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Re: 銀の星細工師【更新6/08】 ( No.149 )
日時: 2014/06/22 13:24
名前: 妖狐 (ID: aOQVtgWR)


「保健室の場所を忘れたの!?」
 驚愕に目を見開いてティアラは声を上げた。ラトは素直にこくりとうなづく。ティアラはただ呆気にとらていた。
「……じゃあ、今までどこに向かって……」
「分かりません」
 へなへなと体から力が抜けていくのが分かった。ここまで来るのに感じた羞恥も緊張感も一気に脱力へと変わる。
 けれどティアラはふと思いついた。保健室の場所が分からないなら、保健室へはいけない。それならこのお姫様抱っこもする必要がなく、解除してもらえるのではないだろうか。
「ね、ねえラト。保健室はもう大丈夫だから、そろそろ離してくれないかな」
 慎重に聞くとラトは考えるような間の後、ゆっくりとティアラを床へ下した。
 久しぶりに感じる地に足の着いた感触。不安定な体制だったため安心感が湧いて、ティアラはその場で少し歩き回った。
「ありがとう。……あ、そうだ」
 礼を言った後に当初の目的を思い出した。ラトをグループへ誘おうとしていたのだ。その途中で保健室へと連行されそうになったため、まだ彼に聞くことができていなかった。
「あのね、ラト。聞きたいことがあるんだけど……」
 おずおずと申し出るティアラをラトは無表情で見つめて首をかしげた。言葉の続きを促しているのだろう。
「今度星獲得試験が行われるでしょ。それでね、その、私の仲間に……」
 言いかけた言葉が途中で切れた。再び断られるのではないかという恐怖が湧き上がってきたのだ。
 怖い、断られた時が怖い。期待していた心が弾けてしぼむのが怖い。期待した分だけ絶望感は大きくなる。
 ぎゅっとスカートを握りしめるティアラの肩をそっとラトは叩いた。
「やっぱり、体調悪い、ですか? なんだか、苦しそう……」
 心配そうな声音にティアラはぐっと息を飲み込んだ。ここで黙ったままじゃ先ほどの二の舞だ。
 視線を上げると彼の瞳と視線がかち合った。それを合図にして喉で詰まっていた言葉を口から吐き出した。
「私の仲間になってほしいの!」
 叫ぶように言ったセリフの後、長い沈黙が流れる。さあっと背筋が冷えていくのが分かった。これは断られる前の空気とよく似ている。
(また、駄目……?)
 無言のままのラトを見れなくなり、いますぐ耳をふさいでしまいたかった。ごめん、と謝る声を聴きたくなかった。
「……それは、——ますか?」
「え?」
 聞き取れなかった小さな問いティアラは顔を上げた。
「それは、記憶、手に入りますか?」
 言葉に意味が分からずティアラは首をかしげた。ゆっくり言葉の意味を咀嚼してみるが、やはり理解できない。それでも断りの言葉だけではないことが分かった。
 混乱する頭を置いといて、ほっと胸をなでおろす。
「えっと、記憶って……?」
「あなたの仲間になったら、記憶、できますか? 楽しい記憶。シストラーが言っていた記憶……」
 遠くの彼方を見るように、ラトは焦点の合わない眼でつぶやいた。その声になぜか胸が詰まる。切なさが不思議とこみあげてきてティアラは衝動的にラトの手を握りしめた。
「楽しい記憶ならできるわ、きっと!」
 だってティアラはここへ来てから辛いこともたくさんあったが嬉しいことも同じくらいあった。笑ったことも楽しかったことも。
 どこかが寂しそうなラトにそれを教えてあげたかった。
「あなたは、不思議なのですね」
 握りしめられた自分の手を見てふっとラトは微笑した。気の抜けた柔らかい笑みについ目を奪われる。
「あなたなら、いい……」
 意味深な言葉を言われたかと思えば、ラトはいきなりティアラの手を引っ張って道を進み始めた。
 お姫様抱っこの時もそうだが、突然彼は動き出す。その唐突さに慌てる間もなく、面を食らったままティアラは足を進めた。

                 *

 絵具や様々な画材の匂いが充満する美術室。独特な雰囲気に飲み込まれながらティアラは無言でキャンパスと向き合っているラトを見つめた。
 先ほどから何分、こうしているだろうか。木製の椅子に腰を掛けながら息を吐いた。
 美術室へ来たのは初めてだった。選択科目にも美術は入れていないのであまり縁のない場所だ。男女のデッサン模型や意味不明な彫刻品を眺めながら少しだけわくわくと心が弾んだ。
「面白い……」
 つい気持ちが言葉に出た。なぜか分からないが童心をくすぐられるような感覚がある。並べられたアート作品の眺めていると、不意にラトが顔を上げた。
「僕も、ここへきたとき、びっくりしました。ここ、楽しい」
 ティアラは共感するようにうなづいた。その仕草にどこかラトも嬉しそうに笑った。
「できた」
 さっぱりした様子で呟くとラトは立ち上がった。何十分もキャンパスと向き合っていたが、どうやら描きあがったらしい。
 ラトは動かしていた筆を机に置くと、キャンパスを手に取ってティアラの方へ近づく。そっと優しく扱うようにキャンパスをティアラの目の前に差し出した。
「僕の、故郷なのです」
 キャンパスに広がった世界を見て、ティアラはつかの間呼吸を忘れた。
 圧倒的な強くて眩しい光景。どこまでも広がる美しい大地と広い空。今にも風が絵からあふれ出してきそうだ。そして広大な世界の中にたたずむ一人の女性がいた。
「——綺麗」
 見惚れるように呟いた。髪がなびいて宝石をちりばめた衣装がきらきらと光っている。アラビア風の異国衣装はラトとどこか似ていた。
「僕のシストラー、なのです。シストラーとは、ここの言葉で姉の意味」
 ラトの姉。それを聞いた瞬間、合点がいくような気がした。しなやかで強く、けれどとても優しそうな女性だ。
「すごいね。ラトは絵が上手なんだ」
「故郷は、とても頭に残ってますので。なにも見なくても、描ける」
 懐かしそうにラトは眼を細めた。
「僕がここへ来れたのは、シストラーのお陰、なのです」
 長い指でラトはキャンパスに描かれた女性を優しくなでた。
「使命、あるのです。それ、達成できるのなら、僕は、仲間になって差し上げましょう」
 夕焼けの赤を灯し始めた空に照らされて、ラトの髪も深い赤へと染まっていた。