでも民を守ろうとした優しく不器用な男だった。

何よりも彼自身が傷つく茨の道だった。

必死に周りに憎まれようとしていた。

それなら。

アリスの本質は何だろう。

きっとまだそれをハッキリとは見ていない。

優しくて、強い、女の子だけじゃない。

それ以外のアリス。

彼女は自分たちと一緒にいて、どう思っていたのだろうか。

嬉しかった?

楽しかった?

愛しかった?

それだけではないはずだ。

きっと、辛くも苦しくもあったはずだ。

分からない。

そうは思いたくない気持ちもある。

けれどそれ以上に、彼女が心中でなにを想っていたか知りたい。

思い返せば何時だって、嬉しそうに笑っていた。

時に、悲しそうに泣いていた。

怒ることも、稀にあった。

でも、嫉妬とか憎しみとかそういった類の。

醜い感情は、見たことが無い。

アリスの見えていない一面を見る為には。

きっとアリスがアニエスでなにをしていたかも知る必要がある。

Re: 秘密 ( No.623 )
日時: 2016/10/23 16:06
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

部屋を出た後、アリスのことを知ろうと関係者を探した。

「統也さん」

最初に会ったのはアレクシスだった。

部屋から出たばかりの所の様で、扉を閉めていた。

アリスとは腹違いの兄で、涼風では三田村統也という偽名を使用している。

アリスはアレクシス、と呼び捨てにしているけれど。

なんとなく偽名で呼んだ方が、アリスの兄らしく感じられた。

最近は見掛けていなかったのは、ずっとアニエスにいたかららしい。

血筋的には正当な次期王になるはずだ。

そう思えば、忙しいに決まっている。

「アリスの昔のことを知りたいんです。知らなくてはいけない気がするんです。」

そう言われると、顔に驚きが広がった。

この人は、一体どう思っただろう。

自分の代わりに王になると言い出した自分の妹のことを。

アニエスと言う枷から解放されて嬉しく想っただろうか。

それとも、悔しく想っただろうか。

「あ〜…圭、と言ったかな。個人的な感想を言うなら知らない方がいいと思う。」

そう言われる気は、なんとなくしていた。

アリス自身が思い出すことを拒んでいた。

それにこの人も、何気に妹想いな所がある。

「妹は確かに、知られたくなくて故意に隠してる。関係が変化することに恐れている。
それでも言えるのは、知らないことが癒す傷もあるということだよ。」

そういうと、少し困った様に笑いながら歩いていってしまった。

Re: 秘密 ( No.624 )
日時: 2016/10/25 13:24
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

〜・131章 “しいたげられた国”・〜
その後、エリスや幽に当たってもよい答えは得られなかった。

アリスに口止めされていると、それだけを言って遠ざかっていった。

アリスの手際は見事だった。

知っているであろう関係者各位に口止めをし、それに纏わる資料も全て破棄されていた。

アリスの存在は秘密裏であった為、そもそも名前が記されていない。

それでもなにかあると思っていたが、確認できる範囲ではさっぱりだ。

かなり昔と言うこともあり、情報はなかなか集まらない。

アリスと出会う以前の話だから、10年以上前の話になるはずだ。

城にある図書室にアニエスの歴史にまつわる本が細々と置かれていた。

けれど10年近く前のことは、あまり残されていない。

小さくとも国として成り立つのだから、本になっていてもおかしくないのに。

アニエスの歴史関係の本棚は、がらんとしている。

王城なのだから、少しはあるはずなのに。

もしかすると、アリスが借りていったのかもしれない。

仕方なく、近くにあったアニエスの童話集を手に取った。

童話などなら、少しは歴史に則って記されていることもあるだろう。

けれど予想に外れて、書かれているのは夢見がちな物語ばかりだ。

当たり前だが聞いたこともない様な話ばかりだけれど、ありふれた様な話だ。

その中に1つ、気になる童話が合った。

その題名は“しいたげられた国”

Re: 秘密 ( No.625 )
日時: 2016/10/27 20:42
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

『むかしむかし、あるところに小さな国がありました。』

出だしは、いたって普通だ。

普通の童話や昔話と変わらない、典型的な書き出しだ。

『ゆうふくではなかったけれど、やさしいひとがくらしていました。』

子供向けなのかひらがなばかりで、少し懐かしい。

『まわりには大きな国がたくさんあって、やさしい小さな国のひとたちはたくさんのいやがらせをうけていました。』



子供向けの童話なのに、なんだかシビアだ。

『小さな国のひとたちは、いやがらせをうけながらも、強く笑いながらくらしていました。
けれど、いやがらせはだんだんひどくなっていきました。』

お金を巻き上げる役人らしき人と泣く国民、暴力をふるわれている絵。

見ていて痛々しくなる様な挿絵が描かれていた。

『あるとき、大きな国のひとたちが小さな国のひとをころしました。』

突然飛び込んできた、文字。

胸を弓で貫かれた人の絵、首を剣で切り落とされた人の絵。

『小さな国のひとたちは、あたまが良かったけれどたくさんの人がしにました。
むかしからなんどもまわりの国にしいたげられ、ころされてきました。
小さな国のひとたちはなんども知恵をつかって、おいかえしました。』

けれど、ある時小さな国は大きな国に吸収されてしまった。

頭が良く、優しい人の暮らしていた小さい国の国民達。

彼らは国を追い出され、大きな国に奴隷として連れていかれた。

彼らは語るのもおぞましい程、残虐な目に合った。

たくさんいたはずの国民は、みるみる数が減っていった。

残ったのはたったの5人。

その5人は、大きな国を出て小さな国に戻る決意をした。

それから生死をさまよいながら、逃げ出して小さな国に戻った。

そして外界を繋ぐ橋を全て落とした。

例え飢えて死のうとも、絶対に許さないと心の底から憎みながら。

『そして、小さな国のひとびとはぜったいに大きな国のひとびとをゆるさないときめました。
ぜったいに、ぜったいに、大きな国のひとびとのいいなりにならないことをきめました。』

ラストにはこう締めくくられている。

『いまも、小さな国のひとたちはたたかいつづけているのです。』

続きがあると思っていたのに、これで終わりらしい。

魔法の道具も出て来なければ、救いもない。

小さな国は、間違いなくアニエスのことを示唆している。

アニエスが小さいながら、今だ国と言う形を保っているのは。

迫害される過去があったからなのか…?

“たくさんの人がしにました”

過去に、アニエスの人が沢山死んだことがあるのだろうか。

それも…何度も。

子供向けに記されているはずの童話が、酷く残酷で。

それでも…これはきっと事実なのだ。

今では外の世界との繋がりもある。

それでも追い込まれても国として保ち、大国に屈していない。

トールやエリス、幽はいまだに裏稼業をしている。

それでも決して服従しないと決めている。

どんな汚い手を使おうとも。

周りの大国達の機密情報を握って、脅しながらも国と言う形を保とうとしてる。

それを、小さな子どもたちにも伝えようと本にされている。

本を閉じると、それを静かに棚に戻した。

Re: 秘密 ( No.626 )
日時: 2016/10/30 10:55
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

それからアリスを見掛ける度、忙しそうに走り回っていた。

城にいる時間はぐっと減り、食事の場にも顔を出さなくなった。

城にいても部屋に籠って書類を読みこんでいるか、トール達に頭を下げるか。

さもなくば、疲れきって眠っているかだ。

彼女はまだ父親の仕事を譲られた訳ではない。

それでもアリスの母の口添えもあってか、少しずつ手助けをしているらしい。

アリスは折角母に会えたというのに、二人の時間はさほどとっていないらしい。

アリスは増えた仕事に東奔西走していたし、アリスの母もテオドールにつきっきりだったからだ。

けれど双方とも、あまりそれを気にしている節はなかった。

テオドールの寿命が残り少しと言うのなら。

せめて夫婦水入らずの時間を少しでも増やしておきたいのかもしれない。

夫婦と呼んでいいものか、分からないけれど。

それでも互いに、思う所はあるのだろう。

自分も日々子供たちの為の玩具を作ったり、孤児院で子供の世話を見ている。

涼風に戻る日時も正式に決まった。

アリスはアニエスに留まる意思を固めた。

涼風に戻ったら、もう毎日の様に会うことが出来ないくなる。

アリスと話す時間も持てないまま、期限が刻一刻と近づいてくる。

アリスは決断してしまった。

だから、自分も行動に移さなければならない。

Re: 秘密 ( No.627 )
日時: 2016/10/31 22:32
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

「こよみ」

書類を読んでいると、軽いノックの音が3回響いた。

「…母上」

もっと砕けた呼び方で構わない、と艶やかに笑ってこちらに歩んできた。

見た目は、生き写しの様にそっくりだ。

けれど母には私とは別種の聡明さと、大人っぽい艶やかな雰囲気がある。

母の周りに流れる時間は酷く穏やかそうで、静かだった。

私は急いて、迷って、行き詰まってばかりいるのに。

そう言った所に母の方が長く生きているのだと、感じさせるモノが存在する。

「…なんて呼べばいいのか、分かりません」

「好きに呼べばいいよ。親子なんだし。」

あれだけずっと想っていたのに。

会ってみるととても呆気なくて、感動の涙も出なかった。

私の存在が母の人生を狂わせたことに、あれだけ苦しんで泣いたのに。

そういえば…

圭と初めて初めてキスをした時…母のことで泣いていた気がするな。

「最近…良く思うんですよ。」

アニエスで生まれてから、色々酷い目にも合った。

幸せなことだってあった。

「些細な思い違いや、偶然が重なって…人は不幸になる。
ただの純粋な悪意なんてなくて…通り雨みたいに突然、不条理な目に合うことがある。
そうやって、救いがない道を歩くこともある。」

「そうね。」

窓の外に目をやりながら、ひとり言のように呟く。

「苦しまないと出せない答えだってあると思うんだ。
私はもう幸せに出逢ってしまったけれど…幸せになる前に、やらないといけないこともあるんだよ」

「そうかもしれない。別に逃げても、責められはしないだろうけど。」

きっと母は、分かって後の言葉を付け加えたのだろう。

傍にいる時間は少なくても、なんとなく分かった。

「それもそうなんだけどさ…きっと、幸せを掴むために必要なことなんだと思うんだ。
2人のままでいたら、どの道駄目になってしまうと思うんだ。私も…相手も…」

「そうね。」

「互いの存在感に安心を覚えて、そこで止まってしまう。
でも、今の私達には傍に居ながら成長する術を持ち合わせていないと思うんだ。
傍にいるだけで、それだけで良いとそこで止まってしまう。それほどに脆くて、弱いんだ。」

それはきっと、圭と私の偏った生い立ちも関係あると思う。

傷付いた過去があるから、それ故におかしいくらいの依存をしている。

傍にいればいい、お互いを守れればそれでいい。

それでいい、ばっかりだ。

「もっと…互いに広い世界を見て…依存ではなく、恋愛をしたいの。
色んな人を見て、その上で私を選んでほしいの。
アニエスのことを片づけたら…そうやって真っ白になってから、選びたいの。
多分、そんな思いも…どこかにあったと思う。」

そうでないと、色んな色に塗りつぶされて。

自分と言う意思が分からなくなる。

私が好きになってほしい私は、アニエスと言う殻に閉じこもっている私じゃない。

同様に、私は依存し合う圭を好きじゃない。

このままだと今の場所に甘え、彼は自立しなくなる。

「つき離さなくても私はアニエスに残るから、自然と距離は出来るだろうけどね。
会いに来たら、意味が無くなっちゃうし。
その時に圭も涼風でただ私の帰りを待っている様だと駄目だから。」

私には、時間がない。

アニエスのことを片づけるのだって、数年なんてものじゃ済まないだろう。

たくさん、待たせると思う。

けど、今は私が圭の逃げ場になって未来を封じている。

甘えてしまって、辛いことが合っても逃げてしまう。

この先、一人で泣く夜もあるだろう。

でもそんな日が私達を強くしてくれる。

だから、逃げちゃダメだ。

「圭に、ちゃんとそのことを伝えないといけないのに。」

きっと会ったら、迷ってしまうから。

彼が今のままで傍にいてくれたら、それで良いんじゃないかって。

そう思ってしまうから。

けど、未来は何があるか分からない。

1人で歩ける様な力を、いい加減付けるべきなんだ。

それに、たがいに寄り掛かったままだと。

私も、彼も。

前に進めない。

だから、ここらへんでもう。

私達は別々の道を歩いた方が良いと思った。

Re: 秘密 ( No.628 )
日時: 2016/11/02 18:08
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

〜・132章 忘れられない過去と、忘れてしまった思い出・〜
「若いって良いわね。」

「…私はそうは思いません。」

「何もせず蹲って時間が経つのを待っていても味気なく、つまらないわ。
愚かであろうと間違っていようと、自分が生きた証なら少しは愛おしく想えるものよ。
若い頃はなんでもできるし、迷うことも間違えることもとても大事なことよ。」

母の言ってることは、正論かもしれない。

けど。

「私は昔のことなど、思い出したくありません。」

圭と出会う前のことなど、思い出したくない。

絶対に。

あれほど無知で、愚かで、間違ってばかりの、最低なこと。

「私もそうだった。丁度今のあなたくらいの年よ。あなたを身籠ったのは。」

それは…知っている。

母の見た目は30代にしては若々しいが、纏う雰囲気はそれ以上だ。

母にとっての悪夢の始まりは、今の私と同じ頃。

「過去から逃げても、絶対に逃げられないわ。だってそれは今の私を作っている物だもの。」

違う。

違う、違う。

血だまりの中で、無機質に立っている。

そんなの、私じゃない!

「私の始まりは、圭と出会った時からですっ!その前の私は人ではありません!」

私の人生は圭と出会う高校まで…私は昔あった優しいケイのことを想ってきた。

覚えていない、エリスから聞いたことのある少年。

会った時、すぐに圭だって分かった。

圭を好きになってから…私の全ては始まった。

圭に会う前のこと、全部忘れたかった。

自分のしたことの重みが、圭といるほど辛いものへと変わっていく。

なのに…絶対に私は絶対に忘れられない。

完全記憶能力なんて、こんなときばかり私を苦しめる。

「…違わない。人でなくても、それはあなたよ。」

同じ顔をしていることが、余計に苛立ちを助長させていく。

鏡に映っているみたいで。

未来の自分に、諭されているみたい。

「私はテオドールのことも、あなたのことも。憎くて、疎ましくて。
忘れようと仕事に打ち込んだり、娘のことを気にしたり、迷ってばかりだった。」

母の、見つめている視線に映っているのは。

どのような過去なのだろう。

私が知らない様な苦しみも、辱めも、痛みも。

たくさんあっただろう。

「疎ましく思ったり、苦々しく思ったこともたくさんあった。
苦しんで、布団をかきむしって眠れない日も何日も…何年もあった。」

それでも、母は娘と父を想って。

ここまで歩いてきた。

「それでも私は戻ることはできなかった。触れることはできなかった。」

父が、母を遠ざけたからだ。

私が生まれて、用無しになったから。

…もしかすると父は、母の全てを見とおすような聡明さを恐れていたのかもしれない。

自分の本質を見透かされることを。

そうして理解されることを、恐れていたのかもしれない。

その恐れや怯えから、母を遠ざけたのかもしれない。

不思議と、そんな気がした。

「あれだけ憎かったものが、今では何より愛おしい。」

母の中でくすぶっていた憎しみは。

彼の本質を知り、愛しさに変わった。

変わった…とは少し違うかもしれない。

母の中には、まだ父を憎む気持ちもあるのだから。

憎しみと愛は似ている、とどこかで聞いたことがある。

そう考えると憎しみから生まれる愛だって、べつにおかしくはないのかもしれない。

憎んでいるから、愛することが出来て。

愛しているから、憎むことが出来るのかもしれない。

「彼のしたことは許せない。今でも、憎んでもいる。私の人生を台無しにしたんだから。」

それでも、と誇らしげに笑って見せた。

そっと頬に手を寄せ、優しく撫でた。

「こんな娘を得られたのなら、きっと私は幸せ者ね。」

Re: 秘密 ( No.629 )
日時: 2016/11/03 13:17
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

「あなたはまだ、手の届く所にいる。
私は彼の死期が迫るまで、触れることはできなかった。けれど、あなたは違う。」

私は…そんなに綺麗で潤な娘ではない。

圭にずっと嘘をついて、騙して、捨てようとしている。

アニエスのことだって…今の今まで目を逸らして逃げてきた。

「せめて残された時間は、彼と過ごしたいの。」

母の手は、借りれない。

母は今は何よりも、父の温もりを必要としている。

この先逃したら…母は一生父の傍にいられなくなる。

そんな大事な時期、私は母の邪魔をしてはいけない。

「痛みばかりの彼の人生、最後の最後くらい…幸せになってほしい。
幸せが彼にとって痛みにしかならないとしても、この我が儘だけはつき通すよ」

母は…父を愛しているのだな。

私を見つめる瞳にも、父の面影を探している。

私を救おうとしてくれたのも。

父を愛した証を、守ろうとしたのだ。

歪んで、憎しみに満ち溢れていても…それでも狂おしいほどに、愛している。

私にはそんな気持ちは分からない。

私の圭への気持ちは、幼い子供みたいに未熟だ。

母の様に達観していなければ、きっと覚悟だってない。

圭のことは大事で、愛おしくて、傍にいたいと願っている。

…でも、それは傍にいられたら幸せだろうなと思っているだけで。

夢の様に現実味を帯びていない、ただ理想に過ぎない。

理想を現実に近付けるのも大事だと思うけど。

やっぱり、現実も見ないといけないと思うんだ。

私は命がけで生きなければならなかったけど。

圭はそうじゃない。

もっと広くて自由に、生きていて欲しいの。

Re: 秘密 ( No.630 )
日時: 2016/11/03 14:07
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

「私は…圭に隠していることがあります。
私は圭が好きな…私でいることに、私は…耐えられません…っ!」

私は圭に会ってから、初めて人間になれた。

幼い頃、圭と会ったことは正直あまり覚えていない。

けれど、エリスからずっと話を聞いていて。

そんなに優しい人に出逢えたら、変われるんじゃないかって思っていた。

一度は、私を変えてくれたのだから。

その頃は、色々な家にたらい回しにされていて。

毎日が苦痛で堪らなかった。

母にも愛されていないと信じ切っていて。

強くあり続けるしかなかったから。

だから、たまにエリスと会う機会があれば。

何時も彼らの話を聞いていた。

そんなに安らぐことが出来る場所が、私にあったなんて信じられなくて。

でもそんなことがあったら、どんなに素敵だろうと思って。

まるで別世界の様で信じられなかったけれど。

痛みも責任も、立場も何もかもないような。

そんな場所が出来たら、どんな気持ちだろうとよく想像していた。

何度も基地に足を運びながら、彼らに会う日を楽しみにしていた。

基地の中にある楽譜を読んで、素敵な歌だと思いながら歌うのが日課だった。

それが、覚えてはいない彼らにつながっていられる気がして。

高校になっても、その日課を続けていた。

そこで、マリーに会った。

覚えてはいないけれど、エリスの話す特徴そっくりの3人。

直ぐに分かって、涙が零れた。

ガラにもなく人を抱きしめた。

Re: 秘密 ( No.631 )
日時: 2016/11/03 19:00
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

彼らは初め、私と距離をとっていたけれど。

昔私を変えてくれたように、また私を変えてくれるのではないかと。

そう言う思いが私を突き動かし、彼らは私の元に留まってくれた。

エリスの言っていたことは本当なんだって、身に沁みるほど実感した。

彼らはあまりにも私に優しくて。

私の中に変化をもたらしてくれた。

私は彼らのことを覚えていないことを、気付かれない様に尽力した。

もっともそんなことは無理な話なので、彼らは薄々気付いていたらしいけれど。

彼らはそれでも自分たちのせいで私の記憶が欠落したと、気にしていたけれど。

それからたくさんのことが合った。

アニエスにだって何度も連れ戻されたし、アニエスからも何人も来た。

想いを伝えて、伝えられたりもしたし。

彼らの家族に会って、たくさんの愛の形を見て。

彼の手を取ったり、離したり、迷ってばかりだった。

けれど…どんな時も身につけていたイヤリングを彼に返した時。

私は彼を切り捨てたのだ。

彼の根本にある私への想いは、幼い子供の頃の気持ち。

私は覚えてなんかいないんだよ。

私はずっと彼らを騙してきた。

好きとか言われても…もう、喜べない。

「馬鹿だなぁ…」

馬鹿なのは彼だろうか。

それとも…

Re: 秘密 ( No.632 )
日時: 2016/11/03 19:07
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

〜・133章 電話越しの叫び・〜

圭たちが涼風に戻るまで、あと数日。

携帯からはもう圭の連絡先を消去してしまった。

覚えているので、あまり意味はないけれど。

彼らが涼風に戻ってからは、連絡は取るつもりはない。

まだ雑用の雑用の雑用くらいしかさせてもらっていないけれど。

これからはもっと、仕事は増える一方だろう。

知ることをたくさん知って、やることをやらないといけない。

圭と言葉を伝えられるのは…あと少しだけなんだな。

母と別れた後、廊下でぶらぶらと歩いていた。

仕事に取り掛かろうと思ったけど、今日の分は終わってしまった。

それでもやることは多いけど、小休憩に余った茶菓子を取りに居間に行った。

クッキーを食べていても、甘くて嫌気がさしてきた。

胸になにかが突っかかっているみたい。

圭。

私は大好きだよ。

何時だって、頭に浮かんで胸が温かな気持ちで満たされる。

頭で分かってても、彼を求めてしまう。

けど、それだけでは駄目だと思ったから。

本当に好きだからこそ、離れて歩かないといけないと思ったんだ。

懐から、携帯電話を出す。

消去してしまったけれど、頭に残った番号を指で丁寧に押していく。

耳に当てると、不気味なくらい冷たかった。

「…圭」

Re: 秘密 ( No.633 )
日時: 2016/11/06 20:14
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

部屋で眠っていた。

滞在するのも残り数日と言う所で、アリスのことを調べるのに忙しかった。

焦って、空回りして疲れてしまったのだろう。

携帯が控え目な音をたてていて、目が覚めた。

眠ったことにすら、気付かなかった。

アリスはこれ以上のことをこなしていると思うと、少し情けなくなった。

表示されていたアリスの名前に目を見張った。

最近はアリスとは距離が出来ていて、もう話すこともないと思っていたから。

『…圭』

電話越しに聞くアリスの声が、酷く懐かしい様な気がした。

本当は数日しか経っていないというのに。

「…アリス?」

『直接会うと…迷いそうだから…』

迷う。

その単語はいつものアリスにはあまり似合わなくて。

『でも、今伝えないと…もう話せない気がして…』

アリスも、迷ったりしているんだ。

そう思うと、少しアリスを身近に感じた。

やっぱり普通の女の子なんだと、再確認できたみたいで。

『圭とさ、出会えてとても嬉しかったんだ。それは嘘じゃないの。
エリスからずっと話は聞いていて、会えるのを楽しみにしていたんだよ。』

アリスはこちらの返事を待たず、言葉を続ける。

言葉にすることで自分自身に確認しているような。

噛み締める様に、ゆっくりと話す。

『圭に会えて…初めて私は変わることができた。優しくなれた気がするんだ。
圭を好きになって、良かったって心から思っている。でも…』

息を止め、吐き出すように告げた。

『やっぱり、私は圭の傍にはいられないよ。』

Re: 秘密 ( No.634 )
日時: 2016/11/09 21:18
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

「圭が大事だからこそ、私は圭に自分の汚い所や醜い所を隠していたい。
…いや、隠していたんだよ。気付かれたらどうしようってびくびくしながら。」

気付かれたら、傍にはいられない。

傍から離れていくのを、ずっと恐れていた。

距離をとることはあっても、それは心のどこかで彼らは私を見捨てないと信じていたから。

「私には圭しかいなかった。マリーやリンしか…3人しかいなかった。
3人が離れていくのは…本当に嫌だったんだよ。」

安らぎや癒しをくれた。

アニエスで生きていく息苦しさが、彼らの傍では何時も和らいだ。

「圭はさ…私にとって、創造主みたいなものなんだよ。
3人がいなかったら、私は今も…ううん、今なんて存在してなかった。
今の私は、間違いなく圭がいなければ存在していない。」

圭たちと出会う前は…本当に辛くて。

生きているのが、辛くてたまらなくて。

何処にいっても憎まれて。

蔑まれ、痛めつけられ、傷つけられた。

心を閉ざし、基地に逃げ、誰もいない所で。

覚えていない思い出を抱いて、歌った。

それでも耐えられない時何度も死のうとした。

生きる意味も理由もなかった。

そんな私にとって。

これから先1人になっても。

圭達と過ごした、何気ない日々は。

私に力をくれる。

「1人にならないためなら、例え圭が見ているのが昔の私でも構わないと思った。
それくらい、必死だったんだ。全身全霊と言っても良い。」

でも、次第にそれは苦しくなっていった。

段々それは私じゃない!と叫び出したくて堪らなくなった。

「圭が見ているのが…今の、醜い私じゃなくて良かった。」

圭の目には、神々しい女の子に映っていた。

慈愛に満ち、どこか危うげで投げやりながら、必死に誰かを守ろうとしていた。

そんな私はどこにもいないのに!

それでも…あの場所を失いたくなくて、必死で。

圭の傍にいられるだけで幸せだと、思いこもうとしていた。

「私は…アニエスで生きる上で、恋は命がけなんだよ。
命を掛けても相手を守ろう、愛そうって覚悟が必要なんだ。…エリスや、母みたいに」

母のように、一途に人を愛せるのが羨ましい。

相手のどんな過去や、どんなことをしっても…傍にいつづけて。

愛しつづけている。

「そうじゃないと、相手に危害が加わるから。生半可な覚悟では人は好きにならないの。
好きになっても、その想いを隠し続けて…伝えてからも、どちらだって命懸けだよ」

私が圭の傍を何度も離れようとしたのも、そういうことだ。

傷つけるのが、怖かったから。

「でも、圭にその覚悟を強制したくない。好きになったのは私なんだから。」

圭はまだ高校生だ。

私と違って、輝かしい未来がある。

可能性が無限大だ。

昔の私にばかり縛られて、今を見失ってほしくない。

そんなの、私も圭も救われない。

「こんなことに、命を懸けるなんて馬鹿げている。
圭の人生は長くて、まだまだ色んな事がある。私に付き合わせたくないんだ。
懸ける命は、私のだけで良い。圭と付き合って…気付いたんだ。
私は…、自分を偽って…苦しい想いをしてまで、圭の人生を狂わせたくない…っ!」

今の、ありのままの私を見せていないのに。

そんな私の為に人生を棒に振ってはいけない。

それほど無駄なことはない。

愚かで、無価値で、救われないことなど、ない。

「1人になるのが怖かったんだ。今まで付き合わせて、ごめんね。」

1人に戻るのが、怖くて。

でも、圭に隠しているのも辛くて。

八方ふさがりで。

それでアニエスに逃げた。

アニエスの為に生きたい、と思ったのも事実だったから。

丁度良かった。

『迷惑じゃ…なかったよ。アリスのこと、大好きだった。』

…圭達に去られるのが、どうしようもなく怖くて。

沢山嘘をついて、傍にひきとめてきた。

自分に嘘をつかせる圭のことを嫌いにもなったし、やはり愛しくもあった。

「圭と別れようって思ったのもさ、やっぱり甘えちゃうからだと思ったんだ。
何時だって欲しい言葉、優しい気持ちを分けてくれるから。」

私自身も気付かなかったような。

欲しい言葉も、気持ちも、温もりも。

全て分け与えてくれたから。

圭を想って、人を想うことの幸せさを身に沁みる様に感じた。

「本気で圭と一緒にいるなら、やっぱりアニエスから目を背けてはいけないと思ったんだ。
アニエスのことを本気で取り組むには、逃げようが向かい合おうが。
圭がいるのは、あまりにも不都合だった。」

初めは、記憶を消そうと思った。

アニエスの機密情報を宿した記憶を、私の中から消し去ったら。

私はもうアニエスにいる理由が無くなる。

そうでなくても、父が死んだらきっと逃げだせた。

けれど圭に別れを告げた後、家に投函されていた茶封筒。

その中には母からの手紙が入っていた。

手紙と言っても、まるで報告書の様な味気ない内容で。

父の辿ってきた足跡が、ただ淡々と綴られているだけだった。

それを読んでから、私は記憶を消して逃げ出す道を諦めた。

「父のことを知って、逃げてはいけないと思ったんだ。
アニエスにいる人は、みんないろんなものを切り捨てたり傷ついたりしながら。
それでも、本当に大事なものを失わない様にひたむきに頑張る優しい人ばかりだった。
私にはできることがある、私にしかできないことがある。」

それが、分かったから。

私が生きてきて、幸せを受け取り、悩み、苦しんだことが。

なにか意味を帯びてきた様な。

やっと使えるのだと、この為に使いたいと思えることに出逢えたから。

「1つ…聞きたいの。」

私にとって、とても大事なこと。

「圭にとって…圭が描く…私ってどんな女の子?」

Re: 秘密 ( No.635 )
日時: 2016/11/14 20:01
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

『圭にとって…圭が描く…私ってどんな女の子?』

アリスはずっと、1人になるのが怖くて。

その為に全力で傍に引き留めようとしたことを詫びていた。

3人の存在が、どれほど大事だったか。

アリスの言葉からひしひしと伝わってくる。

そんなアリスを責める気など起きず、むしろ感謝することばかりだった。

それほどに大事に想ってくれる相手など、早々出会えない。

アリスの様な子に、二度と出会えない。

声が少し涙で湿っているような気がした。

「どこまでも他人思いで…優しくて…ちょっと意地悪で…
人見知りなところもあって、努力家で、いつも笑顔にしてくれる。
なにかあれば引っ張ってくれて、強気で、いつも一生懸命で…きりがないよ。」

『…私はそんなに立派な人間じゃない』

「えっ?」

ドスの利いたあまりにも低い声に、一瞬怯んでしまった。

『自分勝手だし、弱いし、他人を僻んでばっかりだし…そんなに立派な人間じゃないっ!』

突然発せられた大声に、耳を疑った。

あまりにも、いつものアリスと違ったから。

『圭には…私はそんな風に見えているんだ…』

そんな風に…?

『違うんだよ…私はそんなに凄い人間じゃないんだよっ!
私はもっと弱くて、醜くて、自分のことばっかり考えてて、周りを笑顔になんかできない!
もう頑張れない…頑張りたくない…もう私は…っ、笑えないんだよっ!』

あまりにも、痛々しい声。

辛くて、痛くて、我慢できないほど隠して、それでようやく吐きだした様な。

そんな声。

「…そんなことないよ。」

『そうなんだよっ!もうこれ以上隠していくのが、私は苦しいんだよっ!!』

吐きだされるアリスの言葉に、飲みこまれそうになる。

濁流の様に、もう止まらない。

今までずっとせきとめていた思いが、溢れだしていた。

『私は酷いこと、たくさんしてきたっ!それでも圭たちに嫌われたくなくて…
圭達の前では、圭たちが望む、強くて優しくて温かい…そんな私でいなければならなかったっ!
3人に嫌われるのだけは…それだけは嫌だったからっ!!』

アリスが必死に隠していたこと。

アリスと出会う前のこと。

それだけだと思っていた。

けど…アリスが隠さなければいけないことは、他にも合った。

そんなこと、思いもしなかった。

『スキースクールで…薬を飲み続けないと死ぬって告げられて…
私はそう言う体になったんだって、絶望したよ。でも、笑って誤魔化した。
圭は優しい言葉を…たくさん掛けてくれたよね…よく、覚えてる』

スキースクールの夜、屋根の上でアリスはそんなことを確かに話していた。

アリスはそれで良いの?と声を掛けると。

ボロボロと涙をこぼしながら、普通の生活に戻りたいと泣いていた。

『けど、いつ死ぬか分からない体になるのなんて怖くてたまらなかったっ!
薬を飲む度、死んじゃったらどうしようって…それでも、圭の前では笑って見せたっ!
圭の言葉は…本当に、嬉しかったし助かったよ…少し、軽くなったよ、確かにね。
けど、救われた後は何時だって笑っていなければいけなかったっ!!
何時だって何回も乗り越えられるほど、私は強くないっ!!』

アリスを助けたこと。

それを悔いたことはない。

アリスを救えなかったことを悔いたことは何度もあったけど。

『初めはまだ…耐えられた。圭たちがいれば、本当に救われたような気分になってた…
でも、どんどんエスカレートしていって…次第に駄目になった…
当たり前の様に立ち上がれるものだと思われて…でも、今更言い出せなかったっ!』

言葉を掛けて、傍にいて、支えればアリスは笑ってくれた。

それだけで、やって良かったと心から思えた。

けど、どこかでアリスのことを軽んじてはいなかっただろうか。

アリスなら、直ぐに乗り越えられる。

そういう強い女の子だとどこかで軽んじていなかったと、本当に言えるか?

『皆本当の私なんて見えていない…それでも、特に圭の傍にいるのは辛かった。』

急に、静かな口調になった。

吐きだす思いを吐きだし、半ばもう諦めたような…

疲れ切った口調だった。

『他の2人より…大事に想ってて…でもその分、嫌われたくないって想いが強かった…
圭はいつだって私のことを気にして…大事に想っててくれたから…
まだ辛い、これ以上助けて、なんて口が裂けても言えなかったっ!!』

血を吐く様な、痛々しい…

アリスの叫び。

『圭はよくやってくれた…私を救ってくれた…これ以上私の為に力を裂いてもらいたくなかった。
嫌いになって…もらいたくなかったから。圭が好きな私は、そんな私じゃなかった。』

そう言われて…なにも答えられない。

自分の中のアリスは…アニエスに縛られている弱い救わなければいけない、普通の女の子。

でも、なによりそこから足掻こうとする強い女の子。

きっと、なによりもそこに惹かれたのではないか?

『圭は…本当に凄い人だから…私が憧れる、強さと弱さを持っている人だから…
人の痛みに、どこまでも寄り添える人で…弱い所すら、愛おしかった…
私と一緒にいるだけで…楽しそうに笑って…それだけで幸せって顔をしてくれて…嬉しかった…』

だからこそ、アリスは抗いつづけなければいけなかった。

無理をしてまで、絞り出す様に、頑張り続けなければいけなかった。

癒しをくれる、大事な場所が…いつの間にか、苦しみを与える場所になっていた。

『黙って…から回って…逆恨み、こんな醜い自分を…隠しておきたかった…
でも、私はもうこれ以上頑張れないんだよ…私にはもう、なにもないんだよ…
これ以上、私からなにを奪っていくの…?そんなこと、言わせないで…っ!』

アリスは何時も頑張っている女の子だと思っていた。

自身が苦しんでも、他人が苦しんでいたら。

迷わず飛び込む様な。

その様子がとても危うげで時折心配になるけれど。

人の為に頑張れる子だった。

でも、その『頑張り』はアリスにとっては心を削る様な…痛みを伴っていたんだ。

『もう、本当の私なんて分からないっ!ただ、苦しくて辛くて…痛いだけっ!!
救いも安らぎも、どこにもないっ!!何が癒しなのかすら…私にはもう…っ!』

ずっと気付かなかった。

自分がアリスを想っていたのは。

アリスにとっては苦行でしかなかった。

『…ごめん、もうこれ以上言っても…嫌になるだけだから…もう、切るね』

大きく息を吸うと、震えた声でそう吐きだした。

返事を聞く前に、アリスはブツリッと電話を切った。

最後の最後まで…何も言い返せなかった。

Re: 秘密 ( No.636 )
日時: 2016/11/23 21:12
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

〜・134章 今まで通りにはいられない・〜

電話を切った後も、ずっとアリスの声がリフレクションしていた。

アリスが放った言葉や、叫び。

それが時間が経つほど、胸の内で次第に膨らんでいった。

アリスは憎んでいたのだろうか。

気付かぬ間に理想ばかりを追い求め、押しつけ続けていた自分を。

それでも隠し続けなければいけなくて、黙って、痛みに耐え続けてきたのだろうか。

アリスは自分の本質を見てくれたのに。

母のことを調べ、母の最後に付き添ってくれた。

母と向き合うのが怖い自分に。

アリスは、弱くて迷って逃げてばかりいる自分を知っている。

だから、アリスには嘘はつけない。

アリスがいるだけで幸せそうな顔をしているって言うのは、本当だ。

どうしようもない安心感と、幸福感に満たされた。

でもそれと引き換えに…アリスは痛みや妬みが身体を蝕んでいった。

これから…アリスとどうやって接していけばいいのだろう。

傍にいても、傷つけるだけなのかもしれない。

そう思うと…やっぱり、今まで通りには笑えないのだろう。

知ったら、もう今まで通りに笑えない。

そのことも分かっていたから、アリスはずっと隠してきたのだろう。

だから、あんなに詫びていたのだろう。

1人になりたくない、そんな我が儘に付き合わせてしまったと。

別にそんなこと気にしないのに。

アリスが1人が恐ろしいというのなら、いくらでも傍にいるのに。

でも…それではきっと駄目なんだろうな。

傷つけあうことしかできないほど、自分たちは未熟だ。

好きになってもらわないと、息が出来ないから。

そんな想いが…いつだって、いつもアリスを追い詰めていた。

でも、これ以上アリスを縛り続けてはいけない。

そう少しでも思うのならば、もう…

コンコンッ

ノックの音が響き、返事を待たずにドアが開いた。

「なにしてるんですか?」

朝食を載せたであろう盆を持った、マリーだった。

活発さと、静かさを持ち合わせた女の子。

「…ちょっと…考え事」

「どうせアリスのことでしょう。ケイの頭は何時もそればかりですから。」

食事の席には、呼ばれて何度も行った。

けれど、食欲が湧かず結局残してしまった。

子供たちの為の玩具作りにも参加できなかった。

部屋に戻っても、眠気すら訪れなかった。

疲れ果てて、気付けば眠り、目が覚めて、数口だけの食事をし、また部屋に戻る。

そんな日が…もう何日続いただろう。

「そう…かもね」

でも、アリスのことは…なにも…見えていなかったな…

幸せだったのは、こちら側だけだったんだな。

アリスには、なにも与えられていないんだ。

「まあ、恋愛に迷いや衝突は避けられないですからね」

衝突、なんてものじゃない。

一方的に、吹っ飛んだようなものだ。

アリスが心をすり減らし、もう無理だというほど追いつめていた。

「でも、アニエスにいるのも残り少しですから。
アリスはここに残るそうですから、言いたいことはちゃんと話してくださいね。」

そう。

ようやく暇を得たアレクシスが同伴で、飛行機を飛ばしてもらえるのだ。

出席日数もあるし、自分たちが留まるべき場所に戻らなければならない。

アリスは自分の居場所を確認し、それは涼風ではないと決断したのだ。

早く…答えを出さなければいけない。

どこまでも幸せで…アニエスのことを片づけたら。

今度こそ幸せに生きていけるのだろうと信じて疑わなかった。

でも、アリスを苦しめていたのはアニエスではなく自分。

自分が強い女の子であるアリスに、憧れを抱いたから。

そんなアリスに惹かれたから。

アリスは頑張り続け、心をすり減らし、自分自身を嫌い、ぼろぼろになった。

1人にならない為に、アリスはどれだけの犠牲を払ったのだろう。

アニエスを除けば、アリスには3人いるあの場所しかなかったから。

その場所にしがみ続けるしかなかった。

アリスは、幼い頃はずっと牢で1人で育っていたという。

1人でいる辛さは、誰よりも知っていたのだろう。

「食欲はなくても、ご飯は食べてくださいね。思考力も、衰えますよ。」

パンッ、と目の前で掌を打ち合わせた。

その音に、一旦思考を途絶えさせられる。

「私にはきっと言えることはないから、せめて精一杯悩んでください。
応えてくれないことは…とても、辛いことですから。それは知ってますから。」

マリーは…長年、リンへ片想いをしていた。

それでも、想い続けとうとう実らせたのだから末恐ろしい。

リンがアリスを見つめている時も、傷付く覚悟で傍にいつづけた。

だからこそ、今があるのだと思う。

そういうマリーだからこそ、想っても想い返してもらえない辛さを知っているのだろう。

「後で、リンが食器を下げに来ますから。それまでに食べないと、口に突っ込みますよ。」

何時だってそうだな。

迷ってばかりいると、何時だって他の3人が励ましてくれる。

だから、ここはこんなにも居心地いいのだろうか。

でもそれは、とても美しいけれど、とても歪なようにも見える。

何時も他人がいて、困った時には支え合っている。

だから、なにかあると直ぐに弱ってしまうのだろうか。

1人で解決する力を、失ってしまうのだろうか。

Re: 秘密 ( No.637 )
日時: 2016/11/23 10:01
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

もそもそと、口に食事を詰め込んでいく。

舌は機能をやめ、ただ口に含み飲みこんでいく作業をのんびり続ける。

ただただ不快でしかない。

弱い自分が嫌になる。

こんなことで、こんな風になにも出来なくなってしまう。

アリスも、こんなことが合ったのだろうか。

味のしないご飯を飲みこみ、眠れないほど悩んだのだろうか。

それでもアリスは、笑顔を振りまき、それを周りに悟らせなかった。

そうして、今。

どうすればいいか分からなくなって、ぼろぼろの身体を引き摺っている。

立ち上がる力も失い、それでも気丈に振る舞おうとしている。

だから、ここで止まる訳にはいかない。

味がしなくても、不快でしかなくても、食べなければいけない。

アリスの言葉を知ったのだから。

アリスの想いを知ったのだから。

それは、ただの贖罪かもしれない。

それでも、ここでなにもせずうじうじしているのは。

単なる甘えだ。

引きこもって3日目で、ようやくその行動に移せた。

何度もむせ返り、せき込み、苦労しながら飲みこむ。

水で流しこみ、スプーンでよそったご飯を口にする度猛烈な吐き気が襲う。

感じやすいな…全く。

こんなに弱くて、脆いから、アリスは心配を掛けまいと無理をしたのかもしれない。

なにかあれば、直ぐに喉を通らなくなり、眠れなくなる。

「お疲れ様。完食おめでとう。」

いつの間にか、リンが部屋に入ってきていたらしい。

最後の1口を飲みこみ、やっと息がつけた。

リンはきっと途中から見ていたのだろう。

完食したはいいものの、気持ち悪くて暫く返事が出来なかった。

「俺、医者を継ぐのはやめようと思うんだ。」

唐突に発せられた、リンの言葉に耳を疑った。

「はっ!?」

リンの今の家は、医者だ。

跡継ぎがいない医者が、成績優秀なリンを見越して養子になったのだ。

だから引き取られてはずっと勉強ばかりして、医者になろうと励んでいた。

何年もずっとそうしていた。

「人が傷つくのを見るのは嫌だからさ。正直血も苦手だし、足の引っ張り合いも嫌いだ。」

「えっ…でも…」

そんなことになったら。

「衝突は免れないだろうけど、やりたいことが出来たんだ。」

衝突することも、見込んでいる。

今まで言葉にしなかったのは、きっと本人も迷っていたからだろう。

「万里花にも、ちゃんとプロポーズする。それで母さんとも一緒に暮らす。」

…母さん

愛しい人の影を求めて、傷つけることを恐れてリンを置いていった。

リンの母親。

けれど和解を済ませ、今は離れて暮らしているが連絡は取り合っているらしい。

「…万里花の家を継ぐのか?」

「それも考えたけど…経済とか金銭のやり取りは嫌いではないけど…
それを仕事にする気は、特にないかな。必要とあれば、やるけどさ。」

それよりやりたいことが出来たんだ、と満足そうに笑った。

リンは母との問題を終えてから、子供の様に笑うことが増えた。

今までの様な、落ち着いた大人の様な微笑みは影を潜めてしまった。

色々我慢することが多い環境だったから、屈託なく笑うことをやめていたのだろう。

万里花を得、友を得、母を得たリンは。

限りなく満たされ、気持ちを表現する術を遅ればせながら身につけたのだろう。

冷酷で、人との関わりもほとんどなく、クラスメートからも一線引かれていたリン。

でも今のリンはどこから見ても、ただの少年だった。

「上手く行くかは分からないけど。どうしてもやってみたいんだ。
言うのはまだ恥ずかしいから、言わないけどな。」

子供らしさを残しながら、もともと整っていた顔立ちはどこか大人っぽくなった。

変わったんだ。

苦しんで足掻いたリンの姿を知っている。

そこからリンは、抜け出して変わったんだ。

そんなリンを見ていると、どこか焦り始めた自分がいた。

Re: 秘密 ( No.638 )
日時: 2016/12/04 23:40
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

「恋愛感情じゃないけどさ、俺はアリスのことも好きなんだぜ。」

万里花程じゃないけどさ、と顔をくしゃくしゃにしながら笑って見せた。

どことなく不敵な笑い方で、どこかアリスと似ている。

もともと口数の少なさや、そのくせ動作に感情が現れるところや。

優しさに不器用な所、少しずつ笑う様になっていたところ。

昔のアリスに似ているような気がしていた。

勿論アリスと違って勤勉だったり、几帳面だったりする所は似ても似つかないけれど。

纏う雰囲気はどこか少し似ていた。

リンと話していると、出逢ったばかりのアリスを想起せずにはいられなかった。

けれど、なにかを振り切ったリンは。

今のアリスに少しずつ近づいているような気がした。

やるべきこと、やりたいことを見つけ。

楽しそうで、どこか子供みたいに無邪気で、それでいて大人びて見えた。

自分の生きる意味を見出し、それに向かって没頭できることが嬉しくて仕方ないと言わんばかりに。

2人とも変わった。

嫌、変わったというなら万里花もだろう。

皆前に進んでいる。

駄々をこねているのは、自分だけだ。

アリスがいない生活が考えられなくて、ずっとこのままでいられると思って。

自分で歩きだすのを止めた。

アリスを傷つけたことを知り、それでもまだアリスにしがみつくことしかできない。

「だから、アリスが本気で決めたことなら。口出しする気はない。」

アリスが、本気で決めたこと。

そんなこと、分かっている。

アリスが生半可な覚悟ではないことも、ちゃんと分かっている。

アリスは自分の恩人で、大事な、尊い存在で。

だからこそ、いなくなるのが怖い。

アリスがいなくなった先、生きていく自分を想像できない。

「俺はアリスのことが好きだよ。人として、友達として。
俺には俺で頑張るべき場所がある。それはアニエスじゃない。」

それでも、自分のやりたいことがあるから。

それに向かって突き進むんだ。

自分には、突き進んでまで手に入れたいものはない。

アリスくらいしかいない。

辛い時、哀しい時、楽しい時、なんでもない時。

傍にいてほしいと願うのは、他の誰でもないアリスなんだ。

ずっと隣にいて、笑って、そんな日が続くことを夢見ていた。

でも、時間は流れていく。

決断すべき時は必ずやってくる。

今のままなんて幻想だ。

「それにさ、ちゃんとこれから先もずっと万里花と一緒に暮らしていくならさ。
傍にいたいなら、ずっとこのままなんて言ってられないよ。」

そこでリンは再び口端をめいいっぱい釣り上げて、笑って見せた。

「だって、もっともっと幸せにしたい。俺だって幸せになりたい。
だから今のままなんて、ふざけんなってんだよ。俺たちはもっと幸せになってやる!」

堂々と胸を張って、誇らしげに笑うリン。

高々と宣言した言葉に、微塵の嘘も躊躇も存在しない。

…羨ましい

自分も変わりたい。

例えアリスと一時的に離れることになろうと、幸せになる為に尽力できることを。

見つけたい。

アリスを都合のいい相手にするのではなく。

裏表を全て知って、それでも互いに支え合える相手に。

なりたい。

Re: 秘密 ( No.639 )
日時: 2016/12/11 11:55
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

酷いことを言った。

きっとじゃない。

絶対、圭のことたくさん傷つけた。

食事の席に出ていないと、エリスが毎日の様にこぼしていた。

部屋に引きこもり、部屋を出入りするマリーやリンの疲れた姿しか目に出来ないらしい。

それだけで大体現状がどうなっているか、分かる。

マリーやリンの手にする食事は、いつも殆んど口が付けられていない。

それでエリスはかなりご立腹だ。

足りない訳ではないが食事は節制したいと、勿体ないと愚痴ていた。

お金はエリスやアレクシスの稼ぎがあるから、困りはしない。

けれど大国と付き合うために、お金はかかる。

だから貧民層も存在するのだ。

電話してから数日、殆んど食事を口にしていない。

私は慣れていても、圭は違う。

きっとやつれている。

最低だ。

確かに圭に言ったことは少なからず真実だ。

圭が見ている私はあまりにも神々しくて、天使みたい子だった。

私はそんな理想と違うことが苦しかったし、作り笑いだって何度もした。

でも、圭の傍が唯一の安らぎであるのも事実なんだ。

その安らぎを失いたくなくて勝手に無茶して、から回ったのは私なんだ。

圭が私の本心に気付かなかったのは。

なにより私がそれを望んだからだ。

だから圭はなにも悪くない。

なのに。

圭は私に文句の1つも言わない。

どうして。

どうして圭はそんなに優しいのだろうか。

圭の優しさは憎らしいけど、私を救ってくれもした。

憎いけど、それが愛しくもある。

まるで母が父に向ける気持ちみたいだ。

でも私は母とは違う。

母は父の意志を尊重し、父の死に際まで彼の陰に徹していた。

父の傍にい、父を想い続け、父を見返すために生きてきた。

父の中に、少しでも存在し続けようとした。

それが母の意志で、母が決めたことだ。

私は圭を追いかけてアニエスから逃げ出しもしなければ。

圭が私を追いかけて闇に沈むのも嫌だ。

互いに、好きなように生きればいい。

圭が例え私を想っていなくても。

私が圭を想えていればいい。

圭の中に私がいなくても、私の中には圭がいる。

それで充分。

それが私の意志。

私は圭を追いかけない。

そうすればいつか、絶対に後悔する。

元気に生きていれば、それで良い。

私ばかりにしがみついて、生きていて欲しくない。

私も、これからどういう顔で圭の傍にいればいいか分からない。

圭が帰国するまでの数日。

私は圭の部屋には近づかなかった。

Re: 秘密 ( No.640 )
日時: 2016/12/18 13:17
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

〜・135章 幸せの代償・〜
「アリス」

圭とは会いたくない。

会ってもどんな顔をすればいいか分からない。

私が散々迷い、決めた答えを。

圭はあっさりと覆した。

そうだ。

確かに圭はそういう人だった。

いつも私の考えや予想を覆し、私を驚かせる。

なのに、圭らしいと思わせる。

人が必死に考えた答えを台無しにする。

けれど、私には考え付かない答えに辿り着ける。

「なあに?」

微笑み返しながら、ゆっくりと振り向く。

部屋には近づかないと決めたのに、圭は自分で会いに来た。

私の考えを覆す圭は、もしかすると私よりずっと強いのかもしれない。

「廊下じゃなんだし。場所、変えよっか。」

周りのことをよく見、気持ちを組み、それで考え、行動できる。

なかなか答えが出せなかったり、行動に出せなかったりもするけど。

どこまでも人間らしく、優しく、温かい。

流されることが合っても、苦しんで答えを出せる。

逃げ出しても、いつか答えを出せる。

そんな圭は、きっと私よりずっと強い。

Re: 秘密 ( No.641 )
日時: 2016/12/19 02:43
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

アリスに連れられ、屋上の淵に並んで腰かける。

後から座ったアリスは少し距離を置いた。

下から吹き上げる風や、連なる建物を見ると少し怖くなる。

アリスはそんなことを全く気にしない素振りで、あしをぷらんぷらんと揺らしていた。

街並みを静かに見降ろし、こちらの言葉を待っている様にも見えた。

「僕はアリスの一面しか見ることが出来なかった。」

今更気付いて、それが死ぬほど恥ずかしい。

アリスのことを助けたいって豪語して。

それなのに、アリスのこと何も分かっていなかった。

「アリスが笑顔で苦しみを隠していたことに。気付くことが出来なかった。」

ここに来て、アリスの知らない一面を知って。

涼風にいたアリスは、笑顔で必死に隠していたんだと気付かされた。

そうすることでしか、アリスは居場所を確保できなかった。

居場所を失うことだけは、アリスは絶対に嫌だったから。

今になってやっと、分かった。

色々なことを調べて、真正面から向き合って、泥を被りに行く。

母親や身内の問題はそれに筆頭する。

マリーやリン、そして自分も。

トラウマを解決し、前へと向かって歩いていけるようになった。

それはアリスの善意だけではなく。

元々同じ立場ではないのだから泥をかぶっても大丈夫、と自分を軽んじてもいた。

それだけだと思っていた。

でも、アリスにとっては居場所を失いたくないという願いもこめられていた。

「…愛しいという気持ちは、あったよ。」

だから苦しいの、と彼女は言った。

想像はいくらでもできたはずだ。

アリスを見て、接していれば、見えて来るものがあったはずだ。

アリスは正体を暴かれるのを恐れながら。

苦しみながら。

気付かれたくない、そんなことを想っていた。

電話での暴露は、延々と続く苦しみを一刻も早く終わらせようとしていた。

激情に駆られ、色んな事を口走り、最後は疲れた様に電話を切った。

「アリスが昔のこと、覚えてないの。気付いてたのに。」

「…そうだね。隠すな、泣きたい時は泣けって。言っていたっけ。」

よく覚えているね、と呟くと。

忘れられないんだよ、ともっと小さな声で返した。

アリスはどんな一字一句も忘れない。

色んな感情や気持ちを、ずっと忘れることも出来ずに抱えている。

それもそうだね、と静かに返した。

忘れられないというのは、一体どんな気持ちなのだろう。

「昔のことを話に出される度、怯えていた。
出さない様に、気を使ってはくれていたみたいだけど。
やっぱり人を繋ぐのは、過去なんだから出すなて言うのも無茶だよね。」

昔のことを忘れてしまったアリス。

向けられる優しさは、全部過去の自分に向けられている。

分からない。

知らない。

怖い。

それだけじゃ足りない気持ちが、いつもひしめいていたと思う。

そんなことに、ずっと気付かなかった。

分かっていたはずなのに。

Re: 秘密 ( No.642 )
日時: 2016/12/24 21:36
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

「やっぱり、自然とアリスを昔のアリスと重ねていたと思う。
切り離しては考えられなかった。…昔のアリスも、特別な存在だから。」

大切な言葉を掛けてくれた大事な存在。

あの頃の唯一の生きがいだった。

アリスがいなかったら、確実に生きてはいなかった。

事情が合って、小学校高学年の頃散り散りに別れてしまったけれど。

それでもアリスのことを考えない日はなかった。

勝手に黙っていなくなって、謝り倒しても気が済まないと思っていた。

会いたくて、でも会えない。

そのことを申し訳なく想いつつも、やはりどこか安心していた。

あの頃の自分は、アリスはリンに惚れているものだとばかり思っていた。

真相はもう分からないけれど、だからって黙って消えることはなかった。

施設の都合でいきなり追い出されたにしても。

一度くらい会いに行けたはずだ。

それでも会いに行かなかったのは、多分怖かったからだ。

アリスがいなくなるまで、自分のしたことの本当の意味に気付かなかった。

Re: 秘密 ( No.643 )
日時: 2016/12/24 21:53
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

「圭たちのことは、昔からエリスに聞いていた。
エリスはアイザックのことも、圭たちのこともお伽噺の様に話してくれた。」

初めは、意地悪ばかりをしていたけれど。

アイザックを失ったエリスに寄りそい、圭たちと出会った私の傍に。

次第に優しく、時に厳しく。

寄り添うようになっていった。

「あの頃は、色んな家をたらい回しにされて。
人の悪意に歯を食いしばって耐えていなければいけなかった。
色んなものに疲れて、そんな時は圭たちの話が支えだった。」

エリスの行動は、とても嬉しかった。

母の目をくらます、という理由でアニエスを出た。

圭に出逢って、別れて、それからは色んな家をまわっていた。

どの家も、問題がある家ばかりだった。

母曰く、人の悪意や生きていく厳しさを身につかせるためだと。

その為に父はわざわざ、そう言う家を選んだのだと。

話してくれた、母は少し呆れた様な寂しそうな笑顔を浮かべていた。

今なら、その意味が分かる。

「私にもそんなことがあったんだって、嬉しかった。」

エリスは私の支えだった。

会うたび、彼らの話をねだっていた。

お腹が空いていても、生傷が絶えなくても、生乾きのボロボロの服を着せられていても。

エリスに会うと、痛みを忘れて聞きいっていた。

支給されている携帯は壊されることもしばしばで。

だから、エリスは大抵帰り道にふっと現れることが多かった。

携帯隠しときなよ、って笑いながら携帯を渡してくれた。

それがあの頃の日常だった。

家に帰りたくないのもあって、エリスと会うとついつい長話になった。

「…懐かしいな」

エリスから話を聞くのが、本当に好きで。

彼らと私の最も強いつながりは歌であった、と聞いて。

基地に足を運んでは、放置された楽譜を読みこみ。

歌うことで繋がっていられた気がした。

「歌っていれば…本当に、会える気がしてた。」

あのころとは、もう違う。

辛い事ばかりで、だから圭たちに会った時は嬉しかった。

お伽噺の中に入り込んだみたいに、夢の様だった。

「でも、やっぱりお伽噺は見ている頃が一番幸せだったのかもしれない。」

圭に会ったことは幸せだった。

私の人生において、間違いなく転機だった。

幸せの始まりだった。

「…幸せになっても、やっぱり痛みってあるんだね。」

考えてみれば当たり前だった。

代償なしに得られる訳なんてないんだ。

私がしてきたことを、考えれば。

もしかすると幸せになること自体が、痛みなのかもしれない。

「アリスは幸せになることに、不慣れなんだよ。不器用なんだ。
でもね、慣れてからも…それでも傷付くこともあると思ってるよ。」

ふふっ、と小さく微笑み返す。

やっぱり圭は変わらない。

「でもやっぱりさ、傷付かずにはいられないよね。
人生において痛みや、悲しみは絶対になくてはならない。不可欠だもん。」

傷付いて、ぼろぼろになって。

だからこそ当たり前の日々が、こんなにも愛おしい。

そんなこと、ずっと前から分かっていた。

知っていた。

「圭たちと過ごした時間は、本当に夢を見ているみたいに幸せだったよ。
傷付くことや罪悪感に苛まれることもあったけど。本当に、満ち足りていた。」

生きているんだって、実感できた。

例え圭の視線の先にいるのが昔の私でも。

それでも良いって、確かに想っていたんだ。

Re: 秘密 ( No.644 )
日時: 2016/12/30 22:34
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

〜・136章 残酷な我が儘・〜
「圭のこと、本当に大事だったんだ。」

アリスは何度も繰り返す。

幸せだった。

大事だった。

夢を見ているようだった。

満ち足りていた。

そんな言葉を、何度も何度も噛み締めるように。

「その気持ちに、嘘はないんだよ。」

それでも、と小さく続けた。

その先の言葉は、なんとなく想像がついた。

“圭のこと、ちゃんと見れていなかった”、と。

哀しそうに。

寂しそうに。

ぽつりと零した。

「圭みたいになりたいって、理想ばっかりで。
救ってくれるのが当たり前で、笑ってくれるのが当たり前で。
それがどれだけ大変なことなのか、ちっともわかってなかった。」

Re: 秘密 ( No.645 )
日時: 2016/12/30 22:40
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

アニエスのことは、色んなきっかけを生み出した。

「アニエスのこと知られたくなかったけど。
事実、私は心身共にまいっていた。救われたのは事実だよ。」

何度もいなくなったり、心配を掛けるのが嫌で。

いつか、手に負えないって捨てられたらどうしようって。

不安が胸を巣食った。

「でも、圭たちが優しくて。本当に、馬鹿みたいに優しくて。
それなのに、不安は拭えなくて。って、当たり前だけど。」

私のしてきたことを考えれば。

そんなの当たり前。

「見捨てられない様にって、精一杯努力した。
してもしても、したりなかった。餓えは増すばかりで、満たされなかった。」

見捨てられたら、それこそ死んでしまう。

嘘をつくことを躊躇わなくなり、作り笑いも板についた。

日に日に自分が暗い所に沈んでいく感触があった。

それでも、不安は消えなかった。

「でも。ある時を境に、私は絶対に見捨てられたりしないって気付いたんだ。」

信じられなくて。

疑ったり、仕方ないって諦めたり、色々なことをした。

でも、いつだって圭は来てくれた。

嫌われない努力も、諦めも、猜疑心も。

その瞬間にどうでもよくなってしまった。

「付き合ってからは、決定的かな。」

圭も私を好いていて、私も圭のことが好き。

それがまるで奇跡みたいなことで。

付き合い始めたばかりの頃。

気持ちが通じ合っていると分かるだけで。

毎日が、幸福だった。

そんな時に。

「圭の弱い所…お姉さんや家のことを…初めて知った。」

圭はずっと満たされた幸福な子供だと信じていたから。

そんな一面があることに驚いた。

「きっと、その頃から私のなにかは変わっていった。」

戸惑う圭や弱った圭。

気丈に振る舞おうとする圭、迷う圭、ぼろぼろになった圭。

色んな圭を見た。

憧れであった圭が、少しずつ変わっていった。

圭に散々助けてもらって、でも結局どこか信じられなくて。

いなくなろうとしたり、自ら傷付く道を選んで、進んだり。

ちっとも圭のことを考えず、軽率なことをした。

そんな自身がしてきたことに対する後悔と一緒に、ある気持ちが芽生えてきた。

圭と一緒にいられればいい。

それまで、ずっとそう考え続けていたのに。

「私のせいだ、って思っちゃったんだよね。」

圭は普通の男の子だった。

何の変哲もない、ちょっと家族関係で複雑な事情を持つ。

それだけの男の子だった。

でも、過去に私が授けた言葉によって変わってしまった。

圭は私を好きになり、圭の世界の中心は私になった。

それだけなら、良かった。

高校生になって、再会してからが問題だった。

夢は夢であれば良かったのに。

それは日常に変わってしまった。

「助けに来ることも、迎えに来ることも、全然楽じゃない。
凄く大変なことなのに、それが当たり前になった。」

ずっと話にしか聞いて来なかった圭と会って。

嬉しくて。

しかもそんな男の子が私を救ってくれて。

好きになって。

ずっと傍にいたいと願った。

絶対に失いたくないって。

「アニエスのことがあって、余計に圭は私の傍にいてくれるようになった。」

最初は誰よりも隠しておきたいことで。

絶対に知られたくなくて。

知られた時には、凄く後悔した。

それでも、時間が経つにつれ。

思ってはいけないことが、頭の中に渦巻いていた。

「アニエスのことがあれば、圭は絶対に私を捨てたりしないって。」

Re: 秘密 ( No.646 )
日時: 2017/01/15 22:45
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

「それに気付いた時、愕然としたよ。
圭のこと苦しめたくなくて、力になりたかった。傍にいて、支えたかった。
そんな気持ちが、確かにあったはずなのに。」

いつからか、私自身が圭のことを苦しめ始めた。

アニエスを口実に。

なによりも忌まわしいはずだったのに。

「圭の世界の中心は、間違いなく私になっていた。
アニエスのことは、なによりも強い楔だった。私はそれを利用した。」

気付いたと同時に。

手を離さなければと思った。

このままじゃいけない。

弱く、脆さを持った圭が。

私の為に壊れていく様が見えた。

「おかしいよね。圭の傍にいたくて、酷いことも汚いこともした。
それに躊躇いなんて感じたことなかった。
アニエスのことも、自分の性格も気持ちも、好かれる為ならなんだってやった。」

圭の理想であり続けたことも。

その為に無茶して、こんなの私じゃないって叫びたくなっても。

アニエスに呼び戻されたりして、監禁されたって。

そんなこと、お構いなしだった。

傍にいられるなら、好かれるなら、安い代償だって。

笑い飛ばせた。

自分はそういう人間だった。

「圭の弱さを見て、やっと分かった。普通の人なんだって。
優しくて、強くて…それでもやっぱり弱いんだって。
今は大丈夫でも、いつか壊れるって。そう思っちゃったんだよ。」

それでも。

圭の弱さを見て、やっぱり普通の人なんだって分かった。

それが、壊れていく。

「そしてそれは、紛れもなく私のせいだ。」

Re: 秘密 ( No.647 )
日時: 2017/02/01 14:21
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

「馬鹿みたいだ。」

長く続いた話が、佳境に差し掛かった。

溜め息をつくように、呆れたように。

小さくこぼす。

「私が必死にやってきたことは、自分の首を絞め続けるだけだった。」

周りを傷つけ。

自分も傷つき。

やっと手に入ったと思ったものは。

残酷な現実だった。

「私はもう充分だよ。」

精一杯頑張れた。

圭の世界の中心にいられた。

同じ場所で笑いあえた。

苦しくても。

確かに、私がやってのけたことなんだ。

「リンやマリーのお母さんたちを見て、手放そうって決心したんだ。
残酷な優しさを発揮して、例え圭が傷ついても構わないって。」

あー…

最後の最後まで、私はどこまでも自分勝手で救いようがない。

「我が儘に付き合わせて、ごめんね。」

Re: 秘密 ( No.648 )
日時: 2017/02/14 23:06
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

〜・137章 違う道を歩いて・〜
「それを言うなら…僕だって充分我が儘を言ったよ。」

アリスの傍にいたいって。

傍にいて、気付かぬうちに傷つけていたんだから。

アリスにとっては、自分と一緒にいることは辛いことだったのかもしれない。

どう見ても違う価値観。

世界そのものの見方が違う。

一緒にいると、アリスが自身のことを嫌いになってしまうんじゃないかって。

それくらいのことは、考えたことがある。

だからこそ。

「アリスが自分のこと、好きになっても良いんだって。
そう思えるくらい、アリスの分までアリスを好きでいようって思ったんだ。」

いつだってアリスのことを考えて。

それはとても贅沢なほど、至福な時間で。

アリスさえいればって、何度も思った。

「でもね、アリスのこと。
10年前にかけられた言葉だけで、好きになった訳じゃないんだよ。」

・・・人間らしさを誇って・・・

その言葉だけじゃない。

10年前の言葉だけじゃない。

「…そうだよね。
圭は昔の私だけじゃなくて、今の私もずっと見ててくれてたもんね。」

小さくアリスも言葉を返す。

へへっ、と照れたように笑った。

「でも、不安にさせたのは僕の過失だから。
無茶させたのも、諦めたのも、疑わせたのも、全部。」

ううん、ってアリスは隣で首を横に振る。

金色の髪が、小さく揺れた。

「きっと圭がどれだけ想ってくれていても、変わらない。
もし不安にもならず、無茶せず、諦めず、疑わずにいられたら。
今よりずっと弱くなってたと思うし、そんな万能な圭を好きにはならなかったと思う。」

ああ。

確かにそうかもしれない。

不思議だ。

まるで懺悔する様に、お互いの過ちを吐露しているのに。

気持ちはひどく、穏やかだ。

お互いの気持ちを曝け出して、傷つけたことにも気付けたのに。

気分は良い。

「そんな万能な圭だったら、きっと恐れ多かったよ。」

アリスも軽口を返した。

彼女の顔も、笑っていた。

穏やかに、幸せそうに。

「圭のこと好きになったのは、きっと不完全な所もあったからだよ。
色々あったけどさ。圭のこと好きで大事だったってところも、忘れないでね。」

気分は穏やかだ。

彼女を傷つけ、傷つけられた。

なのに。

「だから、もう良いよね。」

うん、と静かに返す。

その先の言葉は、なんとなく分かった。

「違う道を歩こう。」

Re: 秘密 ( No.649 )
日時: 2017/02/19 17:30
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

圭のことが、好きだった。

エリスから聞いていた話でも、一番多く出てきた名前で。

始まりの男の子、なんてふざけて言っていたっけ。

圭と出会ってから私は変わったと。

初めてエリスが、圭の話をした時。

それは私が膝を抱えながら、公園で時間が過ぎるのを待っていた時だった。

隣に腰掛ける人がいて、ふっと視線をやるとエリスが艶やかに笑っていた。

小学校高学年の頃だったかな。

普段は静かに笑いながら、用件だけを告げに来ていた。

最後の最後に、体には気を付けろよとだけ言っていたのを覚えている。

それがこの時は、用件を切り出すこともなくただ隣に座っていた。

家に帰るのが嫌で、外でただ歩いたり、疲れたら座ったり。

気ままに、それなりに気晴らしになった。

でも、外でいかに楽しく過ごしても。

いつかは家に帰らなくてはいけない。

それが辛くて、少しでも家にいる時間を減らそうと仮眠も外でとった。

幾つの時からだったろう。

気付いたら、そんな生活だった。

丁度その日は、前日の夜に家の人に酷い八つ当たりをされて。

ただ帰りたくないと、死にたいと、心の底から呪っていた。

だから、用件を告げないエリスを不審に思いながら。

死ぬことも許されないのかと、思ったことを覚えている。

エリスがいれば、私は死ねない。

「…去年のことなんだけどね。アリス、覚えてる?」

出だしはそんなものだったと思う。

私はその頃は幼い頃のことしか覚えていなくて。

アニエスでのことは覚えていたけど。

圭たちのことだけがすっぽり抜けている状態だった。

気付いたら、10だか11歳になっていた。

戸惑いはしたけど、知識の点で困らなかったし。

そういうものだと思っていた。

「…覚えてないよ。知ってるでしょ。」

気付いたらアニエスからここに来ていて、学校に行っている。

辛いことが多かったけど、それでも人と感覚が違ったのか。

仕方ないことだ、と冷めた目で見ていた。

食事を抜かれるのは慣れていたし、基本は家の外で過ごしていたから。

家の中で殴られたり、無理矢理酒を飲まされなければ良い方だった。

「あのね、いいこと教えてあげる。あんたには好きな人がいたんだよ。
しかも4、5歳の時からずっと。すっごい一途で初々しかった。」

「…なにそれ、意味分かんない。」

本をたくさん読んで、でも私には共感できないことが多かった。

感情というものを表現する術を身につけるタイミングを逸したのだ。

痛い、辛い、嫌だ、とは思っても。

人が持つような温かな気持ちは分からなかったし。

自分が持つことはないと思っていた。

私の心は穏やかで、いつも何かを諦めていて。

いつ死んでも構わないと言わんばかりに、どこか投げやりだった。

「ほんとなんだよね〜、これが。
私も目を疑っちゃったし。でも、すっごい幸せそうだった。」

そんな自分を、想像できない。

エリスの性質の悪い冗談だと思った。

「出逢ったのは、4年前かな。4年間ずーっと一緒にいたんだ。
会ったのはお屋敷で…相手の男の子が窓から飛び込んできた所から。」

「…窓から?」

「すっごいお転婆さんでしょ?
今のあんたみたいにお腹をすかせてて、食べ物を探していたの。」

その男の子と遊ぶようになった、という所まで話すと。

エリスは席を立って、からかう様な笑みを浮かべて帰っていった。

続きはまた今度ね、と後から電話で告げられた。

それからエリスは来る度に、少しだけ“ケイ”と言う男の子の話をした。

エリスが来るのは大抵私の携帯が壊れた時だった。

アニエスから支給された携帯で、家に帰る前と出た後。

電話する様に言われていた。

単なる生存確認で、涼風に来てからずっと続く習慣だった。

でも、家人は乱暴な人が多かったので壊されることもよくあった。

だからエリスは月に1度か2度。

多ければ週に2回。

携帯を新調しに来ていたのだ。

会うたびに話をせがむようになった。

輝くような物語に、耳を傾け。

家に帰ってからもずっと反芻していた。

エリスの話は抽象的で、彼らが今どこにいるのか。

一緒にいる時にどんな会話をしたのかも結構曖昧で。

伝わってきたのは、彼らは優しい人で。

私自身もその時幸せそうだったことだけ。

エリスの作り話かもしれないと思っていたけれど。

それでも、本当にいたらってずっと夢を見ていたんだ。

生まれて初めて見た夢だった。

その夢は私は励まし、圭たちに再会するまでずっと続いた。

Re: 秘密 ( No.650 )
日時: 2017/02/23 23:29
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

「圭のこと、本当に好きだった。
でも、苦しくても…逃げた先に圭といられる喜びが合っても。
私はここにいたい。確かにそう願ったんだ。」

これはきっと、本当の言葉だ。

今のアリスが考えた、偽りのない言葉だ。

「僕もきっと、アリスに恋をしていた。
子供みたいに幼くて、不器用で、恋に酔っていた所もあったけど。」

「「それでも」」

言葉が、重なる。

顔を見合わせて、笑う。

「「きっと恋をしていたんだよ」」

胸の中は穏やかな気持ちで満たされている。

温かくて、静かで、後悔も迷いも存在しない素直な気持ちが。

口から空気を震わせ、紡がれている。

「「君に恋をして良かった」」

同じことを想いながら。

くすくすと微笑みながら。

「ありがとう」

彼女が告げる。

「ありがとう」

それに応える様に、僕も告げる。

幼くて、未熟な恋でも。

とても大事な思い出だ。

アリスに恋をしなければ、母とのことも、姉とのことも。

一生、背負いながら生きて行くしかなかった。

アリスの言葉で、それがとても軽いものに感じられた。

感謝も、愛しいと思ったことも。

触れたいと、願ったことも。

全て本当。

彼女のことを、全然知ることが出来なかった。

子供の様に駄々をこねて、相手のことを心から慮ることが出来なかった。

そんな子供みたいな恋だけど。

して良かったと思える、そんな恋だった。

後悔も未練もない。

彼女も、自分の言葉で背負うものが軽くなったと。

そうやって、自分に偽りの恋をした。

笑顔で駆け寄ってきてくれた彼女も。

圭、と呼ぶ彼女の声と笑顔に。

本当に恋をしていたんだ。

お互いの顔を見る度に、嬉しくて幸せな気持ちにさせてくれた。

だから。

今度は。

「今度こそ、一緒に生きていきたい。」

いきなり恋人とかは無理だと思う。

気持ちの整理も出来ない。

ニセモノの恋は自分たちを幸せにしてくれた。

温かな気持ちを授けてくれた。

もう、沢山貰った。

「好きになる所から、始めさせてください。」

今度こそ、本当の恋人になりたい。

相手のことも、自分のこともちゃんと分かって。

弱さも醜さも、強さも温かさも抱きしめて。

それでも、迷いなく好きだと答えられる様に。

「喜んで」

幸せで堪らないという様な、朗らかな笑顔で。

彼女は返してくれた。

Re: 秘密 ( No.651 )
日時: 2017/04/05 13:26
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

「私はここで、アニエスを助けるよ。」

「僕は涼風に戻って、夢を見つける所から始めるよ。」

お互いの小指を絡ませ、微笑みあう。

少し距離を置こう。

お互いのことだけでなく、周りもちゃんと見えるように。

もう理想で誰かを傷つけないように。

「もし、恋人になれなくても良い友人くらいにはあり続けたい。」

好きになれてよかった。

こんなこと、聞いてくれるのは圭だけだったと思うから。

「そうだね。傍にはいたい。」

こうやって微笑み返してくれるのは、圭だけだと思うから。

「今度会った時は、お互いが見てきた色んな話をしよう。」

「きっと、楽しいだろうなぁ。」

くすくすと笑い合う。

今までは笑いあっていても、心地よさの中にチクチクとした痛みが潜んでいた。

痛みは圭と別れた後に、じわじわと増していって何時も私を苦しめていた。

「私の本心を知った時、どう思った?」

少し、興味がある。

圭のことだから馬鹿正直にショックを受けて、自己嫌悪に陥っていそうだ。

見ただけでも、数日で体重をかなり落としてるみたいだし。

「アリスがいないと、こんなに駄目なんだと思った。
アリスがいない未来を生きている自分を想像できなかった。」

ストレートな言葉に、素直に恥ずかしくなる。

そうだ。

最初から隠さずに話していたら。

誰も傷つかなかったのかもしれない。

でも、今は傷が愛おしい。

言葉の1つ1つがくすぐったくて、自分の中に温かく降り積もっていく感覚がある。

「…なら、これからも頑張れる。」

私の力だけで、圭の大事な人になれた。

結果が最悪なものだったとしても。

私の存在を、確かに刻みつけることが出来た。

「…ちょっと意外だった。
私が望んでやったことだけど、ここまでとは思わなかった。」

「自分でも驚いた。でも、なにもかもがアリスの思惑通りだと思わないでね。
素のアリスだって、少しは見てきたし。自分で意思で、好きだったんだから。」

照れくさそうに、子供みたいに。

頬を掻きながら笑っている圭を見ている。

ちょっとだけ私より高い背丈。

いつも軽く見上げて、すると直ぐに目が合う。

「圭はいつも驚かせてくれる。圭の偉大さを、今になって思い知ったよ。」

救ってくれないことばかりを嘆いていたけど。

人を助けるって言うのは凄く大変なことなんだ。

「偉大でも何でもないよ。ただ、馬鹿だっただけ。」

目が合うと決まって圭は笑ってくれて。

私も自然と笑みが零れる。

「なら、私も圭みたいな馬鹿になりたいよ。」

「貶してる?」

「褒めてはないけど…貶すってほどでもないよ。感心しただけ。」

「結局どっちなんだか…」

未来の約束をした。

それはきっとこれから先、自分たちを縛り、苦しめることもあるだろう。

でも。

この約束があれば。

圭と何時でも繋がっていられる。

頑張れる。

きっと。

幸せになる為の、力になる。

Re: 秘密 ( No.652 )
日時: 2017/06/15 22:43
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

〜・138章 気付けなかったもの・〜
「とりあえず、これを使わずに済んでよかったよ。」

アリスがポケットから取り出したのは、黒光りする拳銃だった。

それが出てきた瞬間、ギョッとした。

「腕に力がないから、小さい型のを貰ったんだけど…それでもやっぱり重い。」

「あの…アリスさん?何でそんなもの持ってるのかな?」

脂汗をかきながら、やんわりと尋ねる。

あからさまなぐらい、苦笑いを浮かべているだろう。

「試したくて。」

にっこり、と満面の笑みで返された。

「あっ、別に射撃の練習したい訳じゃないよ。
それは室内でちゃんとする所があるから。外じゃ危ないしね。」

聞きたいのはそういうことじゃないんだけど…

でも、こうやってアリスと軽口叩くのも久しぶりだ。

いつもは、お互いが大事すぎて。

優しい言葉ばかりを交わしていたから。

最近はお互い、厳しい事ばかりを話していたし。

「…自分を止められるか、試したかったんだ。」

アリスの顔にはまだ微笑みが残っている。

「圭に言われて、止まれるか。自分の為に圭を撃てるか、試したかった。」

「…結果はどうだった?」

アリスの話を聞いてから、自分の中にも変化が起きた。

いつもなら、拳銃を持っていたら驚いて取り上げていた。

叱って、きつく抱きしめて、止めろって叫んでた。

でも、今のアリスにはそれが必要だから。

そう言う道を、アリス自身の意思で選んだから。

「…分かんない。」

ん〜、と空を仰ぎながらアリスは続けた。

「圭に言われても自分が変わらなかったら、それどころか圭を撃てたら。
きっともう何をしても無駄なんだな、救いようがないなって思ってたから。」

一緒にいて、苦しいことがあった。

アリスの中には、自分を憎む気持ちもあるだろう。

それだけのことを、自分はしたんだ。

でも…

憎む気持ちと同じくらいに、愛しくも想っていてくれたんだ。

そんな相手、この先絶対に見つからない。

「でも…今は撃てなかった。なら、まだ救いようはあるのかもね。
結構ギリギリだったけど。」

「ギリギリって…人の命を…」

「大丈夫。狙っても足だよ。」

「そういう問題じゃないっ!」

お互いの顔に笑みが浮かびながら。

物騒な単語を交えながら。

声をあげて笑っている。

こんな日が、来るなんて思わなかった。

アリスはこの先誰かを傷つけることもあるだろう。

誰も傷つけないで済むなんて、そんな簡単な問題じゃない。

それくらい分かっている。

でも。

今のアリスならきっと。

人の気持ちを組んで、多くの人が幸せになる様な。

そんな道を、必死に探していくのだろう。

だから、もう心配することなんてなかった。

Re: 秘密 ( No.653 )
日時: 2017/07/07 22:00
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

3人が帰国する前日、私は激務の休みをもらった。

それは母やエリスのささやかな気づかいだった。

1日の休みをもらってしまうと、圭たちが帰った後しんどそうだから。

夜だけ休みをもらうことにした。

夕食の席に顔を出すと、3人は顔をほころばせて笑ってくれた。

私はアニエスに残ることを3人に伝えた。

「アリスが心から決めたことであるなら。止めません。
でも、辛くてたまらない時はいつでも連絡を。会いに来ても良いですから。」

「…ありがと、マリー。その時はまた、何時もみたいに笑って抱きしめて。」

「怪我とかは…気を付けろよ。危なそうな仕事だし。」

「非力だしね。精一杯気を付けるよ。ありがと、リン」

「やりたいこと、悔いのない様に。納得いくまでやってきな。」

にっこりと笑って返す。

「それは私の得意分野だよ。ありがと、圭。」

それからは和やかに食事を始めた。

お互いのこれからの指針を話し、談笑した。

リンは医者をやめ、マリーは家業を継ぎ、圭は夢を見つける所から。

大学の話、取ろうと思う資格の話。

マリーとリンに関しては結婚も視野に入れているらしい。

教会で挙げたいとか、真っ白なウエディングドレスが良いとか。

ブーケトスは私に投げてくれるとか。

色々なことをマリーが言う隣で、リンは真っ赤な顔をしていた。

2人は変わらないな。

見ていて微笑ましく、すぐにでも結婚式の招待状が届きそうだ。

食事を終え、別室に移った。

2人の延々と続く惚気を聞いて、私も昨晩圭と交わした会話を伝えた。

「長くにわたって、迷惑を掛けてすいませんでした。」

頭を下げると、即座にマリーが一声かけた。

「2人のことに口を出す気はありません。
アリス達がその道を選んだのなら、それが良いと思ったのでしょう?」

こう言った時、人目を憚らず真っ先に声を掛けてくれる。

そんなマリーが持つ、煌めく様な強さに憧れずにはいられなかった。

顔をあげさせ、にっこりと微笑んだマリーの顔は。

私が追い求める笑顔そのものだった。

優しく、力強く、温かで、不安を吹き飛ばすような笑顔。

ずっとずっと大好きだよ、マリー。

Re: 秘密 ( No.654 )
日時: 2018/02/13 15:56
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

「ほんっと、馬鹿だな。」

後ろから聞こえたリンの大きな声に、一瞬体がびくっと震えた。

リンは思い切りしかめっ面をしていて、怖かった。

鬼気迫るというのはこんな顔だと思った。

「悪いのはこっちもだよ。不安だって言うなら、ずっと傍にいてやる。」

言うと同時に、そっと抱きしめてきた。

思えば、リンに抱きしめられるのはバレンタイン以来だ。

背丈が圭より高いせいか、少し屈む様な形になっている。

おんぶされた時も思ったが、大きな背中だ。

「いてやるってのは違うな。いさせてください、だ。」

優しい、声だった。

「言わないのが悪いとは言わない。言えない気持ちも分かる。」

だけど、と続ける。

「それでも、アニエスのことがなくてもアリスのことが好きだよ。
大事だってことは、覚えとけ。これから先ずっと。」

2人は、私がこれから進んでいく道をちゃんと理解している。

救いなんて見えない、暗くて危ない道。

私は主に頭を使うことになるだろうけど。

それでも任務に駆り出されることもあると思う。

そのための、訓練だと思うから。

人員不足ってのもあるけど、なにより私だけが安全な場所にいたくないから。

武器を持つこともあるだろうし、殺す技術も覚えるだろう。

それらを分かって、後押ししてくれている。

「…もっと、反対すると思ってた。」

「アニエスのこと?それとも圭のこと?どっちにしろ、するわけないじゃん。」

抱きしめられているので、顔は見えないけれど。

声は明るく、自信で溢れていた。

「前からずっと考えてたことだけど、アニエスのことを解決するってどういうことか。
アリスのお父さんの暴君をやめさせること?それとも、アニエスからの追手がいなくなればいの?」

…リンも、マリーも。

ちゃんと私のことを考えていてくれたんだな。

ずっと、気付かなかった。

当たり前になり過ぎていたから?

私がなにも見ようとしていなかったから?

どちらにしろ、愚かだ。

「多分どれも違うと思ってた。暴君をやめても、追手が来なくても。
どっちにしても、救われないと思ってる。今でも。」

しっかりした言葉が、私の中に降り積もっていく。

リンの言葉が、私の中にしっかり届いている。

その実感がある。

「だって、例えアリスのお父さんがいなくなったって。
アリスのお父さんが積み上げてきた物までなくなる訳じゃないから。」

リンの強さに、ずっと憧れていた。

人の目を気にせず、まっすぐに抱きしめてくれる手を。

迷いながらも人の為に、自分の道を突き進む背中を。

ずっと追いつきたいと思っていた。

「アリスのことを今まで管理してたのも…
お父さんが積み上げてきた人望あってだと思うから。」

確かに。

父がいなければ、私はただの小娘だ。

物覚えが良くたって、何の意味もない。

それでも私がアリスとして、アニエスに呼び戻されるのは。

エリスもトールも、アレクシスも。

父のことを信じているからだ。

父は私よりずっと頭が良いのに。

それでも、こんな私なんかに委ねることがあるのは。

私が父の娘だからだ。

「お父さんがいなくなっても、きっとここの人達は。
お父さんの言葉をずっと信じつづける。だから、無理だと思ったんだ。」

気付かなかった。

何時も助けてくれるリンが、裏ではそう想っていてくれたこと。

彼らの中にだって私やリンと同じように、繋がりがある。

歪かもしれないけど、それはエリスたちにとっても大事なものなんだ。

「反対しないってきっぱり言えるほど、割り切れないけどね。」

ただの暴君に、あんなに人はついていかない。

父に受け入れられ、居場所をもらい、救われている心も確かにあるんだ。

「でも、引きとめるほどの技量もないよ。」

…私はずっと気付けなかった。

気付こうとしなかった。

何でも分かった気がしていたけど、本当はなにも分かってなかったんだな。

最近はそれをひどく痛感する。

「反対するなら、アリスより頑張ってからにする。」

Re: 秘密 ( No.655 )
日時: 2019/11/07 17:13
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

それから私がこれからアニエスでしていくことを話していった。

少し気は引けたけど、隠しても仕方ない。

これからは些細なことも、ちゃんと話せるようになりたい。

3人には知る権利があるはずだから。

「書類の山かな。それと軽く護身術。護身術はもともと少しやってたけど。」

アニエスのことを知るのは難しくて、今も書類の整理しか仕事がない。

それでも量は膨大で、それを淡々とこなす父が恐ろしい。

アニエスの歴史や今の状況が分からないと、なにも出来ない。

情報の整理ですら大変だ。

エリスやアレクシスの補助は受けているけど、難しくて頭が痛くなる。

「拳銃とか、一応扱いは覚えるつもりだけど…実弾は使わない。
麻酔銃とかゴム弾とか、催涙弾にするつもり。」

書類を読んだだけで知った気になるのはもうたくさんだ。

運動音痴で、バランス感覚壊滅的、体力だってない。

体だって丈夫じゃないし、筋肉痛で次の日動けなくなる。

歩きどおしだって辛いくらいだ。

トールやエリスみたいに前線に立つというのは、敵わないだろう。

「麻酔銃って対人用にはできてないんじゃなかったっけ?」

リンが口を挟む。

流石、元医者志望。

「撃ってから暫く効かないし、量を誤ると死に至らしめる。
実際には使えない、役に立たないって言われてるけど…実銃は致死性が高いから。」

それもそうか、と頷く。

人を傷つけたくないというのは、甘過ぎる私の理想だ。

「それに拳銃は扱いが難しくて。間違って同士討ちになるのも避けたいから。
未熟な私が実銃を持つのは危なすぎるよ。」

物騒な単語を出すと、少し顔をこわばらせながら笑っている。

いつも通りは、やっぱり少し難しい。

でも、慣れようとしてくれている。

心配はしてくれるけど、引きとめはしない。

「…止めないんだね。」

素直な感想を述べてみた。

「ここにいる間、アリスが頑張ってたの知ってますから。
驚くけど、否定はしません。人が死ぬのを望んでいる訳じゃないだろうし。」

…よく分かっている。

私が人が傷つくのが嫌いだということに。

だからこそ、彼らとの距離感に戸惑っていた。

傷つけずに傍にいる方法が分からなくて。

「アニエスとして、誰かを傷つけるかもしれないよ?」

「それは誰かを守るため、でしょう。
実銃を使わないのも、精一杯の優しさだと思ってます。」

それでも、普通に考えれば私のしていることは善ではない。

誰かを守るために、誰かを傷つけるのは。

許されることなのだろうか…?

誰に許しを乞う必要もないのに。

そんなことが頭によぎった。

「傷つけるって言うのは、銃などの物理攻撃には限らない。」

リン…?

「そういうことだろ、万里花。」

ええ、と嬉しそうに微笑んで再びマリーはこちらを見る。

「こうしている今でも、平和な世界でも傷つけ合いが起きてます。
目に見えないだけで、言葉や行動で人を傷つけています。
母が父のもとを去ったのも、優しさでしたが結果私や父を傷つけました。」

マリーとマリーの父を置いて家を出ていったマリーの母。

それによって3人とも何時も苦しんでいた。

でも、その発端は優しさだった。

そうマリーは言う。

「優しさのつもりでも、それは誰かを傷つける。
だから強くなりたいんです。少しでも優しさで傷つけられない様にも。」

その言葉を聞いていた、圭が気まずそうな表情を浮かべる。

圭の私に向けての行動も、全ては善意だった。

私を大事に想い、慈しんで、その結果だった。

「優しさで傷つけてしまった人を、傷つけないように。」

この世の全て良いことで周っているとは思わない。

性善説なんて信じていない。

…でも

それと同じくらいに。

本当の悪ってものは存在しないんじゃないかって思った。

「このままいけば、確実にアニエスの国のひとびとは傷付きます。
なら、それに抗ったっていいはずだと私は考えます。」

穏やかに笑いながら、マリーは諭す様に続けた。

「力って言うのは日常に溢れかえっています。
言葉だって力です。立場だって力です。
誰もが持っていて、傷つけたり守ったりする不思議なものです。
力は人を傷つけるけど、それがなければ何もできません。」

こうやってマリーに背を押されるなんて、一体だれが想像できただろう。

私の進んでいる道は間違っていないと、後押しされる日がくるなんて。

「月並みの言葉ですが。
暴力はよくないといって、誰も守れないことが一番の暴力ですよ。」

私を罪悪感から救うための嘘かも知れない。

「人を救う力があるのに、行使しない方がひどいと思いませんか?
ちゃんとした意志があるのなら、きっと大丈夫です。」

でも、そこに漂う優しさを。

今ならちゃんと受け止められる。

「アリスなら人の気持ちを汲んでくれると、信じてますしね。」

3人の誰もが私の道を応援してくれている。

信じた道を突き進めと。

言わんばかりに。

「アリスはさ、善悪なんてものに囚われ過ぎ。」

アリスはさ、と言う言葉。

文頭につけるのが、圭の癖。

最近気付いたことだった。

「1人の命の為に、大勢が死ぬのは悪いこと?
大勢の為に1人の生け贄がささげられるのが良いこと?
違うでしょ、数じゃない。」

人の生き死には、例えどれほど数に開きがあっても。

命ってのは天秤にのせるものじゃない。

いつだったか、圭から似た様なことを聞いた気がする。

「今まではアリスが一人で背負おうとしてるから、それが嫌だった。
イラついたし、引きとめもした。
でも、守りたいものを自分で守りたいんだって分かったから。
こうやって応援してるんだよ。」

スキースクールだったかな。

ああそうだ、思い出した。

あの屋根の上で、似た様なことを言ってくれていた。

「自分の守りたいものは自分で守る。他人任せにしない。
その為に、力を付けていくんだ。
これからアリスがやることは、力を付けて抗って守ることだから。」

圭は私の両肩に手を置き、頭を肩にのせた。

祈る様に。

慈しむように。

おまじないを掛けるように。

…守る様に。

「武器を持たず、生きて人を救える道を歩いていく。
それがアリスの進む道でしょ。なら、応援だってするよ。させてよ。」

いつだって包まれていた。

母の愛も、エリスの優しさも、そして3人のかけがえのない想いも。

どうして今まで気付かなかったのだろう。

私はずっと前から温かくて愛しい人達に出逢っていたんだ。

私もまた、彼らのことを優しく抱きしめ返せたら。

きっとそんなに幸福なことはない。

Re: 秘密 ( No.656 )
日時: 2020/07/02 17:37
名前: 雪 (ID: Id9gihKa)

ご無沙汰しています、作者の雪です。

この度は一身上の都合で長い間、更新をストップさせてしまい申し訳ありませんでした。

「秘密」は完結までのおおよそ展開は既に決めていて、この先も更新を続けられたらと思っています。

同時に本作初期の拙く未熟なストーリーに手を加えたいとも考えていました。

頑張って構築した世界観を持ったまま更新を続けるか、新しく本作を初めから仕切り直すか。

どちらも捨てがたい選択で踏み切ることが未だに出来ていません。

もし新しく仕切り直すのならば、こちらにコメント共にURLを張り付けて新しいコメディ・ライト小説のに投稿していきたいと思っています。

どんな形であれ「秘密」は最後まで書ききるつもりです。

長々とお待たせしながら煮え切らない物言いになってしまい申し訳ありません。

「秘密」を読んで、数年前になりますが投票してくださった皆々様には感謝の気持ちしかありません。

今までありがとうございました。

そしてこれからもよろしくお願いします。