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- Re: 甘美な果実〜微かな吐息〜【短編集】 ( No.132 )
- 日時: 2015/07/22 20:21
- 名前: 朔良 ◆oqxZavNTdI (ID: 2IhC5/Vi)
「Please stay with me」
何かを間違っていたわけじゃない。
罪を犯したわけじゃない。
ただ、叶わない恋をしただけなんだ。
雨の静かな音が私たちの沈黙を着飾るように聞こえる。先程、私は自然に自室の隣の部屋に向かった。ベッドに腰掛けて、彼に寄り添うように目を瞑っていた。微かに震える声で彼に問う。
「——響、今何時?」
「十二時回った。……もう、今日の朝には出発する」
「……そっか」
灯りもつけず、お互いの顔は見えない。それでも戸惑い気味に触れている肩から感じる体温だけが響がここにいる、という証を与えてくれるのだ。
「……鈴、ちゃんと飯食えよ。あとあんまり母さんに心配かけるなよ」
「分かってる。響もお父さんと仲良くね」
私と響は、血の繋がった兄妹である。
親の仕事の関係で長年別々に暮らしていたが、二年前に再会した。再会、といってもその前に会った記憶なんてなく“お兄ちゃん”だと言われてもいまいちピンとこなかった。
——“お兄ちゃん”だなんて思えなかった。
その手に触れてみたい、その声で名前を呼ばれたい、その腕で抱き締めてほしい。何度も何度もそう願った。実の兄にそういう感情を抱くなんておかしいと頭で理解はしていた。それでも何故か、響にだけに惹かれていってしまった。響は優しいから私の欲に塗れた気持ちに気付いていても拒絶はしなかったのだ。
「どうして離婚しちゃうんだろうね」
「さあ、……“子供は知らなくていいこと”なんじゃないの」
響が私の問いに嗤って答えた。私は瞬間的に嫌な香りを思い出す。父親は帰って来るとむせ返る様な香水の匂いを家中に漂わせていた。
——背徳に溺れる辺り、私もさほど変わらないという事実に吐き気がする。
「——私、そろそろ戻るね」
今日の朝には響が父と共に海外へと向かう。きっと、もう会うことはほどんどない。私もそろそろ“兄離れ”をする時期が来たのだ。
何も言わない響から離れて、立ち上がる。響の部屋には残されていくベッドとデスク、そして積み重なった段ボール箱が微かな月の光に照らされて、暗闇の中で存在感を放っていた。
名残惜しさを感じながら私は扉へと近づく。幻想的な空間からもう抜け出さないといけないのだ。そう思って胸が切なくなった。
「鈴」
響が私の名を呼ぶ。私は振り向いた。響は一瞬戸惑ってから言葉を紡いだ。
「……本当は、嬉しかったんだ。可愛くて可愛くて誰にも獲られたくなかった。家に帰れば鈴がいてくれることが何よりも幸福だった。本当は離れたくなんかない、ずっと俺の隣にいてほしい」
思いがけない言葉が私の耳に確かに届く。
ずっと、ずっと諦めていた言葉。永久に伝えることはないと思っていた言葉。それを、口に出してもいいのだろうか。
そう悩んで動けなくなった時、響が勢いよく立ち上がり、私の身体を強く強く抱き締めた。
耳元で響が囁く。私が伝えたかった五文字のシンプルな想いの言葉。
「私も」と響に続けて口に出す。ただ、それだけなんだ。
そっと響が身体を離す。響は笑っていた。とても幸福そうな笑顔で。私もつられるように笑う。まるでどこかの恋人同士のように。
——その日の朝、響は飛行機で海外へと飛んだ。見送りには行かなかった。きっと泣いてしまうから。響もそれでいいと思っていてくれているだろう。
響の部屋に入ると、段ボール箱はなくなり、ベッドとデスクだけがある寂しい部屋になっていた。ベッドに腰掛けて、そっと目を瞑る。
永遠だと思っていた日常に後ろ髪ひかれながら貴方の手を離す。
もう貴方に恋焦がれてはいけない。微熱を帯びた記憶に寄り添うだけにしよう。
『鈴、最後に一つだけ』
『——離れていても心は繋がってる。俺は、鈴の隣にいるから』
——そう、心は貴方の隣に。
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*鈴 Suzu
*響 Hibiki
タイトルは「私と一緒にいて」という意味です。
儚くて繊細な文章を意識して書きました。
きっと鈴と響は数年後、再会するのだと思います。
その時、お互いに想い続けているのか、大事な人を見つけているのかは想像してもらえたらと。
ただ、恋をしたという記憶は永久に彼等が忘れない大事な記憶なのだと思います。