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- Re: 甘美な果実〜微かな吐息〜【短編集】【10/18更新】 ( No.89 )
- 日時: 2014/10/26 20:14
- 名前: 朔良 ◆oqxZavNTdI (ID: 2IhC5/Vi)
「愛を込めて、君に。さよなら、私。」
君のことが好きだから。
君のためなら何だって出来る。それが君の望みなら。
『残念ですが、事故の後遺症で優弥さんの記憶はほとんど残っていません。一時的なものかも断定は出来ません。しかし、何故か一人の女性の名前だけは覚えているのです。その名前が——』
私は「川江優弥」と書かれた表札が貼られた病室に入る。何も考えないように。何も思わないように。
「……あんた、誰?」
足を踏み入れた途端、優弥が光を失った目で私を見つめた。いや、見つめるというよりは睨んだと言った方が正しいだろうか。
ベッドから上半身だけ起こしている優弥に近づき、笑みを見せる。
「私は……優弥の幼馴染の大槻あやめ」
「……あやめ?」
名前を聞いた途端、少しボリュームを上げて優弥が名前を聞き返す。私は頷き、優弥に質問する。
「どうして、私の名前を覚えていてくれたの?」
そう聞くと優弥は照れたように俯き、そっと理由を教えてくれた。
「分からないけど……すごく大切な人だったのは覚えてる」
「……そっか。嬉しい、ありがとう」
それから、私は優弥に「大槻あやめ」について色々話した。
優弥とは幼馴染だったこと。一年前の十六歳の時に優弥が告白してくれて付き合い始めたこと。それがとても幸せだったこと。
「そうなんだ……教えてくれてありがとう。——あやめ、記憶がない俺でも話し相手になってくれるか?」
「もちろん! 私もたくさん話したいことがあるから」
そう言うと、優弥は事故の前のように屈託のない笑顔で笑ってくれた。それがとてもとても、嬉しかった。「私」はこの笑顔が好きだったのだ。
優弥に秘密にしていることがある。
幼馴染関係だったのは、川江優弥、大槻あやめ、一之瀬柚の三人なのだ。優弥とあやめはデート中でバスに乗って駅に向かおうとしていた。しかし、その途中で衝突事故があったのだ。その事故のせいで優弥は外傷は少なかったものの、記憶喪失という後遺症が残ってしまった。そして、あやめは事故の二日後に永遠の眠りについてしまった。
「——俺、きっとあやめのことが大好きだったんだな」
「……そうだといいな」
そう言ってから、私はそっと優弥に抱きついた。「好きよ、優弥」と呟きながら。優弥は孤独を忘れたい、という思いからか強く強くこの身体を抱き締めた。
優弥の記憶が戻った時、何を思うだろう。私に謝り倒し、一生一人で生きていこうとするだろうか。それは嫌だ。私も悲しい。
それならば、彼の記憶が戻らなければいい。たとえ一生私のことを思い出してくれなくても。
この人を抱き締める権利は私にはない。
それなら私はどれだけ心が傷つこうとも「大槻あやめ」になる。
愛しい君のためなら、何だって出来る。
さよなら「一之瀬柚」という名の私。
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*一之瀬柚 Yuzu Ichinose
*川江優弥 Yuya Kawae
*大槻あやめ Ayame Otsuki
タイトルが気に入っている作品です。
しかし、切なすぎて挫折しそうになった作品でもあります。
記憶を戻せば、柚は本当に柚として存在することができます。それは優弥を傷つけることになるので、望んではいません。