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Re: 銀の星細工師【更新6/22】 ( No.153 )
日時: 2014/07/10 22:02
名前: 妖狐 (ID: 69bzu.rx)

 草が海のように揺らぐ果てに、白い花をまとう女性が立っていた。
 腰に巻かれた布に白い花がいくつも刺繍されていて、それは本当に花が散っているのではないかと錯覚するほど。花弁を巻き上げながら腰まで届く長い髪を女性は鬱陶しそうにはらった。
「ラト、おばば様はなんだって?」
 名を呼ばれた痩身の青年はその場にしゃがみ込んだまま答える。
「やっぱり駄目でした。僕がグラァース学園に行くのは全力で阻止したいみたいなのです」
「あの人も頑固ねえ」
 女性は軽くため息をつく。
 ラトは少し前からグラァース学園に入学したいと考えていた。だがラトの母親代わりである村の長、おばば様は頑固なほど反対し、村から出ていくことを許さない状態だった。
 ラトは遠い地平線を見つめながら、この先にあるであろう学園を脳内に描いた。存在を知った瞬間から強く惹かれる場所。
「ねえ、シストラー。星硝子を専門にする学園というのは、どんな所なんでしょう」
「うーん、想像できないわ。異国だからきっと、こことはまるっきり違うんでしょうね。外見も文化も言葉も」
 グラァース学園は山や海をいくつも越えた先にある。距離が離れているほど別世界のものとなっていくのだろう。女性も遠くを見やりながら小さな心配の種を打ち明けた。
「ラト……、あなたが目指しているのは言葉すら通じない異国の地だわ。あなたが星硝子が大好きで、そこへ行きたくて仕方がないのも知っている。けれどね……いざそこへ行ったときあなたを助けてくれる人は一人もいないかもしれないのよ。まったく違った人種の人の中に放り込まれるの。考えも言葉も違う人たち。そんな中にあなたを送り出すのは心配なの。おばば様の気持ちもわからなくないのよ」
 おばば様が頑固に反対するのは心配するゆえだろう。額にしわを作りながら女性は強気な瞳をゆがませた。
 もしラトが学園へ行ってしまえば、何かあったとき助けることも、そう簡単にできなくなるだろう。手紙だって距離を考えれば年に数回しかやり取りができない。それは何年も離れ離れになることを示していた。
「あなたは辛さや孤独を感じるかもしれない。それでも行きたいの?」
「うん。行きたいです、すごく」
 ラトは真っ直ぐに女性の目を見てうなづいた。女性は息を飲み込み、静かに瞼を下ろす。
「……そう、それならいいわ。おばば様の説得の方は私の任せておいて!」
 女性はラトの強い意志に満足げに笑った。自分の弟は強く歩いていける、そう確信した。

                 *

 女性の粘り強い説得のお陰もあり、グラァース学園入試一か月前に迫ったころ、やっとおばば様からの許可が下りた。けれど喜びもつかの間、離れたこの地から学園に向かうには長い旅路を要する。少しでも学園につくのが遅れてしまえば入試が受けられず不合格となってしまうだろう。ラトは別れを惜しむ間もなく数日間で旅立つ準備を済ませると村を発つこととなった。
「僕、あっちの言葉を少しずつだけど覚えたのです。日常会話なら少しだけ話せる。後は旅路の途中でもっと覚えていきます」
 清々しい表情で笑うラトを見て女性も笑い返した。そしてそっと懐から鮮やかな布きれを取り出す。
「この地を忘れないでね、ラト。私たちはいつでもあなたの傍にいて、帰りを待っているから」
 そっと近づくとラトの頭に金属の装飾をあしらった布を巻く。ターバンだ。それには古くから伝わる村の刺繍がほどこされていた。
「うん、似合ってるわ」
「ありがとう。忘れないよ」
 ラトの瞳の色と同じ色のターバンはシャラ、と音を立てる。その頭を引き寄せて女性はしっかりと抱きしめた。
「この前、あなたを助けてくれる人は一人もいないと言ったわよね」
 確かめるように聞いたあと、脳内に刻む声音で女性はでも、と続けた。
「あなたを見つけてくれる人はどこかにいるかもしれないわ」
「見つけてくれる……?」
 ラトは抱きしめられたまま首をかしげる。
「あなたの名前を呼んでくれる人よ。並んで歩いたり、一緒に会話したり、笑ったりする相手。『仲間』って呼ぶのかしら。そんな人たちがきっとあなたにもできるはず」
 そうすればいつの間にか助けてくれる人も出てくる。
 最後にぎゅっと強く抱きしめる。遠くへ旅立つ弟の体温を忘れないようにしっかりと。そして女性はそっとラトを離して背中を押した。
「いってらっしゃい、ラト。楽しい思い出話を楽しみにしてるわ」
 からからと笑う女性にうなづいて、ラトは向かう目的地へと足を向ける。
「楽しい記憶、必ず持ち帰ってくる」
 ターバンの装飾が別れの寂しさと未来の期待を混ぜ合わせながら音を立てて揺れていた。

               *

「楽しい記憶、作りたい」
 片言でここに来るまでの話を話すラトをティアラは静かに見つめていた。彼の言葉が少し不安定なのもやっと納得がいく。異国の言葉はやはり話しづらいのだろう。
 ラトは黙り込むティアラを見て、もう一度口を開いた。
「あなた、仲間になれば、その記憶、手に入る?」
 その問いにしばらくティアラは沈黙を貫いた後、唐突に立ち上がった。
「——作れないよ、楽しい記憶」
 言い切るティアラにジャスパーは眼を見開く。まさか断言されるとは思っていなかったのだろう。
 ティアラはラトを仲間にしたい。そのためなら確信はなくともできると言った方がいいだろう。けれどティアラは首を振った。
「だって記憶って作るものじゃないもの」
「……?」
 言葉の意味が分からず、ラトは思わず眉を寄せる。ティアラは生き生きとした笑みでぐっとこちらに身を寄せてきた。
「気づいたらあるもんなんだよ!」
 当たり前と言わんばかりに言って笑う。ラトは表情がぽっかり抜け落ちたように、ただティアラを見つめた。
 今までラトはずっとここへ来てから星硝子細工と記憶作りだけに専念してきた。けれど、どちらも思うように上手くいかなかった。そしていつの間にか面白くて可笑しな物がたくさん置いてある美術室に来るようになった。そこに居れば楽しい記憶が作れるような気がしたからだ。けれどだんだん退屈になってきた。
 そこへ、ティアラが突然飛び込んできた。いきなり話しかけてきて、辛そうな表情をしたと思ったら、慌てたり笑ったり。不思議で面白くて、つい目が離せなくなる子——。
(ああ、これが楽しい記憶、なんだ……)
 ティアラが言った通り、気づいたら心の傍にあった。それを認識するとつい、なんだかおかしくなって不思議と笑いがこみあげてくる。
 くすくすと笑いだしたラトを見て、ティアラも嬉しそうに笑った。
「今すごく楽しそうだよ、ラト」
 名前を呼んでくれる人がいるはず。姉の言葉が脳内に響く。現在進行形で降り積もっていく楽しい記憶にラトはじわーっと心が温かくなるのを感じた。
「ありがとう、ティアラ先輩」
 軽くはにかむラトに、先輩と呼ばれたティアラは少し頬を赤く染める。ひねくれたジャスパーとは正反対のラトは素直すぎて逆にこちらが照れてしまう。
 照れを隠すためティアラはぶんぶんと首を振った。
「そ、そんなお礼を言われほどのことはしてないよ。それにね、仲間といれば楽しい記憶は嫌っていうほどできると思うから。例えば私たちとか」
 さりげなくアピールしてみる。いや、多分さりげなくなっていないだろうけど。
 でも自分たちと一緒にいれば飽きることはないだろうと断言できた。
 ひねくれ者のジャスパーに、極度の緊張性のミラ、単細胞で突発的なティアラ。一見してみたら「やっかい者」と呼ばれるような個性が強すぎる者たち。けれど、だからこそやっかい者が集まれば暇だと思う時などないのだ。
 ティアラは改めて口を開いた。
「私の仲間になってください」
 すっと手を前に差し出す。
(この国ではどういう意味だったっけ)
 ラトは少し首をかしげて思い出す。そして自分も手を出してティアラの手を握りしめた。もう答えは決まったから。
 握手の意味は絆を表す仕草。
 遠くの姉に仲間が出来たよと知らせるよう、ラトは軽く頭を振って金属の装飾を鳴らした。