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Re: 甘美な果実〜微かな吐息〜【短編集】 ( No.83 )
日時: 2014/10/13 21:40
名前: 朔良 ◆oqxZavNTdI (ID: 2IhC5/Vi)

 「ロリポップ」

 ずっとずっとだいすきだった。これからも大好きだよ。


「——ほ。理帆ちゃん! 朝だよ、起きて!」
「んー……あと五分」
「そうやってたら永遠と起きないだろ!」

 気持ち良く眠っていた私に奇襲をかけるように体温で暖かくなった毛布を勢いよく剥がされる。

「いやあああーっ」
「いや、じゃない!」

 反射的に身体を丸める。それでもぬくもりは足りなくて、術が無くなった私は仕方がなく身体を起こした。

「トモ君の鬼畜〜」
「父親に向かってそういう口きかないの」

 私のぬくもりを奪ったトモ君が勝ち誇ったような笑みを浮かべながら私が起きた後のベッドに毛布を丁寧にかけ直す。

「ほら、着替えたらご飯食べに来て」
「はーい……」

 半分寝ぼけた声でやる気のない返事をする。これが私たち親子の日常である。
 中学一年生の私は学校の規則に従わなければならない。セーラー服のボタンを留めてから、真っ黒なソックスを手に取る。涼しい季節になったのだから、そろそろストッキングでもいいと思うのだが、学校ではまだそれを許していなかった。最後に薄汚れたタイを付けて、階段を下りた。
 そのまま、ダイニングテーブルに座る。トモ君が両手に食パンと甘い苺ジャムととろけるチーズを持ちながら近づいてくる。

「理帆ちゃん、パンにジャム塗る? チーズにする?」
「ジャム」
「了解。じゃあ、はい」

 苺ジャムをたっぷり塗った食パンを皿に乗せて、私に出す。それを何も言わずに静かに咀嚼した。

「……」
「おいしい?」
「おいしい。トモ君は食べないの?」
「僕は理帆ちゃんが食べた後にするよ」

 そう言った時、ピピーッという何とも目障りな音がした。洗濯機の洗浄が終わった音だ。それを聞いて、トモ君はすぐにそちらの方に行ってしまった。
 食事をする時間はない。私が学校に出かけてからトモ君が会社に行くまでの僅かな時間の間に食べるのだ。
 そんなことを思いながら私は食事を終えて、席を立つ。
 髪をヘアアイロンでストレートにし、両耳の下で黒いゴムできつく結ぶ。鏡で軽くチェックをしてから、鞄を持つ。

「——じゃあトモ君、行ってくるね」
「あ、行ってらっしゃい!」

 トモ君は笑顔で私を送り出す。それを見てから、安心して扉を開けるのが私の朝の日課だった。




「理帆ーっ、おはよう!」
「おはよう!」
 
 教室に入ると、元気な声が飛んでくる。友人の美依が内緒話をするように顔を楽しそうに歪ませながらこちらに近づいてきた。

「昨日の午後にうちのお母さんが見たらしいんだけど、智和さん、スーパーでめっちゃ高級な苺の売り場見て、すごく悩んでたらしいよ。一つ一つ比べながら選んでたって」
「あーそういや、苺ジャム作ってたもんなー」
「え! 高級苺をジャムに使ったの?!」
「うん。トモ君、そういうところちょっとズレてるから」

 笑いながらそう言う。トモ君の話を聞いたり話すのは、好きだ。私が知らないところを教えてもらって、私がトモ君のすべてをしっていたい。

「理帆は相変わらずファザコンだねー」
「うんっ! トモ君カッコいいもん」

 トモ君は整った顔をしていて、無駄に派手でもない。本当に本当にカッコいい。私の大好きなお父さん。
 チャイムが鳴り、席に戻る。もっとトモ君の話をしたかったのに。

 退屈な授業を終え、私はなるべくゆっくり歩いて帰る。家にはまだトモ君は帰っていない。一人で家にいる時間が嫌だから、少しでも遅く戻りたい。それをトモ君に言うと「子供か」と言われて笑われてしまったけれど。
 家に戻ってから、夕飯の支度を始める。じゃがいもとニンジンを切り始める。楽に作れるカレーにした。甘い甘いカレーが我が家の特徴だ。 扉を鍵を使って開ける音がする。その音を聞いて、すぐさま玄関に向かう。

「おかえり! トモ君!」
「ただいま。今日はカレー?」
「うん、ごめんね適当で」
「いいよ。僕、理帆ちゃんのカレー大好きだから」

 そう言って優しく笑うトモ君の顔が大好きだ。
 二人だけのダイニングテーブルは少しだけ大きいけれど、ぬくもりがあれば寂しくなんかなかった。


 次の日の学校でカレーを作り、トモ君がたくさん食べてくれたことを美依に話した。
 その話の途中、クラスでも目立つ方の女子グループ数名がこちらを見ながらこそこそ話し始めた。

 ——父親のことそんなに好きってありえないでしょ。
 ——父親なんておじさんじゃん。
 ——東城さんってちょっとおかしいよね。

 小声で話しているが、こちらに聞こえる声のヴォリュームで話してくるのが嫌味臭い。
 美依が困ったような表情を浮かべたのを見てから、私は女子グループに向かって歩き出した。彼女たちも来るとは思っていなかったのか、少し戸惑ったように目を泳がした。

「自分たちの父親がおじさんだからって私の親に文句つけないでくれる?」
「な、何よっ……親って言葉使っちゃって」
「……は?」

 そう声が出ると、彼女たちは勝ち誇ったような笑みを浮かべながら言葉を続けた。

「私のお母さんが言ってたのよ! 東城さんの母親は一度離婚してるって。亡くなる前にもう一度結婚して……」
「——止めて」

 震える声で制するが、声は届かない。

「今の父親は、東城さんと血の繋がっていない人だって!」
「止めて!」

 そう叫んだ瞬間、教室が沈黙に襲われた。生徒全員が私を見つめている。それに耐えられなくて、勢いで教室を出た。その途中で、小さく“気持ち悪い”という声が聞こえた。
 廊下を駆けて、東階段の陰に隠れるようにうずくまった。
 ——血が繋がっていない。確かな事実。それでもトモ君が大好きだった。トモ君に大事にされたかった。でも、トモ君が永遠に愛するのはお母さんだから諦めるために、無理やりトモ君を“父親”と思うようになった。そうしたら、ずっと一緒にいられると思った。

「東城」
「……! 何……」

 突然、同じクラスの清水唯に隣から話しかけられた。この人は私にわかりやすい好意を向けてくれる人で、私はそれに気付いていながらも知らない振りをしていた。

「あの人たち、言いすぎたって反省してるよ」
「——別にいい」

 そう冷たく言い放つと、清水君は離れずに私の隣に座った。てっきり、呆れて置いていくのかと思ったのに。

「話くらいなら聞くけど」

 ぶっきらぼうにそう告げられる。その言葉には優しさが込められていて、今まで誰にも話したことがなかった私の想いを打ち明ける気になった。

「トモ君は……私の本当の父親じゃなくて、私の好きな人。でも、トモ君はお母さんのことを愛していて、私のことを“娘”としか思ってなくて……」

 静かに流れる涙と震える声。清水君は慰めることも急かすこともなく、黙って話を聞いてくれていた。

「それが嫌で苦しくて、仕方がないからトモ君を本当の“父親”と思うようになった。それでも好きで、好きで……」

 そう言ってから、少しだけ顔を上げて、真っ赤に腫れているだろう瞳を恥ずかしげもなく晒し、清水君の顔を真っ直ぐ見つめた。

「こんな私、気持ち悪くて嫌いになっちゃう?」
「えっ……」